お墓参りには行くから、お盆の間は帰ってくるように。
夏休み、真昼に起きた時に母親からそんなラインが入っていた。
休暇に入ってからというもの、生活リズムは崩れるばかりだった。ラインの通知が2時間前に届いているあたり、母親に早く起きな、とたしなめられるのが想像できる。
いつ頃帰省しようかとふと思い出しては、また今度考えようと忘れていたことで、これ幸いと高速バスの予約を取った。
バスに揺られ電車に揺られ、移動がこんなに疲れるものだと初めて痛感した。
往復予約で滞在は5日間。半年ぶりの地元だった。
今年も酷暑は変わらずで、外出すると大方下着がダメになる。実家に着くなりシャワーを浴び、下着を着替えて、母親に頼まれた洗濯物を回す。
久々に戻った実家は何も変わっていないように見えた。
共用のテーブル、棚に並べられた花瓶、金魚鉢。半年では何も変わらないだろうと考えれば当たり前だった。
「あ、そうだ。夕飯まで時間あるから白石さんとこ挨拶してきなさい」
「え、あー、わかった」
玄関からさっき履いてきた靴で、そのまま右へ。塀の向こうのお隣さんとは20年来の付き合いだと言っていた。
夏とはいえど、この時間はもう日が沈みかけていた。道路から地平線は見えなくて、赤焼けた空が少しずつ夜に追われていく。
呼び鈴を押すと、分厚いドアの向こうからスリッパの音が聞こえてくる。
「お久しぶりです」
「あら竜司くん、おかえりなさい」
白石さんの家には記憶があるだけでも5歳の頃からお世話になっていた。幼馴染と遊んだのは白石さんの家が先だったと思う。
大学の話、身長の話、最近の話。母親ともこういう話は必ずしている気がする。
「そういえば涼美は?」
「あの子は受験勉強で図書館。そろそろ帰ってくると思うけど……」
俺は去年の夏何してただろうか。遊んでばかりだった気がする。
「ん、それはまた涼美が帰ってきたときで」
「そう? あの子会いたがってると思うけど」
「付き合う元気がないですよ。バスは疲れます」
大学生になってからますます体力がなくなった気がする。
涼美が帰ってきたら伝えてくださいと返して白石宅を去る。10分くらいしかいなかったものの、彼女が居たらもっと伸びていたことだろう。
10分ほどの会話でも、黄昏の空はすぐに去っていく。住宅街の合間にも茜色が見えなくなった。
家に戻って、まだ夕食ができないからと自室に戻る。広げっぱなしだった荷物を整理しながら、5日間どう過ごそうかと頭を巡らせる。
ノートパソコンは持ってきたものの、わざわざ実家に戻ってまで課題を開く気も起きなかった。
本棚にある本も大抵読み終わったか家を出る前に処分してしまったかで隙間が多かった。
散歩と、あと図書館くらい。そこそこあるお金で狭く遠出するのも悪くない。
スマホの通知がポロポロと勢いよく鳴る。ラインの通知音は独特で、それが2回。
スリープから覚めた画面を見ると、普段見ないアイコンからメッセージが連投されていた。
"竜司帰ってきてたの"
"連絡欲しかったんだけど"
受験生だから中々メッセージを送ってこなかったのだろうか。珍しく涼美からラインが来ていた。
"勉強邪魔しちゃ悪いと思って"
"忘れてたんでしょ"
"悪かった"
そこまで返したところで着信音が鳴る。文字を打つの面倒になったのだろうか。
短めの充電コードをいったん抜いて、コールに応える。
「もしもし」
「もしもし……久しぶり」
「久しぶり、連絡してなかったもんな」
少し悪い音質を通して、聞きなれた声が聞こえてくる。ラインを見る限り少し怒っているようにも見えたが、そういうわけでもないらしい。
「お母さんから聞いて初めて知った。隠してたの?」
「帰省自体直近で決めたから、連絡する暇があんまなかった」
「そっか……今二階?」
「ん、ああ自分の部屋」
床から立ち上がって閉めていたレースのカーテンを開ける。ついでに窓も。
通話はいつの間にか切れていて、そのまま待っていると向こうの窓も開いてきた。
