残滓のうち、ひとつ   作:花見饅頭@クー

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 眩しかった盛夏はとうに過去に押し流され、時間は無情に過ぎ去っていく。カレンダーに刻まれたカウントダウンが着々とすり減っていく。

 静まり返った街の中に、ひそひそ声の噂話だけが害獣のように走り抜ける。冷たい風が悪い言葉の追い風になり、不穏な雰囲気は着々と人々の間に満ちていった。

 

──レウケ城下、住宅街のうちの一棟。オルランドは魔術院を離れ、実家に戻っていた。

 

 両親は院の出ではあるが、働いているのは民間の魔術の研究施設だ。早朝には出掛け、深夜に戻ってくる。その間、オルランドはテキストを適当に捲ったり、使えもしない杖を振り回したりと、やけっぱちの自作カリキュラムを実践して毎日の不安を紛らわしていた。

 

 何故彼がこんなことをする必要があるのかは最早言うまでもない。魔術院は閉鎖されたのだ。

 政府上層によって秘密裏の調査が行われる中、"神隠し"は尚も起こり続けた。魔術院は最早、正常なカリキュラムを運用できるだけの人員を持たなかった。

 教育機関としてどころか組織としての存続すら危うくなった魔術院はやむを得ずその機能を一旦閉じ、行き場を失った生徒たちは事態の収束まで自宅待機を命じられたのである。

 

「先生……」

 

 オルランドはカレンダーに目を向ける。魔術師資格試験の当日まで、予定通りならあとひと月と少し程しか時間がない。

 しかしながら、まともに試験が行われると思っている生徒はほぼいなかった。ともすれば再試はおろか授業の再開すらも危うい。院そのものの継続さえ怪しいものだ。

 

 院の閉鎖は大々的に報じられたが、国全体に立ち込める空気のせいか、ゴシップ誌ですらそれを話の種にすることを避けていた。薄々、皆この異常事態が国を脅かすものだと勘付き始めているのだろう。

 結局、未熟なオルランドに出来ることと言えば、ただこうして結果の見えない修練に日々を費やしながら師の安寧を願うことだけだった。

 

「俺、これからどうすれば──」

「オルランド、元気ですか」

「ぎゃああッ!!?」オルランドは叫んだ拍子に椅子から転げ落ちて頭を打ち、師の前で数秒ほど、惨めに何やら喚きながら床を転げ回った。

 

──窓をコツコツ叩く音と共に聞こえた声は、彼がずっと案じ続けていた師その人だった。何の連絡もせず、家に入る訳でもなく、こんな不意打ちでやってくるとは(無理もないが)思いもしていなかったのだが。

 

「せ──先生!? なんでここに……俺、家教えたっけ?」

「まあ、そのあたりは調べればすぐに。一応、教師なので」

 

 イ・シェドは表情すら変えずに平然とした様で言うが、一般人のオルランドは未だに心臓をどきどきさせている。

 彼は突然の訪問への驚きや自分の相変わらずの至らなさを見られたこと、しれっと2()()()()()()()()()()()()()()ことよりも、ただ敬愛する師が生きて自分に会いに来てくれたことの喜びに胸を躍らせていた。

 

「……無事だったんだ、先生……よかった……」

 

 窓を開けて改めて師と向き合ったその時、彼は思わず感極まって呟いた。

 鼻先をじんわり赤くしたその顔がおかしかったのか、イ・シェドはくすりとする。

 

「おやおや……そんな、生き別れの妻じゃないんですから」

「いや、そこまでは言ってねぇよ!?」

 

 軽口を叩いて笑い合っていた──決して長い期間ではなかった筈の──頃が、生徒には何故か産着ほどの遠い過去に感じられていた。

 彼の意識の中でだけは、陰鬱な空気は去っていた。これまでに起きた全ては何かの間違いで、また何事もなかったかのように暫くすれば全てが元に戻るのではないかと()()()()()()なほどだった。

 

「先生、取り敢えずさ、ちょっと上がってってくれよ! 立ちっぱなしなのも悪いし──」

「オルランド」生徒の言葉を遮り、師は厳かに言った。「ごめんなさい。今日はお喋りに来たわけではないのです」

 

 師の只事でない様子にオルランドははっとして口を噤み、少し後ずさる。

 

 暫くイ・シェドはしんと黙っていたが、やがて体を少し屈めて生徒の顔を覗き込み、静かに話し始めた。

 

「私はまた旅に戻ることにしました。院がああなってしまった以上、ここにいても仕方がないですから」

「旅に戻る……?」

 

 オルランドは意味が分からない、といった様子で師の言葉を繰り返す。

 彼は数秒潜考し、思わず鼻先がつんとするのを感じて息を呑み、そしてふるふると首を振った。

 

「先生……行っちゃうのか……?」

 

 震える声でオルランドは尋ねる。

 師は困った様に微笑み、見習い魔術師の頭を優しく撫でた。

 

「魔術師として活躍する君の姿を見られないのは残念ですが、私にも目的がありますので。ここでそれを果たせるかと思っていたのですけれどね……」

 

