10ハロンの暴風   作:永谷河

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区切りが悪かったので2話に分けました。
こちらが後半です。


決戦、宝塚記念 後半

外の雨の音が聞こえるくらい、部屋は静まり返っていた。

調整ルームは、どんな騎手でも狭さや不便さは同じである。

食堂やサウナといった共有スペースには他の騎手がいるが、今日の自分はそんな気分ではなかった。

 

 

「宝塚記念か……」

 

 

若いころに一度だけ出走したことがあるレースだ。まあ入着もできなかったが。その時は阪神競馬場での開催だったな。

......思えば長く騎手を続けてしまった。

29年も騎手をやっていて初めて獲ったGⅠが28年目の昨年。

そんな俺の乗る馬が、宝塚記念で現役どころか史上最強馬になりつつある馬の最大のライバルとは……

 

俺はてっきり安田記念に行くと思っていたが、先生と西崎オーナーはそうではなかったらしい。先生は外では隠しているが、厩舎内ではディープインパクトに勝つという「自信」を隠し切れていなかった。

ただ、ここ数週間のテンペストの調教、そして追切の様子を見て、実際に乗ってみて、その自信がただの見栄ではないことが分かった。

ドバイのときよりもさらに仕上がっているように思えた。

 

それでも、宝塚記念は厳しいものになるだろう。相手はここまでGⅠを5連勝、重賞は8連勝している。しかも無敗である。日本競馬史上最強馬と呼ぶ声もあるぐらいだ。

マイルに近い距離ならテンペストの方が速いだろう。だが、宝塚記念は2200メートルだ。

ディープインパクトの本質はステイヤーだが、神戸新聞杯や皐月賞で見せたように中距離でもその実力をいかんなく発揮できる。つまり中距離でも超一流の実力を持っている馬である。

2000メートルから距離が伸びれば伸びるほどテンペストは不利になって、ディープには有利になると思われる。

 

 

「明日も雨か。重馬場、下手すれば不良馬場になるかもな」

 

 

テンペストは馬場状態を苦にしない。道悪でも問題なく走るパワーがある。この点については心配していない。

彼の祖父は不良馬場が苦手だったのだが、血統のどの馬が道悪適性を彼に与えたのだろうか......全くわからない。

 

それよりも、問題は距離だ。宝塚記念は2200メートルだが、馬群の外側を走ればその分距離は増える。

枠順は3枠3番。そのままインをついて経済距離で走るのもいいかもしれない。

 

 

「いつも通り大外一気か、それとも先行策か……」

 

 

レースのシミュレーションを延々と行う。どこでどう待機するか、どこでスパートをかけるか、ディープインパクトはどうするか。他の馬はどうするか。

 

こうして、一人で考えていると、どうしてもマイナス思考が頭をよぎる。ドバイの辺りから薄々と考えていたことである。

 

 

「俺でいいのか……」

 

 

ディープインパクトVSテンペストクェークが盛り上がれば盛り上がるほど、プレッシャーが高まっているのがわかった。天皇賞やドバイのときも緊張はしたが、ここまでではなかった。今回は、相手が俺たちと因縁のある相手だというのも大きいのかもしれない。

明日、テンペストが負ければ、彼はディープインパクトに4連敗したことになる。負ければ勝てなかった要因を指摘される。真っ先に指をさされるのは俺の存在だ。

俺のことをテンペストのリュックサックと揶揄する人がいるのは知っていた。俺の実績を考えればそのヤジも仕方がないとも思うが、それでもキツイものがあった。

そして、明日負ければ、テンペストの熱狂的なファンからは「テンペストクェークは高森というロートルがのっていたからディープインパクトに勝てなかった」と輪をかけて言われることになるだろう。

そうなれば、次走からは別の騎手になるかもしれない。

先生やオーナーからは、宝塚記念以降も主戦騎手としてテンペストに乗ることが約束されている。しかし、この世界はそんな優しい世界じゃない。騎手の変更なんて当たり前のように行われる世界だ。

もしかしたら、次はディープインパクトの鞍上で輝いている後輩騎手が主戦になるかもしれない。

それだけは嫌だった。

一度マイナス思考に陥ると、そればかり考えてしまう。

40後半にもなって情けない......