髪型が見慣れない以外は、見慣れた涼美の顔が出てきた。
「……髪染めたの?」
開口一番、目を細めて彼女が言う。最初がそれかと思いつつ、黒髪が変わっていれば気になるとも思う。
「高校は染髪禁止だったからね。せっかくだし」
自分の部屋を持ったのが中学に上がった頃で、その一年後くらいから。顔を合わせるときは大体こうなっている。
雪とか、台風とか、そんな無茶な日に顔を合わせたことがない。テレビ通話でもすればいいものを、と今では思う。
「いいな、大学生」
「俺も一年前はそう思ってた」
「え、やめてよ過去形」
「気苦労が増えた、というか一気に老けた気がする」
「なにそれ」
話題が変わりゆくだけで、会話の熱気は変わらない。
受験勉強の様子、大学の話、毎日夏休みの補講で辛い、期末は地獄を見た、とか。半年間分、溜めておいたネタを包み隠さずひらけだすように喋っている。久々だった。
「悪い、そろそろ夕飯らしい」
夕飯の準備手伝ってと、階下から聞こえてきた声に会話を中断した。
「そっか、いってらっしゃい……あそうだ、竜司、いつまでこっちにいるの?」
「あ~今週の日曜まで。月曜のバスで向こう戻るけど」
「わかった、ありがと」
じゃあね、と彼女の方から窓を閉めた。向こうの部屋が暗くなったのを見てこちらも窓を閉める。
涼美とは歳の差一つで、小さいころからそんなもの無いように関わってきた。それでも幼少期と比べて歳の差一つが大きく、大きくなってきている気がする。
半年会わない間に、雰囲気が変わったような気がする。進級して、進学して。こんなに顔を合わせないのも初めてだった。
幼馴染、となんだかんだで付き合って来た日々も、どこかでその繋がりが希薄になっていくんじゃないかと、半ば諦観に近いことを考えたりもする。
高校時代から2年付き合った彼女と別れて数ヵ月が経った。
永遠に続くと思っていた関係が、あっさり途切れたのは割と堪えた。未だに引きずる程度には。
帰省2日目、起床は9時半だった。
高校時代の休日の起床が8時半とかだったのを思い出すと、確実に怠惰な方向へと前進していることが分かった。
「おはよう、朝ご飯冷蔵庫入れちゃったけど」
「ごめん、温めて食べるわ……」
アパートの洗面台よりも、少し広いそれで洗顔を済ませる。背中側から洗濯機が重たい音を立てて動いている。
冷蔵庫に仕舞ってあったおかずを取り出し、電子レンジへ。勘で時間設定して、温まり切っていないじゃがいもの煮物が出てくる。
「今日は何か予定ある?」
「今日はまだね。あ、せっかくだから午後の買い物付き合ってもらえる?」
「ん、わかった。散歩でもしてくるわ」
「じゃあ日焼け止めは塗っていくようにね」
こういう、残り物を温めるときはいつも時間が足りないのか、結構冷めた状態で出てくる。言ってしまえば下手くそで、言い訳をするなら猫舌だから、だった。
大根が冷たい味噌汁、不釣り合いに暖かい白米、それとサラダと、じゃがいも、その他諸々。
家事には慣れたつもりだけど、それも負担を狡く減らしてくようなことしかできていないように思う。
食べきった皿、べた付いた茶碗、油汚れがなくて本当にありがたい、と思った。
さっさと食事を片付けてしまって、自室に戻る。
適当に持ってきた着替えを眺めるが、パンツがほとんど黒のスキニーで辟易とした。便利すぎるのも考え物かと思う。
仕方ないと、なるべく薄いスキニーと灰色の無地Tシャツで。
机の上に置いておいた財布とスマホ、イヤホン、それと最近買ったちょっと高めのサンダルを持って家を出る。
「あ……っつ過ぎるだろ」
外はまだ最高気温ではないというのに30度ありそうな勢いだった。道路の向こうに蜃気楼が見えそうだった。
立っているだけで汗がにじむ道を進む。目的地はとりあえず図書館で。
そう意気込んで歩いたものの、15分歩く頃には流石にキツくなってきた。体力の衰えとか、単純に水分が足りてないとか。たぶんそういうことで。
"こっち! パスパス!"
