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厳しくも優しく、夢だけでなく私生活まで寄り添ってくれる嫁に限界化するウマ娘事情。
都会と田舎のギャップに苛みつつも嫁を思うオグリキャップのお話。
ウマ娘は総じて情報通だ。
ウマッターを始め、レースの結果や最新のトレーニング器具、流行のファッションから音楽まで、視野を広く持った子ばかりなのだ。
様々な価値観を持つ年頃の女の子はニーズだけでなく、各々の独自性から多種多様なものを拾い集める傾向があった。
例えば、異文化とか。
「昨日さ、うちの嫁の食事制限厳しくてリタイアしかけてたんだけどさぁ
お手製の低カロリーのデザートとか作ってくれちゃって、もう尻尾振り切れそうになったわー」
「えぇ!? なにそれ優し…っていうか、急に怖すぎるんだけど」
グラウンドへ向かう途中、廊下にて聞いたウマ娘同士の会話につい足を止めてしまった。
嫁? 嫁とは…? 学生が結婚…?
不可解な単語が飛んできて慌ててスマホで調べてみると…難解な疑問でも何でもなかった。
俺の愛馬:担当するウマ娘への愛情を表現する言葉。特に男性トレーナーに使われる。
私の嫁 :担当に就いたトレーナーへの愛情を表現する言葉。
「あぁ…嫁ってトレーナーのこと…
え、トレーナーとはいえ年上の女性を嫁呼ばわりか…」
嫁が怖い。嫁に怒られる。嫁が手厳しい。そんな阿鼻叫喚の呟きがウマッターに流れていた。
嫁とは随分ステップを飛ばした呼称だ。ストイックなまでにレースに身を捧げている少女がサブカルチャーに毒されるとは。
推しのキャラクターを嫁と表現する若者がいれば、純粋に世帯を持つ旦那が口にする単語だ。受け手次第で違和感が凄すぎる。
それにしても………
「一部とはいえウマ娘がトレーナーを恐れている、となると
同性同士だと手厳しくなる傾向があるのだろうか…
いずれにせよ、男性トレーナーだとこうはならないか」
もし男性トレーナーが対象の場合、揶揄されるとしたらDV扱いだろう。
男がウマ娘から嫁などという愛称で呼ばれるはずがない。
トレーナーとしての社会的立場だけでなく、婚約の道も途絶えかねない前科の烙印が押されてしまう。
気を引き締めて参ろう。そう心に誓い、一人のトレーナーとして自分が担当するウマ娘の下へ急いだ。
グラウンドのターフには既に多くのウマ娘が練習に取り組んでいた。
同年代の子が切磋琢磨、汗を流す光景を眺めているウマ娘がいる。駆けつけると彼女はこちらを見やって耳と尾を揺らしていた。
「きたか、トレーナー」
「待たせてごめん、オグリ」
オグリキャップ。灰色の髪をなびかせて、透き通った無垢な瞳を見せてくれた。
彼女が俺が担当するウマ娘。転入当初から並外れた走りを見せつけ、その成果から芦毛の怪物と呼ばれている。
その実力は別格。地方上がりの道場破りは多くのウマ娘たち、そのファンに夢と希望を与えた。
若干の遅刻に頭を下げると、彼女は首を横に振り微笑んでくれた。
「いいや、ちょうど来たところだ」
「そうか…良かった」
「それと言い忘れる前に…
トレーナー、その服似合っているぞ」
「…う、うん?」
安堵したところで突如、寝耳に水のようなお褒めの言葉を向けられた。
服とは…? 今着ているのはいつもと変わらない仕事着。シャツにベストという簡素なものだ。
なんなら昨日も着てた服だよオグリ。些か疑問に思い、彼女に真意を聞くとする。
「いつもの服装だけど、何か変わりある? 何か付いてる?」
「何もおかしなところはない、いつものトレーナーだ」
「そうか…
…それなのに似合っているとは?」
「おかしいか? 私はこれがセオリーだと聞いたんだ」
「いったいどこ情報なんだ…?」
「昨日、ウマッターでそう書いてあったんだ」
ウマッター…もといネットの海は闇鍋が可愛く思える程に混沌を極めている。
オグリは天然というか、都心の世情に疎い部分がある。さらに付け加えるとオグリ自身のコンプクレックス。
拙いものを補おうとする直向きな性格は美徳なんだが…生憎と純粋無垢故に誤解を生みやすい。
オグリキャップと契約を結んでもうすぐ3年。年単位の間柄だと、このような事態は既に慣れてしまった。
「私は勘違いをしていたのだろうか」
「そうだな…女性がお洒落したら褒めるのは良いことだと思うよ」
「何を言うんだトレーナー、男女の差はこの際関係ないだろう」
「そうか? まあ…そういう気配りは男としては嬉しくもあるけど
これがデートとかだったら流石にドキッとしてただろうね」
「ほ、ほんとうか?」
「でもオグリ、今はいつもと代わり映えしないトレーニング中だ、気を遣う必要はないんだ」
「いつもと変わらずトレーナーは毅然として頼りになる
私は嘘をついたつもりはない、信じてほしい」
「う、うーん…
そういうことなら…まあ、ありが…とう?」
「! よしっ」
別に悪いことをしているわけではないから、オグリの気を害してまで改める必要はないかと考えた。
何か一つの目標を達成できたのか、オグリは拳を握って成功の実感を噛みしめていた。
「そうだ、今日はルドルフから併走しないかと誘われている、構わないか?」
「シンボリルドルフから…それは実りのある時間が得られそうだ
是非参加してくれ」
「ああ…では行ってくる」
事前に組んでいた練習メニューは帳消しとなったが、あの皇帝との併走など願ってもないサプライズだった。
オグリは踵を返し、小走りで向かった先には約束の相手、シンボリルドルフが手を振って招いてくれていた。
「承諾は得られただろうか」
「ああ、待たせてすまない」
「貴重な時間を私に割いてくれて感謝するよ、オグリキャップ
一狐之腋…文字通り、君と走ることで得られる知見は有意義ながら、より多く得たいと願ってしまうものだ」
準備を終えて、二人は同時に走り出した。練習とはいえ真剣そのもの。ギャラリーと同じく固唾を飲んで遠目ながら眺めていた。
ふと、同じく…だいぶ距離を置いて二人を見守る人物を発見した。
「シンボリルドルフのトレーナーか」
皇帝のいない束の間だろうと背筋を伸ばして見つめる、凛々しい姿勢が目に映る。
彼は皇帝の片腕という重圧を撥ね退けて七冠達成を成した。二人の偉業には畏敬の念を抱かざるを得ない。
オグリもルドルフの功績を知らないわけではあるまい。だがオグリも同じく皇帝に並ぶ強者。臆する彼女ではなかった。
惚れ惚れする走りを見せつけた二人はほぼ同着。健闘を称え合う二人にゆっくりと歩み寄った。
が、しかし。ルドルフのトレーナーは見当たらなかった。
「…やれやれ」
「ん…? ああ…」
何事かと二人の視線を追うと、ルドルフのトレーナーの周りをウマ娘が囲んでいた。
実力は折り紙付きのカリスマ的存在だ。練習を見てほしいとか、アドバイスを求められているのだろう。
ルドルフは苦笑して自らトレーナーの下へ向かった。見慣れた光景なのかもしれないな。
彼のような先を行く者のキャリアを目の当たりにすると、己の今後を考えさせられる。
オグリとも話し合うべきかもしれないが、社会人の男の進路など迷惑にしかならず…頭を振ってオグリと合流した。
「会長も大変だな」
「大変そうではあるが、わざわざルドルフ本人が出向くまでもない
彼もすぐに会話を打ち切って、自分が担当する子の下へ出向くさ」
「そうか? 自分のトレーナーを守るのは当然だろう」
「守る…? もしやスカウトか…?
なるほど、だとしたらルドルフが気を利かせて割り込むか
…いや待て、あのシンボリルドルフの相方にそのような真似できるのか?」
「よくわからないが、会長は恐らく怒っているぞ」
「本当に逆スカウトなのか?
それは…怖い者知らずだな、肝が据わっている」
「トレーナーはどうだ
トレーナーも困ったことに遭遇していないか?
