10ハロンの暴風   作:永谷河

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馬、強敵と出会う

第十話

 

 

2005年、競馬界は久しぶりに沸いていた。

昨年はゼンノロブロイが天皇賞・秋、ジャパン・カップ、有馬記念を連勝したが、圧倒的な人気があるとはいえなかった。

競馬人気も少し陰りが見えつつある状況で、1頭のサラブレッドが強烈な輝きを放っていた。

新馬戦、若駒ステークスの2戦を圧勝したディープインパクトである。この馬の可能性に、気の早い人などは、未来の三冠馬などともてはやしていた。

これに待ったをかけるのが、朝日杯FSを勝利したマイネルレコルトを中心とした2歳戦線を戦ってきた馬たちである。

それらの有力馬が一堂に集結するのが皐月賞である。しかし、その前哨戦となる弥生賞にもクラシック戦線有力馬が集まることも多い。すでにディープインパクト、マイネルレコルト、アドマイヤジャパンが出走を予定している。

テンペストクェークも弥生賞に向けて調整を行っていた。新馬戦と条件戦の2戦だけであるので、クラシックの本命とは評価されていなかった。しかし、血統が面白いため、応援している競馬ファンは多いようである。

 

さあ、激闘の2005年春が始まる。

 

 

 

2005年3月

美浦トレセンの藤山厩舎では、テンペストクェークの弥生賞に向けての調整が行われていた。

 

 

「併せ馬の調子は良好でした。この調子なら、弥生賞も問題なく走れると思います」

 

 

「わかりました。追い切りでも確認してみます」

 

 

調教助手と騎手の高森がテンペストクェークの調子を確認していた。

そこに藤山調教師が加わり、弥生賞のことを話し始めた。

 

「やっぱり調教だと従うんですね……」

 

 

「本番になると意固地になってしまうのかもしれませんね。調教そのものは順調です」

 

 

調教タイムもいい。そして、余裕も見せている。ただ、藤山が考えている勝ち方でないことが懸念点であった。ただ、相手は馬である。人間の想定することなど、彼らにとっては関係ないことである。

 

 

「私も彼の脚質がわからなくなってしまいました」

 

 

おかしいなあと藤山は嘆く。

関係者は少なくとも本質は「逃げ」ではないと考えている。優秀なスピードと抜群のスタートがあるので、十分強いが、彼の本質ではないのである。

実際に彼は後ろレース中盤で後続の馬が近づいてくるとスピードを上げてしまう癖がある。それにラストでやや失速してしまう癖もあるため、G1級の逃げができるとは思えないのである。今のままでも一流の馬にはなれるだろうとは考えていた。ただミホノブルボンやサイレンススズカ級の馬になれるとは思えなかったのである。

本来の走りは末脚を活かす戦法が向いているはずであると考えていた。初期の調教で、追う馬を行っていた。その際に、オープン馬を先行させ、走らせていた。走り方やスピードを模倣させたり、強い馬を目標にさせるためである。その際に、最後の2Fで一気に加速して、あっという間に先行馬を置いて行ってしまったことがあった(1秒近く先着していた)。

乗っていた調教助手は、振り落とされそうになったと回想していた。

この走りをしてほしいと、強めの調教をする日には追い越しの調教をしているのだが、なぜか彼は本番の競馬では逃げしかしないのである。

賢いといっても馬なんだなあと調教師たちは考えていた。というより、賢い馬は調教師や騎手の言うことをよく聞くので、彼はある意味でバカなのではないかとも考えていた。

彼がこのことを聞けば、憤慨するであろうが、彼に競馬脳はインストールされていないので、競馬に関してはバカであることに間違いはないのである。

 

 

「弥生賞ではできれば彼の末脚を見たいので、中団あたりで控えることが出来ればそれで行ってくれ」

 

 

「わかりました。しかし、拒否された場合は今まで通りに行きますか?」

 

 

「今回は少し強めに指示してもらってもいいかな。それでもだめならいつも通りで」

 

 

