残滓のうち、ひとつ 作:花見饅頭@クー
オルランドはそれからしばらく、教科書と向かい合って過ごしていた。照り付けていた太陽の勢いが弱まり始めるのを感じては、さすがの彼も急かされるように勉学に励むようになった。
だが、肝心の実技の授業の機会はなかなか訪れなかった。師の授業どころか、生徒全体の授業の回数すら減っていたのだ。
今や、授業の停滞はオルランドだけではなく院生全体に及んでいた。生徒たちは待遇に不満を募らせ、その一方で教師陣は露骨に焦りを見せ始めた。
謎の人員不足は魔術院に留まらず、王家直属の騎士団や名うての商人、政治家にも及びつつあった。レウケの権力者はこぞって問題の解決を訴え、貴族たちは問題の解決に奔走することとなる。
そんな中、レウケ城下ではある噂が飛び交うようになった──
「──神隠し、ですか?」
レウケ王城。フェザーのケープの魔導師は、現王直々の指名を受けて執務室を訪れていた。
「そうだ。今起きている"集団失踪"、それについては知っている通りだろうが」豪奢な椅子に座した王は、手元の書類を1枚捲って言った。「その実態の掴めなさ、消えた者たちに関わる証拠のなさから、これを便宜上──異界の言葉で突然の失踪を意味する──"神隠し"と呼ぶ事にした」
「はあ、なるほど」
一連の事態を指し、その全容の不明瞭さからそれを怪奇現象だと噂する者は少なくなかった。前日までは元気に職務に励んでいた者が、次の日忽然と姿を消していることもままあった。
「だがな、分かるであろう? そんな荒唐無稽な話を通す訳にはいかないのだよ」
王は書類を机の上に放り出して魔導師に見せ付けた。そこにはありとあらゆる関係各所からのクレームと、行方不明者の詳細がびっしりと書かれている。
イ・シェドはそれを手に取ってつまらなさそうに文面に目を通すと、「はあ……そうですか……」困り顔で曖昧に返事をした。
「シェド、我が忠臣たる術師よ。お前はどう思う」
「どうと言われましても、そうですね……」
尊大に問い掛ける王の言葉に、魔導師は首を傾げて悩む素振りを見せた。内容は概ね既知のものだ。院でも連日騒ぎになっているのだから、彼がそれを知らないはずもない。
「誠に畏れ多いですが、私からは何とも。今この場で説得力のある説の提唱は難しいですね」
彼は頭を振って答え、紙束を机に戻す。
質問の答えには興味がないのか、王は間を置かずに再度尋ねた。
「ではシェド、消えた人間の共通点は解るか」
魔導師は唇を舐めた。
彼は今度は悩まずに、そうですね、と前置きして話し始める。
「概ね、"実力のあるもの"かと。魔術院の院生や騎士団の訓練兵、それに民間にも被害はないと聞いておりますので」
王は頷く。
この事件を掴み所のない奇妙なものにしている一因として、それがあった。上層は一連の問題を厳重に秘匿し続けており、噂はそれを知らない一部の人間が漏らした情報が曖昧に膨らんだものだ。
「そうだ……皆、少なからずの
クドラシアの才智は皆ここに集う──その常識は正体不明の何かによって崩れつつあった。
レウケ王はそれを信じているし、クドラシアでそれを疑う理由も無い。それに歪を感じてこそいたが、否定することは異邦人であるイ・シェドには出来なかった。
「と、言いますと」
「陰謀だ」
魔導師が問うと、王は間髪入れずに言い放った。
「この国への謀反を企む愚かな誰かが、実力のあるものを引き抜いている」
その言葉にイ・シェドは僅かに目を細める。
王がその結論に至るのは自然な流れだろう。レウケに選ばれた猛者を倒し得る者は、今のクドラシアではレウケにしか居ない。これを謀反によるものと捉えれば、諸般の辻褄を
「謀反ですか」彼はゆっくりと瞬きをした。「それはまた……怖いですねぇ」
レウケは他国を蹂躙し、資源も人間も喰らって糧としてきた。国々は最早誇りを失いかけているが、レウケに引き抜かれた人々の中になら屈辱に身を焼かれている者がいないとも限らない。
「現時点では確証はない。が、怪奇現象なんぞよりは遥かに現実的だ」
王は紙束から城下に出回っているゴシップ誌の切抜きを1枚引っ張り出し──"神隠し"についての記事が大袈裟な文句で書かれていた──中身も見ずに握り潰して傍らの屑かごに放り込んだ。
彼は明らかに焦燥している。自国の危機は眼前に迫っているのだ。このまま有力な武人たちを失い続けていては、レウケ一強の時代が脅かされるかもしれない。
城下にひっそり忍び寄る終末を退けるだけの生命力を、レウケの民は維持できるのだろうか。魔導師はまた唇を舐めた。
「分かるな、シェド……お前はこの謀反が事実であるかを調査しろ。被害は小さくない、これはレウケの存続に関わる問題だ」
王は獣の唸るような声で魔導師へ命じた。謀反への恐怖か、対処への焦りか、或いは沸き上がる怒りによってか、体が震えている。