その時は遠慮なく私を頼ってくれ」
「果たして喜んでいいのやら…君の手を煩わせることは何も起きてない」
「…何もないというのは活躍の場がなくて困る」
本当に心優しい子だと思う。そんな子の担当を担うことができて俺は幸せ者だ。
もうじき3年。トゥインクルシリーズにも結果を残した後となり、一つの区切りを迎える。
この先の目標はまだ正確には決めかねている。できるのなら、これまでと同じ…彼女の走りを傍で見ていたい。
意気込みは程々に、トレーニングが無事に終わる頃には日が沈み切ってしまった。
他のウマ娘たちも帰路につく頃、この時間になれば決まってオグリに変調が見られる。
ぐううぅぅ…
「もう夕飯時だな…寮まで我慢できるだろうか…」
「今日も作ってあるから食べな」
「ふふっ…いつもすまないな、トレーナー
ありがたく頂戴するぞ」
自分のお腹が鳴って苦笑すると、オグリは照れくさそうに包みを受け取った。
小さな巾着袋には女の子の手の平には収まらないほどの、大きめのおにぎり。
トレーニングに励んだ後はお腹を空かせるから用意した、俺が握ってきたおにぎりだ。
椅子などなく、暗い路地を歩きながらオグリは手を合わせた。
「いただきます」
食べ歩きは行儀が悪いのだが、寮に帰れば美味しい夕飯が待っている。
ウマ娘の食事は量が多く豪勢なものだ。少なくともおにぎりと比べたら。
だからこの一時もある意味、その場凌ぎの質素なもの。
それでもオグリは頬を緩ませて美味しそうに食べていた。見ていて嬉しくなる。
「む! トレーナー! もう夕方だというのに、米がふっくらとしているではないか!
さらにほんのりと温かい…よもや魔法がかかっているのか?」
「まさか、トレーニングを始める前に握ってきたんだ」
「え?」
「今日はカフェテリアの人にお米を炊いてもらって、おかずは自前の物を持ってきた
気に入ってくれた?」
「…ああ、美味しい…
トメさんも、できればほっかほかの握りたてのおにぎりを渡したいと言ってくれていた
貰えるだけで嬉しいというのに
手間をかけさせてすまない」
「オグリが嬉しそうに食べてくれるからだ
君の顔を想像しながらだとあっという間で…うん、予想通りだった」
「…いつもありがとう、トレーナー
温かいな、とても美味しいおにぎりだ
毎日食べたいものだ…」
「毎日か…でも今も変わらない、ほぼ毎日じゃないか
来週も来月も…君が望むものを作るよ、オグリ」
「…
と、トレーナー…!」
「ん?」
「い、今の毎日、というのは…」
「…?」
「…いや、何でもない
私は毎日トレーナーに支えられている、感謝してもし切れない」
オグリは訂正を言いかけて、口を閉ざした。
毎日…ね。都合の良い解釈だろうか。何にせよ…オグリには平日は毎日おにぎりを握っているようなものだ。
咀嚼を止めて、オグリは目を閉じて立ち尽くしていた。感受性が豊かで、こっちが恥ずかしくなってしまう。
この程度、彼女の故郷の方々と比べたら些細な気遣いでしかない。彼女にできることはもっとあるはずだ。
嬉しくも、奢らずに支えてみせよう。彼女と、彼女を思う人々に誓って。
「………しまったっ!
あまりの美味しさに我を忘れてしまった」
「よくあることだし、今更」
「い、今からでも遅くないな
トレーナー」
「うん?」
「夜もすっかり深けてしまった
私が家まで送っていこう」
「う、うん?
家って、俺のマンションまで?」
「そうだ、夜道は危険だからな」
…ウマ娘の能力からしたら、比べるまでもなく人間より強いんだろうけど。
まだ未成年の女の子に守られる不甲斐ない男だとは思われたくない。
オグリはおにぎりを手に持ちつつ、必死に送りたいアピールをしてくる。
とはいえ、寮生を夜遅くまで歩かせるわけにはいかない。速やかに帰るのはオグリのほうだ。
迫り寄ってくるオグリの肩を押し返して180度回転。寮への帰路を再開する。
「帰ろう」
「ま、待て、冗談ではないんだトレーナー!
頼りになるぞ私は、トレーナーをおぶって帰ることだってできる」
「ダメだ、門限もあるんだし、寮に帰らないと飯抜きにされるよ」
「なっ…! ゆ、夕食抜きは駄目だ…残酷すぎる…
だがしかし…ここで送っていかねば、これでは示しがつかない」
「…? 何かあるのか?」
「…くっ 申し訳ない、トレーナー
私は…私にとって…
食事を没収されることは…耐え難い苦痛なんだ…しかもよりによって今日はカレーの日だッ!
今回は許してほしい」
「苦渋の選択になるほどじゃないよ…?
今回も何も、送っていくなんて今日が初めてだし」
「いいや…だが、見限るのはまだ早い
近い日に必ずや矜持を見せよう、
トレーナーを不足なく守れるんだと…見ていてくれ!」
天然でも可愛さ余って見過ごしてしまっていたが…存外、根は深いのかもしれなかった。
こちらの腕を掴んで力説するオグリの頭を撫でて宥める。
掛かり気味なのは宜しくないので落ち着くまで続けた。
「子供扱いしないでくれ、トレーナー」
「…オグリがそんなに甲斐甲斐しいと、嬉しくも心配になるな」
「…嬉しいのなら、送らせてほしい」
「俺がオグリを送りたいんだ、門限まで長く話せるし」
「…そ、そっか…それなら…仕方ないな」
借りてきた猫のように大人しくなり、うっとりと目を閉じて、ようやく元のオグリに戻ってくれた。
ウマ娘は総じて情報通である。それは中央だろうと地方だろうと変わりない。
「トレーナー! 見たか!?」
翌日の昼時。ウマ娘もトレーナーも昼食を摂るこの時間に、オグリがトレーナー室に駆けこんできた。
走ったぐらいで息が乱れることはない強靭なオグリが興奮状態だった。喜びが弾けて尻尾もブンブン揺れている。
されど彼女の来訪はいつものこと。俺はまずいつもの品を手渡した。
「落ち着いてオグリ
はい、今日のおにぎり」
「これが落ち着いてなどいられるか、トレーナー!
その様子だとまだ見ていないんだな?
朗報だぞ、聞いて驚くな
今すぐ見せるから…ここに腰かけてくれ――」
「今日は明太子と昆布の佃煮に、
叉焼は以前オグリが美味しいって言ってたラーメン屋を参考にしてみた
美味しいはずだよ」
「なに…!? う…むむ…
かたじけない
聞いただけで今すぐ食べたくなってきた」
おにぎりを手渡すとすぐさま落ち着いた。もう食す気満々で来訪者はソファに座ってしまった。
無事に届けたので、オグリが珍しく大はしゃぎする原因について触れることにした。
…もう食べ始めちゃったし、オグリが食べ終わるのを待ってからにしよう。
「ごちそうさまでした
いつも食べさせてもらっているが…飽きることがないな、トレーナーのご飯は」
「まだ君、カフェテリアで食べてないでしょ…おにぎりだけじゃ飽きるだろ
それで、オグリは何を見せたかったんだ?」
「おお、つい無我夢中で食べてしまったな
これを知って、私は一目散にトレーナーと喜びを分かち合いたかったんだ
待っていてくれ、今見せよう」
見せると聞いてオグリの横に腰かけた。走りと食事以外でこれほど声を弾ませるオグリに興味がある。
オグリが取り出したのはスマホ。その画面にはウマ娘のSNS、ウマッターが表示されている。
「私はこういったものに疎く、普段見ない性分なんだが…これを見ずにいられようか
さあ見てくれ」
「ウマ娘担当トレーナーの…嫁ランキング?」
「そうだ、つい先ほど集計が終わって発表されたんだ
誰のトレーナーが素晴らしく、愛すべき嫁かという議題でな
投票者数はウマ娘だけでなくそのファン含め、優に100万人を超えた一大イベントだ」
「へ、へぇ…なんつー俗っぽい企画
というか随分とご執心だね」
「当然だ、私も気になっていたからな
推しが上位に食い込んでいるのか、その良さが皆に周知されているのか気がかりだったんだ
順位が全てではないと分かってはいても、応援せずにいられようか
これがファンのみんなが抱いていた気持ちなのかと思うと、非常に良い体験でもあった」
「オグリの口から推しという言葉が出るなんて…!