さすがにレース中に喧嘩をされても困るので、ある程度のラインを決めることにしたのである。

 

 

「それで頼むよ。ただし、無理だけはさせないでくれ。西崎オーナーもこれだけはよく言ってくるのでね」

 

 

「わかりました」

 

 

去っていく騎手を見ながら、藤山は弥生賞のことを考えていた。

マイネルレコルトやアドマイヤジャパンも強い。重賞を勝ち、実績もある。しかし、2戦しかしていないディープインパクトに世間の注目は集まっている。

天才とも言われた騎手がべた褒めしているというのも注目される要因だろう。

 

 

「おそらく追い込みで来るだろう。果たして逃げ粘ることが出来るのか……」

 

 

スローペースでは確実に捉えられるだろう。かといってハイペースでスタミナをつぶそうにも、アレはおそらく全く関係なく猛烈な追い込みでばてた逃げ馬、先行馬をとらえるだろう。

 

 

「あれ?どうやって勝てばいいんだ?」

 

 

藤山順平は悩み続けたが、答えは出なかった。

 

 

 

栗東トレセンのとある厩舎

メジロマックイーンを中心に名馬を送り出したベテラン調教師の下で、1頭のサラブレッドが戦いに向けて調教を受けていた。

 

 

「競馬に絶対はない。だが彼を負かすことが出来る馬は……」

 

 

マイネルレコルトやアドマイヤジャパンなどの有力馬のデータを確認しながら彼を負かす可能性のある馬を検討する。すでに彼だけでなくスタッフ全員が何度も検討を重ねている。しかし競馬に絶対はないという言葉の通り、「万が一」、起こりそうな要素を探し出していた。

 

 

「テンペストクェーク、2戦を逃げ勝ち。調教も悪くない。血統的にはマイルが主戦場か?いや、2000メートルも走っている。十分中山も走ってくるだろう。2戦とも逃げ切り勝ちか。騎手は……高森君か。彼もあの事故がなければなあ……」

 

 

このときのテンペストクェークについて、ディープインパクトの調教師は、「注意すべき馬の一頭」だったと後に話している。

 

 

―――――――――――――――

 

 

俺は馬である。

先日、トラックに乗せられて、競馬場に運ばれた。

このトラックは意外と快適なので、うとうとしていたら、すぐに到着してしまった。

 

この競馬場に備え付けられた俺の部屋も意外と快適で、しっかりと人間にお世話をしてもらっている。最近調子がいいので、ウキウキ気分であった。

ただ、さすがにレース前なため、いっぱい食べることが出来ないので、その点は少し不満である。

まあ走る前にバカ食いはしないよなと納得しているので文句は言わない。

ところでこの建物、他の馬も結構入っていたりする。まあいつもの場所にもたくさん馬がいるのでそこまでストレスにはならないが、俺にちょっかいをかけてくる奴もいるので、そういう奴は基本的に無視している。

 

そんなこんなで過ごしていると、やけに人の集まっている部屋があった。

 

 

【頑張るぜ】

 

 

ちょっとよく見えないが、なんかやけにちやほやされている。

きっとあの馬も俺と同じように人間に愛されているのだろう。一緒に走るかはわからんが、あの馬に期待した人を裏切らせてしまうのはちょっと悲しいなあ。だってレースに勝つのは俺だからだ。

 

(因みにこのナルシストが同情した馬は、鹿毛でちょっと小柄で、額に小さな白い流星のある馬である)

 

 

「うーん。普段は結構イケメンなんだけど、たまに変な顔をするんだよなあ……何考えてるんだろう」

 

 

俺の世話をしている人間がなんか言っているみたいだ。ちょっと馬鹿にされた気がするので、服を引っ張ってやる。

 

 

「って、やめてくれ」

 

 

俺の首元を撫でてきたので、やめてやる。

 

 

「うーん人の言葉がわかっているのかなあ……」

 

 

いつがレースの時間がわからんから、横になってゆっくりしていよう……

 

そしてぼーっと過ごしていたら、見知った人間がたくさん俺の部屋の前にきて、俺を外に連れ出した。

そろそろレースかな。

 

