[1]???
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人と人は違う。ごく当たり前のことである。
だからこそ、この世界には「可能性」や「多様性」という言葉が存在しているのだ。
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「純愛とは?」
私の言葉を聞いて、彼女は困った顔を浮かべるだけだった。
「それはまた、どうして?」
「今読んでる本が俗に言う純愛ものというやつだったからね。ふと気になったんだ」
純愛とはなにを指すか? この定義は人によって様々であるだろう。
純粋な愛、利害の考えない愛、ひたむきな愛。
自己犠牲を厭わないという愛や、肉体関係の持たない愛も純愛と言えるだろう。
「ある程度の共通項はあれど、純愛とは人それぞれと言うのが現状だ。だけど、私はどうしても納得できなくてね」
「だから君の意見も聞いてみたかったんだ」
「なるほど……」
口に手を当てて、彼女は考え出した。そんな仕草を見て心安らぐ自分がいる。
気になったことをすぐに聞いてしまうのは昔からの悪い癖だったが、それを受け入れてくれる彼女の姿を見ると嬉しい気持ちになってしまうのだ。
もう長い付き合いになる。学生時代に隣の席になって、気がつけば帰り道が同じになって、一緒にいることが当たり前になった。
学生時代から感じているこの安心感は、こうやって同じ家に住んで生活するようになっても変わらない。
「それで、君にとっての純愛は?」
これも昔からの癖だった。悪癖ともいうべきか。
つい答えを促してしまう自分の癖。返ってくる言葉は
彼女は言葉を紡ぎだそうとして、再考して、口を開いて――
「――秘密!」
「…………そうか」
この終わり方が、私たちにとってのいつも通りだった。
何事も『定義』しないと気が済まない
未知というのが恐ろしいものだと思っていた。理解できないものが目の前にあることがたまらなく怖かった。
幼い頃の自分は、誰もがそうなのだと信じて疑わなかった。それは違うと思い知らされた時の衝撃は今でも忘れられない。
単純にわからないことや、曖昧なこと。それらを『こうである』と言語化しないで放置することが許せない。我慢ならない。そんな性格なのだ。
……自分のことなのだが、非常に面倒な人間であると言わざるを得ない。
だからこそ、自分が好きになるのは自分のような性格の人間であるはずだと思っていた。
彼女の第一印象を、一言で言うならば「適当」だろう。
話をあえてぼかしたり、逸らしたりするような性格の持ち主だった。『何となくそんな感じ〜』というのが、学生時代の彼女の口癖だ。
だからこそ、彼女時折見せる横顔が。何を考えているかわかりやすいようで、その実何も読み取れない不思議な表情が。私はとても好きだった。
それは例えば、人のいなくなった教室で。
それは例えば、帰り道の途中で。
それは例えば、私が『定義』している傍で。
「……うん。そうかもね」
わずかなタイムラグ。
その数瞬の横顔を見るために、自然と私から話しかける回数が増えていった。
「あれから色々考えたんだけど」
コーヒーを飲み終えて一言目に発した言葉だった。
朝食の後片付けを終えて、目の前で同じコーヒー(インスタント)を飲んでいる彼女がこちらを向く。
「
「純愛のことだよ」
こうやって曖昧にされた話題を引っ張って来るのは初めてではなかった。
とん、とカップを置く音。立ち上る湯気が、未だ冷めないコーヒーの温度を語っていた。
「人それぞれ、ということにしたんじゃないの?」
「『君にとっての』については聞いていないからね」
あからさまに顔を歪める彼女を見るのも初めてのことではない。
「……そんな顔しないでくれ」
決して慣れることはないが。
「と言ってもね〜」
「まぁ聞いてくれ」
そう言ってカップを傾ける。やや苦味が強いように感じて、シュガースティックを手に取った。
砂糖の入ったコーヒーを、スプーンでかき混ぜながら話を続ける。
「まず初めに、『肉体関係の持たない愛』。これに少々疑問を抱いたんだ」
消去法。古典的な方法だが効果は確かである。