って…もしかしてオグリ
トレーナーは女の方が良かった…?」
「それはどういう意味だ?」
「そこまで興味があるとなると、一種の憧れでもあるのかと…
だとしたら…希望は女性トレーナーだったのかな」
俺の戸惑いにオグリはきょとんとした顔をする。真顔で返されるから嫉妬心が羞恥心に変わってしまう。
子供相手とはいえ、3年間を共に歩んできた相棒としては少々寂しく、胸が痛い思いもした。
オグリは遠い地から一人で上京してきた。そんな女の子には、年上の女性の方が親身にサポートができたはず。
「トレーナーの言っている意図がよく分からないが…
ともかく、結果を見てくれ」
「う、うーん
別に女性のトレーナーのランキング見たってなぁ…
うちは実力主義みたいなもんだし――」
合コンなんて一切開かれないお堅い職場だ。職場恋愛とか聞いたことない…というか独身多すぎ問題。
男でも女でもトレーナーはウマ娘に一極集中している。嫁とかそんな可愛いもんじゃないぞ、あの連中は。
とか気乗りしないまま、企画の記事を読んでいくと…つい細目になって凝視せざるをえない名が連なっていた。
嫁ランキング入着者 ※トレーナー略
ナリタブライアン
エイシンフラッシュ
テイエムオペラオー
キングヘイロー
ライスシャワー
ナリタタイシン
エアグルーヴ
オグリキャップ
ゴールドシップ
マルゼンスキー
「………」
嫁というには恐れ多い女帝と、嫁というには奇行が目立つ自由人の間に、芦毛の怪物の名が。
「…見たか? 見たか、トレーナー」
オグリがキラキラとした目でこれでもかと見せつけてくる。
何度見ても、トレーナー嫁ランキングなるものに…オグリキャップという名があった。
…これは…あれかな、トレーナーにとっての嫁ランキングなのかな?
ごめんなさい、流石にオグリキャップが嫁として相応しいとは言いづらい…将来性は非常に高いとは思うけど。
って、そもそも嫁って何だ!? この面子、誰一人女性のトレーナーがいないんだが!?
「ちなみに、上位入賞者であって
論争の元になるから順位は正式に発表されていない
現に入着に至らなかったトレーナーのファンの怨嗟の声で絶賛炎上している」
「いや、それほど熱のあるコンテンツなのか、これ
オグリも随分と嬉しそうだし」
「勿論だ、トップ10に入って祝福してくれるコメントも沢山いただけたんだぞ!
私のトレーナーは嫁度が高いと認知されていたんだ
なんだか私も嬉しくてな、すぐにトレーナーに教えたかったんだ」
「…
………嫁って…」
嫁って、男性トレーナーも含まれてたのか…!
俺の愛馬の対になる言葉かと思って、つい度外視してしまった。
女性のトレーナーは甲斐甲斐しいというのは有名だし…そっちを語ればいいじゃん。
困惑を隠しきれないまま、オグリと身を寄せ合って小さな画面に注目。
ランキングに寄せられた、男を嫁と認識する血迷ったコメントを確認してみる。
<毎日おにぎりを作ってくれるのは有名な話ですが、オグリさんはトレーナーの手作り弁当も頂いているんですよ!
美味しそうでしたし、女性向けを意識して可愛らしくて、オグリさん愛されてるなぁと感じました!」
「おにぎりも良いが、トレーナーの弁当は格別に美味しいからな…
やったな、トレーナー」
「それよりも、おにぎりが有名とはどういう経緯から流出しているのかな?」
<野原でオグリさんを膝枕で寝かしつけている姿はまさに天使>
「写真付き!? ちょ、オグリ、盗撮!?」
「何を驚いているんだ、もう10枚以上ネットに晒されてしまっているぞ
トメさんとシゲさんが、仲睦まじくやっていて安心したと言っていた」
「ええええっ!?」
<レースで走るオグリさんを真剣に見守る目を見ると、安心して家と子供を任せて学校行けそうです>
「もう子供の発想じゃない…!!」
「トレーナーが日々見てくれるから、私も安心して走れる
…だがこの文には些か不満がある
なぜトレーナーと彼女が結婚したような前提になっているんだ…」
「まともじゃないからだ…」
「それ以外は概ね同感だが
私も働いて、トレーナーと我が家、子供たちを守ってみせよう」
「ヒモを婿にするな、オグリ! 俺安心できないから!」
俺だけでなく他のトレーナーに対するコメントも大概酷かった。オグリから否定的な返事もなく、俺の常識がおかしいのか不安になった。
苦情を入れてやりたいところだったが、もう昼休みが終わり、オグリは授業がある。この話は一時中断となった。
ウマ娘はもうランキングについては把握しているようで、外を出歩く度に視線を感じてきまずかった。
奇異の目で見られるのは落ち着かない…バッシングとは違うから改善のしようがない。早くトレーニングを始めてオグリ一人に集中しよう。
処務をこなしつつ、オグリの授業が終わる時間を見越して、早めにグラウンドに向かった。
火中の人は俺一人ではなく。同じように早めに現地で担当の子を待つトレーナーがちらほらいた。
「…はぁ」
ふいに重なる疲れ切った声。ウマ娘のいないところで、トレーナーが揃って重いため息を吐いた。
異様な光景だった。中央のトレーナーって結構メンタルタフな輩の集まりなのに。
まあ…こっちは真面目にやっているのに、嫁だの癒されるだのと茶化されたら気分を害する。
そんな彼らの下に、日々の日課のトレーニングを始めるべく、続々と担当のウマ娘たちがやってくる。
「おいトレーナー、まだ気に悩んでいるのか
嫁だの旦那だの好きに言わせておけ、下らない
アンタは私だけを見ていればいい、この時間はな…そうだろ?」
「おいおいおい、このゴールドシップ様の嫁入りを果たしたってのに、しけた顔してんじゃねえよ
これからおまえはゴルシちゃんの実家を12往復して、三途の川をバタフライでお袋の灯篭流しを回収する任務が待ってるんだぜ
さてはおめえ…結婚は人生の墓場って口か…
いい、何も言うな…なんせ俺もかれこれ十年、チェイサーに転職した女に命を狙われている
しまった、今宵は満月…! 奴の封印が解放される! おまえのその貧弱な装備じゃ奴には対抗できねぇ!
