Sprint To Heaven ~笑顔のその先に~ 作:エガヲ
二月十三日、午後五時頃。
日本ダービーやジャパンカップをはじめとする、数々の
ダイヤモンドステークス――GⅢ、芝三二〇〇メートル。
そのレースのみで使用されるこの長距離コースは、広い東京の舞台を大体一周半弱かけて競われる。
コースを一周する間に“二つの坂”を上り下りするハードな展開が待ち構えており、ポイントは直線の上り坂。
同じ長距離の”淀の坂”として名高い、京都レース場のコースと比較してもその比ではない。
ここでスタミナ・底力のないウマ娘はすべからく淘汰され、ステイヤーとしての資質が問われる。
そこに
誰が呼んだかわからないが、いつしかこう呼ばれていた……。
ダイヤモンドステークスは、『本物のステイヤーのみが勝つ』と――。
◇◆◇
観客たちの熱い眼差しがパドックに登場したウマ娘たちに降り注ぐ。
出走を控えた一四人のウマ娘たちが次々と交互に入場しては、各々ファンの声援に答えるようにアピールする。
その中にユーセイトップランも居た。
他のウマ娘たちは、万全の仕上がりで今日のレースに望んできたのが分かるほど、調子が良さそうなところを見せていたのに比べ、ユーセイトップランはどこか動きが固かった。
よく見ると体重を落とし、少しやせ細っているようだった。
一晩ゆっくり休んだとはいえ、わずか数時間ばかり前の事だ。
立て直すにはまだまだ少々時間が足りず、ベストコンディションにまで持ち直したとは言い難い。
だが目つきはするどく、その身に宿す闘志が――レースにかける思いの強さが、どこか伝わってくる。
その他者とは一見変わった様子から、「何かやってくれるかもしれない」そんな期待がわずかに持てるようであった。
そのかいがあったどうかはわからないが、去年は惨敗してしまったものの、一昨年のダイヤモンドステークスの覇者である実績と、ステイヤーとしての功績を買われたのか、七番人気と人気を少し取り戻していた。
しかしその実、連敗街道まっしぐらかつ、二桁着位の常連という直近の成績の割には大したものではあったが、けして本命や対抗とまでいかず、『応援人気投票』というのが的を得ていると言えた。
ユーセイトップランを送り出した後、トレーナーはすぐに移動し、観客席の一階東側の場所に陣取っていた。
少し前に行われたパドックの様子を、トレーナーも遠巻きではあるが確認していた。
パドックとはファンサービスの意味合いを含めた、要はお披露目会でもある。
GⅠで着用される勝負服などがもっとも顕著であろう。
観客の視線と声援を受け、それに応える場所なのだ。
だが今日のユーセイトップランは明らかに観客の事など目に入っていなかった。
まるで入れ込んでいるような……そんな気負いすら感じた。
どこかその不安げな様子に、可能ならば何かもう一声かけてあげたかったが、もう届きはしない。
時はすでに遅いのだから――。
ターフの上ではウマ娘は常に孤高……一人で走らなければならない。
一緒になって走れたならどんなにいい事か、レース中に声をかけてやるのすら叶わない。
もはや今のトレーナーに何かしてあげられるのは、こうやって見守るのみ。
トレーナーとウマ娘は二人三脚とよく言われるが……レース前に気休め程度の言葉をかけるぐらいしかしてあげられない、そんなちっぽけなものだ。
だからこそ何があっても自分のチームのウマ娘たちを信じ、信じて送り出した子たちが無事帰ってくる事を祈るだけ。
そしてレースの結果がどうだったであれ、ちゃんと迎え入れてやる事……それがトレーナーとしての責務であり、唯一出来る事であった。
何年経とうとも、何度経験しても……それは変わらない。
「絶対に勝ちたい……か」
ふと控室でのやり取りを思い返す。
意気込みはいい……。
過去に、負け続けて闘争心をなくし、勝てなくなってしまったウマ娘を今まで沢山見てきた。
勝利へ執着するのはよい傾向とも言える、何よりも原動力となる。
だがその”想い”が強すぎることで、負けた時の反動が何倍にも膨れ上がってしまう。
それは時に――心を砕いてしまうのをよく知っている。
それもそのはず……ついこの間もそうであったからだ。
レースに勝つことにこだわっていたユーセイトップランが、どこか一月の東京新聞杯の頃のエガオヲミセテと重なって見える。
彼女が得意のマイルの一六〇〇mで、再起をかけて挑んだレース。
結果は大敗……。
そしてエガオヲミセテは……。
今のユーセイトップランの状況が、その時とどこか似通っている。
冷たい風が吹き、頬を撫でる。
どこか寒気がしたのは、風のせいかは分からない。
「ま、何にせよ、無茶だけはすんなよ、ユーセイ……」
そう祈るように天を仰ぐ。
しかし空を見上げると生憎の曇り空……まるで何か不吉の前触れのようであった。
昼頃まで天気は晴れていたというのに、これから一雨が振りそうなぐらい、東京レース場――府中には暗雲が立ち込めていた。
そんな何か嫌な予感を覚えてくるその景色を、目を細めて睨みつけると、正面へ視線を戻す。
トレーナーが見据える先……その先にはダイヤモンドステークスに出走するウマ娘が集うスタート地点――ゲート。
次々とウマ娘たちがゲートインして行く。
中に入り、各々集中力を高めている。
ここに集まった十四人の
胸に抱いているものはそれぞれ異なるだろう。
しかし思いは皆等しく一点……だがそれを掴み取れるのはただ一名。
一着でゴールする――。
誰よりも早くその場所へと駆け抜け、脚光と喝采の全てを受ける……。
そして誉れの頂きへと目指す。
誰にも譲れない、誰にも渡せない。
意地と意地のぶつかり合い。
今まさにそれが行われようとしている。
そして最後の一人がゲートに入ると、十四名の役者は出揃った。
ほんの一瞬、あるいは永劫……沈黙が辺りを包み込む。
その緊張が伝わったかのように、レース場にいた観客たちも息を呑んでその時を待つ。
すでに
今か今かと、鼓動がアクセルを吹かせているかのように激しく波打つ。
後は
そして――時が満ちた。
ガゴンッ――!
