10ハロンの暴風   作:永谷河

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次話は、明日投稿予定です。


準備完了、当方に攻略の用意あり。

7月末のキングジョージでハーツクライが勝利したことで、海外遠征に来ている日本馬の注目度が一層高まっていた。

ハーツクライ陣営には多くのメディアが集まり、極東から来訪した日本馬の強さを伝えていた。

そして、すでにイギリスに入国し、インターナショナルステークスに向けて調教を積んでいるテンペストにも注目が集まっていた。

 

 

『テンペストクェークですか?8ハロン~10ハロンのレースならハーツクライでも勝つのは難しい馬ですね。この距離なら現時点で間違いなく日本最強の馬ですよ』

 

 

ハーツクライ陣営は、テンペストクェークをお世辞抜きに褒めていた。キングジョージを勝ち、世界の名馬の仲間入りを果たしたハーツクライ陣営からの評価であった。

テンペストクェークの評判はさらに上昇していた。ドバイDFで5馬身差の圧勝劇を見ていた関係者は、ヤバい馬がやってきたと冷や汗をかいていた。

とある厩舎関係者は、テンペストクェークの調教を見た後でコメントを残していた。

 

『あの馬はやばいね。素の能力なら世界トップクラス。あとはうちの国の芝に適応できるかどうかだね。もし適応したなら、勝てる馬は一握りしかいないと思うよ』

 

 

イギリスの競馬関係者、競馬ファンは、インターナショナルステークスでのパフォーマンスで、彼の強さを見極めるつもりであった。

日本やドバイの芝なら間違いなく世界トップクラスの実力を有していることはわかっていた。そのため、イギリスの競馬場の芝の違いにどの程度適応することができるのかについて注目していた。

 

レースに出走する陣営としては、極東の競馬後進国からやってきた馬にでかい顔をされたくはないという気持ちもあり、いつもより気合が入っていた。

関係者の様々な思惑が入り混じりながら、8月上旬は過ぎていった。

 

 

 

 

「秋山君、本村君。イギリスでのテンペストの世話や調教、お疲れ様です」

 

 

調教師の藤山も定期的にイギリスには来ていたが、美浦の自分の厩舎の馬のこともあるため、常駐することはできない。そのため、イギリスと日本を行ったり来たりを繰り返していた。

今日は、テレビ電話で現地のスタッフと連絡を取っていた。騎手の高森も参加している。

 

 

「テンペストの調子はどうですか」

 

 

自分の相棒の状態について高森騎手が尋ねる。

 

 

「全く問題ありません。ハーツクライが先に帰りましたが、特段変わりなく過ごしています。調教も順調ですので、しっかりと本番で走れると思います」

 

 

「ハーツクライがテンペストに挑発されて、いい感じで気合が入ったって向こうの調教師の人達から感謝されました。バカにしていただけのような気もしますが……」

 

 

厩務員の秋山と本村が最近のテンペストの様子を応える。

 

 

「ハーツクライにはよいスタートを切ってもらいました。我々もそれに続きたいです。来週には我々も現地入りしますので、それまではよろしくお願いします。それと、出走計画が確定しました。西崎オーナーからの了解もとりました」

 

 

藤山調教師から、日本のスタッフ、そして現地で調教に参加してもらっているスタッフに今後の出走計画を伝える。

 

 

8月22日 インターナショナルステークス(芝・10F88Y)ヨーク競馬場

9月9日 アイリッシュチャンピオンステークス(芝・10F)レパーズタウン競馬場

9月23日 クイーンエリザベスⅡステークス(芝・8F)アスコット競馬場

10月14日 チャンピオンステークス(芝・10F)ニューマーケット競馬場

 

 

「改めて考えますと、かなり厳しいローテーションですね」

 

 

欧州最高峰のG1レースを2ヶ月以内に4戦する計画に秋山達も唸る。特に2戦目と3戦目のレース間隔は2週間程度しか空いていない。

勿論これは登録しただけである。

どこかのレースで不調が発生、あるいは疲労などでレースに耐えうることが出来ないと判断すればすぐに出走を取り消す予定であった。

異常をすぐに察知できるように、これまで常に彼のことを見ていた担当厩務員の秋山、そして調教助手の本村を現地に常駐させたのである。騎手の高森も定期的にテンペストの様子を確認するためにイギリスに行くことになっている。医者も現地人だけでなく、日本でテンペストを診ていた人も常駐してこちらに滞在していた。

これらの費用は全てオーナーの西崎が提供していた。

 

 

「目指すは全勝です。ただ、テンペストの調子が最優先なので、そこは忘れないようにお願いします」

 

 

テレビ電話を切ると、高森やスタッフたちは藤山に挨拶をして、部屋から出ていった。

一人残された部屋で藤山は、さすがに厳しいかなと考えていた。一方で、テンペストなら大丈夫だとも思っていた。

 

 

