Sprint To Heaven ~笑顔のその先に~   作:エガヲ

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#7 決意

 二月十二日、午後五時頃。

 すでに日は傾き始め、街並みには街頭が灯り、これから来る夜を迎えようとしている時間帯であった。

 

 あの後、ユーセイトップランはすぐに面会を終わらせると、病室を去った。

 あの場に留まり続けられる胆力がとうに失われており、ただ一人残されているのに耐えられなかったからだ。

 トレーナーから教えてもらい思わずエガオヲミセテの状況を確かめたくて、いざ赴いた結果がこの体たらく……。

 不甲斐ないと言わざるを得なかった。

 

 実に病院に居た時間は短く、待たされていた時間を含めて一時間もかかっていなかったであろう。

 だが何時間も走りきった後のような、とてつもない疲労感が残っている。

 行きは元気よく飛び出していったのはどこへやら……そんな気力はとうに失われており、公共交通機関を乗り継ぎながらゆっくりと帰路についたのであった。

 

 意を決して彼女に会いに行ったはずだった――。

 真実を確かめたくてそこへ向かったはずだった――。

 

 けれど死んだように眠る彼女を見た瞬間……心の中の何かが音を立てて粉々に砕かれる。

 数日前までは、元気とまではいかないまでも、彼女はちゃんと動いていた――話しかければそれに応えてくれた。

 だが今は静かに眠るのみ……。

 その物言わぬ姿に変わり果ててしまった彼女の様子が、脳裏に焼き付いている。

 

 だが諦めるのはまだ早い。

 まだ可能性は僅かながらも残されている……彼女が奇跡的に起き上がる事を、ただ祈るように待つ羽目になるが――。

 

『――大丈夫だよ。エガオはきっと良くなる、前にみたく元気になる』

 そう彼女の妹を慰めるために発した上辺だけの綺麗事……全部自分にブーメランのように返ってくる。

 ――それを言った本人が信じてはいないではないか、と。

 そしてあの時、少女に言われたあの言葉が、延々と頭の中で反響し続ける。

『――みんな嘘つきだ』

 どうせ諦めているくせに容易く希望を口にする……。

 望みがない希望をチラつかせ、結局最後は絶望に叩き落とすだけ……。

 それは優しさなどではなく偽善というものだ。

 

 そんな、いともたやすく行われるえげつない行為を、よりにもよって彼女の妹に向けて行ってしまったのを、ユーセイトップランは心から悔やんでいた。

 最後に見せた少女の悔しそうな涙が、頭からずっと離れずにいる。

 もっと上手くやれなかったのだろうか……もし彼女ならどうしていただろうか……そんな苦悩をずっと抱えながら帰り道を歩いた。

 その答えは見つからないまま、トレセン学園の校門まで辿り着く。

 

「――ああ、そうだった……」

 ふと、ぼそりとうわ言のようにつぶやく。

 トレセン学園に戻り、時間も時間なのでつい部屋へ戻ろうとしたところで、病院に行く前、トレーナーに帰ったらトレーナー室に来るよう言われていたのを思い出す。

「おやっさん、きっと待ってるだろうしなあ……」

 寮の門限が近いのが気になるが、これから急いで向かえば何とか間に合うだろう。

 約束を反故するわけにもいかず、トレーナーの元に向かう事にした。

 

 その足取りは、まるで足に枷をつけて歩いているかのように重かった。

 

 ◇◆◇

 

「――失礼します。ユーセイトップランです」

 あまり普段立ち寄ることのないトレーナー室の前に立つと、ユーセイトップランはドアをノックする。

 すると間髪入れずに「入れ」と、短くトレーナーの返事があった。

 

