Sprint To Heaven ~笑顔のその先に~ 作:エガヲ
その日、大きな悲しみに包まれていた。
屋根や窓に打ち付ける雨音が大きい。
まるでその人々の嘆きが天から落涙させているかのように、雨が降りしきっていた。
知人、級友、友人、家族……その犠牲となった関係者のたち顔は皆暗い。
中にはこらえ切れず、口元を抑えながら嗚咽を漏らしている姿もあった。
二月十一日未明。
宮城県にある山元トレセン学園で起きた悲劇――。
目を疑いたくなるような出来事。
総勢二十二名……あまりにも大勢の命が、たった一晩で失われてしまった。
痛ましい火災によって――。
この悲惨な事故はメディアに大きく取り沙汰され、世間を一躍騒がせた。
連日の如くトレセン学園周辺を囲むように記者が押し寄せ、犠牲となった関係者――特に同じチームに所属しているウマ娘や、その担当トレーナーが標的となった。
押し寄せる津波のように歯止めが効かず、取材とかこつけて学生たちのプライベートまで危ぶまれるような事態が何度か起きた。
事の大きさを重く見たトレセン学園側は、抑止力として多数の警備員を配備し、警備を強化に乗り出す。
そして間髪入れず正式に記者会見を開き、許可なき接触や干渉は迷惑になるのでやめるようマスコミに対して打診する。
今後は何事もトレセン学園に一度問い合わせて許可が出てからするようにと、強く注意喚起を行った。
また騒ぎの収集を図るためか、膨れ上がった感情を静めるためか、大々的な告別式をトレセン学園が執り行うことを同時に発表した。
今はその告別式の当日――。
会場には多くの葬列者が訪れていた。
報道陣もこれ見よがしに多数詰め寄せているが、場所が場所だけに以前のような問題行動は大っぴらに起こしておらず、大人しくしている。
皆同じように黒い服に身を包み、列に参加している。
棺に添える白いカーネーションを持って……。
お経が鳴り響く中、ユーセイトップランもその列に立ち並んでいた。
その顔には生気がなく、未だ事態の重さを受け止めきれず、どこか視界が定まっていないようだった。
ただ前の人が一歩歩くと、それに釣られて歩くだけ……心が空っぽのままであった。
そうやって参列してから、少し歩いては止まり、また少し歩くを何度繰り返されたであろう。
とうとうユーセイトップランの番を迎える。
「――――あ……」
自分の順番が回ってきた事に少しの間を要した。
そこでようやくきちんと目の前に焦点が合わさる。
そこには、ずらりと並んだ二十二名の遺影……ちり積もった線香の匂い……そして大きな棺……。
その中には、それまでの参列者によって献花された白い花で埋もれていた。
するべき事をようやく思い返したユーセイトップランは、他と同様に、その中に手にした花を添える。
あらかじめインプットされた動作をなぞっているかのような、機械的な動きで手を合わせて一度目をつぶり、黙祷を捧げる。
その一連の行動には何の感情もこもっておらず、ただ形式的にそういう動作をしているだけ。
心は空虚のままであった――。
しかし冥福を祈る素振りを終え、瞼を開けた瞬間……ユーセイトップランの様子が一変する。
「ああ、ああ――!」
目が合ってしまった。
一人の遺影に――自分がよく知るその笑顔で映っていた彼女に――。
まだどこか上の空だった。
信じられない自分がいた。
だがそれを直視して初めて……紛れもなく全て事実だったと突きつけられる。
あの日、あの火災で自分の友人が……エガオヲミセテが帰らぬ人となってしまった事を――。
ユーセイトップランはたまらず膝から崩れ落ち、涙をボロボロと溢れさせるのだった……。
***
「――ッ!」
掛け布団をはねのけながら飛び起きる。
動悸が激しい。
ひどく汗をかいていて、喉がカラカラだ。
なんという夢――なんという悪夢。
目覚めた瞬間、そう理解する。
そう……ただの夢なのだ。
だが――生々しい夢の内容に、
陸の上だという水の中で溺れたような苦しみを和らげるために、大きく息を吸い込んでは吐き出す、それを何度か繰り返す。
ユーセイトップランが平静を取り戻すのにしばしの時が必要だった。
幾度なく深く呼吸を繰り返すと、ようやく鼓動が落ち着き始める。
「まだ……六時か……」
薄暗い部屋の中、ふとサイドテーブルに置いてある携帯電話を手繰り寄せて、時計を確認すると、まだそんな時刻であった。
毎朝行っていた朝トレの習慣で早くに目覚めるよう体が覚えてしまっていたのか、そんなだいぶ早くに起きてしまったようだ。
