【完結】妖精國に落ちた超越者が、妖精騎士たちにほんの少しだけ救いを与えるお話【挿絵有り】 作:ロウシ
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ありがとうございます
0.
──よろしいので?
スタジアムの控室。
ガウェインの問いに、ゴローはうん、と答えた。
ゴローはくっ、くっと屈伸をしていた。
それは単なる柔軟ではなく、体の隅々まで耳を傾けて、己の声を聞いているのである。
大丈夫か?
俺の思うように動いてくれるか?
痛いところはないか?
己に問いかけているのである。
細胞のひとつひとつに至るまで、意思の疎通を行っている。
確認を行っているのである。
ドレスを着込んでおめかししているからか、ガウェインの口調はいつもの騎士然とした凛々しいものではない。
領主館の中での如く、淑女のそれであった。
決して親しくない人には見せない側面である。
だからか、ゴローの耳に届いた時には、その声は普段外で聞くよりも弱々しかった。
大丈夫さぁ。
ゴローはあっけらんとしている。
まるで緊張がなかった。
むしろ──ワクワクしているように見える。
その感情は喜びである。
喜びの時を待って、筋肉が独特の熱を纏う。
隆起して、ぐぐっとひとまわり。
体が大きくなったように見えた。
「あなたが──ウッドワス公に負けるとは思っていません」
「身内びいきは、いけないねぇ」
「贔屓ではありませんわ。ウッドワス公の強さは、存じています。しかし……」
ゴローの強さはもっと身に染みている。
それは、なにも肉体の強さだけではない。
ガウェインの目から見ると、ウッドワスの精神はここ数年、特に不安定であった。
とにかく怒りを抑え、どんな場面でも自らに平定を促すサマは、あるいは妖精によってはウッドワスに妖精らしからぬ「成長」を感じるだろう。
ガウェインとしても、その姿には、同じ牙の妖精として畏敬の念を覚えずにはいられない。
だが、同時に。
少なくともガウェインには……それは、ひどく歪にも見えている。
ウッドワスは成長している。
そういう評価は間違いではないのだろう。
ウッドワスは心も強い。
それも間違いではないのだろう。
彼女の知る騎士道も、ガマンすることは心得のひとつではある。
だが、ひどく窮屈そうにも見えていた。
だからこそ、不安なのだ。
ゴローは今、あの無限大のパワーは発揮できない。
ゴローが自ら、ムリアンの
ムリアンが提案した条件のひとつ。
それは、ゴローにも他の妖精や人間と同様に、グロスターではグロスターの
つまり、強いものと弱いものの平等化に染まってほしいということ。
ゴローは二つ返事で了解を示した。
ガウェインとしては、ゴローのあの規格外のパワーが、本当にそうなっているのかはわからない。
だが、今、確かにゴローから、いつも感じる虚無的な──超然とした力は感じなかった。
だから、不安であった。
無事に、すむだろうか。
「ゴロー……」
その背に、再び声をかけようとした時。
控室の扉が勢いよく、ばん! と開かれた。
「よォーっ! 応援しにきてやったぜーっゴローっ!!」
扉の向こうから意気揚々とした声が響いた。
脂の乗った声であった。
妖精騎士トリスタン。
いつもより少しばかりおめかししていた。
深紅のドレスはいつものようだが、リボンが多い。
裏地には灰色、白、少し黒を使い、厚みがあると同時に上品かつ、艶やかな色合いで固めているモノだった。
ふんわりと広がるスカートではなく、重力に従ってさらりと流れるような、大人びたスカートを穿いていた。
薄く口紅が塗ってある。
薄い紅色のそれだ。
ずいぶんお高いものらしく、鼻賢しいものならば、しっとりとした花の香りをも嗅ぎとれたであろう。
目元に切れ目をさりげなく伸ばすラインが入っている。
その顔に、少しばかりの化粧の跡が見えた。
ケバケバし過ぎないように、かと言って、自らを可愛く際立たせる作り……かなり丁寧な化粧である。
おそらく自分でやったものではないだろう。