「いや、そんな思考では馬を壊しかねない。絶対はあり得ない。理想は重要だ。だが現実もしっかりと考えていこう」

 

 

映像や本村たちスタッフによれば、仕上がりはドバイと同等かそれ以上だろうとのことである。前にイギリスで確認したときよりもよくなっていた。

さすがに宝塚記念のレベルまで仕上がってはいないが、あれはもう二度と再現できないレベルの仕上がりであった。

 

 

「彼に会うのが楽しみだ」

 

 

 

 

8月中旬、藤山が再びイギリスに入国した。

インターナショナルステークスに向けて、最後の調整を見るためである。

 

 

「本番では、西崎オーナー、それに島本牧場の哲也君も来るとのことです。ただ、基本的には完全にアウェー状態なので、空気にのまれないように気を付けてください」

 

 

藤山の訓示の後、スタッフは、自分の仕事に戻る。

藤山はスタッフとの打ち合わせがあるため、別の厩舎へと向かっていった、

 

一人になった秋山は、テンペストの下に向かい、彼の様子をチェックする。

相変わらず調教をしていないときは食っているか寝ているかのどちらかだった。

 

 

「テンペスト。期待しているからな」

 

調教のご褒美に人参を少しだけ与える。

嬉しそうに食べるテンペストの鼻先を撫でる。

 

彼は人参も好きだが、リンゴやバナナといった果物も好物だったりする。あとセロリといった野菜も問題なく食べる。一番好きな食べ物はメロンで、宝塚記念後にオーナーから祝いとして夕張メロンが差し入れされ、それ以来メロンをよこせとせがむようになった。

試しに普通のメロンを与えたら、微妙な顔をして食べていた。

高級品しか受け付けないわけではないが、さりげなく高いものを要求してくる意地汚さがテンペストにはあった。

糖度が高いので、そんなにたくさん上げることはできないため、もっぱらご褒美扱いになっている。

 

彼が立ち上がり、軽く嘶くと、同じ厩舎で過ごしている馬たちが嘶き返す。

テンペストはここにきて1週間程度で厩舎のボスになっていた。

喧嘩をして頂点に立ったわけではなく、いつの間にかボス扱いされていたのだという。

 

 

「ここのボスになったんだから、後は、実力を示すだけだ。がんばってくれよ」

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

車から降りると、そこは競馬場であった。

ここがホースマンの原点にして頂点。ニューマーケットか。

俺がこの地に来れるなんてな。

 

 

「高森さん。こっちです」

 

 

見知った顔である秋山君に導かれて、相棒のいる厩舎へと向かう。

しばらく歩くが、広いし自然も多い。時間がゆったりと進んでいるような感じがする。確かに馬にかかるストレスはこっちの方が少なそうだな。

 

テンペストがいる厩舎の前に、見知った鹿毛の馬がいた。

 

 

「テンペスト、元気してたか?」

 

 

「勿論さ!」、そんな感じに嘶き返してくれる。彼は人間の言葉にしっかりと反応してくれる。賢い馬だ。

他にも見知った顔もいれば、この厩舎のスタッフと思しき人の姿も見える。

 

 

『高森騎手ですね。私はここの厩舎で調教師をしています』

 

 

『私は高森康明です。テンペストですが、どうですか』

 

 

俺が英語を話せることを知っているのか、ここの厩舎の調教師に英語で話しかけられた。きれいな英語だ。さすが英国人。

 

 

『最高です。本当に素晴らしい。馬体の強さも勿論ですが、適応能力、そして賢さ。すべてが最高水準といってもいい』

 

 

べた褒めであった。ダービーを獲っている調教師からここまで褒められるとは。さすがだな。

 

 

『ここまでしていただいた以上、レースでは勝ちますよ』

 

 

テンペストが俺の服を引っ張って、遊んでくる。あとで遊んでやるから……

そういいながらも、俺は彼の顔を撫でてあげる。

 

 

『……最初はこちらの競馬に慣れた騎手に乗ってもらった方がいいのではないかと思いましたが、それは杞憂でしたね』

 

 

普通ならそう考えるだろうな。

ただ、俺は譲らないさ。

 

 

『彼の上は誰にも譲りませんよ。結果で示しますから』

 

 

俺はそのあと、テンペストに乗って彼の仕上がり具合をチェックした。

想像以上だった。これなら勝てるとも思った。

運動を終えると、彼は自分の馬房に戻っていった。

彼が戻ると、食事をしていた馬やボケッとしていた馬が、テンペストに対して嘶く。警戒や挑発の嘶きではなく、「お帰りなさい」といった歓迎の嘶きだ。

彼はこの地でも問題なく過ごせているようだ。

 

 

残念ながら俺はこの地に別荘など一切持っていないので、俺は関係者の寝泊まりするところで世話になることになった。

時差ボケなどで、むしろ俺の方が体調を悪くしていた。

馬よりも体調管理が出来ていないと馬鹿にされた気分だった。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