今日は午後からレースに出走するので、その準備や支度・ウォーミングアップにかかる時間を差し引いても余裕で時間が有り余る。
ならばもう一度優雅に寝直そうか……鮮明に記憶に刻まれた悪夢のせいで、到底二度寝する気分にはなれなかった。
(――しかし、あの夢はなんだったんだろ……)
嫌な夢ほどよく覚えていると耳にするが、その通りであった。
ユーセイトップランは頻繁に夢を見るタイプではないし、たとえ見たとしても起きたらすっかり忘れてしまうことがほとんどだ。
だが今回は起きてからもその内容をはっきりと覚えており、そして妙に現実感のある夢だった。
「……嫌な夢だった…………」
ついそう独りごちる。
まったく縁起でもない。
よりにもよって彼女の――エガオヲミセテの葬式の夢などと……。
ありもしない出来事、ただの脳が作り出した幻想だ、と一蹴して忘れ去ろうとするも、頭にこびりついて離れない。
夢・嘘・幻……そう否定しながらも、なぜかどこかで身に覚えがあるような――過去に体験した事があるような、そんな妙な既視感を覚えていた。
既視感は別世界の自分の記憶……そんな突飛もないオカルト的な話がある。
昔ユーセイトップランは、自分の根源――つまりウマ娘というものは何なのか、というのが気になって調べてみた事があった。
色々な学術書を読み漁ってみると、『ウマ娘はこことは別の世界の名前と共に生まれる』とされていた。
しかしその”別世界”とやらが、どういったものなのか誰にもわかっていない。
自分がいる世界と似て非なるものなのか、はたまたまったく異なるのか、存在を認識できないものは想像するしかない。
映画や小説などでよく語られるフィクションだが、未来は無数に分岐していて、その数だけ世界が存在するという。
それならば元となる世界から派生して、ウマ娘が存在するこの世界が出来たと考える事もできる。
ウマ娘が”別の世界の名前”を受け継いで生まれるのであれば、ウマ娘は何だかの干渉を受けている存在とも言える。
つもりその”別世界”とやらと、何だかの調子――例えば寝ている間にリンクしたとしても不思議ではないはず。
起こり得た世界……俗に言う
と、ここまで妄想を働かせたところで、思考に歯止めをかける。
昔の自分……中学生の頃だったら止まらず、妄想が捗っていたかもしれない。
でも今はそういったのとは卒業して久しく、空想もそこまでいけば大したものだ、と色々思いついた自分自身に呆れ果てる。
嫌な夢を見て朝からひどく気分が悪いせいか、妙ちくりんな考えが浮かんでしまったようだ。
それを振り払うように洗面台に向かうと、髪が濡れるのも構わず頭から水を被り、思いっきり顔を洗った。
その伝っていく冷たい水が、一気に眠気を吹き飛ばしていく。
十分頭が冴え渡ってきたところで蛇口を締めると、髪をかきあげて顔を見上げる。
目の前には鏡があるので、己の姿が映し出される。
目のクマは幾分か取れ、昨日よりはいくらマシな顔つきに戻っていた。
だがまだ足りない――。
「――よしっ!」
そう大きく一声発すると、ユーセイトップランは自分の両手で頬を叩いた。
バチン――! と、痛々しい音が鳴り響く。
頬がズキズキと痛みだす。
否が応でも脳が活性化する。
これでようやく完全に目が冷めた。
「私はやるぞ、私はやるぞ、私はやるぞ……!」
やるなら、やらねばなるまい。
目を見開くと、鏡に映った自分に向かって暗示をかけるかのようにそう何度も呟いた。
己が魂に活をいれるため――今日の決戦で、ただ一つの栄光を勝ち取るために――。
◇◆◇
二月十三日、午後四時頃――東京都府中市、東京レース場。
週に二度の祭典――トゥインクル・シリーズが開催されているこの会場は、いつものように大勢の観客たちが押し寄せ、盛り上がりを見せていた。
何度目かのレースとウイニングライブが滞りなく終わった頃、本日出走予定のウマ娘の控室の一つに、ユーセイトップランは居た。
朝早くに起きたせいもあり、二時間前にはすでに会場入りしていた。
どことなく自分の部屋でじっとしていられず、遠足の日を待ち望む園児のように、あるいは初めてのデートの待ち合わせに向うように、足が向かってしまったのだ。
控室に入ってまずは、今日の出走レースはGⅢなので勝負服ではなく体操服に着替え、ゼッケンをつけた。
だがそれはものの数十分もかからず終わってしまい、手持ち無沙汰になってしまった。
しかたがないのでその場で出来る事……念入りにストレッチや軽く運動を行って身体をほぐしながら時間を潰す。
