月輪輪廻   作:六眼(目の数)

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 現代日本において、しかしどれだけ科学力が進んでも秘境と称されるような場所は存在する。

 

 

「あんのクソアマァアアアッ!!」

 

 

 深い森の中で絶叫、響く。しかし、直ぐに生い茂った枝葉に音が吸われてそれ以上広がることは無い。

 

 叫ぶのは朔月乾司。森の中を駆ける彼は、しかし今は奇妙な風体となっていた。

 両腕を体の後ろで纏めて縛られ、更に上半身を腕ごと巻き込む様にして三重の注連縄でこれまた縛られているのだから。

 真面に動かせるのは、足とそれから首から上のもの。

 そんな不格好な彼の背後より追いかけてくるのは、苔むしたヒグマのような見た目の六本足の化物。五メートルは超えている巨体でありながら、木々の間を駆け抜けるその姿は、引っかかるような様子も無い。

 何故、こんな事になっているのか。

 何のことは無い。彼の期間限定の師匠となった九十九の無茶振りである。

 師匠になる事を買って出た彼女だが、だからと言って四六時中一緒に居られる訳ではない。任務には出ないが、彼女は彼女で忙しいのだから。

 しかし、鍛えると言った。であるのならば、どうするのか。

 幸いと言うべきか、或いは不幸と言うべきか、朔月乾司の基礎はある程度できている。呪力の扱いは素人同然だが、その体捌きとフィジカルの強さなど純粋な戦う人間としての準備は万端。

 であるのならば、次は発展。体術に関して。

 重点的に足を鍛える事になった。なったのだが、その過程で施されたのがこの拘束だ。

 この状態で、怪物(呪霊)を討伐する事。刀の使用は、不可。ただの蹴りでは呪霊は祓えず、呪力の感覚を自覚した上で運用しなければならない。

 

 呪力は、人の負の感情より発せられるエネルギー。呪術師は、僅かな感情の火種から呪力を捻出し、練り上げ扱っていく。これは、感情の爆発が呪力のロスに繋がったりすることを防ぐための訓練でもある。

 

 

「くっそ……!息も切れる!!」

 

 

 悪態を吐く朔月の呼吸は、少し違う。

 と言うのも、彼の中の鬼が九十九に対抗するように試練を課してきたのだ。

 全集中の呼吸・常中。技を出す時のみに絞っている呼吸を、眠っている時含めて常に行い、身体活性を行う。硬い瓢箪を息だけで破裂させる程度には、心肺機能の強さが必要になる、が体得できたのなら全身の血管一本一本に意識を割く事が出来、ある程度の血流操作に加えて、筋肉の収縮などの操作が可能になる。

 体得していなかったのは、偏に彼の体が出来上がっていなかったから。

 どれだけ夢の中で殺し合いに興じていようとも、現実の肉体にその強さがフィードバックされるわけではない。

 経験と実際の身体能力の隔たり。これが小さくなってきたからこその、次の段階。

 

 森を駆け抜けながら、朔月は考える。

 呼吸の成果か、まだまだ足が止まる気配はない。しかし、だからと言って逃げ続けて意味がある訳ではないのは明らか。

 

 

(どうする……!)

 

 

 思い出すのは、九十九の言葉。

 朔月は、誰かに教えを乞う事に抵抗はない。出来ないのだから、できる手本が目の前にあった方がイメージがしやすいからだ。

 口ではどうこう言いながらも、朔月は九十九の実力を認めている。故に、彼女の言葉だって、教えであるからと無下にはしない。

 

 

『君は既に、術式が使えている。つまり、無意識でも呪力には既に触れているんだ。後は、その呪力その物を自覚する事。なぁに、そこまで時間はかからないさ』

 

 

 この森に放り込まれる前に、九十九はそう言っていた。

 (虚哭神去)の呼び出しは、ほとんど無意識。ただ、来いと念じればその手に現れる。

 月の呼吸に関しても、見様見真似と言うのが大きい。散々切り殺されながら見続けてきたのだ。自然と馬鹿でも体に文字通り覚え込む。

 

 

「………………ああ、くそっ!」

 

 

 吐き捨てて、比較的開けた場所で地面を滑って止まった朔月は振り返る。

 迫ってくる熊のような顔面。

 

 

「ホォオオオ……」

 

 

 改めて、意識した呼吸をしながら朔月は思考を削ぎ落としていく。

 ごちゃごちゃと考えてはみたが、結局そんな雑多な思考の中に答えなど無いのだ。

 何故なら、彼の力の運用はいつだって最低限の思考の先にある。殆ど無意識。七面倒な深い思考など欠片も無い。

 

 だから、朔月は考える事を止めた。

 ただ只管に、シンプルに行く。

 

 

(呼吸、それから負の感情……ってのは、分かりにくいからとりあえず苛立ちで。こいつを込めて、蹴り飛ばす!)

