シュウジたち新隊員教育隊の一行が児島湾大橋を渡り切って人のいなくなった集落で休息をとっていた頃、瀬戸内海の海上では闘いが繰り広げられていた。
海上自衛隊第4護衛隊群第4護衛隊所属の“護衛艦さみだれ”は太平洋での訓練を終えて呉基地へと航行しているさなか、天災に遭遇した。
瀬戸内海を震源とした巨大地震発生の一報が入り、「津波のおそれがないか確認するとともに沿岸の状況を確認せよ」という命令が19時50分ごろに下った。
明石海峡を抜けて淡路島の沖合を進んでいたさみだれは、本州側の状況確認のために変針して双眼鏡で見える距離まで近づいて行く。
その時、対空レーダーが
広帯域に強力な妨害電波を放つ“バラージ”などの電波妨害の可能性を感じるほどであり、通信に影響がないことなどからレーダーの故障が疑われた。
しかし同時刻、艦橋両側に設けられた張り出し部、いわゆるウイングにいた見張り員が上空を埋め尽くすように浮かぶ奇妙な白い影を見つける。
遠くからでもわかる歯のようなものを持つ、丸っこい流線型の生き物だ。
艦長ほか艦橋勤務の幹部自衛官が双眼鏡で確認するも誰ひとり知らない
その後ほどなく上級部隊である4護群司令部から悲鳴のような連絡が入ることになったのだ。
未知の白い生物により同時多発的に襲撃を受けていて呉でも死傷者多数、洋上の艦艇は帰港せず洋上に
洋上に避泊とはいっても台風時に岸壁から離れる“台風避泊”と違い母港が攻撃されているのだ、助けに行きたくなるのが人情である。
自衛官とて人間、母港には残した妻子、恋人、両親が住んでいるのだ、見捨てるなんてとんでもないという声が上がった。
これはさみだれに限った話でなく、本土近海で航行中の水上艦艇ほぼすべてで起こった事態である。
萩野艦長はある決断をした。
命令に背き、艦を私物化したうえで勝手に戦闘を始める。
これは艦を国民より預かり、厳正な規律によって律された武装組織である自衛隊としてはあってはならない事態である。
シビリアン・コントロールの面でいえば内閣総理大臣の防衛出動命令が発令され、海上幕僚長から呉地方総監部、護衛隊群司令という命令系統を経て初めて武器の使用ができるのだ。
その他で唯一武器の使用ができるのは正当防衛だけである。
急迫不正の侵害に対し、自己もしくは他人の生命または財産を守るという目的で実力を行使することが出来る。
この時の護衛艦さみだれ含む数十隻は指揮系統を外れた
平時であれば艦長の職を罷免され、
自身と同じ艦長であった父であればどうしただろうか、海大出の将校だった祖父ならなんて言っただろうか、一個人である萩野航太郎はどうあるべきか……。
「務めは山より重く、命は
__ごめん、親父、爺ちゃん、俺は軍人にはなりきれなかったよ。
逡巡の後、ずっと憧れてきた艦長と自衛官人生をなげうってでも守りたい者のもとへと行くことを決めた。
「達する、本艦は母港である呉への襲撃事態において避泊指示が下った。しかし、ただ座して襲撃を見過ごすのは自衛官の本分にあらず……これより本艦は指揮を外れ呉の救援へと向かう。責任はすべて艦長にある。どうか力を貸してくれ」
艦内放送が流れ乗員の幹部、海曹士すべてが母港の危機と艦の“暴走”を知ることとなった。
萩野二佐以下165名を乗せたさみだれは呉へと急ぐ。
沿岸では埋め立て地のコンビナートが大きな火柱を上げて爆発炎上し、暗い海面にゆらゆらと赤黒い炎が映りこんでいた。
対空戦闘用意の全艦放送と共に乗員は戦闘態勢に移行し、空地両用砲の76㎜単装速射砲に砲弾が装填される。
指揮を離れて呉へと急行している艦は他にもいた、輸送艦おおすみと護衛艦さざなみである。
フィリピン沖での多国籍演習から帰ってくる途中で豊後水道を抜けてそろそろ帰港というところであった。
いずれも洋上にいたが故に難を逃れたのである。
敵がどのような存在かわからぬまま、戦闘態勢を取って本土へと近づいたところ、さざなみに断末魔のような衛星電話が入った。
それは「各艦は洋上にて避泊せよ」というもので、港湾施設も指揮系統も壊滅したことを告げた。
誰かの最期の声を受け取った洋上の自衛艦隊は指揮官なき漂流艦隊へとなってしまったのだ。
陸地をあらかた蹂躙した敵が洋上の船舶に目を向けるのはそれからほどなくしてのことだった。
視点を護衛艦さみだれに戻すと、港湾に停泊中の貨物船や漁港を飛び出してきた漁船が白い化け物に群がられていた。
