【完結】妖精國に落ちた超越者が、妖精騎士たちにほんの少しだけ救いを与えるお話【挿絵有り】   作:ロウシ

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ツングースカ編最終話です
2024 10/7 誤字修正


最終話:うまくいかない時、死にたい時もある、世界のまん中で生きていくためには

 

1.

 

 

 ツングースカが消えていく。

 その領域そのものが引き絞られるように小さくなり、コヤンスカヤの意識へと還っていく。

 彼らを包む景色が色を、形を変えていく。

 まるで早回しの最中であった。

 やがて、コヤンスカヤの自己は、小さな卵のような楕円形となった。

 ゆるゆると回転しながらコヤンスカヤの胸の前で揺らぐと、彼女の中を一度通り抜けて、指輪の中に入っていった。

 

 三人が、何かを確かめるように向き合い、頷き合う。

 三人とはつまり、神と、獣と、人である。

 彼らは彼らの瞳を見ていた。

 その奥にある理性に了承を得ていたのである。

 かくして、三人は世界の後を追った。

 

 青空が現れた。

 漂白された大地と共に。 

 本物の青空の下、白い大地の上。

 ツングースカ大爆発の跡地でさえ、白に塗りつぶされ、消えているように見えた。

 ゴルドルフたちは、白紙の世界に残された。

 

「……これで、良かったのだろうか」

  

 地平線の果てを見据えて、ゴルドルフはひとりごちる。

 誰に届かせる声ではない。自らの内腑に囁く声であった。

 浮かべるものは戸惑いである。

 神の言われるがままに、コヤンスカヤに救いは差し伸べられた。

 太公望ほどの智慧者がそこに賛意を示した以上、それは確たるものだと言っていいのだろう。

 だからこその『モヤ』が残る。

 

 自分は、彼女に何もできていない。

 彼女が救われることは、心から嬉しいことだ。

 そこに疑いはない。

 疑いはないのだ。

 だが、彼女が犯した罪は、まだ清算されていない。

 

 コヤンスカヤは『異星の神』との取引きにしたがってカルデアを襲い、皇女アナスタシアとオプリチニキを手引きし、カルデアのスタッフたちを殺害した。

 彼女からすれば、あくまで契約に基づいて手引きしただけではあるのだろう。

 が、旧カルデアからのスタッフにとって、そんなことは些細な問題だ。

 コヤンスカヤが旧カルデアの仇のひとりであることには違いない。

 各々の異聞帯においても、彼女はやはり、我々(カルデア)の前に何度も立ちはだかったのは事実だ。

 

 その事実がありながら、コヤンスカヤだけが異界の全能者と人理の智慧者に救われる──

 

 コヤンスカヤが救われることは喜ばしい。

 だが、それとは別に、ゴルドルフの胸中にある種の罪悪感と嫌悪感があるのも事実であった。

 討伐を宣誓した時に、死別の覚悟は決めていた。

 なんだったら、もしかして、いちパーセントぐらいはありうるかなーって、この手で引導を渡すことも覚悟していた。

 しかし、一縷の望みとして。

 彼女が救われることを、あきらめてはいなかったのは事実だ。

 だが、まさか、それがここまでとんとん拍子に進んでしまうとは思ってもいなかった。

 

 これまでの異聞帯では、救ったものより、救えなかったものの方が遥かに多い。

 それは世界の生存競争における必然の犠牲ではあるが、公然とした摂理を前に、だからと言って冷酷無惨に振る舞えるほど、ゴルドルフ・ムジークという男の太腹は横柄ではない。

 

「これで、よかったんですよ」

 

 項垂れそうなゴルドルフに声をかけたのは、キリシュタリアであった。

 彼もまた、さまざまなものを天秤にかけ、自らの測りで差配し、あるいは心を鬼としてそれを捨てながらも、前に進み続けた男である。

 神の摂理に逆らい黄泉還ってまで、人のために道を踏み外した大馬鹿者である。

 だから、その表情が痛ましい。

 私には、その気持ちがわかります。

 ゴルドルフに向けられたのは、そういう顔と、声であった。

 

