小さな鞄がね……。
では、本編どぞ。
……少し経つと、マザーが袋のようなものを片手にアベルの元へ戻って来る。
「これは……」
マザーの手には小さな赤茶に薄汚れた鞄――。
元々の色はどうだったのだろうか……、子ども用のものらしい。
……だがその形。アベルはどこかで見たことがある気がした。
「洗ったのですが、少々汚れが残っています。なにせ、当時この鞄も血塗れだったもので」
「血塗れっ……っ、これ、ひょっとして……」
「ええ。幼い頃、アリアが使っていた鞄ですわ」
「アリアの……!」
マザーがアベルの手に鞄をのせる。
両手の平より少し大きいくらいの大きさの鞄は、幼い頃アリアが腰にぶら下げていたものだ。
その鞄から彼女は風邪薬を取り出し、当時風邪を引いたパパスに与え、全快させている。薬の残りはビアンカに譲り、ダンカンのおかみが患ったとされる悪性の風邪をも快復させた。
「中には小さな丸いレンズのようなものが二つ付いた黒いガラスのような素材が嵌め込まれた長方形の板と、インクに浸けなくても書ける不思議なペン……、それからハンカチと変わった形の薄い紙。見慣れないコインの入ったお財布らしき入れ物……」
マザーが鞄の口を開き中身を見せ、一つ一つ説明してくれる。
ガラス素材が嵌め込まれた少し厚みのある板は、片手で持てる大きさのもので、何に使うのかよくわからない。
ペンもぱっと見羽根ペンとは違い太さがあり、これがペン……? と首を傾げたくなる。
薄い紙は柔らかく、鼻をかむのに丁度良さそうだ。
財布と思しき入れ物は長方形のもの。
……ハンカチ以外はどれもこれも見慣れないものばかり。
「っ……なぜアリアに返さなかったんですか?」
――これって……??
アベルは中身を見ながらマザーに訊ねた。
ところが、マザーの返事は思っていたものではなく――。
「……実は、これを探しに来た人物がいます」
「え」
「修道院の屋根が吹き飛んだ夜、皆はなぜか眠っていて知りませんが、私は見ました。あの夜、屋根を吹き飛ばしたのはアリアそっくりの女性でした」
「なっ……」
――アリアの偽者……!?
マザーの話にアベルは目を大きく見開いた。
「アリアにそっくりだけれど、彼女の瞳は赤く、表情は冷たく凍り付いていて……。私はまさかあの子がそんなことするはずないと思ったのですが……上空から彼女が修道院を見下ろして呟いていたのです――」
“……鞄はどこだ”、と。
「鞄……」
アベルは眉を寄せ黙り込む。
「始めはなんの鞄のことか、私にもわからなかったのです。ですが、先日特別室を大掃除したところ、アリアの昔の鞄が出てきて……。ひょっとしたらその鞄のことを言っていたのかと思いましてね」
「……確かに不思議なものばかり入ってますね……」
……マザーの顔は真剣そのものだ。
アベルが羽ペンに似ているが、羽の付いていない丸い筒状の棒を握り、掲げる。
ガラスともちがう透き通る筒状の素材の中に、インクらしきものが詰まった細長い管が入っていた。
――インクに浸けなくても書けるペンか……。
不思議だな……と鞄の中身に触れながら、アベルはマザーの話に耳を傾け続ける。
「ええ、そうなのです。以前アリアにも鞄を見せたのですが、憶えていないから要らないと言っていてそのままに……」
「それって記憶が戻る前ですか?」
話を聞くアベルの手には財布らしき入れ物――。
入れ物の中には、見たことのない模様に素材の違う数字の書かれたコインが複数と、“10000”の数字が記された渋い顔の男が描かれた長方形の紙が三枚。
それに、不思議な素材のカードが何枚か入っていて、文字が書かれているが何が書いてあるのかは読めない。
そのカードの中には顔写真付きのものもあったが、顔がぼやけてしまっていてはっきりしなかった。
「ええ。それ以降すっかり忘れていて奥の方にしまっていたみたいで。だから今のアリアならわかるかもしれないと思いましてね」
「…………」
――この中身……もしかしてアリアの前世の……?
