Sprint To Heaven ~笑顔のその先に~   作:エガヲ

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#3 追憶

 彼女――エガオヲミセテを一言で言い表すなら……そう太陽だ。

 

 その名の通りよく笑う子で、その笑顔があまりにもよく似合っていて、見ているこちらまで自然と笑顔になってしまう……そんな誰からも愛されるようなウマ娘であった。

 

 最初、ユーセイトップランは彼女のことがあまり得意ではなかった。

 というよりも……ただなんとなく苦手に感じていた。

 

 これといった具体的な理由を上げるのは難しいが、会っても三日も経たぬうちに、最初の時の慎ましさはどこへやら……もう何十年来の友人のような距離感で接してくるのに、いつも戸惑ってしまっていた。

 しかしそんなことはお構いなしで彼女は距離を詰めてくる。

 その温かい笑みを浮かべながら――。

 

「ねえねえ、ユーちゃん。明日の放課後、一緒にトレーニングシューズを見に行かない?」

 就寝前の夜の一時、突然そんな言葉を彼女の口から聞いた。

 この部屋にいるのはもちろん自分たち二人だけであるが、それが自分に投げかけられている事だと理解するのにしばしの時間を要した。

「いいけど……。その()()()()()って何……」

「ユーセイトップランの頭をとってユーちゃん! 可愛いでしょ♪」

 えへへと屈託のない笑顔を浮かべる。

 年上だろうと遠慮など微塵もない、これが彼女の平常運転だ。

「……ちゃん、って」

 呆れ果ててくる。

 そしてもう『ちゃん』付けで呼ばれるような年頃でも、ましてそんな柄でもないので、その呼び方に抵抗を示した。

 けど結局は、何度その呼び方を否定しても彼女は一向に改める気がなかったので、ユーセイトップランのほうが根負けしてそう呼ばれることを慣れてしまったので、そのまま定着してしまったのだが――。

「代わりにユーちゃんも、わたしのこと()()()()()とか、()()()()()って呼んでいいよ!」

「……それは遠慮する」

 後者はともかく、前者は某名古屋弁のキャラクターが頭をよぎるのでどうなのかと、陰ながら思うユーセイトップランであった。

「えー、なんでよー?」

 きっぱりと断ってみせると、彼女は不機嫌そうにぷくっと頬を膨らませる。

 だがその顔は『それで本当に怒っているつもりなのか?』と、つい指摘したくなるほど愛嬌に溢れている。

「――プッ」

 しばらくエガオヲミセテの姿容を見つめていると段々ツボに入ってきてなんだか可笑しくなり、とうとう堪えきれず声に出して笑ってしまった。

 急に吹き出したことに一瞬きょとんとするが、すぐさま釣られるように、彼女も満面の笑みを浮かべるのだった。

 

 なんでもないような、そんなくだらない会話……。

 だがそれでさえ、彼女といると楽しくなってしまう。

 

 そうやって一緒に過ごしていくうちに、こちらまで笑顔になる回数が増えていった。

 ひとえに彼女の影響であることは明らかで、いつから自分はこんなに笑う性分だったのかと自身で驚くほどだった。

 それこそが――すぐ側で見せてくれるあの人一倍まばゆい笑みこそが、エガオヲミセテの最大の魅力であった。

 

 

 最初の春が少し過ぎたある日の事――。

 いつもように部屋で談笑していると、急に彼女からトゥインクル・シリーズについてあれこれを……本番でのレースの感覚はどうなのかとか、初めて勝利した時はどうだったとか、根掘り葉掘り質問攻めにされた。

 二年先輩でもあるユーセイトップランから、先人の知恵を授かろうという魂胆なのは目に見えていたが、一つ一つ丁寧にそれに答えていった。

 

