【完結】妖精國に落ちた超越者が、妖精騎士たちにほんの少しだけ救いを与えるお話【挿絵有り】 作:ロウシ
感想でvsケルヌンノスばかり挙げられて見事にスルーされるベリルくんに哀しき現在……
1.
後続はない。
返事がない。
振り返る必要もなかった。
ウッドワスは、とうとう戦火に立つものが、自分一人だけだと悟った。
炎に包まれるブリテン島。
地割れに飲まれるブリテン島。
滅びゆく妖精國。
美しき空は血の色で染まり切る。
地平の果てから聞こえてくるのは、魂を押しつぶす怨嗟の声。
その中で、見渡す限りのモースだけが、この滅びを謳歌している。
身体が、鉛のように重かった。
ここが、どこなのかすらわからなくなっていた。
それでも、目の前の敵に、ウッドワスは爪を立てて引き裂いていく。
亜鈴の表皮。
それですら、一万年に及ぶ呪いに巻き取られ、侵されていく。
血を吐いた。
爪が折れた。
骨が、肉が、軋んでいる。
それでも、ウッドワスは敵を蹴散らして進み続けた。
滅びを許せないわけではなかった。
滅びを受け入れられないわけではなかった。
時が来た。
それだけは思う。
積み上げた罪を、精算する時がきたのだ。
そんなことはわかっている。
だが、自分は、戦士だ。
女王モルガンの剣。
排熱大公。
救世主トネリコから続く、ブリテンの守護者。
たとえこの世界にモルガンがいなくとも、私は私だ。
それが、私の存在意義だ。
変わらぬ忠誠を陛下に。
永遠の敬愛を、陛下に。
有終の美はいらない。
そんなものは、オーロラやムリアンが飾ればいい。
ただ、俺は、目の前の敵を。
ただ、俺は最後まで、戦士なのだから。
ただ、ブリテンの敵を、倒す。
最期まで、この指のひとつ動かなくなるその時まで。
2.
バーゲストを取り戻したカルデア。
円卓の騎士たちの退去を見届けた彼ら。
ふと、間が空く。
心の間。
そこに、漬け込むように、ベリル・ガットが強襲した。
ひと息をつく間も無く──文字通り、それがベリルの狙いであったが、
その後ろに、ベリルを射すくめるカルデアのマスターも、同様であった。
シールドで弾く。
ベリルは弾かれた力に逆らわず、飛び下がる。
距離が空いた。
それは、物理的な距離だけではなく、心の距離でもあった。
再び、間が、空いた。
両者が、十分に呼吸を整える。
バーゲストが熱していた大気は、彼らの口の中を、肺の中を、むわりむわりと熱していく。
「──なんだよ、驚かねえんだな」
どういう意味であろうか。
灰色の、獅子の姿。
分厚い肉と皮膚に包まれた、終末の前に滅び去った、シェフィールドの領主の姿。
死体となったボガードの霊基を取り込んだ、ベリル・ガットの、悪趣味極まる姿である。
だが、それを、もはや、マシュは飲み込んでいる。
飲み込んで、受け入れている。
ボガードへの侮辱。
その誇りを穢す行いに、怒りを忘れたわけではない。
ただ、理解していた。
理解が、理性をもたらす。
そうして理性的に、身体を押しとどめていた。
ベリル・ガットは、こういう人間なのだ、と。
こういうことをする人間なのだという、理解。
そして、奇襲に驚いたどうかで言えば、ぺぺの言葉に、ゴローの語ったベリルの本音に思いを留めていたマシュたちが驚かないのは、当然である。
だから、その言葉が何の意味を持つのか、マシュたちにはわからない。
おそらく、分かる必要もない。
尋ねたところで、答えないだろう。
ベリル・ガットは賢者だ。
智慧あるが故に、凡夫であれない男。
むき出しの真理を身に纏う男。
凡人に、その思考はわからない。
その衣を、いちまいいちまい剥ぐ隙に、殺意の刃を飛ばしてくる。
ならば、謎かけを考える必要はない。
ひょっとすると、その言葉に、深い叡智はないかもしれない。
単に、こちらの心を乱したいだけかもしれないからだ。
それすらも、わからない。
