Sprint To Heaven ~笑顔のその先に~ 作:エガヲ
その日は肌寒い夜だった。
慣れない場所、慣れない景色……普段と違う環境で気を張っていた事もあり、今日も目一杯トレーニングで身体を動かし、心身ともにすっかりクタクタであったろう。
皆一様に布団に入るなりぐっすりだった。
「……くしゅんっ」
寝静まった夜。
一人のウマ娘が短くくしゃみをする。
東北の夜がこんなにも冷えるとは……思わず布団の中で身震いしてしまう。
その少女――スターシャンデリアは、関東生まれの関東育ちなため、この冷気はだいぶ堪える。
部屋には自動的に空調がきいていてほどよい温度を保たれているはずだったが、この寒さでほとんど打ち消されており、快適とは言い難い。
うっすらと目を開けると、自分の手元に置いてある携帯電話を手探りで手繰り寄せる。
慣れた手付きでスリープを解除すると現在時間を確認した。
まだ深夜の二時――。
月明かりがぼんやりと照らす、闇夜が支配する時間帯であった。
「――ううっ……」
ふと、ある衝動がスターシャンデリアに襲い来る。
どうやら目覚めた原因は他にもあったようだ。
新しい環境、見慣れぬ部屋、この間会ったばかりの人たちと寝室を共にする……色々張り詰めていた事だろう。
身体が冷えたこともあったが、何より緊張を和らげるため、寝る前に紅茶をカブ飲みしたのがまずかった。
猛烈にお化粧室へ行きたくなる感覚とともに、目が覚めてしまったのである。
「…………」
ここを抜け出すと、きっとひどい寒波に揉まれることが予想できたため、中々出ていきたくなかった。
だが……ここでじっとしていても、何も解決しない。
むしろ悪化していくばかりだ。
よもやこの歳になって世界地図を広げるわけにもいかず、他に選択肢はなかった。
「……寒っ」
布団から這い出ると、思わず短い悲鳴が出てしまうほど、一層寒気が増していく。
自分の吐く息が白く、冷たい。
何か羽織っていきたいところであったが、手頃なものが見当たらず、諦める。
仕方がないのでそのまま凍える身体を急かしつつ、就寝している同じ部屋の人たちを起こさないよう、なるべく静かにここを後にした。
静まり返った廊下を、おぼつかない足取りで歩いていく。
深夜に起こされて睡眠が不十分というものあったが、元々スターシャンデリアの寝起きはめっぽう弱かった。
寝ぼけまなこのまま、ウトウトとしかけながらのんびりトコトコ行くと、ようやく目的地にたどり着く。
しかしそこに入ってからが大変であった。
部屋から外に出て、冷え切った廊下を薄着で歩いてきたためか、だいぶ体が冷えてしまった。
寒さで身体が萎縮したとでもいうべきか……あれほどすぐ催しそうだったにもかかわらず、致すまでにしばしの所要時間が必要だった。
数分、あるいは数十分ほどかかったのだろうか――。
ようやく訪れた心地の良い開放感に安堵しながらも、後処理をしっかりとすまし、狭苦しい場所から出る。
そこでスターシャンデリアは、することをしてスッキリしたためか、周囲の異変に気づく。
それはまず匂いだった――。
どこからか、まるでフライパンで料理を真っ黒にしたかのような、焦げ臭さが漂う。
そして最初にここに来た時よりもわずかに寒さが改善――気温が上昇しているような気がした。
そしてなによりも、来る時には非常灯の明かりぐらいしかなかったはずなのに、何やら外から光が漏れていたのだった。
何かがおかしい……そう思ったスターシャンデリアは急いで外へ出る。
するとそこには――燃え広がる赤い景色が開けていた。
「な、何これ……」
目を疑いたくなるような光景……。
炎がまるで生き物のように天井や床を這い、いたるところで蠢いている。
火事――知識では知っていても間近で見るのは初めてだった。
いくらリフォームされているとはいえ元は木造建築……火種となるものはあちこちいくらである。
燃え盛るにはさほど時間を要しなかったであろう。
この非現実的な光景を目の当たりに、逃げるのも忘れ呆気にとられていると、突如として――。
ガシャン――ッ!!
