冷えた体には温泉が効く!
では、本編ど~ぞ~。
「あぁ~~……いい湯だなぁ……」
気付けばアベルは屋内の大浴場に浸かっていた。
初めての大浴場……。
今まで渡り歩いた世界で、一度も経験したことのない広い湯船である。
ひょっとしたら、アリアが存在した別世界にもあったのかもしれないが、思い出せないから、これは初めてと言っていい。
大浴場には大きなガラス窓があり、外は嵐だが、窓一枚隔てたこちらは極楽。ピエールも、プックルも、スラりんも、皆リラックスモードで温泉の心地良さを満喫していた。
「温泉は良いものですね……ほぅ……」
ピエールが外を眺めながら一息吐いている。風呂嫌いのピエールも温泉は別らしい。
ところで兜に水滴が浮いているが、中は蒸れないのだろうか……。
「はははピエール、息苦しくないのかい?」
「ははは。慣れておりますゆえ、問題ありませんよ。ふー、暑い暑い」
「ふーん」
――暑いなら兜を外せばいいのに……。
アベルは指摘したが、ピエールは兜を外す気は無いらしい。
未だピエールの素顔は謎のままである。
彼はいつか素顔を見せてくれるのだろうか。
……この世界は別世界と違って謎が多い。
だが、初めてのことが多くて飽きなくていい――。
アベルは目元を緩めて口を開いた。
「スラりん、湯船で泳いじゃいけないよ。プックルみたく大人しく浸かってね」
「ピキー! 了解しましたっ……!」
アベルは広い湯船に湯
「グルルルル……(あぁ~……生き返る~~、寒くて死ぬかと思った……)」
プックルは顎を湯船の縁に乗せうっとりしていた。
……仲魔たちみんな、温泉が大好きだ。
「お湯はどうですか? こちら最近完成したばかりで、実はお客様が一番乗りなんですよ」
青年の声がアベルの背後から聞こえる。
アベルの服を乾かし、彼も浸かりに来たようだ。
……彼はかけ湯をしてから湯船に浸かった。
「いいお湯ですね。村の温泉もいいけど、こちらもなかなか」
「そうでしょう、そうでしょう。代表が拘って作っていますから」
アベルが頷き答えると、青年は嬉しそうに目を細める。
「……そうですか……」
――代表って……、ビアンカかおかみさんのどちらかなんだな……。
青年の笑顔を見るに、アベルはこのスパの代表者はビアンカな気がした。
……自分の与り知らないところで、目の前の彼とビアンカは愛を育んでいる……。
アベルの胸がちくちく痛むがビアンカが幸せなら、それでいい。
この世界では、彼がビアンカの結婚相手なのだ。
「…………」
――これでいい、これでいいのに……。
アベルは黙り込んでしまった。
「……ああ、そうだ。そろそろ服も乾いていると思います。風も多少弱くなって来ましたし、お風呂から上がったら宿屋に行きませんか?」
なにも知らない青年が窓の外を見て、アベルを宿屋へ誘う。
青年の言うように、外の風雨はよろず屋を出てすぐの頃よりは、ましになった気がした。
これなら、外に出れば多少濡れてしまうのは仕方ないが、ターバンとマントでどうにか凌げるだろう。
「あ……はい……、けど僕、そろそろ戻らないと」
「この雨の中を?」
「ええ……まあ」
「あぁ、明日は結婚式……! 酒場で温かいものでもと思ったのですが、お引き留めしてもご迷惑でしたね。すみません、そんな大事な時にお手伝いを頼んでしまって」
青年はアベルに夕飯をご馳走しようと思っていたのだが、アベルの浮かない顔に、明日が結婚式だと思い出し頭を下げた。
「あっ、いやっ、別にもう済んだことですから……!」
――まあ、僕不在で結婚式を敢行するとは思えないから、一泊しても大丈夫な気もするけどね……。
アベルは頭を下げる青年に両手を振り振り、頭も振り振り。
経緯はどうであれ、ビアンカの夢を守ることができたのは良かった。
表立って名乗ることはしないが、幼なじみ……友達として、彼女の役に立てて満足している。
と、アベルは名乗らず立ち去るつもりだったのだが――。
「……あの、お客様のお名前はなんとおっしゃるんですか……?」
“ザバァァッ!!”
不意にアベルは勢いよく立ち上がった。
「…………ぼ、僕もう上がりますね! 逆上せそうなんで!」
青年に名を訊かれてしまい、アベルは聞こえなかった体で湯船から脱出する。
……ピエール達も後ろに続く。
「え、あの、お名前を……」
「ではお先に……!」
軽く手を挙げ、青年に挨拶してアベルは大浴場を後にした。
ピエール、スラりん、最後尾にはプックルがひたひたと洗い場を歩いて行く。
そしてプックルは青年の前まで来ると、立ち止まった。
「がう(ビアンカの匂いを纏う者よ、良いお湯だったぞ。生き返ったわ)」
「あっ……」
……べろん。
ざらついた舌が青年の頬を一舐めすると、青年は驚きに目を見開く。
それからプックルは扉の前で全身を震わせ脱水、器用に扉を開け大浴場から出て行った。
◇
……アベルが大浴場から出て乾いた服に着替えていると、入口の扉が勢いよく開かれる。
「無事かい!? って……あれ? アベル坊ちゃん??」
「あ、おかみさん……?」
足に布を巻き付けているアベルの目の前に現れたのは、ビアンカの母親――。
ダンカンのおかみ、レナータであった。
「なんで坊ちゃんがここに?」
「あ、えと……?」
――こちらこそ、なんでおかみさんが……?
いや……そうか、ここの共同経営者だったっけ。
アベルはおかみの登場に始めは面食らったが、納得した。
雨脚が少し弱まり、施設が心配で見に来たのだろう。
「そうだ、あの子はどうしたんだい?」
「あの子って……、ひょっとして宿屋の息子さんのことですか……?」
おかみが誰かをさがすように辺りを見回すので、アベルは訊ねてみた。
「そうそう。ビアンカの旦那だよ」
「ぅ……旦那って言い方……」
あっさりとおかみが宿屋の息子を“ビアンカの旦那”と告げるので、アベルは胸元をぎゅっと掴む。
――まだ結婚してないんだから、婚約者と言って欲しかった……。
アベルにはビアンカの結婚をとやかく言う資格はない。
……だが、別世界の自分達の意識に引っ張られ、胸が勝手に痛むのだ。
「ん? どうかしたのかい?」
「ぃぇ……、彼なら今温泉で冷えた身体を温めてますよ。僕は彼の手伝いでここに来ました」
――僕にはアリアがいるんだ、ビアンカが幸せならそれでいいだろ……!
アベルはちくちくする胸の痛みに、何度も何度も自らに言い聞かせる。
別世界の自分達が納得していなくても、そちらの感情に呑まれるわけにはいかない。
「そうだったのかい!? そうかいそうかい。そういえばアベル坊ちゃんには昔も世話になったね、ありがとうねえ! お礼をしなきゃね」
アベルがここにいる理由を聞くと、おかみは満面の笑みを浮かべた。
アベル君、葛藤してますなw
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読了お疲れ様でした、そして読んでいただきありがとうございました!