機動戦士ガンダムダレト   作:オンドゥル大使

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第94話「偶像の神殿」

 

「よかったのですか? 艦長は付いて行かなくって」

 

 そう尋ねたタジマにレミアは管制室でノーマルスーツに身を包みつつ応じていた。

 

「……私はあの場に相応しくないもの」

 

「ですが、エージェント、クラードの理解者の一人でしょう? あなたは」

 

「……私は理解者であって同伴者じゃないの。私の仕事は、このベアトリーチェを轟沈させないようにする事。ただでさえ戦闘宙域。その死の臭気は依然濃くなっているわ。きっと、MFがその禁を破った」

 

「メインモニターに、月軌道艦隊と戦闘を繰り広げている対象を表示します。……でもこれは……悪い夢だって言って欲しいわね」

 

「バーミット、映してちょうだい」

 

 そこに映し出されたのは巨大な歯車を思わせる機体であった。

 

 ちょうど「8」の字に映る灰色のモニュメント――そう、それはモニュメントであって決して戦闘のために研ぎ澄まされた代物ではないはずだ。

 

 だと言うのに、今も推進力を持ってその対象は戦域を蹂躙していく。

 

「対象識別、月軌道艦隊より傍受。……MF06、《シクススプロキオン》と呼称」

 

「《シクススプロキオン》……」

 

「第六の聖獣ですか。艦長、今は戦う時ではないとは言え、エージェント、クラードが帰還した際にはあれと交戦するように命令しなければいけません。酷な事を言っているとは思いますが……」

 

 肘掛けをぎゅっと握り締める。

 

 今は、クラード達の帰還まで決してこの艦を墜とさせやしない事だ。

 

「……総員、MF06、《シクススプロキオン》と呼称されるこの対象を観測。月軌道艦隊との戦闘には出来るだけもつれ込まないように。今は、戦力だって削られている、出来るだけ安全牌を――」

 

 そこで言葉が無理やり区切られる。

 

 衝撃波が艦内を揺さぶり、レミアはよろめいてしまう。

 

「状況は!」

 

「艦後方より、敵の襲撃を関知! トライアウトネメシスです!」

 

「……こんな時に追ってくる……! 《マギア》部隊、出撃を許可します! クラード達が帰ってくるまで、絶対にこの艦を死守して!」

 

『了解!』

 

 トキサダ達が出撃するなり、ミラーヘッドの加速度に身を浸し、展開された分身体を率いてトライアウトの軍勢との戦闘にもつれ込む。

 

「……不幸中の幸いと言えば、この乱戦域……ミラーヘッドオーダーが受諾されていない事くらいね……!」

 

 レミアはその事実を噛み締めながら手を払っていた。

 

「この月面宙域で足を止めている時間はありません! ピアーナ! 敵へと電子攻撃を敢行!」

 

『了解。にしてもまったく、人遣いの荒い事』

 

「……あとでどうとでも取り繕うわ。何なら一つだけ言う事を聞いてあげる」

 

『その言葉、忘れないでくださいね。……敵のミラーヘッド干渉波へと介入。相手のミラーヘッドの速度をレイコンマ3遅らせます』

 

「……充分よ。クラード達がテスタメントベースに辿り着くまで、情けない姿なんて見せていられないもの! ベアトリーチェ、百八十度回頭! トライアウトネメシスと正面から……戦います!」

 

 ――そう、ここが自分の戦場だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャトルは推進剤を焚きながら静かに月の裏側に向かう。

 

 まるで月軌道の戦いの喧騒から外れたように、強襲用の機体は制動をかけていた。

 

「……でも、本当に……月の裏側にこんな大規模な……」

 

 カトリナが絶句したのは月の裏側――陰に位置する部分の大半を占める巨大な銀盤の基地を目にしたからだろう。

 

 こんなものが存在するなど、まるで聞いていない。

 

「……何のためにこんな基地が?」

 

「テスタメントベースは月に保存された種の記憶だと言われている。曰く、ここには全てがあるのだと」

 

「……全て……」

 

 ヴィルヘルムの言葉を受けてカトリナが舷窓に目線を振り向けたその時には、テスタメントベースの隔壁へとシャトル下部に位置する炸薬が弾けていた。

 

