【完結】妖精國に落ちた超越者が、妖精騎士たちにほんの少しだけ救いを与えるお話【挿絵有り】   作:ロウシ

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これにてトラオム〜八犬伝編完結


最終話:混沌と混乱と狂熱が 俺と一緒に行く

0.

 

 

「それで、おまえさんの未来がどうしたっていうンだい?」

 

 口の端をナプキンでぬぐいながら、ゴローは聞いた。

 ホームズは、ちら、と周りの気配を探る。

 

 夕時の食堂であった。

 周りには誰の姿も、気配もない。

 それどころか──時の歩みすら感じられなかった。

 時間が止まっている。

 しかし、ホームズは特段驚いたりはしない。

 予測できていた範囲であった。

 この神ならば、()()()()()()との内緒話をするためだけに。

 あるいは、事の重大さを十分察して、時間のひとつやふたつを止めてしまっても不思議ではない。

 それだけの力を持っている。

 それを扱うべき一線は弁えている。

 だからこそ、こうして話をしにきたのだ。

 

 改めて、ホームズはゴローに向き直す。

 

 四人座りの白い机。

 舞う埃がそのまま静止している。

 ゴローとホームズは真っ向から対座していた。

 ゴローの手元には、今食べ終えたばかりのステーキ皿がある。

 愛用の箸先をナプキンで綺麗に拭き取って、専用のケースに入れて、ごそごそと腰に収納した。

 彼に関わる時間は動いている。

 いや、もしかすると、彼を取り巻いているものは、定命の生物では時間と認識できるだけの、時間のような『何か』であるのかもしれないが。

 

 ようやく、ホームズが口を開く。

 

「結論から先に──いつものように言いますと。私は近い将来、カルデアと離れることになるでしょう」

「……根拠は、あるンだよねぇ?」

 

 こくり、と頷きをひとつ。

 ホームズは極めていつものように、低い、よく通る声で言葉を紡ぐ。

 

「ずっと気になっていたのです。貴方が、最初に私と出会った時……貴方は私に対して『()()()()()()()のか知らンけど、おまえさん、いかにもホームズって顔、してるもんねぇ』と言いました」

「……言ったかねェ、そんなこと」

「言いましたよ、確かに」

「そンで、答えが出た……と?」

 

 ふい、とホームズは少し顔を横に振った。

 否定の意である。

 

「答えと言い切るには抽象的になります。が、私が『誰』かはともかく、『何』なのかは……私の現在の立ち位置と、カルデアに残っている私の記録(マテリアル)の言動を照会すれば、明白でした」

「要するにおまえさん、『使徒』だったンだろ?」

 

 『異星の神』の。

 とゴローは言い切った。

 しかめっ面であった。自分の言葉で気分を害していた。

 面白くなさそうである。

 ホームズはしかし、ゴローの溢す苦い心情を受け止めて、真剣な顔で、

 

「──やはり、気づいていましたか」

 

 と言った。

 いつからお気づきに?

 と続けた。

 ゴローは「ここに来てからだよ」と答えた。

 なぜ、言わなかったのか?

 とホームズは問うた。

 

「そりゃァ……おまえさんよ。『探偵』から謎を解き明かすってェのは、酷なハナシでしょう?」

 

 ましてや、ここにいるお歴々の方達──何人かは気づいてただろうよ。

 とっくにね。

 ひと目で、ヒトの深層を見透すヤツだっているンだもん、ここ。

 例えば、スカディさまでしょ。

 賢王のギルガメッシュに、マーリンに、ああ、アルテミスさまなんかも、案外気づいてそうだよねぇ……

 サーヴァントじゃねぇンなら、シオンちゃんなんかも薄々察してそうだよねぇ。

 あと、キリシュタリアくんもか。

 まあ、つまり、結構いるよね。

 彼ら彼女らは、気づいてて黙ってたンじゃないの?

 それぞれに理由(ワケ)があって。

 あるいは、おまえさんの事情を察したか……信頼してたか。

 なら、後からしゃしゃり出てきた俺が、ドヤ顔でそれ指摘すンのは、違うでしょうよ。

 それじゃア筋が通らねぇもん。

 彼らに対しても、おまえさんに対しても。

 

「…………お心遣いは、感謝します」

 

 ですが、と。

 

「そこまで理解しているなら、私が話す(頼む)()()も、察しておられるでしょう?」

「だいたいネ。そっちこそ、()()に対する俺の返答も、予測できてるンでしょう?」

「ええ、もちろん」

 

 貴方の第一声は、『断る』ですね。

 そして、それに続く言葉は『おまえさんは、俺に払える対価を持っていない』でしょう?

