【完結】妖精國に落ちた超越者が、妖精騎士たちにほんの少しだけ救いを与えるお話【挿絵有り】 作:ロウシ
0.
星が見えていた。
風が強くなっても、
雨が強くなっても、
吹雪の日も、
星が見えていた。
目が開けられなくなっても、
炎に体が焼き尽くされても、
刃が体に突き立てられても、
星が、見えていた。
炎が包んでいる。
全てを飲み込む炎である。
救世主トネリコが積み上げた世界を、塵芥とせん炎であった。
炎の真ん中で、トネリコは倒れる人の頭を抱き抱えている。
血を吐いていた。
致死量の血である。
内臓が溶けていた。
既に、死んでいた。
トネリコは手が、胸が、血まみれになることなど気にもせず、震える手で、その頭を抱き締めていた。
その顔はぐちゃぐちゃに歪んでいた。
まず、憤怒があった。
次に、悲しみがあった。
次に、混乱が脳をかき混ぜた。
──ウーサー。
妖精國をひとつにできたはずの英雄。
何ひとつ疑いなく毒酒を煽り、そのまま息絶えた愛する──愚かな人。
トネリコは空を見上げた。
次にトネリコを包み込んだのは、放心であった。
終わった。
全てが終わった。
全ては徒労に終わった。
こんどこそ、と思った。
だが、無駄だった。
妖精たちは、学ばない。
原罪を抱えながら、その罪を知らぬ者たち。
原罪を抱えながら、今なお罪を重ねる者たち。
それだけなら、
その事実だけなら、
あるいはまだ、トネリコは絶望に落ちなかったかもしれない。
ウーサーの死を背負って、また歩き出せたかもしれない。
まだ、彼女の意志で、立ち上がれたのかもしれない。
トネリコは空を見た。
そして、それを見てしまった。
星があった。
風が強くなっても、
雨が強くなっても、
吹雪の日も、
どんな時にも見えていた星が、変わらずに。
こちらの想いなど、何ひとつ知ったことかと。
何ひとつ衰えず、輝いていた。
「うわああああああああッッ!!!」
まだ、歩けというのか。
まだ、救えというのか。
幾度も救った。
幾度も道を示した。
幾度も争いを諌めた。
だが、妖精は妖精であった。
だが、罪人は罪人であったのだ。
それでも、まだ足りないと?
この身を文字通り粉にしても、まだ足りないと?
ウーサーが死んでも、まだ足りないと?
…………
トネリコは泣いた。
トネリコは泣いた。
声が枯れるまで、
その喉が裂けて血が出ても、
泣いて泣いて、泣き続けた。
そして、走った。
ウーサーの額に、残った最後の理性でキスを重ねて、トネリコは走った。
がむしゃらに。
まだ、燦々と光る、あの星向かって。
それしか、知らなかった。
どんなに憎くなっても、どんなに怒りを覚えても。
他に道があるとは、知らなかった。
やがて、星は見えなくなった。
ブリテンが落ち着いた頃。
建てられた、罪人の罪を乗せた机を見た頃。
円卓の騎士と、ウーサーの物言わぬ、半白骨化した首が並んでいるのを見た頃。
星が、見えなくなっていた。
──お前たちを救わぬ。
心に灯ったものは、増悪であったか?
──お前たちを許さぬ。
心を殺したものは、悲哀であったか?
──ブリテンは全て私のもの。
声の代わりに吐き出されるもの。
それは、あの大穴の主と同じものであったか?
それでも、なお、なぜ……
なぜ、私は──
1.