 彼女とて、トレセン学園に入学したからには当然、同じ舞台を志すのはごく当たり前である。

 だがトゥインクル・シリーズに出走するには、必ずどこかのチームに所属しなければならない。

 ふと彼女に「どこのチームに入るのかもう決めたのか?」と、訪ねてみた所――。

「うーん。いくつかスカウトもらったんだけど……『これだ!』っていうのがなかなか無くてねぇ……」

 まったく贅沢な悩みだ、とユーセイトップランは少し呆れてみせる。

 中にはスカウトを中々もらえず、チームに加入したくともできないウマ娘もいるというのに、だ。

 だが彼女がこの前の選抜レースで見せたその走りは、参加したウマ娘の中でも抜きん出ており、まだまだ荒削りで未熟ながらも備わった素質の高さが伺えた。

 そんな彼女がトレーナーの目にとまるのは無理もない話である。

 それだけ将来を有望視され、勧誘を受けたということだ。

「……そういえば、ユーちゃんのチームってどんな感じなの?」

 少し何かを物思いに耽っていたかと思うと、唐突にユーセイトップランの居るチームについて訊かれる。

「そうだなぁ……うちのところは弱小と中堅の間ぐらいかな?」

 これでもだいぶ過大評価しているきらいがあった。

 

 チームリギルやチームスピカのような強豪で有名所と違い、少数精鋭といえば聞こえは良いが、細々とやっているようなチームだった。

 おまけにチームのトレーナーは、見た目は小太りした強面の冴えない中年の男性で、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

 そんなトレーナーが一人で切り盛りしているチーム……他の同じような規模のチームと比較しても、さほど人気はなかった。

 しかしトレーナーとしてはキャリア二十年を超えるベテランで、過去に何度かGⅠウマ娘を排出したこともあるというその手腕に偽りはなかった。

 ここ最近は若手のトレーナーに活躍の場を譲っとおり、自分から積極的にウマ娘のスカウトを行っておらず、適当に張り紙をしてあるだけ。

 こんな寂れたチームに加入しようとやってきた物好きを、『来る者は拒まず、去る者は追わず』といったスタンスをとっている。

 

 ユーセイトップランがこのチームに加入したのは、ほんの偶然で……正直言ってしまえばチームに入れればどこでもよかっただけであった。

 あの頃は、選抜レースでも大した結果は残せず、ずっとチームが決まらずにいた。

 ダメ元で色んなチームに加入させてほしいと頼み込んでは、断られ続けていた中……唯一「こんなチームでよけりゃ勝手に入んな」と引き受けてくれたのが今の所属するチームだった。

 

 適当に決めて入ったチームであったが、ここに入ってよかった……このトレーナーと知り合う事が出来てよかったと、ユーセイトップランは今ではそう思っている。

 それを決定づけたエピソードが一つあった。

 

 当時は青臭く、メイクデビューでボロ負けし、大樹のウロに向かって大泣きして、「もう私には無理だ、もう辞める」と、嘆き喚いていた時であった――。

『いつまでそうしてる? 顔を上げろ。お前にはまだ次がある。次が駄目でもその次がある。何度転んだって構いやしねぇ……だからこれっぽっちで諦めんなっ!』

 そう叱咤激励してくれた。

 それがあったからこそ今の自分がある……最近はそう思うようになってきて、トレーナーのことを『おやっさん』と呼ぶようになっていた。

 

「おやっさんは本当にいい人だよ。まあ確かに顔がゴツくて、口もちょっと悪いからおっかないけど……。でもホントは温かみがあって、こんなしょっちゅうレースで負けて帰ってくる私でも、根気よく面倒みてくれた恩人なんだ」

「……ふーん」

 つい熱中して自分のトレーナーについて語っていると、それを何やら興味深そうに聞き入っていたエガオヲミセテを見て、

「何か気になるの?」

 と訪ねてみるも――。

「ううん、なんでもないよ!」

 と、はぐらかされた。

 だけど今思えば――あの時のエガオヲミセテの表情は、何かを決断したような……そんな顔であった。

 

 その翌日の事だ。

 ユーセイトップランのチームところに、チーム加入届をもって彼女がやってきたのは――。

 

 あまりにも唐突なことで、唖然としたものだったが……エガオヲミセテの中ではすでに心の中で決まっていた事項のようだった。

「……しっかし自分でも言うのもなんだけど、本当にここでいいの? エガオならもっと強豪チームに行けると思うけど……」

 才能あるものは才能のあるメンバーに囲まれたチームへ自然と集まるものだ。

 才能を最大限に伸ばそうと思うなら、そういったチームに入って恵まれた環境下で育つべきだ。

 それを棒に振ってまでこのチームに入るわけを彼女にきいてみると――。

「なんかユーちゃんの話きいてたら、『いいなぁ』って思っちゃって……。それにわたしはユーちゃんと一緒のチームでやってみたかったんだ。ユーちゃんと一緒ならきっと頑張れる、そんな気がするの」