 

「……思考が噛み合いすぎると、ハナシが早くていいねぇ」

 

 そうさ。

 おまえさんの頼みは、『私の代わりにカルデアを見守ってほしい』……こんなトコかね。

 そして、俺の答えは今、まさにおまえさんが言った通りさ。

 その頼みを通すために、おまえさんが、俺に払えるモンはねぇよ。

 厳しいこと言うがね、俺ァおまえさんから──シャーロック・ホームズから学べうることは、もう大体履修済みなのさ。

 何を隠そう、俺の探偵術の基礎からなんやらは、別次元のおまえさんから習ったモンでね。

 

「でしょうね。むしろ、()()と私が違うとすれば、私は純粋なシャーロック・ホームズではない……というところでしょうか」

「……言っとくがね。ホームズって言っても並行宇宙によっちゃア類人猿(エイプ)・ホームズだったり、モフモフ獣人のホームズだったり、ナメクジ・ホームズだったり、コンピュータプログラム・HOL'MEs(ホー・ムズ)だったり、住民全員がシャーロック因子持ちの『惑星ホームズ』なンかもあるからね?」

「……ちょっと、予想外ですね、それは……」

「ま、だからおまえさんが多少混じりモンでも、俺からすればホームズにゃあ変わりねぇワケでさ」

 

 その上で、おまえさん──俺に払えるモン、あンのかい?

 俺からすりゃア、まだモリアーティ教授の方が、学ぶべきモンがあるレベルだぜ?

 並行宇宙に存在する多面性(バラエティ)、教授の方が多いかンね。

 

「さて、そんな俺に──おまえさんは、何を捧げようってんだい? シャーロック・ホームズなンだから、とびきりをおくれよ」

 

 どうせならねぇ。

 と、ゴローは締めの紅茶を口に注いだ。

 肉の後味に支配されていた口内が、きゅっと引き締まる。

 マナーが悪いと理解しながら、ゴローは馴染ませるように舌の上で転がした。

 

「私が貴方に捧げるもの──それは、私の帰還……というのはどうでしょう?」

「あ──なにィ?」

 

 ゴローが訝しむ。 

 何言ってんだ、とその目が睨む。

 ホームズは待ってましたとばかりに、口を回す。

 

「七つの異聞帯(ロストベルト)の存在意義、貴方は疑問に思っているのでは?」

「……そうだねぇ。より正確にゃあ、発生した異聞帯を、カルデアに刈り取らせていることまでひっくるめて、だがね」

「私もそうです。キリシュタリア・ヴォーダイムに話を聞きましたが、本来『異星の神』は彼以外のクリプターを蘇生させる気はなかったと」

()()()()()()()、もともとギリシアの出来レースって言ってたモンねぇ。それで?」

「……つまり、二つの可能性です」

 

 『異星の神』の思惑、計画。

 七つの異聞帯の存在理由。

 彼のものは、キリシュタリアの対価に応えるために、突貫で異聞帯を七つ創り出したのか。

 それとも、キリシュタリアの言い分を予測していて、()()()()()異聞帯を七つ用意していたのか。

 

「……つまり、どっちみち『異星の神』の思惑として、異聞帯の数は七つでなければならなかった……ってェことだろ?」

「その上で、七つ分を『カルデアが切除する』必要があるのだと考えられます」

「根拠は?」

「ブリテンでの、貴方の言動ですよ」

 

 己の推理を、ホームズは語る。

 

 貴方がブリテン異聞帯で、キリシュタリアたちを蘇生させた時のこと。

 貴方はギリシャ異聞帯の過去に行くために、自らを粒子化させ空想樹に入り込んだ。

 そして、空想樹の中に保存されていたギリシャ異聞帯の情報(歴史)に介入しましたね。

 これはつまり、カルデアが切除した各種異聞帯も、すべて、切除されるまでの歴史(情報)は空想樹に内包されていることを意味します。

 

