【完結】妖精國に落ちた超越者が、妖精騎士たちにほんの少しだけ救いを与えるお話【挿絵有り】 作:ロウシ
1.
メリュジーヌは救えた。
だが、全力全開で『聖槍』を振るったパーシヴァルの体力は、もはや戦闘に耐えうるレベルになかった。
管制室まで歩こうとして、バランスを崩し、槍を、杖のようにして体重を預ける。
すみません、と申し訳なく言う顔が、あげられないほどに疲弊していた。
よろよろと現れたそれを見て、ゴルドルフは、一旦はやる心が紡ぐ言葉を飲み込んだ。
彼がちゃんと、自分の前までやってくるのを確認してから、再び吐き出した。
「うむ、よくやってくれた! お陰で『厄災』を止めるどころか、原始竜アルビオン──メリュジーヌも仲間になってくれたのだ! 私からは感謝しかない。戦士には休息を! 存分に休みを取ってくれたまえ」
ゴルドルフの喝采は、感謝と、労りの心に満ちていた。
パーシヴァルは顔だけを上げてゴルドルフの顔を、目を見た。
笑っていた。
とても、柔和で、包み込むような笑みであった。
少し、無理をしているのがわかるところに、愛嬌があった。
パーシヴァルは感嘆に息を漏らした。
ああ、こういう人も、いるんだなぁ。
だから、カルデアのマスターや、マシュ・キリエライトは、あんなに強いんだ。
この人が、ちゃんと控えてくれているお陰なんだ。
自分は、ずっと、自分の前には誰もいなかった。
背中を預けることはあったが、抱きしめてくれる人はいなかった。
円卓軍で、共に並ぶ戦友は多かったが。
自分の頭を撫でて、慰労の言葉を投げてくれる者は、いなかった。
「キャプテン! マリーンたちに、彼をナースのところへ案内させなさい!! 我が船自慢の回復ポッドを堪能していただこう!」
「わかった。マリーンたち!!」
「アイアイサー!! こっちこっちー!」
マリーンたちに手を引かれて、パーシヴァルは救護室へと向かった。
メリュジーヌは、とりあえず、休む様だけちゃんと見てくる。
と言った。
なんせ、と続ける。
「あの子、頑張り屋だからね。ちゃんと休むまで見てないと、ベッドから抜けだしちゃうんだよね」
姉としての顔であった。
時間に余裕があるからか、はたまた単に空気を読んでか、ホームズは何も言わなかった。
さて、とゴルドルフが場を仕切り直す。
「これで『厄災』のひとつは消えた。残るは『獣の厄災』と『ケルヌンノス』だが……」
「ええ、その通りです。そして、マーリンどのの魔術とゴローどのの時間短縮のおかげで、前時間通りなら、ケルヌンノスの出現まであと二時間弱あります」
「バーゲストを……救いに行く時間は、あるってことだね!」
次の言葉を待ちきれず堪えきれずに、その言葉と共にカルデアのマスターが前に出た。
そうです。
とホームズは言った。
心なしか、にこやかな表情であった。
明晰な頭脳と人間洞察力は、マスターのこの行動を、事前に予測していたのだった。
だが、訪れた楽観的な空気。
そこに、賢者グリムが釘を刺す。
「ケルヌンノスが、前の時間通りに出てくるとは限らねえ」
グリムは語る。
皆、真摯に耳を傾けた。
死体とはいえ、アレは正真正銘の『神』だ。
時間をズラされたことぐらい、やっこさんも分かってるだろう。
正味なとこ、呪いが重すぎて思うように動けねえんだろうが、対応ぐらいしてくるぞ。
だから、ハラは括っとけよ。
それは、『バーゲストを救えなくなってしまうこと』に対する覚悟をしておけよ、と言っていた。
つまり──
「グリムは、バーゲストを助けに行ってもいい、って言ってるんだね」
