甘雨は隠し事をしている久劫に愛想を尽かされたのではと心配になるが……?
――――ここ数日、兄さまが何やら隠し事をしているようです。
私が家に入ろうとすると家の中からバタバタと何かを急いで片づけるような音が聞こえて、私がそれについて尋ねても「聞き間違いではないか」の一点張りです。
こっそり外から覗こうにも、兄さまの察知能力が高すぎて私ではどうにもならず、私の心にはどんどんと不満が募っていきました。
私と兄さまの間に隠し事はないはずではないのか、兄さまは私に教えられないことがあるのか。
夫婦として互いに支えていくと決めたのに、兄さまは私に何も教えてくださいません。
私では兄さまの力にはなれないのでしょうか。兄さまに「お前などいらない」と言われているようで、私の表情は次第に暗くなっていってしまいました。
「甘雨……?」
「……」
「甘雨っ!!」
「ひゃ、ひゃいっ!」
「もう、しっかりして頂戴。秘書の貴方がそんな様子じゃ、仕事が回らないわよ」
「も、申し訳ございませんっ!」
その結果、仕事にまで影響が出てしまい、刻晴さんに注意されてしまいました。
公私混同は極力抑えるべきだと兄さまと一緒に決めましたが、流石に今の私には守ることが厳しいルールになっています。
兄さまがどうして私に隠し事をするのか、そもそも何を隠しているのか、仕事場でプライベートの話をするのはご法度だと分かってはいましたが、もはやそれどころではなくなっていた私は思わず刻晴さんに尋ねてしまいました。
「刻晴さん……兄さまが、近頃私に隠し事をしているようなんです。……何か心当たりはありませんか?」
「久劫さんが? うーん……そうね……」
普段ならこんな話を持ち出した時点で「今は仕事が優先よ」と断っていたはずですが、余程私の心情が表情に出てしまっていたのか、刻晴さんは顎に手を当てて真剣に考えてくださいます。
そして、何かに思い当たったのか手帳を取り出すと、「なるほど……」と零して手帳を閉じました。何かわかったのでしょうか?
「甘雨……残念だけど、私には分からないわ」
「へっ??」
そして、刻晴さんの返答は私の待っていた言葉とは真逆のものでした。
明らかに何か分かったような言葉を漏らし、納得したような表情をしていたというのに、刻晴さんは「分からない」と答えました。一瞬、私の耳がおかしくなったのではないかと疑ってしまったほどに鮮やかな掌返しでした。
「……でも、彼が近いうちに貴女にその秘密を打ち明けてくれる……そんな気がするわ」
「……???」
刻晴さんの言葉に私はさらに混乱してしまいます。
その口ぶりから察するに、刻晴さんはなぜ兄さまが隠し事をするのか知っていると思われます。しかし、刻晴さんは『答え』を言いたくはないようです。どうしてでしょうか? そもそもなぜ答えを導き出せたのでしょうか? ……疑問は残るばかりです。
「それじゃ、仕事に戻りましょ。まだまだやるべきことは沢山あるわ」
「えっ? あっ、はい……」
刻晴さんは半ば強引に話を切り上げると、私の手元にあった刻晴さん用の書類を全て持って執務室へと消えて行ってしまいました。
しばし呆けていた私ですが、少しして刻晴さんが言った言葉の意味を考えながら残った資料を担当者の元へ届けに行きます。
「甘雨ちゃん?」
「ぁっ、始帰さん」
私の様子を見かねた刻晴さんが、午後の仕事を全て引き受けてくださり、私は太陽が真上から照らす璃月を歩いていました。
そこで、少々丈のあっていない美しい着物を着た、白桃色の髪の毛をした夫人、始帰さんと出会います。
始帰さんの本当の名前は『帰終』で、今は『鍾離』と名乗っている岩王帝君の奥さんであり、テイワットの機械産業の第一人者という凄まじい肩書を持つお方です。
もしかしたら、始帰さんなら兄さまが隠していることを教えてくださるかもしれない――――
そんな事を考えていた私の事を知ってか知らず果は分かりませんが、「お茶でもいかがかしら?」と朗らかな笑顔を浮かべて、始帰さんは私を近くにある茶屋へと誘いました。
「訪凞が隠し事……ね」