と、けたたましい炸裂音が響く。
その音の正体は、火の熱で温められた窓ガラスが熱膨張で、一斉に大きな音を立てて割れたものだ。
ただ窓ガラスが外側に向かって飛び散っただけで、直接的な危害を加えられたわけではない。
しかし恐怖心を駆り立てるにはそれで十分だった。
パニックに陥ったスターシャンデリアは訳も分からず悲鳴を上げると、その場にへたり込んでしまう。
頭を抱えてうずくまるのも束の間、その音は瞬間的なものだったようで、すぐに鳴り止んだ。
ただ恐怖が支配していた。
身体が震えているのは、薄着のせいだけではない。
それが収まった後もしばらくはそのままじっとしていた。
もう身構えていなくて平気だと、しばしの時をかけて把握していく。
その段階でようやく思考回路が正常に働いてきた。
(早く逃げないと……)
そう思い至り、行動に移そうとした。
だが――。
「あ、あれ……立てない……どうして……」
その場で両足を震わせるながら動かすところまで可能だが、まるで根が張っているかのように床から立ち上がれない、まるで腰に力が入らない。
どうやら、いつさっきの衝撃で腰が抜けてしまったようだ。
必死に動かそうとするも肉体がそれに応えない、何度試してもままならない。
焦りは募る一方……。
そうもがいている間にも、ガラスが割れた事により、空気という燃焼を得た炎は更に勢いを加速させ、どんどん逃げ道を奪っていく。
容赦なく迫りくる火炎の暴力……。
絶体絶命の危機かと思われた、その時であった――。
「……誰かーっ、そこにいるのーっ!?」
と、遠くの方で誰かの叫び声がする。
先程発した自身の悲鳴がたまたま聞こえ、救助に来てくれたのだろうか。
その奇跡か幸運な出来事に、今ほど
「ここです、ここにいます!」
スターシャンデリアは力いっぱいここに自分が居るのを示すべく、声がした方へ向かって大声で叫んだ。
すると数十秒もかからないうちに、炎の中をかいくぐって誰かがこちらの場所まで駆け寄ってきた。
「――シャンデリアちゃん! 見つかってよかった……。部屋に居ないから心配したよ」
姿を現したのは、同じ班で部屋割りで同室のウマ娘――エガオヲミセテであった。
彼女とは、同じ中央のトレセン学園の生徒同士ではあるが、自分より一つ上の先輩にあたり、今回合宿で初めて知り合うこととなった。
話を聞けば、なんとすでに重賞を二勝もあげていて、今回合宿参加者の中ではトップレベルの実力者だった。
条件レースを勝ったぐらいに自分と比較しれしまうと遥か格上の存在である。
そんな人と同じ班の同じ部屋になってしまい、『失礼な事をして機嫌を損ねないようにしなければ』と萎縮してしまったのだが、そんな心配をよそに、彼女は別け隔てなく接してくれた。
けして自身の持つキャリアをひけらかすことなどをせず、親しみやすい口調でそちらから歩み寄り、レースでの駆け引きや位置取りなど、ためになるアドバイスを積極的にかけてくれた。
特にまだレース出走経験がない若手のウマ娘に対して、一人一人丁寧に声をかけて、相談に乗っている姿をよく見かけた。
そんな誰にも優しくしてくれる彼女であったが、どことなく元気がなさそうで、時折辛そうな顔を陰で浮かべていたのが、妙に印象に残っていた。
「エ、エガオさん……!」
スターシャンデリアにとっては、現れた彼女の風体はまさに、救いの女神のように写った。
そして安心して緊張の糸が切れてしまったのか、涙が勝手に溢れ返り、こぼれ落ちていく。
「大丈夫……心配ないよ。怖くないよ」
その泣き顔を見た彼女は、スターシャンデリアを安心させるためか、そっと優しく微笑んで見せる。
その向けられた曇りのない笑みが、とても心強く感じた。
自然と心がやすらぎ、どこからか力が湧いてくるようだった。
「……はい!」
ここでクズクズしている場合ではないと気を取り戻し、頬を伝っていた水滴を一気に拭うと、力強く頷いてもう大丈夫だと仕草で伝えた。
「さ、早く逃げよ!」
と言って、へたり込んでいる少女に向けて、手を差し伸べてくる。
長居をしている猶予はない、一刻を争う。
しかしその手を掴めなかった、掴むことが叶わなかった。
「でもあたし、今立てなくて……」
口惜しきかな、未だ足が言うことをきいてくれないというのだ。
せっかく助けに来てくれたというのに、これでは意味がないばかりか、彼女すら巻き込んでしまい兼ねない。
そんなことは許されない――。
悔しさで何度も手で、動け動けと、乱暴に脚部を叩く。
だが意に反して何も起きず、状況は悪化していく一方であった。