「──ああ、マスター! 冬木の時に比べて、随分言葉を汲み取るのが、上手くなったじゃねぇか!」
燦然と輝く目で聞き返したマスターの頭を、賢者グリムは嬉しそうに笑って、くしゃくしゃと撫で回した。
その成長が、嬉しかった。
その変わらなさが、愛しかったのだ。
人間であるから起こりうる成長。
変わることと、変わらないこと。
マスターは、強くなり、
その心根は、変わっていない。
それが、賢者グリムをして、例えようもない奇蹟であった。
人間の起こしうる奇蹟である。
『庭』を乗り越えたマスターに、
ブリテンにおいて、最初の妖精の子。
トリスタン、ガレス、村正との別れを飲み込んだマスターに。
ブリテンにおいて、今、それらを乗り越えたその心に、一点のよどみもなかった。
「ゴローさんも一緒に……ゴローさん?」
嬉々としたその声のまま、声を投げる。
しかし、反応がない。
ゴローは、壁に背中を預けてもたれかかって、ずるずると尻から落ちて、うずくまっていた。
明らかに、普通ではなかった。
苦しむ人間の素振りであった。
「ゴローさん! どうしたんですか!?」
「全能の君! どうされたのです!?」
甲板から降りてきたキリシュタリアたちも、ゴローに駆け寄った。
ゴローは、ん? と顔を上げた。
彼らを見る目が、寝起きでぼうっとしている、集中力の散漫なものあった。
焦点が散っていた。
「──ああ、すまン。居眠りしてたンだな、ふふ……」
ごふっ!
と彼は血を吐いた。
そのままゲホゲホと咳き込む。
両手で口を抑えるが、鼻から、口からどんどん流れ出す。
指の隙間から血が、びゅるびゅると溢れていた。
「ゴローさん!?」
「ぺぺ! コーラルを連れてこっちにきてくれ!!」
慌てる二人に、いンだよいンだよ、と手を仰ぐ。
太い手だ。
空気をずん、と割る。
二人が、思わず振り返る。
「もう止まった」
にこりと笑ったが、苦笑いにしか見えなかった。
太くない。
笑顔が、太くない。
「ちと、ね。ズルしちゃったからね。反動ってヤツが、今頃来てンだ。俺のせいでさァ」
自業自得とはいえ、マイるぜ。
こいつァ。
キャプテン。ボーダー、汚しちまって、ワルいねぇ。
「それどころじゃないだろ! ゴロー! ほら、座って! 動かないでくれ!!」
「ああ、そう、するワ……すまンねぇ。ちと、休むねぇ。こんなとき、に。バーゲストを……」
はあはあと、息が荒くなっていく。
熱っぽい視線が、マスターに向けられた。
その中に綴じられた悲しみと怒りが、自分自身に対するものだと、マスターにはよく分かった。
いざという時、そこにいられない自分。
力がありながら、それを発揮できない自分。
自分の無力。
そういう状態にあることが、そういう状態になって、俺にここ一番を託さざるを得ないことが、この人は許せないんだ。
そこまで、汲み取っていた。
だから、マスターはゴローの前に立ち、膝を着き、目線を合わせた。
弱っているとはいえ、全能者の、星を吸い寄せる黒い瞳と、真っ向から対峙した。
「任せてください! バーゲストは、必ず、俺たちが助けます!」
ゴローは、にこりと笑った。
ここまで、ここまで煌めく目で見据えられては、マイるしかなかった。
諦めのような、悔しさのような、子供のワガママのような目で、ゴローは笑った。
太い──笑みであった。
それを、側から見ていたキリシュタリアと、駆けつけたぺぺは、我が後輩の誇らしさに、胸がすく想いであった。
2.
──聞いておきたいことがあるのです。
自らの体重故にベッドに横になれず、壁にもたれるゴローに、ホームズは言った。
ゴローはン、と顔を上げて、その顔で疑問を返す。
何をだい?