チッ! 常闇はもうすぐそこだってのに…仕方ねえ、籠城だ! あの山まで突っ走れ!」
「アンタがそこまでへこむのも珍しいじゃん
つーか似合わなすぎでしょ、嫁って…顔、暑苦しいし…声デカいし目立つから…諦めなよ
………私はレースで結果を出す度に評価を改められた、でもアンタは私を担当に選んだ奇特な人のままだった
正直、私は悪い気はしてない」
「ご存知でしょうか、トレーナーさん
ドイツでは結婚相手を選ぶ条件の一つとして、生涯年収が求められます
女性も男性と変わらず働くのが常であり、ドイツでも私は将来、夫と共に働くことを予定付けています
ですが夫婦とは寄り添い合うもの、私も日本の価値観を尊重します…ですから
トレーナーさんがドイツまで嫁に来て下さるのなら、私が家庭を支えますよ
………ふふ、すみません…トレーナーさんは嫁が似合うと聞いてつい…悪乗りが過ぎましたね」
ウマ娘からしたら面白いニュースだったのは間違いなく、トレーナーと違って担当の子たちは涼しい顔をしていた。
なんだかんだ知人や相棒が認知されるのは嬉しいもので、トレーナーを励ます彼女たちの会話をぼんやりと聞いていた。
俺の下にも足音が近づいてくる。音のほうへ視線を向けると、俺の待ち人がやってきた。
「目立っているな、トレーナー」
「珍獣にでもなったかのような気分だ
でもプレッシャーを感じない分、君たちウマ娘と比べたら音を上げてはいられないな」
「む…そうか…
………」
「…どうかした?」
「…頼ってくれてもいいんだぞ」
「え?」
「トレーナーは…あれだ
私の嫁、なのだからな」
「…」
「夫が妻を守る、ならば私がキミを守るのは当然のことだ
トレーナーに尽くされている私は幸せ者だ、そのお礼はしなければと常々考えていた
いつでも私を頼ってくれ、トレーナー」
「オグリ…」
影響受けすぎ、この子!! 隣に寄り添っては騎士役を志願されてしまい、頭を抱えるしかなかった。
ところが、その護衛というものに間もなく頼らざるをえなくなった。
…なんせ、ウマッターのあの企画の結果を聞きつけて、記者が押しかけてきたから。
面倒なことこの上なく、フォローを頼めばオグリは上機嫌。結局その日のトレーニングはオグリが集中できていなかった。
「…ふふ…」
「オグリィー! ちゃんと真面目に走るんだ!」
もう走っている時もにやけっぱなし。走り終えればまた隣へ駆けつけて視線を隔てる壁となってくれる。
褒めてもらい、応援してもらうことが一番に嬉しく、心の拠り所にする彼女だから。
頼られるのが嬉しかったんだろうな…と、呆れながらも照れ臭く感じた。
「では、行くとしよう
今日は3軒も回れるとは豪快な一日になりそうだ、楽しみだ」
「オグリ、レースの見学も忘れるな」
「勿論、レース場のグルメも絶品だからな、侮りはしない
アグネスデジタルが教えてくれたんだ、今日は隠れた名店行脚と行こう」
「着実に交友を広めてるね…大体食べ物絡みだけど」
トゥインクルシリーズを終えた後も鍛錬は欠かさず、今日は休日を利用してオグリと外出していた。
午後のレース前に二人での昼食を約束をしており、オグリが予め目星をつけた店へ向かった。
オグリは道を覚えるのが壊滅的に苦手なので、自分が先導して歩くのだが…
なぜか今日は頑なに隣のポジションを崩さず、さらに。
「トレーナー、危ないぞ」
「うっ!?」
後ろから車が走る音をその長い耳で聞きつけたオグリが、車道側を歩いていた俺を引き寄せてくれた。
俺の腰を掴んで…ドキッとしつつもオグリの純朴な気遣いに感謝した。
流石に咄嗟に感じた脇腹の違和感に驚いた…のだが、この驚きは今も尚継続している。
「お、オグリ…もう大丈夫なんだが」
「そうか、良かった
ちゃんと私が見ているからな、背後からだろうと抜かりはない」
「いや…十分嬉しいから
この手を離してくれないか」
「嫌か?」
「………」
「痛かったか? すまない、まだ不慣れだから力加減がな
ならば…このくらいならどうだろうか
私の身長がもう少しだけ伸びたら様になるんだろうが…見逃してくれないか」
オグリが背後に伸ばしていた腕をほんの少し力を緩め、間合いを開けてくれる。ほんのちょっぴりだけども。
視界では捉えづらい。背中と腰周りに感じる温もり。細い腕とオグリの長い髪が当たっている。
がっちりと腰に手を添えられてしまっているんだ。身長も低い、まだ未成年の女の子の手に。
「お好きにどうぞ」
「よし、ならばこのままで」
「…恥ずかしくないのか?」
「我慢だ」
「君も恥ずかしいんかい」
これもウマッターの影響か。これは子供のようにくっついて甘えてるとか、そんなものじゃない。
もう明らか…ある種の恋人のような振る舞いだ。仲の良い女の子同士ですら、手を繋ぐか腕を絡めるレベルなのに。
赤面して離れるのは簡単だが、それでは大人としての威厳が損なわれる…抵抗せずにオグリの隣を歩くしかなかった。
「…キミは困っているようだな、まだ私もそうレパートリーが多いわけじゃない
だが今日この日の為に幾つか学んできたものがある、プラン変更だ」
「おお、よくわからないけど是非そうしよう」
「よし、では順に説明するぞ
まず私がこう…腕を出す」
「はい」
胸を張って力説するオグリは一歩前に歩き、腰に手をついて…曲げた肘を向けている。
「次にトレーナーが私の腕に手を通す」
「はい」
オグリの右腕に、自分の左手を添える。
「トレーナーは脇を締めていい」
「はい」
脇も肘も締めると、オグリの腕を抱きつつ手は彼女の肩あたりに落ち着いた。
…男女逆じゃない? というか恋人がすることじゃない? さっきよりも近い気がするな?
「これでよし、行こうか」
「普通に行かないか?」
「予約の時間までもう余裕がないだろう
人気の店だからな、予約をキャンセルなどしたら2時間待ちの行列に並ばなければならないんだぞ
トレーナー、案内してくれ」
「君が前を歩く意味なくなってるッ!
もはやワンちゃんのリードになってるぞ!」
「む…難しいな
やはり都会のやり方は、私には似合わないのだろうか…
服もお洒落なものではないし、未だにビルや大きな建物が並ぶ地形は覚えきれない
知識を得ようにもトレーナーを困らせてばかりだ…私は満足にキミをエスコートもできない」
「そ、そこまで落ち込まれると…
わ、わかった、このままで行こう?」
「…」
「は、恥ずかしかっただけなんだ、ごめんよ
オグリとこんなに近いのはそうそうないから
…と、年上でも、緊張ぐらいするんだぞ?」
「…
これがツンデレというものか、案外悪くないものだな…うん、ツンが程よいスパイスとなっているんだな
ようやく私にも意味がわかってきたぞ、私もこれなら好きになれそうだ
実戦でやってのけるとは流石だな、トレーナー」
「あーもう、純朴な子が日に日に毒されていく…」
傍から見て恥ずかしくないほう…腰を抱いてもらうほうがまだマシなので、再度プラン変更。
このスタイルにはオグリも次第に慣れてきたらしい。
脇腹に触れられてくすぐったかったのが、ベルトを掴んでくれてリラックスできた。
車や自転車が通る度にオグリに抱き寄せられ、田舎出身のボディガードウマ娘と共に目的の店へたどり着いた。
「トレーナー こちらに座ってくれ」
「…」
「…何か、至らない点があっただろうか?」
「いや君…もう立派な彼氏やれるよ」
「…よしっ」
「一切褒めてないがなっ!
あ、あぁ…女の子のガチファンも多いし、ありえるのか…?」
椅子を引いて座るよう促すオグリの立ち振る舞いは紳士的だ。女の子がそれを男に見せつけるのはどうかと思う。
オグリがやると女の子としての可愛らしさが勝るが…物にしたら様になるんだろうな、この子。
オグリは170弱の高めの身長に、綺麗な長い髪をしている。私服を磨けばホストクラブにいてもおかしくない麗人の出来上がりだ。
年下のウマ娘のご厚意に甘えて腰をかける。オグリも座ると何を注文しようかとメニューに夢中になっていた。
そのほうがオグリらしい。道中は冷や汗が流れたりもしたが、食事中は見慣れた彼女の笑顔を拝めて、とても楽しく過ごせた。
と勝手に思っていたのは俺だけだったのか。食べ終えた後の食休み中…ふと見れば、オグリは俯いていた。
「なあトレーナー…今更で申し訳ない
やはりこういった服装はこの場には似つかわしくないのだろうか」
「うん? いや、そんなことはないよ
というかどうしたんだ、さっきまでにこやかに食べてたじゃないか」
「そ、そうなのだが…落ち着いてみたら、やはりというか
トレーナーは綺麗な服を着こなしている、カッコいい
以前の嫁ランキングでお墨付きを得られたことで、私だけの思い込みだけではないとわかった
レースに出る度に認知されてていくと…決まってこういった店で悪目立ちしてしまう
一緒にいるトレーナーに不快な思いをさせていないか?」
「不快な思いはしていないし、君が困っているのなら手を貸すよ
…そもそも君、服にお金かけるような子じゃないだろう?」
「…私には服にお金をかける意味がよくわからないんだ
勝負服は別だ、あれはファンのみんなに魅せる制服なのだから
私は私生活の自分を着飾っても、大した意味はないんじゃないかと思うと…」
「…とは言ってもだ、君はスタイル良いし、似合う服は沢山あるはずだ
だから前に言ったじゃないか、良かったら服買いに行こうよって…最初に言ったの何年前だっけ?」
「そ、それは…すまない
しかしながら…服を買うお金があるのなら、未だ見ぬ名店の料理を食べる為に使いたいんだ」
「う、うん…そうだね、君ならそうなるよね
…よし、ちょっと遅くなるけど最後に君の服を買おう
俺が君にプレゼントするよ、是非受け取ってほしい」
「ダメだトレーナー、それはダメだ
嫁のお金で服など買えないんだ」
「あれを蒸し返さないでくれ!?」
また買い物のお誘いから逃げられてしまった。オグリは服を気にする割に買わないからな。
今現在でもオグリは外部からの一定の視線を感じている。有名なウマ娘だし。君がグルメ通なのはもう知られてる。
彼女は特別見劣りした服装をしていない。地味ながらオグリはとても魅力的な女の子だ。
デニムにプリントTシャツ、その上にカーディガンという…素朴ながら元が良いので逆に好印象が持てる。
しかし困った。オグリはこの手の話題になるとすっかり委縮してしまう。美味しいものを食べれば気は紛れるが…今は食べた後。
「何かお困りのようですが」
「え? あ、いや、大丈夫だ、喧嘩とかではないんだ」
「ん?…あなたは」
「失礼、オグリキャップ…さんですよね
自分もそちらの彼と同じ、ウマ娘のトレーナーです」
「…確か、エイシンフラッシュの」
「知り合いなのか、トレーナー」
「まあ…後輩、になるのか…?