 ここで私が引っかかったこと。 

 それは、『異星の神』がクリプターを蘇生させる条件でした。

 『異星の神』はキリシュタリアの望みで彼以外のクリプターをも蘇生してみせた。

 そのためのリソースとして、キリシュタリアに人数分の人理修復のシミュレートを行わせたと聞きます。

 

 ──デイビット・ゼム・ヴォイドの分を除いてね。

 

「…………」

 

 当初、私は『異星の神』は貴方の側の存在だと推理していました。

 この世界において、完璧な死者蘇生はある種、魔法以上の超魔術です。

 願い叶える万能の聖杯ですら、死者蘇生ともなれば不完全な形に収束する。

 しかし、貴方はそれを、こともなげに行っていた。

 ですので、『異星の神』もまた、奇蹟を『普遍技術』とする、貴方と同じ、外宇宙の存在だと思いました。

 

 しかし、違いました。

 キリシュタリア・ヴォーダイムからクリプターの蘇生条件を知った時、かの神は貴方の側ではないと確信を得た。

 『異星の神』はクリプターを蘇生させるために、人数分の人理修復を必要とした。

 神に払う対価ではなく、神が力を振るうためのリソース(熱量)としてね。

 『異星の神』は、死者蘇生に足る対価を()()()()()()()()キリシュタリアに求めたのです。

 これは、『無限力(全能)』そのものを持つ貴方とは、明確に違う点です。

 

「別に、ベリルくんの命にエネルギー的な価値がないとは思わんがねぇ……」

 

 そうではないのです。 

 ベリル・ガットが人の世の賢者であることはそうだったのでしょう。

 ベリル・ガットは嘘か真か、固有結界を扱えるほどの魔術師だとも記録がありました。

 そして、貴方にとって、かけがえのない友だったのでしょう。

 ですが、その命を持ってしても、この世界では死者蘇生の奇蹟に匹敵するほどではないのですよ。

 釈然としないのはわかりますが、それが世界から見た、ヒトの、個人の価値なのですよ、ミスター。

 

「……それでよ、『異星の神』が俺の側じゃないとして、分かりきったことが分かっただけだろう? それじゃァよ。ホームズなンだから、その先を聞きてェな」

「『異星の神』の真の目的は、カルデアが全ての空想樹を切除することを引き金(トリガー)に発生する可能性が高い、私はそう結論づけています」

「……カルデアが、七つの異聞帯を切除した段階で、『異星の神』の目的が果たされるってェことかい?」

「まだそこまでは飛躍していない、その手前の段階です」

 

 すなわち、異聞帯を全て切除したと同時に、カルデアは限りなく詰みの状態になる。

 逆に言えば、まだ『異星の神』は、本懐を成し遂げる前でしょう。

 なぜそうなるのか、それは……

 

「『空想』と『現実』が、入れ替わるからかい?」

 

 ──さすがです。

 そこまで、読めていましたか。

 

「ブリテンでもギリシアでもそうだったが、『空想』たる異聞帯の存在は、『現実』たる汎人類史では強度不足で存在できン。だが、その前提がひっくり返っているンなら、その限りじゃないでしょ?」

 

 そうです。

 優先順位──世界にありしベースの都合として、空想の人理が現実化したのなら、空想の存在はそのまま新たなる人理に確約されるでしょう。

 ブリテンで、モルガンは空想樹を解析し、異聞帯を異聞世界(特異点)に上書きし、空想を現実に塗り替えた。

 結果として、妖精歴は異聞帯の空想に。

 女王歴は汎人類史に近い現実となった。

 ならば、空想樹をもたらした『異星の神』に、同じことができない理由はない。

 

 白紙化された地球。

 ここに、『異星の神』が新しい人理──神の我が世(テクスチャ)を敷く。

 そのためのリソースが、

 切除される七つの異聞帯そのものであり、

 異聞帯の情報を内包し続けて、育ち切った空想樹そのものである──

 

 これが、私の推理です。

 

「いや、待ちなさいよホームズ。それこそ理論が飛躍しちゃあいないかい?」

 

 だってよォ、何が起ころうと、宇宙に内包されるエントロピーの総量は変わらん。

 俺みたいな──完全外部から割り込んだ例外存在以外では。

 南米の蜘蛛が目覚めようが、『白き巨人(セファール)』が降ってこようが、亜次元を破って機神カオスが現れようが、それは変わらん。

 異聞帯そのものは、滅んでるとはいえ地球にかつて存在したワケじゃん。

 墓の下から掘り起こした、もともとこの世界に存在したリサイクル品だからいいけどよぅ。

 じゃア、()()()()()()()()()()とやらは、どこに────ッ!!

