いつか、君の鎮魂歌となるように 作:黒猫
内心めちゃくちゃ苦しんでる当人と、そうとは知らずに幸せな周りという話が読みたくなったので。
「あんたは本当に便利だね。」
それが養母の口癖であったことをモール・ヴィーゲンはよく覚えている。
「はい、義母さん。」
そう短く返せば、己の義母であるマザー・カルメルが満足そうに微笑んでいた。
自分の知ってる漫画の中に転生したとしても、どうやらそれが起こる数十年前にしても何をすればいいのだろうか。
ヴィーゲンは淡々とスープのための野菜を切りながら考えていた。
ワンピース、という単語を見て思い出すのはきっと衣服のこと、それともとある漫画のことだろう。
ヴィーゲンのいうワンピースは後者に当たる。
(・・・・ロジャーとか白ひげとかの話も聞かないし。でも、偉大なる航路とかはある。あと、巨人族も。)
端々に聞いた単語は確実にあの世界に当たるだろう。さて、そんな世界に来た人はいったいどうするだろうか。
海賊になって自由気ままに生きる?海軍になって平和のために戦う?それとも世界を巡る学者?いいや、当たり前のように平和に生きるのが一番。
(まあ、こんなところで人身売買を生業にしているあの人の手伝いをしている僕に、なにもできないけれど。)
ことこと、スープのいい匂いがした。十歳にしてそんな家事もたんたんとこなせるのは偏に精神年齢の高さ故だろう。
そんなとき、扉が生勢いよく叩かれた。
「ヴィー兄!!」
「どうかしたのかな?」
羊の家の孤児の一人である少年は慌ててヴィーゲンにすがりついた。そうして、孤児の子どもが喧嘩していることを聞いた。
「なるほど、わかった。行こうか。」
たどり着いた先、おもちゃの取り合いから発展したらしい喧嘩の間にヴィーゲンは割って入った。
「じゃますんな!」
「うるさい、お前なんか!」
「二人とも、止めなさい。」
それは、本当に優しい声だった。喧嘩をしていた二人も、喧嘩を遠巻きに見ていたものも、そうして喧嘩に興奮しいたものも思わずヴィーゲンの方を見た。
にこりと、彼が笑えば皆がヴィーゲンに釘付けになる。
「さあ。何があったか、お兄ちゃんに教えてくれ。」
それに子どもたちは操られるように頷いた。
転生に特典というものがあって、なにかしら特殊なものがもらえるとしたらヴィーゲンは二つほどもらっているだろう。
一つは、特殊な見聞色なのか、ヴィーゲンは人の感情が音として認識できた。
悲しい音に怒っている音、楽しい音に、苦しい音。
声の出し方を調整すれば、その感情を増幅させることも、高ぶらせることも出来た。
「・・・・ヴィーゲン?」
「はい、義母さん。」
目の前には皺だらけの、老いたシスターが座っていた。机の上には帳簿があり、彼女は暢気に煙草を吸っている。
「それで、今日はそれ以外になにかあった?」
「いいえ、マザーがいない間皆、いい子でした。」
「そう。あんたは本当に頼りになるわ。」
マザーはそう言って機嫌良く、ヴィーゲンの方に向かった。そうして、そっと、彼の肩を掴んだ。
「子どもたちの世話も得意だし、喧嘩になってもあやすのもやってくれる。あたしがどれだけ感謝してるか、わからないわよね?」
あんたを売らずにこうやって手元においた、あたしの選択に。
マザー・カルメルはそういって、目の前の美しい少年を眺めた。
まず、目を引くのは銀糸のように艶やかな髪の毛だ。そうして、それに合わさった雪のように白く、くすみのない肌。まるで著名な彫刻家や画家がデザインしたかのような、優しげで、けれどどこか勇ましい印象を受ける美しい顔立ち。
