2018年8月
天災から3年目の夏がやってきて、歌野と水都は14歳となり佐々は30歳になった。
蒔いた種から作物が実って田畑の規模も栽培品種も大幅に増えて、船を持つものは諏訪湖で漁をするまでになった。
しかし食料生産能力と反比例するように、5月末ごろ防御面から下社秋宮・春宮が放棄されて諏訪湖北岸が失われた。
結界が後退して住む場所を失った人々も空き家に入居し、歌野の声掛けで始まった住民同士の
警報装置が作動し歌野がスクランブル発進した回数も2年目の秋まで月4回ペースだったものが春の時点で週に2回くらいになり、1回あたりに来襲するバーテックスも20匹を超えるようになった。
とはいっても結界内の生活は平穏そのもので農業などの仕事に精を出すもの、生活に役立つ技能を習得しようとするもの、料理の練習するものと各々が目的をもって今日を生きていた。
もちろん気力が沸かない、やりたいことが見つからずただ漫然と生きているものもいるが“何もしない”それも一つの選択である。
厳しい状況下で追い立てられるような生活の中、何もしない時間というのは貴重な時間であり心を休めることが出来る贅沢な瞬間である。
ある日の昼下がり、歌野は無線機の前に陣取って四国の勇者と定期連絡という名目のおしゃべりを楽しんでおり、佐々は何をするでもなく参集殿の床で寝転がっていた。
その脇で水都は本を読みながら愚痴る。
「うたのんったら四国との通信でわざわざしゃべり方を変えるんですよ」
「そりゃあ、無線通話じゃ変えるだろうな」
「急に敬語になっちゃって、~ですとかって。似合わない」
「なに?四国勇者にジェラシー?」
「真面目に聞いてください!」
「水都ちゃん、不機嫌そうだもん。歌野ちゃん取られたみたいで」
心がざわめいて落ち着かないことを言い当てられたようで、水都はつーんとして見せた。
「……おじさんは何でここにいるんですか、アパートに帰らないんですか?」
「うわ辛辣ゥ。いや、なんかさボーッとするにしてもひとりだと寂しいじゃない。水都ちゃんもそんな感じでしょ」
「おじさんとはちがいます」
「私は自分自身を客観的に見ることが出来るんです、あなたと違うんですってか?」
「なにそれ」
「コレがジェネレーションギャップか……」
佐々が元総理のような事を言って元ネタを知らない水都がそっぽを向いてしまった。
そのタイミングで通話を終えた歌野が寄ってきた。
「みーちゃん、おじさんお待たせ!なにこのヘビーな雰囲気」
「ギャグを振ったら滑った、これぞヤブ
「それにしてはみーちゃん不機嫌すぎない?」
「これは水都ちゃん自身で折り合いをつける問題だから、何も言わないよ」
「ええ……」
「それじゃ、歌野ちゃんと水都ちゃんでソバでも食べてきなよ」
「おじさんは来ないの?」
「俺はちょっとやることが出来たから……水都ちゃんよろしく」
馴染みの蕎麦屋に二人を送り出し、ひとりとなった佐々はプリセットされた無線機の周波数を変更する。
「こちら諏訪、
「こちらTA56、諏訪、諏訪聞こえますか?……ちらは感度3…………どうぞ」
「TA56、こちらも感明3……」
ノイズがひどく、途切れ途切れとなるなか連絡と支援の要請を行う。
TA56のコールサインで呼び出された大社の通信担当は8月ごろから悪くなった通信状況と佐々が記録していた迎撃回数から、戦況の悪化と土地神様の力が弱まっていることに気づいていた。
「戦闘機の不時着情報についてはどうですか?」
「あれから情報部署に調べてもらったけれど、四国においてF-15戦闘機の不時着はないようだ」
「やはり、あいつらはたどり着けなかったか」
「ああ、残念だが」
佐々は諏訪湖の南岸、水深3mの地点にバラバラとなって沈んでいるF-15の残骸を見ると思うのである。
あの晩、敵と衝突して墜落した自分がこうして生き残り、うまくかわした二人が先に逝くなんて運命はわからないものだと。
TA56は無線というよすがで知り合った元パイロットとの男と3年近くやり取りするうちに親近感を持っていた。