「そんなことをしなくても大丈夫……。わたしに捕まっててね」
制止させるようにスターシャンデリアの手を握ると、一人の力だけで引っ張るようにゆっくりと起き上がらせる。
そしてすぐさま体重を支えるように腕を首に回させ、体をがっちりと保持する。
これならば一方に負担を強いてしまうが、二人でここから逃げ出すことが可能だ。
「できるだけ頭を低くして歩くよ……煙は吸っちゃダメだからね。何か口を塞げるものはある?」
そう言われて、ポケットの中などの身の回りを確かめる。
が、お手拭きすら持たずに外に出ていたことを、今になって気づく。
いくら半分寝ぼけていたからといって、自分の大雑把さを終始呪った。
「すみません……持ってないです……」
「……じゃあ、わたしのハンカチ使って」
彼女はポケットから自分のハンカチを取り出すと、惜しげもなくこちらの空いている右手にそれを握らせる。
「でもそれだとエガオさんが……」
予備があるのならすでに出しているであろう。
それがないということは……つもりこれ一枚しかないということだ。
救助にきてくれただけでも感謝しても感謝しきれないというのに、こんな負担ばかりかけさせるのは、申し訳なくて気が引けた。
「いいから……!」
だが彼女の意思は譲らない、揺るがない。
無理やり力に物を言わせて、ハンカチを口に押し込まれる。
このままここで抵抗していても埒が明かない上に、そんな悠長にしていられる時間もない。
炎は刻一刻と燃え盛っているのだ。
スターシャンデリアは仕方がなく、彼女の好意に甘んじることにした。
「それじゃ、歩くからね。しっかり捕まってて」
「はい……。すみません、お願いします……」
腰に手を回し、スターシャンデリアを持ち上げると、ゆっくりとだが確実に移動を開始しだす。
スターシャンデリアもなるべく負荷を分散させるため、引きずるように踏ん張りのきかない足で協力する。
その状態のまま二人は往く。
周囲は熱され、冬の夜だというのに、まるでサウナルームにいるかのような熱気が包み込んでくる。
額には大粒の汗が浮かび、体力がじわじわと奪われていく。
特にほぼ一人分の重量をかかえているエガオヲミセテの消耗が激しそうであった。
きっと身体は辛いはず……。
だがエガオヲミセテはただの一度も弱音を吐かず、むしろ痛いところはないか、苦しくはないか、と逆にこちらに気を回してくる。
これほどまでに強く心優しい人を見たことがない。
その果敢な振る舞いに、感銘すら覚える。
だから今は彼女のためにも、一歩でも多く進もう……そう二人は力を合わせて進んでいく。
そうしてしばらくの間、火の手が至るところに上がっている宿舎の中を突き進むと、ようやく出口が見えてくる。
道中、火の粉が振りかぶってきたりと危ない場面もあったが、命からがら燃え盛る建物から逃げ出し、何とか安全な敷地外へと辿り着く。
「エガオさん、もう外ですよ……。本当に、本当にありがとうございました!」
そう告げると、身体を抱えていたエガオヲミセテから急に力が抜けていった。
体重を彼女に預けっぱなしになっていため、途端にバランスを崩してしまう。
おもわず腰が抜けていることを忘れ、両足で踏ん張る。
すると尻餅をつくことなく、いつのまにか自分の足で姿勢を維持できるようになっていた。
「……あれ、立てる、歩ける……。エガオさん、もうあたし大丈夫みたいです」
炎の魔の手から逃れ一安心したせいか、あれほど起き上がることもまともに歩くことも出来なかったというのが嘘のように、一人で歩行できるまでに回復していた。
外に抜け出せた開放感と、不自由だった体が戻った喜びを噛みしめる。
嬉しそうにはしゃいでみせたが、彼女からの反応や返答はない。
代わりに後ろの方で、ドサッ――と、地面に何かが落ちる音が鳴る。
「――エガオさんっ!」
すぐさま振り返った。
するとそこには、息苦しそうに呼吸を乱しながら、倒れているエガオヲミセテの姿があった。
「……誰か、誰か早く来てください! エガオさんが! エガオさんが!!」
自分の命を助けてくれた恩人の救いを求める悲痛な叫びが周囲に響く。
その騒ぎを聞きつけ、間もなくして二人のところに救助が到着したのだったが――。
***
『あの時、あたしが部屋から出なければ……足を引っ張らなければ、こんな事には……。本当に、ごめんなさい……』
電話越しの女の子――スターシャンデリアは、むざむざ自分だけ無事だった事、彼女を犠牲にしてしまった罪の重さから、泣き崩れてしまっていた。
しまいには電話の音は、声を押し殺した泣き声だけになってしまう。