「プラトニック・ラブというやつだね」
「そう。恋愛に関する創作は世にごまんとあるが、作品によっては性的な描写を前面に出すことも多い。そんな作品達との区別という意味でも存在しているんじゃないかと私は考えてるんだが……この話は置いておこう。重要なのはそこじゃない」
肉体関係を持たない愛。これは要するに親子愛とか、庇護愛のようなものではないかと私は考えた。
相手を思いやると言えば聞こえはいいが、結局のところは生殖本能に基づいたものではない感情。実の子供やペット等に対して向ける感情だ。
要するに――
「相手のことを
生殖本能というのはヒトにとって原始的な本能だ。種族保存のため、愛するパートナーと子孫を残そうとすることが『純粋な愛』に反する行為なら今頃人類は滅亡しているだろう。
なにより、自身の子を愛おしそうに抱き抱える親の顔を見ても『これは純愛に反する』と宣うのだろうか。
言いたいことは山ほどあるが、結局のところ――
「結局のところ言いたいところは?」
「純愛がこんな陳腐なものであるはずがない……ッッッ」
あまりに一方的。傲慢なものであると叫びたい。
そもそも皆が『美しいものだ』と声を大にして叫んでいるものが、なにより自分が美しいもので
「なるほどねぇ。まぁ一理あるんじゃない?」
「だろう? だから」
「まぁそれは『生殖行為
「うぐっ」
変な声が出てしまった。
結局のところ
簡潔に言えば
「解釈違い……ッ」
「はいはい」
辞書に載っている単語の定義が複数あることはザラだ。それは何故か? その単語は時と場合、あるいは人によって意味を変えるからだ。
一意に定まらないものが、この世界にはたくさんある。だからこそ美しいと人は言うが、だからこそ面倒くさいし気味が悪いのだと私はずっと言い続けている。幼少期に比べればマシにはなったが、今もその考えは変わらない。
自分の目についたものくらいは『これはAである』と自分の中で『定義』しておきたい。AがBにもCにも変わり得るのがどうしても認められないからだ。
特に、愛に関する事柄は。
「ぐぬ……」
「だから、一旦この『定義』は保留にしておいていいんじゃない?」
だからこそ、定義に曖昧な部分を残すのは許せない。
「……そう、だな。なら次は『自己犠牲を厭わない愛』に関してだが――」
一般的な純愛の定義はこれだけじゃない。必ず純愛にとってのAを見つける。
それはきっと――
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言葉にしないと伝わらない。伝わらなければ意味はない。
だからこそ、この世界では「対話」や「コミュニケーション」というものが尊ばれるのだ。
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彼の第一印象を、一言で言うならば「几帳面」だろう。
ものの定義をはっきりさせることに、いっそ狂気的なまでに執着している性格の持ち主だった。『これはこうではないか?』というのが、学生時代の彼の口癖だ。
正直、第一印象は最悪だった。怖いし。
だけど、彼がいつも見せる横顔が。強面で何考えてるか分からないようで、その実わかりやすいそんな表情が。私はいつの間にか好きになっていた。
それは例えば、人のいなくなった教室で。
それは例えば、帰り道の途中で。
それは例えば、彼が
「ぐ……そうか」
繰り返すリトライ。
その数瞬の横顔を見るために、自然と私が返事をする回数も増えていった。
流されがちな人生だった。同調圧力に弱い人間だった。
集団で生きていくとは妥協や適応の繰り返しで、いつしか自分の考えさえ持てなくなるんじゃないかと思った。「それは嫌だ」と、小さい頃に漠然と思っていた。
言ったら嫌われるかもしれない。空気を悪くするかもしれない。見当外れだと馬鹿にされるかもしれない。
なにより、口にしてしまえば「その言葉の可能性を狭めてしまう」と。そんな強迫観念に近いものが私にはあった。
「だったら、口にしなければいい」
そう考えたのはいつだっただろうか。小学生の時だっただろうか。おそらく、周りが『社会』や『コミュニティ』と言ったものを無意識的に理解し始めた頃だ。