 

背中に色々つけられて、いつものぐるぐる回る広場に出ると、今までとは比べ物にならないほどの人がいた。というかちょっと寒いな。馬には問題ない気温だけど人間は寒そうにしてる。騎手君はあんな寒そうな格好で大丈夫なのかねえ。

 

いつものようにグルグルと同じ場所を回っていると、やけに人間の視線を集めている馬がいることに気づいた。

そこにいたのは小柄な馬であった。

ただ、俺は黒い馬と初めて立った時と同じようなオーラをあの馬から感じたのである。そして、他にも強そうな馬は何頭もいた。

今まで戦ってきた馬とはレベルが違う。

そう確信した。

だが、勝つのは俺だ。

 

しばらくすると、騎手君がやってきた。相変わらず寒そうな格好だな。

俺のモフモフで温まってもいいんやで。

 

 

「よろしく頼むよ。テンペスト」

 

 

【任せなさい】

 

 

「ハハッ、やっぱ賢いなあ……」

 

 

さあまいりましょうぞ

歩いて競馬場の芝の上に入ると、曇天が広がっていた。観客席にはかなりの人がいた。歓声も聞こえる。

俺はウォーミングアップを兼ねてしっかりと走ってゲートの方に向かった。

 

 

2005年3月6日 第42回報知杯弥生賞(G2)

芝・右・2000m/天候:曇/芝:良

 

『中山競馬場ですが、天候は雲、気温は非常に寒くなっております』

『前走、若駒Sから約2か月、ディープインパクトが関東にやってきました。皐月賞トライアルレース、第42回報知杯弥生賞には、ディープインパクトのほかに2歳王者マイネルレコルト、京成杯を勝ったアドマイヤジャパンなど、これが皐月賞といっても過言ではないメンバーが集まっております』

『確かにいいメンツが集まってますね。ただ、ディープインパクトが圧倒的な一番人気なんですよね。2番3番人気も先ほど紹介してもらった馬ですし、大番狂わせが起こる可能性はあまり大きくはないかなと思います。人気がすべてではないですが、2戦でここまで人を魅了する馬というのも久しぶりに見た気がします』

『そろそろスタートですが、気になる馬はいますか』

『上位馬以外ですとテンペストクェークが結構いい感じだと思うんですよね。調教のタイムもいいし、パドックでも集中している。風穴を空けてくれるかもしれません』

『7枠8番のテンペストクェークですね。期待してみていきましょう』

 

 

出走を伝える音楽が聞こえる。たしかファンファーレといったか

これもいつもと違う音色だった。

どんどんと馬がゲートの中に入っていき、人間に引かれてゲートの中に入った。

 

 

【はやく、はやく】

 

 

【でたい、せまい】

 

 

自分はそうでもないが、やっぱりゲートが嫌な奴もいるようである。

 

 

『大外のディープインパクトが入りました。皐月の夢へつながる大事なレース。弥生賞スタートです』

 

 

ゲートが開く音と同時に、一気に飛び出す。

スタートダッシュは俺の得意分野だぜ。

 

 

『いいスタートを切ったのはやはりテンペストクェーク。ディープインパクトもいいスタートです。そのままテンペストクェーク先頭、ダイワキングコンが追走します……』

 

 

観客席の前を走ると、大きな歓声が聞こえる。やっぱり人が多い。これは相当に大きなレースなんだろう。

 

前でいつものように走ろうとすると、騎手君が俺に減速するように指示してくる。

うーん、でも今までもこのペースで勝ってきたし、大丈夫だって。それに今日は相手も強そうだし、レースの規模も大きいみたいだから、いつもより早めのペースで走るから。

 

 

「やっぱりだめか……頼む、一度でいいから俺を信用してくれ」

 

 

ああもう、大丈夫だって。俺の強さを信じてくれ。

 

 

「クソっ、おれはリュックかよ……」

 

 

この時点で俺は先頭に立っているが、意外とすぐ後ろに馬がついてきていた。もう少し早めのペースでもいいのかな。

 