「結局──……」

 

 ぼつり、とプロフェッサーがつぶやいた。 

 冷たい風が、ふわりと頬を撫でる。

 遮るものが何ひとつない大地を、我が物顔で通り抜けるそれは、こちらにまるで無関心な、星の所作であった。

 それが、身の裡に灯る熱を燻らせる。

 

「私ー、なんのために呼ばれたんでしょ──……」

 

 落胆とは言い過ぎだが、それに近いつぶやき。

 二人には聞こえない声だった。

 独り言である。 

 

 役に立ってもらう。

 意気揚々とした(ゴロー)に言われたが、結局なんの役も振り当てられずにツングースカ事変は解決してしまった。

 全能者たるものの言葉だけに、その裏を深読みしまくっていたプロフェッサーは、かくりと肩を落とす。

 

「いやァ、プロフェッサー。()()()()さ」

 

 これから、おまえさんにゃア役に立って貰うのさ。

 

 声がした。

 ワルいねぇ。お待たせしたねぇ、と。

 ごろりとした岩の量感が、風に乗って耳に届く。

 透き通る青空に腰を下ろす、太い声であった。

 プロフェッサーが顔を上げる。

 ゴルドルフたちが、眉を吊り上げた。

 

 彼らの視線の先に、『指輪の宇宙』に潜ったはずのゴローがいた。

 やあ、と彼は笑っていた。

 巨躯に反する軽やかな足取りで近づいてくる。

 ゴルドルフたちは驚いていた。

 

「なななななな!? なんでっここにい──!?」

「し、新所長ー!?」

「ミスターゴルドルフ!?」

 

 ゴルドルフの言葉は途絶えさせられた。

 ゴローがつい、と人差し指を立てて振るうと、その姿が霧のように消えていったからだ。

 慌てふためくキリシュタリアたちに、ゴローはぱちりとウインクを投げた。

 広い口を細く窄めて、それから広げて笑う。

 安心しねェ、と言った。

 しっとりとした質量の声であった。

 

「ゴルドルフさんにゃア、藤丸くんたちと先に、ストーム・ボーダーに帰ってもらっただけさね」

 

 こっから先の光景は、ゴルドルフさんにゃアちと、キツいだろうからねぇ。

 

 ケラケラと顎を引いて、胸に溜めるような笑みをこぼす。

 えくぼの眩しい笑顔であった。

 ここにいるのは、キリシュタリアとプロフェッサーとゴローと、()()()()()となった。

 ゴローの視線がつい、と浮かび上がる。

 その目が、キリシュタリアたちの横を通り過ぎる際に、背後(うしろ)を見ねェ。と誘導していた。

 

 キリシュタリアたちは、恐る恐る振り返った。

 そこにいたのは、

 

「あ、アナタは……アーキタイプ……!!」

「あわ、あわわわ──!!?」

 

 アーキタイプ・アースであった。

 彼女は、また、再び彼らの前に降り立った。

 白紙の大地に立つ、純白のドレスの姫君。

 まるで、風景に溶け込んでいるようであった。

 意味深に半開く血の色の瞳だけが、恒星に浮かぶ黒点のような、静かな光を携える。

 アーキタイプはふう、と息を吐いた。

 その瞳が、ぎり、とゴローを睨んだ。

 

「……あーもう!! つかれた! つかれた! つーかーれーたぁー!!!!!」

 

 ──?

 ────!?

 ──────!?!?!?

 

 はい?

 

「もー! ずっとむっつりしてなきゃいけないから、ほっぺたのお肉が固まっちゃうかと思ったじゃない!!」

 

 甲高い声でぎゃあぎゃあと。

 ほっぺたを大袈裟にふにふに伸ばしてもみほぐし、両腕を宙空にぶんぶん振りながら。

 アーキタイプはゴローに向かって喚き立てた。

 威厳もへったくれもない言動であった。

 幼子の抗議のやり方に近い。

 少なくとも、その所作からは偉大さは感じられない。

 先の会合に見せた、心臓を底冷えさせる神秘性や威圧感などはカケラもない。

 普通の、人間の女の子のようである。

 

「ワルいねぇ」

 

 いや、ワルいワルい。

 臆面なく、ゴローは続けた。

 

「でも、おかげさまで万事ウマいことイっちまったんだわ。ありがとうねぇ」

「『イっちまったんだわ』って、何よその言い方ーっ! 微妙にありがた味が感じられないんだけど!? 貴方みたいな存在だからこそ、もっと私を敬ってよ! ていうか敬えー!!」

 

 えっ?

