「姿を隠せ、ノルア」
「?」
「いいから隠せ」
殆ど食べ終わったノルアの頭を下げるディアンケヒト。幸いにもロキ達にはまだこちらに気付かれてはいないようだったが、これは少し厄介だった。店から出る時には間違いなく気付かれる。
……正直な話、ディアンケヒトは彼女をロキ・ファミリアとは極力関わらせたくはなかった。その理由がある。彼等の遠征にノルアが着いていくことのないように、わざわざ同時期に別のファミリアの遠征に着いて行かせているのは他ならぬディアンケヒトだ。だから未だにロキ・ファミリアとノルアの関係は、治療院でくらいの接点しかない。
……にも関わらず、遠征の度に毎回毎回ノルアを貸せないかと声を掛けてくるロキ・ファミリア。果たして何を考えているのか。しかし事実として、ノルア・コルヴァスに対して好意を抱いている者などオラリオには決して存在しない。それは確かだ。精々ヘファイストスとアミッドくらいのもの。ならば信用出来る筈もない、容易く貸し出す筈もない。
「もう少しそうしていろ」
「はい」
カウンターの下に隠れる様にして蹲ませる。
まさかこの時、反対側にいた1人の男性冒険者も同じ様にカウンターに隠れている奇跡が起きているなどと誰も知りはしない話ではあるのだが、唯一その2つを知っているミアからすれば微妙な顔をするしかない。
……その後は色々とあった。
何やら妙な盛り上がりをした後に、突如食い逃げをして去っていった冒険者が1人。その後はまたロキ・ファミリアが騒ぎ出してミアが怒鳴りに行ったりと、まあ本当に騒がしい。そんな中でも眷属の為に1人静かに酒を飲んでいたディアンケヒトは忍耐強く待った方だろう。その間ずっとカウンターの下で主神から手渡された飲み物を飲んでいたノルアも頑張った。
ただ、頑張りがいつも報われるとは限らない。
「おいおい、こないな所で何静かに飲んどるんや?ディアンケヒト」
「……ロキ」
「珍しいやないか、似合わんで?普段はもっと喧しくしとるやろ」
「偶にはそういう気分の時もあろう、邪魔をするな」
あからさまにニヤニヤとした笑みを浮かべて、ディアンケヒトの隣に椅子を持って来て座る女神ロキ。その視線の先にはカウンターしかないが、その下に隠れている者の正体を彼女は間違いなく見抜いていた。
それでもディアンケヒトは目を閉じ酒を飲みながら動かない。バレようがバレなかろうが、結局すべきことは変わらないのだから。
「例のあの子は元気なんか?ん?」
「アミッドならば先日貴様の小娘共と取引をした筈だな」
「周りくどい話はせんでええ、そっちの子の話や」
「………」
「なんや大事にしとるみたいやん?今回の遠征もその子が来てくれとったら、もうち〜っとばかし楽やったんやけどなぁ」
「……この子に拘る必要もなかろうに」
「いやいや。戦闘も出来るLv.4のヒーラー、しかも治療魔法もオラリオの3本指に入る高性能。こんなん誰が欲しがっても当然やろ」
「当然ではない」
「………」
「全ての例外たる此奴にとっては、その理由では当然には成り得ない」
ディアンケヒトは明確な神威を伴った眼力でロキを睨み付ける。そしてその瞬間、店内に居た全ての者達がディアンケヒトの存在に気が付いた。
……何が起きているのか、少なくとも挨拶程度の雰囲気ではない。ロキ・ファミリアの者達だけではなく、店員達すらも立ち止まっていた。ミアもまた、口を出さずに食器を磨き続ける。
「何が目的だ、ロキ」
「……自分こそ、いつまで見て見ぬ振りしとるん?いい加減分かっとるやろ」
「それをこの場で口に出す様なら容赦せんぞ」
「見て見ぬ振りの次は、家族の振りか?」
「なに……?」
今度こそディアンケヒトは立ち上がり、怒りを持ってロキを見下ろした。ロキ・ファミリアの者達はそれを見て立ち上がるが、彼等の行動を幹部の1人であるリヴェリアが制する。
「火に関係ない神やろうが」
「っ」
「自分が影響されとんのは明らかやろ」
「……それ以上の、口を開くな」
「愛情も抱けん癖に、いつまで手元に置いとるんや。せめてヘファイストスのとこ引き渡せや」
「貴様ッ!!」
堪忍袋の尾が切れたディアンケヒトが拳を振り上げる。動かないロキ、咄嗟に動き出すロキ・ファミリアの団員達。……しかし、その誰よりも早く立ち上がり、彼の拳を止めた者がいた。
「ディアンケヒト様、どうかそれ以上は」
「ノルア……!!」
「私は、気にしていませんから」
それは一体、何に対しての言葉なのか。
ロキの暴言についてなのか。
周りの目線についてなのか。
それとも……ディアンケヒトがノルアのことを眷属として愛してはいないという、その事実に対してなのか。
