マルゼンスキーの幻影【完結】   作:ぼっちクリフ

9 / 13
第六章 ヒシスピード

追いつかない

 

何度走っても、何度自分に言い聞かせても

 

「アイツ」にはきっと、追いつかない

 

私のはるか前を走る「アイツ」に……

 

 

 

夏に入り、レース戦線も大分落ち着いた。

この時期、クラシックを走るウマ娘達は休養するのが常だった。秋にはクラシック最後の戦い、菊花賞が待っている。

 

プレストウコウは何も言わずにトレーニングに励んでいた。今なら分かる。ヒシスピードが、ハードバージがなんで一心不乱にトレーニングに励んでいたか。

耐えられないのだ、何もしない事に。何もしなければ思い出す。はるか前を行く赤い影を。どんなに走っても追いつかないスーパーカー、マルゼンスキーを。

 

次は追いつけるかもしれない、もっとトレーニングして、もっと速くなれば、いつかは……

そう考えなければ、心が壊れてしまう。だからトレーニングに励む。身体が壊れようとも、心が壊れない為に。

幸い、プレストウコウのトレーナーはそんなトウコウの様子を見て、きっちりと管理したハードトレーニングを提示してくれた。おかげで無理をせず、夜は泥のように眠る事が出来る。

 

世間は既に日本短波賞の事を話題にしなくなっていた。

もっと言えば、さらに根本的な事を議論していた。つまり、「何故マルゼンスキーを含めた帰国子女にクラシックの、そして数多くの重賞の門戸を開かないのか」である。

 

マルゼンスキーのダービー出走拒否は多くのファンを激昂させた。マルゼンスキーのトレーナーの元には「マルゼンスキーの為にもURAを訴えるべきだ」という手紙まで来ていたという。これらの意見に対しURAは「帰国子女の出走可能重賞レースを11から78へ拡充し、クラシックへの出走も検討する」との声明を発表。ところが今度はこの発表に対し、トレセン学園トレーナー組合が猛反発する。トレーナー組合の言い分は以下のようなものであった。

 

「クラシックはただ速いウマ娘を決めるレースではない。日々の生活から勉強、生活態度までを含めてがクラシックへの布石であり、そしてそんなウマ娘達がレースに出走し競う事で世代の頂点を決める。帰国子女にクラシックの門戸を開くという事はそういうウマ娘達が積み上げてきたものの最初の部分を否定する事だ。必要なのは帰国子女も含めた最強を決めるレースを設ける事であって、クラシックの理念を曲げる事ではない」

 

これに対し、有名レース雑誌にファン達の声として紹介された評論家の声がこちら。

 

「そんなトレーナーの理想論は知らない。ファンが求めているのは『走ったら誰が一番強いのか』という純粋な力比べだ。マルゼンスキーが帰国子女という事で差別を受け、必死に走るレースを探している現状が良いわけがない。レースなんだから、みんなで走って強い方を決めれば良いじゃないか」

 

結局双方で大激論が繰り広げられるものの、最終的にURAの改定案は白紙に戻る。しかしマルゼンスキーの作り出した帰国子女の待遇改善へのうねりは止められるものではなく、数年後からURAは徐々に規制を撤廃していく事になる。

 

 

そんな世間の声を聞きつつも、無視してトレーニングに励んでいたプレストウコウは9月、意外な訪問者を受け入れる。あの朝日杯以来、ほとんど話していなかったヒシスピードがトウコウを尋ねて来たのだ。

プレストウコウは喜んで部屋に招き入れて話を聞くが、そこで衝撃の言葉を聞く事になる。

 

 

「……ヒシも、引退?」

「……うん」

 

ダートに転向したヒシスピードは、不幸にもマルゼンスキーと再度対戦する事になった。あまりにも相手がおらずに競争成立ギリギリとなったダートのオープン戦にマルゼンスキーが滑り込んで来たせいだった。

結果は10バ身大差負け。そして、このレースでヒシスピードの心は完全に折れてしまった。続く2戦でも勝てず、トレーナーに引退を申し出る事にしたのである。

 

珈琲のカップを手で包んだヒシスピードは、じっとその表面を見ていた。瞳には何も映さず、何処か遠くを見ているような目。プレストウコウには、かける言葉が無かった。

 

「……レースをするとね、見えるんだ」

 

ヒシはぽつりと語る。トウコウは何も言わずに耳を傾ける。

 

「見えるんだよ、マルゼンスキーの幻影が。赤い勝負服を着て、前をぶっちぎって行くんだ。どんなに足を動かしても、必死に前に進んでも、差はどんどん開いていく」

 

ヒシスピードは語った。最初は気のせいだ、心の弱さだと振り切ろうとした。でもダメだった。幻影は日に日に強くなっていき、今ではレースだけでなく、並走トレーニングの時ですらマルゼンスキーの幻影が見えると言う。並走相手のウマ娘をちぎってしまう為に、今ではヒシスピードと一緒に練習してくれるウマ娘すら居ない。もう、限界だった。

 

「私は……弱いね、トーコ」

「違う!」

 

プレストウコウは否定する。ヒシスピードは強い。仲良し4人組の出世株で、一番強い期待の星だった。いつも元気で、なかなか勝ち上がれないバージや減量に必死になるルーラを励ましていた。きっとクラシックを取るって期待されてた。それなのに……!

 

「認めれば良かったんだ、私は弱い、マルゼンスキーに比べてあまりに弱いって。でも、認めたくなかった!」

 

ウマ娘は総じて誇り高い。たとえ負けても次のレースを望み、強い相手には敬意と次は負けないという気概をもって相対し、いつか自分も頂点に立つという夢を抱く。

けれども、マルゼンスキーという壁は高かった。理不尽なほどに、努力という言葉の意味を嘲笑うほどに高かった。

ヒシスピードは一度は世代の代表としてマルゼンスキーに挑み……そして、完膚なきまでに折られてしまったのである。

気付いた時には遅かった。もう、ヒシの心はボロボロで、治る事はない。

 

「私は……諦めない」

 

プレストウコウは静かに言った。諦めない、諦めたくない。たとえ「マルゼンスキーに遊ばれたウマ娘」と嘲笑されようとも、挑み続けてみせる。

いつかは蟻が巨木も齧り倒すかもしれない。いつかは水滴が岩を穿つかもしれない。いや、倒すまで、穿つまで挑んでみせる。

 

ポタリ、とコーヒーの表面に水滴が落ちる。ヒシスピードは涙に濡れた顔で思いっきり笑顔を見せて言った。

 

「強いね、トーコは」

 

 

ヒシスピードはトゥインクル・シリーズを引退。実家に戻ってトレーナー助手などをしていたと言うが、その後を伝える者はいない。

 

 

そしてこの時からプレストウコウは覚醒する。次走、セントライト記念を快勝。その次走京都新聞杯はレコードで勝利。菊花賞へと進む事となった。

 

 

 

お願いだから、誰かあの幻影を抜き去って下さい

 

この悪夢を終わらせて下さい

 

私では、もう……

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。