「――ねぇ、今、つまんないとか思ったでしょう?」
そう問いかけたメイアに、クラードは、いや、と応じる。
「俺が《レヴォル》に乗るための最適解だ。つまらないとは……」
「嘘でしょ。嘘だけは分かるんだ、ボク」
メイアはミネラルウォーターを飲み干し、それから自分へと同じ商品を差し出す。
「ずっとシミュレーターじゃ疲れると思う」
「そんな事はない。俺は《レヴォル》に乗れる可能性が一ミリでもあるのなら、それに縋る。それだけだ」
「断言するんだ。……まぁ、いいとは思うけれどね。どっちにしたって、ボクもキミも、この船で飼い殺しにされているようなものだし」
「……不満でもあるのか」
「そりゃあね。ボクにレヴォルの意志が囁いたからって何なのさ。実験動物の扱いを受ける理由にはならないよ」
「……お前はそう考えるんだな」
かつて自分に、実験動物で終わるなと説いた男の事を思い出す。
その者は敵になったが、あれも見当違いの助言であったとは思っていない。
「なに、ここに来て燃え尽き症候群? 《レヴォル》に乗るんでしょ?」
「ああ。……だが俺と《レヴォル》だけが生き残ったって、結末はさして変化はないのかもしれない。ベアトリーチェは今頃、月軌道を目指している」
「奇しくもボクらと同じく、だね」
メイアは窓の外へと視線を投げていた。
暗礁の宇宙は何も答えない。ただただ、無情にも暗いだけだ。
「……月軌道に入れば、俺は目的を果たさなければいけない。俺の生涯を懸けてでも、果たさなければいけないミッションだ」
「《レヴォル》がただのMSじゃないのは分かるけれど、そこまで思い詰める事かなぁ? だって、キミだって一人の人間じゃん」
「いや、俺はあの日から……生き死にでさえも自由じゃない。俺の名前は……エージェント、クラード。エンデュランス・フラクタルの、特級エージェントだ」
首から提げたドッグタグを弄る。
最早、名前も擦り切れた代物、だが過去の自分を証明する唯一の術でもあった。
「……ねぇ、これから先、どうしたいのか、キミは考えないの?」
「これから先? ……月面に到達、そして俺の職務を全うする。それ以外にない」
「そうじゃなくってさ。例えばどう生きたいとか、どう生きていきたいとか。……将来への展望? よく分かんないけれど」
「分からないのに他人に説いているのか」
「そう言われちゃうと立つ瀬ないけれどさ、でも、生きていくってのは確かなんでしょ?」
「当たり前だ。俺はまだ、ミッションを果たしていない」
「……そのミッションって言うのが終わったら、キミはどうするの?」
「任務の次は新たな任務の始まりだ。それが俺の常だった……。だがこのミッションだけは、終生負っていくべきだろう」
「死ぬまでって事か。キミも囚われているねぇ」
「……囚われて何がいけない。人生は囚われてばかりだ。生きる事、戦う事もまた、囚われだろう。なら、いつだって戦い抜くしかない。それは別に俺だけじゃないはずだが」
「そうだね。目的はいつまでも目的のまま、手段と入れ替わりはしない。でも、それってさ。虚しくない? キミは、そんな虚無にばかり自分を投げているんだよ?」
「虚しさに肉体を囚われていてはライドマトリクサー施術なんて行わないさ。俺は俺の目的とする一つのために、俺と言う肉体を使い潰す」
「その先に待つのが死でさえも、か。キミは本当に、思い切ったらそれっきりって感じ。でも、それでも歩みだけは止めないんでしょう?」
「当然だろうに」
「……何だかなぁ。キミの生き方見ていると、胸の奥がきゅうぅ……って、締め付けられる気がする。きっとキミを近くで見ていた人達もそうだと思うよ」
一瞬、脳裏を過ったのはアルベルトとカトリナであったが、そんなはずは、とそのビジョンを振り落す。
「……俺はずっと一人だ。一人で《レヴォル》を待ち続けていた」
「その《レヴォル》の行方でさえも分からなくっても?」
「分からなくても、何一つ俺のものでなかろうとも……。それでも戦い続ける。それが俺の、存在理由だ」
