転生ハインケルの騎士道   作:クラウンドッグ

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2話!
本当はここまでを第1話として投稿するつもりでした。が、間違って投稿しちゃったので分割しました。
文字数的にも分割してよかったのかなと言う感覚。


ハインケル・アストレア

ラインハルトと一応の和解を果たした翌日、ハインケルはマーコスの執務室に来ていた。

 

マーコス・ギルダーク。ルグニカ親竜王国近衛騎士団団長で、『巌』の異名を持つ王国最強戦力の一角。

 

 

「ハインケルか。…ふん、昨日は練兵場に来たと思えば息子にのされて帰ったらしいな?」

 

 

「入るぞ」と言って入室した矢先、マーコスの舌鋒がハインケルを貫いた。どうにも彼らしい友情の図り方だ。

 

 

「耳が早いこった」

 

 

肩を竦めて、執務室内を眺めながらマーコスの前にまで歩いて行く。

 

 

「相変わらず質素な部屋だなぁオイ。団長様が贅沢しねぇと下が遊びにくいだろ」

 

 

「質実剛健なる騎士の規範となるようにしているだけだ」

 

 

互いの軽口に笑みを交換して───

 

ハインケルは剣を抜くとそのままマーコスに切り掛かった。

 

 

 

「───何のつもりだ?」

 

 

しかし、その斬撃はマーコスの腕によって止められていた。しかもただの腕ではなく、岩の腕に。

岩の巨人への変身───それがマーコスの『巌』と呼ばれる由縁だ。

 

 

「ハッ! さすがは近衛騎士団団長サマだ。 なぁに、単なる確認さ。……この国はお前に任せておけば大丈夫だな」

 

 

ハインケルが剣を引くとマーコスもまた岩の巨人の力を解除した。

そして座ったまま目を細めて、

 

 

「変わったな、ハインケル。……元のお前に近いが、少し違うようにも見える。 何があった?」

 

 

「息子にのされて生まれ変わった…ってとこだな」

 

 

ハインケルの答えに「ふん」とマーコスは鼻を鳴らした。信じる気はないらしい。

ハインケルも生まれ変わった…『俺』が目覚めたのはラインハルトにのされる前なので嘘だったのはそうだが。

 

「それで、俺に任せておけば……というのはなんだ」

 

「そいつはそのままの意味だ、マーコス。 お前がいれば、無駄飯喰らいのお飾りの副団長がいなくても王国の守護は務まる。……ここ2年もそうだっただろ」

 

「王国を離れるつもりか」

 

 

マーコスの理解は早い。ハインケルは王都──場合によっては王国から離れるつもりでいた。

今日、マーコスの執務室に来たのもその話をするためだ。

 

 

「場合によってはな。……ま、別に王国に仇なすつもりはねえ。 ちょいと親父を捜そうと思ってな」

 

「ヴィルヘルム殿を? 本当にどんな心境の変化だ」

 

 

ハインケルは王都を離れ父親を、ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアを捜索するつもりでいた。

2年前、妻を白鯨によって亡くしたヴィルヘルムは仇討ちのために白鯨を追ってアストレア家を出奔した。

当時近衛騎士団団長だったヴィルヘルムが出奔した事で騎士団は瓦解しかけたが、それを立て直したのがマーコスという経緯もある。

 

「言ったろ、生まれ変わったんだよ」

 

 

そんな真実を冗談めかして言うと、マーコスは嘆息した。

 

 

「ひとまずわかった。 それでお前は騎士団を辞めるという事だな」

 

「そうだ。俺が抜けても何の痛手もねえだろう」

 

「…皮肉なものだな。数年前、騎士団を抜けた俺を説得しに来たお前が、今度は騎士団を辞めるつもりとは」

 

「そんな事もあったな」

 

 

ハインケルが返事をするとマーコスは腕を組んで瞑目した。どうやらハインケルの処遇をどうするか決めているらしい。

 

たっぷり30秒ほど唸ったところで、

 

 

「わかった、お前がヴィルヘルム殿を追う事を認めよう。 ただし、副団長職は休職扱いとする」

 

 

マーコスが下した決断はハインケルにとって好条件のものだった。

例えヴィルヘルムと会って目的を果たして、王都に戻って来ても職がないのではまずすぎる。しかしそれをおしてもヴィルヘルムを追うと決めたから副団長の座を辞する覚悟でこの場に来たのだ。