 そのまま銀盤に穴を空け、シャトルはゆっくりと降下していく。

 

 全ての信号が正常な値を観測してから、まずはサルトルから降りていた。

 

「よし、今のところは勘付かれた様子でもない」

 

「……勘付かれるって……連邦の月軌道艦隊に、ですか?」

 

「……そいつらだけならまだ可愛いもんさ」

 

 何か、サルトルもヴィルヘルムも警戒しているようであった。

 

 その手に携えたアサルトライフルを振り向けてから、クラード達をようやく手招く。

 

「クリア。降りて来い、クラード」

 

「そんなの、俺のほうが慣れてる」

 

「これから戦うお前を損耗なんてさせられん。いいから、おれ達に露払いは任せておけ」

 

「……今だけは預けるよ」

 

「ああ。前を行く。トラップがないとも限らんからな」

 

「……いや、その心配も必要なさそうだ」

 

 そう言ってヴィルヘルムが目線を振り向けた先に居たのは、一機の機械人形であった。

 

 簡素なボディパーツに曲面構成で成り立つ躯体は銀色に輝いていた。

 

「……自走人形(オートマタ)か」

 

 サルトルは殺気を向けるが、相手は赤い信号を発するなり、光通信を試みてくる。

 

「“我、抵抗の意思なし”? ……信じられるかよ」

 

「サルトル、もしもの時は俺が撃つ。今は水先案内人を信じよう」

 

 クラードがサルトルの銃を降ろさせると、オートマタはそのまま踵を返し、ゆったりとした足取りで通路を先導していく。

 

「……こっちに来いって、言っているみたいですけれど」

 

「……いいか? 期待の新人、今だけは自分の身は本当に自分で守れよ? おれ達に頼ったって、何が待っているのか分からんのだからな」

 

 カトリナは固唾を呑む一方で、前を行くオートマタのメンテナンスの整った様子に声を発する。

 

「あの……あのオートマタ……何だかいつでも私達を手招けたような……」

 

「ああ、そうだろうな。テスタメントベースではああいうのがまかり通っている。……この支配域は、まだ“奴ら”の領域だという事か」

 

「……“奴ら”?」

 

 忌々しげに口にしたクラードへと言及する前に漆黒の空間に歩を進めていた。

 

「……とても広い空間みたいですけれど、真っ暗ですよ?」

 

「待ってろ。明かりならいくらでも用意はしてある。……ここはメンテナンスルームか」

 

 サルトルが明かりを灯し、周囲を見渡すがまるで全体像はぼやけたままだ。

 

 アルベルトは壁に手をついて、その瞬間、重々しい投光器の音を立ててメンテナンスルームが露わになっていた。

 

「……宇宙が……頭上に……」

 

 月のトワイライトが瞬き、頭上――月軌道艦隊とMFとの戦いを引き写している。

 

 それと同時にアルベルトが絶句したのが伝わる。

 

 彼の目線はこのメンテナンスベースの壁を構築している無数の残骸――オートマタのカプセルを目にしていた。

 

「……こいつぁ……」

 

「ここで管理されているんだ。オートマタはそれぞれ、奴らの支配領域のために」

 

 クラードは落ち着き払って周囲を見渡してからヴィルヘルムとサルトルに声を飛ばす。

 

「どこかにメンテナンスブロックがあるはずだ。それはきっと、《レヴォル》と等しいだろう」

 

「ああ、そうだろうが、しかし……ここはまるで死体の山だな」

 

 その風景に何か思うところがないわけではないのだろう。クラードは壁に埋め込まれたオートマタの相貌を見据えて、赤い瞳を伏せる。

 

 そんなクラードを見るのが嫌で、カトリナはその手をぎゅっと握り締めて頭を振っていた。

 

「……クラードさんのせいじゃないですよ」

 

「……分かっていても気分のいいものじゃない。これまで俺が積み上げてきた死骸の山と、似たようなものだ」

 

「で、でも……っ! クラードさんが彼らを殺したわけじゃ……!」

 