「……分かり切っている事は聞かない、か。キミは、それでも別に困らないんだろうけれど、キミを見ている人達はきっと、気が気じゃないんだろうね」
「それは相手の勝手だ。俺は何でもない」
ミネラルウォーターで喉を潤し、クラードは暗礁の宇宙へと視線を投じる。
月軌道に向かうにつれて明らかにデブリが多くなってきた。
ミラーヘッドの段階加速を経ているこの艦でもさすがにそこから先はマニュアルだ。
不沈艦という誉れを受けていても、死の臭気の強い宙域ではその姿を覆い隠す万能の外套は剥がさざるを得ない。
「……死に囚われているんだ。この宇宙も」
「出るのは……嫌だなぁ。こんな宙域」
「……お前でも恐れを成すのか」
「……それ、言い方。ま、いいけれどね。ボクは怖いもの知らずに見えるんでしょ」
「そうだと思っていた」
「案外、ボクも人間らしいんだよ。いくらRM施術を受けていても、こんなんじゃ、錆びついちゃう」
メイアはギターをケースから取り出し、その弦を弾く。愛おしいものを撫でるように。
「……歌はいい。音階はボクを自由にしてくれる」
「音の連なりでもか」
「無粋な事を言うなぁ。音の連なりに意味を見出すのが人間なのに」
「……そんなものか」
あの時、デザイア崩壊時にファムの歌っていた歌も、誰かを癒すための意味となったのだろうか。
そう考えて、我ながららしくない考えだと自嘲する。
「……音に意味を見出すのは、人間だから、か」
「そうだよ。人間は音楽を生み出し、そしてリズムとテンポと、連なるミュージックに奏でるそれを見出した。ヒトはいくらでも音楽を、芸術を愛し、そして芸術に愛される。互いに奉仕の関係にあるんだ、人と音楽は」
「……奉仕と言うのは思いつかなかったよ」
「そう? ボクはそう思っているけれどなぁ。人間、誰しもが誰かに奉仕され、そして奉仕されている。それを忘れちゃうと人間お終いだよ」
要は誰かが誰かを支えていると言う夢物語だろう。
それはしかし、とうの昔に捨てた理論だ。
「そんなものに縋っていたって……いい事なんて何もない」
「キミは悲観的だね。でも、キミにだって音楽は似合う。そういうもんなんだ。誰かのための音楽はこの世に絶対に存在する。そうじゃないと、報われない魂ばっかりでどうにもならない」
「……どうにもならない、か。それだけには同意だな」
「キミって、ヤな奴だなぁ」
「言われ慣れているよ」
メイアは少しだけ頬をむくれさせたが、それでも彼女はギターを弾けば次の瞬間にはその感情を忘れている。
「音楽は人の気持ちを癒しもするけれど、傷つけもする。この音楽だって、ミサイルやミラーヘッドと同じなんだ。使い方次第で武器にも成れば、癒しにも成り得る。だから、人間はこんなものとずーっと生涯を共にしてきた。昔なら、音楽に身を捧げた人間だって居た」
「……音楽、か。それはハイソだよ」
いつか、アルベルトに言ったような言葉をここで吐くとは思っていなかった。
メイアは微笑んでギターを弾き鳴らす。
「ねぇ、キミの歌を教えて。キミの歌を知りたいな」
「俺に歌なんてない。俺を意味する指標が残っていないのと同じように」
「それでも。人は歌を損なって生きていくなんて信じたくないな。ボクはそれだけの価値は残っていると、そう思っているけれど」
「穿ち過ぎだ。あるいはそれをロマンとでも呼ぶと言うのか? ……俺は歌なんてない。俺を意味する他の指標も」
「でも、《レヴォル》にはあると思うな」
メイアは高い音階を奏でて鼻歌を口ずさむ。
それが《レヴォル》の歌だとでも言うのか。
「……《レヴォル》は戦闘兵器だ。それ以外にない」
「そうかな? じゃあボクがあの子に感じている物は何なんだろう? 何か……あの子もまた、歌っている気がする。それはとても孤独な歌。一人で世界相手にか細い歌声を捧げている……」
「《レヴォル》は歌なんて知らない」
「それはどうだろうね」
『メイア。それにクラードさんへ。シミュレーションルームに赴くようにとの艦長命令です』
「ありゃ、ここまでみたいだね、談笑タイムは」
「無駄な時間を過ごすなと言うお達しだろう」
「それは違うんじゃない? 無駄だからいいんでしょ」