オックスフォード。
昼。
今日は、特に風が心地いい。
この街の、どこにでもあるレストラン。
ウッドワスと、ゴローがいた。
大きくも小さくもない、普通の丸いテーブル。
テーブルクロスは薄い生地の布だが、悪いものではない。
二人で、対面に座して、卓を囲んでいる。
ウッドワスはジャケットを羽織っていた。
装飾煌びやかで、パリッと張った良いジャケットである。
毛並みもいい。最近の好調さが窺えた。
ゴローは、いつもの黒いTシャツと黒ズボンに、頭には尾の長いバンダナ。
いたってラフな格好である。
ベクトルが真逆であった。
だが、お互いに、街中のごく普通のレストランで食事をするには、些か似合わない格好であった。
「ウマいねぇ」
ゴローは箸で摘んだ野菜を、慣れた手つきで口に運ぶ。
ひとつ噛むたびにしゃくり、と音がした。
しゃくり、しゃくり。
ニンジンのようなもの、レタスのようなもの、かいわれダイコンのようなものが、口の中で同時に弾ける。
みずみずしく、適度な歯応えがあった。
それでいて、少し野生の味がする。
その臭みを消すためか、ドレッシングが少し辛い気がした。
だが、ウマい。
米に合う強さをしている。
この野菜は、米を引き立てられる。
元は肉食を好むであろう、牙たちに合わせた故の、濃い味つけなのだろう。
残念ながら、
「幸いだ」
ウッドワスは短く言った。
だが、安堵の気持ちが詰まっている。
ゴローにはよく、わかった。
彼も、その口に、ゴロー以上に丁寧に、几帳面にフォークを使って野菜を運んでいる。
ウマいものだ、と思った。
同時に、それがどれほどの訓練を要してたどり着いた境地か、想像に余りある。
「良いお店だねぇ」
素直な感想であった。
キッチンと、カウンター。
丸テーブルがいくつか。
カウンターの裏には、酒棚。
簡素な木作りの店だ。
歴史は古そうだが、清潔感がある。
店内の空気に独特の『味』がある。
オックスフォードの道と、この店を隔てるのは一枚の壁。
しかし、この中と外は、同じ時間に存在するだけの、まるで別空間であった。
こういう空気が、ゴローはたまらなく好きであった。
「おまえは変に格式ばった所より、こういう所の方が好きだと思ってな」
フォークを置いて口周りを拭く。
動作はあくまで丁寧である。
「よく、見てるねぇ。流石だよ」
余裕が窺える。
今のウッドワスは、初めて見た時とは比べものにならないほど落ち着き──失礼な物言いをすると、知性を感じる。
感情や本能を押し込めて、一生懸命そう振る舞っているのではなく、ごくごく自然に品格を纏っている。
傍目からみて、何も問題はないように見えた。
だから、聞いた。
改めて。
「で、俺に用があるって……なんなのかねぇ?」
ウッドワスはフォークを置いた。
音もない。
素晴らしい
「ああ、実は……陛下に、贈り物をしたいのだ」
少し言い淀んだ。
やましさからではなく、恥ずかしさからであろう。
顔を近づけて、ボソリと言ったからだ。
耳を傾けて、ゴローは聞いた。
ほぉーと間伸びした返事を返した。
わざとらしくとぼけた声で聞く。
なんで、また?
この時期に?
「最近、思うのだ。私は……お前と戦うより前の私は、陛下にいらぬ心労を強いていたのではないかと」
「うん、うん」
ごもっともな話だねぇ。
とは、口に出さなかった。
「だから、その謝辞を込めて……」
「なるほどねぇ。ウッドワス、おまえさんほんっと、根が真面目なンだねぇ。ガウェイン並みだよねぇ」
「……からかうな」
気はずさしさが混ざったか、目線が少し、強く鋭くなった。
悪いねぇ、つい。
とゴローは言った。
「贈り物かぁ……うーん。普通、果物とか、花……? あとは、宝石……アクセサリーかねぇ?」
ふと浮かぶのはその辺。
ぶっちゃけ、モルガンならなんでも喜びそうだねぇと思った。
それを、彼女が顔に出すかは別として。
「宝石か……」
「それなら、俺からスプリガンにひと声かけりゃあ、たぶんノリッジでいっとう良いのをもらえるかねぇ? たぶん」
「それでは意味がない」
なんで、とあえて聞く。
なんとなく、返ってくる言葉は予想できていた。
「それでは、私を通すだけの、おまえの贈り物になってしまうではないか」
ぷっ、と吹き出した。
「マナーが悪いぞ」
「いや、悪いねぇ。ほんと、すまんねぇ。ただ、ちょうど昨日、全く同じ悩みを聞いたし、今のと全く同じ口を聞かれたモンで……思い出し笑いだねぇ。シンクロニシティだねぇ」
「しん……くろ? なんのことだ?」
「ひっひ。みんな、女王陛下のことが、ダイスキだってことさね」
当然だろう。
とウッドワス。
「女王陛下は、数多の戦いを乗り越え、その果てに今の妖精國をお造りになられたのだ。今日まで続く二千年の平和も、全て女王陛下の御力の賜物なのだぞ? それを……最近の妖精どもときたら……」
「はいはい、そこまでだねぇウッドワス。それ以上言うなら、俺ァ帰るよ」
ぐい、と水を飲み干して、ゴローは言った。
比較的力の篭った言葉であった。
ウッドワスは、ふぅ、ふぅと気持ちを落ち着かせた。
ゴローが水を差し出すと、すまない、と言って受け取った。
「おまえさんが女王陛下をダイスキなのは、わかってるよ、みんなね」
「み、みんなか?」
「いやぁ、そりゃあ……わかりやすいもンねぇ」
「そ、そうか?」
