【完結】妖精國に落ちた超越者が、妖精騎士たちにほんの少しだけ救いを与えるお話【挿絵有り】 作:ロウシ
第一話:世の中に冷たくされて、ひとりぼっちで泣いた夜
0.
ひたすら這い上がった。
その男の半生は……いや、結果的に人生のほとんどは、孤独と絶望、疎外感から這い上がることでできていた。
ただひとり。迷い込んだ。
異国どころか、異界の地。
ヒトが空想である世界。
空想が現実である世界。
空の色が違う世界。
海の果てがある世界。
幸い、言葉は通じた。
しかし、ここは人の世ではなかった。
迫害、差別、偏見。
檻に入れられた彼に、それらは悪意なく、しかし、容赦なく襲いかかった。
食べることの意味を知らぬ民。
ゴミを漁るように、ゴミのような飯を食べた。
睡眠の意味を知らぬ民。
いつ遊び殺されるかわからない恐怖で、
性欲の意味を知らぬ民。
この世界で、人間であるというモノたち。
彼らはヒトと言いつつ生殖の概念がなかった。
ある意味、彼にとっては彼らが一番醜悪で、理解不可能なバケモノに見えた。
着飾る必要もなく、
迷いの苦もなく、
病いの苦もなく、
老いの苦もなく、
死の苦すら曖昧で、
故に自制することもなく、
我慢を知らず、
故に創造性もなく、
故に進化も発展もなく、
しかし、欲望は人一倍したたかに持ち合わせ、確かな罪だけは抱えている者たち。
もちろん全ての妖精がそうではない。
意味は理解しているかは怪しいが、創造性に優れるモノもいた。
だが、彼の見てきた比率で言えば、そう言った
ただ、ヘラヘラ笑って、心のままに。
ただ生きるだけのバケモノたちの
涙を流しても助けはなく。
心折れかけても、救いはない。
ひとしきり涙を流し終わって、枯れ果てて。
彼は、立ち上がった。
孤独の世界で、生きることを選択した。
孤独にあって死ぬならば、孤独を捨てて生きればいい。
絶望に飲まれて死ぬならば、自身も絶望の一部となって生き延びよう。
……彼が、汎人類史において、もう少し古い時代に生まれていたのなら、あるいはここで割腹自殺を選んでいただろう。
だが、彼はインテリであった。
先進的な人間だったからこそ、ここに迷い込むきっかけを作ってしまったのは皮肉ではある。
だが、だからこそ、彼は立ち上がった。
絶望の只中で、生きることを選択し、前を向いて歩き出した。
体を着飾り、匂いを誤魔化し、自分を捨て、名を捨て、老いを誤魔化し、性欲を捨て、人間であることを捨てた。
芸術への愛という、汎人類史のかすかな残滓のみを心に残して、彼は生まれ変わった。
やがて、自分の捨てた名前も思い出せなくなった頃、彼は偽りの身分のまま氏族の長となり、ノリッジ──ひとつの街を治めるまでに成り上がった。
その男、汎人類史では名をナカムラと言った。
妖精國において、スプリガンと言う男であった。
1.
昼の少し前。
変わらぬ空を天に浮かべるブリテン島。
マンチェスターの天気は良好。
領主の館の玄関。
ゴローはバンダナを締めて、よし、と息を吐く。
「どこかに行くのですか?」
背後から呼び止められ、ゴローは振り返る。
ガウェインであった。
自宅であることもあって、鎧は着ていない。
普段着であった。
とはいえ、ラフな格好ではない。
きちんと、簡易的ではあるがドレスを着ていた。
髪の毛は一つにまとめて結び、肩から前に流している。
髪を結んでいる髪留めは、小さな黄金色のブローチが申し訳程度に付いている、慎ましくも上品な代物だ。
これは、ゴローの提案だった。
ゴローは、先日のお昼ご飯中に、
ランスロットもそうだったけど、髪の毛がそんなに長いと戦いにくくない?
ぐらいの軽い感じでガウェインに疑問を投げたのだが、それがなんだかやたらとショックだったらしく、その日の夜には髪を纏めていた。
それから、自宅にいる時も鎧姿でも髪の毛はこうだった。
よく似合っている。
着ているものが黒いドレスであるため、色合いも良かった。
ただ、ドレスはぱっつんぱっつんである。
正直着る人によってはゆとりがあるドレスなのかもしれないのだが、いかんせん、発育上等な彼女であるからか、結果的に体のラインに押し上げられてピッチピチのタイツのようになっているのだ。
……人間の男であるならば、正直少し、目のやり場に困る服であった。
ゴローは少し照れながら、
これ、そもそもサイズがあってないのでは?