 えっ? えっ?

 んん???

 

 なんだか距離感が近くない?

 なんだか、この二人、めちゃくちゃ馴れ馴れしくない?

 

「ちょ……ちょっと、待ってください──ゴロー氏──……いや、ゴローさん──……?」

 

 漫才に入れ込む二人の間、プロフェッサーが口を挟んだ。

 自慢の頭脳のかしこさをぶっちぎって、一瞬で天にも登るほど疑問が積み上がっていた。

 もしかして、もしかして?

 ゴローはけらけらと笑っている。

 軽い笑いであった。

 だが、決して小馬鹿にしている素振りではない。

 どちらかといえば、用意していたサプライズを開封したとでも言いた気なそれである。

 ドッキリのネタバラシ。

 その疑問をどこ吹く風である。

 その表情が、答えであった。

 百の言葉より、千の金言のなによりも。

 状況を読みほぐし、解に達したプロフェッサーを讃えているという、説得力を持っていた。

 プロフェッサーはさあっと青ざめて、更に確信を深めた。

 おうさ、とゴローは言った。

 

「最初っからさ。アーキタイプと俺ァ、()()だよ、()()

「えぇ──……!?」

「そら、俺。この世界に来て、キリシュタリアくんたちをカルデアに届けた後、いわゆる抑止力とやらとコンタクトとってるよ。真っ先にね。まァ──そン時俺が挨拶したンは、彼女ではなかったけどねぇ」

「じ、じゃあ──最初っから、全部、演技だったんですかぁーそ、そんなのアリですかぁ──……!?」

「……なるほど。つまり、先ほどのあれは『怖い刑事と優しい刑事』という、アレですか」

 

 おうよ、さすがキリシュタリアくん。

 とゴローは言った。

 

 それは、心理学のひとつである。

 人間は罪悪感を感じた瞬間に、最も素直になる。

 自らの犯した罪に、良心が蝕まれるからだ。

 だから、罪人自らに罪を吐かせる際に、ふたりの刑事が同席する。

 

 ひとりは、強気の攻め気で罪人を問い立てる。

 迫力満点で、「お前がやったんだろ!!」と強い言葉を吐く。

 罪人の秘める罪悪感を刺激するのだ。

 罪人が恐怖を感じ始めると、もうひとりが手を伸ばし、「やめろ!」と言う。

 怖がってるじゃないか。

 と。

 

 すると、罪人はこの時、安心するのだ。

 攻め立てられたことによる後ろめたさの中。

 恐怖と不安が渦巻く中で、差し出される優しさ。

 その優しさこそ、実は鼠取りの刃である。

 しかし、罪人は自らの罪悪感から逃げるために、心理的に「この人は味方だ、いい人だ」と思い込むのである。

 すると、その優しい人にはするすると罪の自白を始めてしまう。

 

 ゴローがコヤンスカヤに行ったものがこれであった。

 

「しかし……いや、よくやれたものですね。コヤンスカヤ相手に」

「まァね。流石のコヤンも、俺ァともかく星の意志にゃア思うところがあったンだねぇ」

 

 普段のコヤンスカヤじゃア、引っ掛からなかっただろうねぇ。

 周りィよく見てるし、アタマ良いからねぇ。

 だから、一番、コヤンスカヤが嫌がりそうなシチュエーションを用意してやったんさ。

 案の定だったよ。

 罪の意識がよぎると、アタマ、(ニブ)くなっちまうからねぇ。

 アレだけ聡明で喋りたがりの彼女が、アーキタイプの登場で、叱られた子供のように素直になっちまったモンよ。

 コヤンスカヤにとって、アーキタイプの存在はまさに、激怒した母親のごとく。

 畏怖の対象だったってェことだねぇ。

 