 入室の許可を得たので恐る恐る中へ入ると、他のトレーナーは出払っているのか、室内にはユーセイトップランのチームのトレーナーが一人だけ居た。

 おそらく仕事を片付けていたのだろう、座席でノートパソコンの軽快にキーボードを叩いている音を鳴らしていた。

「すまねぇな、少しばかり立て込んでいてな……。で――エガオには会えたか?」

 ユーセイトップランの姿を確認すると、これまでの作業を中断し、パソコンの蓋を閉じて、そう訊ねてくる。

「はい……一応……」

 会うことは会えた……しかしあれで会ったといえるのかは、わからなかった。

 ただ覆しようのない厳しい現実を、突きつけられただけなのかもしれない。

 

 そのユーセイトップランの優れない顔色を見たトレーナーは、状況を色々察したようだった。

「……ま、今の俺達にしてやれることは、精々早く良くなるのを祈ることぐらいだ。悔しいがな……」

 ユーセイトップランと同じく、何もする事が出来ず、歯がゆい思いをしているのはトレーナーも一緒であった。

 だからこそぶつけようのない苛立ちを、自分をなじってごまかす事しか出来ないのであろう。

「さて……。こんな余裕がねぇ時に、聞くのも酷かもしれねぇが……」

 一度、軽く鼻で深呼吸をすると、トレーナーはユーセイトップランをここに呼んだ本題へと入る。

「ユーセイ……明日のレースはどうする?」

「――――あっ」

 言われて気づく。

 色々な事が短期間で起こって、その事がすっかり奥の方へ引っ込んでいた。

 その日のために鍛錬を重ねてきていた、目標のダイヤモンドステークス……。

 それが明日出走と迫っている。

 

 頭の片隅にはあったのかもしれない。

 だが自分の大事なレースの事も考えられないほど、追い詰められていた事実にユーセイトップランは軽く衝撃を受ける。

「どうするかは、お前が決めろ……」

 そしてトレーナーのこの『どうするか』とは……つまり今の自分の仕上がりを見て、()()()()()()のか、()()()()()()()のか、を問うているのだ。

「…………」

 今一度ユーセイトップランは、自分の状態……心身を振り返る。

 

 ――なんという体たらくであった。

 体調面は寝不足や栄養不足ではっきりと調子を落としてしまっている。

 メンタル面も立て続けに起きた出来事で摩耗している。

 これではとても、レースをまともに走れるコンディションではなかった。

 普通に考えるならば、今回は出走を取り消して、また次のレースに備えるべきであろう。

 

(次……か……)

 だが、()()()()()()()()という確証もなければ保証もなかった。

 そして自分の気持ちの問題もあった。

 次こそは次こそは、と挑んでは負け続けること八連敗。

 もしここで何か理由をつけて逃げるように辞めてしまったら、自分は二度と立ち直れなくなるかもしれない……そんな恐れがあった。

 しかしこの状態で挑んでも結果は火を見るより明らか……。

 ユーセイトップランはそんな葛藤に悩まされ、答えを決められずにいた。

 

「……ま、すぐに決めろとは言わねぇ。けど今日までだ、今日いっぱいまでは待つ。腹積もりができたら何時でも構わねぇ、俺ン所に電話しな……」

 もし今日中に連絡がないようであれば、出走は取り消しておく、と付け加える。

 

 そう言い終えると、話はそれだけだと言わんばかりにノートパソコンを開き、トレーナーは再び作業に戻っていった。

「わかり……ました……」

 おそらくトレーナーはユーセイトップランが決めかねていたのを見かね、助け舟を出してくれたのだろう。

 そんなわかり易いほど、表情に出ていたらしい。

 今は猶予を与えてくれた心遣いに感謝の念を抱く。

 この場で直接は言えなかったが、内心トレーナーに謝礼を述べると、ユーセイトップランはトレーナー室を後にする。

 

 後は残された時間を使い……どうするか、決断を下すだけだ。

 

 ◇◆◇

 

 ユーセイトップランは、自他ともに『不器用』であると認めている。

 だからこそ複数の物事が重なった場合、一つ一つ対処していくよう心がけている。

 そしてその一つを解決していく事で、連鎖的に道が拓いていくのを知っていた――。

 