と思った。
あるいは、
この服をガウェインに仕立てたやつは、とんでもねぇ
とも。
「ノリッジにいこうと思ってねぇ」
「ノリッジ?」
「うん」
「なぜです? 何か、欲しいものでもあるのですか?」
「まぁ、散歩がてらにフィールドワークだねぇ。あと、あれ、ホラ……あの。なんだっけ? 彼……金髪の……」
「スプリガン?」
「そうそう。彼に、そのうち寄るよ……って言っといてさ、だいぶ経つじゃない? いい加減顔出さないと、不義理だよなぁって、思ってねぇ」
ああ、あの時か。
ガウェインは思い返す。
最初の謁見の際、退室の前にゴローはオーロラとスプリガンに、そのうち(街に)寄ると、確かに言っていた。
……はて、
とガウェインは思った。
「オーロラの方じゃないのですね」
「……スマンね。誰だっけ? それ」
ゴローはトボけた顔で、ガウェインに聞き返す。
ガウェインは思わずえっ、と言いそうになった。
お、覚えていないのか?
あのオーロラを!?
からかわれているのかとじっと目を見返すが、完全にマジだった。
本当に誰のことだか分かっていない顔をしていた。
それどころか、必死に記憶を探っているのか、うーんうーんと半ば困ったように眉を顰めている。
はてさてと頭を捻って、ガウェインは言った。
「謁見の際に、鏡越しに参列していた妖精ですわ。風の氏族長にして、ソールズベリーの領主。最も美しき妖精、オーロラです」
「あ、あーあーあー! はいはい思い出したよ。あの綺麗な人ね、はいはい」
んで、なんで俺がそっちに行くと思ったんだい?
手を叩いて納得を現し、それはそれとして、ぐりっとした目でガウェインを見た。
ガウェインの質問はおろか、自分で自分の質問の意味が、そもそもわかっていない口振りである。
なんでこんな質問する必要があるんだい?
ぐりっと見開かれた目がそう尋ねている。
そんな目で見つめられだものだからか、ガウェインは、なんだか自分がとても恥ずかしいことを勝手に考えたのでは……と思った。
口籠もる。
頬に熱がこもってきている。
何か弁明をと思うが、言葉を選んでしまってもごもごしていた。
時間をかけてしまったせいか、やっと吐き出した言葉は、不自然な熱を持っていた。
「て、てっきり……人間の殿方は、ああいう女性を好むものかと……」
「ひどいなァ」
すみません、と俯くガウェイン。
呆れられただろうか、と落ち込んだ。
しかし、その頭上に降ってきたセリフは、これまたガウェインの予想とはズレていた。
「俺の目ン玉ァ、そんなに曇り曇ったガラス玉だと思われてたンだなぁ。たはぁーッ。こらマイるねぇ……まぁ、自分磨きを怠けてる、日頃の行いってヤツかねぇ……」
「……えっ?」
疑問に顔をあげたガウェインを、ゴローはまぁいいやと受け流した。
「それより、一緒行きたいなら行こうじゃないの。俺は構わンからさ」
むしろ──と一拍間を空ける。
「おまえさんにきて欲しくないのは、
わかった。
とガウェインは頷いた。
「急いで着替えてきますわ。少し、まっててくださいませ」
ぱたぱたと屋敷の奥に走っていくガウェイン。
足取りに、少しばかり喜びが混じっていた。
大きな体に対する、軽快なそれを眺めながら。
別に鎧じゃなくてもいいのにねぇ。
とゴローは思った。
2.