 

マイナス思考を片隅に追いやろうと、テレビをつけるが、頭の片隅から消えることはなかった。

 

 

 

 

6月25日、京都競馬場は大雨だった。

不良馬場にちかい重馬場が、ディープインパクトとの4回目の戦いの舞台だった。

 

 

「高森君。テンペストは、調教師人生でもう一度やれと言われても無理だといえるほどの状態に仕上げました。あとは託します」

 

 

「テンペストが勝っている姿を見たいです。よろしくお願いします」

 

 

先生とオーナーからテンペストを託された。

緊張が先生やオーナーに伝わっていないか心配だった。必死に隠していたが、もしかしたら見透かされていたのかもしれない。

 

パドックに行くと、そこには今日のレースを走る歴戦の馬たちが歩いていた。その中で、彼は輝いていた。大雨であったが、その馬体は、強者のオーラを放っていた。

俺が騎乗した後歩く、本馬場に入場するための馬道では、静かに前を歩くディープインパクトを見つめていた。

 

 

「やっぱり負けたことを覚えているんだな」

 

 

とても賢い馬だ。そして今日は過去一番といっていいほど集中している。というよりディープインパクトに対して闘志を燃やしているのがわかった。

だが、それで前のめりになっているわけでもない。

あくまで冷静であった。

 

 

本馬場に入ると、芝の状態を確認するように走り始めた。

歩いたり、ジャンプしたり、スキップをしたり。中山記念でも同じような動きをしていた。

中山記念のときから薄々気が付いていたが、テンペストは馬場状態で走り方を微妙に変えている。だから良馬場の高速競馬にも、重馬場の道悪にも問題なく対応ができるのだろう。

こんな馬は見たことがなかった。

 

だからこそ、怖かった。

この素晴らしい馬が俺のせいで負けてしまうのではないかと。

 

 

「……勝てるのか」

 

 

俺より腕のいい騎手がいるのでは?

そう思うと、手綱を持った手が震えていた。

ドバイでもこんなに緊張しなかった。何故だろうか、たまらなくターフが怖かった。

 

緩めのスピードでゲートに向かっていたテンペストがいきなりその場で止まり、突然立ち上がったのであった。

俺はたまらずターフの上に降り立ち、脚や身体の状態を確認した。

彼は、耳を絞り切っていた。

まるで、やる気がないなら帰れというように。

そういえば馬は乗り手の感情に敏感な生き物だった。

 

 

「すまん、テンペスト……」

 

 

俺がそういうと、彼は頭を上下させ、あっちを見ろと首をゲート付近に向けた、

彼が見据える先には、ディープインパクトがいた。

 

ああ、俺はなにを考えていたんだ。

彼は負ける気なんて全くなかったんだ。何を考えているんだ俺は。

彼に失礼だ。なんで負けるなんて思っているんだ。

俺に初のGⅠをプレゼントしてくれたのは彼だ。

俺に海外の頂点を見せてくれたのも彼だ。

なんでそんな強いテンペストを俺は信頼できていないんだ。

彼の強さを一番間近で見てきたのは俺だ。それを信頼しないでどうするんだ。

俺は相棒失格だ。

 

 

「すまんかったな、相棒。このレース、勝つぞ」

 

 

「任せろ」、そんな嘶きが返ってくる。

ありがとうテンペスト。少しプレッシャーに負けかけていたみたいだ。

というか俺を気遣ってくれたのか……

 

 

ゲート前では、出走する馬たちがゲートインを待っていた。

何万人もの観衆が大雨の中、俺たちの戦いを観に来ていた。

もうすぐ始まる。

3枠3番のゲートに入る。全く問題ない。いつも通りだ。

 

全ての馬が入った。

もうすぐだ。

 

 

「行くぞ、テンペスト!」

 

 

ゲートが開く音と共に、テンペストと俺はスタートした。

俺と相棒の絶対に負けられない2200メートルが始まった。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

俺は馬である。

今俺はレースを走る。大切なレースだ。

この日のために、苦しいトレーニングを積んできた。

兄ちゃんやおっちゃん、それに俺の周りにいる全員が今日のレースのために尽力していた。

それなのに、騎手君がかなり青い顔をして、手が震えていた。

 

おい、なんでそんな顔をしている。

まさか負けるのが怖くなったのか?ふざけるなよ。

俺は立ち止まって彼をレース場の地面に降ろした。ケガをされると困るので、あくまでゆっくりとだが。

あいつらを見ろ。今日の倒すべき相手だ。

俺は3回もあの小柄な馬に負けている。絶対に勝たないといけない相手だ。

それに今日はあの明るい色をした大柄な馬もいる。

強そうなライバルたちと俺たちは走るのだぞ。

それなのになんでそんな顔をしているんだ。何を臆しているんだ。

 

 

【俺を誰だと思っているんだ】

 