 

「…………あ、ナルホド」

「……お気づきになられましたか」

「カルデアスだっけ? 南極にあンの」

 

 そうです、とホームズは頷いた。

 瞼を薄く閉じる動きで、深い理解を示す。

 

「貴方はまだご自分の目で見られていないことと思われますが、南極に健在のカルデアスは地球の複写。擬似とはいえ天体です。そして、カルデアスの内部には転写された人理が存在しうる。皮肉にも人理修復に伴った幾度とないレイシフトが、それを『証明』しています」

「ひっぺがした汎人類史を、折りたたんでカルデアスの中にいったん仕舞ったのか……衣替えの服みてェに」

 

 筋は通っている。

 だとするならば、必然と浮かび上がる黒幕の姿。 

 カルデアスを、『異星の神』が十全に利用できるのならば──

 

 全ての黒幕は……

 

「ン〜……ナルホドねぇ。こりゃア、ずいぶん壮大な茶番劇だ」

「そうです。そして、ここに至ったからこそ、私はもう、カルデアにはいられないでしょう」

 

 『探偵』の役割は、解き明かすこと。

 解き明かし、導くことだった。

 カルデアを。

 今日、あるいは明日の、この瞬間まで。

 

「それ、ダ・ヴィンチたちにゃ話したンかい?」

「……いいえ、キリシュタリア・ヴォーダイムにだけです」

「…………こいつめ!」

「そして、私が死ぬ──いなくなるために必要なシチュエーションと言えば、ひとつでしょう?」

 

 シャーロック・ホームズは、宿敵ジェームズ・モリアーティと共に、ライヘンバッハの滝へと落ちる。

 そこで、ホームズの冒険は一幕の終わりを迎える。

 

 そして──ホームズは帰ってくる。

 物理的には、なんの理由もなく。

 理想的には、万人に望まれて。

 ホームズは死から這い上がる。

 そうして、いつものように難事件に挑み続ける。

 常世において、蘇ることでようやく、ホームズの名は永遠となるのだ。

 

「てェこたあ、モリアーティ教授も『使徒』かい? 俺にゃアそうは見えねぇが……」

「まぁ、だったら私は張り切ってバリツできるので、むしろありがたいんですがね」

 

 ははは、

 ふふふ、

 はにかむような笑みが溢れた。

 お互いに。

 

「ですので、神への供物としてはまぁ……これは分かりきった賭けの産物でもあり、キリシュタリア・ヴォーダイムからの頼みでもあります」

「おいおい。そりゃア、詐欺ってモンだろう。そこまでキリシュタリアくんを通したのかい? 彼を通しゃあ俺も願い叶えたもうだろって。……そりゃアないぜ、インサイダー取引きも甚だしいじゃねェか」

「その言葉を待っていましたとも。これで、貴方は私はともかく、キリシュタリア・ヴォーダイムのことは、いたく気に入っていると確信が持てた。私の頼みは重い対価を要するが、彼の頼みなら、対価は軽くなければならないのでは?」

「あっ、こいつ……この、今なァカマかけかい!」

 

 ええ、もちろん。

 ですが、貴方はかつて、ベリル・ガットにはそうだったのでしょう?

 かつて、モルガン──バーヴァン・シーには、そうだったのでしょう?

 

「ならば、過去の事例を引用して、探偵たる私も、なるべく特典ありきで神のご贔屓に()()()()()と思いましてね」

 

 屁理屈立てて、あーいえばこーいう。

 ホームズの見事な口撃であった。

 ゴローは苦い顔で微笑み、やんわりと目を閉じた。

 眉をほんのり落として八の字に曲げる。

 口角の皺が悔しそうに歪んでいた。

 

「まァ、いっか。どのみち俺も、カルデアとは半分ぐらい一蓮托生の気構えだったし。カルデアよりひと足先に南米にお邪魔して、色々仕込んでおこうとも思ってたンだよねぇ」

「南米に──ですか?」

 

 ホームズには、予想外の言葉であった。

 というよりそれは、ホームズがこれから、いやしくも全能の神にさらなる頼みとして、投げようとした言葉でもあった。

 

「それは、なぜ?」

 

 そして、探偵としての性分が、神の真意を引き出さんと探りを入れる。

 ゴローは、容易く言って見せた。

 

 

 

「ああ、俺さ。このままだと、どうやら南米で死ぬらしいンだよね」

 

 

 俺っていうか、この世界?