エイシンフラッシュは知っているだろ、オグリ」
誰かと思い見やると、職場でたまに見るウマ娘のトレーナだった。
担当はエイシンフラッシュ。ドイツから遥々やってきた彼女のスケジュール管理の厳しさは有名な話だ。
相方となる担当の子はこの場にはいない。そも、休日にまで一緒だと考える方がおかしいか。
気を遣っておいてもらって不躾だが、口論にでもなったわけでもないのに声をかけてくるとは。
担当の厳格な性格と似てクールな男だと思っていた。そういった印象からファンが多いトレーナーなのに、意外だった。
「すみません、お節介でしたね
何事もなければ良かったので」
「…貴方が声をかけるほど、張り詰めていましたか…?」
「いえ…これは単純に私の独り善がりでした
俺が担当するフラッシュは洋菓子を好む子で
せっかくの外食ですれ違いが起きていたりしたら
…彼女もこうして声をかけていただろうから
差し出がましい真似をして、すみません」
「いいや、お気遣い感謝する
…トレーナーというのは、どこもお人好しばかりだな
私は何も困ってはいない、ありがとう」
ドイツ生まれのエイシンフラッシュが選んだ男なだけある…彼女のトレーナーは伊達ではなかったか。どことなく鼻にかかる仕草だった。
うちの担当の子を惑わすのはやめてもらいたいな…! 紳士なのは十分分かった、そのウマ娘への愛情は自分の担当にぶつけてほしい。
とは言ったものの…彼は伊達男と呼ぶに相応しい洒落た身なりをしている。
「…そうだオグリ、これも何かの縁だ
こちらの彼に聞いてみたらどうだ?」
「ん…? 何をだ?」
「お洒落をする意味だ
力になれず歯がゆいが…俺もそんなにファッションに目敏いわけじゃない
彼は俺とは違う答えを持っていそうだ」
「なるほど、トレーナーはウマ娘だけでなく人を見る目も冴えているな
すまない、少しだけ時間をくれないか
一つ質問をさせてくれ」
「質問…? はい、俺でよければ」
エイシンフラッシュのトレーナーは俺の隣の椅子に腰をかけ、オグリと向かい合った。
正直こんなにキザな男と並びたくないぞ…すまんオグリ、君の辛く居た堪れない心境は俺にもわかった。
「お洒落をする意味ですか…
…あ、あの…
もしやオグリキャップさんは、何か悪意を込めてそのような質問を…?」
「いいや、ちょうど彼女と議論していたところに君が転がり込んできたんだ
まあ、あえて聞かずもながら、その服も随分と値が張っていそうな気もしなくもないようですが」
「あはは…そういったご了見ですと
俺が衣服にお金をかける目的をお話ししたほうがよさそうですね」
「うむ、差し支えなければ教えてくれ」
「…そうですね…
これは男性から女性に向けての意見なので、参考にならないかもしれませんが」
…オグリ、何でそこで前のめりになるのか。嫁云々の話はもう忘れたほうがいいよ君。
「俺が担当するウマ娘、エイシンフラッシュはドイツからやってきた子なんだ
…上京してきた君のほうが、彼女の心境に詳しいかもしれませんね」
「ドイツか…果てしなく遠いんだな
私より故郷が愛おしく感じるかもしれない」
「そうですね、孤独感は拭え切れないと思います
そんなフラッシュが3年間を心置きなくトレーニングに集中できるようにしたい
彼女にとって、外出で息抜きできる時間はとても貴重なんだ
その時間を一緒に過ごすのなら、できる限りのことはしたい…その一つがこれです」
「…む? それがお洒落と、どのような繋がりがあるんだ?」
「お洒落をするということは、相手をリスペクトすることに繋がる
君との時間を大切にしたい、フラッシュにはより良い一日を過ごしてほしい
彼女が見て、いつもとは違う良いもてなしをされているんだと、感じてほしいんだ」
「な…お洒落にそのような意味があったのか」
「男からしても、相手の女の子が綺麗な服を着てきてくれた時は
気合い入れてくれてるなぁと、特別な一時を期待してしまいますから
お金がかかるといって、やらないとなれば…受け手はすぐに分かってしまいますから
ですから、君が着飾ることで喜ばせたい人がいるのなら、素直にその気持ちを伝えればいい
トレーナーさんと一緒に服を買うのも、きっと楽しいですよ」
「む…」
「…聞いてたな、あんた」
「生意気な後輩で、すみません」
彼の言い分だと、衣服に対する拘りは生活の条件ではなく、あくまでも目的の為の道具なのだろう。
オグリが無理してお洒落な生活をするのではなく。お金をかけるのなら、それなりの目的を探すべきだった。
オグリは口を閉じて考え事に耽る。質問は以上のようだった。
「一人で来ているようだが…これも担当の為か?」
「いえ…流石にそこまでは」
「下見に来たんじゃないか?
君のところは時間厳守が当たり前のようだからな
評価されることはないだろうに、器用なやり方ではないな」
「…もうよろしいでしょうか?
オグリキャップ
いずれはエイシンフラッシュが、彼女が君の前に立ちはだかるかもしれない
その時は、どうぞご覚悟を」
教えられることは言い終えた。彼は不要な長居をせずに去って行ってしまった。
…あの気配り、どちらかと言えば…大損する考え方だ。相手は彼の身なりを深読みしない。
話し方からして、恐らく気持ちが向く矛先、エイシンフラッシュ自身も知りえないはずだ。
社会人の男の赤裸々な告白を聞いて、オグリは深く思考していた。
「…トレーナー
相手に気を配るには、多種多様な方法があったんだと痛感した
やはり私はこういった世間事に疎いんだな」
「…服、買いに行く?」
「頼めるか、トレーナー」
「ちなみに、俺の為に買うのかな?」
「か、からかわないでくれないかトレーナーッ…!
行きたくなくなるじゃないか!」
「ははは」
「…
現状、相手はトレーナーに限られている…
2つ目の勝負服だ、トレーナーも選んでくれ」
「………タマもクリークも、きっと驚くんじゃないか」
「う、うむ…間違いないな」
オグリが洒落込むと想像すると頬が緩んでしまった。
女の子が着飾るのはもう少し後になる。この後はレースを見学しに行くから。
レースを目の当りにしたらオグリはアスリートの姿に戻ってしまう。その際は二度目の説得を試みなければならないだろう。
仲違いしたわけではないが、お互い少し距離が近づいたような気がしつつ店を後にした。
…勘違いでも何でもなかった、物理的に近かった。
オグリはまた俺の腰に手を沿えていた。こんなことする女の子がお洒落に苦悩するとか端からおかしい。
ちなみに、これは余談であるが。
「君がエイシンフラッシュか?」
「ええ、貴方は…オグリキャップさんですね
噂は常々聞き及んでいます
私に何かご用でしょうか?
すみませんが、後2分でカフェテリアを離れなければなりませんので、手短にお願いします」
「2分だな、問題ない
一言だけ伝えたかったんだ
君のトレーナーには以前世話になった
改めて礼を伝えたく、伝言を頼む」
「…トレーナーさんに?
