Sprint To Heaven ~笑顔のその先に~   作:エガヲ

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#11 激走

 どうやら夢というのは寝ていなくても見れるものなのだと、ユーセイトップランは今さっき初めて知るはめになった。

 

(どうしてエガオが……)

 そもそも彼女は病院のベッド上で眠っているはずだ。

 仮にもしも意識が戻ったというのであれば、彼女の妹が何だかの連絡をこちらにしてくるであろう。

 それがなかったというのならば、きっと走りながら見ていている夢か、ただの幻覚という事になる。

 バカげている……まったく質の悪い冗談だ。

 

 では視線に映っている”あれ”は一体何だというのか――。

 

 純然たる事実として、今確かに存在している。

 無論、目の錯覚ではないのかと、何度も疑った。

 しかし幾度と瞬きを繰り返しても、額から流れ落ちる汗を拭うついでに目をこすっても、変わらない。

 

 だがもしも、本当にそこに存在しているのであれば、かなりの大事(おおごと)だ。

 競争中に乱入者が現れたとあれば、係員などそれを取り押さえにくるだろうし、最悪レースは中止になってもおかしくはない。

 それほどの異常事態が起きているにも関わらず、まるで何も問題は起きていないと言わんばかりに、周囲からどよめきなどの何か異変を感じった気配はない。

 

 つまりは……自分ひとりだけが認識していて、他の者にはまるで見えていない、とでもいうのか。

 

 いよいよ脳がおかしくなってしまったらしい。

 それこそどうかしている。

 

 ならば実はまだレースは始まっていなく、控室で眠りについていて、これはその夢の中の出来事というのはどうであろうか。

 

 残念ながら、その線は薄い。

 なぜならちゃんと意識ははっきりしているし、何よりこの体中からほとばしる汗、高い胸の鼓動、そしてこの息苦しさ……。

 今感じているこの感覚たちが、偽物とは思えない。

 

 ここは、どこまでいっても夢や幻ではなく、紛れもない現実(リアル)だった。

 

 ならば認めたくはないが、見えてしまっているのなら認めざるを得ない。

 しかと視界に映し出されている”それ”を――。

 

 自分の一バ身ほど前に居る、エガオヲミセテの形をした何者か(それ)がターフの上を駆けているのを……。

 

 気がかりな事は他にもあった。

『――それじゃ競争だよ』

 先程、”それ”が、彼女とそっくりの声で、確かにそう言ったのを聞いた。

 

 つまりは勝負を挑まれた、と見るべきか。

 そしてそのために自分の前に現れた、と……。

 

 だが一体何のために……そうユーセイトップランは突然起きた不思議な現象に戸惑うばかりで、考えがうまくまとまらずにいた。

 そうしているとまと、事態は突如として動き出す。

 

 それはほんの一瞬の出来事であった。

 

「――――ッ」

 

 ”それ”は、こちらを値踏みをするかのように一度だけチラリと振り返ると、力強く脚を踏み込む。

 そしてまるで今からスタートしたかのような襲歩で一気に加速し、グングンと先頭集団目掛けて快速に飛ばしていく。

 その猛烈な勢いは凄まじく、ユーセイトップランをその場に置いて、あっという間に突き放していった。

 

(――あの動き…………!)

 こちらを伺った時、”それ”の顔が少し見えた。

 だが少し離れていた事もあり、エガオヲミセテかどうかまで判別出来ない。

 だがそれよりも……先程の”それ”がした挙動に、よく見覚えがあった。

 

 それはエガオヲミセテとの併走トレーニングの時だった。

 いつものように先行して走っている彼女が、ああやってよくこちらを挑発するようかのに、勝負を挑んできた事があった。

 

 ――これから全力で走るから追いついてご覧、と。

 

 その時の仕草に、本当にそっくりだった。

 だがたまたま偶然の一致であった可能性もまだ残されている。

 それにちゃんと顔を確認したわけではなく、本人だと確信が持てたわけではない。

 

 しかし観察すればするほど、彼女と共通点がドンドン浮き彫りになってくる。

 錯覚などではない。

 その走る姿は、何度も何度も彼女の背中を見続けて、知り尽くしている。

 二人一緒に試行錯誤して作り出した彼女のフォーム……手の振り方、走るリズムと歩幅――何もかもが合致している。

 時を同じく一緒に過ごしてきた親友の姿そのものであると――。

 

(……ダメだ、今はレースに集中しないと…………!)

