アヘル……。
では、本編どぞー。
アベルは昨日応接間の扉までは平気だったことを思い出し、玄関扉を勢いよく開け放った。
そうして、一歩――。
……ルドマンの屋敷へと足を踏み入れる。
ルドマンの屋敷に入った途端……、
“アベルっ……!”
……遠くで自分の名前を呼ぶ女性の声が聞こえた気がした。
「…………あ、れ?」
アベルは後ろを振り返るが、開いた扉の外には誰もいない。
今の今まで誰かが後ろにいた気がしたが、気のせいだったのだろうか……。
……考えてみたが、なにも思い出せなかった。
だが、なんだか妙になにかが引っ掛かる。
「おはようございますアベルさま。皆さんお待ちかねです。さあ どうぞこちらへ」
不意にアベルを待ち構えていたのであろう、いつも出迎えてくれる若い召使女性ではなく、中年の召使女性に声を掛けられ、アベルは応接間へと案内された。
召使女性はアベルを案内する途中、開いた玄関扉が気になるのかチラチラとそちらを見ていたが、その表情は無表情。
アベルを応接間のルドマンの目の前まで連れて来ると、今し方通ってきた扉まで戻って、玄関ホール――いや、玄関扉が気になるのかチラチラしながら扉を閉じた。
「……?」
妙な動きを見せる召使女性に、なにが気になったのだろうか……と、アベルはこの屋敷に入ってから、なにか頭に引っ掛かる違和感を感じはしているものの、彼はそのままテーブルを挟んで正面向かい側にいるルドマン、テーブル左側にいるフローラ、右側にいるビアンカを見回した。
……三者とも、やって来たアベルの視線に気が付き、それぞれ目を合わせる。
ルドマンは「来たな」と気の良い貴族の顔だ。
フローラはアベルと目を合わせると気恥ずかしそうに静かに瞬きをし、ビアンカはアベルと目を合わせると気まずそうに目を逸らした。
アベルが最後にもう一度ルドマンに視線を戻すと、ルドマン、彼が口を開く。
「さてアベル。フローラとビアンカさんのどちらと結婚したいかよく考えたかね?」
「あ……」
――昨日……僕は悩みに悩んだ。
フローラさんとビアンカ、どちらと結婚するか……。
(って、あれ……? そうだったっけ……?)
ルドマンに問われ、アベルは返事をしようとしたのだが、なにかおかしい。
昨夜、二人のことで自分は悩んだのだろうか――、いまいち確信が持てなかった。
なぜなら二人の内どちらがいいと、判断が未だついていない。
……アベルが無言だったためか、ルドマンの眉間に皺が寄っている。
「なんと! ろくに考えずに決めてしまうとは軽はずみなやつだ。まあ自分の気持ちは自分でも分かりにくいものだからな。それもよかろう」
アベルの無言を否定と捉えたのだろう、ルドマンは苦笑いを浮かべながらそれでもいいと許してくれた。
「あ、あの僕は……」
――二人の間で悩んだことなど一度もない気がする……。
だが、自分は
それが
だが、昨日も同じようにずっと
アベルは「もう少し考えさせてください」……そう口にしようとしたのだが、ルドマンの進行はそれより早く――。
「では約束通り結婚相手を選んでもらおう! フローラとビアンカさんのどちらか本当に好きな方にプロポーズするのだ」
フローラと、ビアンカ。二人に順に手を差し向け、アベルにプロポーズを促した。
「っ……」
――どうする……!?
アベルは息を呑む。
急にどちらかをと言われても、アベルの心にフローラもビアンカもピンと来ない。
……どうしてなのだろうか。
確かに自分はフローラのために危険を冒し【炎のリング】を手に入れ、ビアンカとともに【水のリング】も手に入れたはず。
だが、そのどちらの指輪にも、もう一人――誰かが関わっていた気がするのだが……。
(誰だろう……?)