「……俺には理解しかねる感情だ」
クラードはシミュレーションルームに向かいながら、一際強い輝きが窓の外で瞬いたのを目にしていた。
ハッと、それは瞬間的な判断だったのだろう。
目を保護し、自分に追従しようとしていたメイアを突き飛ばす。
「痛った……!」
「……これは。何が起こった?」
『艦内入電! 月面軌道にて、高出力熱源を関知! ……何これ。月軌道艦隊と何かが戦っている?』
「何かって!」
叫び返したメイアにオペレーターはしどろもどろになっていく。
『えっと、これは……。月のダレトが開いて……高熱源を出力している? ……まさか、新たな……』
「――MFか」
悟ったクラードは壁を蹴り、グリップを握り締めて格納デッキへと向かう。
その背中にメイアは付いて来ていた。
「……どこへ行くの」
「分かり切っているだろう。MFが出たのならば俺が戦う。それが俺の終生のミッションだ」
「MF相手に《レヴォル》だけで向かうって? せっかく修繕したのに?」
「……《ネクストデネブ》の時には決定打が足りなかった。それにミラーヘッドジェルも少なかったからな。今ならば少しばかりはマシに戦える」
「マシに死ねる、の間違いじゃない? ……キミはきっと、死んじゃうよ」
「それでも、これが俺の任務ならば」
格納デッキは今も喧騒に包まれており、メカニックは《カンパニュラ》と呼ばれた機体に取り付いていた。
「メイア! 《カンパニュラ》による斥候を出そうにも、重力変動磁場だ! 下手に出ると巻き込まれて撃墜されるぞ!」
「《カンパニュラ》の不可視領域で至近距離まで近づくのは?」
「自殺行為だ! 敵はダレトより現れたMFだって言うんだろう? なら、近づく前に蒸発する!」
「じゃあ何で、月軌道艦隊はまだ駆逐されていない?」
割り込んだクラードにメカニックは当惑するが、恐らく、と言葉を継いでいた。
「今しがた送られてきた情報だが……月軌道艦隊に味方する二機の機体が前に出ている。それぞれ、MS、《ラクリモサ》と、そして四番目の聖獣……」
「まさか、《フォースベガ》が連邦艦の味方をしているって?」
「だから、分かんないんだよ! 情報が錯綜している! 今の判断は危険だ! その前に目的を果たさないといけない」
「待て。お前らの目的とは何だ? 月面軌道のマグナマトリクス社の本社へと帰投する事ではないのか?」
その問いかけにメイアは苦々しい表情で応じる。
「……悪いけれど、それは方便。本音は違う」
「何だと……?」
「ボクら、ラムダの乗員はこのまま、マグナマトリクス社に《レヴォル》を献上した後、連邦との渡りをつけ、そのまま月面にて補給を受ける。《レヴォル》を手に出来たのなら、本社組は諸手を上げて歓迎するはずだった。彼らからしてみれば、想定外の一つを手中に入れられたようなものだし」
「……お前らの目的は最初から、《レヴォル》の接収にあったと言うわけか」
「しょうがないじゃん! ……命令なんだ」
苦渋の選択とでもいうようなメイアの相貌に、クラードは最奥に拘束されている《レヴォル》を視野に入れ、タラップを足掛かりにして飛びかかっていた。
「あ、おい、待て!」
待てと言われて待つわけがない。
しかし、クラードは次の瞬間、メカニック達から一斉に向けられた殺意の銃口に僅かに身体を漂わせる。
「……動くな」
「……何だ、お前らも……つまらない奴らだったわけか。俺を撃ったところで、レヴォルの意志は答えない。お前らは持て余すだけだ」
「それでも……。渡すなと言うお達しだ」
メカニック達の論調にクラードはほとほと呆れ返ったとでも言うように嘆息をつく。
「間違いを重ねるな、お前らは。俺と《レヴォル》は二つで一つ。片方だけ確保したって意味なんてない」
「だが《レヴォル》を渡せば我が方の優位は崩れる。……特に貴様には、渡すなと厳命されている」
「メイアが動かせるから、か。あるいは俺のほうが、《レヴォル》への適性値が高いか」
銃口の殺意が蠢動する。
四方八方から撃たれればさすがにまずいか、と醒めた思考で考えたところでこちらを狙っていたメカニックのうち一人が戸惑う。