「今は騒いでいる場合じゃないぞ。これがメンテナンスブロックか。……にしても、一昔前の制御ルーティンだな、これは。解析には時間がかかるかもしれん」

 

 サルトルは早速、解読作業に入っていたが、カトリナはその間、じっとこちらを見据え続けていた。

 

「……何」

 

「いえ、そのぉー……クラードさん、前にここに来た事でも?」

 

「いや、ない。俺の記憶上、テスタメントベースに来るのは初めてだ」

 

「でも、それにしては落ち着いていらっしゃるって言うか……《レヴォル》に乗っている時みたいに穏やかなので……」

 

「……かもしれないな。ここは《レヴォル》のコックピットに感覚が近い。死骸の山だけじゃない、何かが……俺の中の何かがこの施設に感じているのかもしれない」

 

「何かって……」

 

 サルトルは端末のキーを叩きながら、それにしてもとぼやく。

 

「解析作業は難航だな、しかし、どれもこれも古臭い接続口ばかりだ。今どき16進法の制御なんざ、こんな辺境地じゃなけりゃいつハッキングされるか分かったもんじゃないぞ」

 

「オートマタ以外の機材もすごく古いですよね? これって……投射画面じゃなくって……実体のある、えっと……」

 

「液晶って言うんだ。今じゃ取って代わられた技術さ」

 

 オートマタの墓場の中央にうず高く積み上がっているのはそんな今や古めかしい技術の粋だ。

 

「サルトル技術顧問、最新鋭の解析機じゃ、逆にらちが明かない。何か……テスタメントベースの情報は……?」

 

「そんなのあったら苦労しませんって! ……地道ーにパスワードを入力するなんて、中坊の時にハッキングの真似事をした以来だな、こりゃ……」

 

 困り果てたサルトルへと、クラードはふと何かを感じたように一言漏らす。

 

「……この感覚……サルトル、ためしにこいつをゲーデル数で変換してみてくれるか?」

 

「お前のコールサインか? 役に立つとは思えんが……」

 

「頼む。何だかここは……嫌な感じと同じくらい……懐かしいんだ」

 

「懐かしい? まぁ、エージェントの勘だ。おれ達は従うさ。ハズレくじでも試してみるか、……っと!」

 

 0と1の羅列。それはある一定のパターンを示している。

 

 その波長パターンが入力された直後、認証のコードが液晶画面を波打った。

 

「嘘だろ、入った? ……と、いう事はこいつは……」

 

「おい、こりゃあ……!」

 

 アルベルトが息を呑んだのも無理はない。

 

 室内全体を満たすような星の内海の輝きは、蒼白い閃光――。

 

「ミラーヘッドの……輝き……?」

 

「こいつぁたまげた……! この部屋の壁全体に使われているのは、ミラーヘッドジェルを硬質化したもんだって言うのか……!」

 

 サルトルの驚愕にカトリナは魅せられたように呟く。

 

 星々の輝き、命の灯火を宿した月の裏面。

 

「……綺麗。流れ星みたいな……」

 

 クラードはその途端、機材の中に埋もれていたプラグを抜き出していた。

 

「このプラグは……古いけれど、この規格は確か……」

 

 片腕をライドマトリクサーに展開させ、直後にはクラードはプラグを差し込んでいた。

 

 途端、彼は痙攣したかのように直上を仰ぎ、奥歯をぎりと噛み締める。

 

「クラードさん! 何を……!」

 

「やりやがった……! テスタメントベースの中枢システムにライドマトリクサー接続でアクセスするなんざ、そいつは電子の大海原にお前の人格を放り投げるもんだぞ!」

 

 慌ててサルトルが駆け寄ろうとして、クラードの手に制される。

 

「く、クラードさん……?」

 

「まだ、待ってくれ。……こいつの電子接続はRM施術痕に合致する。下手な時間をかけるよりも……このほうが、素早い……!」

 

 クラードの真紅の瞳が光を灯し、接続口に繋げたプラグを一本、また一本と増やしていく。

 

「やめろ! クラード! 脳幹が焼き切れちまうぞ!」

 

「クラードさん! やめてください! あなたがそこまでする必要は……っ!」

 