いや、逆か。
メイクなどという細やかな作業を、大雑把な侍女役の妖精ができるとは思えない。
ということは、自分でやったのだろうか。
鏡と睨めっこして、ひとつひとつ、やったのだろうか。
その真偽はともかく、トリスタンの顔にはにひひと、自信に満ち溢れた可憐な笑顔が浮かんでいた。
「トリスタン……!」
「あ!? なんだガウェインもいっしょかよ……」
可憐な笑顔に影がさす。
ガウェインの姿を見るや否や、一転して不機嫌な声色に変わった。
「おお、トリスタンか。一瞬、誰かと思ったぞい」
「へへへ。無理もないわねー! 私、今日は普段の百倍……いや、一千倍は可愛くしてるんだぜ!?」
「うんうん。可愛いんじゃないかなぁ、すごくさ」
「なんだよー、しんきくせーなァ。褒めるならもっとシャンと褒めろよぉー!!」
「スマンねぇ。あんまり可愛いから、俺の貧弱な語彙では言葉が出てこないんだよねぇ」
「そうかぁー! それなら仕方ねぇなぁーっ! 私はお母様の次に寛容だからな、許してやるか!!」
「光栄だよねぇ、王女サマ」
わっはっはと笑うトリスタン。
なんだかやたらとテンションが高い。
この日のために、トリスタンは準備していた。
グロスターから招待状が届いた時から、自分でも驚くほど入念に準備していたのだった。
今、この時が、心を弾ませて待ち侘びた瞬間であった。
「あのクソ犬! ギッタギタにしてやっちまえよ!! まぁ、お前が負けるなんてありえねーけどよ!!」
「いンやぁ、けんかってやつァ、蓋を開けてみるまでわからんさね」
「あ? なんだよ随分ナイーブじゃねぇか」
「だってねぇ……」
「そうだよトリスタン。強いからって勝てるとは限らないのさ」
その言葉は突然生えてきた。
トリスタンの隣、いつのまにか、
「だって、僕は彼より弱いけど……この妖精國では唯一、彼に勝った存在だからね」
ランスロットであった。
鎧は身につけていない。やはり彼女もドレスを着ていた。
着飾っているトリスタンとは真逆の、薄くて装飾の少ないドレスだ。
素材の味を十二分に引き出す……
というより、着る人を選ぶ。
素材の良さがなければ着こなせないタイプのドレスだった。
「あぁん!? テメェはルールの穴をついて、お情けかけてもらっただけじゃねーか!」
「そうさ。それでも勝ちは勝ちだ」
淡々と述べるランスロット。
どこまでなにから、トリスタンの振る舞いとは真逆である。
「だから──そこがわからないんだろ、ゴロー」
「……流石は妖精騎士最強のランスロット。図星、つかれちゃったよねぇ」
ライバルだからね。
と、むふーとどや顔。
ちら、とトリスタンの顔を一瞥した。
「てめぇ! ケンカ売ってんのか? あぁ!?」
「そうだぞランスロット! お前はたしかに強いが、妖精騎士最強の冠はそうそう渡せん!!」
「あーあー、聞こえないよ。雑音が多いね、ここは。ゴローが集中できないだろ?」
「…………!!」
二人が屈辱を噛み締める。
トリスタンに至っては力を込めて、拳を握りしめている。
こいつ……こんなに口がうまいやつだったか?
なんだか、えらく饒舌になってないか?
今にも場外乱闘が始まりそうであった。
そこに、すっ、と太い手が差し出された。
仲裁の手である。
ゴローの手であった。
「まぁまぁ待ちなさいよ。今日の主役はウッドワス公なんだって。スタジアムの主役を喰っちゃうと、ムリアンがおかんむりだぜ?」
「…………ちえッ」
「うん、それは困るね」
「す、すまない。思わずだな……」
応援に来てくれたのは、ほんっとうに嬉しいぜ。
とゴロー。
こりゃぁ……と声を溜める。
「俺が勝つにしろ、負けるにしろ、楽しませてあげなきゃねぇ……」
ゴローの顔がケラケラと笑みを浮かべた。
期待に胸を弾ませる。
さんざん待たされた後、豪華なおもちゃで思い切り遊ぶ前の妖精の如く、恐ろしい表情であった。
1.
スタジアムの上で、
観客の視線の中心で、
二人は並び立つ。
ひとりはまだ戸惑いを抱えて、
ひとりはもう待ちきれぬと喜ぶ。
いいのかい?