「だからって、私に『怖い刑事』役を押し付けて、自分が優しく手を差し伸べる係やる!? 普通逆じゃないかしら?」

「しかたねェでしょう? 俺ァどンだけ力があろうが所詮は外様の外様よ。コヤンスカヤも言ってたけどよ、俺のやるこたア本来、この世界にとって一から十まで『余計なお世話』なンだぜぇ?」

「だからって、人を怪奇現象や掃除中のお母さんみたいに扱わないでほしいなー! 論戦で勝てないならおしりぺんぺんでもゲンコツでもしてやればよかったじゃない! 異界の超越者サマには、その程度は楽勝なことじゃないの!?」

「神にゃ神の法があンのよ。あと、地上の生物にとっちゃア、おまえさんはほとんど怪奇現象だし、ある意味で万物のかあちゃんみてェなモンだろ? ……いてェッ!? 足踏むなよ! ヒールで!!」

「ふんだ! 私が怪奇現象なら、そっちは本来邪神も邪神……『君臨者(フォーリナー)』そのものじゃない! 人が見たらSAN値直葬しちゃう系の」

「……マイったなァ、微妙に言い返せねェや」

 

 口を結んで、困ったように眉を八の字に下げ、ゴローは笑った。

 

「あ、あのー……それで、結局、私はなんのお役に立てばー……?」

 

 おずおずと控えめに手を挙げて、プロフェッサーが言った。

 声は震えていた。

 ゴローのその大きな顔がぐわりとプロフェッサーに向き直った。

 黒い、大きな目がぐりっと待ってましたと見開かれている。

 プロフェッサーはびくりと肩を揺らした。

 

「俺がね、この、アーキタイプに聞きてェことがあったンだがよ。いかんせん、それァこの世界のことだから、この世界の知識(過去)智慧(未来)に優れたる二人に、同席して欲しかったンだよねぇ」

 ごくり、とプロフェッサーが喉を鳴らした。

 ぐるりと首を回し、ゴローがアーキタイプを見た。

 

「異聞帯ってェモンについて、聞きてェことがあるンだ」

 

 

2.

 

 

 バーゲストは怒っていた。

 そりゃあ、もう。

 めちゃくちゃに。

 

 気づけば、ストーム・ボーダーの中であった。 

 それは、藤丸立香や、マシュ・キリエライト。

 ツングースカの冒険を共にした伊吹童子とニキチッチも。

 ペペロンチーノやゴルドルフたちもである。 

 ダ・ヴィンチとムニエルすら管制室の中におり、確認したところシャドウ・ボーダーはご丁寧に格納庫に収まっていたという。

 

 ゴローの仕業だとすぐにわかった。

 複数人の長距離瞬間移動(テレポート)など、ゴローか太公望ぐらいしかできないだろう。

 そして、この場に太公望がいないということは、必然術者はゴローに絞られる。

 

 だが、それは良い。

 わざわざこうしたのは、ゴローには私たちに、先に帰っていて欲しいからだ。

 積もる話があるのだろう。

 太公望や、コヤンスカヤと。

 キリシュタリアなる魔術師と。

 企みは彼の振る舞いの常で、彼の計略はしかし、私たちのためである。

 妖精國での記憶から、バーゲストにはわかっていた。

 だから、おとなしく待っていることにした。

 

 鎧を脱ぎ、武装解除し、彼に「おかえりなさい」と言おうと待っていた。

 

 そして、彼は帰ってきた。

 

 そして、バーゲストの言葉はおかえりな、で止まり。

 その表情は、陽光の喜びから極寒の怪訝へと移り変わった。

 

 気まずそうに眉を落とすゴローの隣に、コヤンスカヤが立っていたからである。

 

 

3.