メイアが拳銃を握り締め、彼へと向けていたからだ。
「め、メイア……? 何を……」
「彼を殺させない。クラード。ボクは今、キミを行かせるべきだと思う。それは理屈だとかそんなんじゃない。きっと、本能の部分で、キミは月面に行くべきなんだと思う」
まさかメイアは味方になるとは思いも寄らず、クラードは想定外の眼差しを投げていた。
「……だがお前が粛清されるぞ」
「それでも、同じレヴォルの意志に選ばれた同士じゃん。信じないのも嘘でしょ」
メイアは自身の腕の鳳凰のモールド痕を翳して快活に笑ってみせる。
彼女にとっては、これも一つの叛逆のうちなのだろう。
クラードは静かに、手短に応じる。
「……感謝する」
「いいよ、そんなの。行って。行って間違いだけを正して来て」
《レヴォル》と自分とを隔てるシステムブロックに対し、クラードはライドマトリクサーの腕を翳してシステムを掌握する。
多認証ロックを解除し、隔壁の向こう側に佇む《レヴォル》のコックピットへと乗り込むなり、各種インジケーターを確かめ、クラードは気密を確認していた。
「《レヴォル》、コミュニケートモードを10セコンドだけ解放。スクランブルをかける。……もう今さらメイアを知らないとは言わないな?」
『コミュニケートモードを解放。専任ユーザーです。“それは意見の相違だよ、クラード。本当に……この艦に行き着くまでメイア・メイリスと言う人間の記録はなかった”』
「機械に嘘をつく機能があるとも思えない。……レヴォルの意志の根底に触れるだけのシステム権限を持っているのか、あいつは。いずれにしたところで、このまま離脱するぞ。ラムダの甲板部を破る。ゲインをぶち上げろ……! 全力で撃つ!」
『“承知した。エージェント、クラードの認証コードを確認。このまま直上甲板部を貫通する武装を選択する”。コミュニケートモード解除、コード認証、マヌエル。武装承認』
《レヴォル》の蒼い眼窩に火が灯り、ぐっと直上を睨み上げた瞬間、両腕を突き出し、掌底の中枢に粒子束を収束させる。
「撃て――!」
直後には、ラムダの偽装迷彩を揺らめかせ、《レヴォル》はその甲板から黒煙を棚引かせながら出現していた。
電磁場と粉砕された箇所に消火用のガスが棚引き、《レヴォル》は管制室のあるブリッジを見据える。
一瞬だけ交錯したのも束の間、クラードはラムダの甲板部を蹴り、急降下しつつ加速をかけて下方を流れていく。
メカニック班の言う通り、そこいらかしこで戦闘が散発的に起こっているようであった。
「……月軌道で戦闘が勃発……。中心軸に居るのはMFか。だが、俺には別の目的がある。《レヴォル》、月面を走査。コード、“テスタメントベース”を確認しろ」
『了解。テスタメントベース、走査開始』
走査の網が月面を探っていく。
こちらの前情報通りなら、そう遠くない場所に存在するはずだ。
クラードは次々と浮かび上がっていくポップアップディスプレイをさばきつつ、目的のそれを確認していた。
『確認。テスタメントベースは月面の裏側に位置します』
「月の裏側か。《レヴォル》の推進力だけでは疾走するのは難しいな。……だが。俺の計算通りならば、ここに来るはずだ。ベアトリーチェ」
その言葉に導かれるかのようにミラーヘッドの段階加速を経た船体が直下に出現する。
相手も驚愕したのだろう。
まさか、《レヴォル》が直上から帰投するなど思っても見ないはずだ。
「信号受信。ベアトリーチェへ。こちら《レヴォル》、ランデブーポイントに入る」
『待って……。本当に《レヴォル》? クラードだって言うの? ……何てタイミングで、あんた……』
「バーミット、恨み言は後でたっぷりと聞く。レミアに繋げるか?」
『艦長に? ……でも今しがた、ミラーヘッドの加速を終えたばっかりで……』
『クラード。私ならここに居るわ』
「テスタメントベースは月の裏だ。この意味、あんたなら分かるだろう?」
その意味を咀嚼するような沈黙の後に、レミアは応じて来ていた。