ゴローが言った。
地の底から湧き出てくる、湯煙のような声であった。
この俺を前にして、ボンヤリしてていいのかい?
放たれる殺気。
ウッドワスは飛び退いた。
距離を取った。
その動きに、客がドヤを入れる。
「どうしたどうしたウッドワス!」
「怖いのかウッドワス!?」
「噂通り、本当に腰抜けなのか、ウッドワス!!?」
くっ……!
安全圏から言いたい放題言いおって。
この男の強さを感じることもできぬ輩が吠えおって!!
ゴローはゆらり、ゆらりと歩み寄る。
まっすぐに。
他の何にも目もくれず、ウッドワスに歩み寄る。
「ぐぐ……くっ、おおっ!!」
ウッドワスは意を決した。
拳を握りしめて、ゴローの無防備な横っ面を殴った──ハズが、
ゴローの姿が消えた。
目を疑う光景。
そのドデカい存在感がウッドワスの腹の部分から這い出てくる。
「よッと」
拳を完全に密着させた状態から、ゴローはパンチを放った。
リングに足の型ができるほど、強く踏み込みながら。
「があっ!?」
熱い──!
突如として、腹部に熱い塊が打ち込まれた。
その衝撃と熱はウッドワスの身体にとどまらず、ものすごい勢いで突き抜けていった。
思わず三歩、後ずさる。
「スゴいな……俺の寸勁で、そンだけしか下がらないのか」
「何をした……ッ?」
ウッドワスが向き直った時、すでに。
ゴローが、右腕を天高く掲げている。
その頂点にある拳が、塊となっていた。
「おしゃあっ」
それを、そのまま振り下ろす。
うって代わって雑な攻撃だった。
ハンマーを振り下ろす。
力の限り、重さを乗せて。
ただ、それだけの一撃。
ウッドワスは両腕を上げて防御するが、ゴローの全体重をかけられた太い一撃に、腰が砕ける。
「がああっ……!?」
「いい加減、シャンとしなさいよぉ、けんかしてンだぜ、俺たちァよぉ」
中腰で項垂れるウッドワスの頭上から、失望の声が降り注ぐ。
「私は……」
ようやくと、吐き出した言葉であった。
「私は、戒めているのだっ!!?」
ビンタ。
ただのビンタだ。
ただし、全身を余すことなく使って振り抜いている。
太い広い掌が、ウッドワスの右頬をぶっ叩いた。
ウッドワスはゴロゴロと転がった。
なんということだ……だが、私は……
「私は……女おっぐ!?」
その鼻先に、空手チョップ。
ぐしゃり、と軟骨が潰れる音がした。
ぶっ!
鼻血が飛び出る。
ウッドワスの口の中に、血の味が広がっていく。
鼻も触れそうな近距離から、ゴローのハイキックがウッドワスの上から落ちてきた。
「がはあっ!!」
恐ろしいまでの衝撃。
はるか上空から、何トンもある大岩を投げつけられたような重さ。
並みの牙の氏族なら、鎖骨から肩甲骨、脛骨まで容易に粉砕する一撃。
それでも、ウッドワスは膝はつかなかった。
「な、舐めるなっ……! この程度で……」
「あのさぁ」
ぎろりと睨むウッドワスを見て、ゴローが攻撃の手を止めた。
両拳を腰に当てて、覗き込むように腰を曲げる。
「今、おまえさんの目の前にいるのは、誰よ?」
「……ッ!」
ゴローはこり、と頭を掻いた。
「俺ァよ、おまえさんと、けんかしたくて、けんかしたくって、会いたくって、会えなくって、手紙を送りまくって……それでも会えなくてさ。こンな舞台まで用意するハメになっちまって──」
ゴローが会場をぐるりと見渡す。
派手な会場である。
本来喧嘩に、こんな大袈裟な舞台は必要ない。
ひとりと、ひとり。
それだけで、喧嘩はできるからだ。
「イッパイ色々考えて、寝る間も惜しんでこの状態を望んでよォ……やっと目の前におまえさんがいるのにさァ。それなのによぉ……」
ゴローが顔を沈めた。
「よそのオンナァ考えてるんじゃねェよッ!!!!」
──ッッ!!
