10ハロンの暴風   作:永谷河

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分割したのでこちらが第31話です。


イギリスを襲う天変地異

8月22日、日本のテレビ局は、衛星放送で一頭の日本馬が出走するレースの中継を行っていた。

その様子をイギリスに行くことが出来ない競馬ファンたちが見ていた。牧場の仕事でイギリス入りができない島本牧場の牧場長の島本哲司、そしてスタッフたちもテレビにかじりつく様に見ていた。

 

『本日は、平日ではありますが、競馬の中継をお届けします。今日は日本のテンペストクェークがインターナショナルステークスを走ります。その模様を生放送で中継していきます』

『7月末にハーツクライがキングジョージを勝利した興奮を忘れられません。再び私たちに感動と興奮をもたらしてくれるのでしょうか。テンペストクェークがイギリスGⅠ、インターナショナルステークスを走ります』

『昨年はゼンノロブロイが挑みましたが惜しくも2着に敗れました。この雪辱を果たすことはできるのでしょうか』

『昨年は本当に惜しいレースでしたね。勝ったエレクトロキューショニストはドバイWCも勝っていますし……』

 

 

見慣れた競馬番組の司会の二人が、昨年のゼンノロブロイのレースについて述べる。エレクトロキューショニストに僅差で敗れた昨年のレース映像が流れる。

 

 

『いやー本当に惜しいレースでした。改めて見ても悔しい結果です』

『今回はテンペストクェークが再び頂点を目指して挑戦していきます。さて、実況は○○アナウンサー、そして解説は○○さんにお願いしていきます』

 

 

映像が現地のヨーク競馬場の現在の状況に移り変わる。

 

 

『イギリス北部にあるヨーク競馬場でインターナショナルステークスが行われようとしています。日本のテンペストクェークがイギリスでのGⅠ制覇をめざして出走します』

『テンペストクェークはここで勝てばGⅠは5連勝。重賞は7連勝になります。去年の毎日王冠から負けなしです。宝塚記念のような絶好調をキープしていれば勝利は難しくはないかもしれません』

『テンペストクェークは大外枠の8番になっております。それでは出走馬8頭を紹介していきます』

 

 

1番の馬から順番に紹介される。GⅠを勝利した馬もいるが、圧倒的な成績を残している馬はいなかった。

 

 

『最後に8番のテンペストクェークです。レースの約1か月前にイギリスに入国して、ニューマーケットに入厩していました』

『この馬はいつもしっかりと落ち着いているのですが、今日も落ち着いていますね。映像越しですが、仕上がりも万全ですね』

『チャンスはありますでしょうか』

『今年はこれといった怪物クラスの馬が出走していません。ただ、馬場状態が稍重なのが気になりますね。宝塚記念で重たい馬場でも走れることがわかっていますからね。ここの芝に適応することができたら、勝利する可能性はかなり高くなりますよ』

 

 

映像では、水色の帽子を被った高森騎手が馬と共にゲートインを待っていた。

 

 

『水色の帽子、高森騎手とテンペストクェークが8番ゲートに収まりました』

『2006年、8頭立てとなったインターナショナルステークス、暴風は吹き荒れるか。今、出走しました』

 

 

ゲートが開き、一斉に馬たちが走り出した。

 

 

―――――――――――――――

 

 

ゲートが開く。

テンペストは問題なくスタートした。

ただ、他の馬と同じタイミングだったので、左隣にはすでに馬がいた。

 

スタートしてすぐに一回目のコーナーがあるのがこの競馬場の特徴でもある。

今は焦らずに隣の馬と馬体を併せながらコーナーに向かう。

 

最初のコーナーでは、スピードを少し落としながら、内ラチの方へと向かっていく。

2番人気は……前から3番手あたりか。

ここから500メートルほどの直線がある。

ここではしっかりと足を溜めさせてもらおうかな。

俺たちは後方2番手の位置でレースを進める。テンペストの様子を確認するが、特に走りにくそうにはしていない。

 

しばらく走って、直線の途中まで来たが、稍重のせいなのかちょっとペースが遅い。

今の俺たちは変わらず後方2番手の位置にいる。ラストの直線が900メートル近くあるとはいえ、少し心配だな。どうするか……

 

