シニア期を迎えるファインモーション。誕生日の夜、学園の鐘楼に一人上ります。

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ファインモーションの誕生日小説です。
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いつか四つ葉のシャムロック

 星明かりに白い息が光る。氷点下まではいかないものの、深呼吸すれば十分に肺の奥まで夜気が染みて、練習の後で少しばかりほてった体を冷ましていく。

 

「誕生日、かぁ……」

 

 そう呟いたところで答えは返ってこない。校舎の屋上、鐘楼がある塔の上には彼女――――ファインモーションしかいない。もちろん出入り用のはしごのすぐ下には護衛部隊の隊長を始め、複数人が待機しているし、おそらくは周囲から狙われないようにいろいろな場所にセキュリティが散っているのだろう。それでも今ここは、一人きりの空間だった。

 

「私は思ったよりずっと、欲しがりだったのかもしれないな……」

 

 自戒の言葉を口にしても、答えが返ってこないことがこんなにも心地良い。それでも答えが返ってこないことは、少し寂しい。鐘楼からまだ明かりのともっているグラウンドを見下ろして、小さく微笑んだ。

 もう二年以上、走り込んだ学園のグラウンド。自分のわがままでやってきた留学、自分のわがままで走り出した三年間。その三年目が幕を開けた。タイムリミットまであと十一ヶ月。

 

 一人で朝の支度をすることも、誰かと一緒にくだらないことで笑って買い食いをすることも、出走前のあの高鳴りも、勝利の後の高揚も、敗北の後の寂寥も、あと十一ヶ月。

 

 まだまだあると思っていたのに、と考えてももう遅い。……どんなに走れても、次の有馬記念までと決めている。

 

 そう、決めているのだ。これは自分の意志に他ならず、それを覆すつもりはない。

 

 手を冷えた手すりに乗せる。手の熱を奪って凍り付かせるように、一気に冷気が体へ入ってくるような感覚がある。

 

 おおいぬ座が空に輝く、石に変えられたライラプスの猟犬の頭、アルファ星のシリウスが青く光る。その星の名がすべてを焼き焦がすものという意味だったというのは昔メイド長に読んでもらった絵本で知った。

 

「全部焼き焦がすことができたら、こんな気持ちを知らずに済んだのかな……なんて、贅沢だね」

 

 そう、私は焼き焦がされる側だったのだ。それを知ったのはごく最近のこと。レースという熱は、今でも胸の奥でくすぶり続けている。

 

 星をつかむように手を伸ばす。

 

「そう、決めていたんだけどな」

「何をだ? 今日の主賓が湿気た顔してンじゃねェよ」

 

 いきなり肩に手を乗せられて、そのままぐいと鐘楼の中に引き戻される。自分が想像していたよりも身を乗り出していたらしい。

 

「シャカール? どうして?」

「あ? そりゃア、今日がお誕生日でおめでたいアイルランドの第二王女サマがいきなり姿を消したからだ」

「えっと、そうじゃなくて、キミはどうしてここがわかったの?」

「護衛が固まってるところ探せばすぐだろうが」

「あー……なるほど」

 

 言われてみればそうだね、とファインモーションは返す。鐘楼にやってきた彼女――エアシャカールの漆黒の髪が夜風に揺れる。

 

「で? こんなクソ寒いところでどうしたンだ? まさかかくれんぼって訳じゃないンだろ」

「もちろん違うよ。あ、でもみんなでかくれんぼも楽しそうだね!」

「はー、また思い出作りにお熱か」

 

 エアシャカールの物言いは確かに棘がある。だがその棘の半分が本物で、残り半分がイミテーションだ。だから棘を気にせずファインモーションは笑い返す。

 

「だって、全部全部大切な一瞬だもん」

「……その一瞬を、積み重ねたいとは思わねェンだな、姫様は」

「シャカール……?」

 

 一瞬、虚を突かれた。あぁ、シャカールは、私の事をよく見ている。

 

「やっぱりか。そしてここにあがってきた理由もそれか。面倒くせェ」

 

 エアシャカールはそう言って、髪を掻く。

 