 

それなのに、拍子抜けというべき結果だ。

 

 

「理由はいくつかある。まずお前がいてもいなくても同じというのは俺とお前で共通の見解だな、ハインケル?」

 

「…いてもいなくても同じだから、いなくても副団長でいいってか?」

 

 

そんな理論が、どうして通る。

 

 

「そうだ。事実、ここ2年はそうだったろう」

 

そう言われるとハインケルとしては反論できない。ここ2年、ハインケルは副団長としての仕事をまったくせずに酒に溺れていたのだ。

 

 

「それに加え、そんなお前を副団長に据えていた王国の意図もある」

 

 

「……そうだったな」

 

 

きっとこっちが本命なのだろう。

ルグニカ王国は剣鬼ヴィルヘルムを父とし、剣聖ラインハルトを子とするハインケルを重要職に就けねばならなかった。

なぜなら、ハインケルが叛意を抱けばヴィルヘルムやラインハルトのような英雄すらルグニカ王国に牙を剥きかねないからだ。

 

それが杞憂だとしても、不安の芽を出来るだけ育てたくはなかったのだ。

 

 

「それに加えてもう1点の理由があり、以上3点の理由からお前には騎士団副団長でいてもらう」

 

 

「もう1点の理由ってなんだよ」

 

 

ハインケルがため息がちにマーコスが黙した3点目の理由を聞き出す。

その前の2点で腹一杯なのに、最後にダメ押しとは念入りな事だ。

 

マーコスはハインケルを正面から見据え、目を合わせて言う。

 

 

「俺がお前を信じているからだ」

 

 

なんの、てらいもなく。

兄弟子マーコス・ギルダークは言ってのけた。

 

 

 

そうしてハインケルは近衛騎士団副団長職を休職し、ヴィルヘルムを捜す旅に出る事になった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

その後、ハインケルは挨拶回りもほどほどに王都を出る事にした。

ラインハルトら家族には昨夜の内にヴィルヘルム捜索の旅に出る旨は話していた。

 

ラインハルトは寂しげな表情ひとつ見せずに送り出してくれた。

まだ甘えたい年齢のはずなのに、父の意向を汲んでそうしてくれたのだ。

我が子を笑顔に出来ずして、どうして家族の関係を修復できよう…と笑われてしまうかもしれないが、それでもヴィルヘルムには会わなければならない気がした。

 

ハインケル・アストレアが前に進むために。

 

 

 

 

 

 

 

一年、鈍った腕を鍛え直し、

 

 

二年、肉体と剣技を磨き上げ、

 

 

三年、父母を思い返す。

 

 

 

 

 

 

 

そうして、三年と少しが経った頃。

 

ピックタットの街でヴィルヘルムと再会した。

 

 

「親父………」

 

「ハインケル、か……?」

 

 

 

5年ぶりに見た父は端的に言ってボロボロだった。

服は薄汚れ黴臭く、精悍だった顔つきもやつれ、白髪が増えているように見える。体格もひと回り小さくなっているようだった。

しかし、その身に纏う雰囲気はハインケルが知っているヴィルヘルムのそれより研ぎ澄まされていた。

ハインケルの知るヴィルヘルムは強く逞しく折れぬ剣であった。しかし今のヴィルヘルムは例え刺し違えても叩っ斬るといった風体。

あるいは『剣鬼恋歌』に登場する剣鬼とはこのような男だったのかもしれない。

 

 

「探したぞ、親父。 まさか旧姓で通してるとはな。通りで見つからないわけだ」

 

 

「探しただと……? お前が今さら俺に何の用だ」

 

 

ヴィルヘルムの態度は刺々しい。当然の話だ、テレシアを死地に送り込んだのはハインケルなのだから。

 

 

「用は…その、いくつかあって………」

 

 

「すまないが俺は急ぐ」

 

 

ハインケルから視線を逸らすとヴィルヘルムはその横を通り過ぎた。

ハインケルが短く声を漏らす。しかしそれだけで終わっていいわけがない。

 

 

「待ってくれ! 頼むよ…親父……!」

 

 

ハインケルは通り過ぎたヴィルヘルムの腕を掴むと懇願するように言った。そんなハインケルにヴィルヘルムは困ったように眦を上げ、ため息をつく。

 

 

「少しだけだぞ」

 

 

 