戸惑いを、迷いを生み出し、その隙を突く。
露悪的に間を支配して、感情や理性を失わせる。
そういう戦術こそ、ベリル・ガットの真骨頂でもあるのだ。
「ああ、いいんだいいんだ。おまえたちが、オレのことを知った気になってるのは、知ってる」
ダンナのことだからな。
人がいい、ダンナのことだ。
オレの、嘘っぱちの演技に、騙されてくれたんだよな。
げたげたと笑うベリルを、しかし、マシュは鋭く睨みつけた。
乱されない。
乱されてはならない。
会話をする必要はない。
会話すれば、取り込まれる。
そういう魔性の力を、ベリル・ガットは持っている。
煽り、昂らせ、敵対者の隙を作る。
そこに、鋭い針先をねじ込んで、そこを起点に、人間というものをバラバラにしてしまう。
だから、有無を言わさずに、マシュはシールドを振りかぶる。
容易く躱される。
劣化しているとは言え、その霊基は牙の氏族における実力者。
やはり、手加減できる相手ではない。
ゴローとバーゲストは、何もしない。
見ているだけ。
震える彼女の肩を、強く抱き寄せて、食い入るように、悲しげな目で、見ている。
加勢は、しない。
何より、マシュ自身が、マスター自身が期待していなかった。
彼らは、決着をつけた。
自らの運命に。
自らが引き起こした運命に。
愛を持って。
ならば、ここで、私たちも決着をつけねば。
自分のために、仲間のために、妖精國のために、ボガードのために。
なにより、ベリル・ガットのために。
「なんだよ、見せつけてくれるじゃないか」
ずるいよ、ダンナは。
オレは、ホラ、最初はウッドワスの霊基を狙ってたのによ。
ダンナが横入りしたせいで、こんな型落ちの二流品掴まされて、ガマンしてんだぜ?
なぁ、マシュ?
ひでえ話だと思わねえか?
自分は花束を送って愛を成就させておいて、オレには不良品でプロポーズしろってことなんだぜ?
……そうか!
カルデアのマスター殿は、知らないんだっけ?
こいつ、ボガードと、マシュが初夜を過ごしたってことをさ?
「────」
おいおい、流石にショックみたいだな。
お下がりになっちまったら、もう愛せないか?
おまえの愛はそんなもんかよ?
「──ベリル。いい加減に、言いたいことをはっきり言えよ」
──ッ!
「なんなら、俺が言ってやるぞ。おまえが──」
ああそうだよ。
オレは、マシュを愛してる。
「…………」
おいおい、そんな目で見るなよ。
ったく、可愛げのない野郎に育ちやがって。
人のこと、見透かした目で見やがって。
伊達に、ギルガメッシュやオジマンディアスと肩を並べてないってか?
なぁ──藤丸立香?
「あんたのゴタクはうんざりだよ、ベリル」
おいおい、ひでえじゃねぇか。
同じ女を愛するもの同士、仲良くしようぜ?
もっとも、そっちは色んな女をとっかえひっかえなんだろ?
オレは、あんなバケモノ共にじゃれつかれる毎日なんて、そんな地獄にあやかりたいとは露とも思わねえが、モテモテなんだろ、おまえさんは?
「話を逸らすなよ、ベリル。俺を馬鹿にしたって、マシュがあんたを好きになるわけでも──あんたの愛を、受け取るワケでもないんだぞ」
──言うな。
おまえが、言うんじゃねえよ!!
マシュが決めることだろうが!!
ずっと、おまえが邪魔なんだよ!!
そうさ、オレにはおまえが邪魔なんだよ!!
たしかに、おまえはマシュと、ずっと一緒だったろうさ!
──特異点、亜種特異点、異聞帯。
数えきれないほど、マシュと共に奇蹟を起こしてきたんだろ!?
オレがおまえだったら、なんて言うつもりはねえ。
オレがおまえだったら、他はともかく、間違いなくゲーティアに勝てねえからな!
マシュとここまで来ることが、そもそもオレじゃあできねえ。
でも、好きなんだよ。
オレが最初に、マシュを好きになったんだよ!
オレは、マシュが好きなんだよ!!
だから、とにかく、おまえが邪魔なんだよ!