 

 

 ゴローはけたけたと笑っていた。

 

 ホームズ目が見開かている。

 訝しげに、驚愕を表し切れずに。

 しかし、流石は名探偵、その言葉は十分に理解できていた。

 

 ホームズにとって、神の言葉は、神の表情は冷やかしではない。

 その無言こそ、複雑多岐に渡る多角的な意味を孕んだ言葉であった。

 

 

1.

 

 

 彼は──相変わらず全てを知っているようだった。

 

 南溟。

 時空の狭間に漂う特異点群。

 まさか、こんな場所で再会するとは思ってもみなかった。

 最初、戸を開けて即、視界に入ったキリシュタリア・ヴォーダイムたちに意識が向いた。

 こちらを確認し、はしゃぐ彼らの姿を見て、私が即座に連想したのは、卑しくも彼である。

 私は思わず霊体化を解いて、逸る心に急がされて、言葉より先に身体が前のめりになった。

 つんのめって倒れた。

 硬い床に顔を打ちつけた。

 鼻がヒリヒリする。

 その状態で、背後に気配が──

 

 玄関から普通に入ってくる彼の姿は、私には不意打ちそのものだった。

 

「おんや、バーゲストかい。おまえさんも来てたのか」

 

 その太い身体、その太い顔、その太い声。

 彼はしゃがみ込んで、私に手を差し伸べた。

 

 大きな手だった。

 相変わらず。

 束ねた紙のような分厚さで、細枝を結ったような指。

 そこから伸びる、赤みの差した肌に包まれる、丸太のように太い腕。

 見るからに熱を持っている。

 さらに視線を登らせる。

 彼の笑顔が見えた。 

 優しく、ほほんでいた。

 変わらない。

 その目の中に、大きくて黒い『引力』があった。

 

 ああ──彼だ。

 偽物ではない。

 本物だ。

 

 抱きつきたくなった。

 問い詰めたくなった。

 頬肉が柔らかくなっている。

 目尻が生ぬるい。

 少し、空腹を感じた。

 だが、私はまず、理性を働かせてその手を取り、立ち上がった。

 

 どうやら、彼は鍋の材料を買いに出ていたらしい。

 人相描きを片手に、「これ、おまえさんたちのコトでしょ?」と相変わらずの察しの良さを見せていた。

 

 私たちはあれよあれよと鍋の席についた。

 マスターの栄養と水分を補給する必要もあったので、説明も兼ねて相席した。

 

 今回の特異点──曲亭馬琴と八犬士のことのあらましから入り、トラオムにおいてカルデアに起こった事象を、マスターはかいつまんで説明した。

 通信先のマシュ・キリエライトも交えて。

 彼女も驚いていたが、話となれば途端に冷静になった。

 流石はマスターのファースト・サーヴァントだ。

 ゴローは椀を片手にうん、うん、とところどころ相槌を打ちながら、彼らの話を聞いていた。

 

「驚かないんですね」

 

 とマスターが言った。

 それは、話が進み、先の特異点での事件であった。

 『異星の神』の使徒であったシャーロック・ホームズが、ライヘンバッハの滝に落ちて、カルデアから消えてしまった。

 マスターの、少し引き気味の声は、それに対するゴローの反応を見て色であった。

 

 ゴローはうん、と頷いて見せた。

 反応が薄い。顔に浮かべるものに、意外性がない。

 その表情で、察する。

 マスターたちも。

 彼も、彼を見る私も。

 彼は、まぁそうだろうな。とでも言いたげに、苦々しく笑った。

 しかし、厳粛に目を閉じて、ホームズに合掌を捧げた。

 