『……ええ、そうね。でも月軌道でこんな大規模な戦闘が起こっているなんて想定外よ。一度、ベアトリーチェに戻ってもらえるかしら』
「無論、そのつもりだ。足が足りないと思っていたところだしな」
ベアトリーチェの甲板部に着地し、《レヴォル》は回頭してからブリッジを見据える。
『……驚いたわね。このタイミングであなたが帰ってくるなんてね』
「俺は必ず帰ってくると約束したはずだ。レミア、あんたはそれを分かっているだろう?」
『……ええ、その通り。でも私だけじゃないわ。あなたを必要としていたのは――』
『クラードさん? クラードさんなんですか!』
回線に割り込んできた空気を読まない声に、クラードは眉根を寄せる。
「……もうちょっと慎みを覚えなよ、あんたは」
『クラードさん……よかったぁ……本当に、クラードさんなんですね?』
「何度も呼びかけないで。この宙域じゃ誰かに聞かれていてもおかしくはない」
『クラード。格納デッキに帰投してくれて構わないわ。整備班もあなたの帰りを待っている』
「言われなくともそのつもりだ」
格納デッキに帰ってくると通信越しに歓声が上がる。
『本当に帰って来たんだな? クラード』
「ああ、世話をかけたな、サルトル」
『こいつぅ……! ……だがいいニュースばかりでもないんだ。ベアトリーチェは月面裏側を目指すが、この戦闘と……そして、我が艦の損耗具合じゃあな』
「……何かあったのか?」
その問いかけに沈痛な面持ちを返す整備班に、クラードは予見する。
「……誰か死んだんだな?」
『ああ、ラジアルが……って、おい! ちょっと! アルベルト! 何やってんだ!』
サルトルが呼び止めるよりも先にアルベルトは《マギアハーモニクス》に搭乗したまま、コックピットを開けて歩み寄ってくる。
《マギアハーモニクス》が主人の怒りを引き写したかのように、《レヴォル》の肩口を掴んでいた。
『……クラード。聞こえているな?』
「ああ、何だ」
『……ラジアルさんが死んだよ』
「……そうか」
『驚かないんだな』
「犠牲は付き物だ」
『そうか。……ラジアルさんはオレに教えてくれた。こんなオレでも守るに値するものが存在すると。オレはベアトリーチェのクルーとして、この艦を死んでも守るぜ。お前はどうなんだ? クラード。いくらMFが出たとは言え、それでも艦を無視して聖獣との戦いにもつれ込むような奴だ。もしもの時に信用出来ない』
『何言ってやがるんだ! クラードは今までベアトリーチェを守ってくれただろうが!』
『……オレは今のクラードに聞いてんだ……ッ! 本当にお前は……守ると思ってくれているのか? それは本音なんだな?』
アルベルトはもう分かっているはずだ。
分かっていて問いかけているに違いなかった。
「……俺は守ると信じ抜いたものだけを守る。この艦だって例外じゃない」
『だがよ……その中には、戦闘単位としての“人を守る”は、入っていないんじゃねぇのか?』
「……そうだな。何人犠牲になろうとも、それでも結果論で勝てばいいと思っている。それがエージェント、クラードとしての在り方だ」
『……やっぱしか。お前の言う事は、もう分かってるつもりだったがよ……。飲み込めねぇものも……あるんだよなァ……ッ!』
コックピットを蹴って飛び出したアルベルトと、クラードは引き合うようにコックピットから這い出てそのまま中空でぶつかり合っていた。
MSではない、生身の肉体で。
「クラードッ! てめぇは言ったな? ケジメをつけてないって! あのデザイアの戦場で! じゃあここでケジメつけようぜ!」
「……望むところだ」
もつれ合い、互いに上下逆さまになりながらも、相手の襟元を掴み上げ、クラードはライドマトリクサーの膂力で投げ飛ばす。
アルベルトはしかし、無重力での戦いを心得た様子で一回転して、壁を蹴った後に拳を見舞っていた。
その拳を半身になってかわして鳩尾へと正拳を叩き込むが、アルベルトはそれを受け止めてにやりと笑う。
「ここまで来たな?」
腕を掴んでそのまま、自分ごと急降下してデッキの床へと落下。
そんな事、危険過ぎて死んでも出来ないはずなのに、今のアルベルトはやってのけた。