「お騒がせしました、今日はこの辺りで失礼させて頂こうと思います。……ロキ・ファミリアの皆様も、ご歓談中に不快な思いをさせてしまい大変申し訳ありませんでした。直ぐにこの場を離れ、暫くの外出は控えますので、どうかお許し下さい」
深々と頭を下げ、いつもの目線に晒されながらも主神に代わって謝罪を行うノルア。……いや、これでは主神に代わっての謝罪にはなっていないだろう。彼女が謝っているのは、自分という存在をこの歓談の場に晒してしまったことについて。もっと言えば、自分が原因で起きてしまった口論に関しても。
……1年前、ノルアは18階層のリディアの街の酒屋で複数の冒険者達に襲われた。その時にそれを見ていた周囲の者達から言われた『お前のせいで酒が不味くなる』という軽口は、その後のどんな恨み口よりも記憶に残っている。だから仕事の為に外を出歩くことはあっても、ノルアは極力外食については控えていた。
……いつも、こうなるからだ。楽しげな会話を自分の存在は絶対に遮ってしまう。そしてその状況に出会す度に思う。やはり自分は幸福な場所に顔を出すべきではないのだと。
「いやいや、気にせんといてな。ウチも言い過ぎたし。ち〜っとディアンケヒトに釘刺したろと思ったんやけど、口が滑ったわ」
「申し訳ありません」
「ま、これに懲りたら、あんま表に出て来ん方がええで。大人しゅう部屋ん中で1人で酒飲んどった方が気楽やろ」
「ロキ!貴様まだ言うか……!」
「アホゥ、その子のため思って言うとるんやろが。こないな所に連れ出して、お前こそ何考えてんねん。今更人並みに生きられると思うとんのか」
「っ」
「ディアンケヒト、もう一回言っとくで?はよ手放せ。ファイたんとこでも、最悪ドチビんとこでもええわ。事は派閥1つで収まる問題やない、これの手遅れはマジで洒落にならんぞ」
「………」
ディアンケヒトは黙り込む。いつもはあれほど騒がしい男神がこれほど言葉を詰まらせることは、早々ない話だろう。口で押される様な彼でもない。
要は、今の彼はそれくらいに普段とは違う。異常な状態に居る。彼自身もそれを理解している。
「それと……ノルアたん。次のウチのとこの遠征、着いてきてくれへんか?」
「承知しました」
「ノルア!!」
「問題ありません、ディアンケヒト様。ディアンケヒト様が危惧されている様なことは無いかと思われます。……勿論、私が今以上に害のある存在にならなければ、の話ですが」
「ああ、話が早くて助かるわ。今のところはほんまに手出す気はあらへん。単にヒーラーが欲しいだけやしな」
「……何を根拠に信じろと」
「ほんまにやる必要があるんなら、真正面から叩き潰したる。それがせめてもの情けや。ウチの子も何人か、世話になったことあるしな」
ロキがそこで言葉を切ると、ノルアはもう一度深々と頭を下げ、カウンターに少し多めのお金を置いてからディアンケヒトの腕を引いた。
苦々しい顔をしてロキを睨み付けながらも仕方なくノルアに連れて行かれる彼は、どうやったってこの論戦に敗北していた。否、それが始まる前から勝負を仕掛けられれば負けることが決まっている様な状況だったとも言える。だから強引に外に出る事なく、あわよくば隠れ続けられないかと神威を消して居座っていたのだから。
「……ノルア」
「私は、例外なんて存在しないと思っています」
「?」
「私を拾って下さったディアンケヒト様だけが影響を受けていないなんて……そんな都合の良い話、有り得ないですから」
「……」
目に布を巻いたまま、ディアンの先を歩く"見慣れた"少女。けれどその少女の姿が、段々と"見慣れた"怪物の姿へと変わっていく。
少女の姿を塗り潰す様に漆黒の炎が燃え盛り、現れるのは身体を球体の様に丸めた小さく悍しい悪しき鬼龍。
周囲の子供達の反応は変わらない、常変わらず彼女を異物のように見つめるばかり。この姿が見えるのは、神だけだ。神々だけが、否、神々だけは、この真実の姿を見通せてしまう。
「ディアンケヒト様。……貴方があの日、私を拾ってくれた。ただそれだけで、私にとってはもう、返し切れないくらいの恩を頂いているんです」
「……愚か者が」
「今日は連れ出して下さって、ありがとうございました」
鬼龍の姿が描き消える。
再び現れた彼女は、笑っている。
……ああ、確かにその目隠しは渡した意味があったのかもしれない。その笑っていない目が見えないというだけで、こんなにも人間らしい姿になるのだから。
殆どの神には彼女の姿は"それ"にしか見えません
だからこそ、オラリオは混乱しました