会場を震わせる怒号であった。
観客のどの声よりデカい。
その声だけで、スタジアムを破壊できそうだった。
物理的な衝撃を孕んでいた。
ゴローの目がぐわっと見開かれた。
ここにいるのはッ、俺と、おまえさんだけだろうがッ!!
俺を見ろォッ!!
俺を見ろよォッ!!
女王陛下はいねェッ!!
必要か、ここにいないオンナがッッ!?
違うだろーがッ!!
それは、今までのどの攻撃より、敵意と失望、熱意を持っていた。
ウッドワスの心に殴り込む、分厚い暴力そのものであった。
おまえさんは、すげェよ。
種族の本能を乗り越えようとしてンだモンな!
尊敬するよ、すげェんだよ、おまえはッ!
だけどよ、この場で、それ、いるか?
「…………!」
なんで俺を『殴った』んだよ?
それが、おまえの攻撃方法か?
違うンじゃねェのか?
拳を握りしめるのは、弱っちい人間だけだぜ?
その爪は飾りかよ?
この俺を誰だと思っていやがる?
「ナメてんのはテメェだろうがッッッ!!!」
万感の想いが込められていた。
それは、鈍器であった。
言葉という、鈍器。
心を殴り倒す、鈍器である。
その肉の内側で、凝り固まっていたものを粉砕するハンマーそのものである。
「狂っちまおうぜ?」
ゴローは言った。
今まで見たことがない、悍ましい笑顔があった。
「それができるハズだぜ? おまえは、おまえさんはッ!! その爪で、俺の肉をほじって、内臓を引きずりだして、目ン玉を引き裂いて……それができるハズだろうがッッ!!」
牙の氏族よ──!!
ゴローは会場に手を広げた。
大きなその身体に、会場中の視線が突き刺さる。
それを、ゴローはにべもなく受け止めてしまった。
「おまえたちのボスは、こんなモンなのかあッ!?」
違う。
ぽつりと、声がした。
違う!
それは、段々と大きくなって、
違うッ!!
波を打つように、大きくなっていった。
「ウッドワス様がこの程度なワケねーだろうがっ!!」
「我ら偉大なる牙の戦士、その生ける伝説であるウッドワス様だぞ!!?」
「まだこれからに決まってんだろうがっー!!」
「舐めた口聞いてんなよ人間! ぶっ殺すぞォ!!!」
「そうだそうだ! ウッドワス様ァ!! がんばれぇ!!!」
歓声。悲鳴。怒号。
なんだっていい。
確かなのは、彼らが、ウッドワスを呼んだことだ。
その声には、確かな期待と、希望を乗せていたことだ。
ウッドワスを、言葉が貫く。
たかが言葉だ。
されと言葉だ。
「──……ウ」
いいんだな?
己に問いかける。
その目が、獣へと変わっていく。
いいんだな?
蒸発する寸前な理性で、ウッドワスがゴローを見上げた。
いいんだな?
モルガンの虚像が砕かれていく。
チリとなったその奥からのそりと現れた。
ゴローだった。
ステキな笑顔をしていた。
ぷ つ ん !
「オオ、オオオオ……!!」
ウッドワスは立ち上がった。
空に向かって、吠えた。
「オオ、オオオッ! 雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄──ッッ!!!」
服を破り捨てる。
その動きは野生そのものであった。
だが、本当に破り捨てたのは、心の殻である。
「ウゥオオオオオオオオオオ──ッッ!!」
先程のゴローに負けぬほどの咆哮。
魂の咆哮。
当たり前だ。
それは、今日この時まで、溜めに溜め込んだ怒りの大噴火。
ウッドワスの体毛が逆立つ。
炎のようにゆらめいている。
筋肉がびくんびくんと隆起している。
それを目の当たりにする、古き牙の氏族たちが、次々に膝を折った。
祈るように、ぐちゃぐちゃになって、目に、涙を浮かべていた。
──戻ってきた。
声が、出なかった。
懐かしい姿だった。
もう、見ることがないと思っていた姿であった。
──戻ってきた。
みんな、あの姿に憧れた。
みんな、あの背中についていった。
ああ──
偉大な戦士たるウッドワス様が、戻ってきた!!
