「パイセン、遅いっすよ」
トーマがそう告げた事でカトリナは出席したバーミットを視野に入れて、それだけでこみ上げそうになる。
「バーミット先輩……」
「泣くのは早いわよ、カトリナちゃん。……っと、ほとんど全員ねぇ。愛されていたのね、ラジアルも」
格納デッキに出席した総員の面持ちをカトリナも確かめていた。
「ええ……。ラジアルさん……」
「ほら、しゃんとする。泣くのは全部終わってから、でしょ。……にしても、艦の足を止めているわけだから、たったの十分か。居なくなった人を想うのには、ちょっとだけ短いかもしれないわね」
「それでも……っ、この機会をくださったレミア艦長には、感謝しても……」
し切れない、とカトリナは早くも感極まりそうになってしまって、鼻をすすり上げる。
「……アルベルト君は? 彼の《マギアハーモニクス》が先導するって話だったけれど」
「あっ、もうアルベルトさんは外に出ていて……。私、アルベルトさんをぶってまで立ち上がれって言いましたけれど……でもあんなの、私の言葉じゃなかったのかもしれません。あれはきっと……委任担当官としての、クラードさんが居たとすればそうするって言うだけの話ですし……」
「クラードなら、ねぇ……。何だかあいつも隅に置けないわね。みんなに愛されているくせに無頓着で」
「クラードさんが? どういう……」
「その辺も分からないんじゃ、まだまだだって事よ」
相変わらずバーミットの言う事は半分も分からないが、それでも今、こうしてベアトリーチェが足を止めてでもラジアルの死を悼んでいるのだけは本物だった。
《マギアハーモニクス》は頭部を修復され、凱空龍の面々の操る《マギア》と共に宙域に佇んでいる。
『……ラジアルさん。オレは、行くよ』
誰かの様式なわけでもない。
ただ、アルベルト達は凱空龍がそうするように、彼女を送りたいと申し出た。
ならばそれには従うべきだろう。
《マギア》が一斉に銃口を中天に向け、そのままビームの光条を放射する。
それは一種の仕掛け花火にも思えて、染み入ってくる極色彩にカトリナは瞳の端に涙を浮かべていた。
「……泣いたって、しょうがないのに……」
「それでも、でしょ。ラジアルは立派な人間だった。それは間違いないもの」
バーミットはゆっくりと黙祷に入っている。
カトリナはそれでも、と拭えない感覚を手繰っていた。
「……ラジアルさんは、幸せだったんでしょうか……」
「人によって幸せの尺度なんて違うものよ。ラジアルが幸せだったかどうかは、論じるのにはあたしだってラジアルの事はよく知らなかったわけだし。それでも、彼女が悔いなく生きた事だけは確かだと思うけれどね」
「悔いなく生きる、ですか……」
「そうよ。もしもの時に悔いなく、世の中がどうなっても生きていられる。それはきっと、図太いだとかそういうんじゃない。自分なりの明日を描けるのかどうかって話じゃない? ラジアルはカトリナちゃんの幸せ論とは違うところに居た人間かも知れないけれど、あの子は満足して死んでいった。なら、もしかしたらあったかもしれない後顧の憂いを、あたし達が穢しちゃいけないでしょ」
「憂いでさえも、その人の物って事ですか……」
「そうよ。後悔も満足も、ひっくるめてその人間の物なんだから。あたし達はあくまでも他人。だから彼女の満足なんて分からないのかもしれない。こうやって、自己満足に浸って、送り出したつもりでいて……それで何も分からないまま、悲しんだフリだけする、そういう人種なのかもね」
「……悲しいですよ、それ」
「そうね、悲しい。でも、それがリアルなんだとあたしはこれまでの人生で学んで来たわ」
どれだけ冷酷な事実でも、バーミットは目を離す事はないのだろう。
彼女が見据えているのは、これまでの人生と、そしてこれからの自分の人生だ。
決してラジアルの死に囚われた人生ではない。
彼女はきっと、ただ単に決着をつけるためだけに、こうして出席している。
それはともすれば、前を行くアルベルトも同じなのかもしれない。
「……アルベルトさん達も、ラジアルさんの喪失をきっと……これから先の人生の糧にするんでしょうね」
「あるいは糧にもならないかもしれないけれどね。そんなものよ? 人死になんて」
人は勝手に生きて勝手に死んでいく。
そこに何を見出すのかは、生きている人間の傲慢だけ。
「……それでも。家族みたいな距離感でしたから。嫌ですよ、もうこんなのは」
「そうね、家族が死ぬのは嫌ね」
何でもないように淡々と応じるバーミットは涙一粒さえも流しはしない。
彼女にとっては、もう覚悟の末にある結末だ。
――ならば自分にとっては?
