【完結】妖精國に落ちた超越者が、妖精騎士たちにほんの少しだけ救いを与えるお話【挿絵有り】 作:ロウシ
第一話:誰の声も届かない、友達も恋人も入れない
1.
荒々しい風が吹いていた。
収まることのない風が吹いていた。
大地が揺れている。
土を蹴って、土を跳ねる足踏みである。
統率された軍隊と呼ぶには、足の運びはいささか不恰好がすぎる。
だが、剣や槍を片手に走りゆくもの皆の視点は、ただひとつであった。
集団の中を、独特の熱気がただよっていた。
隣を行くものの緊張感が伝わってくる。
伝播するそれが、身体中から染み出している。
鉄の匂い、皮の匂い、汗の匂い。
そして、感情の匂い。
それらが混じり合って、その軍団独特の臭いを発していた。
それは、パーシヴァルの率いる円卓軍であった。
彼らは、ウッドワスの本陣の背後まで、一直線に駆けていく。
ウッドワスが、ロンディニウムに攻め込むだろうことは、パーシヴァルには予想できていた。
『予言の子』たちには申し訳ないことをしてしまった。
彼は、ウッドワスの戦場での性格をよく知っていた。
自分がロンディニウムから離れれば、それを察すれば、ウッドワスは速攻をかけてくる。
彼が恐れているのは、自分だけだ。
いや……正確に言うと、自分が持つ、この『聖槍』だけだ。
『聖槍』抜きで、真っ向から戦って、ウッドワスに勝てる存在は円卓軍には存在しない。
この槍は、命を吸う。
既に、いちど、この槍は使った。
妖精國の人間の寿命は、約三十年。
だとすれば、この槍を使えるのは、あと二回だろう。
その一回を、ここで使うことになる。
それらは、パーシヴァルにとって確信的事実であった。
道中でいっさいの邪魔がなかったことは予想外であったが、その疑念は、この際幸運に恵まれたのだと切り捨てる。
ウッドワスの本陣が、いや、おそらくはウッドワス本人が報告を受け、こちらに気づいた。
まだ遠い雑多なそれらが、ひとつのうねりをあげているのが見える。
動揺しているのだ。
狙い通りである。
そして、彼らが動揺するということは、我々は間に合ったと言うことだ。
「ここが勝機だ! 行くぞ、みんな!」
パーシヴァルは加速する。
言葉と共に『聖槍』を掲げた。
進行するが故に、背後に流れ落ちる声。
呼応する──
円卓軍の士気が、否応なく上がっていく。
──そこで、パーシヴァルの戸惑いに、果たして何人が気づいただろうか。
空からふわりと降りてきた
それは、パーシヴァルと、何人かの円卓軍の戦士には、見覚えがあった。
それは、パーシヴァルとウッドワスたちの間に降り立った。
大きな──男だった。
2.
「ゴロー!? きさま、何のつもりだ!?」
背後からの奇襲。
それ自体は読めていた。
だが、ここまですんなりと接近されるとは思っていなかった。
前方のロンディニウムはまだ落とせていない。
『予言の子』と、『異邦の魔術師』は徹底した籠城戦を行なっている。
ウッドワスは、いっそ見事なそれに、感心すると同時に無駄な抵抗だと、悪あがきだと思っていた。
だが、軽薄な軍靴の音。
遠巻きに視認できる、迫る円卓軍の勢い。
なにより、先陣を切る無傷のパーシヴァルが目についてから、その心象は優越感から転がり落ちていく。
ウッドワス様、ご命令を!
ウッドワス様! 戦火に! お願いします!!
慌てふためく部下は、ウッドワスにそう言った。
ウッドワスには、信じられない提案である。
モルガンに誓った理性。
戦士としてではなく、忠臣として振る舞うことを義務付けた。
この身は、戦火の中にあらずと誓いを立てた。
ベリル・ガットの物言いは気に食わないが、陛下のお言葉が本当だとすれば、なおのこと念を押されている。
──この場で、その私に、戦えと言うのか!?
