それは、ある日の任務の帰りだった。
僕の事をよく気にかけてくれる先輩仙人の麒麟が、僕が任務から帰ってくるのを見るなり自宅へと半ば強引に連れて行った。
当時の僕は、今の魈も驚くほど寡黙だった。
基本的に話す相手は帝君か帰終様だけ。それも一言二言任務の事のみ。私的なことは何一つ話さず、必要な事のみその舌を使って端的に告げて去っていく。
そんな僕を帝君たちと同じくらい気にかけてくれていたのが、僕より昔から帝君に仕えていた麒麟の仙人。
事あるごとに人間の姿になって僕を街へと連れ出し、喋らない僕にずっと一人で喋りかけていた。正直、鬱陶しいと思う時もあった。面倒くさいからやめてくれとも思った。
その時は、僕は両親から捨てられたと思っていたし、面倒を見てくれる人たちに報いるために戦っているようなものだったから。そこに私情はいらないし、特別な感情もいらない。
『うぎゃぁ、うぎゃぁっ!』
『久劫、俺の娘だ。名を甘雨という。是非、抱いてあげてくれないか』
初めて見た赤ん坊に、今まで押さえつけていた感情が少しだけ漏れ出た。
毎日重たい大剣を担いで任務に出ている僕からすればその赤ん坊は小さな花の花弁よりも軽く、夜叉として鍛え上げた僕が少しでも力を込めてしまえば容易く潰れてしまうような脆い命。
『うみゃ……きゃはは、きゃはは!』
『抱いただけで甘雨が笑った……やっぱり、久劫は心優しい仙人だな』
『……分からない』
ただ、僕に抱き上げられて笑顔を見せる角の生えた赤ん坊を、理由は分からずとも『守りたい』と思ったのはその時からで、僕の口から任務の報告以外の言葉が発せられるようになったのもその時からだ。
『にーさま、にーさま』
『……どうした、甘雨』
『りゅーうんしんくんのとこから、もってきた』
そう言って甘雨が差し出したのは、留雲が作ったであろう明らかに複雑な造りをした絡繰り。
最近仙人の修行を終えたばかりの留雲は、その時から甘雨の修行監督を請け負っていた。そして、甘雨は事あるごとに留雲の洞府からこうして絡繰りを持ち帰ってくる。
そして、それに気付いた留雲が今とは似ても似つかない口調でぷんすこと怒りながら回収に来るのだ。
しかしまぁ、留雲も僕も、幼子の屈託のない笑顔と純粋な『快』と『不快』でしか物事を判断できない素直な性格にあっという間に絆されて、本来叱らなければならないのにそれが出来なかった。
『にーさまと、これであそぶの!』
『……仕方ないな』
『もうっ、妾の洞府で暴れた挙句、仕掛けまで取るとは何事っ! さぁ甘雨! その仕掛けを――――』
『りゅーうんしんくん、これね、とってもおもしろかったの! またにーさまとあそぶ! りゅーうんしんくんも、あそぶ?』
『……し、仕掛けのテストができたし、よ、よいぞ』
結局、そのあと甘雨がつかれて眠るまで三人で遊ぶのは、もはや日課となりつつあった。
『兄さま――――わああああああぁぁぁぁっ!!?』
『甘雨……うごぉっ!!?』
甘雨は他の誰かに自身の昔話をされるのが嫌いな傾向にある。それは単純に、『太る』という単語では片づけられない程に丸々としていたからだ。
野菜しか食べていなくても、食べ過ぎれば太ってしまうという事を体現しているいい例だったように思う。
留雲の洞府から帰る道中で山道を転がり、僕と衝突するという事件は今思いかえすと一週間に一度程度はあったはずだ。
僕らが油断して甘雨が獣に食べられ丸のみされたとき、あまりにも丸かった甘雨が呑み込めず喉に詰まり、そのまま獣が窒息死した時は流石に焦ったが笑う他なかった。
『兄さまは、意中の人はいないのですか?』
『いないな。……強いて言うならば、僕と一緒に戦場で背中を預けられる人がいい……かな』
その時放ったのは、嘘偽りない僕の真意だった。
僕は戦場でいつも一人だ。その時には既に僕の動きついてこれる夜叉はおらず、僕は常に戦場で孤立していた。
孤独は嫌だ、という僕の感情の現れの一つであったともいえるし、何より僕と同じくらいの動きができる女性など、どうあがいてもいるわけがない。だからそれは、一種の諦めも含んでいたと思う。
『おかえりなさい、兄さま』
『っ……ただいま、甘雨』
甘雨が変わり始めたのは、多分そのあたりからだったように思う。
