……あとクソお久しぶりです(三か月ぶり)
無名夜叉の覚悟
「……人、どこへ行っていた」
光も届かぬ地下深く。
入口を完全に封印したために出る事も叶わなくなった深淵に、仄暗い蝋燭の灯だけが残された一人の人間と一人の夜叉を照らし出していた。
「はぁ……夜叉の兄弟よ。何度言えば俺の名を覚える。
俺の名前は”伯陽”。お前と共に層岩で戦った術師だ」
目の前に座る四本腕の無名夜叉にため息を吐きながらも、伯陽は繰り返し自分の名前を聞かせ続ける。
術師とはいえ、ただの凡人である伯陽に目の前の夜叉が『業障』に侵されて静かに発狂し、記憶が混濁していることなど分からない。
それでも、伯陽は目の前の夜叉が自らの名を覚えるまで何度も自分の名を名乗った。
「伯陽……伯陽?
貴様が伯陽と言うのならば、我は一体何なのだ……?」
「ははっ……俺も、名前で呼びたいのだがな。共に死地を生き抜き、共に生涯を終えようとしているのに、名前すら分からないなんて残念だよ」
「ここに残ると……? ならん! お主だけでも外へ出ろ!」
夜叉はこの場所が既に封印されていることも忘れ、”契約”を守るために民を外へ逃がそうとする意思を見せる。
しかしそれは、土台無理な話であった。
「今更後悔するなよ。封印は解けないからな」
「封印……? あぁ……そうか、我は戦うために来た夜叉……」
『業障』に囚われ自我を失いながらも、濃密な『血』の匂いと『死』の気配に引き付けられて夜叉は馳せたのだ。
二人の覚悟は、とうに決まっていた。
「ごふっ……」
「おい、大丈夫か兄弟! 死ぬな!」
「この傷を見ろ。我はもう長くはない」
ほとんどの力を使い果たし、人智を越える力を有す夜叉の体は、傷の修復もできない程にボロボロになっていた。
「……今日、家族の幻影を見た。俺ももう、狂い始めたのかもしれない」
妻子の姿を地下で幻視した伯陽の顔は、地下に入った時より大分やつれていた。頬は痩せこけ、もはや押せば倒れてしまうような体格。しかしその瞳には、変わらぬ覚悟が宿っていた。
「伯陽……お前は、家が恋しいか?」
その覚悟が、少しだけ揺らぐ。
「弟を地上に残すと決めた……ッ!! だが……そんなの……ッ!!
恋しいに……決まっている……ッ!」
伯陽の瞳が力なく揺れる。己が愛し、心の底から共に居たいと願った家族とは、もう二度と会えない。そんな現実を再び直視し、伯陽は掌から血が出る程拳を握る。
「――――……我にも、”家族”は、いるのだろうか」
「……いるんじゃないのか。兄妹とかか?」
「兄妹……ぐっ……我は一体何者で、家族は――――」
ドサリ、と夜叉の巨体が地に倒れる。
徐々に生気を失いつつある夜叉に、伯陽は「死ぬな」と声をかけ続ける。
『……浮舎』
「――――……訪凞の大兄貴……?」
「……? 誰が訪凞だ。まだ覚えていないのか、俺の名前は――――」
「そこに、いるのか……?」
「兄弟……? どうした?」
伯陽に力なくもたれかかっていた夜叉が、岩壁に向かって歩み始める。伯陽が少し目を凝らしてみれば、確かにそこは、ほんのりと水色の何かが輝いているようにも見えた。
「大兄貴……! ずっと、ずっとお探ししておりましたッ!! 数百年間、こんな薄暗い地下深くで、よくぞ……」
「兄弟!? そんなに力を加えては、落盤するぞ!!」
ありったけの力を込めて岩壁に殴りかかる夜叉を、伯陽が慌てて止めにかかる。
「ああ、皆、助力に来てくれたのだな。大兄貴が、ここにいるぞ……!」
「やめろ兄弟! それは幻影だ! 気持ちは分かるが、一度落ち着け!」
「幻影……? そう……か……これは、幻影、なのか……」
我に返った夜叉が、血まみれの拳をだらりと下げて力を抜く。岩壁に移るのは四人の人影で、夜叉にはその全てに見覚えがあった。
「……王手」
「ぐぅっ!? ま、参りました……やはり、いつまで経っても訪凞殿には勝てないですね」
「
我の脳内へ流れるのは、過ぎ去りし過去の思い出だった。
誰もかれもが笑顔を浮かべて時には和気藹々とし、時には切磋琢磨し合った、仲間……否、家族との思い出。
「伐難もやるか?」
「う……
帝君がいらっしゃって、帰終様がいらっしゃって、龍王殿がいて、我ら『仙衆夜叉』五人がいて、他の仙人は夜叉がいて、そしてその中心にはいつも大兄貴がいた。
「あら訪凞。面白い遊びをしているのね。私も混ぜてくれないかしら」
「え゛っ、き、帰終様が……? よし伐難、甘雨のところ行くぞ」