しかし、こく一刻と事態が悪化する。
それを、ウッドワスも戦士たちも肌で感じている。
ロンディニウムはパーシヴァルの意気に呼応して、反撃の手が強まった。
城攻めに向かった精鋭たちが、徐々に押し返されている。
戦士たちは、敵軍が背後から迫り来る現実に焦り、攻めが雑になっていた。
大地が揺れる。
その音が大きくなるにつれて、焦りは肥大化していた。
そうすると、攻め方はより雑に、単調になり、簡単に対処されてしまう。
悪循環である。
まるで、この場における、ウッドワスと軍勢以外の全てが、我が敵に回っているようだった。
──ふざけるな!
苛立ちが募る。
忠誠と、戦士としての本能の板挟み。
むりむりと、ウッドワスの肉が熱を持って迫り上がる。
体毛がざわりと逆立っていく。
肉の内から、怒りが溢れていく。
骨の髄から、殺意が溢れている。
その激情は質量を持った熱そのものとなり、言いようのない殺意へと交わって、ウッドワスの脳内にじわりじわりと広がっていった。
理性vs本能。
培ったのは二千年の理性であるが、彼は元々、牙の氏族の長である。
血と戦いを求めるその本能は、こういう状況において、なんとも歯止めの効かぬ『運命』と言えた。
いいだろう。
彼が、そう決意した。
全て、終わらせてやる。
この爪で、殺戮を行おう。
排熱大公の名を、魂に刻みつけてやる。
ウッドワスが、理性と共に服を脱ぎ捨てんとしたその時──
一陣の風が吹いた。
空気を変える風。
色濃く、世界を塗り替える風。
その風をその身に纏わせて、ふわり、と羽根のように、それは降り立った。
ウッドワスの正面に。
ウッドワスの視野前面を覆い隠すほどに、大きな背中が映る。
誰なのかを問うに値せぬ背中であった。
これほど『大きい背中』を持つものは、今の妖精國にはただひとり。
「ゴロー!? きさま、何のつもりだ!?」
ウッドワスの怒号に、ゴローは冷静に返した。
「おまえさんを、救いにきたよ」
3.
何のつもり、ってのァ、どっちの意味でだい?
俺を邪魔しにきたのか?
か、
俺を助けにきたのか?
って意味だよねぇ? どっちかだよねぇ、たぶん。
ウッドワスに背を向けたまま、ゴローは言った。
俺は、後者のつもりだよねぇ。
有無を言わせぬ圧力があった。
その場に居合わせた牙の側近たちが、戦況も忘れてただ立ち尽くす。
しかし、さすがはウッドワス。
その迫力の中でも、自我を貫き通す。
「キサマの助けなどいらん!」
そりゃあそうだろうねぇ。
ウッドワスの怒りを、のらり、ひょん。
とゴローは躱す。
しかし、言葉の軽薄さとは裏腹に、頑として動かぬ存在感が、ここに立つことへの覚悟を示している。
「おまえさんは、この場において最強だよ」
はっきりと、言った。
俺を除いてね、とついでのように付け加えた。
ウッドワス、おまえさんからすりゃア、円卓軍や『予言の子』なんて、どれほど積み上げても塵紙の山さね。
風のひと撫でて吹き飛んじまう。
そして、おまえさんにゃアそれができる。
俺の見立てじゃァ、おまえさんは風を起こして、あン子たちを皆殺しにできるさ。
……なんなくね。
だが、と、
「それァ、真っ向からぶつかった場合さね」
──オレが、小細工に屈すると言うのか。
ウッドワスは、静かにそう聞いた。
重く、静かに、空気を揺らがす声であった。
ともすれば、先ほどの、無差別に怒りを撒き散らす言葉よりも、何倍も怖い声であった。
ゴローは、それをしっかりと受け止めた。
その上で、言った。
「現に、パーシヴァルたちの到着は予想外で、おまえさんに戸惑いをもたらしただろう?」
──ッ!