幸いなことに組織幹部クラスの者の失踪は起こっていない。が、ただでさえ立ち行かない運営の人員を、存在を確定できていない裏切り者の捜査に当たらせる訳にはいかなかった。
イ・シェドはその為にここに呼ばれたのだ。この国の状況は芳しくない。政治に関わったことのない彼にさえ判ることだ。
「あなたの信頼に報いましょう、我らが王」魔導師は恭しく頭を下げて言った。「しかし、その前にお伺いしたいことか」
王は返事の代わりに片眉を上げる。
イ・シェドはケープの羽毛を密かに整えながら尋ねた。
「宜しければ、異邦人である私の才をそこまで買っていただける理由をお教え頂けませんか」
半ば興味に近い疑問だった。ほとんど世界を征服したとも言えるレウケ王だが、力こそあれど彼はただの人間に過ぎない。
自身で謀反の可能性を提示しながら、反逆者でないと証明できない他者とふたりきりになる選択が出来る理由を、魔導師は知りたかった。
「今のクドラシアの形しか知らない異界人が、牙も毛皮も持たずとも生きられる無辜の民に手を貸す必要はなかろう」
王は事も無げにそう答えた。その質問は彼にとっては何も特別なものではないようだった。
イ・シェドは夢魔じみて蠱惑的に、にやりと愉しげな笑みを浮かべた。
「……私が異界の者であることをご存知でしたか」
「お前の名もそうだが……その杖の意匠は、クドラシアでは過去に例がない。そもそも、異界人は珍しくないのでな」
王の回答はあっさりしたものだった。異邦の魔導師は
レウケ以外の国々はレウケの武力を恐れてこそいるが、現在は一方的に搾取されたり──あくまで人員は勧誘に過ぎない──攻撃を受けている訳ではない。圧倒的な力が中心にあることを前提にはしているが、世界には温い平和が蔓延している。
正義感が極度に歪んでいない限りは、それこそ征服でもなければ異界人は敢えて現状を変えようとはしないだろう。今クドラシアの民が望むのは平穏だけなのだ。
「では、私が首謀者──外世界からの侵略者だ、とはお思いでないと」
イ・シェドが追ってそう聞くと、王は数秒考え込み、また話し始めた。
「数十年後の叛逆の為に兵卒に紛れる支配者は歴史上少なくないが、それは不可能な征服を可能にする為の足掛かりを作る為だ」
彼は、この魔導師を初めて城の謁見の間に招いた時のことを忘れる事はなかった。実力を示す為の模擬戦を命じたところ、魔導師は杖のひと振りで歴戦の近衛を次々と打倒したのだ。
兵士たちが互いの健闘と新しい仲間の勇姿を称え合う後ろで、レウケ王と魔術院の長だけは魔導師の残した魔法の残滓に戦慄していた。
彼の能力は、人間ひとりが持ち得るものには収まらない。まるで
「お前の力は、そんな遠回りを必要としない。やろうと思えば、初めにこの国を訪れたあの日にでも城下を水底に沈められただろう。こんな問答をするまでもなく、この部屋を吹き飛ばせるだろう」
つまるところ、彼は魔導師に恐れに近い感情を抱いており、それが振るわれることがないのであれば──と、逆説的な信頼を置いているのだった。
魔術院長は「手元に置くのは危険だ」と忠告したが、しかし、大国レウケの国王としては、これだけの強大な力を手放すのはあまりに惜しかったのだ。
「支配とは結局、恐怖でしかないのだよ、イ・シェド。お前の主として、お前がレウケを選んだことを疑う理由は無い。今の所はな」
王は乾いた笑い声を上げる。それを見て、魔導師もまた穏やかに微笑んだ。
「寛大なお言葉に感謝致します、王よ」彼は恭しく頭を下げて忠誠の言葉を口にする。「改めて、此度の命は私にどうかお任せを」
魔導師の金色の瞳が主を凝視する。
暗い影に覆われたそれと目が合う度に、王は彼にどこか人間離れした──人間の形をした何か別なもののような──印象を抱くようになっていた。
「……話は終わりだ。もう下がれ」
王は重い調子で話を切り上げ、それきり腕を組んで黙り込んだ。言う必要のあることは全て言った筈だし、実際もうすっかり疲れ切っていた。
視界の中に居る魔導師は規律正しく直立し、誇り高く杖を握っている。その姿は異邦の香りこそすれど、ただの人間に違いない。
「畏まりました。失礼致します」
イ・シェドは最後に軽く会釈をしてそう言うと、使用人のように姿勢良く早足で執務室から去っていった。
異邦の魔導師が去ってしばらくしても、レウケ王は神前にいるかのような張り詰めた気持ちのまま扉を凝視していた。
やがて、魔導師が立っていた場所にケープから抜け落ちたであろうフェザーが落ちているのを見た時に、彼は何故か妙な胸騒ぎを覚えて窓の外に目をやった。
気持ちとは裏腹に、外は澄んだ青空だった。
────そして。
「謀反、ねぇ……」
部屋の外で不安げに立ち聞きをしていた親衛隊の横を通り過ぎた時、魔導師は喜怒哀楽もなく今晩の夕飯のことばかり考えていた──