ラジアルが死んでしまった事に、こうも胸にささくれを持つ自分にとっては何なのか。
それは、ただの自己満足か、あるいは誰かの事を想っての涙なのか。
「……私、まだまだ足りないんだと思います」
「カトリナちゃんはでも、幸せになりたいんでしょう?」
「……はい。私は、絶対に……幸せになるんだって事だけは」
「じゃあ、足を取られていないで。右足と左足を順繰りに進めればきっと、嫌でも前には進めるから」
その言葉の調子が少しだけ可笑しく、カトリナは微笑んでいた。
「……それ、クラードさんにも言われました。右足と左足を交互に出せば、歩けるだろうって」
「……何か嫌ね、それ。あたしはクラードの後追いじゃないんだからね」
「でも、ちょっとだけ安心しました。だって、そうすれば、嫌でも前には……進めるのはハッキリしているんですから」
最後にアルベルトの《マギアハーモニクス》が炸裂弾頭を込めた銃口を斜めに放射し、ラジアルを送り出す花火を散らす。
『……すまねぇ、みんな。オレの我儘で艦の足を止めちまって』
『何言ってんだ、ヘッド。おれ達もラジアルさんは送り出したいんだ。せめて、後悔のないように、な』
『……後悔のないように、か』
アルベルトの語調には僅かな憔悴も窺える。
それも当然と言えば当然なのだろう。
彼はラジアルに最も近かった、親しかった人間だ。
愛した人を送り出すのなんて、最も残酷な役目には違いないのに。
「……それでもあなたは、進むんですね、アルベルトさん……」
アルベルトは艦内に戻ってくるなり、格納デッキへと《マギアハーモニクス》を預けてメカニックの合間を抜けていく。
「……次の戦闘では《マギアハーモニクス》で出る。《アルキュミア》を壊しちまって悪いって、ピアーナには言っておいてくれ」
『もう伝わっていますよ。……まったく、随分な扱いをしたようですね』
ピアーナはこんな時にも電子光学技師としての職務を全うしているらしい。
当たり前と言えば当たり前だが、カトリナは涙をハンカチで拭っていた。
「すまねぇ……。けど、次ばっかりは絶対に、もう連中を逃がすわけにもいかねぇ。……ケリはつけるぜ」
『そうでなければ困ったものですよ』
アルベルトの背中に何か呼びかけようとして、バーミットに肩を掴まれ、頭を振る。
「今は……何も言わないほうがいいと思うわ。お節介だろうけれどね」
アルベルトの傷を癒せない。いや、癒すなんて勝手な思い上がりもいいところだろう。
自分は所詮、他人でしかないのだから。
人は勝手に傷の癒し方を覚えていく。
その人間に合った癒し方は、当人しか分からないものだ。
「……アルベルトさん……」
だが自分は見てしまった、知ってしまった。
あの時の出撃前に、一緒に居た二人の姿を。
だから下手な勘繰りの精神が鎌首をもたげてしまって、我ながら無粋だなと自嘲する。
アルベルトの負った痛みは、彼だけのものだ。
他の誰にも肩代わりなんて出来ないはずなのに。
「……私は、委任担当官だからって……万能なんかじゃない」
そんな今の身分が、少しだけ――狡いと思えていた。
略式だが、こう言った時の心得だけは知っている、とグラッゼはアルベルトの背中に声をかけていた。
「……心得……?」
「死に囚われぬ事だ。死に囚われれば、人間は行き場所をなくす。前にだけ進め。それが君の歩みを止めない事に繋がるだろう」
「……オレに、まだ戦えって言うんですか」
「それが君の望んだ在り方ならば、それに従うべきだ。そうだとは思わんかね?」
「……分かりませんよ、そんなの」
「アルベルト君。私はこれまで、数多の部下や上官の死を看取って来た。そんな時にね、言葉が出ぬ、と言う時だってあるのだ。しかし、それでも次の日には何事もなかったかのような顔をして、誰かに愛想を向けなければいけない事だってある」
「大人になれって言ってるんすか」