 

騎手君のおかげで俺はここまで強くなったんだぞ。なんでそれを信用できないんだ。

俺だけの力ではあの小柄な馬には勝てないぞ。

さあ、いつもの騎手君に戻りなさい。

俺は強いぞ。

 

 

騎手君は俺に何か言葉をかけると、首元を撫でてくれた。

……いつもの彼だな。

 

 

【さあ、乗りなさいな。勝ちに行くぞ】

 

 

騎手君が俺の上に乗る。

気合を入れて俺は鳴き、ゲートの方に走る。

 

ゲートの前にはライバルたちがすでに準備を整えていた。

 

 

【今日は勝つ】

 

 

【負けない】

 

 

いつも絡んでくるイケイケの馬、そして……

 

 

【今日も勝つよ】

 

 

小柄な馬だ。だが、そのオーラはとんでもないものを持っている。

俺は強くなった。だから勝たなければいけない。

 

 

【絶対に勝つ】

 

 

さあ、ゲートインだ。

ゲートに入ると、後は目の前の扉が開くのを待つだけだ。

しばらく待機していると、騎手君が俺に合図を送る。

そろそろだな。

 

 

ガシャンという音と共に、ゲートが開く。

 

俺はそのタイミング通りに前に飛び出した。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

ゲートが開いてすぐに抜群のスタートを切ることが出来た。

ここでしっかりと自分のポジションを見つける。

今日はテンペストにとっては久しぶりの2000メートル以上の距離だ。

なるべく経済コースを通りたい。インは馬場が荒れているようだが、彼なら大丈夫だろう。

 

 

『……ディープインパクトはいつものように後方に下げていきました。そして外から上がってきたのはバランスオブゲーム。テンペストクェークもやや後ろに待機するようです……』

 

 

ゲートが隣だったダイワメジャーは予想通り先行に、ハットトリックも前に行ったな。

ちょうど俺たちの前には1番のリンカーンがいる。

俺たちの位置はちょうど中団の後方あたりか。それでディープは後方と、いつものことだな。

 

 

『……各馬コーナーに差し掛かります。先頭はバランスオブゲーム。それにダイワメジャー、シルクフェイマス、ハットトリックが続きます。テンペストクェークは中団後方。ディープインパクトは後方からの競馬です……』

 

 

テンペストは大柄な馬にしてはコーナーがかなりうまい。それに荒れた芝でも全く苦戦しないで悠々と走っている。

コーナーでリンカーンらが前に前に進んでいったので、少し速度を調整して、後方集団の前あたりにつける。こういう細かいスピードの調整がうまいのは本当に助かる。

 

 

「少し縦長だな……」

 

 

『向こう正面に入りまして、先頭はバランスオブゲーム、そしてダイワメジャー……3番のアイポッパーまでが先行集団か。そこからやや距離を空けて7番ナリタセンチュリーが後方集団の先頭を行きます。その後ろにテンペストクェークが走ります……』

 

 

ディープインパクトはおそらく俺たちの少し後ろにいるだろう。

京都競馬場は直線終わりあたりに上り坂がある。ただ、テンペストは上りを苦にしないので、特に警戒する必要はない。坂に差し掛かると、彼の走り方がまた少しだけ変化したように感じた。

 

 

『……京都競馬場の坂を上がっていく。ディープインパクトが上がっていた。上がってきました。後ろから中団の位置まで上がっていこうとしています。大外を回るようです。これで問題ないのがこの馬の強いところであります……』

 

 

来たか……

このパターンになったらもうファンは勝利を確信しているだろう。

大外を回っても全く問題ないといわんばかりに、内側を走っている馬に並びかける。

俺たちの前にはカンパニーがいるな。俺たちに内側を取らせないつもりだな。

そりゃあそうだろうな。

だが、ここからがテンペストの本領だぜ。

 

 

『さあ第4コーナーが終わって直線だ。もうディープインパクトは大外直線一気態勢だ。ここから追い込みが見れるのか。テンペストクェークはその位置で大丈夫なのか……』

 

 

坂を下った先にあるコーナーからの直線。先行の馬が次々と外に膨れつつ直線に入っていく。コーナー終わりで固まっていた馬群がほどけ始めた。

外に行く馬もいれば、内を攻める馬もいた。

蓋をされたように見えるだろう。ただ、俺には一本の道筋が見えた。

内をついた馬が、内ラチのないゾーンに入り、内側によれたのである。そのおかげで、外側を走っていた馬との間に空間が生まれたのだ。

 

 

「行くぞ!テンペスト!」

 