それゆえに諏訪の終わりが近いことを悟って、「逃げろ」と言いたくなる気持ちを抑える。
結界越しに包囲され、四国に行くどころか諏訪から出る道はないのだ。
「以上、報告終わり」
「了解、御武運を」
四国との通信が終わると、佐々は電気を落として自転車に乗ってアパートに帰る。
その途中で機嫌を直したらしい水都と信州そばを食べてツヤツヤした歌野と出会った。
「水都ちゃんとはどう?」
「ノープロブレムよ!」
その1週間後、9月に入り諏訪に大規模な敵襲が発生した。
警報装置が敵を知らせるよりも先に水都が探知して、防災無線のサイレンを鳴らす。
多数の敵が南方向から接近し、
40匹近いバーテックスに対し、勇者はひとり。
鞭を振るい、廃墟を使って跳躍して回避し、また鞭を振るう。
避け切れない……体当たりで吹き飛ばされ、叩きつけられたところに食らいついてくる。
「こんのおおお!」
勇者装束の加護でなんとか脇腹から噛み千切られなかった歌野は、鞭で打つ。
若干は届いていたようで歯型の痣がついてるかもしれないがそれどころではない、次の相手をする。
飛んで跳ねて、河川敷や廃墟などの地形地物を有効活用しながら駆け回って40体を何とか倒し切った。
結界内に侵入されなかったので被害はゼロだ。
住民の避難誘導にあたっていた水都は帰ってきた歌野の状況に悲鳴を上げた。
擦り傷、切り傷、青あざと至る所にケガがあり、関節も痛めているのか動きもぎこちない。
「おじさん!うたのんを病院に!」
「了解!」
帰還ポイントで人員輸送用のミニバンに乗っていた佐々が乗るように促すも、歌野は首を振って参集殿の方へ向かっていく。
助手席に水都を乗せて歌野の後を追うと、四国との通信を行っていた。
「うたのん、けがの手当てが先だよ!早く病院に行かないと!」
「そうだぞ、内出血からして内臓にダメージがあるかもしれない」
「今日は連絡の日でしょ、これも私の日常なの、守っていかないと」
血相を変える二人に歌野はケガをしているとは思えないほど穏やかに言った。
無線機の電源を入れて周波数を確かめると、呼びかけ始めた。
「四国の乃木だ……は連絡が……れた」
ノイズが大きく、通信相手の乃木若葉の声も切れ切れで何を言ってるのか判別するのが難しい。
佐々はノイズをカットするスケルチノブを回す。
そうするとベースノイズとして増幅出力されてしまう
スケルチを調整しても通話状況が良くないことから、電波に起因するものではなく今まで諏訪を支えてきた神の力が限界に達しているのだということがはっきりしたのである。
歌野は傷の痛みに時々顔をしかめ、それでも声色はなるべく平静を保って普段通りに近づける。
通話が終わると歌野は全身の痛みで動けなくなって、ミニバンに放り込まれる。
フルフラットにした座席の上に敷かれたマットレス上で転がる歌野のそばに水都が寄り添い、救急車となったミニバンは諏訪湖畔の大病院へと行った。
勇者の一大事ということもあって貴重な電気を使いCT撮影をし、バーテックスに噛まれたところや打ったと思われる頭の検査を行った。
「先生、どうですか」
「化け物に噛まれて内出血程度で済んだのはさすが勇者様としか」
「うたのんの頭は……頭は大丈夫なんですか?」
「ちょっとみーちゃん、言い方!まるで私がフールみたいじゃない!」
「とりあえずは白い影もないし脳内出血はありませんが、経過をよく見てください」
外科医は容体の急変に注意し、時間が経ってしびれや震えが出るようなら急いで病院に来るように告げた。
もう残りもわずかになった痛み止めと湿布を特別に貰い、サージカルテープまみれの歌野は家に帰る。
「うたのん、明日は農作業ダメだからね!」
「なんでよ!お野菜は私を待ってるのよ!」
「歌野ちゃん、明日は俺と何人かでなんとかするから休めよ」
歌野の住んでいる家まで送り届けたあと、酒場まで行って農作業に従事している若衆に声を掛ける。
この3年ですっかり顔なじみとなった電気屋のせがれが、歌野のケガを知るや否や声を上げた。