まるで死肉に群がるハゲタカののような光景に生理的嫌悪感を覚える。
そんななか、犬島沖で一隻のプレジャーボートが近づいてくるのが見えた。
乗っているのは男女5人ぐらいで、護衛艦を認めるやいなや手を振って向かってくるではないか。
「面舵いっぱーい!」
このままでは海上衝突であるから急いで面舵を取って右に避けようとする。
海上衝突予防法では互いに相手の船の右側を航行するのがルールだが、なおもプレジャーボートは近づいてきた。
あわや衝突というところでプレジャーボートはすり抜けて
その後も脱出してきたのだろう数隻のボート、漁船が同じ方向へと向かって進んでいく。
だが、豊島沖に差し掛かった時、一隻のボートが海面で転覆した。
笹船のような小さなFRP船体に3人が必死にしがみ付き、声こそ聞こえないが護衛艦のほうを見つめている。
「本艦
戦闘態勢に入っている護衛艦にとって溺者救助に割ける人員は少ない。
しかし、白い化け物と交戦している状況でないため見殺しにはできなかった。
大きく旋回し慎重に近づくと第一煙突脇に搭載された2号の
内火艇とは連絡やこうした救助などの作業に使うため護衛艦に2隻備え付けられているエンジン動力のついたボートのことである。
探照灯で照らされた溺者に向かって7人の隊員を乗せた内火艇は前進する。
この間も艦の前後に取り付けられたファランクスと呼ばれる近接防御火器が空を睨み、艦橋上のFCS-2射撃指揮装置が今か今かと迎え撃つ準備をしていた。
幸いにも白い怪物が急降下攻撃を仕掛けてくることもなく女性1名、男性2名の溺者を無事に救出した。
内火艇の揚収が終わり、事情を聴くと事態は深刻だった。
白い怪物に全世界規模で襲われ、唯一の安全地帯が四国であるという内容で、船に乗っていたのは誰かを囮にしたりして何とか逃げ延びた数少ない生き残りであったという。
転覆したボートは岡山県小串の漁港で死んでいた持ち主から拝借したもので今日が初めての操船だったらしい。
妻子を連れて海図も船舶免許もなしで暗くうねる海にぶっつけ本番で乗り出した雑貨屋の主人はどこまで追い詰められていたのだろうか。
護衛艦さみだれは彼らを連れて、呉へと向かう……。
島々の間を通って坂出にかかる瀬戸大橋を通り、今治の来島海峡を抜ければ呉まで半日だ。
ところが、播磨灘の浮標の近くである異常事態に気づくことになる。
そう、通常であればもう太陽が昇っていないとおかしい……艦内に動揺が走った。
特に甲板にいる分隊にとって天候は業務に大きく影響するため敏感なのだが、こんな天候は全く見たことがない。どんな曇り空であっても太陽の光はあるはずなのだ。
太陽が出ないということはすなわち
つまり、昨日まで使えていた潮汐表が全く役に立たなくなってしまう。
潮汐の変化が大きくて浅い瀬戸内海においてこれは死活問題で呉を目指すどころの騒ぎではない。
島の間を抜けようとしたら座礁してしまう、水中障害に激突するといった事態が起こりうるのだ。
こんな不安な状況で呉に向かうべきか、それとも安全が確認されるまで座礁の危険がない所で待機するべきかと悩む。
その前に、救助した民間人をどうするかという問題があった。
自分たちの
通常であれば救助した遭難者は海上保安庁に引き渡したり、艦載ヘリコプターで航空基地まで運ぶのだが、どうも本土は壊滅しているらしい。
至るところが燃えている姫路の街並みと貪り食われる貨物船が彼らの言葉に信憑性を与えていた。
そして唯一の安全地帯が四国だという以上、本土には下ろせないとなると南に針路をとり、四国で降りてもらうしかない。
候補としては高松港か坂出港となる、どちらも民間の施設であり港湾の管理者に通達する必要があるがこの様子では連絡がつくかどうかも怪しいだろう。
萩野二佐は危険を承知で井島と豊島の間を抜けて南下、高松サンポートを目指す決心をした。
受け入れ先を考えているところに一隻の漁船が本土から向かってきたので、よく見ると後ろに白い化け物3匹を引き連れて必死に逃げている。
最大船速で逃げているのだが一向に振り切れないようで、護衛艦を見つけると向かってきた。
相手も藁にすがる思いなのだろう。
艦長指示の下、各分隊が位置につきその時を待つ。
「対空目標探知、126度。漁船後方に位置する敵性体3、まっすぐ突っ込んでくる」
「目標は漁船及び本艦人員の殺傷を企図するものである、対空戦闘用意」