観客の声援が一斉に飛び交う。
待ち望んだ瞬間が訪れた。
ゲートが開放されるや否や、各ウマ娘が一斉に飛び出していく。
その駆け足が地響きに似た轟音となって、辺り一帯に響き渡る。
開始地点は、東京レース場の正面スタンドの反対側――第三コーナー手前からとなる。
皆足並みをそろえるかのように、綺麗にスタートし、ごちゃつく事もなく揃って走っている。
まずは先頭争い。
特に逃げ脚質のウマ娘なら、先頭を争いを序盤から繰り広げる場面も少なからず見受けられるだろう。
しかしこのレースでは、誰も競りかけていかなかった。
最初に四枠五番メジロサンドラが先頭を行こうと前へ出るが、それを交わして五枠八番ポートブライアンズが我先にと行った。
すっと抜け出して一番前に出ると、以降そのポートブライアンが先頭をキープし、ペースを作っていくようであった。
同じ作戦が逃げ同士であれば、主導権を握られて他人のペースに振り回されないよう、普通は先頭を競り合うものである。
だが『ここが自分の定位置』と言わんばかりのように、それぞれ綺麗に収まると、道なりに走っていく。
皆、理解しているのだ。
――序盤から争ってもスタミナの無駄、めちゃくちゃなハイペースにならなければそれでいい、と。
まるで打ち合わせたかのように、先頭を往くポートブライアンはペースを落とし、体力を温存する動きを見せる。
そしてその動きに皆同調し、ペースを誰も乱さず、付き従っていった。
その一団の最後尾に――八枠一三番ユーセイトップランが控える。
ここが自分の指定席……そう言わんばかりに。
最初は後ろについてからのラストでまくり勝つ……末脚を活かした追い込みスタイルだ。
それがユーセイトップランのいつもの戦法であり、いつもレース運びであった。
今までそれで勝ってきた。
この手に限るし、この手しか知らない。
レースはそのまま全員足並みを揃えているかのように第四コーナーを抜けると、ウマ娘たちが最初の正面スタンド――ホームストレッチに入ってくる。
再度一際、観客たちが色めき立ち、それぞれの支持するウマ娘に向けて声援を送る。
その模様とは打って変わり、レースは淡々とした展開であった。
序盤の流れのまま、先頭のポートブライアンズの後を追う形で、四枠六番メジロロンザンと六枠九番スエヒロコマンダーが続く。
一方ユーセイトップランは、相変わらず先頭に一切関わらず、シンガリについた状態から変化はなかった。
『――前半一〇〇〇メートルを通過、タイムは一分四秒台でしょうか。かなりスローな展開になっています』
ホームストレッチに入り、観客たちの居るスタンドを横切った辺りで、そんな実況の声が会場に流れる。
ポートブライアンズが依然先頭。
その後ろにスエヒロコマンダーと……順位が少し入れ替わっているが、大差はない。
まるで隊列を組んでいるかのように群団となって、そのまま第一コーナーへと駆け進んでいく。
(……ま、まずまずってぇところだな)
これまでのレース展開を眺めていたトレーナーは、心の中でそうごちる。
ここまで大方予想通りの、無難かつ順当な流れであった。
もしかすると観ている側は退屈だと感じてしまうほど、動きの変化に乏しい。
しかしそれも無理もない事だ。
ダイヤモンドステークスは三二〇〇メートルの長丁場なので、前半はこんなものである。
動きがあるとすれば二周目の第四コーナー辺りであろう。
そこまでは皆、無理に順位争いなどはせず体力を温存……という塩梅だ。
そうする事がこのコースでは常道だとわかっているし、そういう立ち回りをしっかりとこなせるものばかり。
なぜならば、このダイヤモンドステークスはシニア級のみが出走できるからだ。
経験の少ない若手ならいざしらず、幾多の戦場を駆け抜けてきた熟練の戦士たちが集っている。
ゆえに――楽には勝たせてもらえない。
最後尾にいるユーセイトップランにとっては、ペースを抑えられ、スタミナを温存されているので、最後にまくりにくくなってしまっている点では、苦しい展開であった。