「歌野ちゃんがケガをしたらしい、お前ら、心配を掛けないようにやってやろうぜ!」
「おうよ!」
「よっしゃぁ!」
昼過ぎに結界外でバーテックスとの激戦があったことを聞き、40体を超える敵とたった一人で戦い傷ついた歌野の話に、血気盛んな若衆は酔いが回っていたこともあって男泣きに泣いた。
翌朝、自分の家の畑や田んぼを家族に任せて若衆が歌野の農地に集合するとそこには……テープまみれで農作業をしている歌野の姿が。
「いやーしびれも震えもないし、朝食も美味しかったし問題ナッシング!」
「アホかー!」
わかっていた、想像はついていたけれど佐々は思わず突っ込む。
ばつの悪そうな笑みをうかべて歌野は若衆に言った。
「筋肉痛や打ち身が痛むけれど、作業をしている間は前を向いていられるから」と。
若衆は「だよなあ」とか、「おだいじに」とか口々に言って自分の農地へと戻っていく。
今、諏訪の人々は日々の暮らしを懸命に生きていた。
歌野の湿布が取れた頃、水都が青い顔で神託があったことを告げる。
空前の規模にてバーテックスが侵攻し、今度こそ結界は破られると。
結界が破られることはすなわち諏訪の民が全滅するということであるが、歌野はまるでそんなことは興味がないとばかりに収穫計画を立てていた。
「かぼちゃ、大根、とうもろこし、みんなグッドなグローイング具合ね。本宮に保管してた種何が残ってたっけ、みーちゃん、おじさん」
「いろいろ、残ってたと思う……ソバとか、大根とか」
「おととい開墾したところに撒くか?」
「いいわね、ソバと大根なら今がジャストタイミングだし」
「どうしていつも通りなの?……うたのん、おじさんは、怖くないの?明日、私たちはっ」
水都の声は震えて、詰まりながら言う。
手や足先からは冷や汗がにじみ出てきている。
「恐いよ、本当はとっても」
笑顔で言った歌野だったが、息をのむと次第に恐怖が浮かんでくる。
今まで考えないようにしていたが明日、自分たちは死ぬのだ。
佐々は二人の女の子の前で怖がるところを見せまいと耐える。
「でも、怖くても何もできないのは……絶対に嫌、目の前で他の人が死んでいくのを見るのはもっと怖いから」
勇者に選ばれてたった一人で戦い続けていた少女の本音、そして、芯の強さに佐々も驚く。
普通なら恐怖からおかしくなるだろうし、なんで私がと拒絶に入るだろう。
何度も死地を超えて死生観が麻痺した軍人の様ではないか。
「大丈夫よ、私ひとりじゃない……みーちゃんがいる。離れてるけど四国にも勇者の仲間たちがいる。……だから頑張れる」
歌野のへたくそな笑顔に水都は泣きそうなのを必死に抑え込む、歌野が泣いていないのに自分が泣くわけにもいかないと考えたのだ。
「そうだ、やりたいことがあるの。私たちがいた証を……思いをいつか、きっとここに来る人のために遺しておきたいの」
歌野は大きな木箱を取ってくると、鍬と手紙を入れる。
そしてバーテックスと戦うことのできなかった佐々がずっと歌野のそばで書き記していたノートを入れる。
出動の数と日付時刻、大体の撃破数、出現方向などを3年にわたって記録したものだ。
「これが俺たちのデータレコーダーってわけだ」
夕焼けの中、三人は畑の脇に深さ1mほどの穴を掘って埋める。
「いつか、誰かがこれを見つけてくれたら、私たちの想いは繋がっていく、願いは託される……きっと」
歌野はそう言ってほほ笑んだ。
とても美しく見えて、佐々はあと15歳若かったらなあと思った。
諏訪最後の夜、佐々はこれまでの生活で出会った仲間たちに会いたいと酒場に行った。
酔った男たちが収穫の話で盛り上がっており、どういう話の流れでそうなったのか分からないが「神様に感謝を伝えよう」という流れになってわらわらと田んぼ道に男たちが集まった。
「神様!美味しい作物をありがとう!」
酔っぱらった佐々もその中に混じり、想いを叫ぶ。
「何も効かねえクソみてえな敵だけど、最後に一泡吹かせてやる!人間をなめんなぁ!」
「いいぞーパイロットの兄ちゃん!」