 そう言うと、いたずらっぽく笑って見せる。

 

 彼女にとって、多くのウマ娘が掲げる『いいチーム入っていい成績を残すこと』が、優先順位ではなかった。

 自分が『そこに居たい』と思える場所――そして同じ喜びや苦しみを分かち合える、そんな朋友と切磋琢磨できることが大事だったのだという。

「だからこれからもよろしくね、ユーちゃん!」

 と言って、ユーセイトップランに向けて手のひらを突き出す。

 

 昨日までただのルームメイトだったかもしれない。

 今日からはチームメイトであり、苦楽を共にする仲間……そしてお互いレースで一番を競う親友(ライバル)となった。

「ああ……こちらこそよろしく!」

 差し出されたその手を握り返す。

 お互い自然と笑みがこぼれていた。

 

 こうしてチームでも同じ時を過ごすようになった。

 時は先輩らしく厳しく、時には友人のように支え合い。

 そうやって絆を深めあっていった。

 

 二人は学年は違ったが自然と落ち合い、一緒にランチや雑談をしたり、トレーニングの時もべったりで、練習がない日は街でショッピングしたりと……気がつけばいつも一緒で、何をするにでも二人だったような気さえもする。 

 もしも自分に妹がいたのなら、きっとこんな感じなのだろうな……と、そんな事をたまに思うようになってきたユーセイトップランであった。

 

 

 エガオヲミセテと初めて出会ってから半年ほどだった秋頃――。

 彼女がチームに入ってきて四ヶ月ほどたった時、メイクデビューが行われた。

 

 周囲の期待は大きかった。

 模擬レースなどでも才覚を現していたし、トレーニングでもだいぶ調子が良さそうだった。

 パドックで見せた、観客に手を振りながらいつもの笑顔を崩さない彼女の堂々たる姿を見て、「これは行ける」と多く者が思った事であろう。

 圧倒的支持を受け、文句なしの一番人気。

 勝利は確実……そう思われていた。

 だが――蓋を開けてみると、入れ込んでしまったのか壮大な出遅れをしてしまい、最後尾からのスタート。

 それを挽回できぬままずるずると一五着に沈み、多くの人の予想を覆す結果となってしまった。

 

 同じようにデビュー戦で失敗したことがあるユーセイトップランは、その時、親身になって彼女を励ましたものだった。

「ドンマイ、エガオ。無事走りきれただけも立派じゃないか。私のメイクデビューなんて、タイムオーバーでしばらく出走停止だったし……。それに比べたらなんてことはないよ!」

 レースが終わった後、地下バ道でエガオヲミセテを迎い入れ、そんな言葉を投げかける。

「……ユーちゃん。わたし、みんなに期待されて、それに答えなきゃって思ってたのに……」

 彼女の顔にはいつもような明るい表情はなく、その目に涙を浮かべていた。

 一番人気……それがどれほどの重圧なのか、ユーセイトップランには計り知れない。

 様々なものを背負い、勝つことを一番に期待される……それが知らず識らずのうちに彼女の重みになっていたのだろう。

「いざゲートに入った瞬間、なんか急に全部それがプレッシャーに感じちゃって……頭真っ白になっちゃった……」

 そう言うとボロボロと頬を濡らし出す。

 そんな彼女を慰めるかのように、ユーセイトップランはそっと頭に手を載せると、優しく撫でた。

「私がおやっさんに言われたように……また次がある。次、頑張ればいいじゃないか。だから、その時まで前向いて走ろう!」

 その言葉に、彼女はせき止めていたものがあふれるように思いっきり泣きわめく。

 ユーセイトップランにしがみつきながら――。

 

 そんな彼女が落ち着くまで、赤子をあやすような仕草で、ずっと頭をなで続けた。

 しばらくそうしていただろうか……。

 思いっきり泣いてすっきりとしたせいか、段々と泣き止んでいく。

 そして一呼吸置くと、袖で涙を拭い、エガオヲミセテは下を向いていた顔を上げた。

「……ありがと、ユーちゃん!」

 先程までメソメソしていたのが嘘のようだ。

 まるで花が咲いたようにぱあっと明るい笑顔を見せるのだった。

 

 