失礼ですが、世話になったとは…何日の何時に、どういった内容でしょう?」
「つい先日…時間は正午後だったか…
彼と話して思ったんだ…どのトレーナーも私たちウマ娘を案じてくれている」
「はぁ…そうですね
私のトレーナーさんもスケジュールに則って、私のことを第一に考えてくれていますから」
「ああ、君のことを凄く大切にしている、良きトレーナーだと思った
君が遠い故郷に思いを馳せて寂しくしていないかと慮っていた
休日を君と過ごす際は、君を喜ばせたいという優しさに満ちていた
私はその気配りの真意に感銘を受けたんだ
彼と外出した際は、是非服を褒めてあげてほしい」
「……え…? 服?
トレーナーさんが私に…それはどういう――」
「む…これでは礼にはならないな
すまない、今度改めて礼を伝えよう
それと、レースで会える日を楽しみにしている
勿論、私は負けない」
昼時のカフェテリアにて、律儀にもお礼を述べるオグリに、エイシンフラッシュはぽかんと口を開けて固まっていたそうだ。
そして、エイシンフラッシュにケーキをご馳走するべく、店の下見をしていたのもバレたそうだ。
ついでに着飾る真意についても。ファンの多い男はたちまちウマッターで拡散され、ただの伊達男から昇格していた。
「よくやったオグリ、ナイスフォローだったぞ」
「私はただ伝言を頼みたかっただけだが…
というかだな…なんだ、その…怖い顔をしているぞ」
「イケメンのデートプランを壊してくれて清々しい」
「トレーナーもカッコいいぞ」
「…」
愛してやまない自らの担当のウマ娘に辱められるがいい。後輩の悔しがる顔を思い浮かべ、嫌味な笑みが零れてしまうのだった。
時を巻き戻して、昼食を済ませた後にレース場へたどり着いた。
観客席からレースを見学しようと施設内を歩いていると、オグリが足を止めた。
「む…あれは、アグネスデジタルか」
「え? えっと…あそこでさっきから騒いでる子?」
「ああ、走ることよりウマ娘を見るほうが好きらしい
とても博識なんだ、私に嫁や推しという言葉を教えてくれた先生でもある
機会があればまた教授を頼もうと思っている」
「ご挨拶に行こうか…」
「うん? 社交的だなキミは
ああ…そうだな、せっかくだ」
諸悪の根源かな? うちのオグリが世俗に毒されてしまいましたよ、アグネスデジタルさん。よくも嫁扱いしてくれたな。
オグリが指し示す先には、デジタルが叫んでいたり拍手を捧げていたり…情緒不安定ながらレースを観戦している後ろ姿があった。
オグリが彼女に声をかけると、デジタルは素っ頓狂な声を上げてこちらに頭を下げていた。
「デジタルも観戦か
良かったら私のトレーナーを紹介してもいいか、挨拶したいらしい」
「はわわわっ! わざわざあたくしめにオグリキャップさんが!?
おうふっ…このようなエンカウントは想定外、強制イベント突入するには備蓄が心許ない
ですが、私は自分の部屋以外は基本フルオープン! ご挨拶なんていつでも…ふ、ふぐぉ…!
思えば私…自分のトレーナーさん以外の方との…対面は…お初ッ!」
「こんにちは、アグネスデジタルさん
オグリキャップを担当しているトレーナーです
オグリがいつもお世話になっております」
「あらあら、そんなご丁寧にどうも、はじめまして、アグネスデジタルです
私のほうこそ、オグリキャップさんにはいつも助けられてばかりで
ええ…主に人生という愛と尊みが織りなす輝かしい道…チュートリアルからエンディングまでお世話になりたい所存です…
芦毛の怪物の二つ名に刻まれた、熾烈かつ熱いドラマを見せていただきました!
あれほどの尊み、どれほどの得心を積み重ねれば、もう一度あの感動と相まみえましょうか…ッ!
これまで支え見守ってきたお母様には感謝の言葉しかありません、グッジョブですっ!」
「嫁の次はお母様とは節操がないのでは?」
「時に…初対面で申し訳ありませんが、社会人のあなたに折り入って伺いたく
実家の部屋がですね…もうグッズを置くスペースがないと滅亡のカウントダウンを告知され詰みかけているのですが…
どうしたらよろしいでしょうか!! 安価スレは3日間音沙汰なしです!」
「それはお母様に直接言ってください」
「むぅ…私には何がなんだかサッパリなんだが…」
オタクの子なのかな? ド天然のオグリでもこの波に吞まれてしまったんだな。
どんな子かと思えば、良い子そうで拍子抜けだった。奇天烈な言動にはついていけないけど…
レースの観戦の目的を忘れてはならない。デジタルと並んで…と思ったら、オグリが真ん中ではなく、俺が間に挟まれる形になってしまった。
「あ、あたしがオグリキャップさんの隣だなんて…ふ、ふひ…
至福と浄化とは真逆に息は止まり、心臓も停止し、石と化してしまいます…!
我が母上に架されたカウントダウンよりも間違いなく…正確に、死に至る…!
あなたには緩衝材という実物フィルターになっていただき…!」
「君、それでよくオグリのお友達になれたね」
「お友だ――ごっはぁあっ!!?」
「どうしたんだ、デジタルが胸を抑えている…まさか発作か!?」
「ぜぇ…ぜぇ…持病なのでお構いなく…
はぁ…はぁ…これをご褒美と呼ぶには…ファンサが過ぎるッ!」
持病なら仕方ない。そういうことにしてデジタルとオグリと並んでレースを真面目に見学することにした。
「ははぁ…やはりどのトレーナーさんもウマ娘ちゃんに抱くカルマは同じ
類は友を呼ぶ…隔絶せしスパイラルが今、一つの奇跡を巡って重なり合ったのですね
…はて、そういえば先程…オグリキャップさんのトレーナーと伺いましたが…」
「うん」
「…」
「…」
「…ランカーとの対面は…切断安定………はぐっ!!」
「ペナルティ食らうからやめなさい」
「頭が! 脳が焼ける! 急激な素材提供にダウンロードがフリーズする!
えっ!? もしや…まさかの、今まさに新たな境地を開拓せし、原初の一人が!?
ウマ娘×ウマ娘が上り詰める傍らに芽生えたカテゴリー、ウマ娘×トレーナー!
いえいえ、声高々に申しましても私、これまた初見殺しも良いところでして
所詮は青春とは名ばかりのロマンも尊みの欠片もない、欲求まみれのポエムが載った恋愛が繰り広げられると思っていたので
敬遠して手を付けてなかったんですよ…王道とか言われても誰が認めてるんですかって感じで
ですが! パンドラの箱を開けてみれば、何ですかあれは!
今まで成しえなかった、若者と社会人、その差! 彼らの当たり前は我々にとって奇跡のそれでしかない!
どちらがより良いかではない! どちらも良き!
思えば、我々がこれまで拝み、感激に打ち震えた女神たちの神話には…
私たちがこれまでもがき求めた、まだ見ぬ未踏の地には常にそれがあった!! でも見過ごしていた! 浅ましく罪深かった!
誰も語らない! 価値を見出されず消えかけた歴史を掘り起こせた…!
それが! 何より! 幸せぇ~~~~!!」
「トレーナー、翻訳してくれないか」
「ごめん、ほとんど聞き逃してる」
これは…あれか、いつぞやの嫁ランキングの件か。ああいう企画はオタクの子のほうが盛り上がるだろうし、知っていて当然か。
オグリの話題で息絶え絶えだったのに、今度はこちらを見ては胸を抑えている。救急車呼ぶべきかな、それともトレーナー?
「しかし一抹の不安は拭い切れません
この一大ブーム…一時の流行りで終わりかねない!
ウマ娘ちゃんとトレーナー殿! この二人は一心同体! 絆が成されてこそ唯一の女神が二人、対面する!
ならばこそ、であるがこそ!
推せる時に推せ! そう、運命の女神からの啓示が私に囁くのです!」
「それはつまり、おっさんは寿命短しってこと?」
「え…っ? ち、違いますっ! これは全然、まったくの謂われなき誤解なのです!
今後何が起こるか分からないからこそ、推しの健康かつ幸福足りえる生活を願うばかりに、胸を締め付ける不安因子であって
ほら…女神はその界隈を離れても、何かしらの形でその名を轟かせることがありますが
人間さんで社会人であるトレーナーさんは…ご結婚とか、体壊してしまう方もいますし
最後には女神に操を立てて、一人去ってしまうといいますか…
勿論、新たな女神の為、そのお力を振るってもらうこともありますがね?」
「………」
「…トレーナー?」
「ですが、我々が崇拝する女神よりも先に消えてしまう! そもそも数が…! 情報も少ない!