血の気が引いた顔であった。
「あなたが、なぜ、今になってこの國を──我々を助けようとしているのか、です」
「それは、話したじゃない」
ゴローの言葉に、ええ、と頷く。
だが、それは納得のいっていない頷きであった。
まだ、引っかかる点があるのだと、伝えている。
ゴローは、頭を掻いた。
指先でポリポリ掻くのではなく、掌で頭をつかみ上げるような、豪快な動きであった。
それを見計らって、ホームズは言葉を変えた。
「なら、言葉を変えましょう。私は──あなたがなぜ、
「……マイったねぇ。流石はホームズ……」
やっぱ、ダマせねぇよな。
やっぱ、世界最高の名探偵。
かわしきれねぇよな。
そゆとこ、俺の知ってるホームズそのものだねぇ。
と、観念した口ぶりで、ゴローは言った。
「そうさ。俺ァ、この状況を望んでた」
──
俺の目的は、バーゲストを救うこと。
なにをどうしようと、そこに行きたく。
そこが、スタートだからね。
まぁ、結果的に妖精國を、どうにかしなきゃって……ここまで来ちまったケド、骨子はブレてねぇ。
結論から言うと、バーゲストの呪いをどうにかするにゃァ、この瞬間しかなかったンだよ。
「ぜひ、聞かせていただけますか?」
なンか、純粋に好奇心で聞いてない?
まぁ、いいけど。
えっと、順を追って説明すっとだねぇ。
まず、妖精國を救うだけなら、真っ先にオーロラを吹っ飛ばして、ケルヌンノスを、あの大穴ごと消し飛ばして、ついでに、その下に眠ってるヤツも消し飛ばしゃァ済む。
俺はそれができる。造作もねぇ。
だが、それじゃァ根本的な解決にはならねぇ。
「妖精たちは、ケルヌンノスの有無に関わらず、滅ぶからですね」
見抜いてるねぇ、流石だよ。
そうさね。
ケルヌンノスとか全く関係ない妖精歴に、妖精たちは──当時の氏族たちは、勝手に滅んでる。
ベリルは初めてブリテンに来た時、なンにもなかったと言っていた。
つまり、ケルヌンノスとか黒幕の思惑とか関係なく、ほっときゃいつか滅ぶんだよねぇ、この世界。
歴史が証明してる。
それも、星が死を迎えるから、とか、隕石降って大量絶滅とかじゃァなくって、勝手に殺し合う。
滅びるまで。
バカだよねぇ。
モルガンは、それを承知で妖精を──ブリテンを救わざるを得なかった。
モルガンだからね。
バカだよねぇ。
ケド、それァ、モルガンがモルガンである限り、仕方ねぇことさ。
歴史の収束ってぇ、ヤツだよねぇ。
ブリテンの救い手の一番槍に、わざわざモルガンを選んだあたり、『楽園』の意地悪さも大概だけどねぇ。
救わずにはいられないでしょ、そんなの、モルガンには。
モルガンは、モルガンとして生きた。
だが、そのためにゃァ『楽園の妖精』の役割は捨てなきゃいけなかった。
バカだよねぇ。
骨の髄まで不器用さ。
アルトリアそっくり。
だから、救世主としては一流でも、政治家としてはどこまでも二流なンさ。
でも、愛さずには、いられないでしょ、そのバカさは。
俺ァ、神。
でも、人だ。
悪く言えば、
人にも戻れず、神にもなりきれない半端モンが、俺だ。
ブリテンを愛さずにはいられないモルガン。
それを憎み、しかし、『楽園の妖精』でもあって、でも、それでも、ブリテンを愛した。
半端モンなりに、愛するものをなんとかしようとしたのが、モルガンだ。
俺ァ、尊敬したよ。
モルガンだけじゃねぇ。
話で、たびたび出してたオーロラ。
アイツなんか、すげェんだ。これが。
美しく、輝く妖精であること。
それがオーロラの生きる意味で、目的だ。
だから、迷いなく、全てをそのために使うんだ。
ただひとつの目的のために、全てを注ぎ込み、そこにいっさい疑問を持たねえ。
究極の自己愛。
まァ怪物だけど、それァ、ヒトが失いつつあるモンでもある。
つまり、目的のために迷いを持たないコト。
こう、と決めた一本の道を進み続けること。
それァ、人間が『そうありたい』と思いつつ、なかなかできないことだ。
オーロラだけじゃねェ。
ウッドワスも、スプリガンも、バーゲストも、メリュジーヌも、バーヴァン・シーも。
妖精國で生きるみんなは、『そうある』ために、全力で生きてる。
迷いもするけど、根本はブレない。
みんな、己の役割をまっとうしようともがいてる。
もし、モルガンが本当にその気なら、オーロラなンかウーサーが死んだ時に、殺してるハズだもの。
真贋を見抜く妖精眼を持ちながら、ウーサーに毒杯を飲ませた犯人を、モルガンが見抜けないワケはないねぇ。
でも、結局殺してなかったのは、その生き方に、敬意を持ってたンじゃねぇかって、思うンだよね。
「敬意──ですか?」
うん。
自分の使命を、どこまでもまっすぐ行うオーロラ。
使命から逃げて、夢に逃避するモルガンにゃァ、彼女は眩しかったんじゃないかな?