何よりも目を引くのは、夕方に見える、夕日と青空の境のような、グラデーションのある紫の瞳。
その見目に貴族に売ることさえも考えた養子は、そうですかと熱のない答えを出した。
ヴィーゲンの最初の記憶は、とある未だ赤ん坊の域に足を止めていたほどの時だった。
マザー・カルメルという人物がやっていた孤児院である羊の家という場所だった。
最初ヴィーゲンはほっとしていた。聞こえてくる単語に、ワンピースの世界であることを理解したが少なくとも安全な場所であるらしかった。
というのも、マザー・カルメルというシスターは優しかった。精神年齢が高く、子どもらしくない態度のヴィーゲンにも彼女は優しかった。
だからこそ、ヴィーゲンはほっとした。このまま、彼女が紹介してくれる家に養子に行って、そうして平和に生きるのだ。主人公たちの冒険譚を新聞からでも眺めればいいと。
そんなマザー・カルメルのためにヴィーゲンはよくよく働いた。何よりも、そう振る舞うことが楽だった。他人のために生きているように、他人に望まれるように振る舞うことは弱いヴィーゲンの処世術だった。
持って生まれた才はあやすのに最適であったし、喧嘩や泣いていても、それを沈めることはたやすかった。
大人として振る舞うヴィーゲンはほかの孤児たちからも人気があった。
けれど、一つだけ、ヴィーゲンに気になることがあった。
マザー・カルメルは、どこか怖い人だった。言動も、声音も、そうして表情も、確かに優しい人だった。慈悲のある人だった。
けれど、彼女から聞こえてくる音は、エルバフにいる中で聞いたことのない音だった。
怒りだとか、悲しみだとか、苦しいだとか、そうして優しさだとかでもない。どれでもない音をさせているマザー・カルメルを怖いと思っていた。
けれど、彼女がほかの孤児たちに酷いことをしているということもなく、疑いの思いだけで終わっていた。
それでも、その事実を知ったのは、あの日。
マザー・カルメルの、電話の会話を知ってしまった、あの日。
彼女は、こどもたちを売っていた。世界政府に、人身売買を行っていた。
最初、マザー・カルメルはヴィーゲンを殺そうと思っていた。
しかし、そうするにはヴィーゲンはあまりにも惜しい存在だった。
その子どもたちへの扱い、賢さ、そうして誰もが見惚れる美しい顔立ち。人に価値をつけ続けたカルメルにはあまりにもヴィーゲンはよい商品に見えたようだ。
元より、どれほどヴィーゲンがカルメルの事情を知ったとしても、彼女の普段の行いを知っているものの誰がそれを信じるのか。
それ故に、カルメルはヴィーゲンを部下として育てることにしたのだ。
(心なんて、とっくに折れていた。)
ヴィーゲンは、さほど強い人間ではなかった。才能はあれど、彼は一般的な日々を望む人間だった。
カルメルには逆らえなかった。どうも悪魔の実の能力者である彼女はヴィーゲンの心を折るためにそこそこの折檻をした。
逆らわなければ、どこにも売らない。
それに従うしかなかった。そうして、ヴィーゲンは理解した。彼女から聞こえてくるその音、それは、悪意であり、蔑みであり、微かな、哀れみの音だった。
その音を理解して、そうしてその音を聞いている間に、ヴィーゲンの心は折れていた。
ああ、いいじゃないか。
売られている子どもを見ていた。幸せを疑わない子どもを見ていた。
そうだ、海賊に売られるわけでも、奴隷にされるわけでもない。海軍は、少なくとも、ほかのどこよりもましのはずだ。
「彼らはどうなるんですか?」
「さあ、私が知るわけないじゃない。」
売られていった先で、もしも、才を見いだされればいいだろう。けれど、もしも、そうでなかったときは?