推しの引退など天地揺るがすハルマゲドン! 世界崩壊と共に陥る果てしなき虚無感!
次などない、代わりなどない! 推しは推しとはいえ、その名は貴方様ただ一人!
これまで界隈を去った方々は、ヒエログリフの石板のように儚く尊い歴史として脳裏に刻まれています
人生、一期一会です!
というかお若いでしょう、何をおっしゃいますのやら…おじさま属性が付与されるにはまだまだ先の話」
「一期一会、か…そうだね、その通りだよ
特にこの界隈は一度離れたら、顔を合わせても再び手を組むことはないから」
「でしょう…!
夢で繋がるウマ娘ちゃんたちは必然でも、仕事で繋がるトレーナーさん方は偶然の出会いなんですよ…!
はぁ…この運命線に生まれ落ちたことに…感謝…」
トレーナーはウマ娘と比べたら母数は少ない、が…ウマ娘と同じく試験を通ってプロの資格を得てこの職に就いている。
ウマ娘も血の滲む努力をして勝負に挑む。トレーナーも似た経験をしている。中には当然、夢半ば途絶えて別の職に就く者もいる。
だからこそ、尚の事、自分が担当するウマ娘を応援し、夢を叶えるべく全てを捧げたい気持ちがある。
担当一人に操を立てて去る人もいる。新たな人生を歩むんだ。
「まぁ、ランキングとか設けられましても
マイフェイバリットトレーナーは言わずもながら、私の専属トレーナーさんなんですけどね
不変の最推しです、もう人生丸ごと捧げる所存です」
「へぇ…ちなみに、ランキング入ってったっけ」
「はぐはぁ!!
…わ、私が…力及ばないばかりに…!!!」
「トレーナー…意地が悪いぞ」
「いえ…いいんです…
これが強者の余裕…ふっ…私もトレーナーさんにプレゼントしたかった人生でした…」
「最推しは貴方だって教えたら、きっと喜ぶよ」
「いえ、それは…
凄く恥ずかしいです…はい…
聖地巡礼を一緒していただけるたけで…好きになってまう…」
レースの見学がオタク女子の見学になってしまったが、有意義な時間だったと思う。自分としては。
デジタルと話し込んでしまって、オグリには退屈な思いをさせてないか不安でもあったが、彼女は彼女で得られたものがあったらしい。
「…ふむ、推しにも最推しという一つ上の階級があったんだな
勉強になった
トレーナー、私の最推しはキミだけだ」
「…ほら、オグリは言い切ったし、頑張れデジタル」
「私がそんなぽろっと言えるわけがないじゃないですかっ!
なんですか! 私のような底辺が言えるわけないじゃないですか!
イケメンですか!? 結婚ですか!? 爆ぜて幸せになれぇえええ!!」
「自分のトレーナーのことになると、急に当たり強くなるじゃん…」
「やり直しか…推しという表現はそう容易な道ではなかったか
よし、ではもう一度いくぞ、トレーナー」
「あうあうあ、オグリキャップさん、できれば手は両手を組んで…こう
そうそう…ああ、すんばらしぃアングル…
ではでは、そこから一発いきましょう…でゅふっ…」
突如始まったアグネスデジタル監督によるオグリの告白シーンは、レースが終わる夕方まで続くのだった。
昼食とレースの見学、さらにオグリの私服を買い終えるとすっかり暗くなってしまった。
週末の休日がもうじき終わる。衣服が入った紙袋をぶら下げつつオグリの寮へ向かっていた。
この道中、ちょうどこの時間は。
ぐううぅう…
「お腹空いた?」
「ああ…まったく堪え性がないな、私のお腹は」
「どこか食べに行く? 結局お店も1店舗しか行けなかった」
「…いいや、今日は服まで買ってもらってしまった
これ以上奢ってもらうわけにはいかない、キミも負担に感じるだろう」
「そう…?
でも休日は寮のご飯ないんでしょ?」
「う…うむ…」
オグリのお腹がさっきから鳴いている。いつもの流れなら夕食を奢るのだが、オグリは遠慮している。
このまま帰るとオグリは適当にお惣菜を買って済ませるか、寮の余り物を食べるかの二択になるだろう。
…寮にはこちらから連絡入れればいいかな。今のこの時間をもう少し続けたい。
しょんぼりとするオグリを見ていると、やっぱり弱くなってしまう。
「ご飯、食べていく?」
「ん? いや、外食はもう…」
「うちにおいでよ、学生相手に一人暮らしで悪いけど
ご飯作るから、いらっしゃい」
「…」
「…」
「…え? 今なんて?」
「それは絶対に採用しないで!!」
「すまない、シチュエーション次第では二回聞けると聞いたんだ
大丈夫だ、ちゃんと聞き取れている
トレーナーの家に招かれたい、行きたいぞ」
「それはそれで…
…それじゃあ、行こうか」
「ああ、送り狼になったりしないから安心してほしい」
「男の部屋に上がるってのに堂々としてるね君
ちょっとは緊張してたんだぞ、こっちは」
「そうだったのか…トレーナーは隠すのが上手いからな
なら、確かめていいか?」
何を、と問う前に、オグリは俺の前へ歩み寄り…その手を胸に当ててきた。
胸元にオグリの手が押し付けられている。広げては心臓の位置を探し当てようとしている。
「…あまりドキドキしていないな」
「…」
「…いや、早くなってきた
ああ、緊張しているんだな…今わかった
トクトクと、どんどん早くなっていく…温かい」
「嫁泣かせ」
看過されてしまっては面白くない。手を振り払って歩みを再開するとオグリは慌ててついてきた。
また腰に手を回してきてるし。片手が空いてると自然と掴まれてしまう。紙袋を押し付けてしまおうか悩んだ。
というか…オグリがうちに来るなら買い出ししないと。結局は二人共大きな荷物を抱えての帰宅となってしまった。
「今作るから、寛いで待ってな」
「トレーナー、頼みがある」
「頼み?」
「そのエプロン姿、写真撮っていいか?」
「いいわけあるか、もう盗撮は許さん」
「あれは私が撮ったわけではないのだが…」
耳が垂れて気落ちするオグリは、リビングに戻って大人しく夕食を待ってくれた。
時折暇を持て余して、ひょこっりと顔を覗かせて見られていた。仕方なく1枚だけ写真を許してしまった。
撮った写真を眺めている間は大人しいもので、夕食ができたのでオグリと一緒にテーブルの前に座った。
「和食か…どれも美味しそうだ
いただいてもいいか?」
「今、味噌汁温めなおしてるからちょっと待ってて」
「…トレーナーのお味噌汁か、初めてだな」
「え? そうだっけか…何度もお弁当作ってるのに考えたことなかった」
「トレーナーの部屋に招かれたのは1回だけだからな
あの時は洋食だった…トレーナーのお味噌汁は頗る興味がある
定食屋のお味噌汁に負けない、優しい味なのだろうな…」
「ハードル上げないでくれ」
興味がある、とさらっと言っていたけど、首を伸ばして今か今かと待っている様は興味程度で済むのか。
お味噌汁を手渡して、夕食の準備が整った。俺とオグリはお互いに手を合わせる。
「いただきます」
食べ始めたらあっという間なのがオグリだ。よく噛んで食べるオグリだが、それでも常人よりも食が早く、量も凄まじい。
だからちょっと意外に思って手を止めてしまった。オグリはお茶碗を両手に持って、ゆっくりとお味噌汁を口にしていた。
ほっと吐息を一つ。オグリなりのお味噌汁の飲み方だったのかもしれない。味を堪能する、作り手にとって嬉しい食べ方だ。
「美味い
3年間、苦節を共にしてきたが…この味を知らなかったのが不思議だな」
「そんな大層なものじゃないよ」
「…なあ、トレーナー」
「うん? おかわりあるよ?」
「いや…その
このお味噌汁を…だな
できれば毎日………」
…オグリは用意した言葉を、言い終えることはなかった。
「…いいや、今のは忘れてくれ」
「…でも、オグリ、今のって」
「ううん、いいんだ…無粋だった
今はこの味を堪能したい」
「…そっか
ありがとう、オグリ
作った甲斐があったよ