 

 

 真っすぐ行って、蹴り飛ばす。朔月は突っ込んでくる熊に対して、真っ向から突っ込んだ。

 走力に関しては体格も相まって彼の方が上だ。それも、足場の悪い森の中を当ても無く駆け回るのではなく、目標が目の前にある状態で距離を詰めるだけならば、猶の事速い。

 まるで、黒い影。そんな状態で、熊へと接敵した朔月は、踏み込んだ左足を軸にして勢いよく体を捻りながら、遠心力を乗せた鞭のような蹴りが空を裂く。

 右斜め下から左斜め上へと振り抜かれる軌道であった蹴りは、見事熊の左顎骨にクリティカルヒット。その顎関節を破壊して余りある衝撃は、容易に体格に対してかなり小さい頭部を大きく跳ね上げた。

 だが、ここで終わりではない。

 蹴りの一撃で怪物の動きは完全に止まっている。それどころか跳ね上がった頭に引っ張られるようにして、前足が軽く浮き上がり、その左首筋を晒していた。

 隙だ。そして、朔月は隙を逃せない。

 振り抜かれた右ハイキック。その勢いを殺すことなく高い楕円を描いて戻ってきたところで、軸足の交代。蹴りの破壊力を、そのまま地面を踏みつける力へと変えて跳躍。

 飛び後ろ蹴り。その足刀が無防備な首筋へと抉り込まれていた。

 骨の砕ける音がする。ミチミチと肉の裂ける音が響き、濁った血が宛ら噴水のように噴き出して地面を汚した。

 首の骨がへし折れた怪物は、そのまま白目を剥くと横倒しに倒れて動かなくなる。

 既存の生物的な範疇に収まる筈のない怪物ではあるが、その耐久や馬力が際立っているだけで等級で表せば2級かそこら。

 何より、

 

 

「今のが、呪力……か?」

 

 

 何か力が乗った気がして、朔月は己の足へと視線を落とす。

 呪霊に致命傷を与えられたのだから、呪力が乗ったのだろうと判断する事は出来るが、しかし実感は薄い。

 もう二、三回数を熟せば、もう少しハッキリと掴めるかもしれないが。

 お誂え向きにも、この森には先ほど蹴り殺した熊と似たような呪霊が複数体存在していた。

 右の爪先で地面を数度小突いて、朔月は顔を上げる。

 死地こそ、飛躍の場。彼は喜んで、千尋の谷へと身を投げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思ったよりも早かった、かな」

 

 

 飛ばした式神の共有した目から確認した九十九は、そう呟いた。

 鍛えると言ったが、呪力の扱いが最低限出来なければそれも難しいというもの。かといって、じっくりとやるには一ヶ月という時間は短すぎる。

 だからこその、荒療治。それでももう少し時間がかかると九十九は見ていた。

 

 九十九から見て、朔月乾司は決してダイヤの原石ではなかった。持ち合わせる呪力の質や量、鍛えられた体などがあれども、それらが全く嚙み合っていなかったからだ。

 正に、ちぐはぐ。それぞれ独立して回る歯車が時折互いに擦れ合う様な、そんな噛み合わなさ。

 だからこそ、その歯車を彼女は噛み合わせてみたくなった。

 その第一歩が今まさに、成されようとしている。意識して運用する事と、無意識のうちに運用する事は、やはりその精度に大きな差を生む。

 今までの朔月は、言うなれば電気というものを知らずに、電化製品をただ便利だからという理由で使っていたにすぎない。

 便利ではある。あるが、同時に危険な行為でもあった。

 

 

(負の感情を火種にする、呪力。はてさて、少年。君の源泉は一体何なんだろうね)

 

 

 一口に負の感情と言えども、その中身は千差万別。

 それはもしかすると、小さな嫉妬かもしれない。ほんの少しの苛立ちかもしれない。

 或いは、全てを焼こうとする憤怒かもしれない。全てを欲する貪欲かもしれない。

 

 どす黒い()()かもしれない。

 

 扱いを一つ間違うだけでも毒となる、劇薬。特に負の感情と言うのは、突かれると場合によっては爆発しやすい性質がある。

 人が転げ落ちる事は、実に簡単だった。

 

 大成するにしろ、しないにしろ。もしもの時には、手を下す。それが九十九が、この期間限定の師弟関係を結ぶ上で彼女の中で決めている事だった。

 危ういバランスの中で両者の関係は保たれていく。

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