前世……なのだろうか。
もしかして彼女は突然異世界からこの世界に呼ばれ、やって来たのではないだろうか。
いや、でも彼女は自分と一つ違いで、十一年前は確かに子どもだったし、前世は大人だったと聞いている。
……アベルの脳裏に彼女の謎が次々と浮かんでくる。
思えば、アリアは謎の存在――。
いまさら異世界から召喚されてきたと云っても不思議はないが、それならばこの世界の呪文が使えるのは謎である。
しかも、アベルの知る別世界にも存在していたことだってあるのだ。
(考えれば考えるほど、アリアの正体がわからなくなるな……。)
――でも……、……ま、いっか! アリア可愛いし。
アベルはアリアの正体を考察してみたが、考えるのをすぐに止めた。
可愛い自分の妻が何者であろうと、今となっては些末なこと――。
折りに触れて彼女の正体がわかり、あの謎の人物の望みを叶えても問題なしだとわかればそれで良い。
……アベルは思案しつつ、マザーの話の続きを待った。
「あの夜の女性はアリアではなかった。本物のアリアはあなたと一緒に旅をしていて、後日一緒にここを訪れたのだから」
「なぜ僕にそんな話を……?」
「あなたはあの子の伴侶です。アリアは問題を抱えると独りでなんとかしようとする。この鞄の中身のどれを、あの人物が求めていたのかはわかりません。それ以降接触もないので、鞄はもう不要なのかもしれませんわ」
「……鞄か……」
マザーはアリアの性格を熟知している。
確かにアリアは問題に直面すると、自分でどうにかしようとする傾向が強い。もし今の話をアリアだけにしていたとしたら、彼女はアベルに隠してしまっただろう。
結婚し、アベルがアリアの伴侶となったからこそ、マザーは打ち明けてくれたのだ。
……アベルは手にした鞄の中身を元に戻した。
「……これは私の勘でしかないのだけど……、あの子は恐らく誰かに追われている。アベル、結婚して早々こんなことを言うのは酷かもしれない。けれど、あの子を守ってあげて欲しいのです」
「マザー……」
――元冒険者の勘かな……?
アベルはマザーに感心する。
……マザーの勘は確かに当たっていた。
アリアは得体の知れない人物に付き纏われていたのだから。
修道院に現れたアリアの偽者は、もしかしてあの謎の人物なのではなかろうか。
いや、そうに違いない。
そうアベルが思い至っている間に、マザーの目が細められる。
「あなたなら、安心してあの子を任せられる」
「……その鞄、僕が預かっていていいですか?」
「…………ええ、アリアにこの話と、鞄を返すかはあなたの判断に任せます」
マザーの許可を得て、アベルはアリアの鞄を【ふくろ】に仕舞った。
「はい。……マザー」
「はい、なんでしょう?」
「アリアは僕がずっと守るので安心して下さい。それと……多分、その人物はもうアリアを追うことはないと思います」
「? そう……ですか?」
「はい、彼女が困るようなことはもうないかと」
――いつかは、あいつと直面しなきゃならなくなるかもしれないけど……。
あの人物が言うに、アリアが殺されるということはないらしいし、もしそうなったとしても戦って彼女を守れば済む。
アベルはマザーにはっきりと宣言し、アリアを守って行こうと心に誓った。
「? ……よくはわかりませんが、あなたが言うとそんな気がするから不思議です。アベル、あなたにはあなたの使命もあるでしょう。くれぐれも無茶はしないで下さいね」
「はい、アリアは僕に任せて下さい」
「よかった……、あなたのような良い人と巡り会えて、アリアは幸せ者ね」
マザーはやっと肩の荷が下りたようにほっとした顔を見せる。
「幸せ……、っ、……に、します……絶対っ! 僕の一生を懸けてでも……!!」
マザーの言葉にアベルは息を詰まらせていた。
自分が望んだせいで、アリアを不幸にしてしまうかもしれない。未来を変えようとする度、そのとばっちりを食うのはなぜかいつも彼女だから。
……それでもアベルはアリアと一緒にいたい。
「さあ、アベル、花嫁の元へ戻りなさい。あなた達の旅の無事を祈っていますよ」
「はい……」
こうしてアベルはマザーを始め、久しぶりに会った修道院のシスター達に見送られアリアのいるカジノ船へと戻るのだった。
アリアは転生したのか、憑依したのか、はたまた転移したのか。
それが判明するのは大分先になりそうです。
鞄の中身は……なんでしょうね。
アベルがアリアに渡せば判明するんでしょうけど。
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