10ハロンの暴風   作:永谷河

34 / 73
秒速20メートル

俺は馬である。

今日はレースの日である。

この国に来て俺の家になっていた場所から少し移動した場所で俺は待機していた。

というかレース間隔が短くない?

俺じゃなかったら壊れちゃうよ。

 

 

「テンペスト、今日はよろしくな」

 

 

おう騎手君。今日も頼むよ。

 

それにしても、なんか今日は周りの騎手や人間の目が怖いな。

前みたいに侮っているわけではないが、明らかにこちらを意識している目だ。

 

 

【俺はやるぞ!俺は絶対にやる】

 

 

やたらと気合が入っている馬がいた。

他の馬は大人しく芝を歩いているのだが、隣を歩く人間のいうことを聞こうとしない馬がいた。

 

 

【静かにしなさいな】

 

 

【うるせえおっさん】

 

 

おっさんだと!まだ俺はピチピチの4歳だぞ。

全く失礼極まりない奴だな

 

相変わらず動こうとしなかったり、どこか別の場所へ行こうとしていた。

そんなんじゃあこのレースは勝てないぞ。

ただ、彼の仕上がりは中々のモノであった。

おそらく俺より年下の馬だな。

仕方がない、少なくともレースに集中できるようにしてやるか。

 

 

【俺が最強だ】

 

 

俺は周りを挑発する。

全員の馬の目が変わった。

 

 

【お前、倒す!】

 

 

人間を困らせていた馬が、俺の方に敵意をむき出しにしていた。

 

 

【かかってこい、若いの】

 

 

【絶対に俺の方が強い!】

 

 

落ち着かない様子だった馬はいい感じでレースへの闘争心を高めていた。

これなら問題ないな。

 

 

「テンペスト、大丈夫か?ジョージワシントンが少しうるさかったからな……」

 

 

悪い騎手君。

これで万事オッケーだ。

 

 

「今日は稍重か。またパワーの必要な馬場だな」

 

 

さて、そろそろレーススタートだ

俺たちは誘導されながらゲートに入る。

さあ、行くぞ!

ゲートが開くと同時に俺はロケットスタートを決めようと後ろ脚に力を入れた。

 

 

「テンペスト!」

 

 

少しではあるが、俺は滑ってしまった。そこまで体勢を崩されたわけではなかった。

しかし、俺は出遅れてしまった。

前には馬がすでに走っている。

懐かしいな、去年のレースを思い出す。

 

 

「テンペスト、大丈夫か」

 

 

大丈夫だよ、騎手君。すまんかったな。

それで、今日はどうする?

 

 

「落ち着いている……これなら問題はない」

 

 

さて、俺たちは最後尾だ。

こうなると俺のスパートで一気に最後に抜かしていく必要がある。

疲労を溜めないように、息が上がらないように、落ち着いて走ろう。

いつ決めるかは……騎手君、頼むぞ。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

強豪ぞろいのクイーンエリザベスⅡ世ステークス。

その大事なスタートで、テンペストは躓いてしまった。

 

 

「テンペスト!大丈夫か」

 

 

落馬するほどではなかったが、すでにほかの馬はゲートを飛び出していた。

テンペストも体勢を立て直して、ゲートから出てくれたが、最後方の馬でも数馬身程度差が開いてしまっていた。

 

 

「まだチャンスはある!」

 

 

テンペストは落ち着いていた。

今は焦ってスピードを上げる必要はないという俺の指示をしっかりと聞いてくれていた。

皐月賞のときとは大違いだ。それだけ彼も成長して、俺を信頼してくれているのだろう。

 

2、300メートルほど走って、テンペストの様子が普段と変わりがなかったため、少しだけスピードを速めて、後続の最後方の馬は……青色の勝負服を着た馬。えーと名前は……。番号が見えんからわからん。同じ青の勝負服が3人もいるからな。3頭同時出しとは馬の所有者は金持ちだなあ。

 

テンペスト、今日はお前のためにこれだけのメンバーが揃ったんだぜ。お前を倒すと息巻いている奴ばかりだ。

そんな奴らに、期待通りのお前の凄さを思い知らせてやろうぜ。

 