「その気持ちを、そのまんま伝えりゃア、良いんじゃないかねぇ?」
「いや、ダメだ。『ありがとうございます』や『おつかれさまです』では、この心を伝えきれるとは思えん……」
「ン──……一理、あるなぁ。それは」
食べ終わり、皿を片付けられた。
男二人、頭を悩ませる。
空になったウッドワスのグラスに、店員がワインを注ぐ。
食後の口直しということだろうか。
ゴローは丁寧に断った。
「嗜まんのか?」
「いや、俺ァアルコール効かねンだよねぇ。速攻分解しちゃってさ……」
難儀なものだな。
とウッドワスは思う。
強い肉体。
おおよそ、この世界に──いや、物質領域に並ぶもののない肉体。
で、あるならば、酒に酔えぬもまた道理。
ウッドワスは思う。
これほどの強者が、強者だからこそ、酒を味わうこともできない現実。
それは、世の無常と。
「まぁ、仮に酔っ払って、加減間違えて地団駄踏んだら、
強すぎるというのは、それはそれで困り物である。
笑えないことでからころと笑うのは、そのまま住む
すなわち、それは住まう世界の常識の差でもあるのだろう。
ウッドワスはワインをちびりと口にした。
笑みを浮かべる中で、あ、とゴロー。
思い出すように手を叩く。
そうだ、と切り出した。
「あってみるかい?」
「何? ……何とだ?」
「俺がさっき言ってた、同じコト言ってきたやつと」
なるほど、ウッドワスは頷く。
同じ悩みを抱える者同士、話し合えば何かしらの名案が浮かぶかもしれない。
しかし、これはどちらかというと秘密にしたいことでもある。
だから、わざわざゴローを呼び出して相談を持ちかけたのだ。
そこは、心配しなくていいよ。
ゴローは言った。
「そいつも、ウッドワスがモルガン……陛下を愛してるって、知ってるからねぇ」
「ち、ちがっ……いや、敬愛であってな。情愛ではあるがな! その……汎人類史とやらでいうところのつがい的な意味では……」
「なンで、自分でベラベラ言っちゃうンだ。おまえさんは……」
2.
「で!? 同じ悩みを抱える同志が……なんっでこのクソ犬なんだよえーっ!?」
「それはこっちのセリフだ! よりにもよって貴様とは……どう言うことだゴロー!? 貴様謀ったか!?」
似た者同士だよねぇ。
自分に飛ばされる怒号を軽く流しながら、ゴローは隣に立つ男に同意を促す。
「なんで私の部屋でやるんですかね……?」
隣に立つ男。
項垂れる声の主はスプリガンである。
ウッドワスとトリスタンの合流場所は、ノリッジであった。
もっと言うと、合流してからゴローが連れてきたのが、スプリガンの金庫城の私室である。
「いやァ、キャメロットでやったらモルガン……陛下に、筒抜けじゃない? その点、ここなら大丈夫さぁ」
「マンチェスターでやってくださいよ!? あなた建前とはいえガウェイン卿の預かりでしょうに!!」
「いやねェ……今、あっちじゃ騒ぎにくいンだよねぇ……」
「いやいやいや! 遠回しに『私の部屋なら騒いでもいいや』って言ってますよねそれ!?」
「だって、ここ、頑丈じゃない」
「あなた方のために頑丈なワケではありませんよ!?」
はぁと頭を抱えるスプリガンを余所に、トリスタンとウッドワスの睨み合いは続く。
「断じて認めんぞ! 貴様の常日頃からの軽薄な振る舞いが、陛下の信用をどれほど失墜させていると思うのだ!?」
「へっ! お母様にしっぽふりながら、オーロラのムネとケツに目移りしてる好色ジジイに言われたかねぇーよ!! 綺麗なオンナなら誰でもいいんだろぉ!?」
「なんだとぉ……!」
「なによぉ……!」
同レベルですね。
とスプリガン。
似てるよねぇ。
とゴロー。
「はいはいはいはい。二人ともその辺にしときなさいな。二人が二人とも、モルガン陛下を愛してるってこたァ、よーっくわかったでしょ?」
「認めん!」
「わかんねぇよ!!」
堂々巡りですね。
とスプリガン。
ハラを決めたらしく、表情は死んでいるが言葉は冷静であった。
「まぁ、ひとの心にゃア、四つの層があって、本人じゃあ気づかない自分ってモンが、絶対、あるからねぇ」
「心理学ですか?」
「ウン、それ」
ひとりの人間には、大きく分けて四つの自分がいる。
それは、ひとりの人間に内在する多面性を、領域ごとに大まかに分けたものだ。
表層、中層、深層、最深層の四つである。
表層とは、自分が認識する自分である。
自分はこう言う人間であると言う、自己認識である。
中層とは、他人が認識する自分である。
この人はこう言う性格なんだ、という他者からの認識である。
深層とは、自分にも他人にもわからない自分である。
自己に内在する認識不可領域のことであり、感情が追い詰められたりすると表面化する、いわゆる本性の部分である。
最深層とは、本能に近く、しかし理性にも似る『何か』である。
私生活では決して見ることができない。
死に面するような極限状況が続くと、ようやく顔を出す領分である。
修験者や悟りを目指すものがたどり着く境地でもあり、平和な世界に身を置く人間では、たどり着くことは決してない場所である。
「確かに。自分で自分のことは、案外見えていないものです。私もオーロラに目が眩んでいた過去を、実感したばかりですしね……」
「ありゃあ、しょうがねぇさぁ。オーロラちゃん、見た目もそうだけど、口、ウマいんだモンよ」
たぶん、行動力もあるでしょ?