 

『……ディープインパクトは後方3番手でゴール版を通過しています。かなり早い時計が出ています……』

 

 

コーナーを曲がっていく。くそ、後ろのやつらも結構速い。もっと速く走らないと。

 

 

「加速した?これ以上は後半持たなくなるぞ」

 

 

騎手君が俺を止めようとする。

でも、他の馬は強そうなやつが多いし、今速く走っておかないとヤバい気がする。

 

 

『……ここでマイネルレコルトが3番手に上がりました。その後方にアドマイヤジャパンがいます。ディープインパクトは後方2番手……』

 

 

直線を走り、次のコーナーに入っていく。コーナーで外に膨らんでいかないようにして走らないとな。

結構難しい。

 

 

『テンペストクェークが逃げていく逃げていく。残り800通過が1.11.5となっております。大逃げです。後続に10馬身以上差を広げています。これは持つのでしょうか……』

 

 

「ヤバい、ちょっと早いぞテンペスト」

 

 

後ろの馬がやけに遠くに見える。

あれ?早いのか?あれ?

俺は混乱していた。12秒くらいで走っていたはずなんだが……

慌てて、俺はペースを緩めた。

 

 

『……2番手ダイワキングコン、その後ろにマイネルレコルト、アドマイヤジャパンが続きます。ディープインパクトは、おおっとディープインパクトが上がってきた。残り600から上がってきました……』

 

 

コーナーを曲がり、直線にはいる。

疲れてきた。最初に飛ばしすぎた。

あともう少しだ……

 

 

『コーナーを曲がりながらディープインパクトが大外から上がってきた。先頭はテンペストクェーク。まだ6馬身以上あります。これは届くのでしょうか。かなりのハイペースです』

 

 

「来たぞ!テンペスト。もう少し頑張れ」

 

 

確かこのコースはゴール前に坂があるんだった。ここで最後に粘り切るぞ。

後ろからどんどんと馬が迫ってくるのを確認しながら俺は走り続けた。

 

 

『大外からディープインパクト、マイネルレコルトも上がってくる。テンペストクェークも粘る粘る。内からはアドマイヤジャパンも伸びてきた……』

 

 

くそ、脚が鈍り始めた。中盤に速く走りすぎたか。それでも、これなら勝てる!

そう思った瞬間、おれの左側から、猛スピードで馬が抜き去っていった。

 

 

『……ディープインパクト捉えた、内からアドマイヤジャパンも並ぶ。ディープインパクト抜けた抜けた!そのままゴールイン!』

 

 

そして俺は、右から来た馬と並んでゴール板を駆け抜けた。俺の左にも馬がいたので、俺は2位か3位か4位かもしれん。

ただ、初めて負けたことは事実であった。

 

 

『ディープインパクトが勝った。大逃げ馬をとらえても勝利。衝撃の3連勝だ!!!』

 

 

『勝ち時計は2.01.2。非常に早いレース展開となりました。2着から4着は接戦でした。写真判定をしばらくお待ちください』

 

 

勝った馬をたたえる声が聞こえた。歓声も受けている。

息も絶え絶えになりながら、俺は芝のレース場を後にした。

くそっ……

 

 

 

 

騎手の心、馬知らず。

当たり前である。しかし、人間をインストールしているのにこれでいいのかテンペストクェーク。

覚醒への鍵は意外とすぐそばにあったりするものである。

 

 

 

 

弥生賞後の藤山調教師への取材

 

 

「いい走りはしてくれたと思います。初めての重賞で2着ですからね。接戦を拾えたのは本当に良かったと思います。調教でもいいタイムを出していたので、入着以上は期待していました」

「大逃げは……ノーコメントで」

「今後の予定ですが、皐月賞に向かいます。ただし、体調も考えて判断していきます。今後も彼の応援をお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




私はディープインパクトが現役のころは学生だったので、彼の走りを生で見ることはありませんでした。
しかし弥生賞は馬身差があまりないなあと思ったら、馬なりで走っていたんですね……

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