「――ゴクッ。うっ……」

 寮の部屋に戻るや否や、帰り道で自販機で買った『特製高麗ニンジン入りエナジードリンク』を豪快にあおる。

 空っぽの胃の中に強めの炭酸が入り、刺激を通り越して痛みすら覚えてくる。

 普段こういった栄養ドリンク的なのを飲み慣れていないせいもあるが、味も自分の好みではなかった。

 おそらく香り付けで何かのハーブが使われているのだろう、それが何とも消臭剤を飲んだような後味が、とてもじゃないが気持ち悪くて受け付けない。

 

 こんな冒険をしたのは、無論ただ美味しそうだったからとか、そんな理由ではない。

 端的にいえば、『これからやるぞ』という意思を固めるためだ。

 どこか尻込みしてしまっている己を奮い立たせるためには、何か起爆剤となるものを必要とした。

 それ故の――何かを踏ん切りをつけるのに、自分の中のスイッチを入れるために、思い切って飲んだいう事だ。

 

 するとなんだか体がポカポカと暖かくなってきて、少し活力が戻ってきたような気がする。

 エナジードリンクはそんな即席で効果が現れる魔法の水ではない。

 実際、ほとんどプラシーボ効果であったろうが、『気合を入れ直すために飲んだ』という結果が重要だったのだ。

「……プハァー!」

 強引に流し込んだというのが適切なほど一気に飲み干すと、空き缶を机の上にドン、と置く。

 まずい――もう一杯、とは到底思えない。

 しかし活を入れるには、まずいぐらいでいい。

 おかげで頭はスッキリとしてきて、やるべき事が見えてくる。

 ――もう迷いはない、後は行動に移すだけ。

 ユーセイトップランはスマホを取り出すと、おもむろに電話をかけ始めた。

 

「出て……くれるかな……」

 コール先はエガオヲミセテの妹へだった。

 だいぶ前に連絡先を交換してはいたが、実はこうやって連絡を取るのは初めてである。

 普段はSNSのチャットアプリのグループトークで短いやりとりを交わすぐらいの……はっきり言ってしまえば、彼女が間に挟まないと繋がりは薄かった。

 そんな相手に今こうして電話をかけているのは、今日の病院での事をまずは謝りたいというの一つだった。

 積み重なっていた物が溢れ出したのだとしても、彼女の妹――少女を泣かせた……傷つけてしまったのは自明の理である。

 純粋にその事について謝罪を述べたい気持ちがあったのと、今度こそ苦しんでいるのを元気づけるとまではいかずとも、傷口を和らげるぐらいは事は何かしたかった。

 きっと着飾らない真摯で真っ直ぐな言葉なら届くはず……。

 自分の気持ちにカタを付けるためにも、わだかまりは全て取り除いておきたかったのであった。

 

 何度目かのコール音が鳴る。

 未だ出る気配はしない……。

 相手と繋がらないこの間が、ひどくもどかしく感じる。

 要因はいくらでも頭に思いつく。

 もう就寝しているのかもしれないし、着信がユーセイトップランだとわかっているので出たくないのかもしれないし、そもそも電話が鳴っている事に気づいていないかもしれない。

 それでも待った、かけ続けた。

 もし留守番電話サービスに転送されたとかで中断されたのであれば、そこで断念していたかも知れない。

 だがまだずっとコールは鳴り続けている……そんな引くに引けない状態が続く。

 何度か心が折れかけて切ろうと思い悩むシーンもあったが、その度に祈るように信じて繋がるのを待ち続けた。

 どれほどそうして時間が経った事だろうか――。

 終止符は打たれ、ようやく電話が通じた。

『……はい』

 やや暗いトーンで、エガオヲミセテの妹の短い応答がする。

「もしもし、ユーセイトップランだけど……遅くにごめんね、今平気かな……?」

『……大丈夫ですけど、何か用ですか……』

 ユーセイトップランは、一瞬の間はあったもののその言葉に、まずは拒否されなかったことに安堵する。

 察するに、鳴り響く着信音をずっと無視し続けることに罪悪感を感じてしまい、つい電話をとってしまった、といったところであろうか。

「その……さっき病院では、君の気持ちも知らず、無神経な事を言って本当にごめんなさい!」

 電話越しで相手に見えないというのにも関わらず深々と頭を下げ、謝罪の意を表明する。

 

