――――
あげ先生主催のバレンタイン合同企画「#愛がチョコ馬場」参加作品です。
あげ先生アカウント
pixiv:https://www.pixiv.net/users/73374337
Twitter:https://twitter.com/AGE_pixiv2580
オーバードライヴ名義でマルチ投稿を実施しています。
pixiv版:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=17001455
「おかえり。ファイン」
あなたはそう言って廊下の奥から顔をのぞかせる。玄関までふわりと香るのはブラウンソースの香り。サラダ用らしいレタスの葉をちぎっているのが見える。
「ただいまー。あ、もしかしてビーフシチュー?」
「一応はアイルランド風だ。スタウトで煮込んでこそいるんだが、いまいち自信がない。あまり期待しないでくれよ」
「あはは、わかった。でも珍しいね。普段晩御飯作ってくれる時は和食かラーメンなのに」
玄関横のクロークにコートを戻しながら――ついでに縦に長い紙袋を隠しながら――そう声をかけると、あなたはどこか困ったような笑い声をあげた。
「まぁ、たまには冒険しないと。ただ、殿下の舌に適うかは保証しかねるけど」
「かなり念入りに防衛線を張るね?」
「そりゃあ、初めて作る料理を一発勝負でファインに食べさせるわけだからな。緊張もするさ」
廊下を進めばアイランド型のキッチンで鍋の様子を気にしながらサラダを仕上げているあなたを見ることができた。
「でもシチューでよかった。後でちょっと試したいことがあるんだ」
「? そう? その言い方ってことはまだ秘密かな?」
「お察しの通り」
「承知しました。では、今は聞かずにおこう」
そういってくれるあたり、多分今日が何の日かわかっているのだろう。丁寧に壁の飾り棚に飾ってあるガラスドームに入ったプリザーブドフラワーの周りをきちんと掃除した跡があるあたり確定だ。
「それで、今日の公務はどうだったの?」
「実り多い一日だったよ。日本の製薬会社の社長さんの集まりにお呼ばれしてね、アイルランドにも工場を出したいって言われちゃった。うちの商務省や健康保険省との相談になるけど、いろいろと共同研究とか進められるかもって。あと、トゥインクルシリーズ見てくれてた人がいて、サイン求められちゃった」
もう3年も前なのにね。といえば、あなたはよかったじゃないかと笑う。
「そっちはどう?」
「ひけめなくこの時間に帰れてるぐらいには落ち着いてはいるんだが、まぁドタバタは続いてるよ。4月からのシーズン入りを目指す子たちがひっきりなしだ。『ファインモーションさんみたいになりたいです』って言って、マイルから中距離志望でくる子が未だに多いぞ。新規メンバー募集はかなり絞っているんだが、それでもかなり突っ込まれている感じだね」
「トレーニングチーフはかわいい子に囲まれて大変だねー?」
少しだけかかとを浮かせてあなたの肩に顎を預けると、どこか苦笑いの雰囲気。それが少し寂しくて耳であなたの顔をぺしぺしとたたいてみる。
「そう異性に張り付くのはおよしなさい、殿下。第二王女様がそんなことをしてると知ったら陛下がお怒りになりますよ」
「あなたとの関係はお父様公認だからいいんですよーだ。それにここは口うるさい人はいませんよ、初代タプロー=リンスター子爵さん?」
そう返せば、あなたは「う、」と詰まったような声を出す。アイルランドの父親の前に連れ出したのは去年の1月、二十歳の誕生日にあわせて帰省した時だ。トレセン学園に在学しているときから仕込みを続けて、まだ公への発表こそしていないが王位継承者の王配として認めてもらえてようやく1年。あの時の半分引き攣ったあなたの笑みはいつ思い出しても笑みが浮かんでしまう。
「そんなにからかわないでくれよ、ファイン」
「ごめんあそばせ。でも、こんなやりとりができるなんて、まだ夢のような気がしてね」
「そうかい? ……そろそろバケットを焼こうか。晩御飯にしよう」
あなたはそういって静かに笑った。
「んー! おいしい! やっぱり料理の腕上げたよね?」
「いい舌を持つ味見担当に鍛えられてね」
「一口ちょうだいの進化形だね。おいしいものが食べられるというのはいいことです」
「ファインの言う『おいしいもの』の範疇もかなり広がったしな。ラーメン以外もお眼鏡に適うようになってきたのはありがたい話だ」
おどけるあなたを見ながら、オーブントースターで焼き目を付けたフランスパンをビーフシチューに浸して口に運ぶ。牛頬肉のうまみを引き立てるほろ苦い後味はアイルランド流の作り方のおかげ、
お夜食にラーメンでも作ろうか、というのがルーティンになっていたとはいえ、ラーメン以外喜ばないと思われているのではと思うと少しばかり面白くない。