 最初(デビュー)で躓くこともあったが、彼女はこの悔しさをバネにした。

 続く同月二戦目の折り返しのメイクデビューでは見事に勝利すると、天賦の才能もあったのだろう、めきめきとその頭角を現し出す。

 

 エガオヲミセテはオープン戦へ出走し、順調に勝ち星をあげると、半年と立たぬうちに、初重賞戦――初のGⅠへと挑戦するまでに至っていた。

 

「もう重賞か……すごいなぁ。私なんてようやく最近手が届いたばかりだってのに」

 ユーセイトップランが初めて重賞へ挑んだ三ヶ月前と比較してしまうと、彼女の実力が本物だったとそう思わざるを得なかった。

 しかし彼女は首を振る。

「そんなことないよ、ユーちゃんだってすごいよ! だって初めての重賞で勝てたし! わたしはダメダメだったけど……」

 そう言って、わかりやすくしょぼくれてしまう。

 

 この頃になると、もう彼女が演技をしているかどうかがわかるようになってきたので、それがただのフリであると見抜いた。

 そして、適性もあるだろうがこっちはGⅢのダイヤモンドステークスで、対するエガオヲミセテはGⅠのオークスとでは比較対象にならない……とユーセイトップランは苦笑いを浮かべる。

「まあこれでもう教えることはなさそうだなぁ……私はお役御免だね」

 厄介払いできて清々するというようなわざとらしい態度を見せる。

「あーひどいよ、ユーちゃん! わたしとは遊びだったんだね!! あんなにも一緒に頑張ろって言ってくれたのにっ!!」

 瞳をうるうるとさせ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべつつ、まるでこちら一方的に悪いと主張するように見つめてくる。

「まあ確かにそんな事を言ったかも知れないけど――っていうかなんなの、そのノリは……」

 そうツッコミを入れると、泣き真似をやめて彼女は『あはは』とあっけらかんに笑い出す。

 どうやらタヌキの尻尾は掴めたようだ。

「でもこうやって今のわたしがあるのは、トレーナーさんやユーちゃんが色々教えてくれたからだよ」

 腕の振りや、走りのフォームはもちろんのこと、レースについの実体験や知識を聞かせてくれた事が、ためになったのだという。

 一人の力だけでは到底ここまでこれなかったと、彼女は感謝の言葉を告げる。

「今日は随分と持ち上げてくるなぁ……ははーん、今日の家事当番は変わってやらないぞ?」

 同じ部屋で暮らす上で、掃除や洗濯などの家事は当番で交代交代で行っている。

 そういえば今週はエガオヲミセテが当番であった……そのことを思い出し、したり顔をしてみせる。

 ふざけ半分ではあるが、実のところ、そんな真っ直ぐにお礼を言われることに不慣れで、照れ隠しでもあった。

「もーそんなんじゃないって! ユーちゃん、ひどいなぁ……」

 彼女はむくれっ面を見せて不機嫌そうに顔を歪める。

 相手をからかうことは慣れていても、自分がいじられることはあまり慣れていないようだった。

 

 すぐさま「ごめんごめん」と調子に乗りすぎたことを詫びて、彼女の機嫌を取りもつ。

「……そういえば、次のレースはマーメイドステークスだっけ? しっかり準備を整えて、いつも通りの力を出せばきっと上手くいくって!」

 彼女の走りはどうもムラッ気があった。

 ここぞという時にポカをやらかして勝てるレースを落としたりと、安定しなかった。

 しかしそんな天の邪鬼な部分も、彼女らしいといえば彼女らしかった。

「そういうユーちゃんも次の目黒記念、頑張ってね! そしていつか一緒のレースに出て、わたしと勝負しよっ!」

 そう言うや否や、ユーセイトップランの前に躍り出ると、握りこぶしをまっすぐ突き出してきた。

 そして期待に満ちた瞳で「早く! 早く!」と催促するように、ユーセイトップランを見つめる。

 どうやらよくある友情を確かめ合う的な……フィスト・バンプをしたいのだと、察した。

 しょうがないので彼女の気が済むよう、ユーセイトップランはそれに付き合った。

「……えへへ」

 すると嬉しそうに、彼女は満面の笑みを浮かべる。

 あんまりにも気持ちよさそうに笑うものだから、釣られてユーセイトップランもつい顔がほころんでしまう。

 そうやって二人で顔を合わせて笑いあった――。

 