「逆だよ。君がまだ子供だと言うのなら、その運命に叛逆してみせろ。大人になるのは随分と後になってからでも充分に取り返しは付くが、子供である時期だけは取り返しなんてつかない。……年かさを食えば嫌でもそうだと規定して動かなければいけなくなるだろう。その時、君は誰の言葉を信じるのか……そればっかりは誰にも操作は出来ないはずだ」
「……でも、一人の女の人を失って……子供の身勝手なままで居ろなんて、それは……」
それだってズルい理論のはずだ。
自分は結局、何者にも成れないまま生きろと言われているようなものなのだから。
「何者かに成れと、それが人生の最大指標なわけではない。何者にも成らぬ事が、自分の運命への叛逆の徒に成り得る事もある」
「……でもそれじゃ、責任なんて取れやしない……」
「君が責任を感じているのだとすれば、それは彼女を死なせた事ではない。もっと思い出を作りたかった事だけだろう。先にも言ったが死は死だ。事実でしかない。しかし、思い出を作る事に清算を求めるのであれば、君はまだ取り返しがつく。生きているのならば取り返しのつくほうに舵を切れと言うのが、僅かながら世間を見てきた人間の言える言葉だよ」
「言葉繰りでしょう、それだって」
「分かっているじゃないか」
グラッゼは自分の肩を叩いて、それから格納デッキへと戻っていく。
結局、他者に言えるのは詭弁だけ。
その詭弁だって、それっぽい事を言っていれば、どうとでもなる話。
どうとも成らないのは自分のこれからの人生だ。
これまでの人生に目を向けるべきじゃない。
「……オレは、凱空龍のヘッドだった事も、クラードに出会った事も……この艦に居る事も、ラジアルさんに……大切な人に出会えた事も、なかった事にはしたくねぇ。だから、オレは前を向くよ、クラード。それにラジアルさんも。だって、オレが前見てねぇと、二人が安心出来ねぇだろ。大丈夫なんて気休めは言わねぇ。ただ、……オレは……」
「アルベルト。忘れ物だ」
サルトルが歩み寄って来たのでアルベルトは瞼に滲んだ熱を慌てて拭っていた。
「何だ? さっきの葬送に問題があったのなら」
「違うよ。これを持っておけ」
サルトルの差し出したのは結晶体であった。
蒼い菱形の結晶体が連なって、まるで星々のように輝いている。
「……これは? ミラーヘッドの残骸か?」
「宙域で見つけた。……《オムニブス》の残骸に紛れていたが、間違いないはずだ。ラジアルの形見だよ」
その言葉にアルベルトは目を見開く。
「……形見……」
「ライドマトリクサーってのはな。死ぬ瞬間に体内に流れる伝導液の作用でミラーヘッドを凝固させる事もある。ラジアルが死ぬ前に、誰かを想ったって言う形だ。お前が持っておけ」
「……でも、でもよ……オレは……みんなを騙して……」
「阿呆。今さら大人に気を遣うんじゃねぇよ。お前らは宇宙暴走族の凱空龍なんだろうが。なら、大人の厚意には甘えておくこった。それに……お前だけの責任じゃないのはもうみんな分かってるんだからな。次の出撃時までに自分を立て直しておけ。それもベアトリーチェのパイロットとしての役割だ」
サルトルは身を翻して整備に戻っていく。
ラジアルの魂の形を引き写したかのような結晶体には紐が通されており、首から提げられるようになっていた。
「……何が、大人に気を遣うな、だよ。あんた達だって充分にお人好しじゃないか」
だがそれでもいい。
お人好しな人間が、今はありがたい。
アルベルトはその結晶体を首から提げ、そして静かに涙していた。
もうラジアルは居ない――それをこんな形で実感するとは思いも寄らない。
あるいは、サルトルは自分にそうしろと説教するために、これを渡してきたのだろうか。
大人の身分ならば、それも弁えられただろう。
「……でもよ、ズルいぜ……。あんたらさっき、子供でもいいって、言っただろうに……」
子供でもいいのなら、今こうして悲しみに暮れる事もまた、自分を許す材料にしても、いいはずであった。