アベルが立ち尽くしていると、ルドマンが今か今かとアベルがどちらに声を掛けるのか待っている。
……アベルは心の違和感に従い、ルドマンに訊ねてみることにした。
「あの、ルドマンさん……僕」
「なんとこの私が好きと申すか!? そ、それはいかん! もう1度考えてみなさい」
アベルに声を掛けられたルドマンはまさか自分に声を掛けられるとは思っていなかったのだろう。なぜか頬を赤く染めて首を左右に振った。
「えぇ……? いや、そうじゃなくてですね……」
――ルドマンさん……その手、
ルドマンはアベルから気まずそうに目を逸らし、赤い頬のまま自らの人差し指同士をいじいじ。
満更でもなかったようだ……。
……アベルの背中を薄ら寒い震えが過ぎった。
「……はぁ」
――ルドマンさんに訊いてもわからないみたいだな……、じゃあ二人に訊いてみるか……。
アベルはため息を一つ。
結婚するならまず、二人の気持ちも訊いてみなければ……と、まずはフローラに話を訊くことにした。
アベルがフローラの前に立つと、反対側に立つビアンカがちらと様子を見ている。
その瞳が悲し気だ……。
……アベルは僅かに罪悪感を覚えた。
「フローラさん、僕は――」
「まあ アベルさん。私は守ってもらうことしかできない女ですのよ。それでも私を選んで下さるの?」
アベルの話を遮るように、フローラはプロポーズされたものだと思い胸の前で手を組み不安気な瞳でアベルを見上げてくる。
「あ、いえ、そうじゃなくて。訊き――」
「……そうですよね。ビアンカさんならきっとあなたの ちからになって下さいますわ」
“訊きたいことがあるんです”……そう続けようとしたアベルだったが、フローラはそれだけ言うと、目を伏せ俯いてしまった。
(……話を訊いてくれない感じだな……。)
アベルは参ったなと頭の後ろを掻き掻き、今度はビアンカに訊ねることにする。
「ビアンカ。ねえ、僕 君に――」
「まあアベル。こんな私でいいの? フローラさんみたいに女らしくないのに」
ビアンカもフローラ同様、プロポーズされたものだと訊き返してくる。
「あ……えっと……」
「……そうよね。やっぱりフローラさんの方がふさわしいよね」
アベルのはっきりしない答えに、ビアンカもしょんぼり顔で目を伏せた。
(……なぜだビアンカ。君ならわかるはずだよね……!?)
目の前のビアンカの態度に、益々アベルの違和感が大きくなる。
……なぜかはわからないが、ビアンカの態度がおかしいのだ。
「っ、ビアンカ! なんかおかしくないかい!?」
アベルは思い切ってビアンカの両肩を掴み、大きな声を上げた。
「…………」
……ビアンカは無言だ。
その時だった――。
「…………あ」
アベルはビアンカの右肩に置いた自己の左手に丁度目がいく。
その手にはハンカチが巻かれていて、自分の名前……いや、間違っているのだが、それが記されているのを見つけた。
「アヘル……っ……う……!」
――頭がっっ……!!
アベルは急な頭痛に襲われ頭を抱える。
かつてないほど――頭が割れてしまうのではないかという痛みに、アベルの膝はその場に崩れ落ちた。
だが、ビアンカも、フローラも、ルドマンも。誰一人としてアベルに駆け寄る様子はない。
「っぅ! ……こ、これ……っ!」
ズキン、ズキン……と頭に通う血管を強く波立たせるような痛みを抱え、アベルは左手を頭から離して眺める。
ハンカチに書かれている文字は――“アヘル”
『あっ、ごめん、一本足らなかった!? やだ、私ってば……!』
アベルの脳裏には羽ペンを片手に、修正しようとする愛らしい小さな天使の女の子の姿が浮かんだ。
主人公がリュカの場合はリカと書いてたんだろうな……。
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読了お疲れ様でした、そして読んでいただきありがとうございました!