残滓のうち、ひとつ 作:花見饅頭@クー
ヴォーダイン最後の都市ストィンにほど近いとある農村、テミルにて。
世界のどの集落でもそうなっているように、村人たちは相変わらず干乾びた畑から乾き切った種をかき集めたり、水音の遠い井戸からちびちびと中身を舐め取るだけの惨めな生活を送っていた。
見るからに哀れな、辺獄のような様相の空間ではあるが、それでも他の村よりは幾分マシなものだ。既にいくつもの集落が飢餓によって滅んでいる中、その質はともかく安定して存続している村はここくらいだった。
それでもじわじわと人は減り、墓標は増える。居住地よりも墓場の面積が広くなった頃からか、テミルの民は希望を持つことを止めた。
──枯れ草のような世界だ。
異邦の地に足を踏み入れた旅人の抱いた感想は、それだった。
彼がテミルに辿り着くまでに訪れた村も同じように、茶色の草原と乾いた土に覆われていた。皆、何を楽しみにするでもなく、生物の本能に従って生きているのだろう。
比較的まともだというテミルでさえ、ある程度の文明を築いた人間の集まりにしては最底辺レベルの暮らしをしているのだ。
「なんて悲しい人々なのでしょう」
旅人はヴォーダインの未来を憐れみ、杖を胸に抱いて呟いた。
形あるものにとってその滅びは必然であるが、それに苦痛が伴うとなれば抗いたくもなるだろう。抗い、抗い、抗い、その末にヴォーダインの民は諦めたのだ。
諦めなかった──或いは諦めることを許されなかった──人々の集うストィンに何があるのか、それが識るに値するものなのか、旅人は見極めなければならない。
誰に頼まれた訳でもない使命が彼の足を動かす。
旅人は腰に下げた剣の角度を正し、兜のバイザーを下ろすと、村の入り口に気怠そうに座っている男に声を掛けた。
「すみません、旅の者なのですが……少し宜しいでしょうか」
仕事を無くして久しい農夫は、まだ辛うじて青い草の茎を噛みながら来訪者の顔を見上げた。男は当然のように痩せ細り、ただそれでも未練がましく手に鍬を握っている。
「旅人?」彼は顔を上げた。「てぇと、あんた、他所から来たのか。んな鎧着られるってこた、勇士さんか?」
ぴかぴかの鎧を纏った騎士の姿をまじまじと見つめながら、農夫は疑いなくそう尋ねる。人類皆が明日をも知れぬ中で旅をする理由があるとすれば、ストィンに向かう為でしかないだろう。
「ええ、ストィンに向かう道中でして」旅人は微笑んで尋ねた。「テミルを経由すると聞いたのですが、ここからストィンへはどのくらい掛かるのでしょうか」
ストィンに行く者を迎えるのは特別なことでもないらしく、農夫は旅人の言葉を疑うことはなかった。
彼は鍬を杖代わりにして大儀そうに立ち上がると、村の奥を指しながら歩き始めた。
「次の
業務的に吐き捨てられた声に、旅人は「ありがとうございます」と返して恭しく頭を下げる。村人は一瞬、ほんの僅かに背筋を伸ばしたが、振り返ることはなかった。
数分、無言の道程。
通り過ぎる家々は廃墟のように枯れていて、その窓の隙間から、何人かの住人が濁った瞳を更に暗くして、場違いに麗しい騎士の姿を睨んでいる。
「あんたの身なりが
村人は渋々といった様子で騎士に告げ口した。仮にも客人である勇士を気遣ってのことだったが、当人は視線には気付いていないようだった。
「いくら勇士さんでも、今時そんなに奇麗なモン着てられるなんて……あんた一体、どっから来たんだ?」
農夫は怪訝に尋ねる。旅人は「失敗したな」という風に密かに顔をしかめたが、バイザーの下のそれを知る者は彼自身しかいない。
「私は──」騎士は少し考え込んでから言った。「──私は異界から来たのですけれど……」
「
農夫は首を傾げて「イカイ」の単語を数回もごもごと復唱し、無い知識を片端から引き出して該当するものを探す。