それからハインケルとヴィルヘルムの2人はピックタットの街を離れて街道沿いにある野営地跡に来ていた。

ハインケルの用件が込み入ったものである事はヴィルヘルムも承知であったし、ならば人目につかない場所が良い。しかしピックタットは栄えている都市だから人目がない場所もない。宿で話す案も薄汚れた2人組の男が訪ねても迷惑だろうということで却下され、街道まで出たのだ。

 

 

野営地跡にどっかりと腰を下ろしたヴィルヘルムは「それで話とはなんだ」と早速用件を訊ねた。

 

あまりにも単刀直入な話の振り方にこれが剣鬼の切れ味か、などと『俺』は場違いな感慨を抱く。

 

 

しかしハインケルにとっては好都合だ。あまり時間をかけると覚悟が鈍るかもしれない。だからすぐに地面に額を擦り付けて、

 

 

「すまなかった、親父……母上の事」

 

 

謝罪を耳にしたヴィルヘルムは弾かれたように立ち上がりハインケルの胸ぐらを掴んで立たせると、そのまま殴り飛ばした。

 

老いてなお健在な剣鬼の拳は強烈な威力を伴ってハインケルをぶっ飛ばした。軽く10m程度は飛び、意識さえ飛びかけたハインケルにヴィルヘルムは怒りの形相で詰め寄った。

 

 

「ふざけるな! 馬鹿野郎っ!!」

 

 

 

“ふざけるな” なんて正しい評価だろうか。

 

そりゃそうだ。今さらハインケルが謝った所で何にもならない。 この謝罪はただハインケルが赦してもらうためだけの自己満足だ。

 

しかしそれは、母殺しの罪をハインケルが背負った事のなによりの証左でもあった。

 

 

「…全部、俺が悪い。 だから親父……」

 

 

再度胸ぐらを掴まれ、揺すられながら罵声が降りかかる。朦朧とする意識の中で、これだけは言わなければならないという事を、なんとか搾り出そうとした。

 

 

「───ラインハルトを、責めないで…やって、くれ………」

 

 

それだけ言うとハインケルの意識は遠ざかっていく。

 

 

「お前、は……お前が……ッ! ハインケル…! この…馬鹿野郎が……ッ!」

 

 

その“馬鹿野郎”はさっきのそれと違う気がして、老いて細くなったヴィルヘルムの瞳になにか光るものが見えて─────

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

それは軽やかに、鋭く風を切る音。

それは厳かに、荒々しく風を断つ音。

 

名剣が日光を反射しながら踊る。縦横無尽に風を裂いて、剣鬼の手で踊る。

 

 

 

「……目が覚めたか」

 

 

ヴィルヘルムは名剣アストレアを鞘に戻すとハインケルに振り返って言った。

 

 

「…俺はどのくらい?」

 

 

「1時間といったところだ。 応急だが手当はしておいた。お前の道具を使ったが、悪く思うな」

 

 

確認すると殴られた頬には確かに手当てした跡があった。さすが以前は前線に立っていただけはあり、処置は適切だった。

 

 

「相変わらず良い剣だ。大切に扱っているようだな」

 

 

そう言ってヴィルヘルムは名剣アストレアをハインケルに手渡す。

己の手に戻った剣を眺め、ハインケルは思った。

やはりこの剣はヴィルヘルムの元にあるべきではないかと。

 

アストレアの家名を有するこの名剣は、ハインケルの祖父であるベルトール・アストレアからヴィルヘルムに与えられたものだ。 それを今はヴィルヘルムからハインケルが受け継いでいる。

 

正直、ハインケルの手にあるにはもったいないほどの名剣だ。

 

 

「いや……やはりこの剣は親父が……」

 

受け取ったその手で、ヴィルヘルムに名剣アストレアを差し出す。

 

視線が交わり、しばらくの後、ヴィルヘルムは簡潔に言う。

 

 

「その剣はお前が持っていろ」

 

 

きっとこの一瞬に色々な事がヴィルヘルムの内側で駆け巡ったはずだ。それを押し殺して沈鬱な声音での返答だった。

ハインケルもまたそれに「わかった」と短く応えた。

 

 

沈黙が木霊する。いつの間にか熾されていた焚き火のぱちぱちという音だけがやけに響いている。

 

────空の青さが胸に突き刺さった。

ラインハルトに見守られているような気がして、だからハインケルは弱くあれない。

 

 

