新学年に上がってひと月と少し、まだ距離や蟠りがあるクラスメイト同士の仲を深めるためのイベントとして用意されたクラス対抗の球技大会の内容はドッジボールだった。
当然のごとく男女混合なため、張り切り屋さんな男子たちはいつにも増して士気が高い。
純粋に競技が楽しみなエンジョイ勢、恋人や気になる女子に活躍している場面を見せつけたい運動部や陽キャラ、ポーカーフェイスで平静を保っているものの『実はアイツすごいやつなんじゃね……?』と周囲に驚かれるような活躍ができたらいいなと密かに考えている向上心が高めな陰の者。
形は違えどみな少なからずこの球技大会を楽しみにしていることに変わりはない。それは普段の退屈な勉強は一旦忘れて、学校にいながらも一日中遊びのような感覚でいられる日だからなのかもしれない。
だが、光があれば闇もあり。
このイベントを楽しむ余裕のある周囲と違い、俺の心は暗く落ち込んでいた。
クラスが変わった最序盤。
一年に一度しかない行事。
何も起きないわけがない。
天宮は俺のここから先数か月の高校生活をゲームに例えていた。それはゲームで例えるほうが都合がよいレベルでこの先の日常は非日常に満ちているということの裏返しだ。
この世界はゲームではないが、ゲームのような存在が実際に目の前にあるのは疑いようのない事実でもある。
超常の魔術。
未来からの来訪者。
身に覚えのない理由で自分を恋人のように慕う少女たち。
そんな異界の常識を携えたワケわからん集団とドッタンバッタンな日常を送る未来が確定しているのなら、こんな特別な日に何も起きないはずがない。
ゆえに、憂鬱。
先の見えない非日常や、無軌道な少女たちに対しての不安でため息が漏れ出る。
「じゃ、AチームとBチームに分かれるぞー」
生徒たちの喧騒でお祭り状態の体育館の端っこで、クラスのみんなが二手に分かれる。
ドッジボールで三十人はさすがに多すぎるため、すべてのクラスで二チーム作ってリーグ戦でバトルする感じらしい。試合数がめちゃくちゃ多い。
「──えっ」
俺はAチーム。
「……青島」
「よろしく」
なんの因果か、青島も同じチームであった。
体操着のジャージのサイズが若干大きめなせいか、袖が少し余りがちだ。
そんな当たり前に存在する女子高生っぽいかわいらしさすらも、俺にはどこか不気味に映ってしまう。
「…………っ」
思わず息を呑むと、それに気がついた彼女がジト目でこちらを見つめてきた。こわい。
「……なに、如月くん」
「えっ、いや。……これは学校行事だからセーフ……だよな? まさか、またナイフとか出したりは……」
生徒たちがそれぞれ期待を胸に試合場所へ移動する中、恐る恐る問うてみる。
すると、意外にも青島は困ったように顔をそらしてしまった。
「……殺すとか、本気にしないで」
「えっ?」
何を言っているのか分からない。
凶器の切っ先を向けて殺気をプンプンに醸し出していたヘンテコ女が何か言ってやがる。
「だから。……橋の下でのことは謝る。ちょっと言い過ぎた」
「ナイフを突き立てておいてちょっとって、おまえ……」
「……ご、ごめん。その、あの時はいろいろあって気が立っていたから」
目を合わせてはくれないものの、青島の声音は本当に申し訳なさそうなものではあった。
はたして彼女のこの謝罪を俺は信じてもいいのだろうか。
隙を見てナイフで斬りかかってきたりしないだろうな。
「無関係の一般人に手を出すわけない。あれだけ強く言えばわたしには近づかないと思った。……でも、また話しかけてくれたから、謝らなきゃと思って。……ごめんなさい」
「……いや、別にいいよ。許せないほど怒ってるわけでもない。ただ……まぁ、凶器だったり電気ショックの魔術だったりは、金輪際ご勘弁願いたいところかな」
「うっ……」
痛いところを突かれて俯く青島。ちょっといじりすぎたか。
とはいえ俺もナイフで脅された立場なのだから、これぐらいのことは大目に見てもらいたい。
「とりあえず今日は優勝目指して一緒にがんばろうぜ、青島」
「……うん。よろしく、如月」
少し顔に近づき耳打ちするようにそう告げてから、俺たちはお互いに少し距離を取ってから試合のコートへ入場していった。
自然と俺への君付けが外れたが、そもそも俺も彼女にさん付けしていなかったので、そうされて当然だ。距離が縮まったと考えれば悪くない。
あっちに本気の敵意がないことが判明したのなら、俺としても彼女に必要以上の警戒心を抱くことはない。
