最終決戦を前に、あるアヌンナキの物語を語らなければなりません。今回はその物語の前後編の二本立てになります。
冥府の神殿。光が届かず、闇夜に覆われるがごとく暗く冷たい地。生者はそれを死の世界と呼ぶ。アヌンナキにそう示唆され、ルル・アメル達もそれを信じ、忌み嫌われていた。
その神殿の最奥にある玉座の間。玉座に座って見下ろしている者が一人。黒の装束を身に纏うが肩と脇、臍を露出させている。藍色の袖と端をボロボロにした腰のマントが、より彼女の闇の冷たさを物語っている。
「貴様に明日はない。闇に消えろ」
少女が見下ろしていた魂を手繰り寄せ、それが掌に収まるとそのまま握り潰した。潰された魂は一粒の光も残さずに消えた。
彼女こそがエレキガル。彼女は生まれながらにして魂を見通す眼を持っていた。命ある生命の中にある魂を読み取り、その魂を操る力だった。
そうして、死と闇を司る彼女は彷徨える魂を導き、新たな命へと変える立場にあった。その力は正に神の成せる技として恐れられ、畏怖の念を抱かない者はいない。
だが裏を返せばその力に恐れる者が多く、同じアヌンナキでさえも彼女を忌む者も少なくはなかった。
アヌンナキは命を創造し、進化を施す者達。その反対の力を持って生まれてしまった故に、忌むべきものとして彼女はこの神殿へと締め出さた。
それからの彼女は孤独だった。光届かぬこの世界には彼女しかいなかった。光あふれる世界で皆が分かち合う中、孤独の闇に沈んでいた。光に焦がれ、待ち望む事すら許されない立場に苦しんでいた。
何もかもが敵に見えた彼女が望むもの……それは全ての破壊、生きとし生ける者を孤独と絶望に叩き落とす事だった。
全てを破壊する為に、彼女は密かに死者達の魂を従え、アヌンナキ達への裏切りを企んだ。全てを闇へと沈め、破壊を齎す為に。
だからこそなのだろうか。死にゆくルル・アメルの魂に、新たな肉体を与えたのは。
「心の奥底にある生きたいという願い、確かに感じた……。良かろう……。我に仕え、我に従え」
まだ幼き魂を拾い上げ、それを頭上に放り投げるエレキガル。その魂の形を、人の姿へと変えさせた。
少年の姿になったルル・アメル。自分に肉体を与えた女神を見上げた。
「我は、絶対の破壊者。貴様を我が下僕として迎え入れようぞ」
尊大な口ぶりで《彼》を歓迎した。
彼は神官として仕える事になったが、まだ幼き精神と肉体ではこの世界では生きていけない。教養が必要ならば、エレキガルが教えてやる。
「文字くらいは読み書き出来るようになっておけ。我に仕えるのならばな」
「はい、我が主」
エレキガルがそう命じると、彼は素直な返事をする。エレキガルの指導で彼は文字の読み書きを覚えた。
純真無垢な子供とはいえ、彼は飲み込みが早かった。字が読めるようになり、書けるようにもなると、もっと多くを知りたいとエレキガルを困らせた。
「構えろ」
「へ?」
「知識だけで生きていけるほど、ここは甘くはない」
座学の他にも、戦いの手解きもした。自らが企てた反逆計画に加える為に、彼には一人で戦えるようになってもらう必要があった。
闘技場にて剣術の稽古を始めたが、一つ問題があった。
「主様……」
「何だ?」
「重たいです」
まだか弱き肉体より大きい剣を持ち上げる事は出来なかった。そこまで考えていなかったエレキガルは改めて一回り小さい剣を与えて稽古をつける。
その扱い方に技術。教えられる事は何でも教えた。だが彼は得物に振り回されてばかりで、少し振っただけで息も絶え絶えになっている。とても戦えるようになるとは思えなかった。
「主様ぁ!こんなの……私には……」
「泣き言をほざいている暇などない。立て膝をつくことは許さん」
彼が弱音を吐こうとも、エレキガルは容赦しなかった。少しでも手を抜こうものならば、彼を厳しく叱りつけ、座りこもうものなら問答無用で立たされる。
そうして死んだ方がマシとも思える稽古が終わると、彼は息絶えるように眠りについた。
「これでどう戦いに組み込もうというのだ……」
勉学は目を見張るものがあるが、戦闘に関してはからっきし。まだ子供故に仕方ない所はあるが、一刻も早く野望を成就させたいエレキガルは頭を抱える。
それからというもの、彼は実質召使いのように働かされた。宮殿の掃除、食事の支度、命じられるのは身の回りの世話ばかり。たとえそれを熟したとしても、贈られるのは多少の労いの言葉だけ。それ以上のものは何もなく、それ以外で彼に話す時は命令を下す時だけだった。
人道的とは言えぬ仕打ちではあるが、それでも彼は、それでもエレキガルに奉仕し続けた。一つ失敗する度に学び、それを見事に実践してみせる。一体何が彼を動かしているのか、エレキガルには測れなかった。
「何故そこまでして我に……」
懸命に神殿の掃除をしている彼を陰から見ていた。彼の頑張りには評価しており、何か褒美でも与えようと考えていた。
だが彼は何も欲しようとはせず、ただひたすらに己の役割を果たしている。何より、彼がエレキガルに見せる笑顔。それが本心なのか分からないが、エレキガルを見る度に、彼は笑みを浮かべて挨拶をする。
(感情を消してから肉体を与えるべきだったか……?)