否定できない事実である。
ゴローはようやく顔を半分翻して、してやったり、と微笑んだ。
眉を八の字に曲げて、半目で、舐め回すような視線であった。
「釈迦に説法説く気はねェケド、戦にゃ『風』ってモンがある。どうだいウッドワス? 風、感じるかい?」
「……どうしろと言うのだ」
ゴローは、うん。と頷いた。
言葉を続けようとしたが、遮られる。
「ウッドワス様! 円卓軍が、パーシヴァルが目の前まで迫っています! ご決断を……!!」
ああ、対処すンの忘れてた。
ちょっと、まっててネ。
すたすたと、ゴローがウッドワスから十歩ほど前に出た。
庭先に散歩に出る──今からやることは、何でもないことだと言うように。
これから起こすことは、こともなげ。
そんな足取りである。
その鼻先、もう五十メートルもない距離に、パーシヴァルが見えている。
ゴローはその方向に、すっ、と左足を出した。
確かめるように地面を踏む。
失礼。
と述べて、
ふん、と軽く、言った。
ウッドワスをして、何の歴史も敬意もない円卓軍の歩み。
ブリテンを揺らがすほどのその轟きは、一瞬にして、戸惑いと驚愕のそれにすり替わった。
それは、ウッドワスの戦士たちも、ロンディニウムの兵士たちも。
いざ合流のために身を乗り出していた、『予言の子』と、『異邦の魔術師』たちも、平等にそれを眺めて、動きを止めた。
「なん……だと……?」
ウッドワスが言った。
爆発と見まごうほどの轟音とエネルギーの炸裂があった。
衝撃波が静かに立ち上った。
それがもたらした結末の景色に、誰もが目を疑っていたのである。
地面が裂けていた。
ゴローの目前で、地割れが起きている。
幅、縦におよそ十五メートルと少し。
広さは、地平線の果てまで。
深さは──底が見えない。
ウッドワスはそれがなんなのか。
ゴローが何をしたのか、その場にいるもので、唯一理解していた。
この男、ブリテン島を踏み割ったのだ。
さて、とゴローは振り返った。
再び、ウッドワスの前に立つ。
こともなげに、である。
「これで、しばらくァ大丈夫だねぇ」
からころと、笑いかけた。
さすがのウッドワスも、あ、ああ、と狼狽えていた。
同様に、円卓軍が目と鼻の先で狼狽えている。
その光景は、ようやく、牙の氏族たちに喜びをもたらし、ロンディニウムに留まっていた円卓軍に、ようやく、絶望をもたらした。
「うおおおおお! 勝てる! 勝てるぞ!!」
「なんだあの人間は!? いや、妖精か!? なんという名前なんだ、誰なんだ!?」
「俺、知ってるぞ! あいつ、『
各々が盛り上がりを見せる牙たち。
消えかけていた炎が再び燃え上がる。
しかし、ウッドワスの表情に冴えはない。
なんとなく、この後のゴローの言葉を、予想しているのだった。
「さて、じゃア、ウッドワス。撤退しましょうかね」
ああ、やっぱり。
そう言うと思ったよ、おまえは。
4.
「一応聞いておくが、なぜだ?」
ウッドワスの問いかけ。
ゴローは飄々と答えた。
「俺の世界じゃア、軍隊用語で三割の損壊はすなわち全滅だねぇ。ウッドワスの軍の損壊、少なく見積もっても二割は割らんでしょ?」
だから、撤退しましょ。
牙の戦士たちが、ええ!? と声を荒げている。
そんな中で、ウッドワスだけは、どこまでも冷静であった。
「なぜ、このチャンスを見逃さねばならぬ」
「おまえさん、俺に捧げられるモン、ある?」
「────なに?」
ゴローは言う。
これで、ロンディニウムに城攻めして、
それは、まぁ、できるさね。
もう、この場にいる誰もが確信してるよ。
造作もなく、牙は円卓を滅ぼせる、ってね。
でも、それ。
それだと、俺のおかげになるじゃない。
つまり、ウッドワスの手柄じゃアなくって、俺の手柄だよね、それ。
「…………!」
そンでよ、ウッドワス。
そうなったら、俺ァ、おまえさんに対価を求めるよ?
妖精國の行く末を変える戦争。
その決め手を打ったことに、相応しい対価を。
ブリテンの大地を割る行いに、相応しい対価を。
おまえさん、それ、払えんのかい?