鼻頭を打って鼻血が舞い散り、無重力に血潮が球となって浮かぶ。
「……やるじゃないか」
「クラードォッ!」
自分もまた昏倒レベルでの打撃を負っているのに違いないのに、アルベルトは拳を見舞う。
しかしふらついた拳一つ避けられないエージェントではない。
命中寸前の拳を掌でいなし、そのまま肉薄――肘打ちで一気に顎を打って昏倒させようとして、アルベルトの瞳に宿った野性を感知し、クラードは咄嗟に蹴って距離を稼ぐ。
アルベルトはその判断を下した時には、全身を使ったヘッドバットをかましていた。
気づいたのはそれが炸裂してからだ。
昏倒レベルに持って行かれたのは愚かにも自分のほう。
クラードは血流が上へ下へと流れていくのを感じつつも、アルベルトの後頭部を掴み、そのまま膝頭で打ち付ける。
「言ったよね? その頭、無駄が多いって」
「……クラードォッ!」
「だから、何」
アルベルトも鼻血を拭って血に汚れた腕で掻くように自分を捉えようともがく。
クラードは離脱しようとして、その声を聞いていた。
「何やってるんですか! クラードさん! アルベルトさんも!」
「……あんた」
その一瞬に気を削がれた刹那、アルベルトの固めた掌底が胸元を打ち、衝撃によろめいた肉体を掴み取って巴投げを極めてみせる。
クラードは跳ねた身体を掻いて己を回転軸にしながら復帰し、再びアルベルトへと向かいかけて自分と相手の間をカトリナが降り立っていた。
「……こんな時に何をやって……! 二人ともっ!」
「……退いてください、カトリナさん。これは、ケジメなんす」
「……ああ、そうだな。退け。これは俺とアルベルトの問題だ」
「何を言って……! ようやく月軌道に至れたのに……!」
「そんなのは関係がないんだよ。俺は今、アルベルトとケリをつける。邪魔をするな」
「ああ、そうだな、クラード。どっちかが倒れるまでのタイマンと行こうぜ」
「……こういうの、吐いた側が負ける。それほどに喧嘩慣れしていないはずがないけれど?」
互いに拳を振り上げて対峙しようとして、カトリナは声を弾けさせる。
「やめてくださいっ! 何で……こんな血塗れになってまで……!」
「血塗れだからだ。ああ、こんなにも鉄臭い。俺とアルベルトはただの血潮となって戦いっている」
「ああ、その通り。血の宿命は、ここでつけようぜ」
「らしくない口調だな、アルベルト。まるでハイソだ」
「やめて……っ! 誰か! 二人を止めてくださいっ!」
『そこまでですよ、お二方』
響き渡ったのはピアーナの一声。
『これ以上の戦闘……いいえ、じゃれ合いを続けるのなら、ベアトリーチェ電子光学技師としての権限を用いて、貴方達をこのまま月に放り出したっていいのですよ』
「じ、じゃれ合い?」
戸惑ったカトリナを他所に、自分とアルベルトはその言葉の赴き先を理解して、拳を仕舞う。
「……そう言われちまえば、オレは退くっきゃないな」
「ああ、そうだな。俺はそうでなくったってそんな時間はない」
二人とも承服したので、間に降り立ったカトリナだけが困惑している。
「え、えっとー……どういう事なんですか?」
『要は二人とも、ちょっと遊びたかっただけでしょうに』
ピアーナの指摘にはアルベルトも頬を掻く。
「いやまぁ、ケジメをつけるって言うのがなかったワケじゃねぇっすよ? ただまぁ、オレもいつの間にか線を引いていたって事だ、クラード。こうしてライドマトリクサーであるお前と血が出るまで戦ったのは……お前が凱空龍に入るってのたまった時以来か。あの時はデザイアでも特上の星が見えたよな」
「ああ、そんな事もあったな」
凱空龍へと潜入する際に腕っぷしを見せてみろと一度だけ、アルベルトとサシでの殴り合いになった時がある。
あの時は互いに偽っていた。
だが今の自分と、そして彼の間には偽りも何もない、ただの野生だけが存在していた。
そこには打算さえも存在しない。
相手の事を真に受けとめるのならば、もつれ合い殴り合い、そして打ち合う覚悟が必要だっただろう。
それを今の今まで、避けて来ただけの話。
だが、今、アルベルトがそうしてくれたと言う意味は――。