藤丸立香ァ!!!
足を砕きながら駆け出し、藤丸の目の前で振り下ろされる剛腕。
モースの呪いに侵されきったそれは、割り込んだマシュのシールドに防がれると、自身の力に耐えきれずに爆散する。
「──ごめんなさい。貴方の愛は、わたしにはわかりません」
マシュは、前のめりに倒れるベリルの横っ面をシールドで殴りつけた。
冷静な言葉に反して、暴力的すぎるビンタであった。
──はは、
わかってたさ。
だが、オレは諦めが悪くてね。
フラれたぐらいじゃ、諦めきれねえんだよ!!
奮起して、立ち上がったベリルは──
どばりと、口から血反吐を吐き散らした。
「なん……だ、こりゃ……?」
ベリルが視線を下げる。
胸から、それは生えていた。
ベリルの背から、胸を貫通して、心臓を握っていた。
血まみれの体毛。
長い指と、鋭い爪。
「さらばだ、友よ」
その言葉。
背後から神妙に放たれた言葉を聞き取って、ベリルがそれを理解した時、既に、それは、心臓を握り潰していた。
「は、は──けっきょ、く、オレ、は……こ……な、オチ……よ」
…………
胸に穴の開いたベリルが、ドサリと倒れ込んだ。
目を見開いていた。
もう、死んでいた。
ほぼ、即死である。
行き場を求めたモースの呪いを身に受けながら、立ち尽くすそれは、苦しみではなく悲しみを浮かべていた。
「──ウッドワス」
ゴローがつぶやいた。
ボロボロのウッドワスは、ゴローとバーゲストを見返した。
3.
「ほんとに、こねェンかい? ウッドワスよぅ」
ゴローの言葉に、ウッドワスは静かに首を横に振った。
ベリルを殺し、モースの呪いを受けたウッドワスは、ボロボロであった。
爪は折れ、歯は砕け、体毛はちぎれ、皮膚と筋肉は所々焼け爛れていた。
ブリテン島の大地は、もはや妖精も、人も、存在できる場所ではない。
もう、ほとんど生命は存在しないだろう。
護るべきものもないはずだ。
だが、ボーダーへの搭乗を、ウッドワスは頑なに拒否した。
「オレには、オレのやるべきことがあるのだ」
最期まで、ブリテンのために。
最期まで、モルガンの剣として。
モルガン亡き今、臣下であり、剣たるこの身が、おめおめと生き残るつもりはない。
覚悟が決まっていた。
自らの死地を悟り、自らの終末を覚悟していた。
「そっか」
ゴローが言った。
短く、しかし、寂しさが多分にあった。
「じゃァな、ウッドワス」
──また、逢えるかな?
そう言った。
ウッドワスは、ふっと笑みをこぼした。
「逢えるさ。本来、オレは万全の身体で、おまえを一発殴らなければ、気が済まんのだからな」
ニヒルな笑みであった。
強い言葉であった。
ゴローはおどけて、肩をすくめて、苦笑いした。
「バーゲスト」
ウッドワスは、縮こまるバーゲストに、言った。
「幸せになれ」
そう言った。
満足気に振り返り、炎の中に立ち去ろうとするウッドワスを、ゴローは止めた。
「ウッドワス、全能の神として、予言しといてあげるねぇ」
ウッドワスは、振り返らない。
ゴローは構わず続けた。
「おまえさんは、最期に、星を見るよ。星を見て、その輝きの下で、死ぬ」
ウッドワスは、振り返らなかった。
炎のゆらめきに身を溶かして、静かに、消えていった。
バーゲストは、見えなくなっても、しばらく、その背中を見つめていた。
4.