オーロラはウーサーを毒殺したが、それは自分の役割を果たした結果だもの。
もし、その彼女を、役割を捨てて生きるモルガンが殺したなら、そりゃァ嫉妬と羨望で殺したコトに、なっちまう。
つまり──モルガンが忌み嫌う、妖精的な殺意で、殺したことになっちまう。
役割を捨てたものが、役割を担うものを、嫉妬で殺すコトに、なっちまうもの。
それが、モルガンには、許せなかった。
最後の一線を越えねぇための、戒めだったンだろうなぁ。
んで、バーゲストに関しては、単純なハナシさ。
モルガンが死につつ、ケルヌンノスが目覚めて、メリュジーヌが厄災化するのと同時──それらはタイミングが揃わなきゃならン。
それぞれ単発で厄災化したところで、モルガンの水鏡とロンゴミニアドで、時空の彼方にサヨウナラか、消滅させられて終わりだもの。
「ずいぶんと、博打を打ちましたね」
分のワルい賭けじゃ、なかったからねぇ。
ゲホっ! ああ、笑わせンなよ。ホームズ。
俺ァまだ、ちと、ハラがいてぇんだぜ?
「……あなたの妖精國への想い。そして、この星の命に対してどう思っているのか、よく、わかりました」
あなたは、慈悲深く、そして、愛深き神だ。
全能の神の貴重なお言葉、感謝いたします。
そう言って、ホームズは丁寧に頭を下げた。
ゴローの表情は、まだ暗い。
だが、想いの丈を話したことで、言葉は力となり、彼の肉を力で満たしてきていた。
原点回帰。
なぜ、自分がこの世界のために動いているのか。
なぜ、自分がバーゲストのために、動いているのか。
記憶を噛み締めて再び飲み込んだゴローの心には、少しづつ、少しずつ、炎が宿り始めていた。
3.
バーゲストとの戦いは熾烈を極めた。
常に魔力を吸い上げる性質。
時間をかければかけるほど、周囲の雷雲を食らって際限なく高まる魔力。
そもそも質量がデカい。
体高が四十メートルはある。
質量は万トンを越えているかもしれない。
いくらマシュ・キリエライトが現在ハイ・サーヴァント状態とはいえ、手に余る敵であった。
そこに、円卓の縁が結ばれる。
汎人類史のランスロットとガウェインが参じたのだ。
一転して、戦いが互角以上になる。
マシュがその突進を受け止め、ランスロットのアロンダイトが手足を細かく刻む。
ぐらついたバーゲストの脳天に、ガウェインの渾身のガラティーンが撃ち込まれた。
バーゲストは、動きが単純であった。
その大きさゆえに、進行方向を変えるだけで大きく身体を動かさねばならなくなり、ランスロットの速度を捉えきれず、ガウェインのガラティーンを躱せない。
攻撃は必然的にマシュたちの正面からしか放てず、動作は大きく、来ると分かっていれば、マシュが防ぐことに支障はない。
ランスロットとガウェインの技巧、経験、パワーに、それらを組み合わせた戦術に、バーゲストは何ひとつ追いつけない。
マシュは思う。
マスターは思う。
これならば、まだ、バーゲスト──妖精騎士ガウェインの方が、何倍も強かった!