「……ラジアルが死んだのは本当だったのか」
「ああ。あの人は死んじまった……。オレなんかを守って……オレが護らねぇといけない人だったのに」
「……で、アルベルトは後悔しているわけか」
「ちょっ……クラードさんっ! そんな言い方……!」
「ああ。マジに後悔だ。死んでも死にきれねぇ。……だから、生きる事にした。戦って、全員を守り抜いてな。その後に往生して死んでいくのが、オレの似合いの結末だ」
こきりと首を鳴らすアルベルトの瞳を見返す。
そこには迷いも躊躇いもない。
踏み越えたのだと窺い知れた。
「……そうか。ただ生きるよりかは、いいんじゃないの。そのほうが、アルベルトらしい生き方だと、俺は思うけれどね」
鼻血を拭ってクラードはサルトル達へと声を振り向ける。
「テスタメントベースへと赴く間、レミアに報告しないといけない事もある。一度艦長室に向かうよ。アルベルトは?」
「オレか? オレは……ギリギリまで《マギアハーモニクス》の調整をしておく。前回の戦闘で《アルキュミア》をお釈迦にしちまった。そいつに関しちゃ、ピアーナには顔向け出来ねぇからな。自分の愛機くらいは万全にしておくさ」
『そうです。わたくしの《アルキュミア》を大破させたのです。それなりのツケは払ってもらいますからね』
「……その割には元気そうだ」
ぼやいてクラードは格納デッキを漂う。
アルベルトとのケリはここで一応ついた。
自分の知った事、そしてこれからの事をレミアに話さなければいけない。
「……俺は、《レヴォル》と共に叛逆する。そのためならば……」
「――待ちたまえ、クラード君」
呼び止められてクラードは角を折れたところに居る男を目にする。
「……貴様は……」
「こうして直に会うのは久しぶりだな。識者、グラッゼ・リヨンだ」
手を差し出してきた相手に、クラードは怪訝そうにする。
「……何のつもりだ。どうしてベアトリーチェに居る?」
「これは意見の相違かな? 私は捕らわれた《レヴォル》と会敵し、そしてベアトリーチェに君ほどの戦力がない事を確認して合流した。何か責められるいわれはない」
「……あるだろう。あんたは、俺に何のつもりで……」
「君と死合いたい。その一事でここまで戦ってきたのでは不服かね?」
「……死合う? 何を言っている」
「純粋に。強い者と戦いたいのは世の常だよ。私はその中でも純然なる意志を持って、君と真っ向勝負したいだけに過ぎない」
「……死狂いか」
「そう言われても何も言い返せないがね。だが私は君とまた会うためだけに、こうしてベアトリーチェの矛となって来た。一つ、言っておく事がある。……《レヴォル》は何機も居るのか?」
「……何機も? 何を言っている。《レヴォル》はたった一機だ」
「そうか。だとすればあれは本当に……《レヴォル》の先行量産機だとでも言うのか」
「先行量産機? そんなもの、あるはずが……」
「艦長にレコードの打診をしておくといい。確かに戦った。《オルディヌス》と言っていたか」
全く聞き覚えのない機体名称に、クラードは眉根を寄せる。
「……《オルディヌス》……」
「それがラジアル・ブルームの命を奪った」
思わぬ言葉にクラードは目を戦慄かせる。
グラッゼは肩に手を置いて忠告していた。
「気を付ける事だ。アルベルト君、と言っていたか。彼からしてみれば因縁の機体。……先走るな、と私の口から言うのは容易いがもしもの時にブレーキになるのは君の言葉だろう」
「……ラジアルを撃った機体……」
「正直、私も驚愕していてね。大女優ラジアル・ブルームがこの艦に乗っていた事もそうならば、彼女の死も。まるで絵空事のようですらある。しかし、現実なんだ。現実だからこそ、重みを持つ」
「……現実、か」
自分の居ない間にこのベアトリーチェの中も変わり果てたのかもしれない。
だが今は、現実に足を取られている場合でもない。
「……俺は月の裏、テスタメントベースに向かわなければいけない」
「そこまでして、その場所には何がある?」
その問いかけにクラードは静かに応じていた。
「……俺を構築する、全てが」