そんな疑問から目を離した。
優しいヴィーゲン。美しいヴィーゲン。まるで、昔のカルメルのようなヴィーゲン。
孤児たちも、巨人たちもそう言ってヴィーゲンを褒め称えた。
そうして、そんな彼のせいでマザー・カルメルの信頼は更にあがった。
カルメルはより仕事をしやすくなったことをうれしがり、政府の人間は彼をカルメルの後任として期待しているようだった。
けれど、ヴィーゲンの心はきしみ続けていた。ひねくれた子どもたちの声は、寂しさや悲しみに満ちていた。ひねくれているのも、曲がってしまった根性も、積み上げ続けた何かの結果だった。そんな音を聞きながら、彼らの出荷される日を思っていた。
笑える話じゃないか。
羊の家、なんてぴったり名前だろうか。贄の家、家畜の家。カルメルのネーミングセンスには感心した。
周りから聞こえる音は、いつだって、この世界が残酷であると知らしめていた。逃げようとしても、カルメンの息のかかったエルバフでそんなことも叶わない。
(大人になれば、終わるんだろうか。ここから、逃げ出せるのだろうか。)
そんな日だった。そんな日に、その少女は連れてこられた。
「おなか減った!」
ピンクの髪に、ピンクの瞳。まるで巨人族の子どものような少女。
シャーロット・リンリン。
その名前を知っていた。いつか、大国の王になる、女海賊の名前。
けれど、ああ、けれど。
「ヴィー兄?」
彼女から聞こえてくる音は、なんて、美しい音だったのだろうか。
「ヴィー兄、何してるの?」
ヴィーゲンはその声に上を向いた。自分と同じ人間であるはずのリンリンは、見上げるほどに大きい。
ヴィーゲンはそれに少しだけ黙った後に、にこりと微笑んだ。
「いいや。何でもないよ。」
ヴィーゲンはそれに苦笑しながらリンリンを見上げた。羊の家の近くにあるとある大木の根元に寄りかかり、ヴィーゲンはぼんやりと考え込んでいた。
丁度、おやつの時間が終わり、ヴィーゲンは数少ない一人の時間を過ごしていた。
そんな彼の元に訪れたリンリンは不思議そうにヴィーゲンを見た、いや、彼の手元にある焼き菓子を見た。
「リンリン、このお菓子、食べますか?」
「え、いいのか?」
「ええ、あれだけでは足りないでしょう?」
それにリンリンはなんの戸惑いもなしにその焼き菓子を口に放り込んだ。もっもっと口を動かすリンリンに、ヴィーゲンは優しげに微笑んでいた。
「おいしーい!!でも、ほんとによかったのか?ヴィー兄、いっつも俺にお菓子くれるよね、なんで?」
そんなことを聞くリンリンに、ヴィーゲンはまた淡く微笑んだ。
シャーロット・リンリンにことさら甘い対応をしているという自負もあれば、周りからも言われていた事実だ。
それは、偏にマザー・カルメルからの命令もあった。彼女を懐柔するようにと言うそれにそってのことでもあった。そうして、普段のヴィーゲンのあり方として他人に望まれる振る舞いが癖になっているというのもある。
「なあ、どうしたの?」
「そうだな、どうしてかな?」
じいっと見た、その少女。
何故、優しくするのか。記憶の内にある少女の末路は、非常に恐ろしい。怖気のするような、母にも、女にもなれない、哀れな子ども。子を産みながら、母ではなく。婚姻をしながら、恋をすることもない。永遠のままごとをしていた女。
今でさえも、その性質は恐ろしい。
けれど、それでも。
ヴィーゲンの耳に聞こえる音。シャーロット・リンリンの音。
それは、あまりにも、ヴィーゲンには美しい音だったから。
別段、皆の音が不快なわけではない。ただ、どこか、濁った音だった。
孤児たちは悲しく寂しい音がした。マザー・カルメルは蔑みの音がした。エルバフの巨人たちは悪い人ではなかったけれど、少しだけ拒絶の音がした。
優しさも、愛も、祈りもあった。けれど、誰もが、その音は濁っていた。それは仕方が無いことだ。
悪意も、悲しみも、苦しみも、生きていればどうしようもなく存在してしまう。
けれど、やってきた少女の音は、どこまでも無垢だった。雑ざり気のない、美しい音をしていた。
そこにあるのは、ある意味で本能的と言っていい行動指針であった。けれど、少女の中にあるのは、マザー・カルメルによってもたらされた、皆で仲良く暮らすという指針だった。
それは、純な音だった。
いつか、確かに凶悪で、恐ろしい存在になるとしても、悲しみと寂しさ、そうして、悪辣なシスターと暮らすヴィーゲンにとってその音は、そのあり方は確かに、救いであったものだから。
「きっと、僕はリンリンのことを、心底大事に思っているからだよ。」
にこりと、少年は微笑んだ。まるで、天使のように、まるで神様のように、まるで善良な心しかないように、それは微笑んだ。
ヴィーゲンは、リンリンのことをあまり知らない。それこそ、彼の知る中でのリンリンの所業は主人公のところのコックを婿にするためにした強行程度だ。
彼女がどんな思いをして、そこにたどり着くかなんて知らない。マザーに騙されて、彼女はそれを知ったとき、どうするのだろうか。
それはわからないけれど。それでも、ヴィーゲンは、願うのだ。
どうか、その、無邪気で無垢な音が、濁る日が遠くにあるように。