「イイ顔だよ」
それを、ゴローは見ていた。
覚醒、ではない。
元の姿を取り戻す様を。
熱っぽい目で、とろんとした目で、恋人を見つけたように。
しかし、その顔は、妖精國ではかつて、出したことがない悍ましい顔であった。
なんだ、やっぱり、できるじゃん。
「ずっとずっと──ステキだよ」
吐き出す言葉は、堪えきれぬものを孕んでいた。
2.
「オオオオオッッ!!」
「おしゃあっ!!」
真っ向から殴り合い。
ゴローは先ほどまでの、素人でもわかる高度な技術を捨てていた。
ざくり、とその爪がゴローの肉をえぐる。
胸から飛び散る血を見ても、ゴローは文句一つ言わない。
牙の氏族の爪は、己が武器のひとつ。
それを使うことに、なんの卑怯もない。
なんの色もない。
純粋な殺意。
ウレシイねぇ。
タマランねぇ。
「じゃあっ!!」
がしっと両腕で顔を挟む。
万力で固定されるが如く、ウッドワスの顔は動かない。
正面から向かい合う。
笑顔と、笑顔。
お互い、血に塗れている。
「おしゃあっ!!!」
その鼻っ柱に、頭突き。
べキリ、めきぃっと音がした。
イヤな音だった。
目を背けたくなる音だった。
ウッドワスの鼻から、血が飛び出す。
飛び出した血が、ゴローの頭にかかる。
「ぶふうっ!!」
血が気管を詰まらせて、息が乱れる。
血が目入って、視界が澱む。
それでも、視線はお互い外さない。
行こう!
もっと高いところへ!!
お返しに見舞われる爪の一撃。
ゴローは石ころのように吹っ飛ばされて、血を撒き散らしながらスタジアムを転がる。
「おごっ、おごごっ……ぐえぇっ……」
リングアウトしてもなお、よっこいしょと立ち上がる。
ふらつきながら、その口から血と共に、黄色い粘液が吐き出された。
血と混ざらずに、ドロリと溢れる。
なんだかわからない液体であった。
「楽しいねェ」
そう言った。
気持ちがいいねェ。
そうだろう?
みねぇ、あの顔を。
おまえさん、自分の
気持ちよさそうじゃアないの。
気持ちよさそうに、笑ってるゼ?
自慢の高い鼻は潰れて、片目瞼は腫れ上がり、口の端からだらだらと血をこぼし、牙も何本か折れている。
溢れる血が止まらないのは顎の骨にもヒビが入って筋肉が切れているからだ。
それでも──笑っていた。
「楽しいねェ、ウッドワス! ああ、あんたァ良い戦士だ!!」
まだ、やろう。
まだ、鬱憤が残ってるだろ?
俺にゃァ、ワカるんだよ。
おまえさんの、魂の燻りがワカるんだよ。
まだまだ、魂の底の底に、腐った血が澱んでるだろ?
全部、吐き出しちまえよ。
全部、押し流してやるよ。
全部、受け止めてやるよ。
「あ──────ッ!!!!」
ゴローは叫んだ。
ウッドワスに向けて、思い切り走り出した。
3.
戦士は血を好む。
戦士は力を尊ぶ。
戦士は狂気を好む。
戦士は愛を尊ぶ。
血で遊ぶ、獣の戦い。
静かだった。
二人の、肉と肉を殴る音が、えぐる音だけが響いている。
観客が静まり返っている。
あれだけやかましかった牙の氏族すら、唾を飲み込むのを忘れて見入っていた。
──美しい。
誰もが、そう思っていた。
心が、感動で震えていた。
なぜ、感動しているのかはわからない。
おぞましく、暴力的な光景だ。
なのに、目が離せない。
彼らから、目を離せない。
心が、強烈に締め付けられていた。
言葉にできないものが、心から、身体へと、搾り出されているようだった。
その中で、何人か。
彼らに対し、美しい以上の感想を抱いている。
ひとりは、妖精騎士ランスロット。
彼女は、スカートの裾を握りしめて、眉を顰めて、己の不甲斐なさを呪っていた。
──ああ。
彼、こんな顔を、するんだ。
あの時、自分とゴローは、同じ世界を共有していた。
超音速を越えた先の世界。
ただ二人だけの無限の領域。
私が追いつけなかった。
それでも、嬉しかった。
孤独な世界ではなかった。
ただ二人の世界。
オーロラへの愛すら、置き去りにする世界。
楽しかった。
嬉しかった。
この人なら……と思った。
だけど、違った。
いいや、わかっていた。
あれは、ゴローにとっては、遊びだったんだ。
──オニごっこってなァ、逃げる側が追う側にタッチされたら負けになる童の遊びなンだわ。遊びだよ、アソビ!