「さっすが勇者のドライバー!」
「うるせぇ俺はイーグルドライバーだー!」
わいわいガヤガヤと酒の入った男たちは騒ぎ、解散しようかという時に誰かが歌い出した。
“信濃の国は、
県歌の『信濃の国』である、よそ者であった佐々も若衆に揉まれて気づけば歌えるようになっていた。
若衆や騒ぎを聞きつけて集まってきた住人達に負けぬほど、隊歌コンクールもかくやと声を張って力いっぱい歌う。
“諏訪の湖には魚多し、民の稼ぎも豊かにて、五穀の実らぬ里やある~”
これが人生最後の合唱と考えるとどうしてか、この曲がまるで“聖歌”のように聞こえたのである。
それからお開きになって佐々は何処をどう帰ったのか覚えていない。
9月14日、終末の日の諏訪地方は良く晴れていた。
酒臭いままで二人の前に出るわけにはいかないと、日も登りきらぬうちに風呂に入り新しい下着を身に着ける。
これが死に装束だろうと久しぶりに濃緑の飛行服に袖を通し、携行武器は鹿撃ち用スラッグ弾の入った水平二連の散弾銃と鉈が一本、そして空き缶に火薬と釘などを詰めた自作手榴弾だけ。
陸自と違って陸戦なんて防大で少しだけやっただけである。
墜落後の湖畔以来ずっと乗り続けている銀色のミニバンに、ありったけの弾と衛生用品を詰めて出動準備をする。
午前8時15分、最初のサイレンが鳴り響いた。
「うたのん、南東から!」
「了解!」
斥候であろう小集団が諏訪湖北岸と南東部から何回にも分けて襲撃してきて、歌野の体力を削る。
最初は飛び跳ねるように高速で向かっていた彼女もシャトルランのような状況になると、体力温存のため車で移動して戦うと、そこから次の出現方向へと向かうというやり方に変える。
「そうだ、“がんばれ食”開けてみるか?」
「がんばれしょく?聞いたことのない品種ね。芋の仲間かしら」
「それは“ばれいしょ”、後部座席に転がってる赤い缶詰だよ」
「おーっ、レーションってやつね」
移動中の車内でサバイバルキットの中に入っていた赤い缶入りの救命糧食を開けた。
赤文字で救命糧食と印字された銀色のパウチ個包装で5食分入っていて、パウチを破ると黄土色のエネルギーブロック状の中身が現れた。
歌野は見た目からカロリーメイトをイメージして口にする……小麦粉を練ったような薄味の何かだった。
「うーん、ボソボソしてあんまりおいしくないわねこれ」
「救助を待つ間の非常食だからな、美味しすぎても一気に食べちゃうからダメなんだろう」
口の中の水分が糧食に持っていかれ、水都が入れてくれた水筒のお茶で流し込むと、容器に同梱されていた紙を手に取った。
「なにこれ、『がんばれ、元気を出せ、救助は必ず来る』か……」
「救助は来たさ、3年前のあの日に」
「ホントね、じゃあ今度は?」
「四国の勇者たちが来てくれるさ、きっと」
「そうだといいわね、それじゃ次、行きましょうか!」
歌野は諏訪湖東岸方面より接近するバーテックスの集団に飛び込んでゆく。
__思えば、湖畔で出会ってから、ずっと見てるしかできなかったな俺は。
佐々はメモ帳を手に取って時刻と敵の接近方向を書き記す。
歌野が数えていた敵の数はこの時点で80匹を超えていた。
「24匹、ちょっとヘマしちゃった、みーちゃんが心配しちゃうからお願いね」
数分後、左腕に深い切り傷を負った歌野が戻ってきて、佐々は圧迫止血と共にガーゼを当てて包帯を巻く。
本日6回目の攻撃をしのぎ、水都がいる上社本宮まで補給のため一度後退する。
「うたのん!ケガしたの?」
「ちょっとした切り傷よ、心配ご無用っ!」
「骨折とかはしていないみたいだし水都ちゃん、昼飯にしよう」
「そうね、最後の食事だから豪勢にいきましょう!」
歌野が戦い、佐々が運転して各地を回っている間に水都が昼食を作っていたのだ。
鍋いっぱいに入った歌野の野菜たっぷりのみそ汁と、白いご飯を食器によそう。
あとは夏野菜で作ったぬか漬けや、残っていた瓶詰めの焼き海苔も出してきた。
「いただきます!」
手を合わせて箸をつける。
「このみそ汁、具たくさんだな」