クラスメイトたちに隠れながら最後尾で会話をしていたわけだが、こうしてコミュニケーションを取ってみて分かったのは、青島もそれなりに普通の感性を持った女子だという事実である。
それを知って安心できた。
橋の下で発生したあのイベントを『必要なことだった』とクールに割り切るのではなく、あのときは言い過ぎたと謝罪してくれるような、そういった普通の良心自体は兼ね備えてくれていたようだ。
そうだよな。
あんまり仲良くない相手に対しての殺害宣言はぜんぜん普通じゃないもんな。
明らかにいろんな情報を把握していますよ面しているあの飄々とした天宮後輩よりも、学校内であればいちクラスメイトとして普通に応対してくれる青島のほうが、俺個人としては信用できる人物な気がする。
少なくとも”ヒナミ”にならなければ、青島は普通にただ席が隣なだけのクラスメイトだ。
氷のナイフで迫ってきた件に関しては……そこは、ほら、気が立ってたらしいし。
いまも隠蔽工作をしながら殺し合いを続けてるような、ちょっとばかり複雑な事情をお持ちのご家庭に身を置いているのであれば、あぁも警戒心が高まった状態になってしまうのも無理はない。
もし俺が彼女の一族の敵対勢力に属する魔術師であった場合、冗談抜きにあの橋の下で命の奪い合いが発生していたのだ。
はたから見れば異常な警戒心も、魔術師の観点から考察すればむしろ褒められるべき自衛本能だったのだ──ということにして一旦納得しておこう。
「あっ」
ボーっとしていた。
試合中にもかかわらず呆けていた俺が未だに生き残っているのは、前線で暴れまわってる運動部こと中嶋くんのおかげだろうか。
相手のチームはなかなかの強豪なようで、こっちのコート内の人数は中嶋と俺を含めても既に五人以下だ。
「えい」
そこで外野にいた青島が、不意をついてポコンとボールをあてて戻ってきた。
優勢という状況に胡坐をかいて油断していたあちらのチームの一人を屠った少女が戻ってきたことで、こちらの士気も若干上昇した様子が見受けられる。
すごく空気が熱いというか、みんなスポーツ漫画のキャラみたいな雰囲気だ。
「サンキュー青島! うおおぉ負けらんねぇぜ!!」
中嶋くん盛り上がりすぎじゃない?
「わ、わ……」
対して戻ってきた青島となぜか生き残ってしまっている俺はボールをよけるので精いっぱいだ。
今回のドッジボールは二球でおこなっているため、片方に気を取られているとすぐに逝きかねない。
「如月、うしろ」
「え? うおぉっ」
基本的にはどんくさい俺と、いつも眠たげで機敏に動くタイプではない青島。
しかし二人で協力し合っていると不思議とうまく立ち回ることができた。
派手な活躍こそしないものの、当たらずにコートに残り続けてボールを外野に供給する役割はそれなりに良さげなポジションだ。
加えて、早い動きをしているわけではないが、とにかく青島の動体視力が凄まじい。
誰が誰にボールを渡すのか、攻撃なのか仲間へのパスなのか、そういった相手の次の行動をほぼ確実に読み取っている。
これも魔術師という常に戦場に身を置く立場であるが故なのかもしれない。
「……あっ」
だが、学校行事で警戒心をマックスにするほど擦り切れた感性をしているわけでもないようで、彼女の真後ろでボールをキャッチした外野に狙いを定められてしまった。
「あぶねっ」
──で、投げられたボールから彼女をかばったのは俺だった。
別にカッコいいかばい方でもなんでもなく、右手を差し出して青島にあたる前に俺の指先に当てただけだ。
「…………」
「いってぇ……わりー中嶋、あたったわ」
「おけ! 外野の右端からあの男子ねらっといて、油断してっから!」
「了解です」
そのまま外野へ転がっていき、指示通り右端で待機。
……しかし、俺が活躍する機会はついぞ訪れず。
野球部所属のパワーを存分に生かした中嶋と運動部数人の奮闘により、Bチームは見事勝利を収めたのだった。
クラスメイトたちは勝利を祝いあい、すぐさまみんな揃ってAチームのほうの試合を観戦しにいく。
そんな仲良し集団に交じって俺も──と言いたいところだったが、そうは問屋が卸さなかった。
「如月」
体育館の外にある水道へ向かおうとしていたところを後ろから青島に呼び止められた。
少しだけいやな予感を覚えながら振り返ってみたが、青島の瞳の色はいつもの金色。
ヒナミに変わっているわけではなかったようだ。
「どうした」