 それから互いとも、まだ直接対決する日は訪れていないが、レース出走しては勝ったり負けたりし……共に泣き、共に笑い合う、そんな日々を過ごした。

 互いが影響しあい、いい刺激をもたらす。

 莫逆の友といえるような関係を築きながらも、切磋琢磨しあっていった。

 

 ユーセイトップランにとっては彼女と一緒にいるのは、だいぶ前からもう当たり前の事のように感じていたし、エガオヲミセテにとっても同じ思いであったろう。

 こんな日がいつまでも続くような……そんな気がしていた。

 その時までは――。

 

 

 それは唐突に訪れる。

 エガオヲミセテがトレセン学園に来てから三度目の冬を迎えた時のことであった――。

 

 最初の頃はどこか頼りなかった彼女も、シニア級の二年目を迎え、今では後輩を教える側の立場になり、すっかり先輩らしくなっていた。

 

 彼女の活躍――秋華賞を四着、阪神ウマ娘ステークスで重賞初勝利、マイラーズカップでGⅠウマ娘を抑えて重賞二勝目、そしてエリザベス女王杯を三着という活躍のおかげで、ほとんど弱小だったチームにもどんどん加入者が増え、以前より活気に溢れていた。

 まさに彼女はチームの看板を背負うエースへとなっていたのだった。

 

 順調に進んでいるかに思えた……しかしもっと早く気づくべきであった。

 彼女が勝利に焦っている事を――周囲の期待に応えようと無理を強いていた事に――。

 しかし一度転がりだした石はどこまでも止まらず、下り坂へと滑り落ちていく。

 

 実力があるところを見せられていたが、しばらく勝利から遠ざかり、連敗が続いていた時だった。

 エガオヲミセテは今年の一月に、東京新聞杯へ出走した。

 自身の再起をかけて……。

 

「エガオ……」

 応援にきていたユーセイトップランは、ターフからゆったりとした足並みで、うつむきながら立ち去っていく彼女の姿が目に焼き付いて離れなかった。

 

 結果はいいところがない大敗だった……。

 

 ずっと近くに居て見てきたからこそわかる。

 彼女はよくトレーニング中、「今度は絶対に勝つから」そう珍しく口に出していた。

 それほど、このレースにかけていた。

 だが、あれほど鍛錬を――努力を重ねても、実ることが出来なかったのだ。

「――クッ!」

 ここでじっとなど、していられなかった。

 観客席から飛び出し、慌てて彼女の元へ急ぐ。

 

 負けて悔しくない事などはない。

 しかし今回はその重みが違う……とてつもなく嫌な胸騒ぎがユーセイトップランを襲う。

 三着以内に入れなかった出走者は、レースが終われば地下バ道を抜けてまっすぐ自分の控室に向うはず――。

 それを逆からたどる形で彼女を探し回る。

 そしてすぐさま、控室に戻る途中のエガオヲミセテの姿を遠くで発見する。

 

「エガオ――」

 近くまで駆け寄って声をかけようとしたが……直前で思いとどまってしまった。

 これまで見たことのないような、ひどく落ち込んでいる彼女の様子を目にして……。

 

 目尻はおそらく泣きはらしたのだろう、赤く腫れ上がっていた。

 ユーセイトップランにはかけられる言葉が何も出てこず、ただそのまま控室に入っていく物悲しい後ろ姿を、黙って見送ることしか出来なかった。

 

 あの後、寮に戻ってきたエガオヲミセテと少し話をしたものの……。

「ごめんね、今日はもう疲れてるから……」

 と、おざなりに会話を中断されてしまった。

 こんな事は今までになかった。

 明らかに様子がおかしい……深く心を痛めていると、見て取れた。

 

 それからしばらく彼女は……今までのような、明るい笑顔を見せなくなっていた。

 そして二人でいる時間が自然と減っていった。

 会って話をしても、歯車が噛み合わないかのように会話が長続きしない、沈黙する時間が多くなる。

 あんなに一緒だった二人だというのに……今は気持ちがすれ違うばかり。

 

 そんな状況を見兼ねてだったのか、トレーナーの提案でエガオヲミセテは少しの間、休養期間に入り、一旦トゥインクル・シリーズから離れることとなった。

 