"絶対抜かれんなよそこ!"
図書館への道のりの途中には少し大きめの公園がある。市営の体育館に隣接するように芝が整えられた広場は、いつもどこかの少年スポーツチームが練習に励んでいる。
大きな声が響いてくる広場の、その外周。ランニングコースに沿うように木が植えられた一角のベンチで、その様子を眺めている。
「日陰、ってまぁ、偉いもんだわ……」
既に半分ほど飲んだお茶のペットボトルを揺らす。汗で湿った首筋に吹く風が気持ちいい。
少し休憩といわんばかりにワイヤレスイヤホンを取り出す。ノイズキャンセリングを付けて音楽を流していれば、環境音は全く入ってこない。
高校生の頃が一番ここを利用していた。そこそこ適当に使えるお金があって、ジュースを買ってもダメージが少ない位な年頃で。
あの時と比べると随分と暇になった。今の涼美のように何かに追われるように過ごすことはなくなったし、むしろ退屈になったように思う。
ボーっと音楽を聴きながらうなだれる。木陰でも暑いからうたたねもできない。
多分3曲あたり聴き流したところで通知音が邪魔をする。ラインだった。
"今日買い物の付き合いしなくていいから"
"代わりに涼美ちゃんの迎えお願い。頼まれちゃって"
「あ?」
"遅いからってこと? 図書館?"
"そう。7時くらいでいいって"
行く予定にしておいてよかった。このまま外に居続けるのも苦痛で、気合を入れるようにペットボトルをあおる。
自販機そばのごみ箱に投げ込んで、炎天下に足を踏み出す。影はさっきより小さくなっていて、正午が近いようだった。
広場ではいまだに練習を続けている。同じ年齢の頃の自分でもあんなに動けないだろうなと思った。
そうしてそれから、3日間。迎えを頼まれていた。
初日なんかは面白かった。
「なんで」
「白石さんに頼まれた」
「びっくりした」
図書館で適当に時間を潰していたけれど、全然涼美に気が付かれなかった。結局、帰る間際にラインして、それでようやくこちらを向いたくらい。
地元の図書館で、人はそこそこ。よっぽど集中力がよいのだろうと感心する。目が合った時に中々おもしろい顔をしてくれた。
やることもなく、早めに図書館については本を適当に読み漁り、引き上げる涼美に「いつからいたの」と言われていた。
一日、墓参りで涼美が図書館に行かなかった時を除いて、ずっとそんなやり取りをしていた。
「相変わらず真面目なもんだ」
「きっかけがあると凄く集中しちゃうみたい。いいことだけどね」
時計は18時を回っていた。夕焼けが地平線ギリギリに見える。黄昏が去って、もう少しで夜の帳が落ちる時間だった。
アパートに戻る月曜日が明後日に迫っていて、この迎えも明日が最後かと思っていた。
「そういえば竜司、彼女さんとはどうなの?」
「え、あー」
大学に進学してから別れた、ということは涼美には伝えていなかった。伝えそびれていた。
連絡もまばらになっていて、近況も全然伝えられてなかったと思う。
「別々の大学なんでしょ? 遠距離恋愛ってうまくいくの?」
「うまくいけば良かったんだけどね」
「え」
まさか、という顔をする。元々表情のコロコロ変わりやすい涼美だったけど、こういう話題は一際リアクションが大きい気がする。
「……別れたよ、6月に」
「うそ」
自分はびっくりするくらい型に嵌まった人間のようで、彼女を失って初めて、その失ったものの大きさに気が付いたと思う。そんな後悔することは絶対にしないと思っていても、心に空いた穴は予想よりもずっと大きかった。