 

 

「どういうことか……納得のいく説明をしていただいても……?」

 

 ゴローの部屋の中。

 四者が揃っている。

 その中心に陣取るバーゲストは、険しい表情であった。

 眉間に皺がより、しかも渓谷の深さを持っている。

 言葉も、表情も、どんよりとした怒りが形作っていた。

 

「いや、だから……」

「先ほど説明した通りですよ、バーゲスト。(わたくし)はゴローさまを代表に、ニュー・ナイン・フォックス・ファウンデーションを立ち上げまして、私はその秘書に収まりました。何か……御不明な点がございます?」

 

 キッ、とコヤンスカヤを睨みつける。

 コヤンスカヤはふふんとメガネを押し上げて、顔をわずかに逸らしていた。

 上背が高いバーゲストに対して、上から目線である。

 露骨に、優越感の滲み出す動きであった。

 

 バチバチに火花を散らす二人の間に、ゴローは正座していた。

 マウンティングは野生の常とはいえ、カンベンしてほしいねぇ……と冷や汗をかいていた。

 

「そもそも会社を立ち上げたからと言って、なんの仕事があると言うんだ? 肩書と形式だけの椅子に座らせて、彼の心を縛れるとでも思っているのか……?」

「あらぁ〜? 騎士道などと、いかにも肩書と形式に命だって捧げちゃうようなものに憧れなさっている、バーゲストさまの言葉とは思えませんねぇ? そもそもアナタだって、ご自分の愛するヒトが、ずーっと無職のプーでいいと思ってないでしょう?」

「そ、それはそうだが……なぜ(ゴロー)が代表でキサマがその秘書なのだ!? 普通逆だろう!」

「そんなの、だって、彼をトップに立てていた方がビジネスの運びは良さそうですし」

「このっ……ああ言えばこう言う……っ!」

 

 ぼんぼん、と手を叩いた。

 ゴローがである。

 二人が彼を見る。

 

「けんかは、しないで欲しいねぇ」

 

 悲しげに微笑んでいた。

 バーゲスト、と呼んだ。

 

「あくまで、俺と彼女はビジネスライクな付き合いだよ。俺が彼女に向けるモンは、おまえさんに向ける()()たァ、まるで別モンさね」

 

 むすっと、バーゲストは口をつぐんだ。

 自分の言葉に納得を見出そうと、言葉を噛み殺し飲み込んでいるのである。

 それを見て、ゴローは、

 良い子だねぇ、良い子良い子。

 と言った。

 

「……もう、子供扱いしないでください」

「ごめんよ。でも、年齢どうので言やァ、ここにいる皆は俺にとっちゃア歳下だもの」

 そういうことで、カンベンしてくんねえかい? 

 安心しねェ。何がどうなっても、俺のこの世界の楔がおまえさんなのは変わらねぇからさ。

 

「……しょうがないですわね」

 

 ふ、と細く息を吐き出した。

 納得しているわけではない。

 嫉妬の気持ちは十分にあった。

 だが、そんな顔で愛を囁かれたのなら、引き下がるのもやぶさかではない。

 

 ゴローは大きな男だ。

 それは、私の身体をすっぽり抱きしめられる身体の大きさももちろんだが、何よりその存在の大きさ……とでも言うものが、とてつもなく大きい。

 空の上からでも、雲を突き抜けてその形と色がはっきりとわかる、山のようなヒトだ。

 引力をその身に纏っている。

 他者を惹きつけて、絆し、包んでしまう力を。

 

「さて、俺ァもう部屋出るけど……」

「あら、どこに行かれますの?」

 

 ちらちらと、バーゲストの前にわざとらしく指輪をちらつかせつつ、コヤンスカヤが聞いた。

 

「本返しにね。あーと……『偉大にして恐るべきされど可憐なる紫式部図書館』……にね」

「……はい?」

 

 ゴローがベットに近づいた。

 彼の自重を支えるためにあつらえた、幅の広く、骨とバネの太いベッドである。

 その枕元に置いてあった、分厚いハードカバーの本を手に取る。

 ……布団の不自然な盛り上がりを、それがもぞもぞしていることも、ゴローはあえてスルーした。

 

 と、布団が跳ね上がる。

 蠢いていたものが立ち上がった。

 ベッドの上に立っても、まだゴローやバーゲストの方が上背がある、小さな少女であった。

 

「メリュジーヌ!?」

「無視はひどいよゴロー! お疲れの身体を癒してあげようと、先回りしてベッドを温めておいた僕に、遠慮せずに感謝しても良いんがふっ!?」

 

 爛々としたメリュジーヌに布団を被せて言葉を遮り、ゴローは本をはたいて持ち直す。

 照れているのか、ゴロー?

