社築と笹木咲が所属する会社は秋葉原にある。ライバーとしての活躍を支えてくれるそこはオタクにとっての聖地に位置していた。
公式番組である『ヤシロ&ササキのレバガチャダイパン』の収録を行なっていた二人は長めの休憩時間にスタジオから出ると揃って伸びをする。
「真似すんなや」
「え⁉︎」
切れ味鋭く短い言葉で威嚇した笹木は心底嫌そうな三白眼を作ると男を睨みつけた。向けられたその眼に若干の悲しみを背負いながらも彼、社築はその腕を下ろした。
「人間の生理的反応を否定されるのはキツいものがあるんだが」
「でも真似すんな、囲碁将棋部」
「こいつひでぇわ」
側から見れば辛辣なやりとりだったが、彼らからすればいつも通り。
しかし二人の仲は悪くない。
煽り、煽られ、煽り合うのが『社築』と『笹木咲』の仲だ。
ひどい言葉をかけられながらも社は苦笑すると、再度その身体をひと伸び。すると昼も過ぎた時間に彼の腹は鳴った。思えば収録は長引き、食べる時間さえなかったのだ。
「・・・さて飯でも食いに行くかな」
そんな彼の一言に反応する少女、笹木咲。
「お! やしきず奢ってくれるんか!」
「待て。なぜそうなる」
「ごち〜」
「おい待て!」
先を歩き出す彼女を追うが「はい決まり」といった態度を崩さない笹木に社は追い縋る。
「誰も奢るとは言ってないだろ!」
「まさか年下とご飯食べて、金出させるつもりかぁ?」
「・・・ぐぅ!」
「そんな大人らしからぬこと、せんよな〜?」
「お、お前な。大体、年上が奢ってくれるってのは現代だとほぼ幻想なんだぞ」
「なら現実にせぇや」
そう言いつつも彼女の口角は上がっている。
それもそのはずだ。
—だって好意を持つ人が隣にいるのだから。
いつからだろう。
隣を歩く彼は、ひとまわり以上年上で。
でも隣で笑う社の顔をいつの間にか目で追っていて。
レバガチャの時ほど、近くで笑いかける彼に胸がときめいて。
近いから感じ、伝わってくる体温に胸が高鳴って。
—そしていつの間にか、私は恋をしていた。
どんなにひどい言葉を吐いても苦笑はしながら、時には本気で受け止めてくれる彼。
収録中。横目で見ていると、真っ直ぐモニター見て遊んでいる彼。
負けようと、勝とうと、楽しそうに笑う彼。
そして。収録が終わり、自分にかけられるあの笑顔の彼。
『おう! 今日もお疲れさん、笹木!』
その一言が嬉しくて。
その一言が暖かくて。
悔しい事に気がつけば、好きになっていた。
素直じゃない自分は素っ気なく返す事しか出来ない。
でも。
見ればいつも困り顔で語りかける社築がいた。
隣に立ち、並んでくれる社築が、いる。
それが笹木咲には嬉しかった。
「ったくよぉ・・・」
「お、観念したかぁ?」
「わかった。奢るよ」
「よっしゃ!」
ガッツポーズをとる笹木に『負けたよ』と肩をすくめた社はせめて食べる物はと一歩踏み込む。
「じゃあカレーな」
「は?」
「カレーな」
「おい、待てや」
「カレーだぁ!!」
「・・・わ、わかった」
あまりに熱心な社の言葉に渋々といった体でこくりこくりと頷く笹木。決して寄せられた彼の顔に照れたわけではない。
「ホントにカレー好きやな」
「あぁ! 俺の血液はカレーで出来てる!」
「誇らしく言うことちゃうやん」
「カレー!食べるぞ!!」
「うるっさいわぁ!!」
二人は並んで秋葉原の街を歩きだした。休日の趣都は流石の人の数で中央通りに差し掛かった頃には周りは人、人、人ばかり。この街を愛するオタク達でごった返していた。
どちらかというと陰キャに属する笹木は人混みが好きではない。増えていく人波にどこか次第に挙動不審になっていく。