大きな具が6に汁が4という割合で、みそ汁の具というよりは煮物にみそ汁がついたかのようだ。
「うーん、よくできてるわ」
「うたのんのお野菜、これでも減らしたんだからね」
「味もベリーグッド!」
「やっぱり水都ちゃんのが、おいしいなあ」
「おじさん、そんなこと言ってもみーちゃんはあげませんよ」
「うたのん……」
「最後に食べるのが味気ない救命糧食なんかよりはこっちの方が良いってことだよ!」
「あれと比べるなんてナンセンス!みーちゃんに謝るべきだわ」
「ふたりとも、何食べたの?」
「エマージェンシーレーションよ!」
「がんばれ食、車にまだ4食分残ってたよなアレ……食べる?」
「いりません」
佐々と歌野は腹いっぱい食べようと、何度もお代わりして、鍋と炊飯器をカラにする。
食べ終わるといつものように3人で食器を洗って食器棚に丁寧に収納する。
3人でこうして昼ご飯を食べて、午後の農作業と四国への連絡をして、それから……という日常はもう来ないのだ。
昼イチの襲撃はそのすぐ後で、14時ごろ上社前宮の御柱が崩壊し茅野・上原城周辺はバーテックスの手に落ちた。
いよいよ御柱の数も減ってきて、じきに北側の防衛線も南東側からの襲撃に呼応して破られるだろう、もう車を使って移動するほど戦域は広くない。
諏訪湖南岸の病院など結界外周に近い数十か所の避難所も
そして15時37分ごろ、残る御柱も本宮周辺の数十本となったためか遠くで自動車の整備工場が爆発して爆音が轟く。
「今日だけで150匹以上撃破だな」
「もう数なんてどーでもいい、さすがの私でもつらくなってきたわ……」
「うたのん……しっかり……」
「そろそろ……四国との連絡の時間ね、急がないと……」
佐々と水都に連れられて満身創痍の歌野は参集殿の無線機の前にたどり着いた。
無線機の電源が入り、四国勇者への直通周波数で呼びかけると2コール目で若葉が応答した。
「どうした、何かあったのか?」
「いえ、ちょっとしつこいバーテックスを退治してやっただけです……朝からずっと、戦い続けている感じで……」
痛みや疲労を押し隠して「いつも通り」を心掛けて話す歌野の姿に、水都は何も言えずじっと見つめていた。
「バーテックス襲来の影響で通信機が壊れてしまったみたいですね……しばらく通信はできなくなりそうです」
通信機が故障したわけではない、もう、諏訪は陥落して永遠に通信はできなくなるのだ。
「そちらも大変だと思いますが、がんばってください。あきらめなければ……きっと、何とかなるものです」
感度、明瞭度も低くて互いに何を言っているのか判別に困る通信状況で、相手にどれだけ伝わっているかもわからない。
「私も無理なお役目かと思いましたが、予定よりも2年長く続けられてたくさんの野菜も育てられましたし……」
しかし、歌野は思いのたけを伝える。
「乃木さんとも友達になれましたし、とても幸せでした」
これは遺言だ、四国の、後へ続く友への。
想いを噛みしめるように最後の別れを言う。
「乃木さん、あとはよろしくお願いします」
送信ボタンから指を離し、無線機の電源を落とす。
「泣かないで、みーちゃん」
涙をこらえきれなくなった水都が歌野にそっと抱き着いてすすり泣く。
最後の神託はその時やってきた。
「今、神託があったの。最後の神託だって……」
「どんなお告げがあったの」
「よく3年も諏訪を守り続けたって……うたのんと私が敵を引き付けていた、おかげで四国は敵に対抗する基盤ができたって……」
「そっか……」
「こんなのって……」
諏訪は四国の戦闘態勢が整うまでの
歌野も水都もわかってはいた、佐々が言うように諏訪と四国では戦域が離れすぎていて援護、挟撃どころか各個撃破されておしまいだろうと。
だが、神様に直接「
捨て石とは囲碁において後々有利になるようにわざと相手に取らせる石のことで、転じて大きな目標のための犠牲を指す。
「よかった……私たちが頑張ってきた3年間は、無駄じゃなかったのね」
歌野は安心したように微笑んでいた。たとえ捨て石でも戦ってきた意味はあったのだ。