──最果てに至れ、限界を越えよ。
──彼方の王よ、この光を御覧あれ!
マシュの背後から、その光が溢れ出す。
力の奔流は、詠唱に合わせてより激しく、より大きくなっていく。
「『
光を纏った剣が、神速を持ってバーゲストの前足を斬り砕く。
斬り砕かれた切断面が、残留した蒼い光の爆発に巻き込まれて、肩まで吹き飛んだ。
咆哮を上げて、バーゲストが前のめりに倒れた。
好機──!!
それを見逃す円卓の騎士ではない。
ガウェインはガラティーンを放り投げた。
頭上で回転するそれが、太陽の力を収束し輝きを増していく。
──この剣は太陽の映し身!
──もう一振りの星の聖剣!
──あらゆる不浄を清める焔の陽炎!!
『獣の厄災』を絶命たらしめるために、
バーゲストを滅ぼすために、
回転は速まり太陽の力が高まっていく。
マスターが、ダメだ!
と叫ぶ。
伸ばすその手を、マシュが止めた。
もう止められない。
ガラティーンを受け取ったガウェインには、熱と力が強すぎて近づけないのだ。
ガウェインは、ガラティーンを脇に構えて、下から振り抜かんとした。
──その手が、上から抑えられた。
「──!?」
「なっ!? ……ガウェイン卿の一振りを、止めた!?」
収束した太陽の力が、行き場を失って暴発しかねない力が、ガウェインの手を抑えた男の身体に、光の粒となって取り込まれていく。
「すまんねぇ。こっからは、任せちゃくれないかい?」
マスターが、その名を呼んだ。
「ゴローさん!!」
間に合ったんですね!!
と、その顔は喜びであった。
ランスロットがマシュに説明を求めた。
マシュは振り返って、
「『神さま』です、お父さん!!」
わたしたちを、護ってくれていた!
と、目を輝かせた。
「なんだ……キミはッ!?」
一番驚いたのは、誰を隠そうガウェインであろう。
ガラティーンの握る手を完全に抑えられた。
腕が、全く動かない。動かせない。
ものすごい力であった。
いや、そもそも発射寸前のガラティーンに触れて、全く無事なのはなぜた!?
ガラティーンの力が、この男に取り込まれているのはなぜだ──?
そこで、ガウェインは、抱き締められた。
両手で、上から包み込むように、抱き締められた。
動けなかった。
決して、力を込められているわけではない。
だが、この身を包み込むそれは、例え用のないほど『大きな』ものであった。
あえて喩えるならば、それは──
──
今、自分は
そう、思わずにはいられなかった。
ありがとうねぇ。
と
ぽんぽんと背中をたたかれて、ハグを解かれた。
「あの──」
ガウェインは、最後にと、その背を呼び止めた。
「どこかで、お会いしたことが……?」
ゴローは、顔だけ振り返って、ニコリと笑った。
白い歯を剥き出した、悪戯な笑みであった。
「ン──どっかで、肩を並べてた
それだけいうと、バーゲストに向き直って、歩き出した。
その歩みは、太かった。
なんの淀みもなく、憂もなく、真っ直ぐに。
バーゲストに向かっていった。
4.
目の前に現れた力。
それらの攻撃が止んだ。
前は両足とも切り崩されたが、雷雲を飲み込んで魔力を肉体に変質させて補う。
──食べる
ただ、それだけ。
バーゲストにあるのは、ただそれだけ。
もはや、引き連れていた黒犬たちですら、彼女の食糧となっていた。
──足りない
──足りない
──足りない
空腹。
とにかく、空腹であった。
大きな、力。
突然現れた、大きな力。
こちらに向かって歩む、太くて大きな力。
あれを、食べたい。
少しは、腹も膨れるだろうか?