 イ・シェドは心の底から無念の滲むような、悲しげな声で言う。それを聞くと生徒はまた一層胸が締め付けられたような気になって、何度もぎゅっと目を瞑った。

 

「明後日にはここを発つ予定です。その時には、また君の所に立ち寄らせてもらいますね」

「明後日って、そんな急に……」

 

 先程までの明るい気持ちはすっかり萎んでしまったようで、オルランドはあからさまに気を落としている。

 彼は愛する師を見送る準備さえろくにできないことに酷く落ち込んだ。「魔術師資格の取得を祝ってもらう」というかねてからの夢は叶うどころか、その試験を受けることすらままならないのだから。

 

「どうしても行かなきゃ駄目なのか?」

 

 彼は縋るように尋ねたが、やはり師は儚く頷いた。

 

「これは私という存在に課せられた命題なのです。証明の時まで、私に真の安寧は訪れない」

 

 イ・シェドはそう言い、手の中にやはり確りと持っていた杖を胸元に抱いた──杖の小傷や欠けを直した無数の跡が、彼が持つ誇りの貴さを示している。

 

 彼が元は旅人であったことを、生徒は思い出した。魔導師がオルランドの師であれたのは、つまるところ利害の一致でしかない。

 慈悲ないことだが、それを思うとオルランドは師を引き止める気持ちではいられなくなった。

 

「せ……先生、俺も──」着いて行きたい、とオルランドは口走りかけ、寸での所で留まった。師の事情なんてこれまで考えたことがなかったのに、今更それを言い出すのはおこがましく思えたのだ。

 

「……オルランド、どうかしましたか?」

「い、いや……」疑問符を浮かべた師にそう尋ねられ、生徒は慌てて付け加える。「旅に……出ても、また会いに来てくれたり、するのかなって……」

 

 彼はもう殆ど泣き出しながら、それでも溢れ出した涙を俯いて誤魔化した──窓枠に広がる水溜りだけは隠せていなかったが。

 

 イ・シェドはそれを見、何を言うでもなくただ柔らかな微笑を作ると、上体を屋根の下に乗り込ませて少年の肩を優しく抱いた。

 

「せんせ……」オルランドは掠れた声を漏らす。「会いに来てくれるんだよな……」

 

 師は生徒の涙やら何やらで肩口が濡れるのをまるで気にしない様子だった。彼はくすぐったそうにくすりと小さく笑い、抱きとめたそれを保護者のようにそっと無でる。

 

「そうですね。君がそう言うならまたいつか会いに来ますよ」

「いつかって……」

 異邦の魔導師がその端正な顔に慈悲深い笑みを浮かべている様を、オルランドはもう堪える間もなくぽろぽろ涙を溢しながら、熱っぽくじっと見つめた。

 

「泣かないで、オルランド」イ・シェドはケープの端で生徒の顔を拭い、その耳元に囁く。「次会った時に、ちゃんとお伝えしますから」

 

 少年は折角拭ってもらった涙をまたすぐに滲ませながら、こくんと一度大きく頷いた。

「わか──分かった。ぜ、絶対だからな……」

「私、こう見えても嘘は吐きませんもの。約束ですよ」

 

 しゃくりあげて言う生徒に、師は愛おしいものを見る目で笑い掛ける。丁寧に織られたフェザーが縒れるのも厭わず、彼は何度も教え子の顔を拭っていた。

 

 傾き出した日がその造りものめいた顔に濃い影を塗り始めても、オルランドの目には敬愛する師の輝きが有り続けた。この淡い夕刻の永遠が約束されるなら、今の彼は何だってしただろう。

 数える程もいない僅かな往来が屋根の上で窓越しに住民と話す男の姿を見ては怪訝な目をしていたが、そんなことは見習い魔術師には何の関係もないのだった。

 

「あ──そう言えば」

 

 不意にイ・シェドは生徒の服の乱れを整える手を止め、思い出したかのように声を上げた。

 

「……伝え忘れる所でした」少し考え込んだ後、彼は情緒なく切り出した。「オルランド、しばらく外に出るのを控えてほしいのですけれど」

 

 襟元を掴まれたまま、オルランドは赤くなった目をぱちぱちさせる。

 

「……外にって、なんで? 何かやるのか?」

「うぅん……王からのお達しでして。詳細は知らないのですが、城下に行くならば出会った者に伝えておいてくれと」

 

 イ・シェドは改めて生徒の着衣をきちんと正してやると、自分で言った言葉に自分で首を傾げながらそう言った。

 

「命令なら……従うけど……なんの為に」

 

 オルランドは乾きかけの涙の跡を擦りながら尋ねたが、師は同じく真意を掴みかねる様子で首を振った。

 

「理由はともかく、随分切羽詰まったご様子でしたから……ご家族の方にもお伝えしておいてください」

 

 困惑して頷くオルランドを横目に、魔導師は目線をレウケ王城に向ける。見るからに年若い兵卒たちが慌ただしく城門から散っていくのを、金色の瞳が確かにじっと見ていた──

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