 マスターも流石であった。

 一連の掛け合いで存分に察し、得心が言ったのか。

 そのことについて、それ以上の追求はしなかった。

 彼は新しい単語、『検体:E』なるものには強い興味を示していた。

 

 ここでうまかったのは、ゴローは聞き役に徹し、自分たちの話を後回し後回しにして内情の一切を口にしなかったことだ。

 キリシュタリアたちも口裏を合わせていたのか、今自分たちがどこにいるか、何をしているのか自ら口にすることはなかった。

 

 鍋の、雑炊の美味しさに当てられてしまい、シメのおうどんを綺麗に平らげるまで、マスターや私ですら、そのことを隅に置いてしまっていた。

 

「ふぅ、ごっそさん」

「ごちそうさまでしたー……って」

「大変おいしかったですわ……じゃなくって!!」

「そうだよ! そういえばなんでゴローさんたちがここにいるの!?」

「そうですわ! 今までどこに……!?」

 

 私とマスターがつめよると、彼は、

 

「あれ? 言わなかったっけ? 俺、図書館返しに来たンだよ」

 

 とあっけらかんに言った。

 質問の答えにはなっていない。

 だが、ここにいる理由ではあった。

 

 ──私に会うためじゃなかったのか。

 

 と思ってしまうのは、私の思い上がりだろうか……

 胸が、ずきりと傷んだ気がした。

 

 

2.

 

 

「ーーふぉお!? び、美犬!!?」

 

 というバーゲストの叫びを聞いて、ゴローは露骨に眉を顰めた。

 言った当人がハッとなって、あれそれとゴローに物申したが、ゴローは口角をいやらしく歪めて、

 

「いやァ、確かに美形……美犬だよねぇ。俺ァあんなスラッとした肉体してねえし、ゴムみてェな身体ですしねェ。顔もズタズタでごっついモアイ像みたいなモンだしねぇ、わるござんした」

「ち、ちが、違います! いえ、違いませんけど……いや、じゃなくて! ええと……そうですわ! 好みと好きは違うといいますか、愛と恋は違うと言いますか……!」

 

「ええい! デカブツ同士でいちゃつくなや! 暑苦しいんじゃ! ジジイ行ってしもうたがやないか!!」

 

 馬脚を表した曲亭馬琴。

 八犬士たちはひとつとなり、珠の力を用いて上野から去った。

 

 慌てるカルデアメンバーを尻目に、ゴローはキリシュタリアを呼んだ。

 

「なんだい、ゴロー?」

「あー、ワルいんだけどね、キリシュタリアくん先帰っててくンない? コヤンスカヤもそもそも来る頃だろうし……あの子に頼んでね」

「……貴方は、もぐっ。そうか……むぐむぐ、そうですよね、ふふ。ふぅ……わかりました! 鴉郎さんには私から言っておきます」

「スマンね。あーと、美味しいのはワカるけど、おまんじゅう食べたあとはちゃんと手を洗って、お水はほどほどにね。腹ン中でめちゃくちゃ膨らむからねぇ、それ」

「む、少々食べすぎていましたか。ですがご安心を。私だってちゃんと計算していますとも! お土産分には手をつけていませんよ」

「えらいねぇ」

「ガキん使いか! こんデカブツは……」

 

 コントのような光景。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それを、『私は』時間の先から眺めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0or1.

 

 

 私の前にモニターがある。

 多面的に、多元的に、そして、多層的に広がる『モニター』。

 過去と、現在と、未来は次元を隔てず全て、同時にそこにある。

 時間は連続していない。過去と未来を遮るものは何ひとつない。

 私にとって、時間とは動くものでも経過するものでもない。

 過去から未来への因果は数式に過ぎない。

 人間が、未来へと進む認識を持つことで、時間は先に進むという錯覚をしているだけなのだ。

 因果とはつまり、重力に従って上から下にものが落ちることと同じだ。

 朝起きて、夜眠るまでに起こり得る過程にすぎない。

 あやふやさそのものであるそれを、数式として整えて、算術として確立したものが因果律である。

 時間を、普遍的認識の外から掌握するものにとって、過去や未来を改変することは粘土を捏ねるに等しい。

 

 人間の持つ分子認識力と統計力学は優れている。

 しかし、時間と空間というものは、本来は多面的で多層的、立体的な構造を成している。ルービック・キューブのような流動する立体的多面性が、多元宇宙における時間の錯覚の正体なのだ。