その頃にはもう、言いたいことが言えない人間になっていた。
(まったく……)
空になったカップを二つ手に取って台所へと向かう。僅かに残るコーヒーの香りが鼻腔をくすぐった。
住み慣れた日常。この光景が日常になったのは偶然なのか、必然なのか。
何でもかんでも『定義』してしまう彼と、それを曖昧に返す私。正反対の私たちは、いつの間にか一緒になっていた。
(純愛、か)
彼が昨日、それについて語っていたことは覚えている。愛に関する『定義』をする際、彼はいつもより真剣な顔をするからだ。
純愛。彼が最初に言った『その定義は人による』という意見に、私は賛成している。
そもそも愛というものが不定形で曖昧なものなのだから、それを定形なものにするのは不可能ではないだろうか。
(創作における純愛も、所詮はその人次第。作者や読者が『これは純愛だ』と説明できるなら、もうそれは純愛なのだろう)
だけど――
(絶対に言わない)
言わない。言えない。言ってたまるか。
だってそれは、私が最も恐れ嫌うことだからだ。
私は既知が怖い。明らかであるということは、変わらないということへつながると思っているからだ。
この世界は可能性に満ちている。現代を生きる私たちも、これまで起こってきた世界の変化の結果として存在しているのだ。
変わり得るというのは、より良くなる可能性があるということ。
(多様性や可能性というのを狭めてしまう最大の原因は、『はっきりと決めつけてしまうこと』にある)
そんなこともあって、彼の『定義』は私の考えとは異なる行為だ。
私の中の純愛――単に愛と呼ぶべきかもしれない――を、『こうである』と定義してしまえば。
私にとっての、加えて彼に取っての愛が。これ以上変わらない、どうしようもなく
(それは嫌だ)
だって、好きなのだ。どうしようもなく。
私とは真反対で、到底理解できないことばかりやってる彼のことが、どうしようもなく好きなのだから。
人は自分にない物を持つ人に惹かれるからか。
自分がはっきり言えない
日々を過ごす間に、性質関係なく彼の人間性を好きになったのか。
(そんなことを決める必要はない)
だからこそ。私は彼に、愛をはっきりと伝えることはないだろう。
(純愛とは?)
彼の言葉を思い出して、私は困った顔を浮かべるだけだった。
純愛とはなにを指すか? この定義は人によって様々であるだろう。
純粋な愛、利害の考えない愛、ひたむきな愛。
自己犠牲を厭わないという愛や、肉体関係の持たない愛も純愛と言えるだろう。
(結局のところ、人それぞれというのが真理なんじゃないかな)
考え出した結果の一つがこれだった。
この答えを出すのにも、少し頭を抱えていたのは秘密である。愛なんて難しいテーマを、長考してしまうような質問を急に投げかけてくるのは、彼の悪い癖だった。
もう長い付き合いになる。学生時代に隣の席になって、気がつけば帰り道が同じになって、一緒にいることが当たり前になった。
学生時代から感じているこの安心感は、こうやって同じ家に住んで生活するようになっても変わらない。
彼が返事を催促する声が聞こえた。これも昔からの癖だった。
答えはもう持っていたけれど、それを言うことは絶対にない。伝える言葉はいつも同じようで、だけどいつも
私は言葉を紡ぎだそうとして、再考する
「――秘密だよ〜」
「…………そうか」
この終わり方が、私たちにとってのいつも通りだった。
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愛というのは美しいから、変わらず美しいままであってほしい。
愛というのは美しいから、より美しいものへと変わり得るものであってほしい。
どちらの願いも貴く、どちらの祈りも人間誰しもが考えることだ。
変わり得るものであってほしくないから、確固たる定義が欲しい。
変わらないものであってほしくないから、確固たる定義なんてほしくない。
どちらも人の正しい欲求である。
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――私にとって、君にとっての純愛は?