 しばしその状態のまま、呼吸音すら聞き取れてしまいそうなほど静寂が続く。

 ユーセイトップランはただひたすら相手の言葉を待った。

 小手先や口先など不要。これ以上はこちらから語るべきものはない。

 持てる誠意をあの一言に込めたのだ。

 

 沈黙は尚も続き、妙な緊張感が辺りに流れ始める。

 だが、それも長くは続かなかった――。 

 ふと電話の先から、呆れたような根負けしたような感嘆が漏れると、先程電話に出た時よりかは明るい声色で話し出してくる。

『いえ……僕の方も失礼な事を言いました……。こちらこそ、ごめんなさい……』

 不器用だからこその算段や駆け引きもない、ド真ん中ストレートな気持ちでの謝罪。

 身構えていたいたのがバカらしくなるほど、少子抜けしてしまったようである。

「ううん、怒るのも無理もないよ。私は別に気にしてないから……」

 そう優しく投げかけると、相手はもう一度謝罪を繰り返した。

『ごめんなさい……。ユーセイさんが、姉さんの妹である僕の事を気にしてくれたのは、わかってたのに……。でも、色んな想いが溢れて……』

 実のところ、少女も感情に任せて怒鳴り散らしてしまったのを悔いていたのだという。

 些細なひと悶着もあったが、こうしてお互い謝る事が出来て、わだかまりが溶けたようだった。

 

 それから少女は、しばらく自分の胸の内をぽつりぽつりと語り出す。

 

 姉が火事に巻き込まれ意識不明になった事はすぐ家族の元に連絡があったそうだ。

 そして搬送された病院へ一家全員で向かい、そこで彼女の容体――意識が戻らない事を聞かされた。

 しばらくの間、信じられないといった素振りを一様に見せていたが、やがて幾ばくか冷静さを取り戻すと、両親は『不幸な事故だった』と割り切ってしまった。

 だが少女だけはその事実を受け止めきれず、なぜ姉は目を覚まさないのか、何か救う手段はないのか、なんでそんな簡単に諦めてしまうのか、そう両親に言及したそうだ。

 しかし返ってきた言葉は「いつか治るから」、「いい子にしていたら良くなるから」と、煙に巻かれ、そして他の看護師や医者も同様な言葉を投げかけてきたのだと。

 そんなただの慰めで同情心だけの――うわべだけの美辞麗句に嫌気が指していたという。

『誰も本気で姉さんが、()()()()()()()とか()()()()()()()()とか思っていないのに、簡単に口に出すのが許せなかった……。それならまだ、()()()()()()()()()()()()って言われたほうがマシだった……。それなら本当に諦めがつくから……』

 口惜しそうに、だんだんと言葉が尻すぼみになっていく。

 

 その声は決して叫んでなどはいなかったが、ユーセイトップランにはその悲鳴が聞こえていた。 

 ――なぜなら、自分も同じ痛みを知っているからだった。

 

 認めたくない。

 けれど必死に否定したところで厳しい現実は変わらない。

 ならばいっそ全てを受け入れて楽になるか?