「もー。またその話をするー。あれはあなたの作るラーメンが格別においしいからですー」
「うれしいことを言ってくれるね。練習した甲斐があったってもんだ。おかわりも十分にあるし、あまったら明日二日目のシチューになる」
BGMでクラシックが流れる。アイボリーの重たい遮光カーテンを開ければ夜景も見渡せるだろうが、中が明るすぎて窓は鏡となってしまってきれいに映してはくれないし、狙撃対策で窓を開けるには準備が必要であることもあなたはわかっていて、普段はカーテンを閉めてくれている。
「でももう2月かぁ。日が経つのは早いなぁ。さっき年越しだと思ったのに」
「大人になるっていうのはそういうものだよ。刺激的な日々だけではいられなくなるってことだ」
「あら、また子ども扱いしてませんこと?」
「とんでもない」
肩をすくめるあなたはどこか楽しそうだ。この距離感はまだ変わらない。――――トレーナーと生徒だったころの、距離感の名残。分別のある大人としての振る舞いの残り香がする。
その残り香は、どうしても離れてはくれない。
「……ねぇ」
「ファイン?」
どこか怪訝そうな声をだしたあなたの目をじっと見つめる。
「やっぱり、キミは日本に残りたい?」
「どうした急に。いつも言ってるだろう。来年をめどに僕はトレーナーを引退する。それまでにチームは今のサブトレーナーに引き継ぐし、そうしたら君のサポートに専念できる。それが僕の希望だ」
「ほんとうに?」
「そこを疑われると結構僕もしんどいんだけどな」
あなたは困ったように笑って、視線を横にずらす。その視線を追うと、ガラスのドームに飾られた、プリザーブドフラワーがあった。
「確かに、僕にとってトレーナーは天職だったと思う」
「だった? 過去系だよね。もう天職じゃないってこと?」
「そうだよ」
「キミの指導力は本当にすごいと思うし、秋川理事長からも未だに『確認ッ! 本当に彼を引き抜きたいというのかっ!』って電話くるんだよ?」
「あのちびっこ理事長はまったくもう……」
頭を抱えるのを見ていると、苦笑いが浮かんでしまった。秋川理事長の思いも理解できてしまうのだ。
トレセン学園の中央校というのは、競技を目指すウマ娘の頂点に文字通り君臨する学校だ。才能の原石と努力の宝石が集う学園は、生徒たちももちろん選抜されているのだが、それ以上に教職員の選抜がすさまじい。レースの指導を担当する『学校指定競技等教育課程外特別指導職員』……トレーナーにはスポーツ科学やトレーニング技術に関する卓越した知識と才能のみならず、戯曲やダンス等の文化から、法経済に至るまでの幅広い教養、海外メディア対応を含めたコミュニケーション能力とマネジメントスキルが求められる。『キャリア官僚になるほうがまだ楽』とも評される苛烈な選考を勝ち抜かねば、トレーナーバッジを身に着けることは許されない。
それほどの厳選に厳選を重ね、多額の資金を投じて育て上げたトレーナー、それも「留学するまでまともに走ったことなどなかった『ファインモーション』という箱入り娘を、たった3年でURAファイナルズの中距離覇者にする」というのは天賦の才と言い切ってよいだろう。秋川理事長も国際問題化を承知で引き止めにかかっている程度には、評価され続けている。
少なくとも、尋常じゃない熱量を指導に注いできたことを隣で見続けてきたからこそ、それをあっさりと捨ててしまえることが、恐ろしくもあるのだ。
「それでもどうして過去形なのか、聞いてもいい?」
「理由は二つ。ファインの力になりたい。これが一番の理由だ」
「もう一つは?」
「……今の担当の子たちをどうトレーニングしてもね、自分の指導にファインの影がちらつくんだよ。今の僕では、ファインモーションというフィルターなしに指導ができないし、担当の子たちも皆『ファインモーションのようになりたい。ファインモーションと同じ指導をして欲しい』と、そのフィルターを使ってほしいと願ってくる。……プロのトレーナーとしては潮時さ。これ以上拘泥したところで、僕は担当を潰すだけだろう」
そう言ってあなたは席を立ち、プリザーブドフラワーのほうに向かった。
「ファインモーションという衝撃をたくさんの人が覚えてくれている。その結果を君が残してくれたことは、僕にとっての最高の栄誉でありつづけるし、憧れとして、礎として、誰かが超えるべき壁として皆の前に残り続けている。でも同時に後続にターフを明け渡した以上、ターフは今を走る子たちのものだ。そこは君があこがれた通り、フェアに、残酷なフィールドでありつづけるんだよ、ファイン」
現役を引退してしばらく経つ。それでもあの場所を忘れたことはない。その風の色が、香りが、音が一瞬戻って来て消えた。同時に、いつか言われた言葉を思い出す。
ターフは貴賤もしがらみもなにもない、誰よりも速く走れという単純明快な命令が支配する