 人間の一秒間の処理能力は、わずか一兆テラバイトしかない。

 生物規格で考えるならば恐るべき速度であるが、時間と空間を見据えるにはコンパスの回転が足りなさすぎる。

 宇宙空間に寄り添わねば存在できないか弱い彼らは、時間と空間というもの──あるいは、それを構成する粒子や力場──を極めて一区画的にしか認知できないために、事象の地平線を超えることは決して敵わず、時の暁に至ることはないのだ。

 

 しかし、私の認識にも、エラーが起きている。

 ある点から先の未来が見えない。

 どの時間点でも、空間点でも、ある瞬間からの時間軸が消えている。

 私が存在する多層世界が、全て、ある一点から存在しない。

 私の指向性は既に定めた。

 私の意志で。

 つまり、物質領域に意識を置いている方の私の未来に向かう道は、時間分岐を繰り返しても、必ずその極小点に収束する。

 

 そのように定めた。

 我が全能で。

 

 しかし、映し出されるはずの未来は悉く、壊れたブラウン管テレビに無理やり電源を入れたような砂嵐を顕現させる。

 それが全てのモニター越しに渦巻き、嗚咽のような音が耳障りな音楽を奏でている。

 ありえない出来事である。

 例え未来に『私』がいなくとも、分子集積と重力場で作られた物質世界が存続する限り、未来は見える。

 世界が存在する限り、私は例えどの『点』にいても、世界を認識できるハズだ。

 だが、骨を軋ませ魂を澱ませる協奏曲と、深淵を掬い上げたような暗黒の渦は、幾度となく見た世界の終焉──その先の光景を示していた。

 

 すぐに、間違いに気づく。

 私が死ぬのではない。

 死ぬのは、私だけではない。

 世界だ。

 

 来るべき未来に、この宇宙そのものが消えてしまう。

 物質領域に在り得る全てが消滅するのだ。

 量子論に則るなら、観測者が認識できなければ、その世界は存在しない。

 そして──当たり前の話だが──存在しない世界は、観測者であろうとも観測できない。 

 多層重複を単一次元に宿すシュレーディンガーの猫は、箱と猫と毒の前提があって存在し得る。

 箱も猫も毒もなければ、我々はそれそのものを認識できないのと同じだ。

 存在しないのだから、認識以前の問題だろう。

 

 だが、今のところ、この世界に宇宙そのものを滅ぼす力は無い。

 かの機神であろうと、遊星の侵略者であっても、オールトの雲の最強者であっても、広大な宇宙そのものを、一〇〇〇兆三〇〇〇億無量大数程存在する、全原子を破壊するには至らない。

 ユニヴァースなる世界の出身者とて、所詮は銀河系や小宇宙を創り、破壊する程度で、私の尺度にはまるで及ばない。

 

 ならば、 ──私か?

 この宇宙を破壊するのは、私なのか?

 

 だが、如何に弱りきった肉体とはいえ、宇宙が破壊される程度で私が傷を負うはずもない。

 虚無の領域は私には慣れ親しんだ生命世界のひとつでしかない。

 未だこの身を蝕む『神の毒』にて死したとして、内在宇宙の無限を有限に落とし征く毒性からして──死して熱量の制御権を失ったとて──、万全ならば死後に起きる、対消滅による超極爆発はまず起こらない。

 

 宇宙を破壊したとして、そこに私が存在しないことはあり得ない。

 

 眼下の過去に意識を移す。

 

 バーゲストに(まじな)いをかけ、私は南溟を後にする。

 彼女の、何かを言おうとする顔が愛おしい。

 しかし、あえて口角を硬く結び、「待っています」とだけ伝える表情が尊い。

 

 時空の狭間で曲亭馬琴は自らへの失意を悟り、カルデアのマスターたちは『そのままの肉体で』ストーム・ボーダーへと帰還を果たす。

 

 同時刻──そこに時間は存在しないが、時間神殿で私はキリシュタリア・ヴォーダイムと話している。

 彼の口から、妙蓮寺鴉郎がコーラルとコヤンスカヤを伴い、先立って南米に向かったことを知る。

 