 クラードの躯体が跳ね、その場に崩れ落ちる。

 

「おい、クラード! マジにヤバいんじゃないのか、そいつぁ!」

 

 アルベルトはその肩を引っ掴んだが、クラードからの返答はない。

 

 まさか、と息を呑んだ自分とアルベルトはしかし、直後のサルトルの言葉に追及を遮られる事になる。

 

「……二人とも、落ち着け。こいつを見てみろ」

 

「これが落ち着いて――! って、何だ、そりゃあ……」

 

 液晶画面が砂嵐を映し出し、直後には幾何学構図とクラードの識別番号が認証されていく。

 

「これ、って……」

 

「この端末にクラードがアクセスした証拠だ。……しかし大したもんだ。何世紀も前の急ごしらえなスペックだってのに、ライドマトリクサーの機能の大半を読み込んでいるとはな……」

 

 液晶上に映し出された波形パターンに、カトリナは閃くものを感じていた。

 

「これって……どこかで見たような……」

 

「レヴォル・インターセプト・リーディングの波形パターンに酷似しているな。もっとも、技術力は雲泥の差だが……」

 

 ヴィルヘルムの補足でようやく、カトリナはそれがピアーナの解析したレヴォルの意志の波形パターンそのものだと認識する。

 

「……あの時の……」

 

「基礎概念が同一なのか? ……あるいは……いや、まさかな」

 

 そう言って笑い話にしようとするのを、サルトルは己の自我で必死に押し留めているようであった。

 

 しかし、その赴くところをヴィルヘルムは指摘する。

 

「サルトル技術顧問、既知の事実から目を瞑るべきではない。……ともすれば、これは兄弟機か、それとも相互間を有している以上、試作機の可能性は高い」

 

「えっとーあのぉー……つまりどういう?」

 

「……アルベルト君、君から説明して欲しい。わたし達では専門的がために、これは理論でしか説明出来ない」

 

「オレ? オレっすか……。っとー……つまりはこのテスタメントベースの中枢そのものが、《レヴォル》の兄弟機か試作機ってこたぁー……、ここが《レヴォル》と同じ代物の腹の中だって?」

 

「……あるいは脳内、と形容してもいいかもしれない。ここはレヴォル・インターセプト・リーディングと同質の、中枢頭脳だ」

 

「……嘘でしょう? ここが、《レヴォル》の頭ん中だなんて……」

 

「《レヴォル》の……中……」

 

「正しくは《レヴォル》と同型機の脳髄と言ったほうがいいかもしれない。……テスタメントベースそのものが、《フィフスエレメント》の末端頭脳か、あるいはその来訪を歓迎するための躯体だという事だ」

 

「《フィフスエレメント》って……」

 

「あ、それはその……オレから説明させてください。言っちまえば、ここは《レヴォル》の兄貴か親父みてぇなもんだって事です」

 

 何だか重要な何かをひた隠しにされているようであったが、それでも分かったのはアルベルトの聡明さだ。

 

「すごいっ! アルベルトさん、解るんですか? 私にはさっぱりなのに……」

 

「いやぁ、ここに来るまで色々と叩き込んだのもあるっつーか」

 

「いや、大したものだ。それでともすれば学者の素質もあるかもしれない」

 

「お、オレが学者? いや、向いてねぇっすよ」

 

「でも、アルベルトさんに解るのに、私に分からないのも……何だかなぁ……」

 

「へそを曲げているような事態じゃないかもしれないぞ、期待の新人。――来るぞ」

 

 何が、と言う明瞭な主語を欠いた言葉であったが蒼い色相が蠢動したかと思うと、それらは波のように一斉にクラードの体内へと押し寄せていた。

 

「……クラード、聞こえているな? 何が視える?」

 

『……光だ。これは……光だけが情報として……』

 

 カトリナは絶句する。

 

 クラードの声帯を震わせたのはまるで機械音声そのものであったからだ。

 

「クラード! おい、何が視えているんだ! 意識をハッキリと持て! 自我境界線を侵犯されているのか……!」

 

 サルトルは大慌てで端末を展開し、クラードのライドマトリクサー施術痕に差し込もうとして、直後に叩き込まれたクラードの蹴りに遮られていた。

 