「どこにするかな」
その中でふと隣を歩く彼を見ればああでもない、こうでもないとスマホで今日の一店を探している。
「え⁉︎ この店無くなったのか? マジでか」
好みの店がいつの間にか閉店した事に眉を下げながら落胆している彼。その顔に見惚れていた笹木は前から歩いてくる人に気がつけなかった。
「ッ!」
肩と肩がぶつかり、よろけてしまう。いきなりの事にバランスを崩して、たたらを踏んだ彼女は後方によろけた。
「って、オイィ!!」
しかし転ぶ事は無かった。
彼女の異常にすぐさま反応した社の腕により抱きとめられる。
「すみません! 大丈夫ですか?」
「い、いや。大丈夫、やから」
笹木とぶつかってしまった人物は平身低頭の体で頭を下げる。片手にスマートフォンを手にした彼も、どうやら前を見ていなかったようだ。
「本当にすみませんでした」
眼鏡の青年はぺこぺこと何度も頭を下げながら、その人物は去っていく。その背中はすぐに人混みに消えた。
それを見送った社は腕の中の彼女に声をかける。
「おい大丈夫か?」
「う、うん」
「ちゃんと前見て歩かないと危ないぞ、笹木」
誰のせいだと思とるねん!と、喉元まで出かかった言葉をなんとか飲み込みながら、笹木咲は口を真一文字に結んだ。『貴方の顔に見惚れていた』などと言えるはずもない。
「ったく。しっかりしろよな」
「はぁ⁉︎ てか、いつまで乙女の柔肌に触れとんのや! 離しぃ!」
「・・・す、すまん」
社の腕の中で暴れ、自由を再獲得した笹木は憤然と彼に立ち塞がる。
「あ〜あ〜、やしきずにセクハラされたわ〜」
「ちょ、おま・・・助けたのにその言い草は酷くねぇか⁉︎」
「あ〜くっさ。囲碁将棋部が感染るわ」
「笹木ィィ⁉︎」
言うだけ言って、彼の先へと歩き出す。
そんな彼女の口から出るのは悪態ばかり。
—だってそうでもしないと私の赤くなった顔を見られてしまうから。
思っていたより逞しかった腕の感触を、あえて思い出さないようにと早歩きで歩き続ける。
危なかった。本当に危なかった。
転びそうになった事ではない。
彼の腕に抱きとめられた事が、本当に危なかった。
突然の事にまだ鼓動が鳴り止まない。今まで生きてきて一番に拍動する心臓は破れてしまうのではないかと思うほどに脈打っている。顔も赤いかもしれない。見られるわけにもいかないので彼の数歩先を歩く。
「はよ行くで」
そう言うのでいっぱいいっぱいだった。
社の案内で歩く事、十数分。
二人は秋葉原をとうに越して、神保町に差し掛かる。
「おいまだか〜、やしきずぅ?」
「ん。この辺りだ」
スマホ片手に歩く社は一つのビルの前で立ち止まる。街中に珍しくもない雑居ビルの一つの前で二人は立ち止まっていた。
「あぁ、ここだわ。入るぞ」
「・・・おう」
自身の好物だからだろうか。気持ち早足である彼の後について階段をのぼる。店舗の階層である二階にはすぐに辿り着いた。休日ではあったがピークタイムからは少しズレていたのが幸いして、すぐに席に案内された二人は店内中程のソファ席に座る。
あえて照明を落とした店内は落ち着いた様相で、若干だが暗めであった。笹木はそんな中で促されるままにメニュー表を開く。
「久しぶりに来たけど、どれにすっかな」
対面に座る彼をふと見れば、一目わかるほどに嬉しそうにメニューの文字を追っていた。
「前はビーフだったから、ポークか? いや折角だし、魚介とかの変わり種も・・・」
年上の彼は独り言を呟きながら子供みたくキラキラと輝いた瞳でメニューを捲ると、また戻す。それを繰り返していた。笹木はそんな、どこか子供っぽい所を見せる彼から目が離せない。
