猫猫と玲琳様って意気投合できそうだよね、という話。
※pixivにも投稿済み。
(厄介事のにおいがする)
妓楼『緑青館』の門前にさしかかったところで、猫猫は足を急停止させた。
抱えるように持っている包みを落とさないよう気をつけながら、急いで物陰に隠れる。そっと様子を窺えば、招かれざる客はさっきまでと同じように人待ち顔で立っていた。
女である。
花街の一角には場違いな容姿。醜女という意味ではない。やや胸部が物足りないものの十分に及第点。問題なのは身綺麗すぎることと、所作が整いすぎていること。本人もあまり居心地が良くなさそうだが、かといってその場を離れようとする様子もない。
職務熱心なことである。うれしくないが。
猫猫はため息をついて回れ右する。気づかれていないうちにこの場を離れれば、もうしばらくは時間が稼げる。その間にどこか見つからない場所へ、
「なにしてんだい、そんなところで」
「げ」
歩き出そうとしたところで首根っこを掴まれた。
うんざりするほど見た顔。もう一方の手に
「見逃してくれ、婆さん」
「そうはいくかい。しっかり手土産まで貰ってるんだ。無碍にはできないね」
ふん、と鼻を鳴らされ、ぐっと言葉に詰まった。緑青館名物、やり手婆。既に買収されているとなれば説得は不可能。交渉には向こうが出した以上のカネ、もしくは物が必要になる。経験則から必要額を算出、手持ちから相当する賄賂を捻りだそうとして、
「それに、もう気づかれちまった。隠しようがないねえ」
「おい、それは汚いぞ」
「猫猫さま、お待ちしておりました。先だってご連絡申し上げました通り、直ちにご帰宅くださいませ」
やり手婆の声に引き寄せられたらしい女──実家の使用人が、丁寧な口調で用件を伝えてきた。
〇●〇
「で、なにがあったの?」
隣を歩く女に不貞腐れつつ尋ねれば、彼女は予想していたように答えた。
言外に「文を読んでいないのか」という態度を滲ませつつ、
「明日、奥様が
「へえ。珍しいこともあるもんだ。用件は?」
「碁の指南とのことです」
なるほど、と納得する。
猫猫の母親は碁の名手として一部に名が知れている。また、将棋の腕も一級品ときている。よって指南の依頼、および対戦の申し込みは頻繁に来るのだが、基本的に母の方から相手を訪問することはない。碁(将棋)がしたいならそっちが来い、という態度なのだが、
(相手が皇后さまのお気に入りじゃなあ)
黄玲琳。
皇帝へ妃を捧げる五家の一つ「黄家」の
歳は猫猫と同い十三。要はまだ小娘であるとはいえ、さすがにこちらから出向くしかないだろう。
なにしろ猫猫の父親も黄家の血を引いている。直系にはほど遠いが、だからこそ、一族の宝とも言うべき少女をないがしろにはできない。皇后や皇太子がその気になれば父の職を失わせることだって可能なのである。
「でも、碁の指南なら私、いらないんじゃ?」
「猫猫さまには対局中のお話し相手を、と」
(ま、そうだろうな)
歳が同じなら多少は気も緩むだろうし、何より、猫猫の母は少々対人能力に難がある。
面倒だ。面倒だが仕方ない。せめて向こうで美味い菓子でも出ることを祈ろう。
「服の用意などは済ませてあります。ですので、本日はしっかり身を清めて早めにお休みください。できればもう少し普段から言葉遣いを直していただき、碁や将棋の勉強にも身を入れて──」
「ああ、はいはい」
(だから会いたくなかったんだ)
顔を合わせる度に聞かされる小言を適当に聞き流しながら、猫猫は数日に一度しか帰らない実家への道をやや早足で歩いた。
〇●〇
「お初にお目にかかります、漢鳳仙と申します」
「同じく、猫猫でございます」
「初めまして。黄玲琳と申します」
翌日。
失礼のないようにと着飾らされた猫猫は母親らと共に黄玲琳の元を訪れた。
表向きの招待者である玲琳の父を交えて挨拶を交わした後、女だけのゆったりとした場が設けられる。その中心となったのは碁の用意がされた
「では、まずは一局」
「よろしくお願いいたします、鳳仙様」