「親父……その、さっきも言った……言えたと思うけど、母上のことでラインハルトを責めないでやってほしいんだ」

 

 

言った。言ってやった。さっき…気を失う前にも言えたはずだが、朦朧とした中で言うのとはっきり覚醒している状態で言うのとでは言葉の重みがまるで違う。

 

それを言ったハインケルも同じもの味わっている。

言った達成感、返される言葉への恐怖など。腹の中に重たいものを感じる。目が回りそうなほど自分の中で思考が渦巻いているのがわかった。

二の句は継げない。否、継ぐ必要はない。ハインケルが伝えたい事はすべて先程の言葉に込められていた。

 

そうして、待つ。ヴィルヘルムの返答を。

 

1秒、10秒、あるいは1分か。それはとても長く感じられた。

 

 

 

「────ああ、わかっている。 元よりあの子…ラインハルトが責められる理由はない」

 

 

ヴィルヘルムの返答次第では、“次はどんな言葉で説得しよう”なんて色んな事が思い浮かんでは消えていったが、そんな心配は杞憂だったと言わんばかりにヴィルヘルムの応えはあっさりとしていた。

 

 

「むしろ責められるべきは俺の方だ。 肝心な時にテレシアの側にいてやれず、己の無力を棚に上げ孫を詰るなど………」

 

 

「それは……ッ」

 

 

“違う”なんて軽々しく言えなかった。その点だけを見れば確かにヴィルヘルムが責められるべきだろう。

しかし、その頃ヴィルヘルムは失踪した王族の捜索という別命を帯びていたし、何よりテレシアを討伐隊に推薦したのはハインケル─────すなわち、すべての原因はハインケルにあるのだ。

 

 

「それは………俺が、悪いんだ。俺が母さんを推薦なんてしたから……ッ」

 

 

“母さん”と呼んで、在りし日の母の姿が記憶を駆け巡っていく。

ハインケルを愛した母。夫と愛し合っていた母。孫を可愛がっていた母。

そんな母の姿を思い描くと罪悪感で胸が張り裂けそうになる。

 

テレシアとヴィルヘルムはこれ以上ないほど愛し合っていた。絵本に出てくる王子様とお姫様のように。相思相愛のおしどり夫婦だった。

 

子供のハインケルから見てもわかったものだ。きっとこの2人は互いに一番好きあっているんだと、父は母を、母は父を。それなら自分は2人の2番目でいい─────ハインケルの思い出にはそう残っていた。

 

 

それを壊したのはハインケルだ。

 

だからハインケルはヴィルヘルムに何を言われても、何をされても仕方ないと。そう思ってここまでやって来たのだ。

 

 

「────そうだな。テレシアが死んだ一因はお前にある」

 

 

「───ッ」

 

 

どうして息を飲んだ。都合良く許されるとでも思っていたのか。自分に言い聞かせる。

 

ヴィルヘルムの言葉で罪悪感がいっそう増した。

 

 

「お前が命令のまま討伐隊に参加していたら、テレシアは死ぬ事はなかっただろう」

 

 

そうだ。その通りだ。ヴィルヘルムの言う通りだ。

もしハインケルが母を推薦せず、自らが白鯨討伐に参加していたら、テレシアが死ぬ事はなかった。今もきっと屋敷でヴィルヘルムと幸せに暮らしていたはずだ。

 

 

「だがその場合、俺とテレシアは最愛の息子を失う事になっていただろう」

 

 

「──親、父…?」

 

 

ヴィルヘルムが何を言ったのか理解できなかった。“最愛の息子”────そう言ったのか? ハインケルのような出来損ないを、最愛の息子と。

 

 

「これは俺の勝手な想像だが……もしお前と自分、どちらかが死ぬしかないならあいつは迷わず自分を選ぶ─────テレシアはそんな母だったはずだ」

 

 

「そんな…ッ! そんなの嘘だ! 母さんは生きて親父のところに帰るつもりだったはずだ!」

 

 

「白鯨がそこまで易い相手ではなかったというだけの話だ」

 

 

ヴィルヘルムはハインケルから視線を外していて、焚き火の炎を見つめていた。ゆらめく炎にハインケルはラインハルトを幻視するが、ヴィルヘルムはきっと妻を見ているのだろう。

 

あまりに淡々とヴィルヘルムが語るものだから、ハインケルの中で渦巻いていたあらゆるものが吹き飛んだ。いや、虚無という孔に吸い込まれて消えたような心地だった。

 