「だから、僕はもうトレーナーではいられない。今の僕では君を超えられない。今の子たちに君の走りを超えさせることができない。そう思いながら担当の子たちに『君なら走れる』と言えるほど、図太くもなくてね」
プリザーブドフラワーはすまし顔でそれを聞いている。
「君の走りに一目惚れして、走りたいと願う君に惚れ直して、僕のキャリアと人生をすべて賭けるに値すると理解してしまったその時から、こうなることは決まってた。そして『それでもいい』と思ったから僕はここにいる」
あなたの笑顔も声色も、とても優しくて、暖かい。それは同時に、あなたにも痛みをきっと押しつけた結果であり、それを乗り越えることを強いた結果なのだろう。
「その時から自分はプロであることをやめたんだ。仕事の領分を超えて惚れちゃった以上、仕事としてはやってられないからね」
だからこそ、考えてしまう。
「……ほんとうに、私でよかったの?」
あぁ、これは良くない言い方だ。良かったと言って欲しいだけの言葉だ。またあなたに重荷を背負わせてしまう言い方だ。
「いいかい、ファイン。いい悪いじゃないんだよ。善悪で二分できる問題じゃない。それでも僕は、この道を選んだ。それがどういう結果になるとしても、それを受け入れると決めた。それにね」
そう言ってあなたはテーブルを回り込んで、こちらにやってくる。あなたの膝が床につき、手がこちらに伸びてくる。あなたの顔が、急接近して、離れた。
「惚れた女の願いのひとつ、叶えてあげなきゃ男が廃る」
――ちょっと、その言い方はずるい。
褒められた口説き文句でもないし、いつか見た映画でも言わなかったような歯の浮いた台詞。その空間に酔ってないと言えないような言い回し。
それでも、ドキッとしてしまうのは、ずるい。
スタウトの香りが口の中にリフレインして、顔が少し熱いのがわかる。あぁもう、だからこの人は!
「貴様~、さては調子に乗ってるな?」
「たまにはいいじゃないですか。たまには」
「もー! 今日ぐらいはしっかりリードしたかったのに!」
「今日ぐらい?」
あなたはどこかいぶかしんだ顔。
「今日はバレンタインデーでしょう? そんなやり取りしてたら学校でもたっぷりチョコレートをもらってるんじゃないんですか?」
「あー……そういうことか。僕宛の荷物も最近はSP隊のチェックが入るぞって教えたらめっきり来なくなった。そもそも手作り品はセキュリティ上即廃棄だしな……というよりだな、ファイン」
髪をなでるように手を回すあなた。悔しいけれど気持ちいい。
「将来的には王室入りすることが公然の秘密になってしまったアイルランド貴族相手に、真正面から本気のプレゼント渡せる人はまずいないと思うぞ? 最近は特に厳重に予防線張ってるしな」
「予防線……ってどんな?」
にまー、という効果音が似合いそうな笑みを浮かべるあなた。あ、これはよからぬことを考えている顔だ。
「聞きたい? 『やきもち焼きの同居人がいるので』って言ったら効果抜群だったんだよ」
「あ――――――! トレーナーやっぱり調子乗ってるなー!?」
笑い声が返ってくる。その反応すらお見通しだといわんばかりの余裕にほほが勝手に膨れてしまう。なのにあなたは、私が久々にトレーナー呼びしたことにも多分気がついていない。
「もういいわかったっ! バレンタインだしレザムルーズ買ってきたけど私一人で今晩中に全部空けます!」
そう言ってクロークから紙袋を取ってくると驚いた顔をしたあなた。
「レザムルーズって……おいおい、がぶ飲みしていい銘柄じゃないぞ」
「しかも、これ!」
赤ワインの瓶を見せると眼をむくあなた。
「ジョルジュ・ルーミエの76年!? 待て待て待て待て!! そんな超絶プレミア品を一人でやけ酒とかそんな罰当たりなことおっしゃる!? 値段見てないけどそれ三桁万円するでしょ!? バレンタインだからで買って良いボトルじゃないよね!?」
「えっへん! 奮発しました! でもいじわるなトレーナーには一滴もあげませんよーだ!」
「殺生な!! 成人して悪い遊びを覚えたなこのお嬢様!」
「さて問題です! その悪い遊びを王族の令嬢に吹き込んだのはどこのどなたでしたでしょうか?」
「聞くまでもなく僕だよチクショウ! あぁもう、悪かった! からかってすいませんでした!」
「わかればよろしいっ! ほんとうはプレゼントにして今日は飲まないつもりだったけど、二人で空けちゃおう。あと、シチューのおかわり! 生ハムとチーズもあったよね?」
ありがたいことにシチューもまだあるし、赤ワインにはぴったりだろう。明日は頭痛と戦うことになるかもしれないが、それもいつか良い思い出になってくれればと思う。
バレンタインの夜はにぎやかに更けていく。
チョコ要素皆無でチョコ馬場に投稿する度胸。