その言葉の通りだったのだ。
だって、私じゃ、彼のこの顔は、引き出せなかった。
思えば、彼はあの時、自分から止まった。
私を、気遣って、ふわりと受け止めてくれた。
彼は、私も、私以外のものも、ちゃんと見えていたのだ。
私は、彼しか見えなかった。
いっぱいいっぱいだったから。
だから、彼も、私しか見えていないと思い込んでいた。
違ったんだ。
だって、今。
今の彼は。
あの時の顔と、全然違うんだもん。
ウッドワスしか見えてない。
あんな貌、初めてみる。
ああ──悔しいなぁ。
ここが、グロスターだから。
ムリアンの妖精領域だから。
ここでなら、私なら、もしかして……
そんな「もしも」に意味はない。
確固たる事実は、私はゴローの真剣を引き出せず、ウッドワスはゴローの真剣を向けられていること。
なにが、ライバルなんだろうなぁ。
あの時の私、図々しかったなぁ。
もっと、強くなりたいなぁ。
ぎゅっ、と手を強く握りしめる。
あの人の、あの顔を、真正面から見れるぐらいには。
4.
ランスロットの向かい側の席。
熱気が立ち昇っている。
大きな身体が、その熱を抑えきれず、周囲にこぼしていた。
目が、ぎらついている。
その人物は、紺色を基調として、貴金属で申し訳程度に飾った、立派なタキシードに身を包んでいた。
シェフィールドの領主。
よく手入れの行き届いた、白髪の体毛が美しい。
ウッドワスの、かつての宿敵。
ボガードであった。
腕を組んでいる。
深く腰掛けている。
しかし、その内心は、今にも飛び出したかった。
──なぜ、私はこっち側にいるのだ。
ウッドワスに敗れて、牙を追われた。
スプリガンの奸計で、残った富と権力も失った。
復讐を誓い、身ひとつでシェフィールドを興した。
たちまち街は活気だち、他の氏族長の領地に負けぬほどの国となった。
その行いは、何ひとつ間違ってはいない。
それは、確信している。
では、なぜ?
私は今、ここにいるのだ?
ウッドワス、そして女王モルガン。
彼らを倒すためには力をつける必要があった。
だから、ひとつひとつ、丁寧に積み上げた。
それは間違いではない。
間違いではなかったハズだ。
では、なぜ?
──なぜ、今、私は
あの男、ゴローというらしい。
全能とかいう、『
外からきた男。
興味もなかった。
ただ、ウッドワスとモルガンの鼻をあかしたらしいことにはほくそ笑んだが。
ハベトロット曰く、らしくないね。
あの小さな妖精のことだ。
軽口をたたくのはいつものことと、見逃していた。
ああ、たしかに。
その通りだよ。
女王陛下に叛意を持ち、機会を窺う
ウッドワスを敵視し、いつか屈辱を晴らそうと虎視眈々な
もちろん
わかっている。
だが、眼下の光景が全てを否定する。
たった、二ヶ月だ。
たった二ヶ月で、あの男はウッドワスの前に立った。
そして、観衆満ち満ちたこの空間で戦い、そこにある全てを魅了している。
なんという男か。
なんという……
己が持たぬものを、持つもの。
それには、敬意を払わねばならぬ。
しかし、
しかしだ。
ボガードの胸の内では、めらめらとした炎が燃えていた。
5.