「どうせ、あと一年か、とかそンなことだろ」

「そんな事って……」

「そんなことだよ。それとも『その程度』っつー方がお好みか? まだ十一ヶ月と少しあるにも関わらずその貴重な時間をここで過ごすのが殿下の望む思い出か?」

 

 無遠慮に、そしてまっすぐに心を突いてくる。

 

「……そうだね、確かに私らしくないかも。だけどね、これだけは『譲れない』んだ」

 

 そう言って、いつもの様に口元を隠す。きっとこの瞬間も思い出になっていく。エアシャカールがもしこの瞬間を思い出したときに、それはファインモーションが望むファインモーションであって欲しい。きっとこれも強欲だ。

 

「ごめんね。シャカールにわかるようには、説明してあげられないかも。それでも、これは私の思い。私の決断なの」

「そりゃわかんねェよ。王族の責務やら公務なんてわからねェよ。けどそれはその熱と痛みを押し殺してまでやるもンなのかよ」

 

 エアシャカールが胸を人差し指でトンと叩いてくる。その瞬間にドクンと胸の奥が跳ねる。あぁ、その手を取れたらどれだけいいことだろう。

 

「……ねぇ、シャカール。マクベスって読んだことある?」

「アァ?」

「――――明日、また明日、また明日と、時は小きざみな足どりで一日一日を歩み、ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく。昨日という日はすべて愚かな人間が塵と化す死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、つかの間の燈火ともしび! 人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ

 

 呟くように諳んじると、エアシャカールは真意をつかみ損ねたのか、何を言いたいのかと目線だけで先を促してくる。

 

「死を予告されたマクベスは、将来を魔女に予言されていた未来に向かって突き進んでいくの。その先が苦難の道であっても、その先が破滅に繋がるとしても、それが定められた未来である以上は進むしかない。その筋書きを誰が描こうとも、その喜劇の結果として誰かが救われるなら、その役目は命を賭けるに値する。……それから外れようとしたところで、良いことになんてならないよ」

 

 月も出ていない空を見上げる。冬の星座が静かに見下ろしてくる。

 

「いろんな選択肢があって、いろんな決断があって。だから私の前にはたくさんの未来が拓けているんだと思う」

「なら」

「それでもね、『それでも』なんだよ、シャカール」

 

 ここを退いてはいけない。そう感じて無理に続ける。振り返ると、エアシャカールの方がつらそうな顔をしていた。

 

「私が選ぶべき道は一つ。皆が、国民が私に求める道は一つ。それは、私が私であるために必要なものがもう山のように積み重なってるから」

「立つ場所すら誰か任せか。そんな呪いみたいなもンに拘って生きてく気か」

「そうだよ。その山は誰かの血の上にできていると知っているから、逃げるわけにはいかないの。……この先の何十年、いつか冠を引き継いで、後世に渡すまで、私はこの三年を抱いて生きていくんだと思うし、それでもいいと思ったから、私はここにいる。この先を生きる子孫達のためのクローバーになれるように頑張るつもりでいるんだ」

 

 四つ葉のクローバーは、誰かに踏まれる事で生まれるという。まだ葉を出す前のクローバーが傷ついて、三枚になるはずだった葉が四枚となる。

 誰かの傷の果てを摘んで、幸運の祝福だと言う自らのなんと傲慢なことか。ファインモーションはアイルランド第二王女として、それに『然り』と言わねばならない。そして、『さすればこそ』と続けねばならない。

 その傷を、痛みを救い上げるのは、王族の義務だ。

 それを知っているからこそ、王族にはそれに報いる義務がある。

 

「……王族ってね、そういうものなの。そして私は、それでも良いと思ってる」

「……本気で言ってンのか」

「うん。だから――――」

「だったら! 何でお前は泣いてンだ!」

 

 ――――大丈夫。そう答える前に、エアシャカールが腕を引いた。彼女の胸に納まる。

 

「そんな事を言うためにわざわざ隠れてたのかよ! ンな弱気な部分を一人で抱えていく気か! それで才能も夢も全部ふいにして! それで満足してお前は本当に殿下に戻れンのか!?」

 

 シャカールの怒声が耳朶を打つ。視界が歪んで初めて泣いていることに気がついた。菫色のセーラー襟に顔を押しつける。

 