「…………ならば、なぜ、私を助ける」
謹慎の言いつけを破ってまで。
ゴローは照れ臭そうに、頭を掻いた。
前に言ったこと以外で答えンなら……そうさね。
善意さ、ウッドワス。
友情でも、いいよ。
理由なんて何でもいい。
とにかく、おまえさんを、俺ァ助けたかったんだ。
「馴れ合いの延長で戦線に赴いたのか、キサマは」
否定しねェよ。
これが気に食わないンなら、この場で俺の首を落としな。
俺の首を落としてから、ロンディニウムを攻め滅ぼせァいい。
戦士の誇りを捨てるなら、なりふり構わず勝ちゃァいい。
それも、戦争の結末としては、まァ有りだもの。
「なに……!?」
どのみち、俺ァモルガンから何かしら叱責を受ける。
謹慎の件も合わせると、ツーアウトだものねぇ。
心優しいモルガンといえど、さすがにカンカンかも知れン。
その時、死ねと言われるンなら、大人しく心臓でも首でも捧げるさね。
──まぁ、そんなわけで、おまえさんがここで俺の首を上げようと、結末は大して変わらんかもしれン。
むしろ、罰として首を取られるより、友を救うために、友に首を捧げる方が、戦士として
ゴローは膝をついた。ウッドワスに対して頭を垂れた。
背を丸めて前屈みになり、いっそう顔をせり出して俯いた。
衆人環視のただなかで、彼はウッドワスにかしずいたのである。
それは、その首の高さと位置は、ちょうどウッドワスが爪を振り下ろしやすい場所であった。
首を差し出す角度であった。
「──ッ! キサマは……」
ウッドワスは、爪を立てた。
ゴローは何も言わない。
目を閉じていた。
身体を支える以外の力を抜いていた。
ゆくさきの全てを、ウッドワスに委ねていた。
ウッドワスは
その手を大きく振りかぶると、ぐっ、と力を込めて振り下ろした。
5.
「ダメです! 川沿いまで地割れが及んでいます! 完全に道を絶たれました!!」
何と言うことだ……!
完全に勢いが殺された。
いや、戦線が決してしまった。
十五メートルもの幅は、円卓軍の兵士では飛び越えられない。
断層は川まで届き、もう一方の端は、ここから見て端が見えない以上、少なく見ても数キロ以上先だろう。
迂回している暇はない。
手の打ちようが無くなった円卓軍は、ただ呆然とウッドワスの軍と、煙を巻き上げるロンディニウムを見守る。
「お、終わりだ……」
「なんてこった、こんなところで……」
絶望感が漂っていた。
パーシヴァルですら、彼らに掛ける言葉が見つからない。
突如として目の前に現れた、覆せない現実。
まるで我らの無力を嘲笑うかのように、引き起こされた災害。
──どうすればいい?
──なにをしたらいいんだ?
あるいは『聖槍』の力をもってすれば、自分だけは向こう岸にたどり着けるだろう。
だが、疲弊した自分がひとり、向こうに行ってなんになると言うのだ。
槍はあと二回しか使えない。
その一回を、このために使うことは……
──いや。
「みなさん、離れていてください!」
パーシヴァルが、言った。
力と、覚悟を込めた言葉であった。
使う気であった。
遠くから、ダメー!! と叫び声が聞こえた気がする。
あの声は、きっと、ガレスだろうな。
うん。すまないガレス。
だが、今は、これしかないんだ。
パーシヴァルは槍を立てて、地面に打ち鳴らすように叩きつけた。
円卓軍が、ぞろぞろと傍に退いて、彼に道をつくった。
ありがとう。
声にならない声で、パーシヴァルは言った。
「聖槍、開て──」
「ちと、まちない。パーシヴァルくん」
ふわりと、その言葉は遮られた。
ゴローが断崖を飛び越えて、パーシヴァルの前に降り立った。
6.
全能の『
その噂は、パーシヴァルの耳にも届いていた。
大きな、男だそうだ。
山のような男だそうだ。
あのウッドワスと、正面から殴り合った男だそうだ。
あのランスロットですら、追いつけなかった男だそうだ。
にわかには信じがたい話の数々──しかし、その存在を目の当たりにすると、否が応でも真実だと飲み込んでしまった。
彼とは、意外なカタチで出会うことになる。
ランスロットの──姉の従者として、彼はロンディニウムに訪れた。
嘘だと、ひと目で分かった。
人付き合いの不器用な姉である。
その在り方が孤高の存在である。
失礼ながら、こんないい性格の男を従えるとは、思えなかった。
彼は、屈託のない笑顔で、パーシヴァルに言った。
あなたこそ、ヒーローだよ。
と。
忌憚のない意見であった。
言われたパーシヴァルが、照れ臭くも、思わず罪悪感を感じてしまうほどに。
自分は、ヒーローなどではない。
たしかに、モルガンを倒せたらいいと思っている。
たしかに、人と妖精が手を取り合って、生きていければいいとも思っている。
だが、それは『ついで』だ。
パーシヴァルの出発点。
全ての始まりは、あの雨の日なのだから。
雨に打たれ、苦悶に存在を歪める美しいヒト。
あそこで、何ひとつしてやることができなかった自分。
言葉を掛けることも、抱きしめることも出来ず、愛を持て余して立ち尽くした自分。
あの苦心を二度と味合わぬために、愛するヒトのために、パーシヴァルはこの槍を振るうことを決めたのだ。
だから、ゴローの言葉に罪悪感を覚えた。
私に、ヒーローの資格などない。
現に今──尊敬はしていないとはいえ、育ての親に等しい偉大なる戦士を、自らの愛を貫くために、殺そうとしていたのだから。
7.