「危ねぇッ!」

 

 アルベルトが吹っ飛ばされたサルトルを押し止めたからよかったものの、今のは必殺に近い一撃であった。

 

 その予兆にカトリナは震撼する。

 

「クラード……さん……?」

 

「サルトル……さん。何が起こってるって言うんだ、こいつは! オレにも分かるように言ってくれ!」

 

「お、恐らく……だが、膨大な情報にクラードの自我が押し戻されている。心拍や脳波は同期していて正常でも、その中身を……このテスタメントベースそのものが乗っ取ろうとしているのか……」

 

「おい! それってマジにヤバいんじゃねぇのか!」

 

「クラードさんの、中身って……」

 

「人格や自我、あるいはこれまでの経験則と言った様々な要因……。クラードを彼たらしめる全ての要素を、テスタメントベースが塗り替えようとしている。だが、それは上塗りだ。エージェント、クラードの全てが情報の波に圧死されて……欠片も残らないぞ……!」

 

 ヴィルヘルムの紡ぎ出した事実に、カトリナは驚愕してクラードへと歩み寄ろうとしたが、それを制したのはサルトルだ。

 

「行くんじゃない! ……今のクラードの内面が何者なのか……おれにも分からんのだからな」

 

 踏み止まろうとしたカトリナだが、それでも、と前に進む。

 

「それでも……っ。クラードさんはクラードさんのはずですっ! はずなんですっ! ……だったら、ここで手を伸ばさないのは、嘘になっちゃうからっ……!」

 

 それもこれも、委任担当官として――だけではない。

 

 彼を想うのならば、ここで一歩踏み出さないでどうするのか。

 

 クラードへと触れかけて、その体躯が浮かび上がっていた。

 

 蒼白い輝きを帯びたクラード自身が、絶対者のように自分達を睥睨する。

 

 刹那、光の粒子が弾け飛び、それは六翼を広げた天使を想起させていた。

 

「……クラード……なのか?」

 

 そう問いを重ねたのはアルベルトだ。

 

 無理もない。

 

 自分も目の前の光景に圧倒されている。

 

 その中でも平静を保っていたのはサルトルとヴィルヘルムだ。

 

「……テスタメントベースの情報統合が成されたエージェント……これも計算のうちか。エンデュランス・フラクタルの……」

 

「いや、そこまで計算はされていないはずだ。……存外わたしも詰めが甘かったのかもしれないな。しかし、これで全てが繋がる……。来英歴――この世界の始まりを物語る、その遥か以前のピースが……」

 

「世界が、始まる前……?」

 

 茫然と呟く自分に対し、アルベルトは当惑の声を上げていた。

 

「どういう事だっっつーんすか! クラードの奴はどうなっちまったって……!」

 

「……もう、あれはクラードではないのかもしれない。テスタメントベース……その神秘に触れ、そして彼は覚醒の時を迎えようとしている……。《フィフスエレメント》の赴く向こう側、ダレトの果ての技術へと……。元々の欠落点を補強しようと言うのか。遥かなる天上の聖獣の意志よ……」

 

「おい! それっぽい事言ったって、今はクラードが――!」

 

 ヴィルヘルムへと掴みかかったアルベルトに、彼は冷静に告げていた。

 

「有機伝導技師が、特定の記憶を消去出来るように、とある特定の事象を操作する技術である事は、既知のはずだね?」

 

 まるでこの状況でも、ヴィルヘルムは教鞭を振るうような平時の声で全員へと視線を流す。

 

 それはこの状況を半ば読めていたかのようなサルトルにも、状況に翻弄されるしかないアルベルトにも、――そして何もかもが分からないまま、ただ巻き起こった出来事だけを反芻する自分にも、空を覆う星のように平等にもたらされていた。

 

「……有機伝導体操作技術……」

 

「それって……あんたの専門じゃないのか?」

 