 南米異聞帯──カルデアの来襲の三ヶ月前、私は全能神と議論を交わしている。

 全能神の隣に立つデイビット・ゼム・ヴォイドは私の本質に気づいている。

 

 カルデアは地下にてカーン王国の偉大さを知る。

 オールトの『最強者(いとつよきもの)』を廃した例外──異聞帯のビーストの総体、カマソッソに畏怖を覚えている。

 

 『太陽の化身(ククル・カン)』は私の存在に戸惑っている。

 

 デイビットが『棺』に飛び込んだ。

 彼の存在の中核には『神の心臓』がある。

 

 消えゆく肉体から、全能神(テスカトリポカ)がその御霊を拾い上げる。

 

 

 ………………

 ……………………

 …………………………そして、闇。

 

 

 量子化による遍在ができない以上、私にこれ以上の観測は不可能だ。

 

 私は、時間神殿にいる私と認識を同期する。

 必要な情報を精査して取捨し、私に必要なことだけを予言させる。

 

 空間を開く。

 虚数領域を破砕し、南米異聞帯までの直通路を敷く。

 

 メリュジーヌたちは向こうで土から肉体をこねて、そこに簡易召喚した霊基を入れることで、サーヴァントの規格を超克させ英霊本来の性能を引き出そう。

 そうでもしなければ、南米の神々と侵略者(インベーダー)には戦力で釣り合わないと、眼下の私は判断していた。

 

 ──『超越者(ビヨンダー)』よ。

 

 私を呼び止めたのは、全能者であった。

 私は振り返る。

 ゲーティアは、()()眼を、まっすぐに見て、言った。

 

『私の助言、ゆめ忘れるな。ヒトの世に在りたいのならば、努めて果たすがいい』

 

 その言葉を受け取って、心に綴じ込んだ。

 眼下の私は笑っている。

 私もまた、笑っていた。

 

 私たちは通路に入った。

 私は向こう側から、次元の窓を閉じる。

 

 時間神殿に静寂が滴った。

 

 私は目を閉じた。

 眠るように。

 

 全能者の言葉を反芻しながら、意識を闇に溶かしていった。

 

 

 

【トラオム〜八犬伝編 完】

 




次回からミクトラン編です。
例によってネタバレしまくりなので要注意


【簡易解説】
・Q.量子化遍在不可能な理由って?
・A.ある起点を軸に自身が存在し得る無限大の範囲に量子化干渉する場合、『ブリテン異聞帯のある時間軸でオベロンに神の毒を打ち込まれる』世界が『この世界』に存在する(した)以上、遍在展開したらもう一度その世界でオベロンに毒を喰らいます(確定している世界なので)。
 ただでさえ死にかけなのでもう一回毒をくらったらゴローでも即死します。
 ある意味最強のメタをオベロンに貼られてしまいました、あいつすげえ。

・Q.『私』とは? ゴローと別人?
・A.『神の』ゴローです。
  常世を超越している全能者にとって、あらゆる次元の全ての時間は同時に存在しているので意識体だけが時空間(時間軸)を、より高次元から俯瞰して見下ろせる状態にもなれるワケです。 
  物質領域ではいわゆる確定未来予知になるのですが、『因果を従えるもの』=『超越者』ならいくらでも前後の書き換えが可能なものなので、絶対だと過信すると死ぬ目にあいます。
 ちなみに因果律の数式自体はWikipediaにも載ってるぐらい割と知られているものらしいです(マジで)。

・Q.『神の毒』の、無限を有限にする作用って?
・A.内在世界に多元宇宙以上の規模を持つタイプの神は事実上そこから無限大以上のエネルギーを無制限に使用できます。
  それ以外でも、『全能の神』は基本的に永遠無限の存在なので必然『無限力(物理)』は持ってて当たり前の力となります。
  『神の毒』はその神の永遠性と無限性を内部から破壊して均衡を崩し、エネルギーを有限に堕とすことで自滅させる作用があります。
  つまり、今ゴローの内在世界では世界の創世と終焉が繰り返し起こり続けて均衡を保とうとしており、膨大なエネルギーでメルトダウンが起こり続けているような状態なので、非常に危険なのです。
  なのでコヤンスカヤに渡した『指輪の宇宙』も、内在宇宙のバランス調整の一環で排出した宇宙の一部を指輪に移したものです。

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