目の前に、ふわりと降り立った。
大きな男。
黒い服を上下に着込み、尾の長いバンダナで頭を締めている。
顔には、痛ましい傷がびしりと刻まれている。
「ゴロー殿……」
「パーシヴァルくん。ウッドワスは撤退を決めた。この場においては、おまえさんたちの勝ちだ」
「────!」
ゴローの背後に意識を飛ばす。
たしかに、牙の戦士たちが、ゾロゾロとロンディニウムから撤退していた。
ウッドワスが
漏らしがないことの、確認のためであろう。
「信じろと言うのですか!?」
「聞いてはダメだパーシヴァル! 我々がここから去った後に、ウッドワスが引き返したらどうするんだ!」
いや、それはないだろう。
それは騙し討ちそのものだ。
ウッドワスは好まない。
何より、我々はここから向こうに渡る術がない。
ならば、ロンディニウムを攻め落とすのに、彼らがこちらの顔色を伺う必要などないのだ。
「パーシヴァ──」
「ちと、静かにしててくれ」
ゴローが言うと、ガヤが止んだ。
いや、ガヤだけではない。
全てが、止まっていた。
風も、大地も、雲も、星も、川も、人も、牙たちも、太陽さえも。
おとずれたものは、パーシヴァルとゴロー以外の、全てが静止した世界であった。
「──これは……」
「パーシヴァルくん」
意に介さず、ゴローは言った。
音も止まっているためか、声ではなく、心に直接響くものだった。
その眼光も、である。
言葉と眼光が、黒く、真っ直ぐに、パーシヴァルの心に突き刺さる。
「その槍が、使い手の命を奪う槍なのは知ってる」
見透かされていた。
だが、おかしいことではない。
彼は全能者だ。
なれば、全てを丸裸にされていても、不思議はない。
ゴローは続けた。
吐き出す言葉の数々は、説き伏せる物言いではなく、叱責する強さであった。
「愛を持って槍を取ったなら、愛を抱いて死ぬべきだよ」
愛の泥濘に沈む努力をしなければなるまい。
それを届けるべき相手がいるならば、
俺が見たところ、そいつが使えるのは、あと二回。
でも、二回目にゃ、死ぬでしょ?
だから、実質、あといっかい。
なら、その一回は、使い所を見定めなきゃね。
おまえさんが、その力でウッドワスを討つ。
それが、果たしておまえさんの抱く愛に向かうものなのか。
そこに至るために、今、本当に必要なものなのか。
パーシヴァルくん。
これは、今は、大きな流れのひとつでしかないよ。
たしかに、未来にウッドワスを健在させることは、円卓の未来には良くないかもしれない。
一見したらね。
ケドね、『運命』ってやつァ気まぐれでしみったれなんだ。
あいつァ、逆張り大好きの、賭け事狂いなンだよ。
だから、逆になることも十分ある。
ウッドワスがいてよかったと、円卓のみんなでそう言える日が、来るかもしれない。
「それは──ありえません」
じゃあ、言い方を変えよう。
ウッドワスを討たなくて良かったと、パーシヴァルくんが思える日が、来るだろうねぇ。
──ッ!
それはある。
あるかもしれない。
いま、そう思ったでしょ?