母──鳳仙の口数はいつも通り少ない。表情も「機嫌が悪いのか」と思われそうなほどの無表情。愛想の無い女なのである。猫猫は向かい合う二人から等距離の位置に座り内心でため息をつく。慣れていればこれが素なのだとわかる。碁や将棋の腕前と共にその無愛想さも噂として広まっているだろうが、それにしてもこれか。
しかし、鳳仙と向かい合う玲琳は気にした様子もなく微笑を浮かべている。
(こりゃ、確かにモノが違うわ)
猫猫も一応、お嬢様ではあるのだが、少々特殊な育ち方をしたことと本人の嗜好、それから母親の教育方針のせいであまり品は良くない。気を張っていればある程度は取り繕えるものの、素の状態だと下町の小娘に近いのだが、玲琳はどう見ても本物のお嬢様だった。
優しい色合いの黒髪に、大きな瞳。微笑を浮かべた彼女は、さながら、摘み取るどころか触れることさえ躊躇われるような可憐な花だ。
透き通るような白い肌を始めとする儚げな美貌は黄家の者の持つ過保護な面にこれでもかと刺さっている。猫猫は黄家に縁があるとは言ってもだいぶ血が薄いためそれほどでもないが、これなら緑青館でもとびきりの妓女としてやっていけるだろうな、と(失礼な)感嘆の念を抱いた。
(でも、この人──)
お茶と茶菓子の準備が行われ、玲琳と鳳仙が対局を始める。
鳳仙はもちろん、玲琳の手つきもまた淀みない。度々母親に付き合わされている猫猫には、同い年のお嬢様が割と本格的に「学ぶ気」であることがわかった。母が呼ばれたのも単なる親馬鹿というわけではないのかもしれない。
そんな風に対局を眺めながら、猫猫はくんくんと小さく鼻を鳴らした。
茶と菓子のいい匂い。玲琳が対局開始からほどなくして一口食べてくれたので「お許し」は出ているが、あまりがっつくと恥ずかしいだろうか、って、そういうことではなく。
「どうなさいましたか、猫猫さん」
「───」
驚いた。こちらへ視線を向けずに言った玲琳が、小さく振り返って柔らかく微笑む。対局しながら周囲にも細かく気を配っているのか。
邪魔しては悪い。「いえ」と曖昧に答え、そのまま話を流してしまおうと考え、しかし、好奇心からつい続く言葉を口に出してしまった。
「化粧がお好きなのですか?」
「あら」
ぱちん。黒石が盤に置かれる。
「どうしてそうお思いに?」
「申し訳ありません。白粉の匂いがしたものですから」
ぱちん。白石を置いた鳳仙が一瞬だけ視線を向けてくる。余計なことを言うな、ということだろうか。若いとはいえ玲琳も女だ。化粧に興味があるのは当然だし、その部屋に白粉の香りがしてもおかしくはない。
玲琳は一見すると自然な風貌。最低限の化粧をしている
しかし、
「まあ! 猫猫さんは化粧についてお詳しいのですか?」
(思った以上に食いつかれた)
「私自身はあまり好まないのですが、周囲に得意な者が多いので自然と覚えました。どちらかというと原料や製法に興味があります」
(まあ、こう言っておけばいいだろう)
一般的な女は化粧品の作り方になど興味を持たない。彼女たちの関心は「どうやったら自分を美しく飾れるか」にあるからだ。もちろん、金がないなど必要に迫られていれば別だろうが。
ぱちん。ぱちん。
応手を続けながら玲琳はさらに笑みを浮かべて、
「本当ですの? じつはわたくしも好きなのです。化粧品づくりにも薬の調合に似た楽しさが──」
「今、調合とおっしゃいましたか?」
猫猫は思わず身を乗り出していた。
熱のこもった反応に目を瞬かせた玲琳が「ええ」と頷くや否や、話を流そうとしていた事も忘れて室内を見渡す。あった。調度品に隠れて見づらくなっていたが、確かに
いや、今からでも十分に挽回可能だ。
鳳仙が不快そうな表情を浮かべているのにも構わず、猫猫は
「調合、お好きなのですか? どういった薬をお作りに?」
「はい。なんでも、ですわ」
「なんと。……あの、後で見せて頂いてもよろしいでしょうか? もちろん見るだけで結構ですので。匂いを嗅いだり、参考にさせていただけるだけで」
何を隠そう、猫猫もまた薬に目がないのである。
〇●〇
猫猫は宮廷軍師の父と、元妓女の母から生まれた子だ。