ノリッジは煤と鉄、そして商業の街である。
スプリガンが治めるこの街は、商いの発達が著しく、商業主義のためか妖精國では珍しく妖精と人間の関係が横並びに近い。
ここで尊ばれるのは立派な腕を持つ職人。
あるいはモルポンドを多く持つ金持ちである。
港街でもあるため、海岸沿いには立派な船が並び立つ。
石造りの家が多いのは頑丈さ故であろう。
海風に加え、鉄の加工所──鍛冶場が多いために、傷みやすい木材では街の気風に耐えられないのだ。
街ゆく顔ぶれも土、風、人間とバラツキがあった。
いわゆる交易都市という色が強い街であった。
妖精國で、娯楽品を手に入れたければここと、翅の氏族長のムリアンが治めるグロスターに行けばほとんど手に入るであろう。
街に並ぶ露店は、だいたいどこも鉄や鉱石を加工したナイフ類や、アクセサリーが並んでいる。
しかし、鉄類は妖精にとっては毒でもある。
そのせいか、郊外のモースの発生率もかなり高い。
そういう一面もあってか、ガウェインにとっても、この街はモース討伐のためにたびたび足を運ぶ、馴染みのある街でもあった。
「栄えてるねぇ」
ノリッジに着くや否や、ゴローは関心するように頷いた。
街の概要をガウェインが説明すると、うんうん、とやはり頷いた。
「スプリガン、やり手なんだねぇ」
「まぁ、ヤツは妖精國の中でも……氏族長の中でも、一際黒いものを腹に一物、抱えている男だ」
「ふーん。教養があるンだねぇ」
二人で街を歩く。
向かうのは街でも一際大きな城だ。
それは『金庫城』とも揶揄されるスプリガンの居城。
大砲などはないものの、その見た目は実質的に、どう見ても堅牢な要塞である。
「こ、これはこれはガウェイン様……」
「おお、妖精騎士様……」
「な、なんだあっ、またモースが出たのか? 最近、多いよなぁ」
人気だねぇ、とゴローは言った。
目を細めて、少し悪戯っぽく。
ガウェインはまぁ、と歯切れ悪く答えた。
「嫌い、この街?」
「まぁ、あまり好きではないな……この街が、というよりはスプリガンが、だがな……」
「モルガン絡みかい?」
「…………おまえというヤツは」
はぁ、と息を吐くガウェイン。
ゴローは、あたったねぇ、図星だねぇ。とけらけら笑う。
「ヤツからは、あまり、その……はっきりいうと、陛下への忠誠心が感じられないのだ」
「ほうほう。たぶんこれ、貴重な意見だよねぇ。いいのかい、俺なんかに愚痴って」
「構わない。どうせスプリガンも、私が彼を毛嫌いしていることは気づいている」
「そういうトコ、敏感そうな顔してたモンねぇ、彼。潔癖症っていうかさ」
だから、会いにきたんだよねぇ。
とゴローはつぶやいた。
3.
「おお、ようやく相見えましたよ。親愛なる『
「またまたァ、忘れるワケないじゃないの」
「名前は思いっきり忘れてましたけどね」
「ちょ、ガウェインちゃんそれ言うのひどくないかい? はは……イッツジョークね」
迎えられた場内で、喜びに手を広げるスプリガンとゴローの軽妙なやりとりを、ガウェインはじとりと見ていた。
二人は手慣れた様子で握手を交わしている。
「おや、ガウェイン卿もご一緒なのですね?」
「今、俺ァマンチェスターに世話ンなってるからねぇ」
「そうでしたね。いや、そうですかそうですか。なんにせよ『異邦人』様が壮健そうでなによりです」
「ゴローでいいよぉ。なンか、その呼び方は照れ臭せェし」
「ふふ……またまた……」
この、睨めつくような空気が、ガウェインは好きではない。
喋り方なのか、間の取り方なのか。
あるいは両方か、はたまたガウェインの知らない手練手管の賜物なのか。
スプリガンの話し方はぬめぬめとした虫のようである。
心の内側に身を隠し、わずかに空けた隙間から、こちらの隙をちらちらと目を光らせて伺っている。
餌を前になお警戒を解かない、しかし、餌に食らいついてもなお警戒を解かない。
常に、獣の在り方とは相反する在り方をしている男であった。
「あ──申し訳ないのですが……」
「ガウェインが邪魔かい?」
「なに?」
「いや……まぁ……ハッキリ言わせていただきますと、その通りです」
スプリガンは、
できれば、ゴロー様と二人きりで話したいのですが。
と言って、悩ましく頭を抑えた。
わざとらしく、仰々しい動きだった。