「ぐおおおおおおっ!!」
「くむっ……がうぉっ!?」
殴り合う。
リングの中心で殴り合う。
恥も何もなく殴り合う。
何の色もなく殴り合う。
ウッドワスの右。
振りかぶったそれはテレフォンもいいところ。
しかし、避けない。
避けられないだけかもしれない。
だが、避けようとするその仕草もない。
大きく弾ける顔。
首が引っ張られて大きく身体がズレる。
しかし、踏みとどまる。
そのまま身体を沈ませてのタックル。
待ってましたと膝が跳ぶ。
顎を撃ち抜く。
ゴローの身体が一瞬、止まる。
だが、身体がズレない。
踏みとどまるどころか、さらに踏み込み、その腰回りに抱きつく。
「おしゃあっ!!」
そのまま身体を逸らす。
バッグドロップならぬ、フロントドロップ。
ウッドワスが正面からリングに叩きつけられた。
「がはっ……」
起きあがろうともがくウッドワスの腕に、ゴローが素早く飛びつく。
両手で手首をとって、そこを起点に身体をぐるりと回す。
自身の胸の中で、ウッドワスの腕を逆関節へ伸ばす。
腕ひしぎ。
地味だが、効く。
極まっている。
「ぬぐううううううっ!!」
しかし、やはり人と牙の氏族では勝手が違うのか、ウッドワスは仰向けの手を力づくで翻し、ゴローの胸に当てる。
そのまま、爪を肉に、沈めていく。
ゴローの胸の筋繊維が、ぷつぷつと音を立てて割れていく。
「ちいッ!」
たまらず、ゴローが手を離した。
二人でよろよろと立ち上がる。
もう体力がない。
お互いに。
だからこそ、ゴローは拳を固めた。
小指から丁寧に折り曲げて、今いちどゲンコツを作った。
硬く引き絞られたそれが、ウッドワスの胸の、ちょうど中心を穿つ。
「ごがあっ!!!」
前のめりに、倒れ伏す。
それを見届けて。
「ヘイ!」
ゴローが、手を叩いた。
「ヘイ! ヘイ! ヘイッ! ヘイッ!!」
手を叩きながら、観客へと促す。
会場にいるものたちが、釣られて、手を叩いた。
言葉も、重ねる。
「ヘイッ! ヘイッ! ヘイッ! ヘイッ!!」
大合唱の煽り。
だが、それは決して侮蔑ではない。
ウッドワスが、ぶるぶると震えながらも、立ち上がった。
二人は向き合った。
ゴローは、また、拳を作る。
一度、指を綺麗にぴんと伸ばして、小指から順番に曲げていく。
ウッドワスは、爪を立てた。
指に力を込めて、それを抜く。
ごく自然な状態を保つ。
「おおおおおおおおおおっ!!!!」
「ぐおりゃああああああっ!!!!」
お互い、フルスイング。
ぐちゃっ!
この日、最大の力と力がぶつかった。
ずるり、と崩れ落ちた。
笑っていた。
笑ったまま、倒れた。
倒れたのは、ゴローだった。
「も……」
その顔のまま、言った。
「もう……立てンわ……クソッたれ……」
ウッドワスは、吠えた。
会場が、地鳴りと歓声に包まれた。
高く高く吠えた後、ウッドワスも言った。
「実は、オレもだ」
ばたりと、倒れ込んだ。
『えええええ!? まさかのダブルノック・アウトぉぉぉぉ!?』
誰かが、リングに飛び込んだ。
次々に、リングに飛び込んだ。
熱に充てられていた。
普段は、ボロクズのように横たわるものは、汚いと罵る妖精たち。
風も、土も、牙もなく、我先にとリングに雪崩れ込んだ。
──ああ。
ウッドワスの体を地鳴りが揺らす。
からっぽの身体に、染み込むようだ。
冷たいリングと相待って、とても気持ちがよかった。
6.