それでも余裕があったので、頭で何度も今日のレース運びをイメージしながらシミュレートを行いながら決戦に向けて集中力高め、その時を待つ。
そうやってどれくらい時が経過したであろうか……。
ふと、コンコン――と、控室のドアがノックされる音がする。
「……俺だ、今いいか?」
トレーナーの声がドア越しに聞こえる。
彼がここに来たという事は、もうじき出走が近いことを意味する。
「どうぞ」
と声をかけると、ドアが開かれ、トレーナーが控室に入ってくる。
そして入ってくるなり、ユーセイトップランの顔をまじまじと観察しだした。
「ふむ……どうやら昨日よりかはマシになったみてぇだな」
トレーナーはどこか満足したように、そうぼやく。
大方、まだ迷いやためらいがあるようならば、ここで活を入れようとしてくれたのであろう。
「おやっさん……私、今日のレースどうしても絶対に勝ちたいんです。なにかいい作戦とかありませんか?」
けして弱気に鳴ったとか、怖気づいたわけではない。
ダメ押しならいくらでも欲しかった。知恵があるならいくらでも借りたかった。
そうまでしても……今日のレースは絶対に負けられない。
その気持ちの表れであった。
「作戦か……」
トレーナーは顎に手を当てて一瞬、考えを巡らせる。
そして言葉を続けた。
「そうだな……最初は後方について脚をためて、最後の長い直線に入ったら、お前の持ち味であるその末脚でぶち抜け――ようは
その答えに少し不服そうにするユーセイトップラン。
返ってきたのがあまりにも普通すぎて、これではもったいぶって出した秘策でもなんでもなかったからだ。
だがその反応を見越していたかのように、トレーナーはニヤリと意味深に笑いかけてくる。
「ま、レースに絶対はねぇ……必ず勝つ方法なんていう絵空事を考える必要はねぇさ」
圧倒的人気実力を誇っていてもひっくり返される事もある、そのまた逆もしかり。
何が起こるかわからない、それがレースというものだ。
ただし例外的に、
「結局、最後にモノをいうのは……ここだよ」
そう言って、トレーナーは自分の胸をドンと、叩く。
ハート――つまりは自分自身がこれまで培ってきたもの、だというのだ。
積み重ねてきたものはけして無駄にはならない。
積み上げていったものの重さの数だけ武器となる。
――自分自身は自分を裏切らない。
トレーナーの言葉で、これまでの研鑽の日々が蘇る。
ならば、全てを出し切るだけの事――そこにおぼろげながらだが活路を見出した。
「すみませーん。ユーセイトップランさん、スタンバイの方、お願いしますー!」
と、ここで、どうやらスタッフの方が、ユーセイトップランの出走するダイヤモンドステークスのパドックの時間が近づいたので、呼びに来たようだった。
ユーセイトップランは一目散に意気揚々と立ち上がる。
その目には、もはや何の迷いもなかった。
時は来た――それだけだ。
「よし行って来い、ユーセイ! それからこいつは差し入れだ、持っていきなっ!!」
大きく腕を振りかぶった平手打ちが、ビチン――と、ユーセイトップランの背面に思いっきり直撃する。
このチームの伝統・名物となっているここぞという時に行われる……闘魂注入である
「――ぃっぅ……」
何度かそれを貰っていた経験はあったが、今回のはいつにもましてめちゃくちゃ痛かった。
背中が激しくヒリヒリしているので、おそらく赤くなっているだろう。
今日が背中を開けているような勝負服でなかったのが幸いだ。
だけどその分だけトレーナーの想いが込められている……そう思うと、がむしゃらに気合が入った。
「――はいっ!」
拳を力強く握り、威勢のいい目一杯の声でそう返す。
込められたその『想い』の分まで、全力を出し尽くす。
そう胸に誓い、ユーセイトップランは控室を後にした。
■小ネタ解説※ネタバレを含む(興味のある方だけ反転してご覧下さい)
・ユーセイトップランの悪夢
最初にユーセイトップランが見たエガオヲミセテの葬式の夢は、今いるウマ娘がいる世界とよく似た別のパラレルの世界での出来事。
その世界では、史実通りに火事でエガオヲミセテが亡くなっている。
ようはちょっとした伏線と、この後不思議なことが起きるけど、事前に予防線張ってるからね、っていうこと。
・ユーセイトップランの勝負服のイメージ
ウマ娘アニメ1期の10話でちらっと写っていた、フリルドレスみたい(キングヘイローっぽい)な背中ばっくりあけている服。
※参考サイト