ボーダーと合流したのは、ソールズベリー
ダ・ヴィンチが、ハベトロットと使い魔を回収して、マイクに別れを告げるためだったと言った。
コーラルの表情は曇っていた。
目線を外し、よろける彼女をペペロンチーノが支えている。
バーゲストとメリュジーヌは、お互いがお互いに、変わり果てた姿に茫然としていた。
「め、メリュジーヌ! ほとんど裸じゃありませんの!! は、はしたないですわ!!」
「バーゲスト! 人に言える格好じゃないだろ!? だいたいそのジャケット、
「こ、これは、その……彼がその場で作ってくれたものですわ……」
「オーダーメイドじゃないか! 余計ずるい!!」
ゴロー、私にも──
と、メリュジーヌが声をかけると同時に、ゴローは膝から崩れて血を吐いた。
「ご、ゴロー!!?」
「ど、どうしましたの!?」
バーゲストが背中をさすって、二人が顔の前にしゃがみ込む。
藤丸立香も、マシュも、ホームズさえも、混乱していた。
なぜだ?
無限力の体現者である彼が、なぜここまで消耗している?
バーゲストのせいではない。
『獣の厄災』の状態であった彼女とはいえ、その力はゴローの力に比べれば微々たるものだ。
彼をここまで疲弊させる力ではない。
ケルヌンノスの呪い?
いや、彼がここまで弱るほど強力なものなら、我々はとうに死んでいる。
バーゲストは、ただひとり、ここまで弱ったゴローに見覚えがあった。
それは、ゴローを最初に見つけた彼女だけが知る、ゴローの弱り果てた姿。
「まさか……『神の毒』ですか……?」
『神の毒』。
ここにいるものたちが、初めて聞く単語であった。
唯一、ランスロットだけが、聞き覚えがあった。
だが、それを知らぬ者たちにも、それがどんなものであるのかは察するに余りある。
ゴローは血を拭いながら、頷いた。
そうだねぇ。
と肯定する。
あいつに、どっかで、撃ち込まれちまってたねぇ、これは。
「俺ァ、ここに、来る前にねぇ。『
ちょっぴり、ズルしちゃってねぇ。
おうちゃくしたんだよねぇ。
血まみれの顔で、やれやれと笑った。
観測可能な限りの、全ての過去、現在、未来の世界に量子化して観測、介入したのだとゴローは言った。
バーゲストには何のことだかわからなかった。
ゴローの肉体に、そもそもあの毒を打ち込めるものがいることが、信じられなかったのだ。
「バーゲスト。俺ァ、マンチェスターで落ち着いてから、俺が落ちてきたトコに真っ先に行ったんだ。ケドね、俺が吐き出した『神の毒』のカタマリは、どこにもなかった」
それは、あの熱した鉄の塊のようなもののことだろう。
ゴローが喉を引き裂いて、そこからごろりと出てきたアレだ。
しくじったねぇ。
間違いなく、あいつがそれを、先に回収してる。
そして、どっかの未来で、何を犠牲にしてでも、俺に、撃ち込みやがったんだ。
「それは、Mr.ゴロー。その人物は──」
「オベロン、だね?」
藤丸立香が言った。
吐き出す名前を先に言われ、ホームズは目を見開いた。
ぺぺロンチーノは、やっぱりと、目つきを鋭くして口を引き締めた。
キリシュタリアも同様である。
コーラルは、絶望的な表情であった。
ここに、パーシヴァルがいたのなら、全く同じ表情をしたであろう。
ゴローは笑っていた。
「なンだ、気づいてたンだねぇ」
さすがだねぇ。
やるねぇ、藤丸くん。
と、
「だが、そのオベロンが、どうやって?」
ホームズの疑問に、ゴローは答える。
オベロンは、たぶん、ある程度運命力を認識できるンだ。
当然、それに、少しだけ干渉することもできるみたいでねぇ。
多層多元に遍在した確率状態の俺を、認識していた。
だから、さっきも言った通り。
どっかの未来で、俺に『神の毒』を撃ち込ンだんだ。
あらゆる犠牲を払って。
何としてでもねぇ。
「わ、私にはわかりませんわ! というか、根本的に無理ではなくて? ……オベロンが、その、そんなに強いとは思えませんもの……」
「そうだよ! ゴローの身体を傷つけられるぐらい……そんなに強いなら、自分でモルガンを倒せたはずだ。わざわざカルデアを使う必要もないでしょ!?」