「……その怪我。わたしをかばったときにボールで突き指したんでしょ」
カッコつけて隠してたのにバレた。
「そうだけど……いやまあ水で冷やしときゃ治るから」
「怪我の自己判断はよくないと思う。先生には言っておいたから、一緒に保健室いこう」
「……わかった。サンキュな」
「わたしのせいでもあるから、気にしないで」
先生に報告がいっているのなら逃げ道はないので、おとなしく保健室まで行くことにする。
そこでようやく気がついたのは、遠くにいるチームの男子何人かに怪訝な表情で見られてることだった。
クラスの中で特にかわいいと思う女子って誰? という質問をされた場合ほとんどの男子に名前を呼ばれるような顔面偏差値高めの女子が、クラスの中でも特に目立ってなくてドッジボールでも大した活躍をしていない陰気な男子に構ってる光景は、さぞ不思議なものとして映っているのだろう。
正直いって俺も驚いている。
だが──それはそれとして。
「……なに、じっと見つめて」
「いや、わるい何でもない」
「……?」
たとえ後でほかの男子に『おまえ青島のこと好きなのか~?』と小学生のような煽りをされるとしても、彼女の瞳を念入りに確認する必要があった。
俺には俺の事情があるのだ。
赤嶺と青島に共通していることとして、彼女たち二人は宝石のような発色の良い黄金の瞳をしている。
それが魔術師特有の特徴なのかは情報不足のため判断しかねるが、確実に言えることは彼女たちが人格を乗っ取られた場合に、その瞳の色が変化するという点だ。
赤嶺による俺の名前の呼び方突然変化事件などがいい例で、普段はアンティックゴールドの瞳があのときは燃えるような紅蓮の色に変色していた。
青島も同様であり、二人とも未来の人格に主導権を奪われた際は、自身の髪色に近い瞳になってしまう。
これこそ未来と現在を見分ける際の重要なポイントなのだ。
「ん。そと涼しい」
「こんな汗かくぐらい張り切るとは思ってなかったわ」
「如月、あたらないように頑張ってた」
「……まぁ避けることくらいしかできないからな。球技は苦手なんだ」
体育館の外は涼しげな風が吹いていて、火照った体がだんだんとクールダウンしていくのを感じる。
このなんでもない普通の会話がとても嬉しい。
なんとも学生らしい瞬間ではないだろうか。未来がどうとか、命の危険だとか、そういった物騒な話題が飛んでこない。
「あっ……体育館にスマホ忘れてきちゃった」
「俺は一人でも大丈夫だよ。また追いかけてくるのも大変だろうし、取りに戻ったらそのままみんなといてくれても──」
「んーん。取ったらすぐそっち向かう」
駆け足で体育館のほうへ戻る青島。
突き指の付き添いにそこまで真剣にならなくてもいいと思うのだが。
何が彼女をそこまで駆り立てるのだろう。
「わたしも保健室でサボりたいので」
「最初からそれが目的か……」
優しくしてくれる理由が意外と現金なもので、逆に安心した。
そのまま青島を見送った俺は、一足先にサボり場へと向かっていく。
張り切っているクラスメイトたちや中嶋には悪いが、今日のところは控えで休ませてもらうことにしよう。
◆
──なんだ?
「ごめんなさい……先生は悪くありません」
保健室の前に到着すると、扉の向こう側から聞き覚えのある声が漏れ出てきた。
思わず立ち止まり、いったん周囲を確認する。
誰もいない。
保健室の前で立ち往生という、結果的に怪しげな挙動をしてしまっている自分を見ているものは誰もいない。
これならもう少し様子見をしても問題ないはずだ。
扉に耳を当て、教室内の声に集中する。
「……大我のために死んでください」
「っ!?」
聞き捨てならないセリフに肩が跳ねた。
俺の認識違いでなければ保健室の中にいる人物は──赤嶺だ。
考える間もなく焦って扉を開ける。
「おいっ!!」
不快感たっぷりなデカい音をたてて保健室の扉を開放すると、予想通り中の人物は驚いたように足を止めた。
「…………大我」
「赤嶺おまえ……なにしてんだ?」
まず教室の床には白衣をまとった女性がひとり倒れており、中にいた赤嶺はその女性を見おろすように鎮座している。
赤嶺の瞳の色は烈火のごとき赤色──つまり彼女はいま未来の人格で。
なによりさくらに乗っ取られていると思わしき彼女の右手には、灼熱の炎が纏われていた。
「命のストックを……といってもわからないか。今のキミはまだ何も知らないもんね、如月くん」
「は……?」
こいつ、いま俺のことをなんて呼んだ?