「……知らん町だなぁ、んな遠いとこから来たのか」
悩んだ末に男がそう言うと、旅人は「そうなんですよ」と柔らかく笑った。
──旅人は異界人だ。
彼は
彼自身に世界を移動する能力がある訳ではなく──そんなことは神にしか出来ない──旅立つその都度、世界そのものに生まれる"綻び"を介することで別世界に存在を捩じ込んでいるのである。
"綻び"の生まれやすさにはばらつきがあり、それが多ければ異界との混じり合いは深くなる──中のものは外へ、外のものは中へと少なからず流れるのだ。
ここはそれが生まれない世界だった。気付けば虚無に誰かが消えているようなことも、存在しない筈の生命が不意に現れることもない世界。
故に、ヴォーダインの民が"異界の存在"を信じないことを、旅人は知っていた──そう珍しい事でもない。世界の外を知らない者からすれば、"異界人"なんて自称は「自分は本の中から飛び出した、物語の中の登場人物だ」と言われるのと同じくらいの信憑性しか持たないだろう。
彼が足を踏み入れるまで、ヴォーダインは異界とは全くの無関係だった。だが寿命による自壊の進行で世界は少しずつ歪み、撓み、やがて裂け──旅人はその裂け目からこの地に転がり込んだのだ。
「勇士さん、ここだ。ここなら貸せる」
暫し再度の無言の後、村人は農具小屋──ではなく、テミルで唯一の宿を指差して言った。
宿と銘打たれているが、人をもてなす用途は失われて久しい。本当にただの寝床としてだけ使われているようだった。それを踏まえれば、確かにふたりが通り過ぎてきた民家よりはまともな建物の形をしていると言える。
「おお、これは」騎士は一瞬躊躇い、極力明るい声色で言った。「何とも風情のあるお家ですね」
「わざわざ世辞なんか言わなくていい。こっちは勇士さん相手でもこんなもんしか出せないんだよ」
村人はぶっきらぼうに吐き捨てながら宿のドアを開いた。外観に反し、室内は粗末ではあるが綺麗に清掃されている。
テミルの民は"勇士"の存在を重要視していた。
ストィンに選ばれた勇士の殆どがテミルを経由する都合上、テミルには旅の勇士によって少なからずの見返りがもたらされる。旅の終わり1歩手前と言うだけに、勇士たちは半ば捨てるようにしてテミルに物資を残していくのだ。
それは例えば、道中でどうにかかき集めた食料の内、偶然余った腐りかけのものだったり、もう使い物にならなくなった即席の武器だったり、紐にすらできないくらいにボロボロになった魔物の皮だったり──つまる所はがらくただ。
ヴォーダインの外であれば彼らはゴミを散らかして去っていく不届き者だが、そのがらくたにすらありつけなくなった村々から滅んでいる今、テミルの安定の9割はこれによって成り立っているようなものだった。
尤も、それすら潮時なことは民も薄々理解していた。
最後にストィン行きの勇士を見送ってから、畑の入れ替え
「あんたらがストィンで何をするか──何をされるか──なんて知ったこっちゃない」農夫は旅人に向かって冷たく吐いた。「期待なんてしてないが、せいぜい世界を救ってくれよ」
旅人の訪れによって繋がった生命線も、今更守ろうとしている者は少ない。
形を保っているようで、その実ゆっくりと滅びを受け入れるこの村は、さながら塩漬けの標本のようだ。
「私にできることなら、なんなりと。ありがとうございました」
見えもしないのに騎士は微笑み、恭しく頭を下げる。
農夫はその様を何とはなしに気味悪く思い、適当に会釈すると彼から目線を外した。
「……あんた、名前は」
聞き忘れていた、と付け加え、事務的に男が尋ねる。
杖を持った旅人は、
「我が名はイ・シェド。しがない旅の魔導師にございます」