テンペストの様子は特に問題なく走っている。宝塚記念のときとは違う走り方をしているな。もうここに適応したのか。さすがだ。

これなら後方からの末脚で勝負はできるな。それなら今は無理しないでいい。後ろにいるときだ。

スパートが不発に終わったらその時はしょうがないと思うしかない。

 

最後のコーナーを回る。2番人気と3番人気が併走しながら走っているな……

ここのコーナーを抜けるとあとは900メートル近い直線が待っている。

コーナー終わりで少し外に膨れた俺たちに、隣にいた馬が露骨に馬体をぶつけてきた。

 

ここで来たか。

はは、ここで悔しそうな顔をすれば満足かな?

 

残念ながらテンペストはそんな程度の妨害じゃあひるまない。

俺たちを吹っ飛ばしたければ、ばんえい馬を持ってくるんだな!

 

テンペストも気にしていない様子で、少しずつスピードを上げながら走っている。身体の方も大丈夫そうだ。

 

ラスト4ハロンを過ぎると、他の馬たちは馬場状態の良い中央や外ラチ付近へと走っていく。

俺たちはどうするかって?

テンペスト、お前、前に誰もいない方が走りやすいよな?

 

そのまま俺たちは最短距離の内ラチに沿いながらスピードを上げていった。

テンペストは全く問題なく走っているな。これならいける。

 

先頭もそこまで前に行っていない。

……ってなんで4馬身くらいしか離れていないんだ。あと700メートルくらいはあるぞ。

……いや、テンペスト、待って、待って。スピード上げるの早い!

 

ただ、テンペストは気持ちよさそうに走っている。変な汗もかいていなければ、泡も吹いていない。呼吸も乱れていなかった。脚使いも良好だ。

……もしかして、もう大丈夫なのか?

 

ここでスパートをかけてみるのも面白いかもしれん。

次のレースが近いから、あまり消耗はさせたくないけど、彼の力を信じてみるか。

 

 

「行くぞ!英国紳士にお前の力を見せてやれ」

 

 

鞭を入れた瞬間、地を這うような低姿勢になり、一気に加速する。

日本のときよりも力強く、それでいて軽やかなギャロップであった。

 

 

―――――――――――――――

 

 

俺は馬である。

俺は今、レース中である。

コーナーを終えて、他の馬や騎手、それに騎手君に力が入ってきたのがわかる。

どうやらこれがラストの直線のようだ。

 

それにしてもここのレース場の地面は走りやすいな。いつも無駄遣いしていた俺のパワーをしっかりと地面に伝えることが出来るから、踏み込みがいい感じで走れる。ただ、ちょっと負担も大きくなりそうだから、着地には気を付けながら進まないとな。

 

そんな調子の良さを感じる俺であるが、気に入らないことがある。

俺にぶつけてきた馬もそうだけど、なんというか雰囲気が全体的に気に入らない。

俺はいいとしても、明らかに俺の騎手君をバカにした態度をとっている奴もいた。兄ちゃんやおっちゃんに対してもだ。

人間相手には隠せているようだけど、馬の俺には解るぞ。

絶対に負けたくない。彼らと笑顔で終わりたい。

 

さて、そろそろかな。

騎手君、今日は調子がいいから、少し前からスパートをかけたい。

 

いいかな?

 

拒否されたら、彼の指示に従うつもりだった。

たけど、彼は俺にゴーサインを出してくれた。

 

ありがとう

 

俺は、鞭に叩かれると同時に一気にスパートをかける。

蹴り上げる。そして、滑らかに着地する。

イメージはあの小柄な馬だ。あいつはそういうのが上手かった。

俺以外の馬は外側を走っている。

なんでそんな遠回りをするのかと思ったが、確かに地面が少しボコボコしている。

なるほど、そういうことか。

ただ、俺には関係ないな。

俺はしっかりと大地を蹴り上げて加速する。

 

気が付いたら俺の前方の視界から他の馬は消えていた。

疲れもあまり感じないな。ランナーズハイとかではなく、普通にしっかりと走れている。

まだまだ、俺は走れる。もっともっと走れるぞ。

 

俺たちは誰にも止められない。止めさせない。

俺たちを止めたければ、あいつを連れてこい。あいつにだって俺は負けるつもりはないがな。

 