なら、やめておくべきだねぇ。
迷いのまま放つ槍が貫けるものなど、たかが知れてるよ。
おまえさんは、ウッドワスに槍を向けるべきじゃアない。
他ならぬ、おまえさん自身のために。
「……わかり、ました」
納得は、できていない。
声が澱んでいた。
まだ、理性と納得が、彼の内で争っているのだ。
腑に落ち切れぬ感覚は、吐き気を催すほど気持ちが悪い。
だが、その気持ち悪さに負けることなく、彼は決断を下した。
それがたったひとつに向ける愛故か、万人に向けられた博愛故かはどうでもいい。
苦悩の中にあって大局を見定めた者には、その向きがどうあれ、等しく敬意を示すべきである。
だから、ゴローは、
──ありがとう
と頭を下げた。
丁寧に、柔らかく、実直に。
世界が再び動き出す。
パーシヴァルの眼前に、もうゴローの姿はなかった。
ざわめきの中で、パーシヴァルは目を閉じた。
これで、良かったんだろうか、と。
己に問いかける。
答えはない。
ならば、今はこの選択が、間違っていなかったと信じるしかない。
パーシヴァルは、ロンディニウムから牙の氏族が全隊退くのを見届けた。
それから軍を率いて大きく迂回して、ロンディニウムへ帰還することを決定した。
円卓軍に動揺が走るが、次第に、致し方なしと、現実を受けいれた円卓軍の面々も、納得していった。
8.
時間を少し遡る。
そこは──惨劇の跡であった。
そこには、何もない。
全て、ひとりの女が、平らげてしまったからだ。
女王の援軍。
ウッドワスの元に参じるはずだった一個師団。
それをまるまる、その女は平らげた。
逃げ惑うものを、その恐怖ごと。
立ちすくむものを、その意識ごと。
立ち向かうものを、その勇気ごと。
彼らがそこにいた足跡まで、きれいにこぼさず平らげてしまった。
大虐殺を終え、彼女はヒトのカタチへと戻る。
深緑のドレス。
同じ色の傘を片手に。
艶やかながら、可愛らしいピンクの体毛。
うんっ、と身体を伸ばす仕草に、人界に留まらぬ愛嬌がある。
かちゃりとメガネを整えた。
胴体とおなじくらい大きな尻尾が、ふぉさりと揺れていた。
「──いつまで覗いておられるつもりでしょうか? いい加減、お駄賃のひとつ、いただきたいところですよ?」
女──タマモヴィッチ・コヤンスカヤはそう言って、可憐に振り返った。
大きな男がいた。
少し、間を空けて、立っていた。
「いい食べっぷりじゃないの」
男──ゴローは言った。
ほれぼれするねぇ。
容赦なく、しかし丁寧に。
足跡ひとつ残さない徹底ぶり。
毒を喰らわば皿までとは言うが、こうまで見事な食べっぷり。
いやァ……好きだねぇ、俺ァ。
「あら、
「言うねぇ。そっちこそ、こっちが背を向けたら、その隙にピンヒールでケツを蹴り飛ばします……ってツラしてる癖に」
鏡、見たことないのかねぇ。
あ、ひよっとして、鏡に映らない類の物の怪かねぇ、おまえさん?
「レディに対する言葉とも、全能者にふさわしい気品ある言葉とも思えませんねぇ、『
「あれ? 俺ンことしってんの?」
「もちろん。妖精たちの噂もさることながら、
そいつァすげぇな!
俺のコト、『空白』じゃなくて、力の塊だって、ワカっちまうんだ。
やっぱ、並の物の怪じゃアないね、おまえさん。
「アナタと比べれば、愛玩動物と変わりませんことよ? 恒星にとって、地球も木星も、所詮等しく惑星であるのと同じように……」
「言うねぇ! 気立てもよけりゃ、学もあるじゃない」
さて、とコヤンは口調を変える。
「アナタがなぜここに──というより、なぜ
「わかりきったコト聞くんだねぇ」
「あらあら、何のことでしょう? わたくし、何のことだかてんでわかりませんわ〜」
ケラケラと笑うコヤンスカヤ。
それに同調するように、ゴローもけらけらと笑っていた。
しかし、間が、張り詰める。
ぎしきしと軋みながら二人の方へ反発して伸びていくそれは、二人の狭間の空間である。
物理的な間に生じる怪物でもあった。
ふたりが、その狭間を、互いを襲う怪物へと、変貌させんとしているのだった。
この距離感。
遠くもなく、近くもない。
お互いが普通に喋って、声が届くギリギリの距離である。
絶妙な距離であった。
その空間が怪物になり損ねている。