惚れた弱み、と言う言葉がある。
悔しい事に目の前のオタクに好意を持ってしまった彼女はメニューと彼の顔を目で交互に追う。その片方がバレないように。でもしっかりと彼の顔を見てしまう。
『やっぱこういうとこ可愛いんよな』
自分が大好きな彼の顔。
笹木は社の笑顔が好きだった。
歳外れて子供のような顔をするライバーがいないわけではない。現に彼の友人ライバーも同じ顔をしたりする。
それでも彼は、社築は、自分にとって特別なのだ。
その笑顔は自分の大好きな彼の顔。自分以外には見せたくないと、そんな気持ちにされる特別な表情。
そんな目の前で絶賛公演中の社築大劇場に魅入っていた笹木は彼の言葉で我に返された。
「俺はポークカレーにするわ。笹木は?」
「へ?」
色々と思考を巡らせ盗み見ていた彼の顔が不意に上げられる。メニューを決めたその言葉に笹木は気の抜けた返答を返してしまった。
「お前はどうすんだよ?」
「え? あ・・・うちは・・・」
慌ててメニューに目を落とす。そこには数多くの種類が並んでいるのだが、そのどれもが頭に入って来ない。
「あ・・・ち、ちょい待ってな? ええと・・・」
頭の中がぐるぐると回ってしまっていた。
そんな彼女の思考を見透かしたのか、彼は助け舟を出す。
「もし迷ってるならビーフカレーがオススメだぞ。前に食ったが美味かった」
「・・・じ、じゃあそれで」
「わかった。あ、すいません。注文いいですか?」
笹木の言葉を聞いた社は近くを歩いていた店員を呼び止め、二人分の注文を手早く伝える。聞き終えた店員は復唱すると一礼して卓から離れていった。
少し暗い店内に座る笹木と社。どちらからでもなくスマホを取り出すと、各々SNSをチェックし始めた。
ライバー仲間のTwitterには『今日は◯時から!』と配信の報告や、日常のたわいない一言など、数多くの通知が来ている。言葉を交わさず其々「いいね!」を押したり、リプライを書いたりと反応をする。
だがそれもわずかな時間であった。
先に終えてしまった笹木はスマホをしまうと、前に置かれた水を一口含んだ。初夏とはいえ暑い日が始まっている。ここへ来るまでの道すがら、太陽に焼かれた身体に染み込むよく冷えたそれをちびちびと飲みながら彼女は目の前の男性ライバーを見ていた。頬杖をつきながらスマートフォンを操作する彼は真剣な目つきだ。
こちらの視線に気が付かず、真面目な顔でスマホを操作する彼。
—その姿があまりに似合っていて、私は見惚れてしまった。
面白い文でも読んだのだろうか。ふっ、と緩む彼の口元と煌めく瞳を凝視してしまう。これは楽しい事に直面した時の光だ。社築の指が躍っている。楽しそうに、嬉しそうに文字を打つ彼の顔を笹木咲は見つめていた。
この席には自分と彼しかいない。区切られた席もあって、まるで二人きりの空間だ。
『なんかええなぁ』
二人だけの空間で自分一人で彼を堪能している。そんな普通がとても贅沢に感じられた。
自分の手が止まっていることになど全く気が付かず、笹木は節目がちに社を見ることしか出来なかった。
「お待たせいたしました。お先にこちらをどうぞ」
笹木の意識が引き戻されたのは卓にやって来た店員の言葉だった。彼女は机にいくつかの皿を置くと丁寧に礼をし、離れていく。
「お、来た来た!」
想い人が嬉しそうに皿を取り分けはじめる。
大きなそれに置かれたのは馬鈴薯。蒸した芋だ。側にはバターらしき包みもある。社は四つの芋を二つずつ小皿に分けると自分と少女の前に置いた。