「ファイン」

「見ないで!」

 

 泣き顔なんて見られたくなくて、声を上げてしまう。

 

「……わかんないよ」

 

 こんな顔を見られてはいけない。

 

「でも、すてられないんだよ」

 

 こんなことを口にしてはいけない。

 

「わかって始めたんだよ。こうなるって、わかってたんだよ。いつかこれが、消えてしまうって。いつか手元からなくなってしまうって、わかってたの」

 

 責務を忘れてはいけない。

 

「一緒にいたいよ。もっと走っていたいよ」

 

 血を裏切ってはならない。

 

「おかしいことに笑って、悲しいことを慰め合って、悪いことには一緒に怒って、そんな毎日がずっと続いてくれればって、私だって思うよ。でも、殿下としての私を捨てることはできないの。したくないの!」

 

 それでも、と言うことは、許されないことのはずだ。これ以上何を望む、これ以上何を願う。その声が頭の中で乱反射し続ける。

 

「ごめんね、シャカール。……私は」

 

 頭上からため息が聞こえた。

 

「……二重背反。殿下ってのも難儀なもンだ。お前もロジックにがんじがらめか」

 

 頭の上に手が乗ってくる。おそらく、撫でられている。

 

「悔しいがロジックの先に読み切れないヴェールの領域がある。お前の走りはヴェールに足を踏み入れてる。説明のつかない揺らぎの奥にお前は走っていく。その揺らぎがお前の強さだろうよ。せいぜい悩め。その揺らぎがきっと味方になる」

 

 きっと髪がくしゃくしゃに絡んでいるだろう不器用な手つきと、言葉が降ってくる。

 

「あー、それにだ、常に負荷100%で稼働してれば弾性が失われるンだ。誕生日ぐらい殿下じゃなくていいンじゃねェのか。トレーナーも殿下としてのファインを求めてる訳じゃないだろ」

 

 その彼女らしくない言い草に笑いかけて、それが、自分の堰を叩き壊したと知る。喉の奥から声があふれてくる。その間、エアシャカールの手が、ずっと頭を撫でていた。

 

 

 

   †

 

 

 

「ま、シャカール方式の方がいいわな」

 

 トレーナーの声に、SP隊長はふくれっ面で視線をそらした。頭上から降ってくる泣き声を聞きながら、二人の間にも沈黙がおちる。

 

「……殿下は、立派になられた」

 

 先に耐えられなくなったSP隊長がそんな風に呟いた。

 

「こっちとしては、しっかりしすぎな気もしますがね。事故を抱えさせないようにフォローアップしますよ」

「その腕を疑ってはいませんよ。ただ……殿下を縛るものは、本当に大きい。それでも、それを周囲が勝手に背負うことは許されない」

「特殊な事情ってやつですな。やっかいなもんです。とはいえ、女の子一人泣かせて何もできないんじゃ、国家云々言う前に大人の名が泣くってもんでしょう。……あの子を走らせ続けるってなったら、そっちもキャリアを吹き飛ばすかもしれないんでしょう? お覚悟のほどは?」

 

 トレーナーの戯けた問いに、鼻で笑うSP隊長。

 

「あなたに言われるまでもなく、殿下の警衛を仰せつかったその瞬間に済ませておりますし、誉れも報酬も殿下よりこの身に余るほどに戴いております。……それより、あなたが先に潰れられるとこちらが間に合いませんので」

「もう大阪も宝塚も十分射程内だ。火のついたファインなら問題なく取れる。俺が取らせる。俺たちの殿下を信じましょうや隊長さん」

 

 そう肩をすくめてトレーナーは降りていく。

 

「ファインの様子が落ち着いたら食堂へ来るように伝えてください。一報入れてくれれば、麺茹で始めるんで、通知をお忘れなく」

「承知しました。では、後ほど」

 

 このプレゼントを届けられるのは今しばらく先になるだろう。それを心の内で詫びながら、天井を見上げる。

 

「いつかこの夜が、殿下の糧となりますよう。この先の一年がよりよいものとなりますよう。ファインモーション殿下」




願わくば、殿下の行く末がどうか明るいことを。

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