残滓のうち、ひとつ 作:花見饅頭@クー
某日、王立魔術院・第3訓練所。
「はああああッ!!」
院生のひとりが威勢よく雄叫びを上げ、相手役に向かって杖を振り向ける。杖先が空を切り、その軌跡に火花が舞う──簡易な火属性系列の魔力弾。閃光と音による怯みを期待する技だ。
返す次の手で、ベルトからアンプルを一本引き抜き蓋を折る。口から触媒が溢れるのを視認、再度杖を振る。
「炎上回路開放、触媒着火! 爆破詠唱の一弾、そのい──」
「遅いッ!」
ごうと迫る冷気と叱咤。呪文詠唱を遮り、師の術式が紡がれたのだ。拳大の水塊が杖先から射出され、粉塵爆発寸前の触媒を包み込む。半端な詠唱は成就せず、灯りかけていた火種はしゅうと音を立てて消えた。
「ちょ、それは卑きょ、わぶっ」
水塊は狼狽える術者の目の前でそのまま破裂し、彼を水浸しにする。水圧に押されてよろめきながらも、生徒は咄嗟に杖を地に突いて耐えた。慌てて体勢を立て直し、もう一度アンプルに手を伸ばす。
……そこに、アンプルは無かった。あるのは砕けたガラスの粉と、湿った鉄粉だけだった。生徒はしばし頻りにベルトを弄っていたが、無いものは無い。
「これは、勝負ありですね」
──生徒が顔を上げると、相手役の教師が瞳を覗き込んでいた。
「……ぶ、武器から狙うなんて卑怯だろ、先生」
「戦場では武器から狙うなど常套手段です。触媒格納をこんなガラスのアンプル如きでまかなうのはいい加減諦めなさい、オルランド」
オルランド、と呼ばれた彼は、見ての通り院の見習い魔術師である。齢18、代々魔術師の家系の出にしては少々遅咲きの、所謂落ちこぼれ気味の生徒だ。
血統に従って魔術師を志したものの、いまいちその才能は芽吹かなかった。実力主義の院においては、オルランド程度の生徒は早々に見切りをつけて追い出される筈だったという。
転機となったのは、この師が院にやって来た時だった。師は教職として最初の生徒にオルランドを選んだのだ。その真摯な教育と豊かな知識は、オルランドの道行きに希望を与えるに十分だった。
彼自身もそれに応えるように、師の元で学び始めてからは徐々に実力をつけ始め、来年にはどうにか正式に魔術師としての活動ができるだろうと見込まれている。彼にとって師は畏敬の対象であり、目指すべき星なのだった。
「君の手先の不器用さは承知していますが、きちんとした容れ物を用意するべきです。それか、触媒なしでの魔法を早く覚えるか、ですね」
「分かってはいるんだけど……」
正論に生徒は呻いた。彼の使える魔法は火属性のもので、触媒である鉄粉はその威力を増すために使っているのだが、師の言う通り如何せん彼は道具の扱いが雑であった。
正式に用意されている触媒の格納容器はあるにはあるのだが、オルランドは誤操作防止のストッパーをうまく外せないという理由でそれを使うのを諦め、独断でアンプル容器を採用していた。
そもそも触媒を使っているのも──見習い魔術師は皆そうなのだが──詠唱に慣れていないからだ。成長に伴い身体に魔力が蓄積されれば呪文の短縮も可能になるが、今の彼がより素早く魔法を発動するには詠唱を高速化するか、短い呪文の魔法を選ぶかしかない。
「でも」師は優しく微笑み、「簡易詠唱の出力は向上していますよ。照準も正確でした」
そして羽織っているケープの端についた火の粉の跡を見せてそう言った。
それが自分の付けたものだと気付くと、オルランドはにわかに表情を明るくした。威嚇で放った最初の弾によるものだ。
「かすりとは言え、私に攻撃を当てるとは大したものです。よく頑張りましたね」
「うおおおマジかよやったぜ!! さんきゅ……じゃ、なくて、ありがとうございます!!」
極め付きの称揚に生徒は大袈裟に喜び喚き散らして辺りを駆け回り、師はただただ生暖かい視線を送った。ずぶ濡れなのによくもはしゃげるものだ──という感想は流石に口にしなかった。
オルランドは無垢だ。歳の割には若干考えが稚拙な気はするが、純粋に教えを吸収し、素直にそれを受け入れる。底抜けの無垢さとは、ある種の才能だ。戦火に怯え続けなければならない今のクドラシアでは中々に珍しい。
それは、師がこの日陰者の魔術師を受け持った理由でもある。与えれば与えられただけを力にできる可能性を秘めた子供を、彼は強い存在に導きたいと考えていた。
それ自体は誰も咎めなかった。どうせオルランドは持て余された存在だったし、智者たちが欲しがったのはこの魔導師の叡智だけなのだから。
しかしながら、破門寸前の問題児を立ち直らせたことで、この異邦人は院の中で確固たる地位を手に入れてしまった。魔術的な才能だけでなく、教職としての技術も持ち合わせていることが分かってしまったのだから、院上層部はもう彼を手放せなくなったのだった。
「多少物覚えは悪いですが、まあ、この調子なら君はもっと強くなれますよ」
「そのちょっとした煽り、今要るかよ先生!?」
紆余曲折入り混じった結果、この師弟関係は出来上がった。強くなりたい魔術師と、強者に出会いたい魔導師。師の望みが果たされるには時間がかかりそうだが、それなりに双方、理に適った間柄になった。
構図としてはそれだけのことだ。それが院に及ぼした影響は小さくないが、全体の在り方が揺らぐことはなかったし、オルランドが日陰者なのも変わらなかった。
「あのさ、先生」
びしょ濡れになった服の端を絞りながら、生徒は師に向かって呼びかけた。
「俺さ、シェド先生が言うみたいな、"最強"になれるかな……」
その瞳は純粋無垢に輝いて、目指すべき星を見据えている。暗中で唯一の目印である、それを。
星は────
「……ふふ、どうでしょうねぇ。なってもらわないと私は困りますけども」
「仮にも教師なのにその言い方、何!?」
──稀代の魔導師、"翼持つイ・シェド"は曖昧に微笑んで、フェザーのケープに付けられた焦げ跡を指先でそっと撫でた。