コヤンスカヤとゴロー、二人の発する機微に、迷っている。
どういうカタチを作ればいいのか、迷っている。
どちらに従い、どちらを襲えばいいのか──
早い話、二人は空間を奪い合っていた。
それは、時間的な間。
それは、空間的な間。
それは、お互いの心の──言葉の隙間でもある。
今のところ、五分。
しかし、この間を最初に定めたのは、ここに降り立ったゴローである。
その気になれば、コヤンスカヤのすぐ隣に立つこともできたはずだ。
鼻先が触れ合うほどの、キスするほど近くに現れることも、できただろう。
それをしなかった。
で、あれば、これはゴローが意図的に作り上げた、コヤンスカヤとの空白であった。
で、あれば。
コヤンスカヤとの駆け引きにおける今は、ゴローが有利かもしれない。
コヤンは参っていた。
こういう、ひりついた駆け引きが生じるのは勘弁願いたい。
一方的に嬲るのは、まぁ好きである。
一方的に打ち負かすのも、だいぶ好きである。
だが、これは拮抗──実質やや不利の状態だ。
かつて、中国異聞帯での始皇帝と、接していた時のようだ。
対等のようで、こちらの何もかもが相手の掌の上。
あるいは、あの始皇帝ならば、この状態からでも論戦を行い、この男相手でも主導権を握ってしまうかもしれない。
奪い取った空間を概念的な怪物にでも変えて、この男に差し向けるぐらいはするであろう。
……いや、始皇帝が相手となれば、この男はまた、間を変えてくるだろう。
この男の駆け引きにおける、引き出しの多さは見ての通りだ。
ああ、嫌な相手だ。
役目は果たした。
さっさとグロスターに帰還したい。
帰って、シャワーでも浴びて、ほくほくの身体が冷めやらぬうちに紅茶でも飲んで、のんびりとしたい。
だが、これほどの巨大な力を、その目的も知らずに野放しというのも許容できなかった。
自分の完璧主義が、こう言うときはうらめしい。
「おまえさんは、盤外の存在でしょ?」
ゴローは言った。
「誰の指図──いや、約束だかしらンが、まぁ、それァどうでもいい。大事なのは、おまえさんはカルデアvs妖精國。ひいては『予言の子』vsモルガンの盤上から、外れた存在だよねぇ?」
「アナタ、まさか……」
だから、私の行いを見逃したのか。
だから、私の行いを確認したのか。
「そーね、想像通りよ。先に盤外の存在が、妖精國のバランスにクビ突っ込んでるンなら、同じく盤外の存在の俺が、妖精國のバランスに多少クビ突っ込んでも、公平性は保たれるよねぇ?」
なんということでしょう。
既に、体よく利用されてしまっていた。
NFFサービスの名折れである。
およよ。
「……ズルくないですか?」
「いンや、全然?」
「ズルいと思いませんこと? いたいけな美女の尻尾を追いかけて、オイシイところ取りしてるんですのよ?」
「おまえさんの業界じゃア、ヤられる方が悪い──ってコトに、ならんのかい?」
「なりません。私、自分の性分とビジネスに関しては、混同致しませんので。ビジネスには真摯に対応していますので」
「でも、めっちゃ楽しんで虐殺してたじゃん」
「趣味と実益が重なれば、笑顔のひとつも溢れるものですわ」
「ウマい返しだねぇ」
かと言って、とゴロー。
「俺に対価を求めるアブなさは、理解できてるよねぇ?」
「……ええ。だから余計に憎々しいんですよ、私の気持ち、ご理解いただけます?」
マイったねぇ、とゴロー。
んんーと腕を組んで、頭をひねる。
しょうがねぇ。
と言った。
「一回だけ、力ァ貸してやンよ。だだし、この國のコト以外でね」
それで、どうだい?
だった一回こっきり、多元宇宙の全能者に、肩たたき拳を発行させるってェワケよ。
どうだい?
それで、納得してもらえるかな?
バカな俺が考えられる、これ以上にないプレゼントだと思うがねぇ。
「……まぁ、いいでしょう。ちなみに、『異星の神』を倒すとか、カルデアを倒すとかはナシ……と考えてよろしいのですよね?」
「まァ、そいつァ自分でガンバりなさいな」
コヤンスカヤは、はぁ、とため息を吐いた。
これだから、神ってやつは……
とでも言いたげに、ジト目で睨んだ。
ゴローはからころと笑っていた。
その目が、恐ろしく黒く、輝いていた。