「これがここの良い所だよなぁ」
言うと一つを四つに割り、中央にバターを落とす。笹木はそれをじぃっ、と見ていた。その視線に気がついてから知らずか、オタクは溶けたバターを存分に絡ませた芋を一欠片口に入れる。香りを味わう様にゆっくりと咀嚼した社築は緩んだ顔になった。
「美味ぇ!」
と、子供みたいな感想を言う。
そんな社に倣って同じ様にバターを落とした。その熱で溶けていく薄黄色の塊が何故か他人事とは思えない。
だって。
熱いそれに当てられたバターが自分みたいだったから。
溶けていくその様子が自分の心みたいだったから。
笹木咲は何にも言えずにその一欠片を口に運んだ。
「うんまぁ・・・」
おんなじ感想をして、聞いた彼が嬉しそうに笑顔を浮かべるのを見て、恋する少女は釣られて微笑んでしまった。
「だろ? ここはカレーだけじゃねぇんだよ」
「ホンマ美味いな、これ!」
「でも一つは残しとけよ。メインが来たら入れるんだ」
「そうなんか?」
「カレーに混ぜて食うんだよ。そうするとまた違う味わいでなぁ・・・」
大好きなものを少年みたいに話し出す彼の言葉を聞く。こっちの事なんて気が付かず、好きなものについて語り続ける。そんな自分勝手な彼を見るのが楽しい。
笹木は気がつけば彼の話をじっと聞いていた。
彼が語る中で届けられたレトルトとは勿論違う、作り込まれた名店のカレーは美味しかった。主に喋っていた社も後半は夢中で匙を掬っていた。勧めてくれただけはある逸品を二人は言葉少なに食べ終える。
「ご馳走様でした」
「ごちそうさんした」
二人の前には空の皿。
同時に食べ終えた二人は手を合わせた。
「美味かったわ!」
「だろ?」
好きなものを褒めてもらえた社は笑顔で応えた。釣られて笑ってしまう。駄目だ。やはり自分はこの顔に弱いのだ。好きなものを褒められて嬉しそうな素敵な笑顔が眩しい。止まらない口から語られる言葉を聞いちゃいない。
それを語る彼を見つめているから。
「笹木」
「え・・・?」
急に名前を呼ばれた。本日二回目の呆けた言葉を出した後に我を取り戻すと、前には意中の人物。彼が心配そうにこちらを見ていた。
「笹木、もしかして体調が良くないのか?」
大人らしく落ち着いた声色で話しかけた社築の手が伸ばされる。自分のものより大きな掌が額を覆った。
「熱は無い、か」
オタク君らしからぬ行動に笹木は身動きを出来ないでいた。硬直する身体。それを知らない社は言う。
「ん? 顔が赤いけど・・・大丈夫か?」
「だ、大丈夫」
「それならいいが」
手が離れていく。
その温かい手が離れていくのを寂しく感じた。
「あんま無理すんなよ」
ずるい。
ホンマにずるい。
笹木は思った事を何にも言えず、ただそう想った。
店を出ると休憩時間が終わる頃であった。社用スマホにはスタッフさんからの連絡が届いている。それを確認した男は言った。
「さて、後半の収録も頑張りますか!」
「・・・せやな!」
鈍感男が言う言葉に恋する少女は応える。
照れはあった。
でも隣にいる『パートナー』に、いつも通りの笑顔を向けた彼女並んで歩き続ける。
だってそこがうちの定位置なんやから。
おまけ
収録中のライバー二人による会話。
「なぁなぁ、咲の事なんじゃが」
「・・・それ以上いけない」
「なんでじゃ?」
「なんでも、です」
「でも・・・『NTR』好きじゃろ?」
「ダメですって!」
「でもお酒好きみたいじゃし・・・」
「ダメですよ! 本気みたいですからダメです!」
「全く・・・可愛いのう」
「ですね」
鬼の女王と錬金術師はMCの二人を見て、そんな事を話しておったそうな。