 と全く懲りもせず布団を払ってメリュジーヌが出てきた。

 コヤンスカヤと目が合う。

 

「おやおやおや。お久しぶりですねぇアルビオンの……」

「うん? 誰だい、きみは」

「…………」

「ああ! 思い出したよ、あの獣か」

「記憶に残っているようで安心しました。伊達に四十六億歳ではありませんものね。てっきりもう、ボケが始まっているのかと……」

「きみには結構不快な気持ちにさせられたからね。でも、僕は最強だから、過去のことは水に流してあげる!」

「……ふ、ふふふ。そうしていただけると幸いですわ」

 

 ぴきぴきと張り詰めた空気で牽制し合う、犬と、兎と、竜。

 なんだか、ちょっと、桃太郎な気分のゴローであった。

 

 

4.

 

 

 図書館。

 静かに入場したゴローを、式部が迎える。

 おう、香子さん。

 と片手を挙げて挨拶するゴローに、式部は待ってましたと胸を撫で下ろした。

 

 どうしたのかとゴローが尋ねると、式部はそっと、それを指差した。

 

 バーヴァン・シーであった。

 本を広げ、机に突っ伏し、寝息を立てている。

 健やかな顔の横に、バーヴァン・シーの手の何倍も大きく、分厚い本が積まれていた。 

 ゴローは思わず小声で、どうしたの、あれ?

 と尋ねた。

 

「彼女、貴方がよんでいるような本を読みたいと言ってきたんですよ」

 

 式部曰く、図書館に入ってきたバーヴァン・シーは、ゴローが普段借りている本のリストを求めたという。

 だが、書記官としての守秘義務から貸出しのリストは見せられないため、式部自らゴローがよく読んでいた本をリストアップし、バーヴァン・シーに渡したのだと言う。

 

 分厚い本の山に気圧されたバーヴァン・シーであったが、表情は硬くなりつつもお礼を述べて、黙々と読み出した。

 

 そして、しばらくすると、ああなったのだと言う。

 

 仔細を聞いたゴローの心に、朗らかな風が吹いた。

 爽やかで、暖かな光が満ちるようであった。

 それが、収まりきれずに顔からこぼれ出していた。

 笑顔となって。

 ふふ、と声にもなった。

 

「わかった、ありがとうね香子さん。面倒見てくれてたんだねぇ」

「いえいえ、そんな……」

「モルガンが回収に来てねェってこたア、香子さんに預けてても大丈夫だって思われてンだよ、たぶん」

 

 そうでしょうか……?

 と疑念に苦笑いする式部に、

 あとは、俺に任せねい。

 とゴローは言った。

 

「ほら、バーヴァン・シー。起きねい。良い子は起きる時間だよ」

「う……ん? ふにゃ? ゴロー……?」

 

 肩を優しく揺らすと、バーヴァン・シーはうとうとと目覚めた。

 くあっとあくびをして、ゴローの存在を認知する。

 

「あれ、私……そっか、寝ちゃったんだ」

「いっぱい勉強したんだねぇ。すごいじゃないか」

「……そう? い、いや! べ、別に、私だって本ぐらい読むし! すげーことでもねぇよ! マンガみてーな低俗なヤツは読む気もねえけど、本は別!」

「マンガだって、あれァあれで、おもしろいモンなんだがねぇ」

「ていうか、終わったの? その、ナントカスカの異変は」

「ツングースカね。うん、そっちは藤丸くんたちが、万事問題なく終わらせたよねぇ」

「へぇ……ま! そういうことにしとくか」

 

 にやりと確信めいて、バーヴァン・シーは笑った。

 