 でも姉の事を諦めるわけにいかない……。

 

 そう心の中でせめぎ合っているのだろう。

「そうだね……。どんな綺麗事を並べても状況がよくなるわけじゃない。全部諦めてもうダメだって受け入れてしまうほうが楽なのかもしれない……」

 そうやって何度も心は折れかかった。

 

 ――ただ思う。

 本当に諦めたくないものを、無理に諦める必要はない、と。

「……でも可能性はゼロじゃないよ」

 どんなに往生際が悪くとも、無様でかっこ悪くとも、あがき続ける事に意味がある。

 ユーセイトップランはかつてそれを彼女から教わっていた。

「だから誰が何と言おうとも思おうとも――私はエガオがきっと目を覚ますって、もう一度笑ってくれるって信じている!」

 どんなに愚かだろうと、夢想家だと言われようとも、エガオヲミセテの事を諦められない。

 それは理屈や理論などをもはや関係ない。

 確率が限りなくゼロに近い数値だったとしても、ゼロでないのなら、わずかに希望はまだ残されているからだ。

 だから例え何年かかろうとも、誰も信じなくとも――待ち続ける、いつまでも信じ続ける。

 必ず彼女が目を覚ますと、笑顔を見せてくれると――。

 

 これまで悩み抜き、苦悩し、回り道を沢山してきたが……ユーセイトップランはようやく自分の本当の気持ちを導き出せた。

『……僕だってそう信じたいけど……そんなの無理だよ。それこそ””奇跡””が起きない限り……』

 ユーセイトップランの淀みのないその言葉はたしかに少女に響いた。

 だが少女は身内に起きた不幸だからこそ、そんな起こり得もしない天文学的な幸運にすがれるほど空想家(ロマンチスト)でなかった。

 

 ただの神頼みに等しい。

 祈るだけで解決するならそもそも苦労はない。

 それこそまさしく『奇跡』でもなければ、到底不可能であろう。

 そんな思いが、少女の中でどうしてもよぎってしまう。

「――だったらその奇跡ってのを起こしてみせる」

 だがそれを振り払うように、ユーセイトップランはこうきっぱりと言い放った。

『え……?』

「……実は、私は明日レースに出るんだ……」

 唐突に自分の明日の予定を告げる。

 そしてユーセイトップランは話の前触れもなく、自分の事を語って聞かせた。

 

 デビューして四年以上経つが、やっとこ重賞レースを二つ勝てたこと。

 GⅠにも挑んだこともあるが、かすりもしなかったこと。

 このところ連敗続きで、もうかれこそ一年以上勝利していないこと。

 ここ七レースは全て一〇着以下で、いつ引退してもおかしくないほどの体たらくであること。

 おまけに昨日の火災事故の一連の出来事で、体調もメンタルもやられて、今まともに走れたような状態ではないことを――。

 

「もちろんレースに出るからには勝ちたい。自分がどんな状態であっても……。それは出走する全員そう――だから簡単に勝たせてくれる相手なんて誰一人としていない」

 思えばユーセイトップランは沢山のレースを走ってきた。

 数多くのウマ娘と競い合ってきたが、一度たりとも負けるために走っている者はいなかった。 たった一つの栄光を掴むため、才能、努力、叡智、技量――それら全てを振り絞った上で、ようやく勝ち取れる……そんな実力こそが物を言う過酷な世界なのである。

「……今の話を聞いてみた率直な意見をきかせてね。私は……明日のレースに勝てると思うかな?」

 そこで問う――。

 調子を落としているウマ娘が、もう終わったと評されているロートルが、更に万全でない状態で出走する。

 そして他の出走ウマ娘は、誰が勝ってもおかしくないような百戦錬磨ともいうべき粒ぞろいばかり。

 ましてハードな三二〇〇メートルの東京レース場のコースでは、実力がストレートに出るため、(まぐ)れ勝ちなど望みは薄い。

 ――果たしてそんな勝負に挑んで、結果がどうなるのか。

『…………』

 実に想像だに容易かった……。

 誰もが口を揃えて唱えるだろう、()()()()()()()()()、と。

 まさしくそのような事を少女は思ってしまったが、口には出さなかった。

 しかし沈黙はすなわち肯定である。

「そう無理……それこそ””奇跡””が起きない限り、絶対勝てっこない……」

 出走するユーセイトップラン自身、達観していた。

 例え完璧な仕上がりであったとしても、勝てる見込みや保証など存在しない。

 むしろ冷静に考えれば、勝てない確率のほうが高いであろう。

 絶望的なまでに不利な状況――。

 それこそ神に祈るしか術がない……そう、まるでそれは意識不明のまま回復の見込みがなく、ベッドの上で寝たきりになっている””今の彼女の状況””と重なっているかのようであった。