 

「それだけの話って………そんな………、そんなッ!言葉で…親父は納得できんのかよッ!」

 

 

 

 

「納得できるわけがないだろうッ!!」

 

 

 

それまでの静謐が嘘のような怒声がヴィルヘルムから発せられた。それに貫かれたハインケルは体を跳ねさせて硬直するしかない。

 

 

「──妻が死んだ! その原因は息子にあるだと!? 孫が一因を担った!? それを命令したのは仕えていた国だと!? ─────納得など、できるわけがない!」

 

 

烈火と。そう呼ぶに相応しい憤怒だった。

きっとその炎を鎮めるには仇である白鯨を討つしかないのだろうと、ハインケルは悟った。

 

「だが、この5年で何とか折り合いはつけた」

 

 

烈火がなりを潜めた。しかしそれは決して鎮火したからではなく、内側で燃え盛り、煮え滾っているのだと理解できる。

 

 

「白鯨を追って5年。──5年だ。 考える時間はあった」

 

 

そこでヴィルヘルムは体ごと向き直ってハインケルを見た。

 

 

「お前も、俺と同じように妻を愛していただけだったんだな……ハインケル」

 

 

その言葉はハインケルを直撃した。決意を揺らし、覚悟を砕き、ハインケルという人間性を根こそぎ肯定した。

 

次の瞬間、ハインケルひ滂沱と涙を流していた。

 

 

「ごめんッ!ごめんなさい…父さん……ッ! 俺、俺……まさか剣聖が……ッ、母さんが負けるなんて思ってなくて……!」

 

 

「ああ、わかっている」

 

 

恥も外聞もなく、泣いて、泣き叫ぶ息子の言葉にゆっくりと首肯するヴィルヘルム。

 

ハインケルは剣聖になりたかった。

英雄だった母と、そんな母に勝って剣を奪った父が誇れるような息子になりたかった。

 

────剣聖という称号は、憧れの象徴だった。

 

 

だからがんばったし、届かなくて悔しかった。

でも、これだけがんばって届かないのだから、剣聖というのは、きっと想像を絶するくらいすごいのだと思っていた。

 

だから、そんな剣聖なら白鯨だって打ち倒せると思って母を推薦した。 王国も本腰を入れた大征伐なのだから、失敗なんてするはずないと。

 

 

 

 

 

やがて、泣き止んだハインケルはぽつぽつと語り出した。

 

 

「俺は…ルアンナが大切だった。 ルアンナを目覚めさせて、ラインハルトと再会させてやりたかった。ラインハルトに母親からの愛情をもっと受けてほしかった」

 

 

なのに、世界は優しくなかった。

 

王国は白鯨討伐のための部隊を結集し、ハインケルにも参加要請を出した。

 

しかし自分が強くない事を知っているハインケルは、白鯨と戦えば死ぬと理解していた。 今ここで自分が斃れれば、誰がルアンナを『眠り姫』から解放してやれる? ハインケルは死ぬわけにはいかなかった。

だから自分が届かない剣聖の座に君臨するテレシアを推薦したのだ。

 

 

「妻を愛する気持ちは良くわかる。…息子を愛する気持ちもな」

 

 

話を聞いて相槌を打つヴィルヘルムの言葉にまた泣きそうになる。

 

そうして話し終えたハインケルは、ヴィルヘルムの言葉を待った。

 

 

 

「───俺はお前を許さない」

 

 

当然の結論だった。いくらハインケルに事情があろうと、テレシアを死地に送り込んだのはハインケルに違いない。

 

 

「───だが、それは憎むわけではない」

 

 

ヴィルヘルムの声音は終始穏やかであった。まさしく父親が息子に投げかけるような───いや、正しく父親が息子に諭しているのだ。

 

 

「お前はテレシアを、母を殺した罪を背負って生きろ。 それで折れる事も許さん」

 

 

すでにハインケル・アストレアはボロボロだ。ルアンナを『眠り姫』から救い出せず、憧れだった剣聖には自分の順番を飛ばして息子がなる始末。それに加えて母殺しの罪まで背負えとは。

 

いや、その決意はすでに3年前にしている。『俺』がハインケルとして目覚めたあの日に。

 

 

「それは俺に生きて戦えと言うのか、親父」

 

 