【インターナショナルステークス】

ヨーク競馬場の芝10ハロン88ヤードで施行するGⅠレースである。1972年に設立されたレースで歴史あるレースではないが、欧州のトップホースが集まるレースであった。2005年にゼンノロブロイが挑むも、エレクトロキューショニストに僅差で敗れて2着となった。

 

 

300年近い歴史を誇るヨーク競馬場には、インターナショナルステークスを観戦しに来た英国紳士と淑女があふれていた。その中に、異質な集団がいた。

全員ドレスコードでしっかりと決めているものの、なぜか水色の謎の旗やのぼりを持った集団がいた。

日本からやってきた応援団であった。

日本とはノリが違う欧州競馬にそんなもの持ち込めるのかよとテンペスト陣営は思っていたが、特に問題はなかったらしい。

色々とあったらしいがその辺は語ると長くなるため割愛する。

 

 

「……テンペスト、イギリスでお前の応援が見れるとはな」

 

 

現地のファンもテンペストクェークの走りがどのようなものか期待している人が多かった。そのためか、1番人気に推されていた。

しかし、一方では自分たちの国の馬や贔屓の馬が勝つことを願っていた。

 

 

「期待に応えるぞ、テンペスト」

 

 

完全アウェーの状態だったが、珍集団となっている日本からの応援団が妙に心強かった。

待機所では、藤山調教師とオーナーの西崎、それに生産者代表でイギリスに来た哲也も来ていた。

 

 

「高森騎手、ここでは、馬体のぶつけ合いやブロックなどが日本より露骨に行われると思います。気を付けて乗ってください」

 

 

高森もそういった話は日本人の騎手からよく聞いていた。

実際にこの場所に来てみるとかなりのアウェー感を味わっていた。ドバイでは日本の馬も出走しており、日本人の関係者も多かった。

ただ、この場所には、テンペストクェーク陣営以外は全てイギリスやアイルランドなどの欧州勢であった。

他の騎手も全員外国人で、顔には出していないが、意識されているということは感じていた。昨年アルカセットでジャパンカップを同着1位に導いた欧州のトップジョッキーもこのレースにはいた。

露骨なラフプレーはしてこないが、ルールに反しない程度の嫌がらせは確実にしてくるだろうなと高森は感じていた。

 

 

「ええ、事前の予習は済ませましたよ。あと彼から馬場状態やコース状態もよく聞きましたから」

 

 

高森騎手は、昨年のゼンノロブロイで2着となった騎手に、借りを返してくると宣言していた。

 

 

「他の馬だけど、はっきり言ってしまえばテンペストクラスの化け物はいないです。必要以上に警戒する必要はない。いつも通りの競馬をしてください」

 

 

1番人気はテンペストクェークである。

2番人気は、ディラントーマス。前走のアイルランドダービーを勝利しており、英ダービーも3着に入っている馬である。

3番人気は、チェリーミックスで、GⅠを2勝している馬である。

4番人気は、ノットナウケイトで、GⅠ勝利はないものの、エクリプスSで2着になっている馬である。

日本での実績、ドバイでの実績を評価すれば、テンペストがもっとも有力馬であった。ただ、初めてイギリスの競馬場で走るということもあり、この点が不安視されていた。

 

 

「また、日本の芝とはかなり違うようです。通常時でも芝が重いと言われていますが、さらに稍重となっているから気を付けてください」

 

 

「テンペストなら問題ないとは思いますが、全くダメダメなら、ケガをしないように走らせてきます」

 

 

騎乗の合図があり、高森騎手はテンペストクェークに騎乗する。

そのままゆっくりとヨーク競馬場の芝に入ると、テンペストはいつものようにゆっくりと歩いたり、スキップをしたりして、ここの芝の感覚を確かめていた。

日本と同じように出走前の準備をしていると感じていた。

 

前の馬に追従するように歩くが、その足取りもしっかりしていた。

 

ゲートへと向かうように指示されると、テンペストクェークは、ゆっくりとゲートの方へ向かっていた。

 

 

「いい感じだな。テンペスト、どうだ?ここの芝にはなれたか?」

 

 

高森騎手からは、テンペストはご機嫌のように見えていた。

足元を気にする様子もなかった。

 

 

「頭数が少ないなあ……」

 

 

テンペストを入れても8頭である。欧州の競馬では珍しい事ではなかったが、初めて欧州で競馬をする高森には新鮮であった。

 

しばらくすると、ゲートインが始まり、テンペストは大外の枠に入る。

西崎や藤山、そして日本からわざわざ駆け付けた応援団。そして中継を応じるメディアに日本の競馬ファンが固唾をのんでスタートを見守っていた。

 

ゲートが開いた瞬間、8頭の馬が飛び出した。

2006年インターナショナルステークスが始まった。

 

 

 

 

 

 




少し長くなったので分割しました。

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