満たされるだろうか?
それだけを思って、バーゲスト突進した。
──そして、軽々と受け止められた。
自分の方が、大きい。
自分の方が、重い。
なのに、顔に手を回され、重さをかけられて、全く動けなくなった。
強い力だった。
口を開けなくなった。
手足を、身体をもがかせて暴れるが、微動だにしない。
それは、言った。
──大丈夫。
なにが、大丈夫なのか?
──よしよし、大丈夫。
それは、手で、触れる部分を撫でた。
優しい、撫で方であった。
ふとくて、おおきくて、ごつごつした指だった。
──ちょっと、癇癪起こしちまっただけなんだよな。
優しい声であった。
染み込むような、声であった。
バーゲストは、それが、なぜか嫌になった。
嫌であった。
余計に暴れた。
だが、びくともしない。
それは、続けた。
──今のおまえさんも、なかなか可愛いぜ?
嘘だ。
この男のいうことは、全部嘘だ。
私は、愛されていなかった。
誰にも愛されていなかった。
愛される資格がない。
愛したものを食べてしまうからだ。
誰彼構わず、食べてしまうからだ。
私は呪いだ。
優しい言葉は嘘だ。
囁く慈しみは、嘘だ!
だが、男の手が、暖かい。
それは本当だ。
だが、男の声が、暖かい。
それも、本当だ。
涙が、でてきた。
余計に、暴れた。
嫌で嫌でしょうがなかった。
自分の存在が、嫌で嫌で。きらいだった。
だが、男は、私の頭を優しく、撫でた。
──約束、守りにきたよ。
『なァに。イザって時は、俺がかるぅく、撫でてやるよ』
──────!!
あ、ああ。
ああああ!
ああああああああ!!!
彼は、来てくれた。
彼は、来てくれた!!
ボロボロと、私は涙を止められなかった。
醜い、醜い黒犬の私に、彼は、言った。
──愛してる。
額を、こつん、と当ててきた。
彼は、もう一度、言った。
愛してる。
愛してるんだ、バーゲスト。
私は、私は……
彼を、疑って、しまった。
そんな、私を、私は、許されていいのか……?
アドニスを、食らった、私が……?
──食事に、貴賎はねェって話で
──この世に、意味のないモンはねェって話さ
彼は、あの時と同じ言葉を、あの時と同じ口調で、言った。
例え、それがおまえさんの罪だとしても、俺が、一緒に償うよ。
なぁに、自慢にもならンが、俺が、俺のために、俺の身勝手で殺してきた生命の数は、この世界のどんなやつより、圧倒的に多いンだ。
今更──バーゲストの罪ぐらい、背負えないほどひょろくはないよ、俺の背中はね。
あ、あ……ああ、ああああああ!!
私の身体から、呪いが消えていく。
星の瞬きの作る河のように、空へと溶けていく。
全てが消えるわけではない。
私の心の奥底には、まだ燻る程度に残っている。
いや、これは、彼が残してくれたのだろう。
共に償う、罪の証として。
私が乗り越えるべき、罰として。
彼の顔が、視線が、はっきりと私の目に収まる。
太くない、笑顔だった。
精悍な顔立ちで、真摯な眼だった。
私は、涙で滲んだ視界の中、彼の顔を、その愛を、はっきりと受け取れた。
「おかえり、バーゲスト」
彼は、言った。
私は、彼の眼を、ちゃんと見返して、言った。
ちゃんと、言えた。
「ただいまですわ……」
そうして、彼の胸に飛び込んだ。
彼は私の頭に手を回して、鼻を啜っていた。
手のひらが、私の後頭部を包み込む。
私は、涙が止まらなかった。
愛してるよ。
いつまでも。
ずっとね。
彼の言葉が降り注ぐ。
私は、彼の胸の中で、うん、うんと頷いた。
もう、疑いはない。
疑う必要なんて、ないのだ。
私を抱き止めてくれるこの人は、私を愛している。
私を抱き締めてくれるこの人を、
──私は、愛しているのだから。