いっぱい作ったんだ、ご飯も5合炊いたからおかわりもしていってくれ」
「ああ…ずっとここにいたい…」
お味噌汁一つで大げさ。でも、おにぎり一つにあれほど執着してくれるオグリだから、その気持ちがこそばゆい。
いつもと変わらない時間。オグリと俺は穏やかで楽しい、休日の夕食を堪能した。
「トレーナーは、今後のことは考えているか?」
今日の終わり。長い一日を締めくくり、俺はオグリを寮の前まで送り届ける、その直前。
もう門限は過ぎてしまっている。玄関の戸には明りは見えず、静寂の暗闇にオグリの声が透き通って響いている。
「…今後か、俺はオグリのトレーナーで在り続けるよ
君が走り続けるのなら、こうして傍で見ていたい
オグリも、俺を必要としてくれていると思っている
だから、このまま続行がいい」
「…私もそう在りたい…が
いつかは引退する、みんなが夢を見てくれる走りができなくなる日がくる
その時、トレーナーはどうするんだ?」
「それ…他の子のトレーナーをするかって話?」
「ああ、勿論トレーナーがどんな選択をしようと責めやしない
だとしても、知っておくべきだと思ったんだ
私の夢と人生を共に考えてくれたトレーナーの将来を軽視してはならない
今度は、私も共に考え悩みたい…これが私なりの恩返しだ」
…本当はトレーナーのキャリアとか、後の人生をウマ娘に抱えさせるなんてタブーなんだけれども。
オグリの真剣な眼差しに射抜かれると、外野が定めたルールなんて関係ないと思ってしまうな。
なら正直な気持ちを伝えよう。君のトレーナーは、君に心底惚れ込んでいるんだ。
「きっと辞める
オグリ、君は普通とは違うんだ
別格、その実力も人々を惹きつける魅力も
辛いと思う、君の影を探して、似たような姿や名前と出会う度に…
君の存在がちらついて、ダメなトレーナーになってると思うんだ」
「私に操を立ててくれるのか」
「まあ…そういう言い方になるのか
自分のキャリアの為に女の子を利用するのは…もう無しかな
よくある話なんだ、トレーナーはウマ娘に縋らないとろくに稼げない寄生虫とか
黙らせることができる人はほんの一握り、オグリのお陰でそういった陰口はないけれども
トレーナー業を嫌いになる前に去るのは、俺にとって大きなメリットだ」
「ウマ娘を最後まで好きでいてくれるんだな
わかった、その時は私も引き止めない
共に去ろう、トレーナー」
「いや、君にはもう少し走ってもらいたいんだけどね?
ファンを泣かせるにはまだ早い」
俺の意思表明を聞いてオグリは頷いてくれた。
良かった、強引にでも続けてくれと言われても、頷けるか自信なかった。
…オグリが俺の生涯現役を望むのなら、それはそれで頑張っていたかもしれないか。
その動力源は、いまいち言葉にはしづらい。
話は終わりかと。オグリを寮へ帰らせるべく声をかけると、彼女はまだこちらを真っ直ぐに見つめていた。
瞼がゆっくりと下ろされていく。静かに眠っているかのようだった。
「キミと出会って、3年経つな
私もまだ走れる、キミが望む走りを見せてみせる」
変わらない決意だった。彼女に夢を抱く者たちへ大きく手を振ってみせた、あの日と変わらない約束を。
「だが、それだけでは足りないな
いつかは私は、大勢の中に埋もれてしまう
それが歴史なのか他人なのかは分からない…いつかは一人になる
もしかしたら、転んで怪我をして…全てを委ねて、その場を去るかもしれない」
もしかしたらこの先。
君は最後まで幸せだっただろうか。そんな質問すらできずにお別れになってしまう未来もありえる。
オグリは俺の手を取って微笑んだ。
「私に去っていく人を引き留める力はない
ならば…走って掴むしかないだろう、トレーナー」
その表情は、レースで風を切り、大地を抉る。何も変わりはしない、俺が憧れるオグリの笑顔だった。
オグリは続ける。引き留めるのではなく、欲しい物を掴む言葉を。
「トレーナー
私に毎日、お味噌汁を作ってくれ」
「…
………うん?」
お味噌汁…って。
真顔で、至極真剣な顔をして、オグリに盛大に告白されてしまった。遠回しな決め台詞。
…さっきの、夕飯に言いたかった台詞だろ、それ。
もうお味噌汁はないんです。もうちょっと言葉、選んでくれても良かったんじゃない?
しかし俺の呆れた顔など意に介さず、オグリはなぜか俺の手を両手で握ってブンブンと振ってくる。その尻尾と同じくらいに。
「うんと言ったな? 今うん、と!?
本当か、一緒にいてくれるのか? 故郷の皆に報告していいか!?
信じていいんだな、トレーナー!」
「掛かりすぎッ!」
「ち、違うのか…?
私の早とちりだったか? すまない
やはり…はは、私は駄目だな」
「…駄目じゃない
作るよ、毎日…君の為なら作れる
残さずちゃんと食べてくれよ」
「…っ よし」
ウマ娘とトレーナーって…まあ引退後はくっつく人多いけど、オグリがそれに当てはまるとは。
いや、そもそも…本当にご飯を毎日作ってくれという希望だけなのかもしれない。
オグリは握り拳を一つ、夜空へ向けて掲げている…まあ、仮にも告白が成功したら喜びはしゃぐのは分かる。
…でも、保留かな、これはちょっとずるいと思う。
本当にそうなるのなら…俺から告白したいし。オグリの引退後にはちゃんと自分の将来の道を見定めてほしい。
だから嬉しさ半分、彼女よりも年上な俺が冷静に受け止めよう。急ぐ必要はないのだから。
「沢山話したいことが残っているけれど…今日はもうお開きにしよう」
「そ、そうだな…明日も鍛錬が待っている、夜更かしはできないな…
この迸る熱が冷めるか自信がないが…
あ、明日も…トレーナー 私と共にいてくれるか?」
「いつもと変わらずに
いや、今日以上に君と一緒にいるよ
明日はお弁当作るから、是非食べてくれ、オグリ
「あ、ああ…!
今日はありがとう、トレーナー
おやすみ、良い夢を」
興奮は夜の静けさが宥めてくれる。このような話、他の人に聞かれたら一大事だ。
オグリは暗い寮の玄関のドアを開き、手を振って別れるとする。明日からほんの少しいつもと違う日々が始まる。
愛おしさを誤魔化すのに苦労しそうだ。そう苦笑して寮の前を後にした。
「トレーナー」
名残惜しさからか。いや、そうではなかった。
振り向けばオグリがこちらに走っている。すぐさま距離は縮まり手を掴まれた。
オグリの慌てた顔が見上げてくる。
「どうしたんだ…オグリ
まだ…何か言いたいことが?」
「言いたいこと…いや、ただの…確認なんだ」
「ん?」
また恥ずかしくなるような告白をされでもしたら、どうしようか。
オグリだからありえる。そう思い身構えていた。
「ま、毎日…」
「え?」
「毎日作ってほしいとは言ったが…言葉通りではなくてだな
いや…言葉通りなのか…?」
…やはり、オグリは飾らない、素朴な言葉が似合う。
「その、毎日…食事を一緒にするほど傍にいて
引退してもそれが一生続く…そんな毎日がいい
私と毎日、一緒にいてほしいんだ」
「…」
「私の気持ち、ちゃんと伝わっていただろうか…?」
「…うん」
「本当か? 本当に私の嫁になってくれるんだな?」
「トレーナー廃業したら私の嫁にはなれないだろ?」
「わ、私の嫁というのも…言葉通りでなくてだな!
やはりちゃんと伝わっていないんじゃないか!?
トレーナー、私はキミのことを――」
「愛してる、オグリ
お嫁さんになっても、君にお味噌汁を作る」
ちゃんと伝わっている。
もう君の嫁でも構わない。ちゃんと伝わってくれるのなら。
君の夢見る未来を共に生きよう。君の好きなものを作るから、沢山食べてほしい。
君が風邪をひけば寂しくないように、貴方が元気になるまで傍にいよう。
オグリキャップ。君が疲れてもう歩けないというのなら、涙を拭いて貴方を見守り続けるよ。
君の不器用な言葉に負けないくらい、精一杯の気持ちを届けにいくから。