「わたしの専門だとも。だからこそ、こうして率先して事実を列挙している。特定の記憶を消去出来る、という事は翻れば、それはその情報の保管も可能だという事だ。この端末はレヴォルの意志にとても似ている。いや、それこそ親子の関係かも知れない。あるいは、予め用意されたアダプタのようなものか。そして《レヴォル》に酷似した存在という事は、このテスタメントベースそのものがクラードの意識を共有出来る、そういった施設である可能性も高い。だがテスタメントベースを我が社が観測したのは、遥かに以前……ダレト出現と前後している。つまりその前から、膨大な時間と遠大な予算、そして気の遠くなるような時間をかけて、この場所に印を刻んだものが居るとすれば……」

 

「……全ては禁じられたメモリーの保持。そのための……ここは墓標か。なるほど、あいつが気分が悪いのと同時に、って言ったのも頷けるな。ここはクラードの打ち立てて来た敵の墓標でもあり、そしてあいつの深層心理そのものを暴く、そう言ったモニュメントだって事か」

 

「無論、十年や二十年、ダレト出現と同期しての情報網ならエンデュランス・フラクタルの深層にも存在する。しかし、これはその遥か以前……何百年……いや、何千年か?」

 

「おいおい、さすがのそれは飛躍し過ぎだろ……! このテスタメントベースの感じから見て、何千年なんてあるはずがねぇ!」

 

 しかしアルベルトの声は震えている。

 

 それは恐れからだったのかもしれないし、何よりも――それをある部分では理解出来てしまう自分にも、だったのかもしれない。

 

「優れたシステムを維持し、データを劣化させないとなると話は別だ。常に時代に合わせた端末は必須になるが、それはかつての大昔、人類有史以前の、霊長が壁に刻んだ抽象画の歴史と重なる。そう、霊長はこうして、星の記憶を紡いできたんだ。その一端が、ここにあるのだとすれば……」

 

「……待って……。クラード……さん?」

 

 浮遊するクラードの像が四方八方より放たれし光によって色相をぶれさせる。

 

 否、それはそのような生易しい光景ではなかった。

 

 ライドマトリクサーの彼自身の体内より、浮遊する粒子が凝固し、形作ったのは老爺の形状であった。

 

 クラードの姿とぶれるように、粗い画素の老人が浮かび上がる。

 

「……このテスタメントベースの主か」

 

 銃口を向けたサルトルはしかし、オートマタが恭しく頭を垂れたのを目にして驚嘆に目を見開いているようであった。

 

 その一機だけではない。

 

 起動した残骸のオートマタ達が、それぞれ足を失い、手をもがれ、そして頭部を損なっていても、それでもクラードと一体化した老人へと敬意を払う。

 

 それはまるで、人が神を信奉するかのように――。

 

「何が起こってんだ! クラード!」

 

『……クラード、それが彼の者の名前か』

 

 今度は電子音声ではない。

 

 その声音そのものに歴史を重ねさせた、神秘の世界からの来訪者の声であった。

 

『お初にお目にかかる。とは言え、我は彼とのリンクで既に君達の素性も、それに境遇も把握している。目の前に逢った事もないが見知った人々が並び立つと言うのはいささか気味の悪い興だが、なるほど……悪くはない』

 

 老人のビジョンと一体化したクラードが静かに首を垂れる。

 

 その動作だけでオートマタ達より何か、火花のような音が連鎖的に漏れ聞こえてくる。

 

 カトリナには、それがまるで人間がそうするような拍手喝采に聞こえていた。

 

『しかし、これも成果の形だ。今一度、君達に感謝しよう。こうして時を超えた邂逅を果たせた事、それは我が計画の一部であり、そして遠大な“ユメ”の結果でもあるのだからね。この我の半身とも呼べる彼を無事にここまで辿り着けさせてくれた事、礼の言葉を星の数ほど尽くしても足りない』

 

「……クラードじゃ、ねぇな……。あんた何なんだ……」

 

『何者か、か。それは涅槃の問いの始まりだよ』

 

 ヴィルヘルムは次の瞬間、ノーマルスーツの気密を確かめてから、バイザーを上げて嘆息をつく。

 

「……申し訳ないがこちらも混乱の渦中にある。今は優先順位を問いたい。まず初めに……」

 