(
トレーナーは、最後方のユーセイトップランの方に視線を送る。
仕掛けどころは総て同じ……ならばラストの瞬発力勝負となる。
脳裏に浮かぶのは一昨年のダイヤモンドステークスの事……。
展開は今年とほぼ変わらずで、最後後方から上がり三ハロン『三四.六秒』と、歴代のダイヤモンドステークスでも比類のない豪脚で見事差し切って勝利した。
当時の再現をすれば勝てる見込みは高い……。
だが二年も前の話だ。
とうに全盛期を過ぎ、今なら上がり三六秒が出ればいい方で、あの時のような末脚はもう出せなくなっている。
それでもなお……これしか
ユーセイトップランの勝ち筋は――。
『――さて先頭は変わらずポートブライアンズ! 差をわずかに広げて、リードは一バ身半ほど! そして九番スエヒロコマンダーがその後ろを続きます!』
ターフを駆けていく一四人が、第一・二コーナーを抜けバックストレッチへと入り、二周目を迎えようとしていた。
順位は少し入れ替わりがあったが、大きな変動はなく、バ群はほぼ一団という状態になっている。
これは誰が勝ってもおかしくないような状況。
皆一様に皆虎視眈々とチャンスを伺いつつ、ラストスパートに備えてコースを流すだけ……にみえたが――。
ふと観客から大きなどよめきが沸き起こった。
「な――――っ」
トレーナーは驚きの余り、席から立ち上がりながら、そう叫びを口に出してしまう。
見る目を疑った。
二周目を過ぎた辺り……第三コーナーにかかるかなり手前で、ユーセイトップランが動いたのだ。
外からスーッと上がっていくと、次々と前を行くウマ娘たちを追い抜いていく。
無論、このタイミングで仕掛けているのは他に誰もおらず、一人だけスパートがかかっているような状態。
あれよあれよという間に、最後方から先頭へと躍り出たのだった。
「――早すぎる……っ!」
これを戦術と呼ぶにはあまりにも無謀。
それもそのはずだ。
ゴールまでまだ一〇〇〇メートル以上ある地点から、仕掛けたのだから。
この後、まだ上り坂がある上に、最後の直線は五〇〇メートルもある……。
直線の長い
何がどうなったというのか……。
作戦は”いつも通り”と伝えていたはずなのに……。
もしや掛かってしまったのか、はたまた暴走か……?
トレーナーの思考はグルグルと巡り、額にはたっぷりの冷や汗をかいていた。
それほど衝撃を受けている。
今の状況が信じられないというほどの衝撃を。
果たしてユーセイトップランの身に、一体何が起きたのか――。
それは時を少し遡る事となる……。
府中のコースに関しては、詳しい人から見たらかなりガバガバですが、お許しを
※一部文章がガタガタだったので修正しました(2022/2/27)
■小ネタ解説※ネタバレを含む(興味のある方だけ反転してご覧下さい)
・ダイヤモンドステークスについて
ようやくはじまったダイヤモンドステークス(作中唯一のレースシーン)
※ウマ娘のアプリやってる人でも、「そんなレースあったっけ?」と、思うほどマイナーGⅢである
レース展開は史実通りなので、書くのにはあまり困らなかった。
※キョウエイボーガンの時もそうだったけど、展開を考えなくていいのは結構書くの楽
レースに登場したウマ娘の名前は実際レースに出走した馬と同じにした。
※何個もオリジナルの名前も考えるのも面倒だし、『10番』とか名前を伏せるのもだるかったので、もう何も考えず出した。
(これ以上、名前の呼称で苦労したくなかったとも言う)
府中のコースは、改修前の3200mの解説しているのがあまりなかったので結構改修後の3400mのも入っている(つまりガバである)
実際、府中の長距離は差しが有利で、序盤はとろとろとした展開が多いらしい。
基本的に実力がもろに出るレースなので、荒れないことで有名だったが、
作中の舞台である2000年では、単勝1,660 馬連37,580 とクッソ荒れた。
※エガオヲミセテの悲劇での応援馬券がなければもっとオッズ高かったかもらしい