「高校の頃から兆候はあったのかもしれないけど」
進学先が別だとわかって、それでもそれぞれの為に頑張ろうと励ましあって。それでもやがて遠距離になるという事実は確実に彼女との関係にヒビを入れていた。
顔を合わせられないという状況は相当に堪えた。受験勉強で恋人らしいことが中々できないことよりも、何よりダメージが大きかったのはこっちだった。
喧嘩は少なかった、というかほぼゼロに近かったと思う。互いの嫌なことを嫌って、やらないようにして、それも限界だったんだろうか。
「別れよっか」と電話口で言われて、どう引き留めようかとも考えられないまま2年間の関係は終わっていった。
「じゃあ今は」
「いないよ、あんまり作ろうとも思えないけど」
「そっか……」
夕焼けも見えなくなって、帳が完全に落ちた。まばらに設置された街灯の不安定な明かりが俺たちを照らしている。
「それから連絡は取ってなくて、あの子のことはわからない」
さっさと忘れてくれれば、とも思う。さっさといい男を見つけてくっついてくれればとも。
成人式で、「あの頃はああだった」と話せるくらいには引きずらないでいてほしかった。それは何より自分ができていないのだけれど。
「涼美はどうなの? そういう話聞いたことないけど」
「……ずっと、そういう人はいないよ」
「そうか。実際そうなの」
「3年になってからは2回」
「やっぱり」
成績優秀、品行方正、曰く学校ではおとなしい。聞くだけで高嶺の華のような涼美がモテない理由が見当たらなかった。
薄々気が付いてはいる。彼女ができた、と伝えたときの涼美の表情は忘れられるようなものじゃなかった。鈍いばかりで、その時やっと気が付いた。
「竜司、明後日帰るんだよね」
「ん、うん」
「じゃ、明日の縁日、一緒に回ってよ」
「……どうせ暇だからいいけど、そっちはいいのか」
「縁日行くために頑張ってたんだもん。行っておいでって言われてるよ」
「そうか、そっか」
断る理由が用意できなかった。地元の祭りなんてもう日程を覚えていなかった。最後に行ったのは中学3年とかだったはずだ。
「わかった、いいよ」
「……! ありがとう」
もう家のすぐ近くまで戻ってきていた。にっと笑った涼美は、そのまま言い逃げするように走っていく。
「じゃあ、明日の5時で! また連絡はするけど!」
「はいよ、じゃあな」
彼女を見送ってこちらも家のドアを開ける。
自室の階段をのぼりながら、何を着ていこうかと考える。どうすればいいかと考えながらベッドの淵に座る。
食事も風呂もそのことが頭から離れなくて、いつもより1時間は遅れて寝付いた。
翌日、日曜日。
結局黒スキニーに大きめのTシャツと味気ない恰好で家を出る。サンダルだけが丁度よかった。
もう彼女は玄関前に立っていた。
「あ、今回は浴衣じゃないんだ」
「付き合ってたら誘ってなかったもん、まさかはこっちのセリフだし」
神社の方角に向かって歩き出す。
神楽の音より先に喧騒が聴こえてきて、同じ方向に進む人も増えてきた。
「あんま変わってないのな」
「私も久しぶり。懐かしい雰囲気だね」
鳥居をくぐった参道の脇にそこそこの数の屋台が出店している。財布の中身を確認してから、まずはどれにしようかと歩く。
記憶が曖昧ではあったものの、出店している屋台の数も、祭りの規模も、少なく、小さくなっているように思えた。
小さい子が参道を駆けて、それを追って母親が後ろをついていく。俺の知っている人物を見かけることはなくて、対して涼美は数人のクラスメイトに会っていた。