 

少しずつ加速したおかげもあり、アスコットの直線前のコーナーでやっと最後方の馬の尻に追い付いた。

 

ラストの直線は約2ハロン半。しかも残り上り坂だ。

本当にタフな競馬場だよ。よくハーツクライは12ハロンを走り切ったな。

先頭まで10~12馬身くらい。そんなに差は広がっていないな。

ただ、ここからスパートをかけてくるだろうから、一気に順位が変わってくるな。

……ペースもそこまで早くはない。ただ、このレースの歴代の記録は、早くても30秒台後半なので、これぐらいが適正ペースなのかもしれない。

 

残り3ハロンの標識を過ぎる。

前を行く馬たちも、徐々にスピードを上げていっているのがわかった。

 

テンペスト、俺たちも行くぞ。

鞭は入れない。ただ、前の馬を一気に抜き去るために、コーナーを曲がりながら外に出ていくように指示する。

 

直線に入ると、斜め前にはピンクの勝負服の馬がいた。確か6番の馬だな。この馬が最後方だな。

そしてどんどんと前の馬たちがスパートをかけていくのが見えた。

ヨシ、もういいだろう。

よく我慢してくれた。

大捲りからの大外一気を見せてやろうじゃないの。追込のお家芸は、ディープインパクトだけじゃないんだぜ。

鞭を入れた瞬間に、テンペストが一気に加速する。

残り2ハロン半。前には11頭。

上等だ。すべて撫で切ってやるぞ。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

『……残り2ハロン半を切って直線に入っていきます。先頭はキリーベッグス。隣にはアラーファが並ぶ。先頭集団はかなり込み合っているぞ。テンペストクェークは最後方に位置している。前に11頭いるがこれは大丈夫なのか』

 

 

テレビで、ラジオで、競馬場で。

多くのテンペストファンは、さすがに無理だろうとあきらめていた。

そこまで広い差はついていなかったが、このレースはマイルレース。そして他の馬も歴戦の馬であり、今まさに鞭が入って末脚を炸裂させているのである。

いくらテンペストでも優勝は無理だろう。せめて2着や3着になれればいいかな。躓いて出遅れてしまったという仕方がない理由もある。そう思っていた。

しかし一部のファン、そして藤山達は何も心配していなかった。

このラスト2ハロン半から発揮される末脚が彼の真骨頂であると信じているからだ。

 

 

『テンペストクェークに鞭が入った、高森騎手が鞭を入れた。さあここからがこの馬の真骨頂、一気に加速して前の馬を抜いていく抜いていく。あっという間に3頭抜いたぞ。先頭はアラーファ、ジョージワシントンも一気に仕掛けてくる。ソビエトソングも顔をのぞかせている。まだ先頭争いは続いている……』

 

 

残り1ハロン半。先頭はアラーファ、キリーベッグスが争っていた。そこにジョージワシントンが外から一気に抜かそうとしていた。

 

 

『……テンペストクェークが大外から一気に猛追する。ものすごい末脚だ。しかし先頭もどんどんと加速していく。残り1ハロン。先頭に立っていたアラーファが粘っているが、ジョージワシントンが猛追する。これは先頭が変わるぞ……』

 

 

1/2ハロンの少し手前で、先頭がジョージワシントンに変わった。テンペストクェークはすでに4番手のコートマスターピースを抜かしており、ジョージワシントンに肉薄していた。

 

 

『……テンペストクェーク猛追、残り100メートル。テンペストがすでに2番手になっている。ジョージワシントンを捉える捉える。すでに半馬身差まで迫っている』

 

 

先頭のジョージワシントンが残り1/2ハロンを越えてすぐ、テンペストクェークは外からジョージワシントンに追い付いて、馬体を併せて走っていた。

 

 

『テンペストクェークが差し切るか。ジョージワシントンも粘るがこれは苦しい。3番手以降を引き離す。これはテンペストだ、テンペストが抜いていく。半馬身、1馬身、これは決まった。テンペストクェークが1着でゴールイン。なんという末脚だ!彼に抜けない馬はこの世にいないのか。2着はジョージワシントン、3着は……』