 そうしてヴィルヘルムはオートマタがそうしていたように、恭しく頭を垂れ、そして彼の者へと声を発する。

 

 それは神への祈りにも似た――。

 

「幾重にもなる……あるいは数える事すら傲慢なあなたの眠りを妨げた事への、謝罪をすると共に、あなたが一体……これは涅槃への問いなのだろうが、何者であるのかを。今、我々に明瞭にしていただきたい。何故、月のダレトによって生み出された産物たる、テスタメントベース、その深層部に、あなたが居るのかを」

 

『……ただ安寧なる眠りを貪り、そして我はここに存在する。クラードと言う、彼の躯体を通して、君達とコンタクトを取れる。我が何故、ここに居るのか……もう分かっているのではないのか? その答えを』

 

「しかし、わたしの口からでは恐れ多い」

 

『恐れを抱くのは神を信じているからだ。無神論者はただのシステムに成り下がった我に、畏怖など抱かない。……そして謝罪もしよう。彼の機械の脳髄に一方的に潜入しているのは我のほうだ。このような厄介事、我は末代まで届けるべきではなかった。だと言うのに、テスタメントベース、ここが建造され、そして把握したのは、四聖獣と呼ばれるMFが跳梁跋扈している理由も。……君達は大変な時代に、生きているのだな。この来英歴と言う、囚われた籠の中に』

 

「あなたのせいではない」

 

『……いいや、我の禍根だ。戦火を広げ、その火種を畢竟では摘み取る事も出来ずに、未練だけをこの身に宿し、そうして生き長らえて来た。ヴィルヘルム医師、君は恐らく、我の事を神だと言うだろうが、それは違う。神は、人の身に下ってここまで懺悔をしに来るものではない』

 

「それはあなたが……」

 

 濁した先を、老人は告げる。

 

『技術とは、何だと思うかね?』

 

「技術、とは、ですか。……しかしそれは、問いかければ反射してくるだけの事象に過ぎない」

 

『それも答えが一つ。なに、答えを絞れと言っているわけではない。ただ、我にとってのそれはヒトの分かたれた糸を繋ぎ合わせるものであり、その上で争いへの道を辿らせるものだと、とうの昔に理解したつもりであった。変革期においては時代にこびりついた膿はそそがなければならない。それがどれだけ尊いものだとしても、新たなる時代に生まれ出でる者達にとっては無用の長物と化すのだ。それを万人が理解出来ればいいが、今すぐに全人類へと叡智を与える方法がないのと同じように、その術は封印されている。種の多様性の観点から見ても、正しくはないのだろうから。そうして我々は何千年の揺籃の果てに、結果論として誰一人として同じ思考を持つには至らなかった。当然だ。それは多様性の否定に繋がる。種の存続、保存を掲げるのならば、逆方向への標だよ』

 

 老人は寂しげに瞑目し、そうしてクラードの真紅の瞳と重なった紫色の虹彩に翳りを見せる。

 

『……だが、我はそれを人類の業の一部として捨て切れずに変化を試みた。クラードと《レヴォル》、その二つの存在を作り、君達へのメッセンジャーとして我の根幹を成すものと悟られぬように……。科学者の業に等しい行いを続けた……何度も、何代にもかけて……。察しの通り、我はこのテスタメントベースに保管されたかつての自己存在を、無劣化に近しい状態で伝え、そしてこの時代まで生き長らえさせてきた。延命させてきた、と言い換えてもいい』

 

「世界が変動しようとも、変わらぬ自己を保全し、そして時代の果てに待つ変革を見ようとした……。やはりあなたは……!」

 

 ヴィルヘルムの予感に、クラードと混ざり合った老人は、その名をようやく紡ぐ。

 

 まるで、永劫の時の果てに取り残された、ただの遺物だとでも言うように、ひそやかに。

 

『改めて、名乗ろう。我が名はエーリッヒ。――エーリッヒ・シュヴァインシュタイガー。君達が月のダレトと呼ぶワームホールの基礎理論を提唱した大いなる賢者であり、そして彼方より来たりし来訪者を招こうとした、哀れなる愚者だ』

 

 その真実は、来英歴そのものへの、叛逆――。

 

 

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