こういういちいち遠回しな物言いも、ガウェインの神経に触る。
「敵は、少ない方がいいよぉ?」
そして、ゴローのこういう、ストレートな物言いも正直どうかと思っていた。
「敵……はは、なんのことやら……」
「スプリガン。とぼける顔は愛嬌があって、なかなか可愛いじゃないの。おまえさんの振る舞い、それはすごく賢いって印象だけどさ。いかんせん……ずっとそれだろうから、敵もめっちゃくちゃ作っちゃってるんじゃないの? それじゃあ、
「……私には私の考えがあります。それは、女王陛下の意向に沿わないこともあるのですよ」
「ウマい返しだねぇ、惚れ惚れするよ」
でも、
とゴロー。
「ここで、ガウェインの同席を許すンなら……その『イザ』って時に、俺が味方ンなるって確約したら、どうよ?」
「…………!!」
「ゴロー……?」
何を言っているのだ。
いくらガウェインでも、今の話の概要は理解できる。
スプリガンは、明らかにモルガン陛下に対して叛意を持っている。
そして、近々モルガンにとって良くない『何か』を起こそうとしているということだ。
そして、ゴローの確約とは、その『何か』が起きた時に、モルガンの敵に回るということではないか。
「ちょ、ちょっとまてゴロー! お前はモルガン陛下に叛意を示すつもりか……?」
「まぁまぁ、落ち着きないガウェインちゃん」
「ちゃ……! ではない! 流石にそれは見逃せん!!」
「失礼ですが、殺生沙汰は勘弁願いたい」
角を抜こうとしたガウェインを前に、ゴローは構えない。
二人の間に、ゴローの前に、スプリガンが割って入った。
「わかりました。ガウェイン卿の同席も許可しましょう。ただし、ひとつだけ条件があります」
「オフレコでしょ? わかってるって」
スプリガンに向かって、にんまりと笑うゴロー。
ガウェインは角から手を離した。
内心、ほっとしていた。
「では、こちらに」
二人は、スプリガンに連れられて城の奥へと向かった。
4.
厳重な壁。
荘厳な鍵。
分厚い鉄の扉。
石造りというよりは、岩造り、鉄造りと言える内装。
二人が案内された場所は、さながら金庫の中であった。
ごごん、と音がする。
扉が閉まる音だ。
がちゃり、と音がする。
鍵が閉じる音だ。
「いいの? 鍵しちゃって?」
ゴローがにやりと笑いながら、スプリガンに尋ねた。
ゴローの言いたいことは、逃げられないんじゃないの?
ということ。
この部屋は、行き止まりであった。
部屋には所狭しと壺、棚、床には部屋全体を覆うほどの大きさのカーペットが敷いてある。
壁には絵画が飾られている。
大きな額縁に入れられて、どれもこれもが几帳面にも床に対して垂直水平である。
そのほかにも、よくわからないものが場所を占めている。
つまるところ、よくできた芸術品や美術品が所狭しである。
部屋の無骨な作りに対して、埃ひとつ落ちていない。
どれも、丁寧に保管されている証拠であった。
出入り口以外の外との繋がりは、鉄格子で固められた窓がひとつあるだけだ。
監視の目もない。
風の氏族の頼りも、この密閉空間には届かないだろう。
美術品以外は中央に、ソファーが二組。
向かい合って並んでいるだけだ。
これほど徹底した空間に、秘密の脱出口があるとは思えない。
にも関わらず、今この場にはゴローとガウェイン、そしてスプリガンしかいない。
出入り口の鍵を閉めたのはスプリガンのため、出入り口に近いのは彼である。
しかし、分厚い鍵を空けて鉄の扉を開くのには相応の時間がかかる。
もし、ガウェインたちがスプリガンに襲い掛かったら、その時点で逃げられない。
スプリガンはゆっくりと振り返った。
「これは、私の覚悟……というのは烏滸がましいですね。あなた方への信頼と思っていただければ……」
「こちらも、相応に覚悟しなきゃねぇ」
ちら、とゴローがガウェインを見た。
ガウェインも、静かに頷いた。
「さて……」
スプリガンとガウェインは、ソファーに座った。
ゴローは座らなかった。
というのも、ゴロー自身が断った。
理由を尋ねると、
「いや、俺の体重に耐えられないでしょ、それじゃ……」
二人は顔を見合わせて、二つ返事で納得した。
「さぁて。じゃあ、遠慮なくお話をしようじゃあないか」
くっ、とゴローは溜めた。
「ナカムラくん?」
その顔に、からころとした、悪戯な笑みが浮かんでいた。