 

鞭を打ち、彼にその空間へと突入するように指示する。

一気にスパート体勢に入り、異次元の加速力が俺の身体を襲った。重馬場とは思えない。パワー、スピード、瞬発力すべてがかみ合った完璧な加速だ。

 

 

『……外からディープインパクトだ。バランスオブゲームも粘るが苦しいか……っと中央からテンペストクェークだ、テンペストクェークが猛烈な勢いで走りこんでくる。二番手ダイワメジャーを抜かしていく……』

 

 

ダイワメジャーの鞍上が、「嘘だろっ」と叫んだのが聞こえた。実際少しダイワメジャーの馬体がテンペストの身体に接触したが、彼は気にもしていなかった。

先頭のバランスオブゲームはもう持たないだろう。そして……

 

 

『8番のディープインパクトがバランスオブゲームをとらえる。残り200メートル。テンペストも上がってくる。しかしディープインパクトが伸び続ける……』

 

 

やっぱり来たか。

ディープが先頭を追い抜いてすぐに俺たちも追い抜く。

あと2馬身、1馬身半、1馬身。

クソ、あと少しなのに。

 

 

『ディープインパクト先頭。テンペストクェークが猛追するが、これは届かないか……』

 

 

あと150メートル。3/4馬身が遠い。

テンペスト、頼む。あと少しだけ、少しだけ力を出してくれ!

俺は祈るようにしてテンペストに鞭を入れた。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

大雨のせいか、芝がかなり濡れている。

前の馬が蹴り飛ばした泥や飛沫が俺の身体を汚していくのがわかった。

後でシャワーをしてもらえばいいので、気にはならないな。

それよりも、コーナーを走っているときは、前に馬がたくさんいて、どうするか悩んだ。

しかし、直線に入ると、馬が内側に行ったり、外側によれて行ったりして、俺たちが前に行く空間が生まれたのが見えた。

そうか、騎手君はこれを見越していたのか。

その瞬間、俺は鞭を打たれた。

任せろ。今日も一気に決めてやるよ。

 

脚の回転数を上げ、一気にスパートをかけていく。

前に馬が少し俺の方によれてきた。

邪魔だ!どけ!

 

 

【くそ、強い……】

 

 

少しぶつかったようだが、俺には関係ない。

ただ、前に行くだけだ。

 

他の馬を抜かしていき、ヘロヘロになっていた先頭の馬を向かそうとしたとき、少し離れた横にあの小柄な馬が猛スピードで加速しているのが見えた。

 

やっぱりお前か!

俺は必死に追いかける。

あいつの鼻は俺より1メートル近く前にある。このままだと俺は負ける。

脚を動かしているが、その差が縮まらない。

少しでも力を抜けば、あっという間に離されてしまうだろう。

 

クソ、また俺は勝てないのか。

少し前まで勝てていたのは、あいつがいなかったからなのか。

ああ、疲れたなあ……

 

今日は距離がちょっと長いなあ……

息が上がり、意識が少し朦朧としている。

 

 

 

 

2着でも大丈夫かな?

 

 

 

 

騎手君の鞭に打たれた。

 

俺は何を考えていた?

 

負けるのがしょうがない?2着でも十分?

何を言っているんだ。ふざけるな、ふざけるな。

俺はおっちゃんや兄ちゃん、それに騎手君の努力を何だと思っているんだ。

さっき俺は勝つぞと意気込んだばかりだろうが。

 

ありがとう、騎手君。いや相棒。

おかげで目が覚めた。

 

疲労はある。だが、まだまだ走れると俺の本能が告げている。

俺の脚は、肺は、心臓はまだいけると告げている。

 

この日のために俺は徹底的に身体を鍛えぬいた。その成果を今出さなくて、いつ出すんだ。

ゴールまであと少ししかない。

前にはあの小柄な馬が走っている。

このままでは負けてしまう。

それは嫌だ。もう3回も負けているんだ。このまま負け犬になるなんてごめんだ。

おっちゃんが、兄ちゃんが、騎手君が、そしていろんな人が俺のために戦ってきていたんだ。

ここで出し惜しみしてどうする。

さあ、俺の脚よ。本領を発揮するときが来た、フルパワーで走るときが来たぞ。

 

今目覚めないでどうするんだ。乾坤一擲の大勝負のときが来たんだ。こんなときに眠っている場合か!