 確かに”それ”は、そこに居て、このレースで走っている。

 先程走り去っていった”それ”は、悠々と前にいたウマ娘たちを次々と追い抜いていき、すでにトップへと並ぼうというところにまで離れていた。

 

 今見えている”それ”は、認識しているのが自分だけだというのであれば、それはきっと自分の妄想が作り出した産物――幻影か何かなのであろう。

 今はレース中、そんな幻想(もの)に心かき乱されている場合ではない。

 絶対に勝つと決めた、一世一代の大勝負をしている最中。

 余計なものに意識を割かず、”それ”を見えていないものとして処理し、一着でゴールする事を最優先すべき……。

 そうちゃんと頭では理解していたのだが――。

 

「――はあああっ!!」

 ユーセイトップランは大きく息を吸い込み、力強く大地を踏みしめて蹴り出すと同時に、息を思いっきり吐き出す。

 これまで溜めていた脚を開放し、一気に足の回転速度を上げいく。

 

 理屈も何かも頭の片隅に置いて、”それ”を追いかけるために、ただ全力で駆け出す。

 

 ――なぜ、そんなバカげた事をしたのか?

 

 ユーセイトップラン自身でもよくわからなかった。

 ずっと冷静に色々な事を天秤にかけていたが、ほとんど衝動的にそれが振り切れてしまった。

 

 ただ――妙な胸騒ぎがして、胸がチクチクと疼きだしていた。

 このまま見なかった事にして、スルーしてしまっては、何かが失われる……そんな予感がした。

 これが何を暗示しているのかはよくわからない。

 けれど何かの予兆なのは確信がある。

 

 もはや是非もなし――。

 

 ならば確かめに行かなければならない。

 前を往く”それ”を――エガオヲミセテの模したその正体を。

 そしてこの胸騒ぎの正体を……。

 

 二周目の第三コーナーにかかるかなり手前――ゴールまでまだ一〇〇〇メートル以上ある地点から、ロングスパートをかける。

 ユーセイトップランは終盤で使うはずの全力をここで使い、外から一気に次々とごぼう抜きにして、前へ飛び出していった。

 

 **◇◆

 

 同時刻、東京レース場。正面スタンド、観客席。

 レースは二周目の第三コーナーから第四コーナーへと差し掛かり、いよいよレース終盤を迎えた。

 

『おおっと! ここで一三番ユーセイトップランが上がってきた!? 今先頭に立っています。うー……ん、これはどうなんでしょう? 最後方から一気に先頭へと飛び出してきました』

 

 場内に設置されている大型ディスプレイ――ターフビジョンには、現在先頭を走っているユーセイトップランが映し出されているが、これまでほとんどバ群の一番後ろで見切れているぐらいしか写り込んでいなかったところ、急にスポットライトが当たったかのようにカメラの視線を浴びている。

 

 先程の実況者が思わず言葉に詰まって唸りたくなるのも無理はなかった。

 終盤とはいえ、まだコーナーが二つあり、そしてそれを抜けた先には長い直線が待ち構えている。

 明らかに仕掛けどころを間違えていると、誰の目から見ても分かりきった事だからだ。

 

「…………」

 トレーナーは冬の寒空の中、一人汗でびっしょりとシャツを濡らしながら、じっとターフビジョンに映るユーセイトップランを、歯を食いしばりながら眺めていた。

 

 一度飛び出してしまったのならもう仕方がない。

 事前の作戦とはだいぶ異なってしまったが、後はこのままリードを保って突っ走るか、ラストの直線前で一息いれるか……もはや今走っているユーセイトップランに全てを委ねるのみだ。

 その行く末は、あえて語るまいとトレーナーはあまり深く考えないようにしていた。

 

 地面を蹴りあげながら、風を切って走る音がどんどんと近づいていく。

 観客たちのボルテージは最高潮に達し、声援と歓声が入り混じった音が轟く。

 

 先頭は変わらずユーセイトップラン。最終コーナーを抜け、再びこの正面スタンドの前を通り過ぎようというところ――。

 リードはまだ一バ身半ほどある。

 息を入れるならこのタイミングであったが、このままゴールまで走り抜ける道を選んだようだ。

 後は残ったスタミナと根性次第である。

 

(――ん、なんだ? ユーセイ、どこを見ていやがる……?)

 ターフビジョンにトップを走るユーセイトップランの姿がアップで映し出されると、トレーナーは妙な違和感を覚える。

 

 それは目線であった。

 トップで走っている時は自然と終着地点、ゴールを見て走るものだ。

 特に最後の直線なら尚更である。

 

 だがユーセイトップランの視線はゴールよりも手前、別のどこか一点をじっと見ている。

 その先には虚空しかないが、まるで()()()()()()()()かのように、そしてそれを追いかけているようだった。

 

「……先頭に何か居るっていうのか?」

 思わず口からそう溢れる。

 導き出された結論が、あまりにもバカげたもので、口に出した本人ですら信じられなかった。

 

 しかしその視線の方を見ても、何も見えはしなかった。

 何もあるはずはない……だが見えなくとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、としか言いようがない。