ほんの気紛れのつもりで彼に新たな生を与えたエレキガルも、彼が何故ここまで仕え続けるのか、永い時を独りで生き続けた彼女には、理解出来なかった。
それから年月が過ぎ、彼は逞しい青年へと成長した。仕事も早くなり、エレキガルが文句のつけようのない従者となっていた。
彼が玉座の間に入ると、玉座に足を組んで座っている主に跪いて報告する。
「我が主、エンキ様がお見えです」
「……通せ」
「はっ」
憂鬱そうに外を見て答える。だが扉が開くと、その方を見下ろす。
「久しぶりだな、エレキガル」
青髪を逆立たせ、青いパワードスーツの上にマントを羽織った青年。彼もまた、アヌンナキの一柱であるエンキである。
「貴様のような要職を務める者が、かような闇の世界に足を踏み入れるか。ただ迷い込んだわけでも、座興でも始めようとしているわけでもあるまい」
「相変わらずひねくれているな……。では、単刀直入に聞こう。先程通った時に見た彼……。お前は、理に反して彼の魂を蘇らせたそうだな?」
まるで、ではなく紛れもない尋問。エンキがエレキガルに向ける眼差しは、疑いそのものだった。だがエレキガルはそれを無視して外の景色を見ている。
「……それで?」
「お前が裁いた魂、一体何処へと行くのか?」
エンキの問いにため息をつくエレキガル。仕方ないと言わんばかりにエンキの方を見て答える。
「我に潰された魂は何処にもおらん」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。悪へと堕ち、救済の好機を手放した者が行く先は……新たな生へと移る事もなく、世界から消える。故に何処にもおらん……これで満足か?」
両者が睨み合い、その間に漂う空気はピリピリとしている。
エンキは保安・防衛を司る要職であり、有事の際には先頭に立って戦う。エレキガルが反旗を翻せば、当然エンキとは敵対する。
対するエレキガルも死と闇を司る者。魂の中には、裁きに従わずに徒党を組む者もいる為、圧倒的な力でそれらをねじ伏せている。
二人の実力差がどれ程のものかは計り知れないが、ここでやりあえば間違いなく二人とも無事では済まない。
エンキは純粋に、アヌンナキ同士で戦う事がルル・アメル達にとって悲劇を齎すものとして避けようとしている。
だがエレキガルは、この反逆計画を完遂する為に万全の体勢でいたいという思惑がある。
とはいえ、両者ともにここで戦うのは本意ではない。一息ついてから、エンキは答える。
「……一先ず、この件は保留にする。だが万が一、良からぬ企てを見せれば、容赦しない」
「……ふん。ならば失せろ……貴様の顔など、見たくもないわ」
足を組み直し、再び外の景色の方を向くエレキガル。そうしている内に、エンキは玉座の間から出て行った。それに入れ替わる形で彼が入って来た。
「主……」
「何だ……?」
「あの方が仰るように、主は何か隠しているのでは……」
従者である彼に、エンキと同じ事を問われ不愉快だった。エレキガルは彼を睨み、見下ろす。
「くどい。同じことを答えさせるな。それとも……この場で消されたいか?」
「……いえ、申し訳ありませんでした」
主の不興を買った事を申し訳なく思って頭を下げて謝罪、玉座の間から出て行った。
「所詮……我は孤独の闇しかないか……」
ポツリと呟いた彼女の本音。誰にも届かないくらい弱くて小さい叫び。彼女の目尻から、涙が一筋零れ落ちた。
「主様……」
玉座の間から出て行った彼。扉越しに主の嘆きを知り、心を痛めた。
「これは……」
魂の裁判を終え、食事にしようと彼を呼びつけたのだが、どういうわけか出された食事が一層に豪華となっている。
彩り豊富の料理目の当たりにしたエレキガルが珍しく狼狽えている。
「どうぞ、主」
「あ、ああ……」
前菜であるサラダを口にした瞬間、目を見開いた。 美味い、その一言を黙らせる程に。
料理だけではない。神殿の隅々まで、塵一つなかった。
「何がどうなってる……?」
たった一日でここまでスキルアップしている彼に、エレキガルは驚嘆を隠しきれない。一体彼に何があったのか?何をしたら一日でここまで上達したのか?