『テンペストクェーク、クイーンエリザベスⅡ世ステークスを制覇!これでGⅠを7勝目。シンボリルドルフ、テイエムオペラオーに並びました。まだ4歳の夏です。ルドルフの壁を超える馬はこの馬なのか……』

 

 

ゴール前5,60メートル付近で先頭を走るジョージワシントンを差し切り、そこから1馬身半の差をつけてゴール板を駆け抜けた。

 

ラストの直線にいた11頭の馬を、驚異的な末脚で撫で切ったのである。

ある中継放送では、先頭争いを続ける馬を映し続けていたため、テンペストクェークが残り1ハロンを切ったあたりでいきなり画面に現れるという映像が放送された。

まさにワープのような末脚であった。

 

 

『……ラスト1Fが10秒。なんなんだこの馬……』

 

 

手元に持っていたストップウォッチを周りに見せながら呆然とする英国の競馬ファン。

 

 

『マイルレースだぞ。なんで大外からの追込が成功するんだ』

 

 

この日、このアスコットに集まった馬は、名馬ばかりだ。伝統の2000ギニーやフランス、イギリスのマイルレースなど様々なGⅠレースを勝利してきた強者ばかりである。

それを大外一気で撫で切ったテンペストは、まさに怪物であった。

 

 

勝ちを信じていた藤山厩舎のスタッフたちですらやべえ、この馬。本当に俺たちが育てた馬なのか?と驚愕していた。

 

 

【やったぜ。俺が一番!】

 

 

当のテンペストクェークは、相変わらず舌をペロペロさせながら、気持ちがよさそうにクールダウンをしていた。

騎手の高森もテンペストの首元を撫でて誉めまくっていたため、超絶ご機嫌であった。

 

 

 

 

テンペストクェークが藤山達の下に戻ると、さすがのテンペストも疲労の様子を見せていた。ただ、異常が見受けられるわけではなかった。

 

 

「テンペスト、それに高森君。お疲れさまでした。見事な競馬でした」

 

 

「先生、出遅れてしまって申し訳ありません。あれがなければもう少し楽に競馬ができたのですが……」

 

 

「あれは仕方がないです。その後に、焦らずに落ち着いた騎乗が出来ていたのでよかったと思います。本当に最後の末脚は素晴らしいものでした」

 

 

「本当に速かった……ちょっと怖かったくらいです。多分最後10秒くらいで走ってたと思います」

 

 

二人の会話をテンペストが何話しているの?といった感じで割り込んでくる。スタッフたちが緊急で馬体をチェックしていたが、外観上、そして歩調や息は特に問題がなかった。

 

 

「先生、テンペストは特に問題はないです。さすがに疲労は見えますが」

 

 

「さすがにこれだけの走りをして疲れてなかったら怖いですよ」

 

スタッフたちがテンペストの状態について確認しているなか、高森はテンペストのオーナーがいないことに気付いた。あたりを見渡していると、人込みの中から西崎がふらつきながら出てきた。

 

 

「ああ、やっと抜け出せた。高森騎手、藤山先生、それに皆さん。本当にありがとうございます。本当に強かったです」

 

 

どうやら、他の馬主から質問攻めにあっていたらしく、抜け出すのに時間がかかったようであった。

 

 

「テンペストが頑張ってくれたおかげです。本当に強い馬です」

 

 

テンペストには、西崎のお高い服を破ったという前科があるため、西崎は警戒しながら自分の愛馬を撫でる。

 

【俺って強いでしょ?】

 

気持ちよさそうに軽く嘶くと、西崎の被っている帽子を取り上げる。

 

 

「コラ、返しなさいって。それも結構高いんだから……」

 

 

ヘイヘイッといった感じで、西崎の頭に帽子を被せる。

このオーナーと馬のやり取りはばっちりテレビに映されており、強くて賢く、それでいて人懐っこいという話は本当だったのかと多くのファンが喜んだ。

 

 