バーゲストとメリュジーヌの問いかけに答えたのは、ホームズであった。
「……量子論に沿う現実世界に、ゼロパーセントと百パーセントの確率はありません。未来が無限に存在するのなら、千億のうちのひとつ……いや、那由多のうちのひとつは、なんらかの要因が重なって、そうなってもおかしくはない……」
存在しうるのです。
彼が、この世界に身を預けている以上は。
彼が、死ぬ世界も。
そうさね、流石はホームズ。
とゴローが引き継いだ。
「異聞帯の歴史は、最終的に一本の時間線に、収束する。つまり、多元的な未来も、結局はある程度の運命は据え置きで、ひとつの未来になっちまう。多層的に存在をバラまいた俺も、俯瞰視点をやめたら『今』の本体に収束しちまう」
そン時、遍在の『状態』が全部本体にフィードバックしちまうんだ。
だから、別の俺が、俺じゃどうしようもない毒を仕込まれてたり、別の俺が、瀕死の状態にされたりしてると、ひとつの俺に収束した時に、その状態が全部現れちまう。
なんせ、多方で観測して干渉してる俺も、全部『俺』そのものだからね。
「で、でも貴方の体力なら──」
そこまで言って、バーゲストはまさかの可能性に気づく。
「ま、まさか。ゴロー、貴方。体力が──」
「そうさ。俺の体力は、最初の謁見の時から、ほとんど回復してねェンだ」
俺の、元々の体力は無限大だもの。
それが、無限小数のレベルまで、削られてた。
そっから無限大の体力を元通りにするためにかかる時間は、当然、無限大になるンだよ。
単純なハナシさ。
俺ァ、一年前からずっと、妖精國じゃァずっと、本来のパワーと比較すンなら……〇.一パーセントも力を発揮できてねぇ状態なのさね。
── その通りだねぇ。
──ここが仮に『無の領域』だったとしても、
──俺はここの無の領域に投げ出されて、数千年数万年、傷が癒えるまで孤独に過ごしてたと思うねぇ
最初の謁見の時に、捲し立てた言葉。
アレは、やはり比喩ではなかったのか。
「じ、じゃあ。また毒の塊を外に出せば……!」
「ムリ、なんだ、バーゲスト。収束……したのは、『毒を、撃ち込まれて、毒に……侵された状態』の俺で……あって、毒の、現物が、俺、の……身体に、入ってるワケじゃ、ね……ぇっ! ぐ、があっ!! う、ぐうえっ……!!」
再びの吐血。
血の色が黒い。
量が多い。
ああ、ああ!
とバーゲストは目に涙を溜めた。
どうしようもないのか?
私は……私は……!!
バーゲストは狼狽える。
だか、どうしようもない。
彼の強靭すぎる身体は、治療のためのメスも通らず、魔力なども当然通さない。
アルトリアが、口を結んで、眉を八の字に曲げて、目を見開いていた。
なんで、ここまで……
「まぁ、まだ大丈夫さ。まだ、終わって、ねぇもの」
ゴローの見据える先に、ケルヌンノスがいた。
モニターで確認するまでもなく、その巨大は唸りを上げて穴から這い出てくる。
その呪いを噴き出している。
「よし、ケルヌンノスの対策に移るぞ! やっこさんの身体に関しちゃ、今はどうしようもねえ」
賢人グリムが言う。
その言葉に、はっとしたように、ゴローを一旦思考から行動からどけて、各々が動き出す。
ゴローは内心、感謝していた。
こう言う時に、厳しい言葉で場を締めてくれるのはありがたい。
流石はオーディンの依代。
使命のために動く英雄。
「しかし、ケルヌンノスに近づくためには、あの手を何とかしなければ」
やるべきことは、決まっていた。
ケルヌンノスの纏う呪層を物理的に剥がし、ロンゴミニアドを撃ち込み、崩壊させる。
だが、そのためにはケルヌンノスをこちらの攻撃射程内に収めなければならない。
つまり、呪いを浴びながら呪層を剥がす必要があった。
そのためには、ボーダーを接近させなければならず、無数にうごめき伸びてくる手を止めるなり祓うなりしなければならない。
さらに、ケルヌンノス自体が発する超重力──ブラックホールに匹敵しうる超引力をなんとかしなければならない。
呪いの手に関しては、賢人グリムがボーダーそのものを『泉』とすることで防げると言った。
『泉』は、かの大神の聖域──結界である。