「そうだ、ハインケル。 妻を救え。腕を磨け。剣聖となれ」

 

 

無茶を言う。すでに『剣聖の加護』はテレシアからハインケルを経由せずラインハルトに移っている。 あの、破格の才能を持つ息子に。

そんなラインハルトを霞ませるほどに努力せよとヴィルヘルムは言っているのだ。

 

 

「──戦え。 戦うと、抗うと、己にそう定めたのであれば、全身全霊で戦え。一瞬も、一秒も、刹那すらも諦めず、見据えた勝利という一点に貪欲に喰らいつけ。妥協などしてはならない、あってはならない。まだ立てるのならば、まだ指が動くのならば、まだ牙が折れていないのであれば、立て、立て、立て、立て、戦え。──戦え」

 

 

そんな不退転の激励を受け、親子の会話はひとまずの終着を迎えたのだった。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

ヴィルヘルムからの熱い激励を受けてからしばらく経って。空も少しだけ赤みがかってきた頃合だった。

 

 

「それで、他に何か用があるんじゃないのか?」

 

 

ヴィルヘルムがハインケルに向かってそう問いかけたのだ。

そう、ハインケルにはヴィルヘルムにもうひとつ用件があった。

 

もちろん先程の謝罪と関係の修復が本題ではあったのだが、こちらもハインケルにとって大事な用件だった。

 

 

「その…親父に聞きたい事があって……」

 

 

「聞きたい事だと?」

 

 

聞きたい事、教えてもらいたい事と言い換えてもいい。

 

 

「何て言うか……、親父はどうやって母上に勝ったんだ?」

 

 

『剣鬼恋歌』に歌われる剣鬼と剣聖の最終章。

内戦を終結させた英雄として剣聖テレシア・ヴァン・アストレアを讃える式典に現れた剣鬼。

彼は姿を隠していた間に腕を磨き、ついには剣聖に勝利してしまう。

“俺より弱いお前に剣を持つ理由はない”というのはあまりにも有名なセリフだ。

 

 

「どうやって、とは?」

 

 

ヴィルヘルム・ヴァン・アストレア───否、当時まだヴィルヘルム・トリアスだった彼はすでに剣鬼の異名を冠していた。姿を消す前のトリアス領で挙げた首級は200にものぼると言う。

当時すでに人域の限界に踏み込んでいたヴィルヘルムは如何にして限界を超越したのか。

 

いったいどういう方法で、剣聖テレシアに剣を捨てさせるほどの腕前に至ったのか。

 

そんな旨を伝えたが、

 

 

「努力あるのみ、だ」

 

 

と、ヴィルヘルムから帰ってきたのはそんな答えだった。

 

ヴィルヘルムは“人生を剣に捧げろ”と言うが、すでにハインケルは当時のヴィルヘルムの年齢を超えているし、その間剣に時間を捧げた。愛を知らないわけでもなく、内戦ほどの規模ではないが実戦も経験している。

いったい何がヴィルヘルムと違うのか────

 

……才能などと言われたらどうしようもないが。

 

 

 

「思い悩む暇があるなら剣を取れ、ハインケル」

 

 

難しい顔をするハインケルを見てヴィルヘルムは立ち上がる。その手には剣が握られていた。

 

 

「親父……?」

 

 

その意図を図りかね、思わず見上げるとヴィルヘルムは剣を鞘から抜き放ちハインケルに突きつけた。

 

 

「久々に稽古をつけてやる」

 

 

そんな唐突な、剣鬼らしい鮮やかな切り口でハインケルとヴィルヘルムの実剣を使った模擬戦は行われる事になったのだった。

 

20m程距離をとって向かい合う。

ハインケルの手には名剣アストレア、ヴィルヘルムの手には無銘の剣、それぞれの刃が光っている。

 

ヴィルヘルムと対峙しただけでハインケルは気圧される心持ちだった。

父を探して3年、荒事には事欠かなかったが、やはりヴィルヘルムはそこらの野盗とは格が違う。

 

実際に剣を持つ姿を見るだけでわかる。圧倒的な強者だと。 これほどの圧を感じたのは、それこそ旅に出る前にラインハルトと立ち会った時以来だ。

……この場合、ラインハルトを褒めるべきなのだろう、と思考を隅に追いやった。

 

 

 

薪を失った焚き火の炎が消え去る。

 

 

────それが合図だった。

 

 