「だから――私は勝つ」

 だからこそだった。

 だからこそ不可能を可能にする――そんな証を立ててみせたかった。

「勝って……奇跡ってのは簡単に起こせるって証明してみせる!」

 何か一つ困難な事をもし達成できたのであれば、願いは叶う……実現できるということだ。

 それは微かではあるが、確かな希望となれる。

 希望の灯をともすため――エガオヲミセテのために、ダイヤモンドステークスで勝ってみせるというのだ。

「だから明日、私のレースを見ていてほしい……エガオと一緒にね」

『ユーセイさん……』

 それが一体何になるのかはわからない。

 万が一にでもユーセイトップランがレースで勝ったとしても、そこに彼女の病状と因果関係はなく、目を覚ますものでもない。

 ただの去勢とも取れかねないその言葉に『くだらない』と、吐き捨てるのは簡単であった。

 しかし――何か言い表せない妙な説得力がそこにはあった。

 ユーセイトップランの言葉に嘘偽りはなく、まるで未来を知っているかのように豪語してみせている。

 その姿に、本当に『奇跡』とやらが起こるのかも知れない、そんな風さえに思えてくるような。 

 

 願うだけなら安いもの。

 その結果、自分が傷ついても姉の状況は何も変わらない、現状のままで悪くはならない。

 なら、そこに想いをかけてもいいのかも知れない……そう少女は願いを託した。

『……わかりました。その時間、病室に行ってテレビを付けておきます』

 全てを諦めて絶望するなら、全部かけてみてからでも遅くはない。

 少女は力強くそう答えた。

 当日、直接レース場に行って観戦することは叶わないが、彼女の病室に備え付けられているテレビの中継なら一緒に観ることはできる。

 ユーセイトップランが出走するレースの開始時間を聞き、必ず姉と一緒に見届けるとそう誓ったのだった。

 

「うん、ありがとう……。それじゃあもう遅いし、そろそろ切るね」

 長々と電話をしていたせいでもあろう。だいぶもう夜も更けてきた頃合いであった。

 これ以上は就寝する時間の妨げになってしまうかもしれない。

 まして相手は小学生なので、尚更である。

『はい……おやすみなさい』

 と返ってきたので、てっきり通話が終わるものだと思った。

 しかし短い間の後、少女の言葉が続く。

『あの、ユーセイさん……。僕、応援してますから……』

 それ一言だけで想いは、ユーセイトップランに十分伝わった。

 明日のレースは自分一人で走るのではない、少女の『願い』と一緒に――共に勝利を目指して走るのだと。

 背負った想い(もの)はけして斤量(おもし)ではない……きっと自身の力となるだろう。

「――ありがとう、おやすみ……」

 ユーセイトップランはもう一度感謝を述べると、こちらから電話を切った。

 

 通話が終わった後、何かをやりきったような、後先考えず全力疾走した直後のような脱力感に襲われる。

 

 言ってしまった――思わず言い切ってしまった――。

 空きっ腹に摂取したエナジードリンクのカフェインで酔ってしまったとでもいうのだろうか。

 つい数時間前までは、明日のレースに出走するかどうかさえも思い迷っていたというのに……。

 