この場にその効果を疑う者はいない。
ボーダー自体を水平浮遊させることも不可能ではない。
この場に揃う者たちならば、ケルヌンノスの呪層を剥がすこともできるだろう。
と、なれば、問題は……
「あの引力だ。呪層と違って、アレはケルヌンノス自体の質量と存在の規格が引き起こす物理現象。つまり、オレの『泉』じゃ打ち消せねえ」
「い、引力を消すなど、できるのかね? 技術顧問!?」
「そういう魔術もあるだろうけど、アレだけの規模に効くかと言われると……そもそも引力は、質量物質なら誰もが発生させる力だ。宇宙の物理法則そのものなんだよ。そんなものを一方的に消す方法なんて──」
あら、あるじゃないですか。
物理法則を超えたモノなら、そこに。
突如、ボーダー全域に声が響く。
氷のように冷たく、砂糖菓子のように甘ったるい声。
ゴルドルフが慄いた。
こ、この声は……
「タマモヴィッチ・コヤンスカヤ! な! こ、ここにきて妨害かね!?」
あら、失礼な事をおっしゃいますね。
「コヤンスカヤ、何か方法があるんだね?」
はぁい、流石はカルデアのマスター。
偏見を持たぬ純情ぶり、そういうの、敵に回すと滑稽に感じますけど、味方と考えると話が早くて大助かりですわ。
ええ、私、友人の頼みを叶えるために、せっかくのチケットを使ってしまおうと思いましてね。
──全能者にいただいた、『肩たたき券』を。
「いいのかい? せっかく俺が、善意で、あげたのに……」
ゴローは、何のことかわかっているようだった。
バーゲストが、えっ? とゴローを見つめる。
コヤンスカヤは、はい! と景気の良い声であった。
どうせ、後にとっておいても、カルデアの殲滅に使えるワケではありませんし、使えぬまま古ぼけて、エリクサー症候群に真っ逆さまは、勿体なさすぎますもの。
こういうのは、どばーっと使っちゃいます!
「ゴロー! どどどど、どう言うことですかっ!? この声、明らかに女性のものですわよね!?」
「落ち着きねい、バーゲスト。叩かないで、今はマジでいてェから。ハラに響くから。良いのかい狐ちゃん、一回きりだぜ? そいつァよ」
使うと言ったら使いますよ。
正直惜しいな……って思ってもいますので、決心の鈍らぬうちに、お願いしますわ。
5.
藤丸立香、マシュ、キリシュタリアたちは甲板に登った。
先頭にグリムが座り、ルーン魔術を唱える。
大神の魔力がボーダーを包むように展開され、迫り来る呪いの手をかき消していく。
素晴らしい景色であった。
この場に居合わせた事は、また、ひとつの奇蹟である。
キリシュタリアたちは感嘆し、
コーラルはその神秘、神聖に息を漏らす。
メリュジーヌは、さすがオーディンの力と喉を鳴らして見惚れていた。
ゴローがずい、と前に出た。
グリムの五歩後ろに立った。
「さて、じゃァ全能ではない、
──なに?
誰かが思った。
誰もが思った。
全能が、固有能力ではない……?
向けられる疑問の視線をわかりつつ、ゴローは胸の前で両手を組んだ。
そこから、掌と指を丸めて、球状の空白を作る。
──我が師の技を、少しお借りしようかねぇ。
そして、呟くように、言った。
「無無開闢」
と。
6.
計器が反応しない。
ボーダーの計器が反応しない。
ゴローを中心に、グリムの『泉』に重なるように放出された光は、ボーダーをすっぽり包み込んだ。
同時に、ボーダーに掛かっていたケルヌンノスの引力が消える。
それがなぜ引き起こされるのか、ダ・ヴィンチたちにはわからなかった。
計器が反応しない。
いや、反応してはいる。
反応はしているのだ。
計測不能と、メッセージを吐いて、止まっているのだから。
「な──これは、なんだい? 何をしたんだい、ゴロー?」
白い光の只中だと言うのに、こちらからはケルヌンノスの姿はハッキリ見えている。
だが、引力だけが、光に接触した瞬間に『消滅』していく。
ゴローはこの力を無無──そう言った。
つまり、無無を生み出し、広げるモノだと言った。
ダ・ヴィンチが思考に糸を張り巡らせる頃、プロフェッサーがあ、と言った。
キャプテンが、何!?