「んんー、ダメ! たまには兄ぃに負けてもらわないと」
「ははっ、そうですよ。いつも私ばかり負けを被るのは御免です」
「み、皆さん、兄者が困っていらっしゃいますよ……?」
「ははっ! いいじゃないか。大兄貴にも負けを知ってもらわないと、我々の立つ瀬がなくなる!」
「……」
帰終様にボロボロに負けて、悶絶しながら大の字に倒れた大兄貴を見てみなで笑った思い出。
「浮舎、追加の墨持ってきたぞ」
「流石は大兄貴! やはり言葉を交わさずとも考えていることは同じなのですね!」
「金鵬の兄者、どんな反応するんだろう」
「そうですね。きっと静かに槍を持って追いかけっこを始めるのではないでしょうか」
「ちょ、ちょっとお二人とも! や、やりすぎですわ!」
そのあと、静かな殺気を滾らせた金鵬に追い回され、大兄貴と共に笑いながら逃げた思い出。
「民を守る夜叉として、姿を現す際には正装をしてくださいと言っているでしょう」
「服など着ていては、戦う時に邪魔になる!」
「兄ぃ、
「どっちも両極端に振り切っているからな。あれは避けられないもめ事だが……」
「ふふっ。いつも通りって感じですわね」
「……ああ」
「……」
「だーかーらー、何もいつも戦っているという訳ではないでしょう! せめて人前に出るときは――――」
「急に妖魔が現れる時もあるだろう! その時、いちいち服を脱いでいては――――」
我と弥怒の口論を、他の皆が止めるでもなく笑顔で眺めていた思い出。
「いやああああっっ!! いやああああああああああああ!!」
「助げでよ兄ぃいいいいいいいいいいっっ!!!」
「ああああああっっ!! やりやがったな伐難んんっっっ!!!」
「くっ、行くぞ浮舎!!
「あ……ああああ……」
「浮舎っ!!!」
――――僕たちで、璃月を永遠に守るんだ。
「助けてくれよ……大兄貴……」
瓦解なんて、あっという間だった。
大兄貴がいなくなって、一年も持たなかった。
皆大兄貴が受けるはずだった業障に飲まれて、身を滅ぼした。
どこに行ってしまったんだ大兄貴。我らで、永遠に街を守るのではなかったのか。
「ああ……ああああああ……あああああ……」
「浮舎……? おい浮舎!! 気をしっかり持て! 飲まれるな!!」
我らハ、夜叉。
りー月ヲ守る、岩オウてい君の、懐刀デアる。
――――リーゆエって、何ダッケ?
――――ガンオうていクんっテ、だレだっけ?
――――ワカラナい。
あぁ、飲まれる。
「ああああああああああああああああああっっっっっっっ!!!」
「浮――――っ!? くっ!!」
――――――――家族との、最期の思い出。
『いいだろう。ここにお前と俺の”契約”を結ぶ』
――――浮生は散り、万般を舎す。
『今日より、お前の名は”浮舎”だ』
「浮舎……そうか、お前は浮舎というのだな」
「……生命の鼓動を感じる。伯陽。ほんの一時でいい。ほんの数刻だけ結界を解いてくれはしないか」
我の頼みに、伯陽はひどく驚いていた。命を懸けてここへ閉じこもったのに、最後の最後に命が惜しくなったかと攻め立てられた。
しかし、そうではない。
「この岩壁の奥深くに、璃月にいなくてはならない人物が眠っている。
我の魂全てをもってして、岩盤ごと全てを上にあげる。何十年、何百年かかってもよい。いずれ彼は息を吹き返し、我らの代わりに璃月へ永遠の安寧を齎す」
その際、大兄貴の中へ眠る邪悪な気配も共に目を覚ましてしまうだろうが、ここで誰にも気づかれぬまま存在そのものが朽ち果てるまで魔神と戦い続けさせるなんてことは、我にはできなかった。
「分かった。……恐らく、俺もお前も、力を使い果たして死ぬだろうな」
「構わん。ここで大兄貴を地上へ近づけさせることにどれだけの意味があることか、あの世でとくとみるがよい」
伯陽が盤を手に取り、全身全霊を以て力を流し込む。そして我も、魂そのものを削り取って大兄貴が眠る岩盤ごと動かす雷極を作り出す。
地面が激しく揺れ、洞窟のあちこちが凄まじい音を立てて崩れ始める。
退路は断たれ、もはや引き返すことなどできないが、もとより我らに引き返す道など最初から存在しない。
――――大兄貴、どうか、地上で一人苦しんでいる金鵬を、助けてやってください。
――――我らはこの誰にも見つからぬ地下空間で、あなた方を見守り続けます。
――――どうか、ご達者で。
岩盤が崩落し、二つの命が地脈へ還る。
地盤が上昇し、一つの命が未来へ託された。
千年の激闘の最中、彼は気付くことなく一人の家族の死を見送っていた。