「起きられたか」
ガウェインの声だった。
意識を取り戻したウッドワスを、彼女が迎えた。
ウッドワスが周りをみる。
首を動かすだけで全身が軋んだ。
グロスターの、医務室と言ったところか。
気絶して、運び込まれたか。
「ウッドワス公」
「ガウェイン。お前はあの男、どう思う」
鋭い声であった。
力が漲っていた。
ガウェインは神妙な面持ちで、答えた。
「戦士だと、思います。素晴らしい戦士だと」
「ああ……」
言いたいことがたくさんあった。
だが、どれも声に出したくなかった。
だから、口を閉じた。
「私は、あなたも、素晴らしい戦士だと思います」
ガウェインの言葉に、しかし、何も言わなかった。
「もうひとつ、聞きたい」
ウッドワスは言った。
あの男は、手加減していたのか。
それは、どういう意味であろうか。
ウッドワスは続けた。
「あれほどの力を、ムリアン如きが御せるとは思えん。であれば、ヤツは手を抜いていたのか?」
「それについては、彼は『人には人の法があり、神には神の法がある。なら、それに倣うよぅ』とだけ、言っていました」
「……そうか」
…………
沈黙。
しかし、重たくはない。
むしろ、気分は清々しい。
だが、これだけは言わなければならない。
「私は、獣たる己を、妖精たる自身の歴史を律することを、克己することを、間違っているとは思わん」
それは女王陛下への誓いでもある。
事実、それを行なって以来、無駄な殺戮はほとんどなくなった。
オックスフォードはレストランの流行る街となり、菜食にも意味を持ち始めていた。
だから、間違ってはいない。
ただ……
と。
「たまには」
天井を見た。
その先に、女王陛下の顔を思い浮かべる。
「たまには、こういうものも、悪くはない」
7.
「ざっけんじゃねーよテメェ! なにあんなクソ犬に負けてんだコラァ!!」
もうひとつの控室。
トリスタンが喚き散らしていた。
となりにはランスロットがいる。
対面の椅子にはゴローである。
もう、既に傷は治っていた。
恐るべき治癒速度であった。
「いや、スマンねぇ。でも、楽しめただろ?」
「楽しめた、じゃねーよ! あんな怖ぇコトホイホイやるな!! ヤるんだったらもっと一方的にぶっ殺せよ!!」
「なンか、えらい鼻息荒いねェ?」
「ああ、彼女。お小遣いのモルポンド、全部君の勝ちに突っ込んでたからね」
「ちょっ、テメー!! それ言うなっっただろうが!!!」
「あらら。そりゃあ、ワルいことしたねぇ」
顔を真っ赤にして喚き散らすトリスタンに、やれやれと頭を掻いた。
「それじゃ、今度、何かオゴってあげなきゃねぇ」
「マジ!? やったぜ!!」
「現金だねぇ……この子は。まぁ、こんなモンでどうかねぇ?」
天井を見上げて、ふぅ、と一息。
「ゴロー」
「ン?」
ランスロットが前に出た。
なにかな、とゴローは言った。
「いつか、追いついてみせるよ」
待っててくれ。
と、その瞳の奥が強い光で揺れていた。
「ふふふ。楽しみがひとつ、増えちまったねぇ」
にっこりと、笑った。
いつもの、飄々とした、笑顔だった。
8.
やっぱり、モルガンはその一連の流れを全部見ていた。
誰もいないのをいいことに、もう、ボロボロ泣いていた。
よかったよぉ。
よかったよぉ!
ウッドワス、ごめんね。
キツかったね。
よく耐えてくれてたね。
ごめんね、言葉足らずで。
ごめんね。
ごめんね。
ああでも、良かった──
──まぁ、こんなモンでどうかねぇ?
ゴローの言葉が、こちらに届いた。
それは、空白ではなかった。
モルガンに向けられた言葉であった。
この男は……
この男はァ……!
こくこくとモルガンは頷いた。
涙で声が出なかった。
9.
その男は、最初から妖精國にいたことになっていた。
耳が尖っていた。
メガネの底で、切れ目が光っている。
整えた顎髭。
アウトローじみた色合いだが、清潔感のある身だしなみであった。
よく引き締まった身体をしている。
その男は、唖然としていた。
唖然とするほかなかった。
──変わってね?
ブリテン、なんか変わってね?
空気が、なんか変わってね?
なんかまた、変わってね?
疑問ばかりが浮かんでいた。
名前を、ベリル・ガットと言った。
『異星の神』に黄泉がえりをさせられたクリプターの一人。
サーヴァントとしての女王モルガンのマスターであり、彼女の伴侶たる男だった。
第三章、ロクデナシに続く
3/3 挿絵追加