坂道を転がり落ちるくらい丸かった甘雨が、今や街を歩けば十人中十人が振り返るような別嬪に変貌を遂げていた。前の甘雨も愛らしかったが、そこへ美しさが加味され、街では丸い頃の甘雨と姿を一致させることのできない人たちが困惑の面持ちで甘雨の事を見ていた。
細くスラっと伸びた白い足に、きめ細やかな五指、全てが出ていた時とは違い、出るところは出て、引くところは引いた美しい胴に、可憐な表情。
……そこで、僕の悪い癖が出たんだと思う。
危うく甘雨に抱きかけた感情を、僕はかつてのように押さえつけた。
血は繋がっていなくとも、僕は甘雨を妹のように可愛がっていたから。兄妹間の恋愛はいけないことだと書物に記してあったから。
甘雨と出会って改善された感情の抑圧が、皮肉にも甘雨によって無意識のうちに再発していたのだ。
……この言い方だと、甘雨が悪者のようになってしまうな。
決して、甘雨が悪い訳じゃない。素直になれなかった僕が悪いのだ。
その時からしっかりと感情を自覚して、甘雨と向き合い、一切の雑念がないままにダンタリオンと刃を交えていれさえしたら――――
――――僕は1000年もの間甘雨を待たせることもなかったのだ。
……ドーン、ドンドン。
あまりに人が多すぎる埠頭を離れて、僕たちは玉京台の展望へと来ていた。
璃月の海の上で輝いていた明霄が、花火に照らされてさらに色とりどりに輝く。
かつて稲妻でも見たことがあったが、やはり祖国で見ると一味も二味も違うのが分かる。
もともと璃月の戦時中の連絡手段として用いられていた爆竹が稲妻に伝わり、稲妻でそれが色とりどりに輝く夜空の華となって、璃月へ帰ってくる。
赤い光が、青い光が、黄色い光が、緑の光が、花火を見上げる僕の目に訴えかけてくる。
――――雰囲気は、作り出してやった、と。
あとは、僕が今まで甘雨との間にあった壁を飛び越えればいいだけ。
けど、その壁が恐ろしく高い。
甘雨は向こう側で待っていてくれている……と思う。だからこれは、僕自身の問題だ。僕自身が飛び越えるのを躊躇っているうちは、決してこれを越えることなどできはしない。
大丈夫。思いを告げると決めた時から、色々言葉を考えたのだ。
だからそれを、すぐ隣にいる甘雨へ告げればいいだけの話。
……ドーン。
「かっ、甘雨……」
奥歯が震える。喉から出される僕の声が、羽虫の羽音の如く小さなものへとなってしまう。
もし、飛び越えた先で甘雨に拒絶されたら? そのことが僕の中でいつまでも反芻して離れてくれなかった。僅かでもその可能性がある限り、その低確率の可能性を掴んでしまうのではないかと考えてしまって、一向に言葉が紡げない。
……僕は、ここまで情けなかったのか。
「兄さま」
僕の小さな声は僕の耳にすら薄く聞こえたのに、甘雨の声はすぅっと吸い込まれるように入ってくる。
「来年も一緒に、来ましょうか」
笑顔ではにかむ甘雨を見て、僕の中に蔓延っていた不安も、焦燥も、考えていた言葉も――――等しく全てが吹き飛んだ。
「甘雨っ」
「僕はっ、ずっと前から、あなたの事が好きです。大好きです。愛しています」
「甘雨の気持ちも、僕自身の気持ちも気付かないふりをして、1000年も待たせてしまうような男だけどっ」
恐怖はなかった。
壁の上から、手を差し伸べてくれていたのだから。
そこまでされないと越える気にならない僕に嫌気がさすが、せめて壁を登るのは僕自身の力でないといけない。
だから、僕は跳んだ。
手を差し伸べた甘雨を抱きかかえて、そのまま向こう側へ落ちる勢いで。
「――――僕とずっと一緒に、共に生きてくれませんか」
「――――――――っっ!! はいっ……!! 貴方の隣を、歩かせてくださいっ」
僕の耳から、花火の音が聞こえなくなる。
五感の全てが甘雨から離れなくなった。
目の前で目尻に涙を浮かべていた甘雨を、優しく抱きとめる。
顔を上げた甘雨と目が合って、甘雨は何かを求めるように――――目を閉じた。
甘雨が何を求めているかなんて、考えて答えを出すまでもない。
目を閉じた甘雨にそっと顔を近づけ、
そのやわらかい唇に、
「んっ……」
――――そっと、僕の唇を被せた。
(恋愛もの初めて書いたから色々拙くなったけど許して……)