 

疾駆。

両者の姿が沈み、地を這うようにして駆ける。

 

まるで影と見紛う速度で肉薄した2人はその中央で剣を打ちつけ合った。

 

 

鍔迫り合い、鎬を削り、視線が交錯する。

 

 

刹那、ヴィルヘルムの剣の切っ先が翻ると刺突が放たれた。 それを首をひねって避けると続く横薙ぎの一閃を膝を曲げて躱す。

 

膝を伸ばす勢いで切り上げ。ヴィルヘルムは身を反らして避けるとそのままバク転で距離を取った。

 

ヴィルヘルムは目を瞬かせた。今の攻防は自分の知っているハインケルの剣術ではなかった。

 

 

今度はハインケルから攻める。大きい踏み込みから唐竹割りの一撃が繰り出される。ヴィルヘルムはそれを踏み込みながら半回転する事で避け、同じく弧を描いた刃が横合いからハインケルを襲う。

 

一瞬の迷いもなくハインケルは再度踏み込んだ。それによりヴィルヘルムの刃圏から逃れ、同時にヴィルヘルムと背中合わせのような体勢になる。

 

振り返り様に斬撃を叩き込む──そんな思考はハインケルとヴィルヘルムで共通していたようで鉄と鉄がぶつかり合って火花を散らした。

 

弾かれたように距離を取って仕切り直しだ。

 

 

「…なかなかやるようになった」

 

 

「老齢の親父を圧倒できないようじゃまだまださ」

 

 

ヴィルヘルムの賛辞をハインケルは軽口で受け流す。そんな褒め言葉はこの模擬戦が終わってからでいい。

 

 

「いくぞ、親父!」

 

 

「こいっ!ハインケル!」

 

 

剣舞、再演。

 

 

一瞬の油断が命取り。実戦さながらなんてものではなく、ひとつの斬撃で心臓を交換し合うようなやり取りが何合と続く。

 

 

また両者の距離が離れ、ほんの僅かに息を整える時間だ。

 

 

「はっ…はっ…」

 

 

刃を交わす緊張感に汗さえ流れ出る事を拒否していた。それがこの瞬間に一気に噴き出た。

 

 

“勝てない”

そう思った。ヴィルヘルムと剣を交わして出た結論だった。

 

“このままじゃ、勝てない”

 

 

「はぁ……ふぅー」

 

呼吸を整えた。眼前の剣鬼を見据える。老いてなお健在を思わせるヴィルヘルムだが、おそらく全盛期より数段は剣力を落としているのだろう。

そんなヴィルヘルムと脂の乗った年頃であるハインケルが互角……否、今でこそ拮抗しているが、それはハインケルが実力以上のものを発揮できているからだ。どうやらさっきのヴィルヘルムの激励が効いているらしい。

 

 

テレシア・ヴァン・アストレアの姿を脳裏に思い浮かべた。

 

 

「そろそろ日暮れだ。 次のやり取りで最後になるだろう」

 

 

ヴィルヘルムの言葉に日が沈みかけているのを初めて理解した。 自らの集中力に「は」とハインケルは息を漏らして笑む。

 

 

「わかった。 ……いくぞ、親父」

 

 

「ああ、こい…ハインケル」

 

 

駆けた。

すでに体力も限界が近く、きっと最初より力も速度も出ないだろう。 それなのに、何故だろう体がこんなにも軽い。

 

 

ヴィルヘルムに肉薄した。迫る刺突を跳躍で躱し、刃を踏みつけヴィルヘルムの体勢を崩す。次いで蹴りが強かに父親の横面を弾き飛ばした。

 

たたらを踏んだヴィルヘルムに追撃する。ヒュンヒュンと軽やかに名剣アストレアが斬撃を刻み込む。

 

 

「──これ、は…ッ」

 

 

ヴィルヘルムには見覚えがあった。

柔らかい剣技と必殺の剣閃。テレシアのものだ。

 

記憶にあるそれより数段劣るが、それはまさしくテレシアの剣術だった。

 

 

絶死の斬撃が迫ったヴィルヘルムは、

 

 

「ぢ、ぃぃいああああ!」

 

 

その切っ先を力で押し返す。軽やかに舞っていた刃が空を切り裂く。

 

力任せに弾かれた剣につられてハインケルの体勢も崩れた。 ヴィルヘルムも力だけで対抗したせいか万全の体勢ではないが、ハインケルよりはマシだ。

 