「しかしオーナー。これでテンペストのGⅠは7勝目。シンボリルドルフ、テイエムオペラオーに並びました。それに、天皇賞・秋から数えて、GⅠは7連勝です。ロックオブジブラルタルの記録に並びました。もう世界の名馬といってもいいかもしれません」

 

 

 

藤山が西崎に、テンペストが打ち立てた偉業を伝える。

 

 

「テンペストが走った3連戦を3連勝した馬もいないみたいで、来年は種牡馬入りするのか?って執拗に聞かれてしまいました」

 

 

「欧州やアメリカは、現役は3歳~4歳までで、本命は種牡馬という風潮が強いですからね」

 

 

勿論、5歳や6歳以上まで走る馬もいるが、GⅠを何連勝もしている馬や血統を高く評価されている馬などはすぐに引退させて、種牡馬にすることが多かった。

 

 

「うちで種牡馬になってくれって言われても、海外のことは全く分からないです……とんでもない額を出されても逆に困ってしまいます……」

 

 

忘れがちかもしれないが、西崎という馬主の初の所有馬がテンペストクェークなのである。そのため、引退後の道筋についてはまだあやふやなところが多いのである。

 

 

「順当にいけば日本で種牡馬入りなのではと思います。しかしテンペストはこっちの馬場の方が好きみたいなので、欧州で種牡馬になっても面白いかもしれませんね」

 

 

テンペストクェークの生まれ故郷は北海道の小規模牧場なので、いい意味で生産者とのしがらみがない。そのため、どこに行くことだってできるのである。

 

外国人のインタビュアーからのインタビューで流暢な英語を披露する高森騎手。そして調子に乗った彼は、自分がテンペストとどれだけ信頼関係を築いているのかを証明するために、テンペストに口づけする。

 

むさくるしいおっさんにファーストキスを奪われ、死んだ眼になっているテンペストを見ながら、西崎は彼の将来のことを考えていた。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

俺は馬である。

騎手君から悪魔のキッスをいただいた。

何やねん……俺とそういう関係を結びたいのか己は。

 

まあ親愛って意味だろうけど、君にやられても何もうれしくないからね。

あとでケガしない程度に軽く蹴飛ばしておいた。

 

最後に俺が抜かした馬はレース前に人のいうことを聞いていなかったヤンチャな馬だった。

 

 

【お前、強い】

 

 

【お前もな。また走ろう】

 

 

【次は俺が勝つ】

 

 

あの癖馬っぷりを見せつけていた馬とレースが終わった後に少しだけ仲良くなった。どうも俺より年下らしく、かなり我儘な性格らしい。お世話する人間を召使のようにしていた。

 

また走ろうと約束したが、それは果たされないのかもしれない。

俺は日本の馬で、彼はこっちの国の馬だからな。

ただ、また走るときがあったら、もっと手ごわい馬になっているだろうな。戦うのが楽しみだ。

 

 

レースが終わって、競馬場から自分の部屋がある建物に帰る。ここが前から自分の部屋だったような感覚だ。もう1か月以上もここにいるからなあ。

それにしても、こっちに来てから3戦したし、そろそろ日本に帰るころなんじゃないかな。

別に日本が恋しいというわけではないが、日本の競馬ファンの人達が俺の勇姿を生で見れないのは残念がっているのではないだろうか。

こっちの国の人間をファンにしてしまえば問題はないだろうけど、他国の馬は応援されにくいだろうしなあ。

 

 

【ボス、どうした】

【何かあった?】

 

 

【何でもない。さて、今日も一日がんばるぞい!】

 

 

【【【お~】】】

 

 

うーん。こっちでもボス扱いされているけど、マジで俺は何もしていないんだけどな……

 




英国のアスコットでラスト1ハロン10秒ってあり得るのかと思いましたが、最強馬論争にいまだに顔をのぞかせるダンシングブレーヴはエプソムダービーでラストの1F10.3を叩き出しているので、理論上は可能と判断しました。現実味がないとの意見は踊る勇者に言ってください。

レースのイメージはデュランダルです。マイルとスプリントで大外一気を決める姿は強烈なものがありました。



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