 

 長年の付き合いだからこそ、分かり得る。

 ユーセイトップランの走るその姿は、先頭で逃げ切ろうともがいている様ではなく、何かを必死に追いかけている時の顔だった。

 

「…………ユーセイ!」

 固唾を呑んで、その走る様を見守るしか他になかった。

 ただユーセイトップランの一挙一動を目に焼き付けていた。

 

 ◇◆**

 

「ハア、ハア、ハア…………!」

 息が上がる。いくら空気を吸って吐いても供給が追いつかない。

 まるで足が石の塊になったかのように足取りが重く、思ったように動かせない。

 早仕掛けの反動がすでにその身に降り掛かってきていた。

 後どれぐらい保ちそうか……もはやペース配分などあったものではなく、ほんの数歩先すら走れるか不安であった。

 

(それ……でも…………ッ!)

 息を吸い、吐き続ける。

 一歩一歩大地を踏みしめて往く。

 やってしまった事の重大さを噛みしめる形になったが、その後悔と反省は後に取っておこう。

 今は『あの背中』に追いつく事だけを考える。

 

 だが未だに”あれ”にまだ追いつけずいる。

 どんなにスパートをかけても、まるで壁にぶつかっているかのように、二バ身の差が縮まらない。

 ふと彼女の走り方を思い出す。

 調子が乗っている時は、ああやって背中をずっと眺めさせられたものだ。

 

 どこまでも彼女だと裏付けるかように物語ってくる。

 だが、”あれ”は彼女――エガオヲミセテではない。

 

 本来の彼女はここには居ない。

 彼女であって彼女でないもの――それを”幻影”と便宜上、呼称する。

 

 生霊、霊体、エクトプラズム……表現はいくらでもある、何だって構わない。

 肝心なのは、”幻影”が目の前に現れ、自分の前を走っているという事実だ。

 それは我が物顔でターフを駆け、そのままゴールへと向うだろう。

 

 そしてふとした直感が脳裏にささやいてくる。

 ――あれに負けてはいけない、あれが先にゴールに辿り着いてはならない、と。

 

 ゴールするところの意味とは、命あるものが最後に到達する果の先……つまり天国だ。

 このままでは彼女はやがてその場所にたどり着いてしまう。

 きっと一着でゴールした時――彼女は満足して天国への階段へ向うだろう。

 

(そんなの許さない……!)

 ならば自分が為すべきものはただ一つ。

 

 ――全力でそれを阻止するのみ。

 

 昔、彼女といつの日か交わした約束があった。

 同じ舞台に立ち、一緒にレースに出て勝負をする。

 

 ならばあの”幻影”はそれを叶えるために現れた存在というべきもの。

 最後にやり残した悔いを晴らすために存在するもの。

 

 全部自分の勝手な妄想かもしれない。

 

 だったらさっきから疼いているこの胸騒ぎは一体何だというのだ。

 当たらずとも遠からず。

 こういう時の嫌な予感というは、存外当たるものだ……。

 

(勝ち逃げなんて……させないっ!)

 そんな事やらせない、やらせるつもりもない。

 そして絶対に分からせてやりたい。

 こんな実態のない幻とではなく、ちゃんと本当の彼女とターフの上で決着をつけよう、と――!

 

 『2』と書かれたハロン棒を通り過ぎる、残り二〇〇メートル。

 どんなに気持ちが強かろうとも、その実が伴わない。

 差は埋まらない、距離は縮まらない。

 

「クッ……!」

 このままでは追いつけない。

 足りないのだ。

 どれだけあの”幻影”に勝ちたいと願おうとも吠えようとも、今ので精一杯で限界……。

 

 このままで終われない。

 

(……諦める…………もんかぁっ!)

 確かに限界だった。

 ふり絞れるものはすでに振り絞っている。

 これで打ち止め……。

 

 だがそれがなんだというのだ――。

 

 ならば、その限界を超えるだけ。

 何かを得るためには、何かを捨てなければならない。

 もはや逃げ場などはない、魂に火をつけて、その先を駆けていく。

 

「――――まだまだァァァッ!!」

 大きく吠えた。

 まだだ、まだいける。

 まだ力をふり絞れる。

 それで足りないのなら、この身を削るまでの事。

 

 限界なんて自分が勝手に決める……ゆえに己に限界など存在しない。

 己の弱さを乗り越えろ。

 自分がやれると信じなければ、誰が自分を信じるというのか。

 そう、いつだって自分自分は自分を裏切らない。

 

 命が軋む音を奏でながら一歩一歩力強く駆け抜ける。

 絶望的と思われていたリードが徐々に縮む。

 そしてゴール直前……ようやく幻影に追いつき、その横に並んだ。

 

「――――ッッ!」

 命を、魂を、全身全霊をかける。

 

 目の焦点が狭まる、視界が真っ白に染まってゆく。

 アドレナリンで脳が沸騰しかける。

 もはや無意識の状態でただ腕を振り、股を上げ、身体を前へと突き出す。

 

 ――これでもう終わってもいい。

 

 全てをこの瞬間に注ぎ込む。

 例えこの後力尽きても構わない、例えこの足が折れようとも構わない。

 何があってもこの両足を動かすのを止めない。

 (ハート)のエンジンに火をつけて、燃料(いのち)が空になるまで燃やし尽くせ――!