死に体のハインケルに剣を叩き込んで終わり。そう考えて───油断がなかったとは言えない。

 

ハインケルの閃光のような剣技。テレシアの軽やかな剣舞。そのいずれであってももはや届かない。

 

 

だったら。

 

 

「るるるるるあああああ!!」

 

 

────古い鏡を見せられた気分だ。

 

 

 

ハインケルの叫びにヴィルヘルムの心は震わされた。感動したと言ってもいい。

 

 

「────ハインケル」

 

 

ハインケルに己の若き日を思い描いたヴィルヘルムの剣はわずかに精彩を欠いた。それはほんのわずかな欠落だったが、この場においては戦局を左右しかねないものになった。

 

剣が交錯する。力と力がぶつかる。名剣アストレアがナマクラの切っ先を強かに打ちつけ、ヴィルヘルムの手から剣が弾き飛ばされた。

返す刃を突きつけて勝利──────

 

 

────なんて事は、ありえなかった。

 

 

ハインケルはヴィルヘルムの手から剣を弾き飛ばした体勢のまま後ろに倒れたのだ。

 

 

 

ヴィルヘルムに体勢を崩された時、ハインケルは有りうべからざる鋭さをもって切り返していた。それはまさしくヴィルヘルムの鋭さだ。その前はテレシアの軽やかな剣術でもって対抗した。

 

それら2つは本来、ハインケルにはない実力だ。

 

ヴィルヘルムを捜して3年目、己の剣に先が無い事を悟ったハインケルは父母の姿を思い描き、その剣技の模倣に苦心した。

 

その結果が先程の劣化再現である。

 

 

この再現はヴィルヘルムとテレシアを自己の内面に宿すという事に他ならない。 閃光のような──と比喩されるハインケル用に出来上がっている肉体ではその2人の剣技再現には多大な負担が強いられる。

 

倒れたのはそのためだった。ハインケルの肉体がヴィルヘルムとテレシアの剣技を再現する負担に耐えられなかったわけだ。

 

 

 

「──情けない」

 

 

倒れたハインケルを見下ろすヴィルヘルムの視線は言葉に反して穏やかだった。

ヴィルヘルムはハインケルの隣にどっかりと腰を下ろすと、

 

「引き分けだ、ハインケル」

 

そう言った。

“引き分け”──あの剣鬼ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアと。

それはこの上ない光栄のように思えて。

 

 

「歳を食った俺と引き分けるとは、情けない」

 

 

しかし、続くヴィルヘルムの言葉に苦笑する。

 

確かに──子は父を越えるもの。

それが未だ果たせないのはこの身の不甲斐なさゆえだ。その理由を父に求めるのはさすがに恥というものだった。

 

 

「しかし、終盤の気迫は中々だった。……これからも励め」

 

 

「──ああ」

 

 

なんとも息子の感情を揺さぶるのが上手い父親だ。嬉しくて涙がちょちょ切れそうになる。

 

終盤の気迫…というのは、ハインケルが“このままじゃ勝てない”と考えて肉体の使い方を切り替えた後の事だろう。

父母の剣技の再現。肉体を限界まで酷使して繰り出された決死の剣技。

 

きっとあれらを融合する事ができればハインケルも剣士として特別な域に入れるのだろう。 しかしあくまで再現だけがハインケルの才能の限界だと感じていた。

もっと上手く再現できるようにはなるはずだ。だけどそれらを融合させるなんてのは無理だ。

───なんて、諦めはしないけれど。

 

父に“戦え”と言われた。“立て”と。

だから諦めるなんてとんでもない。

 

やってやろう。誰でもなかったハインケルが新しい自分(『俺』)を手に入れたんだ。

 

始めよう。ハインケルが『ハインケル・アストレア』として生きる物語を。




テレシアの剣技を“軽やかな”と表したのは、原作5章を読んでの印象です。しかし剣鬼恋歌とかだと“閃光のような”という評価が正しいような。
弱敵相手と強敵相手で使い分けてるというイメージで描きました。

ハインケルが謝ってヴィルヘルムが許すか、という問題については
許さないけど許す、みたいな展開にしました。

ヴィルヘルムはリゼロでも指折りで好きなキャラクターなのですが、いまいちキャラクター性の全容が掴めないというか…
解釈違いの方がいたらごめんなさいね。
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