それに加えて……なんだ、命のストックとかまた新しい概念がでてきた。
というか、それ以前にさくらが以前までの雰囲気と全く違う。
如月大我に盲目で昼休み中ずっと惚気ているような、あんな恋する乙女真っただ中だった彼女の面影が見受けられない。
例えるなら──橋の下での青島だ。
理由はわからないが
「ようやく思い出したし、いまの状況も察したよ。あたしは亡霊みたいなもの──でも、それがあなたを諦める理由にはならない」
何を言っているのか理解できない。
俺が感じ取れるのは彼女の異常なまでの殺気だけだ。
剣呑な空気に気圧されて何も言えないでいる俺を見据えて、さくらは右手の炎を消滅させた。
「如月くん、あなたはこれから命の危険が伴う様々な事象に巻き込まれていく。それ自体はあたしのそばにいれば安全に切り抜けられることだけど……でも」
一歩。
また一歩、こちらに近づく。
「あたしが一緒でも避けられないことがある。……あなたは必ずこの2021年を超える前に、残酷なこの世界の運命によって殺されてしまう」
先ほどまで燃えていたとは思えないほど、ひどく冷えた右手で俺の頬に触れるさくらは、愁いを帯びた悲しげな表情だった。
俺にはそれがただただ恐怖でしかない。
おそらく気絶させたであろうあの保健室の先生を、魔術による火炎で殺害しようとしていた事実と、その気になればいつでも燃やすことのできる右手で俺に触れていることが、なによりも恐ろしい。
「きっと千鶴ちゃんも来てるんだよね? ペンダントを使えるのはあの子だけだし……おそらく既に接触してる」
そのまま俺の後頭部に手を添え、自然な形で抱き着いてくるさくら。
俺の耳元で滔々と囁く彼女の声は背筋に寒気が走るほどの冷たさだった。
「聞いて如月くん。あの子の言うことを聞いてはダメ。未来を知っているのは事実だけど、自分に都合のいい方向へあなたを動かそうとしている」
「……あ、天宮が?」
「そう。千鶴ちゃんは信用しないで。あなたに降りかかる危険はあたしが取り除く。あなたのことは必ずあたしが守る。あたしを、そしてこの時間軸の赤嶺さくらのことを信じて」
言うだけ言って、彼女は囁くのをやめて俺を見据える。
そして目尻に涙を浮かばせると、優しく微笑んださくらはそっと身を寄せて。
「────」
俺と、唇を重ね合わせた。
「────っ!?」
やわらかい感触。
あたたかな感触。
焦り、たじろぐ。
だが彼女は俺の動揺を読み取らない。
自分のペースを崩すことなく、その全てをこちらに押しつけてくる。
「っぷぁ。……ね、大我。あたしを信じて。あたしならあなたを救える。ううん、必ず救ってみせる。あたしだけが、あなたを救うことができるの」
その微笑みは
「絶対に、絶対に……誰が立ち塞がろうとあたしが排除する。あたしが大我を守ってあげるから……」
まるで無理やり絵具で塗り潰したような、濁った深紅の瞳が揺れる。
「だから、もう──どこにもいかないで」
儚げな笑みを浮かべ、その一言を最後にさくらは再び赤嶺の中から姿を消した。
彼女の虹彩が金色に戻っていく。
人格の主導権を奪い返した赤嶺は、この訳の分からない状況に気がつくと狼狽し、咄嗟に俺を突き飛ばした。
だが依然、俺は呆けたままで。
あとから入室して慌てふためく青島も、貧血が理由で保健室に訪れたらしく先生が気絶していることや俺が目の前にいたことに涙目で疑問符を浮かべ続ける赤嶺のことも、未だ目を覚まさない保健の先生のことも、何もかもが頭の中に入ってこない。
ただ、さくらから与えられた莫大な困惑と俺の運命をはっきりと言語化したその情報だけが、嚥下しきれず脳内で錯綜し続けている。
「如月、ここで何が。 ……如月? ……っ、ちょっと如月ってば、状況を説明して」
結局、その場にいる人間のなかで最も冷静さを保っていた青島に肩を揺らされるまで、俺は悄然として立ち竦むばかりであった。