そう思った瞬間に、騎手君は俺に減速の指示を出す。

ありがとう騎手君。俺を信用してくれて。

今日もしっかりと勝つことが出来たよ。

少し疲れたけど、前のレースよりはましだな。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

テンペストクェークはラストの直線に入り、どんどんと内ラチを走り始めた。一頭だけポツンと走っていた状態に、ヨーク競馬場の常道を知っている人からは不味いという悲鳴が聞こえた。

 

 

『……テンペストクェークが内側で走っている。これは大丈夫なのか。あと3ハロン半。すでに前から5馬身程度まで近づいている』

 

 

しかしその声は杞憂であった。

 

 

『……あと3ハロン。テンペストクェークに鞭が入った。一気に加速していく。誰もいない内ラチ側を走る。5馬身、4馬身、どんどんと差を縮めていきます……』 

 

 

高森騎手がラスト3ハロンで鞭を入れると、テンペストクェークは一気に加速していき、先頭集団の馬に残り2ハロンで追いついた。

 

 

『追いつく、そして抜かしていく。2ハロンを切って先頭に立った。まだ加速する。まだまだ前に進む。後続の馬を置いていくぞ。これは大丈夫なのか?持つのかこれで……』

 

 

先頭の馬に追い付いた後は、周りの馬が粘ることもできず、そのまま置き去りにしていき、さらに加速していった。残り2ハロン。他の馬も鞭が入り一気にスパートをかけていく。しかし、テンペストの末脚の前では止まっているも同然であった。

 

 

『……独走だ、テンペストが独走です。6馬身、7馬身リードを獲った。後続が止まっているように見える。これはもう決まった。独走だ』

 

 

ラスト1ハロン。この時点ですべての人がテンペストの勝利を確信した。

ラスト100メートル。あれ?これマジ?といった感じで困惑し始めた。

ラスト50メートル。もう笑うしかなかった。

 

 

『……二番手争いは接戦だ。しかしテンペストはそのはるか前にいる。テンペストゴールイン。これはとんでもないレースになった。もう後続が全く見えませんでした。10馬身以上の差をつけてのゴールです。イギリスに暴風が吹き荒れた!』

『いや……ちょっと想像以上です。もう何も言えません』

 

 

テンペストクェークがゴールを駆け抜けたとき、日本のテレビ中継は後ろの馬を映すことが出来なかった。

 

12馬身差

 

メンツがそろっていなかった。そんな言い訳すらさせてくれない当レース史上最大着差の圧勝劇であった。

 

 

テレビには茫然とした顔でテンペストを見つめる藤山達一行がいた。

そして勝利したテンペストクェークは、舌をペロペロしながら、楽しそうにクールダウンをしていた。

 

 

『テンペストクェークが今年のインターナショナルステークスを制覇しました。10馬身差以上の圧勝劇でした』

『人気通りの勝利といった形なのですが、ちょっと勝ち方が異常すぎますね。この後アイリッシュチャンピオンステークスに向かうのであればここまでの着差は必要ないと思うのですが……』

 

 

解説もさすがに苦言を呈していた。鼻差だろうと大差だろうと勝ちは変わらないのである。

 

 

『ただ、やはり圧勝劇は気持ちがいいですね。本当に強い馬です。見たことがありません』

 

 

解説と実況が、レースの振り返りを行う。

といってもラスト3ハロンで誰もいない内側を猛スピードで駆け抜けていっただけなので、解説も何もなかった。

ただ、暴力的な競馬が行われただけであった。

 

 

「やった。俺たちのボーが、イギリスで勝ったぞ。本場で勝ったんだ!」

 

 

島本牧場は、しばらく茫然とテレビ中継を見ていたが、我に返った哲司が大歓声を上げ、用意していたクラッカーを鳴り響かす。

それと同時に従業員たちが一斉に歓喜の声を上げた。

 

 

「……一体なんの血統が彼にあれだけの欧州の馬場適性を与えたのか。ハビタット? それともニジンスキーか」

 

 

大野は自分の研究してきた血統学が覆される気分を味わいながら画面に映るテンペストクェークを見ていた。映像越しなため、不明確ではあるが、大野が計測した上がり3Fは日本の高速馬場と同等かそれ以上の数字であった。洋芝で稍重とは思えない数字であった。