「はい……私が尋ねてもはぐらかされてしまいまして……」
普段は絶対に飲めないであろう高級なお茶も、今は私の心の中に燻っているもやもやのせいであまり味を感じることができません。
ススッ、と丁寧な所作でお茶を嗜んだ始帰さんは、しばし目を閉じて思慮したのち、「甘雨ちゃん」と私の名前を呼びました。
「そんな言葉が聞きたいわけじゃないと怒るかもしれないけれど、一応言っておくわ。
訪凞なら大丈夫。彼は貴女を裏切るようなことは絶対にしないし、貴女を悲しませるようなこともしない人よ。
わたしがここで貴女に答えを言ってしまうのは、赤子の手をひねるより簡単なことよ。
でも、それをしてしまったら、後悔するのはきっと甘雨ちゃんの方。だから、心配しないで訪凞を待ってあげて」
私の目を真っすぐと見据えて、心に直接語り掛けてくるように始帰さんはそう言いました。
これが魔神の力なのか、それとも始帰さんの長年の経験から来る話術なのかは定かではありませんが、その言葉は私の心にストンと落ち着いて、燻っていたもやもやも少し晴れた気がしました。
「さて、今日はわたしの奢りよ。気になった茶でも菓子でも、好きなだけ注文して頂戴」
真面目な雰囲気から一転してにっこりと笑顔を浮かべた始帰さんに促されて、テーブルの上に置かれていたお品書きから食べたいものを注文しようとして――――
「……いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、……ごっ、5万6000モラ!? たっ、高すぎますっ! 流石に頼めませんっ!!」
「あら、そう? なら私が決めちゃうわね……すみません、この『繁煎丹』を二つと――――」
メニューに並んでいた、どの商品も決して4桁になることがないお茶とお茶菓子を、始帰さんは次々に注文していきます。
以前料亭へ共に言った鍾離さんと同じ頼み方をされていますが、も、もしかして始帰さんも鍾離さん同様にモラを持っていなかったり……?
「ひぃ、ふぅ、みぃ……うん、足りそうね」
そんなことはありませんでした。ジャラジャラとモラが入った袋の口からはとんでもない量のモラが顔を覗かせています。テイワットの機械産業を担う第一人者の財力はとんでもないものだという事を知ることが出来ました。
ちなみに、次々に運ばれて生きた高級茶菓子とお茶はそれはそれは美味しく、思わずパクパクと口に茶菓子を運んでいる私を見て始帰さんがにこやかにしているのを見てしまい、顔から火が出る程恥ずかしい思いをしました……。
――――ジャァァァァ、ガシャガシャ、バタン、ドタン!
……そして、今日も私が家の前に来ると、家の中から慌ただしく何かを片付ける音が聞こえてきます。
始帰さんに「心配しないで待ってあげて」と言われてもやもやが多少晴れましたが、やはりここへ来ると「兄さまが隠し事をしている」という事実が浮き彫りになってしまい、心の中にもやもやとした感情が生まれてしまいます。
「ただいま帰りました」
「おかえり、甘雨」
いつも通りの優しい笑顔。
ですが、そのいつも通りが逆に怖くなってしまいます。それを演じることによって、私に何かを悟らせないようにしているのではないかと勘繰ってしまいます。
部屋の匂いを消すようにあからさまに撒かれたミントの香りも、その心配を助長させます。
「まだご飯ができてないんだ。先にお風呂入ってきて」
「分かり……ました……」
それに、最近お風呂にも一緒に入ってくれなくなってしまいました。
以前なら互いに体を洗い合ったり、共に湯船に浸かって疲れをとっていたりしていたのですが、最近はそれすらもなく、私に一人で入るように促してくることが増えました。
そして、私がお風呂に入っている間に、またしても何かをしているのです。
ぶくぶくぶく……
湯船に顔の半分くらいまで浸かり、口から息を吐きます。
こうすることに特に意味はないのですが、兄さまと共に湯船に浸かることを覚えてしまったせいで、一人で入ると何をすればいいのか分からなくなってしまい、こうして適当に暇をつぶしているのです。
――――……?