それからしばらく泣きじゃくる水都の背中をさすって落ち着かせると、参集殿の外でタバコをふかしている佐々に声を掛けた。
「おじさん、タバコ吸うんだ」
「今まで禁煙してたんだけどなあ……、吸いたくなっちゃって」
四国勇者と歌野の別れ、水都の泣き顔を見るのは無粋だろうと理由をつけて外に出たのだ。
歌野の前でカッコをつけてみたけれど久しぶりのたばこにむせて、苔むした手水舎の水を飲んだことは秘密だ。
納屋から持ち出した資材で最後の小細工はもう済んでいる。
「おじさんは、別れを言う相手はいないの?」
「神様、もう限界なんだろ……。さっき、電気も落ちたみたいだしな」
「そうねえ」
境内を歩くと大鳥居の向こう、県道16号線の最終防衛ラインまで敵が殺到しているのが見える。
その奥では何十体ものバーテックスが寄り集まり、大型の進化体を形成しようとしている。
「敵はここからパッと見ただけでも、100匹以上いそうだな」
「奥にはデンジャラスな奴もいるみたいじゃない」
「水都ちゃんは?」
「お待たせ、うたのん」
さっきまで泣いていて目元が腫れている水都、傷と包帯だらけの勇者歌野、そして散弾銃に手製の手榴弾を装備した飛行服姿の佐々は、最後の御柱群に向かって突進し続けるバーテックスを前に武器を構える。
「ねえ、うたのん」
「うたのんはさ、将来農業王になるんだよね」
「うん、私が作った野菜をたくさんの人に食べてもらうの。それが私の夢」
「そっか……私はね、夢なんて持ったことがなかった」
ふたりは静かに水都の言葉に耳を傾ける。
この時ばかりは結界の向こうから聞こえる戦闘騒音も気にならなかった。
「きっと何にもなれないような、つまらない人生を送るものだと思ってた……」
「みーちゃん」
「でもね、うたのんに出会って変わったんだ……」
水都は歌野の野菜を世界中に届けるという夢を語る。
傍で聞いていた佐々は15歳の時の自分の夢は何だったかなと振り返る。
父親と一緒に見た飛行機の映画が夢の原点だった。
__俺はパイロットになって外国に行くんだ。
思えば、何度もエリミネートされるんじゃないかと思いながら、いくつもの狭き門、課程をクリアしてアメリカまで行ってイーグルドライバーになったのだ。
__夢、叶ってんじゃねえか。
空に上がり戦技を磨く、忙しい日々に忘れかけていた思い出が蘇ってきた。
悪くない人生だったとして人生最後の勝負に出る。
佐々輝久斗は勇者でない。
勇猛果敢、見敵必殺のファイターとして。
「みーちゃんと私の夢のために、この世界を壊させるわけにはいかないわね!」
「おう!今回は先に行くぞ!」
少女たちの別れの時間を稼ぐために、ヘルメットを被った佐々は駆け出していた。
「みーちゃん、私もね、あなたが一緒にいてくれたから頑張ってこれた」
「うん、最後まで一緒にいるよ。うたのん……」
最後の御柱を破壊してなだれ込んできた瞬間、侵攻経路上に置いたミニバンが爆発した。
建物間に張られたワイヤーとガス溶接用のアセチレンボンベがつながっていて、引っかかると滑車の取り付けられたコックが全開になる。
アセチレンがアイドリングしている車のエンジンに勢いよく吹き付けられて高熱で自己分解して爆発するのだ。
視界が真っ白になるほどの閃光と爆風がバーテックスを襲った。
物陰に伏せた頭上を爆風が過ぎ去ってヘルメット越しでなお耳鳴りがする中、立ち上がった佐々は散弾銃を撃つ。
「……ただの人間をなめるなぁ!」
撃ち切った散弾銃を捨てて自作手榴弾の導火線に点火して、大地を埋め尽くす敵に向かって突撃していった。
こうして諏訪の物語は幕を閉じる。
〈歴史的補講〉
大社が保管していた情報によると、勇者白鳥歌野の
これは勇者ではない、レコーダーの話。
航空事故を題材にした番組風にうたのんが紹介されるなら、冒頭にFNDというコメントが付くやつ。
なお、ノートは普通の紙ノートにビニールシートを巻き付けたものなので真水に漬けないでください。
ご意見、ご感想をお待ちしております。