「一体……何故ここまで?」
「さあ?何故でしょうね?」
エレキガルの問いに彼は笑みで答えた。だがそれだけで理解出来るわけもなく、剣の組手に入る。
背丈も大きくなった為、剣の長さもそれに伴い、合ったものへと変わった。
「覚悟は良いか?」
「はい」
互いが県を構えて駆け出し、剣戟が激しく交わる……はずだった。
「……おい」
「何でしょう?」
「弱い」
文字通り瞬殺だった。たった数回刃を交えただけで、彼は呆気なく倒されてしまったのだ。あれだけ成長したのだから、剣術も成長しているものだと期待していたのだが、これには拍子抜けを通り越している。
「何故これだけはまるっきり成長しない?!」
「えっと、あれから頑張ってやってみたのですが……」
呆れながら頭を抱えるエレキガル。ここまで来るとある意味才能なのかもしれないと思った。とはいえ、このまま放置するのは良くない。
「まあいい……また一から教えてやる」
「……はい!」
立ち上がった彼は、剣を構えた。
稽古が終わり、彼が疲れ果てて眠った後の事だった。エレキガルは玉座に腰掛けて足を組む。外の景色を見ながら物思いに耽っていた。
(剣術は駄目だが、奴の成長には目を見張るものがある。だが……一体どうやって……?)
あの成長ぶりには何かあるのではないか、気になる所はあったが、彼の答えはこうだった。
さあ?何故でしょうね?
(あやつめ……何が秘密だ。はぐらかしおって……)
答えてくれなかった事に、何となく心に引っ掛かっていた。頭にこべりついていて、それが離れない。
(何なのだ……一体……)
ある日、魂の裁きを務めていたある時、二つの魂を前にして察知した。
「この魂は……」
二つの魂は、彼と同じ気が帯びていた。エレキガルは魂の形や気を、その眼で測り知る事が出来る。二つの魂から感じ取った気、それだけでその二つの魂が彼の家族であると気が付いた。
この時、エレキガルの中である疑念が過ぎった。彼は家族のもとに帰りたいのでは?ずっとこの時を待っていたのではないか?と。自分に仕え続けたのは、この瞬間を待ち望んでいたからではないかと考察する。
「エレキガル様?」
「あっ……」
「どうかなさいましたか?」
神殿の玉座で呆けていた所を彼に見られていた。
「何もないわ」
威厳の欠片もない顔を見られ、まさに不興の様子で玉座から降りた。ただ素っ気ない一言だけで終わらせ、玉座の間から出て行こうとしたが、扉に手を掛けた所で止まる。
「……問おう」
「はい……?」
「もし、家族に会えるとしたら……お前は会いたいか?」
「え……?」
思わぬ問いに気の抜けた声が出た彼。エレキガルは少しため息をついてから……
「……いい。忘れろ」
扉を開け、玉座の間から出て行った。
(我ながら……何を馬鹿げた事を聞いたのだ)
何故こんな事を聞いたのか、自分でも分からない。彼に初めて心を乱されたような気がした。
(分からない……何なのだこれは……。この胸が張り裂けそうな……)
モヤモヤとしたこの気持ちに気が付いたエレキガル。彼女の中で何かが変わり始めたのは、この時からなのかもしれない。
「主……?主?」
食事中に呆けていたエレキガルを心配し、彼が声を掛けたのだが、反応がない。心なしか顔も赤かった。
「エレキガル様?」
「えっ?」
名前を呼ばれてやっと反応して彼の方を向いたのだが、さらに顔を赤くして反対の方にそっぽ向いてしまう。
(何故だ……まともに顔も見れない……!)
それからというもの、彼の顔をまともに見れなくなっていた。命令を下す時も、まともに視線が定まらい。
「どうかしましたか?」
「……我は務めに行く。片づけよ」
「主?」
エレキガルは顔を合わせずに玉座の間へと行ってしまった。残された食事を下げたが、捨てるのはもったいないので彼がそれを食べた。
「一体どうしたのだろう……?」
それからというもの、エレキガルが彼に顔を合わせなくなった。それどころか避けられている。剣術の指南もしてくれなくなり、食事に呼んでも広間に来なくなった。さらに、玉座の間に入るの事が許されなくなった。
これが続いてしまい、今の彼は寂しそうな表情を浮かべる。意地悪のつもりなのか、何の意図でそのような事をするのか、分からなかった。直接聞こうにも、玉座の間には入れない。ならばと、彼は考えた。
玉座の間に通ずる扉の前に立ち、ノックした。
「主」
「ば、馬鹿!来るなと申したはずだ!」
玉座の間に入ろうとしたと勘違いしたのか、エレキガルは声を荒げて怒鳴る。
「いえ、そうではありません」
「……え?」
「剣で、貴方様に挑みまする」
「……は?」
何を言い出すかと思えば、剣術の才能のない彼がエレキガルに挑むというのだ。愚かな、と一蹴してやろうかと思ったが、その時だった。
「私は待っています。逃げも隠れも致しません。てますから……主も逃げずに参られてください」
(何じゃと……?)
逃げるな、そう言われたエレキガルの額は青筋がたった。
「何じゃと……?」
従者にそのように言われたのは生まれて初めてである故に、すぐにカッとなった。だがそれこそが、彼の思惑である事も察していた。
「良かろう……その挑発、乗ってやるわ!」
玉座の間の扉を乱暴に開け、彼が待つ闘技場へ。
ちょっとラブコメになりつつある?
後半へ続く(某ナレーター風)