残滓のうち、ひとつ 作:花見饅頭@クー
「彼のことは本当に大切に思っていたのです。本当ですよ?」
イ・シェドは食後のティータイムを優雅に楽しみながら、
「そして約束のことも──ああ、ええと。約束の話は致しましたよね?」
机の上にこれでもかと積み上げられた汚れた皿の塔の間から、奴めの得意気なにやにや笑いがこちらを見下ろしている。
──時刻は深夜。
怪奇現象ではない。
「そう、いつか彼は
イ・シェドの語る「食歴」には掴み所がなく、信憑性に欠け、さらには時系列も曖昧だ。確かに彼の実体験に基づくにも関わらず、まるで他人事のように語られる。
実際、他人事なのだろう。他者を喰らう、という行動を決めているのは彼の"イ・シェドの部分"ではあるが、実際に行動に移しているのは"外身"でしかない。
いつも
「ああ、そうだ! 私にね、言ったんです──」
ともかく、彼の言葉は信じるに値しない。正確に言えば、事実ではあるのだろうが活用するには情報が無さすぎる。
何故だか時々妙に生々しい殺戮の描写が挟まりがちな所といい、彼の言葉は話半分に聞くくらいで丁度いいのだ。
「──って、聞いておられます、召喚術殿?」
曖昧模糊とした煩雑な単語をぼさっと聞き流していると、イ・シェドはそれに気付いたのか、(実に腹立たしいことに)頬を少女のように膨らませて机に身を乗り出した。
端麗な容姿のせいかそんなポーズですら様になっているが、奴の媚売りに慣れ切った
「もう、意地悪な方」魔導師は淫靡に囁くと、哀れなふりを辞めて顔に狡猾な笑みを浮かべた。「私はこんなにあなたをお慕いしていますのに」
彼がしたのは、いつもの人間の
こやつは自分の性能と身体の価値の嵩さを確信している。その欺瞞と虚構で固められた肉体に、未だ誇りがあるのかも疑わしいと言うのに。
「ほんとに意地悪なんですから」
イ・シェドは薄く笑って、男性らしからぬ細指で
出自も所業も
ただ、彼は悪辣ではあるが悪人ではない。その能力を振るう理由──"強者に至る"という唯一絶対にして彼を残虐足らしめるその理由ですら、自己の為ではなく「一族の宿願であるから」だ。
基より奉仕体質なのだろう。それがイ・シェドという存在の根幹に関わるものであるのか、そこまでは判らないが。
「ふふ、でもね」
思案に耽りぼやける視界に、魔導師が密やかな笑みを差し込んでくる。
「召喚師殿、確かに私は肉体を捨てました。私も旅の最中に多くのヒトを見、識りましたから、常人からすれば私は誇りなきものに視えるのだと思います」
彼は着衣の開口に縁取られた胸部を扇情的に反らし、机上へ尊大に脚を投げ出しやがった。眼前に奴の爪先が迫り、不愉快だ。
その背で得意気に翼が揺らぎ、不遜にも主である
「ですが、私はこの名と共に"喰らう"力を与えられたのです。であれば、我が名に紐付けられた肉体の虚ろな在り方こそが、"私"そのものなのではないでしょうか?」
うっとりと目を細めた魔導師は、微かに上擦った声で言った。よく見ると、奴が手に持っていたティーカップが食後酒のグラスに代わっていた。
「不要なものは切り捨てる。最も効率の良い
グラスの中の黄金の液体が、甘やかな香りを撒き散らしながら奴めの喉にとろりと流れる。こいつの混ざった脳みそと継ぎ接ぎの舌では、あの名も知らぬ液体の甘美な味わいなど、欠片くらいにしか解らないだろう。
遠く未来に生きる
「弱く、醜い"私"は不要です。私に力を与え給うた主も、私の出立を許して下さった族長も、今の私の方が遥かに善いとお思いの筈です」
彼は艶やかに濡れた唇から、ワインの様に甘い囁きを零す。
その言葉にどうにも拭い切れない彼自身の卑屈な一部分が見え隠れし、その生態の如何に歪かが嫌でも見えてくる。
かつて自分がどうしようもなく無価値な存在だったことを自ら嗤う様は、酒の肴にもならないくらいに惨めだ。
「それでも、いつかあの地に戻った時に呼んで貰うために、名前だけは忘れないようにしていたのです……」
中身のないワイングラスで夜闇を掬いながら、魔導師は慈しむように微笑んだ。
数少ない明確な記憶──
刻まれた名を現世に遺し続ける為の
彼の言う主だか誰だかは、この顛末を分かった上で彼に名前を付けたのだろうか。
その選択がこの魔導師に文明を喰い荒らさせていることに考えが至らなかったとは、そいつらは救い難い愚か者なのだろう。
「だから……ふふ、名前だけは偽ったことがないのです。嘘なんて吐いたら私、混ざってしまいそうで」
描いた絵を見せ付ける子供のような調子で翼人は言い、放り出していた脚を折って机の下に仕舞う。その時皿が1枚爪先に当たって傾き、そのまま埃の積もった床に落ちて砕けた。
世界の闇も光も喰ってきたにしては、奴の脳みそはピュアで夢見がちな思想に塗れている。最終的な結論が、いつも殺しに帰結するだけで。
哀れなことに、こいつは自分の人間性感性ですら「食歴」によって賄ってきたのだ。日常で見せる礼儀正しいパーソナリティは彼そのものに付随するようだが、それは「食歴」を肥やす為の武器として本能的に残したものだろう。
しかし、彼はそうしなければ生きられなかった。
「……ね、召喚師殿、よもや私の魂を案じてくださったのですか?」
翼人はにたりと顔を歪めて唇を舐めた。
彼が
だが、それはそれとして、こいつの性格には賛同できない。なんなら、「こいつの性格に賛同できる」という奴にも賛同できない。嘲りこそすれど、わざわざ慰めるなんてちゃんちゃらおかしい。
「もう、意地悪も行き過ぎてはただの虐めですよ」
くすくすと小鳥の囀るように彼は笑う。
意地悪とかではなく、思ったことを素直に言ったまでだ。学習をしない
疲れることのない筈の身体に疲労が蓄積する。こいつの相手は、本当に疲れる。我々は常に困窮しているのだ、こんな所で無意味にくっちゃべっている暇はない。
そろそろここを発つぞ、と
「ご馳走様でした」落ちた皿が踏み締められてきちりと音を立てる。「良いお味でした。召喚師殿が味わってくれないのが残念なくらい」
奴はそう戯言をほざきながら
「確かに遊びすぎましたね。ここの利用者にばれては大目玉ですもの!」
客なんて来ないことくらい分かり切っているくせに、よく言うものだ。それは
──そういえば。
こいつのスカスカな話になんて何の興味も無いが、ふと気になった。
彼が「いつか私を殺してくれる」と嬉々として語った「彼」とやらの、名前すら
「まあ! 召喚師殿、てっきり本当に私の話は聞いていなかったのかと。彼、彼のことですか?」
忘れっぽいこいつの事だから、どうせそれも忘れてしまったのだろう。彼の記憶は基本的に幼児のおもちゃ箱よりも無秩序で、それをごちゃごちゃと引っ掻き回しているうちに偶然浮き上がってきた残滓のうち、ひとつをその口から気紛れに語るだけに過ぎない。
さあどうなんだ、と尋ねると、奴は自分をどれだけ高尚な存在だと勘違いしているのか、この
「──ふふ。さぁ、誰でしたかね?」
魔導師は慈悲深く微笑むと、背中の翼をそっと撫でた。