 

景気付けとばかりに、もう一発鞭が入れられる。

 

いい気分だ。

行くぞ、これが俺の全身全霊だ。

 

 

「テンペスト!差すぞ!」

 

 

もっと、もっと足の回転数を上げろ。

前に、前に行けるように地面を蹴り上げろ。

肺が苦しい。いつものことだ。

心臓がうるさい。これぐらい大丈夫だ。

脚がきしむ。筋肉が何とかしてくれる。骨は大丈夫だ。

今までのトレーニングを思い出せ。壊れるほど柔な鍛え方はしてないはずだ。

でもやっぱ怖い!神様仏様ご先祖様。俺の身体を守ってくれ。

がむしゃらに俺は走った。

 

数秒が永遠のように感じた。

周りがスローに見えた。

 

 

もう何も感じなかった

もう何も考えなかった。

俺はただ、ゴールだけを目指していた。

 

 

 

 

気が付くと、俺はスピードを緩めていた。

あれ、レースはどうなった……

脚は……大丈夫だ。痛みはない。ただ、これは筋肉痛がひどくなりそうだ。

肺は……大丈夫だ。呼吸が乱れているが、疲れているだけだ。痛みはない。

心臓は……大丈夫だ。拍動が聞こえるくらい早く、強く打っているが、痛みもしびれもない。

俺は何とか賭けに勝った。

限界のスピードで俺は走っていた。

これで負けたなら、もう相手を褒めるしかないだろう。

 

 

「テンペスト!テンペスト!勝ったぞ、俺たち勝ったぞ!」

 

 

大歓声が俺たちを包んでいた。

勝てたのか?どうなんだ。

騎手君の喜びからすると、俺は勝てたみたいだ。

ああ、よかった。よかった。

 

 

【次は負けない】

 

 

前を走っていた小柄な馬からひと言もらった。

ああ、そうか。

 

【俺も負けねえよ】

 

 

しばらくクールダウンで走ると、一気に疲労が俺を襲った。

 

 

「大丈夫か……?」

 

 

ああ、少し疲れた。

思った以上に体力を使いすぎたな。

ただ、俺の身体は無事だよ。心配しないでいいさ。

 

 

「ありがとう。これでテンペストもグランプリホースだ」

 

 

去年の春のリベンジ成功だ。

まあ1勝3敗で負け越しているけど。

あの馬の手前、次は負けないと言ったが、正直二度と一緒に走りたくねえ……

もう少し出力を上げていたら、多分俺の身体のどこかがぶっ壊れていたな。

 

 

「テンペスト、よくやった……」

 

 

おっちゃんや兄ちゃんたちが泣いていた。

ああ、俺は勝てたんだ。

みんなの努力を実らせることが出来たんだ。

夢を叶えることが出来たのだろう。

俺に感謝していた。俺を讃えていた。そして、みな笑顔だった。

 

俺が何故馬になったのかはわからない。

だけど、この光景を目にすることが出来たのなら、馬になった甲斐があったのかもしれない。

 

また激しいレースが俺を待っているかもしれないが、今はこの喜びをかみしめよう。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

『……ディープインパクト、ディープインパクトが先頭だ。このまま決まるのか。テンペストクェークが伸びてきた。これはどうなるか、どうなるのか。ディープか、テンペストか。テンペストがさらに伸びる。伸びる!差し切ったテンペスト差し切ってゴールイン。ディープインパクト敗れる!最後に差し切ったのはテンペストクェークだ!』

 

 

大雨の京都競馬場に大歓声が響き渡る。

ラスト1ハロンの死闘に軍配が上がったのはテンペストクェークであった。

ラスト100メートルで3/4馬身差を詰めて、アタマ差をつけての1着であった。

わずか5秒程度ではあったが、猛烈な加速であった。

 

 

『淀の舞台に暴風が吹き荒れました。勝ち時計は2.12.8。テンペストクェーク、ディープインパクトと共に同タイムです。3着ナリタセンチュリーに5馬身半の差が付いております。ラスト1ハロンの激闘を制したのはテンペストクェークでした……』

 

 

第47回宝塚記念は、2頭の怪物がラスト1ハロンでデッドヒートを行うというまさに理想ともいえるライバル同士の戦いが行われ、その末にテンペストクェークが勝利した。

テンペストクェークはこれでGⅠを4連勝。重賞6連勝となった。

 

そして、これがディープインパクトとテンペストクェークの最後の戦いとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ヤマニンゼファー「いや俺2200メートル走ったことないし……」
ニホンピロウイナー「息子に同じく」
サクラチヨノオー「屈腱炎で引退した自分が応援しても……」
マルゼンスキー「脚部不安が……」

ご先祖様......

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