鳳仙が身籠ったのは未だ現役の頃。愛想がなく、寝台の上で男を喜ばせるよりも碁や将棋の腕で客を取っていた彼女は、同じく名手であった父と知り合い、関係を持った。
結果、母は猫猫を身籠った。父はすぐに身受けするつもりだったが、折悪く家のトラブルに巻き込まれてしまう。数年間、都を離れなければならなくなった彼はなんとか、事情を伝える文だけは寄越したものの、その後しばらく行方知れずとなってしまう。
だから、猫猫は生まれてから数年間、花街で育った。
ちょうど、かつて後宮で医者をしていたという父の叔父が花街に居たこともあって、特に問題なくすくすくと育った。鳳仙は不器用な女だったためにあまり構ってくれなかったが、その分、緑青館の
そんな風に育ったものだから、気づいたら薬の調合が好きになっていた。小姐たちは「化粧や舞いを好んでくれれば」と嘆いているが、まあ、それらも面倒なだけで嫌いなわけではない。
両親が正式に結婚し、きちんとした家で暮らせるようになってからも花街に出入りしているのはそういった事情からだ。放っておくと儲からない人助けばかりする養父の世話を焼き、緑青館の小姐たちの世話焼きに顔を顰めつつ世間話をするのを今なお好んでいる。
妓女になる気はさらさらないが、鳳仙は「やりたいなら好きにすればいい」と言ってくれている。父の反対は無視するとして、後宮の女官なんて柄じゃないし、将来は養父の後を継いで薬屋でもやろうかな、なんて考えていた。
考えていたのだが。
「牛黄!」
「熊胆!」
「冬虫夏草!」
母の付き添いで訪問したはずの黄玲琳と、気づいたら思いきり盛り上がってしまった。
「わたくし、同世代の方とここまで話が合ったのは初めてですわ」
「私もです。まさか玲琳さまにこのような趣味がおありだったとは」
後から考えると出すぎた真似だった気もするのだが、玲琳も世話係たちも全く怒らなかった。ちゃんと薬棚も見せてもらえた。邪魔をされた母・鳳仙が物凄く不機嫌になり宥めるのが大変だった以外、その場は和やかに終わったのだ。
そう、その場は。
事が起こったのはそれから約一年後。その間、猫猫と玲琳は時々文のやりとりをしたりして「仲良く」やっていたのだが、二人が十四歳を迎えた頃「
五家から選りすぐりの女子が一人選ばれ、
黄家からは当然の如く黄玲琳が指名され、猫猫は「へえ」と思った。これからは玲琳も忙しくなるだろうし、文のやり取りもあまりできなくなるかもしれない、寂しくなるな、なんて考えていたのだが。
「猫猫。黄玲琳様から直々の要請があったわ。あなたに是非、自分付きの女官をやって欲しい、って」
「……へ?」
人生、どういう縁がどう繋がるかわからないものである。
雛宮は後宮内に作られる。そこに立ち入れるのは五家に連なる者だけであり──逆に言うと、曲がりなりにも黄家の血を引く猫猫には女官になる資格があった。
雛女となる玲琳当人とも仲が良く、何より薬や舞いに関する知識もある。主に代わって調合を行ったり、毒見役を買って出ることができるし、母・鳳仙からある程度の碁・将棋の知識を仕込まれてもいる。猫猫は実務面から見てもなかなかに優秀だった。
過保護な父は「断ってもいい」と言ってくれ、珍しく良いことを言うなと感心したりはしたのだが、
「いや、これ、断れないだろ」
断じて、玲琳からの文に書かれていた「後宮なら貴重な素材も手に入りやすいですよ」という言葉に心惹かれたわけではないのだが。
猫猫は渋々、本当に渋々ながら、女官の衣を纏うことを決意した。
『ふつつかな薬屋ではございますが、精一杯務めさせていただきます』
返事の文にそんな一文を記して。
たぶんこの世界の羅漢パパは母親が玄家の女性。
この後、猫猫は後宮内に畑を作って冬雪に怒られたり、玲琳様と意気投合して冬雪に嫉妬されたり、
薬へのスタンスから玲琳(in慧月)に違和感を持ったり、羅門絡みで貴妃様とあれこれあったり、莉莉に親近感抱いたり、慧月様にそばかす隠す方法を教えたり……。
そんなのを誰か書いてくれないでしょうか。