 振り返ってみると、小学生相手に物凄く恥ずかしいセリフを随分吐いていた気がする。

 これではどちらが子供かわらないというもの……。

 エガオヲミセテの妹が、年の割に大人びている分、その差し引きが自分のところに来たとでもいうのだろうか。

 ともかくこれでもう出走しないわけにはいかなくなった、後に引けなくなった。

 言い逃れはできない、もうやるしかない。

 ならば覚悟は定まった――すでに完了した。

 この瞬間、全ての鬱屈として気持ちが吹き飛び、腹の底から気力がみなぎってくるような一種の興奮状態に陥った。

「あっ……トレーナーにも言わないと……」

 意気揚々と褌を締め直したのも束の間、本来であれば真っ先にその事を伝えなければならない人物に心当たりあるのを、思い出して急に冷静になった。

 だが覚悟が決まったのは先程の電話の結果なので、順序としては間違っていないはず……そうユーセイトップランは、妙な理屈で自分を納得させる。

 早速この勢いのまま、トレーナーに連絡をかける。

 すると、まるでそれをずっと待ち構えていたかのように、三コールもしないうちにで電話が繋がった。

「あの、もしもし……ユーセイトップランですけど……私――」

 夕刻に問いただされたことを返そうとするが、トレーナーの言葉によってそれを遮られる。

『――いい、みなまで言うな。俺に掛けてきたってことは……腹を括ったっていうことだな?』

「は、はい!」

『よし……んじゃ予定通り、明日府中で待ってるからな。今日はしっかり寝ておけよ』

「はい!」

 そんなものの数秒の短いやり取りでトレーナーとの通話は終わる。

 多くを語る必要はない。

 それは互いに信頼しあっているからこそ、為せる技だ。

(……ありがとうございます、おやっさん)

 電話で言い伝えられなかったその言葉を、心の中で思い馳せる。

 きっとこの思いは届く、届けてみせる。

 レースに勝って……そうユーセイトップランは固く誓った。

 

 ――グゥゥゥ。

 とそこで、そんな締まらない音が、お腹の中で鳴る。

(そういえば……今日も何も食べてなかった……)

 気持ちが上向いてきたせいなのか、急に食欲が湧いてくる。

 中途半端に飲み物だけ採った影響もありそうだったが、ともあれ一度空腹感を覚えると無性にお腹が空いてくる。

 しかしこの後、就寝が控えているので、ガッツリと食べたい気分でもなかった。

 そもそもカフェテリアはとっくに閉まっている時間だ。

 そういえば以前なんとなく衝動買いした『栄養満点タフネスバー』という栄養補助スナックを、引き出しに入れたままにしていたのを思い出す。

 

 それを取り出して開封すると、一気に腹に収める。

 砂漠で遭難した時に飲んだ水ほど美味いものはないというが、腹をすかせていたためか、ひどくそれが美味しく感じた。

 すると途端に気力が満ちてくるようだった。

 ――と同時に、久方ぶり物を口にして活気が出てきたせいか、急に身体を動かしたい気分になってくる。

 

(…………うん、走ろう!)

 少し迷ったが、もう居ても立っても居られなかった。

 トレーナーにはちゃんと睡眠をとるように言われている上に、もう寮の門限はとっくに過ぎている。

 だが……止まらない、抑えられない。

 その身体には否が応でも気合が入っていた。

 レースに向ける昂ぶりが抑えられない。そんな状態でとてもすぐには眠れはしない。

 一汗かいて落ち着いた方がいい。

 そう心の中ですでに決まっている事柄に適当な理由をつけ終えると、急いで練習着に着替える。

 そしてユーセイトップランは夜の帳の中、駆け出していった。

 

 その心はこれまでと違い、とても晴れやかであった――。




■小ネタ解説※ネタバレを含む(興味のある方だけ反転してご覧下さい)

・エナジードリンク
当初ウマ娘コラボしていた、Zoneのウマ娘の奴。
正直、モンスターより美味かったと思う

・栄養満点タフネスバー
アプリのサポカSRアイネスフウジンがかじっている奴。
ちょうど書いている時期に、そのサポカが実装された

・この7話について
とりあえず前を向いてさあ行くぞという、起承転結でいうところの転の部分。
まあ承の段階でかなり中だるみしてたんで、展開が遅かったかも・・・と、書き終わって投稿した後で思いました。
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