いつもであれば脱衣所の向こう側から兄さまが何かをしている音が聞こえるのですが、今日は普通に料理をしている音しか聞こえてきません。
料理をしている傍らで何かをしているのかもしれませんが、兄さまが私に隠している『何か』をやめたというのは私の心に大きな安心を齎しました。
湯船から上がり、脱衣所で体を拭いて、風元素(内部機構に炎と氷も)の元素機器『ドライヤー』で髪の毛を乾かして食卓に出ると、そこには既に椅子に座っている兄さまと夕食が用意してありました。
「お待たせしました」
「食べようか」
「「いただきます」」
夕ご飯を食べながら何気なく兄さまの顔を見てみると、最近何か焦ったような顔をしていた兄さまの顔が、気が抜けたような、自然体の笑みを浮かべています。
『彼が近いうちに貴女にその秘密を打ち明けてくれる』という刻晴さんの言葉が不意に思い出され、私自身の中でそのタイミングがもうすぐなのだと結論付けます。
「ん? どうした、甘雨?」
「いえ。何でもありません」
始帰さんの言葉通りであれば、きっとそれは「良いこと」なのでしょう。
それが何なのかは私には図りかねますが、自然と私の箸の速度は上がっており、あっという間に夕食を片付けてしまいました。
「電気消すよ」
「あ、はい」
寝室の電気が消され、兄さまが私と同じ布団の中に入ってきます。
いつも通り私の角磨きと兄さまの翼の手入れを終えて、共に眠る。しかし今日は、兄さまが少しばかり私の方へ寄ってきて、そのままぎゅっとハグをしてから床に就きました。
……どうせならば抱き締められたまま眠りたかったですが、それでは互いに睡眠の邪魔をしてしまうことは明白です。
ですので、私は兄さまが隠し事をしているのを知って悶々としているものとは、また違った意味で悶々としながら眠りにつきました。
「んむぅ……ぅぅん…………ふわぁ……」
翌朝、寝起きで半開きの目をこすりながら隣を見ると、兄さまの姿はありませんでした。
寝室の扉の向こう側から音が聞こえるので、どうやら私の方が少しばかり寝坊をしてしまったようです。
しかし、時計を見やると時刻はいつも私が起床している時間と同じなので、そのことから兄さまがいつもより早起きをしているのだと推察して、私は寝間着姿のまま寝室の扉を開けました。
「あ、おはよう。甘雨」
「ぉはようございますぅ、兄さま」
卓にはまだ料理は並べられておらず、キッチンからいい匂いがするので、まだ完成していないのでしょう。
洗面所で顔を洗い、未だ眠ろうとしている顔を覚醒させます。
タオルで顔を拭いて、洗面所から出ると、「甘雨」と兄さまから声を掛けられました。
「甘雨、これ、先月のバレンタインのお返し。気付かれないようにこっそり作ってたんだが、心配かけたようで申し訳ない」
「……えっ」
兄さまから手渡されたのは、ラッピングされたチョコレートでした。
突然の事で私は思わず固まってしまいますが、そういえばと家にかけられたカレンダーに目をやります。
本日の日付は『3月14日』。空さんが以前に仰っていた、「バレンタインデーのお返しをする日」に相当する日です。
「チョコミントをベースに、清心を使ったチョコとか、瑠璃袋を使ったチョコとか、色々作ろうって決めたんだが、思ったより大変でな……
甘雨が帰ってくるギリギリまで試作をしてたんだ。そしたら、甘雨が思いつめたような顔をしているって鍾離先生から言われて……ごめん。甘雨」
私に向かって頭を下げる兄さま。
いいえ、違います。頭を下げるべきは兄さまを疑ってしまった私なのです。そう言いたかったのですが、私の口は嬉しさと動揺から口をパクパクさせるだけで、言葉は紡げませんでした。
「その、口に合わなかったら全然捨てて――――うおっ!? 甘雨?」
兄さまに、その次の言葉を言わせてはいけないと体が反応し、気付けた私は兄さまに抱き着いていました。
「絶対に、捨てるなんてしません。兄さまが作った料理に不味いものなんてありませんから。
ですので……ありがとうございます。兄さま」
「あぁ、よかった」
『教えられたら後悔する』『バタバタと何かを片付ける音』『部屋の中に漂うミントの香り』
その三つ全てが結びつきました。
兄さまのサプライズを事前に私が知ってしまったら、私はここまで喜ぶことはなかったでしょう。
私はバレンタインデーの日に手作りとはいえ一日で簡単に仕上げたものを渡したというのに、兄さまはそれを何倍にもして返してくれました。
やはり、兄さま……いえ、私の旦那様は優しくて、カッコよくて、素敵な方です。
朝ごはんはちょっとだけ焦げてしまいましたが、兄さまからもらったチョコレートはとっても美味しく、ミントの清涼感が前日まで燻っていた私のもやもやを全て取り払ってくれました。
願うなら、来年も、再来年も、そのまた次も、そして、将来生まれてくるであろう私たちの子供にも、同じものを食べさせてあげたいです。
その日はいつもより倍以上仕事が多い日だったのですが、いつもの半分ほどの時間で全て終わらせてしまい、刻晴さんに呆れた顔をされてしまったのはまた別のお話です。
ちなみに作者は貰ってないので隠し事以前の問題にぶち当たりました。