「対空戦闘よーい」
CIC(戦闘指揮所)と呼ばれる火砲や誘導弾の管制室では射撃号令が飛ぶ。
「対空戦闘、CIC指示の目標、サルボー」
艦中央部のMk.48VLSから二発のシースパロー艦対空誘導弾が撃ち出され、白い敵に向かって低く低く飛び込んでいき命中した。
しかし敵は撒き散らされた弾片に怯んだ様子もなく、突っ込んでくる。
「目標変わらず突っ込んでくる、主砲発射はじめ」
「うちーかた始め」
漁船に当ててくれるなよと砲雷長が願う中、続いて76㎜単装速射砲が火を噴いた。
毎分80発の連射速度を誇るコンパット砲から放たれる砲弾は白い化け物に何発も命中した。
運動エネルギーで少しは押し戻したようだが、それだけであってなんら効果がない。
艦砲すら役に立たない今、護衛艦さみだれは、いや地球上の全艦艇は完全に無力であった。
4基のガスタービンエンジンを回して最大戦速で離脱していくさみだれを追うように漁船が続き、追いつかれれば
右へ左へと舵を取って大きくロールするたびに艦内のものが転がり、収容された女性の悲鳴が上がる。
あるところを過ぎた時、執拗に追って来ていた白い化け物がぴたりと止まりだんだん遠ざかっていった。
ちょうど男木島の沖にいて、高松港まであと少しの位置にいた。
連絡もなしにいきなり現れた護衛艦を出迎えたのは港湾管理組合でも反自衛隊の活動家団体でもなく、狩衣に身を包んだ集団であった。
「艦長、我々は源平合戦にタイムスリップしたわけではないですよね?」
「馬鹿いえ、源平合戦にあんな近代的なビルがあってたまるか」
副長の冗談に思わず高松シンボルタワーを指さす。
『扇の的』などでおなじみ屋島の戦いのころに高松港など影も形もないはずなのだ。
「そうですよね、あの神主さんたちって何なんでしょうか」
「天変地異が大きすぎて神頼みってところだろうな」
どうやら神社などの神職が集まった宗教団体が県議会などで構成された四国臨時政府なる集団を率いているらしい。
命からがら逃げおおせた先での奇妙な展開に、上陸した一行は首を傾げることになった。
さみだれの逃走劇が繰り広げられているころ、広島湾に突入した護衛艦さざなみと輸送艦おおすみは変わり果てた姿となった街並みを見た。
ありとあらゆるものが破壊され、その上を白い化け物が無数に飛び交っていたのだ。
江田島を回りこむようにして呉までたどり着いたとき、そこは生存者がいるとは思えない地獄と化していた。
工場が火柱をいくつも噴き上げ、それが龍のような火災旋風となって荒れ狂っていて呉地方総監部の建物が見えないほどである。
そして何よりショックを受けたのは、最新鋭の護衛艦“いせ"が上部構造物や艦体各所を食い破られて沖で漂流し、停泊していた艦艇は軒並み大破着底していたことである。
これを見たさざなみ艦長の野呂田二佐は搭載火砲が効かなかったことを悟り、呉からの離脱を命じた。
母港の敵を艦砲で一掃してやると息巻いていた者も、数十匹に集られ各所を喰い破られるという壮烈な最期を遂げた護衛艦隊の姿に戦意をたちまち失ってしまった。
家族を残してやってきた者は敵手に落ちた広島、身内の死に目にも会えないということをまざまざと見せつけられてしまったのだ。
感傷に浸る間もなく
ただ位置エネルギーを速度に転換した急降下攻撃は得意でも、水平飛行となるとやはり限界があるようで護衛艦の最大戦速で振り切れるほどの速度しか出ないようだった。
途中、陸地の陰から現れて包囲しようとした敵に対しファランクスや76㎜速射砲が火を噴き、20㎜機関砲や76㎜砲などの通常兵器が全く役に立たないことを実感した。
複数方向から湧いて出てきた敵に追われながらも回避運動を取って呉を脱出した2隻は“四国臨時政府”と名乗る放送を受信し松山へと舵をとる。
呼びかけに応じて愛媛県の三津ふ頭へと入港した時、民間のタンカーや貨物船のほか掃海艇や潜水艦などの難を逃れた海自艦艇が岸壁に所狭しと並んでおり、急遽作られたであろう受け入れ事務所の前にはその乗員で長蛇の列ができていた。
後にこれらの艦船と乗員は四国外周を監視するための“海上警戒群”として再編されることになるのである。
乃木若葉(上)の三話、諏訪陥落後に壁外にて警戒監視している元自衛隊員の武装船団という記述があるが、おそらくこういった洋上の護衛艦・潜水艦の生き残りが合流したものだと思われることで出来た話。