『……ユーセイ、急に悪かったな。まだ火事のパニックから、みんな立ち直ってねぇんだ……』
声の主はトレーナーのものだけに変わる。
どうやらスターシャンデリアに気を払ったのか、電話のやりとりを聞かれないようスピーカーモードを切り、離れた場所に移動したようである。
「いえ……」
無理もない……というのが率直な感想であった。
命の危険にさらされて、冷静のままでいられる方が常軌を逸している。
そんな中で、自分を顧みず、誰かを助けるために奮闘したエガオヲミセテは、かなり危なっかしいが実に彼女らしい行動だったと思うし、誇りに思う。
自分よりも他人を優先する……エガオヲミセテはそんな性格だというのは、長い付き合いで誰よりも熟知している。
しかし今回ばかりは無茶がすぎる。
気絶するほど、我が身を犠牲にすることはなかろうに……。
後で「もっと自分を大事にしろ」と、お説教をしなければなるまい、そうユーセイトップランは心の中で思った。
まだこの段階でも、ユーセイトップランの認識はズレていた――。
どこまでも楽観的であったし、軽い怪我程度あれば、すぐ治るものだろうと信じて疑わなかった。
まるでスターシャンデリアが発していた、
『――それでエガオの容体なんだが……』
「たしかすぐ良くなるんですよね? 退院はいつ頃とか、わかったんですか?」
まるで噛み合わない。
重苦しいトレーナーの口調に対し、どこか脳天気な声のユーセイトップラン……。
それがより一層、悲壮感を強める結果となる。
『違う、そうじゃねえ……。問題は内面の方――エガオの意識が、戻らねぇんだ……』
「え――」
トレーナーから語られたその事実は、一度希望の光が見えたと思ったら絶望へと叩きつけれるような、ユーセイトップランにとっては無残な仕打ちとなる。
火災現場に取り残されるといった最悪のケースは回避できたが、その後卒倒してしまったエガオヲミセテは、すぐに救急搬送され、近くの病院で集中治療を受けることになった。
それは長い時間を有した。
迅速な処置と、懸命な治療によって、一般人であったらほぼ助からないほどの重度の一酸化中毒症状が出ていたが、奇跡的にも一命を取り留めたのだった。
しかし吉報はそこまでであった。
未だ彼女の意識は戻らず、ずっと寝たきりのままだという。
意識が回復しない原因はまだ特定できておらず、処置も難航しているらしい。
そして厳しい現実は更に降りかかる。
もし仮に彼女が意識を取り戻したとしても、なんだかの後遺症が残り、以前のようにアスリートとして走れる保証は限りなく低いと、医者の口から聞かされた。
エガオヲミセテの家族たちはショックのあまり、茫然自失するか泣き崩れたという。
その後、家族の希望もあり、もっと設備の良いエガオヲミセテの実家の近くにある都内の病院に明日移るという。
『ちくしょう、なんだってこんなことが……。俺がエガオを合宿に誘ったばかりに……!』
トレーナーは苦虫を潰したような声で、後悔の念を吐き出す。
すべての原因が自分にあると、己をなじり倒す。
それぐらいしなければ、収まりがつかないのであった。
「…………」
ユーセイトップランは黙ってそれを聞いていた。
これまでのズレがゆり戻ったかのように、歯車がカチリとはまり出す。
まだ暗然たる事実を受け止めきれない様子であったが、とうとう理解してしまった。
目の前が真っ暗になっていく。
心がどんどん沈み込み……世界から音が消え、光も奪われ、何も感じなくなっていくのに、そう時間はかからなかった。
一部文章校正しました(2022/2/16)
なんか暗い話ばっか続いてスンマセン
■小ネタ解説※ネタバレを含む(興味のある方だけ反転してご覧下さい)
・この5話について
ただの回想だけで無駄に長くなってしまった回(反省点ですね)
なんでエガオミセテが意識不明になったか、を説明するのに必要な回ではあったが、
こんな細部まで描写する必要はあったのだろうか・・・(筆が悪ノリしたともいう)
改めて読み返すと、中だるみの原因にもなっている。
・スターシャンデリアについて
当初はその名前を出すつもりはなかった。
だが「○○は言った」みたいに登場人物の呼称が行き詰まったので、しぶしぶ名前を解放することに
※『彼女』という呼称を、エガオミセテ限定にした縛りがここでも苦しめられた
ちなみにスターシャンデリアは、山元トレセンの火災の際、エガオミセテと一緒にお亡くなりなっており、ユーセイトップランと同じ日のレースで、スターシャンデリアの弟(シルヴァコクピット)がレースで勝利するなど、妙な共通点が多い。