とゴローが言うと、スプリガンは黙って頷いた。
「それより、止めなくていいんですかと言うか、そろそろ力ずくでも止めてもらいたいのですが……」
「ン? ああ、そうだ──」
言葉を断ち切った。
ゴローがばっ、と窓に目を向けた。
スプリガンがどうしたかと同じ方を見る。
何もない。
ゴローは窓ではなく、『その先』を見ているようであった。
遅れて、ウッドワスとトリスタンも、同じ方を見た。
二人とも、驚愕に目を見開いていた。
「──なんだ?」
ゴローが言った。
間延びも訛りもない。
普段とは明らかに、違う声色だった。
三人は、外に飛び出した。
遅れてスプリガンも飛び出し──それを、見た。
キャメロット城から伸びる、大きくて、白い光を。
天を貫く光。
直視できぬほどの光。
遠くだと言うのにここまで熱波が届く。
それは茜色の空を歪め、次元を貫いていく。
「な、なにが起こっているのですか……!?」
腕で目を庇いながら、スプリガンは瞼の狭間からそれを眺める。
トリスタンも、ウッドワスも、息を呑む。
ただ、ゴローだけ。
「大したパワーだ」
と感心していた。
「ロンゴミニアド……か……!」
ウッドワスが、光の正体をつぶやいた。
トリスタンは震えている。
恐怖だ。
気圧されたか、
あの光から感じる力は、間違いなくモルガンのものだった。
そして、指向性のある光の伸び方であった。
つまり、偶発的な魔力の暴発ではないだろう。
モルガンは、空の果ての『なにか』を狙撃するために、意図的にあの大魔力を放ったのだ。
「陛下ァ!!」
金庫城からそのまま飛び降りるウッドワス。
ゴローはトリスタンを抱えた。
震えていた。
大丈夫だ。
優しく声をかけた。
まだ震えは治らない。
だが、トリスタンは弱々しくも、こくりこくりと頷いてみせた。
「今から、キャメロットに飛ぶ。一緒に行こうな」
同意を促す言葉は、柔和であたたかであった。
トリスタンの心を少しでもほぐす。
そう言う意図を込めていた。
また、こくりと頷いた。
声はなかったが、ゴローはにこりと笑った。
トリスタンが、ゴローを見上げた。
「スプリガン」
呆気に取られていたスプリガンが、名を呼ばれて我に帰る。
「ちょっと、女王様に会ってくる」
お、お気をつけて……
かろうじて発した言葉が、身を案じるそれであった。
ゴローはにっ、と笑った。
太く、分厚い微笑みであった。
そして、トリスタンを気遣いながら、キャメロットに向かって飛んだ。
おそらく──
ゴローの脳裏には、似たような光景が浮かんでいた。
何億何兆何京もの戦闘経験から、
意味は、いくつかあるだろう。
だから、間違い無いだろうと思うものをまず、挙げる。
あれは、狼煙だ。
つまり、宣戦布告に等しい。
誰に対してかは、なんとなく見当はつく。
だが、やりすぎではないか。
あの光は、あの熱量と速度ならば、ひとつの
その惑星上に存在する程度の、物質領域の存在であるならば、ほぼ全てのものを灼き貫くであろう光だった。
誰を狙ったか。
あるいは、どこかの
空を飛ぶ中で、さらに。
ゴローは気づく。
ブリテンの果て。
この
なにが起こっている?
あるいは、モルガンが何かを起こしているのか。
モルガンは馬鹿ではない。
暗愚でも、暴君でもないとゴローは確信している。
だが、あの光に関しては、愚かしい『なにか』の引き金になることを予感していた。
ブリテンに良くない何かをもたらす光の狼煙だと、確信していた。
第四章、青空へと続く