「そりゃそうとだ。おまえさん、というかサーヴァント全員シオンから霊基グラフに戻るように連絡あったでしょう? 片付けは俺がしといてあげるから、戻りなさいな」

「えー……せっかく帰ってきたのに、土産話のひとつもナシかよ」

「後でいくらでもしてあげるさ。モルガンだって、もう先に戻って、おまえさんのコト、待ってンじゃあないかなぁ……」

「お母様が!? そりゃあヤバイぜ! 早く戻らねーと……でも……」

 

 ちら、とバーヴァン・シーは本の山を一瞥した。

 

「大丈夫。さっきも言ったでしょ? 片付けは俺がしとくさ」

「……ごめん、ありがと」

 

 少しだけ顔を伏せて言うと、バーヴァン・シーは早足で図書館から立ち去った。

 

「……良い子ですね」

「うん、そりゃアもう。モルガン自慢の娘だものね」

 

 さて、とゴローは本の山を軽く持ち上げた。

 

「あ、ゴローさま。私も手伝いますよ」

「いいよいいよ。それよりホラ、香子さんも、一旦霊基グラフに戻った戻った。図書館は()()()()()()()から」

 

 急かすような言葉であった。

 だから、式部は聞いた。

 

「あの……何があるんでしょうか?」

 

 ゴローは本を戻しながら、言った。

 

「『異星の神』が、来るンだよ」

 

 

5.

 

 

 彷徨海そのものが飲み込まれていく。

 降臨した『異星の神』は発生させた擬似ブラックホールに、いとも容易く空間を飲み込ませていった。

 

 しかし、この事態を予言していたシオンの働きによって、ノウム・カルデアはその重要機関のほとんどをストーム・ボーダーに移しており、カルデアたちはからくも脱出したのだった。

 

 そこに、その時、ゴローの姿はなかった。

 だが、それを誰も心配していなかった。

 

 誰もが、あの神がそう簡単に死ぬとは思っていなかった。

 むしろ、ゴローは『異星の神』との敵対、討伐に、自分が直接関わらないことは何度も宣言している。

 そして、彼にとっての楔が、カルデアの召喚したバーゲストであることも承知である。

 だから、どこかでひょっこり合流するだろう。

 

 そう考えていた。

 

 

6.

 

 

 その世界は、汎人類史の時間流からことごとく外れた宙域にあった。

 いわゆる時間外領域である。

 既存領域とは異なる法則に秩序を委ねる神の世界と言っていい。

 

 だが、その宙域は、明らかに人らしい趣向が凝らされていた。

 突き出した岩肌と、荘厳な玉座。

 不規則な作りではあるが、非対称に込められるものは均衡と秩序を促す、神秘的な空気である。

 さながら、神殿の趣きを備えた小さな世界だった。

 

 玉座に在る者が、今、気づいた。

 

 この世界に訪れた闖入者を。

 客人である。

 その力を、玉座の者は知っていた。

 眼下に歩き寄る力は、自らの全能をもってしても御し切れるかわからないほどの、暴威そのものだと。

 

「『超越者(ビヨンダー)』が、我が時間神殿に何用か──?」

 

 玉座の者は、荘厳な声で言った。

 世界にあまねく原子を揺らす声で在る。

 その神のひと声に、しかし、眼下の者は揺らがない。

 

 その者の背後に、付き従う『獣』がいる。

 だが、決して彼の者は、威圧しに来たわけではない。

 

 太い、男だった。

 

 こちらを見上げるその顔は、()()()()()()で見た無機的な神のそれとは程遠い、情感に満ちた深い笑みに彩られている。

 

「ゲーティア。この世界において、比類なき全能者に近き者よ」

 

 しかし、その声は壮大であった。

 壮大で、巨大で、引力を秘めていた。

 時間神殿に内在する宙域が、ゲーティアが気を抜けば全て男のものになってしまいそうだった。

 

 ゲーティアは男と獣を見下ろしている。

 男の口が動いた。

 好奇心からの、動きであった。

 

助言(アドバイス)をもらいにきた」

 

 男の顔が、怪しく歪んだ。

 その黒黒とした眼の光が、ゲーティアの眼をまっすぐに見つめていた。

 

 

 

【ツングースカ編・完】

 




ツングースカ編おしまいおしまい
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