と尋ねた。
プロフェッサーは、言った。
「こ、これ〜オリュンポスで、見ました〜」
それが、ダ・ヴィンチの考察に、ダイレクトに答えを叩き込んだ。
「そうか──これ、宮本武蔵の……」
機神カオス。
オリュンポスの神々の、原点であり総体。
そこに在りながら、次元の異なる点に存在したダイソン球。
そこに至るために、それを斬るために、宮本武蔵は『無空』に達した。
無を斬ったのだ。
これは、その時の状態と、そっくりだ。
「無無……確か、インドの数学概念ですね」
ホームズが言った。
どういうこと、と藤丸が尋ねた。
「数字としての、ゼロ。そこから数字を低くした時に、マイナスに振り切るのではなく、ゼロの『深度』を切り開く概念です」
ゼロの深度。
それは、無限の濃度と、ある意味対を成す概念。
それは、厳密には数学の概念ではない。
哲学的な領域の概念である。
簡潔に言うと、ゼロという状態は、無である。
この状態から、ある意味『下に落ちる』のが数の状態において、マイナスの状態を指す。
しかし、インド──引いては、仏教の概念には、無の状態は、厳密には無ではないという概念があるのだ。
なぜなら、無になった世界は、『無になった世界という有』の状態であるからだ。
ならば、それをかき消し、真の無の状態を考える。
しかし、それもまた、『無の状態をかき消す無によって、無を消した無の世界という有』となってしまう。
無に、無が重なる──だから、これを無無と言うのだ。
それが、段階的に連なる。
無。
無無──無空。
無無無──無時。
無無無無──無尽。
無無無無無──無圏。
無無無無無無──無明。
と言った具合に。
無に、無を重ねる。
無かったことを、無かったことにし続ける観念。
それに、終わりはない。
余談であるが、おそらく、汎人類史に存在する方の宮本武蔵は、晩年、籠った霊洞において、雲の隙間から挿す光を斬っている。
この時、武蔵は仏/神を斬ったのだ。
神仏を──空を持って、無を持って斬り伏せる。
宮本武蔵は正保二年に没する。
享年は六十二歳。
つまり、宮本武蔵という傑物は、わずか六十年たらずの生の中で、『
ならば、女性の宮本武蔵が、機神カオスへの道を、その光を『斬り開けた』のは、ある意味当然と言える。
「そうだ。俺の本来の能力は全能じゃねェ」
──万物万象の消滅。
それが、俺のエネルギーの本質。
俺の、固有能力さね。
俺たちの
普遍的能力を極めた場合、その末に到達する最終点だもの。
だから、基本的に誰もが持ってる。
それぞれに到達する方法があるンだ。
量子力学論、大統一理論、反響の逆算、超ひも理論……
俺が知るだけでも、論理的に生命体が全能に至る手段は十七種類。
俺が使えるのは、そのうち五つぽっちだけどね。
「──おかしい話ではない。私たちの領分で言うところの、『根源』に至る道と取れば、それは決してひとつだけではないのだから」
キリシュタリアが言う。
理性的な言葉であるが、驚嘆が隠しきれていなかった。
とにかく、とゴロー。
これで、なんの憂もなく、ケルヌンノスと戦えるぜ?
そうだ。
と藤丸立香が言った。
ここからは、俺たちのやることだ!
へなへなと腰を落とすゴローを、バーゲストが支えた。
ゴローはそれを、藤丸立香たちの意気が立ち昇るのを見ていた。
全員が、やるぞ!
と気合を入れている。
ここまでお膳立てされたのだ。
やらなければ、魔術師として、末代までの恥だね。
とキリシュタリアが言った。
そうね、『神さま』にばかり働かせるんじゃ、バチが当たるわ。
とペペロンチーノが不敵に笑った。
マシュ、カイニス、メリュジーヌ、そしてアルトリアがそれぞれ戦闘態勢に入る。
バーゲストがすっと立ち上がり。
「いってきますわ」
と言った。
ゴローは、
「気をつけて」
と、息を切らせながら、言った。