 ちょうどその頃、宮城県にある山元トレセン学園で地方と中央の交流を含んだ合宿が行われる事になっていた。

 そこで寝泊まりしながら、複数の教員・トレーナーの指導の元、それぞれに応じた特別メニューが組まれ、一週間みっちりと鍛え上げられる。

 普段と違ったトレーニングを受けられる機会でもあり、スキルアップや技術向上を図るために利用するウマ娘たちも多い。

 また参加する層は、まだデビューしていない若手から、すでにシニア級を走っているベテランなど様々で、新人たちにとっては先人から学びを得る、いいチャンスの場でもあった。

 元々は地方と中央の差を少しで埋めるべく行われている行事なため、学園対抗模擬レースといった本番さながらの本格的な模擬戦も行われる。

 

 その合宿にエガオヲミセテが参加すると……トントン拍子で決まっていった。 

 ほとんどトレーナーの独断のようなものであったが、彼女自身、決められたことを特段拒否しなかったため、そのまま参加する流れになった。

 

 それにユーセイトップランは最初、反対した。

 真に労をねぎらうのならば、わざわざ遠くの合宿などに参加せず、ここでゆっくり休養させるべきだと、そう追求する。

 しかしトレーナーは首を縦に振らなかった。

『ここにいるとエガオは色々を気を使っちまうんだよ、特にお前にな……。だからこそ一旦離れて自分を見つめ直し、気持ちの整理をしてもらいてぇんだよ。お互いにな……』

 ずっと二人でいることが必ずしもいい結果になるとは限らない。

 一度離れてみて気づけることもある。

 それはエガオヲミセテ、そしてユーセイトップランのためだと、トレーナーに諭されたのだった。

 

 その言葉に、ユーセイトップランは何も反論することが果たせなかった。

 現に今の自分では、エガオヲミセテを元気づけさせる事が出来ていない。

 ここにいても何も解決しない。

 なら彼女のためにも、立ち直るきっかけに繋がるのであれば――そうすることが最善だと、そう無理やり納得させるのが精一杯であった。

 

「その……行ってらっしゃい。気を、つけてな……」

 山元トレセン学園へ出発する朝――。

 昨日のうちにまとめた荷物を持ち、彼女が部屋から出ていく際……そんな当たり障りのない言葉しか、かけられなかった。

 

 あれからもずっと、エガオヲミセテは気分が沈んだままであった。

 

 歯がゆい思いだった。

 自分も同じようにひどく気が滅入っていた際、彼女は恐れず踏みこんでくれて、自分を勇気づけてもらったことがあった。

 だからこういう時――彼女が笑顔を曇らせている時こそ、その恩を返すために何か励ましてあげたかった。

 しかし『彼女をもっと傷つけてしまうかも知れない』、そんな臆病風に吹かれ、彼女のように果敢に踏み込んでいくことができなかったのだ。

 不甲斐なさだけが、後に残り続ける。

 

「うん、ありがと……それじゃ行ってくるね」

 彼女は去り際に一度だけ振り返ると、一瞬だけ笑って見せた。 

 だがその浮かべた笑顔はとても弱々しく……無理して作ったとわかる、ひどく寂しいものであった。

 

 これが彼女の最後の笑顔になるとはこの時、露にも思わなかった――。

 

 もしやり直せるならば、やり直したい。 

 もしもあの時、エガオヲミセテを引き止めていれたなら……、ちゃんと恐れず立ち向かい彼女を安心させてあげられたら、ここを離れることはなかったのではないか……。

 そんな後悔だけが募る。

 

 だが戻らない……過ぎたことはやり直せない。

 それを嫌というほど――後々に、思い知らされた。




一部文章校正しました(2022/2/16)

■小ネタ解説※ネタバレを含む(興味のある方だけ反転してご覧下さい)


・エガオヲミセテ
通算成績19戦4勝 主な勝鞍は阪神牝馬ステークス(G2)、マイラーズカップ(G2)
ユーセイトップランと同じ厩舎で、いつも仲良しだったそうだ。
近親馬には、高松宮記念(G1)を制覇したオレハマッテルゼがいる。
彼女の悲劇の末路については、あえて語るまい。
※馬なり1ハロン劇場「Smile」は名作

作中では一番描写にこだわった存在で、とにかく笑顔が素敵で誰かも好かれるような愛らしく思えるように書いたつもり。
作中で『彼女』という言葉は、エガオヲミセテだけに対して使うようにしている。
※そのせいでだいぶ書くのに苦労した・・・
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