 

 

「そういえば、こういうのが見たいから私は馬産に関わるようになったんだったな。さて、これから忙しくなるな……」

 

 

英国などの欧州の馬産関係者を巻き込んだ島本牧場の騒乱の夏が始まった。

 

 

 

 

場面は変わってヨーク競馬場。

遥か彼方の極東からやってきた競走馬が、本場イギリスのGⅠレースを圧勝したことに、観客は歓声を上げていた。

 

 

「テンペストの様子は?」

 

 

クールダウンを終えて藤山達のところへと戻ってきたテンペストの様子を、一番に気にしていたのが藤山調教師であった。

近くで見た感じでは特に目立った故障はなかった。テンペストはいつも通りであった。

ひと安心した藤山は、高森に詰め寄る。

 

 

「高森くん。テンペストを勝利に導いてくれてありがとう。確かにすごいレースだったよ。でもね、この後連戦があることくらいわかっていたよね?」

 

 

「申し訳ございません。鞭を一発使ったらどんどん加速してしまって。特に苦しそうにもしてないので、そのまま走らせたら、いつの間にか10馬身近く差が付いていました」

 

 

「いや、差が付いていました、じゃないのよ。それを制御するのが君の仕事でしょう」

 

 

調教師によるお説教タイムの横で、秋山らがテンペストの馬体をチェックする。

 

「あれ?なんだよ、これ」

「なあ、なんでこんなに……」

 

秋山達がテンペストの様子にざわつく。

 

 

「どうした!故障か?」

 

 

藤山、高森、そして西崎が血相をかえてテンペストに近寄る。

 

 

「いえ、故障ではないです。というかむしろピンピンしています」

 

 

「疲れてはいますが、宝塚記念とかに比べたらといった感じです。詳しく検査する必要があると思いますが、汗の量も呼吸もそこまで……といった感じですね」

 

 

藤山がちょっと足を見せてといって前足の蹄を見ると、彼専用の蹄鉄が見える。

すり減りやすいはずの彼の蹄鉄は、レース前からほとんど消耗がなかった。

 

 

「……もしかして走り方また変わった?」

 

 

藤山が足元から離れると、テンペストは西崎の下に向かい、着用していた高そうな服を引っ張って破き、被っていたシルクハットを奪い取っていた。

 

 

「テンペスト、お前は本当にサラブレッドなのか?」

 

 

その目線に気付いたようで、シルクハットを被ったテンペストが、藤山の方を見て、にやりと笑っていた。その姿を藤山は永遠に忘れなかった。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

競馬ニュース速報

テンペストクェーク、インターナショナルステークスを圧勝            

 現地時間8月22日、英・ヨーク競馬場で行われたインターナショナルステークス(英GⅠ・芝10ハロン88ヤード)は、高森康明騎手騎乗のテンペストクェーク(牡4、美浦・藤山順平厩舎)が、最後の直線3ハロンから加速して、残り2ハロンで先頭に立ち、そのまま12馬身差をつけて圧勝した。2着にはノットナウケイト、3着にマラヘルが入った。同レースにおける12馬身差は史上初。

 勝ったテンペストクェークは、父ヤマニンゼファー、母はセオドライトという血統。04年12月にデビューして初勝利。05年は弥生賞、皐月賞はディープインパクトの前に2着。05年の秋に毎日王冠、天皇賞・秋、マイルチャンピオンシップを連勝。06年は中山記念、ドバイデューティフリーを勝利。前走の宝塚記念(GⅠ)では、ディープインパクトを破ってGⅠ4連勝を成し遂げていた。通算成績は12戦9勝(GⅠは5勝)。

 

 日本調教馬による英GⅠ制覇は、2000年のジュライカップを制したアグネスワールド、2006年にキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスを制したハーツクライに並ぶ3頭目。藤山順平調教師はドバイデューティフリーに続き、海外GⅠを連勝の快挙を成し遂げた。

 

 テンペストクェークの次走については、9月9日開催の愛チャンピオンステークス(芝・10ハロン)を予定している。




モデルはクイーンアンステークスのフランケルです。

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