 

 

 ほとんど同時にゴール板を通り過ぎた。

 

 

 ――ワアアアァァァッ!!

 

 一斉に歓声が沸き起こる。

 

 三二〇〇メートルという長い戦いの幕が下りた。

 

 雌雄は決した――。

 着順掲示板の一着に堂々と『13』の文字が点灯する。

 ゴール板に先に辿りついたのは…………ユーセイトップランだった。

 

 逃げ切って勝ったように見えた事だろう。

 だがそうではない。

 一人しか見えていないかもしれないが、全力を出し切り接戦を制したのだ。

 全てを懸けて全てを出し尽くしたその走りが奇跡を呼び、ほんのハナ差でゴールイン直前で”幻影”を差し切っていた。

 

 奇跡を呼び起こす勝つ、勝って奇跡を起こす。

 どちらでも構わない。

 あの”幻影”を確かに打ち破った。

 

 これまでの常識を破るような激走を見せたユーセイトップランに向けて、沢山の拍手が送られる。

「すごいまくりだった!」「ブラボー!」「あんな走りされちゃあしょうが無い!」

 そんな感嘆の声が次々と観客席から飛んでくる。

 

 走り終えたユーセイトップランは、ゴールから数十メートルほど先で肩で激しく呼吸をしていた。

 汗が全身から吹き出してくる。

 気を抜いたらすぐにでも倒れてしまいそうだった。

 

 一息つきたいともいかず、何とか片手を上げて、向けられている観客の声援に応える。

 今はそんな僅かな動きだけでも、動かすのが精一杯だった。

 

(勝った……んだよね…………)

 実感がまるでない。

 本当に最後まで追いつけるかすら分からなかった。

 だが勝てた。

 勝利の手応えを確かに感じた。

 

 打ち破った”幻影”の様子が気になり、ふと後ろを振り返る。

 

 しかしそこには何もなく、あれほどはっきりと見えていた”幻影”の姿は消え去っていた。

 まるで最初から何もなかったかのように……。

 

 その時であった――。

 観客の歓声と拍手がやみ、静寂が包み込こんだ。

 

 皆一様に、心奪われたように空を見上げていた。

 

 雲の隙間から光が降り注ぐ。

 曇っていた東京レース場に、無数の影と光の像がいくつも差し込み、煌めかせる。

 まるで空一杯の光で出来たパイプオルガンを奏でているかのように……。

 

 幻想的な景色――。

 それは”天使の階段”とも呼ばれる薄明光線という現象だった。

 

 息を呑む。

 誰しもがそれに見とれ、言葉を失っている。

 

 柔らかい光が辺り一面に包み込んでいく。

 天の啓示か、はたまた天から迎えが来たとでもいうのか。

 

 けれどユーセイトップランには、それはまるで何かを祝福してくれているかのように映った。




■小ネタ解説※ネタバレを含む(興味のある方だけ反転してご覧下さい)

・エガオヲミセテの幻影について
エガオヲミセテが死んでしまった別世界(パラレルワールド的な)において、ユーセイトップランにダイヤモンドステークスを勝たせるために現れた存在(実際に今の世界に現れたわけではない)
普通は異なる世界の出来事を知覚することは不可能だが、
別世界の夢を見たことで、その世界と僅かにリンクし、ユーセイトップランには見えてしまった(シュタインズゲートのリーディングシュタイナーみたいなもの)

・場面の切り替わりの記号について
『◆◇◆』は現実の切り替わりで、『***』は回想やユーセイトップランだけが見えているものへの切り替わり。
途中、それらが入り交じる表現を用いて、現実と交差している感を出したつもり。

・天国への階段
レッド・ツェッペリンの天国の階段の歌詞からほぼほぼ引用。

・薄明光線
2000年のダイヤモンドステークスが曇りだったというのを調べて知ったのでやりたかったネタである
※史実で起きた現象ではない
宮沢賢治の”光でできたパイプオルガン”という表現はあまりにも有名である

・このレースの構想について
エガオヲミセテの幻と競争するという構想は、とあるサイトで見たユーセイトップランの鞍上、後藤騎手のレース後の「何か追っかけてるみたいだった。」という発言から着想をえた

※参考サイト
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