どういう会話をしていたか、祭りの喧騒に呑まれて聞こえなかった。
花火が上がり始めていた。
場所取りをした割にはこの辺りは人が少ない。もっとよく見える場所でもよかったかと惜しい気持ちになる。少なくとも小学生の頃は、ここにも人が大勢押し寄せていたはずだった。
屋台巡りはそこそこに。焼きそばと、たこ焼きと、あと唐揚げ。二人分きっちり買って、あとはラムネとか。縁日の定番みたいなメニューで手元を埋めて、坂を下ったあたり。神社の鳥居の手前の駐車場に着いた。大体の人は坂の上の神社で花火を見ているのかもしれない。
実際、ここから見る花火は小さく見えた。音も腹が揺れるほどの衝撃もない。
「ここで大丈夫? 今からでも」
「ここでいいや」
「そっか」
今日の花火は何発だろうか。
「今ので終わり?」を1, 2回やって、ようやく人混みが動き出して。それについていくように、祭りは終わりを迎えていた。
涼美は先にたこ焼きを、俺は焼きそばを手に取る。
「おいしいね、これ」
「屋台で買った奴、なんでこんなにおいしいんだろうな」
違うものを食べていても、出てくる感想は同じだった。特別なものへのフィルターは小さいころから掛かり続けたままだった。
中学生の頃にラムネの中身がサイダーだと知っても、結局ラムネの特別感は薄れないままだった。
高校の文化祭でバド部が作っていた焼きそばは、自分で作った奴の何倍もおいしかった。
「ね、竜司」
「ん?」
花火から目を離す。彼女の顔を見ても、打ちあがる花火の色が彼女の顔に反射するなんてことはなかった。
こちらに声を掛けても、彼女はしばらくうつむいていたままだった。それから数秒して、こちらに顔を上げる。
息を吸う音が、はっきりと聞こえた。
「好き、です」
ちょうど、花火が少しの間上がっていないときのことだった。
ばっと顔を上げた時の、涼美の瞳を直に見つめてしまって、目を逸らしたくなる。
止まって数秒、花火はまだ上がらず。沈黙が少し続いて。
「今日告白しようって決めてた」
「……そっか」
「初恋だったよ、竜司」
来るだろうと思っていたし、結局返事を考えられていなかった。
遠距離恋愛で思い切り失敗していた。距離感が壊れてしまうのが怖かった。別れたらどうなるかと考えるのはしたくなかった。
どうすればいいかと考えて、どうにもできないかとすら思っていた。
「好きだったし、好きだよ竜司のこと」
「小さい頃だけど、私が怪我したら毎回毎回すっごく心配してくれたところとか」
小学生くらいまで、涼美は結構なお転婆だった。
俺が心配症だったのかもしれないけど、痛々しい傷を見ているとこっちまで痛くなってきて。それで過剰に心配しては笑われたものだった。
「どれだけ経っても、私のことにはできる限り駆けつけてくれるところとか」
幼少期の名残か、何かと心配してはという癖がついていた。先日までの迎えもそうかもしれない。
中学以降は彼女も少しずつ落ち着いてきて、俺の心配なんかいらなかったと思う。
「ずっと、幼馴染でいてくれてるところも、好きに思えてきた」
「卑怯かもしれないけど、わからないけど、私をさらけ出せるのは竜司だけだと思ってるよ」
初恋は間違いなく涼美だった。それが恋とわからなかっただけで。
こんなに顔を赤らめて、小さい声でも花火の音はそれ以上に小さくて、こうやって想いをぶつけてくれている彼女が眩しい。対照的に影を落とすような自分が惨めに思えてくる。
「だから、付き合ってください」
そこまで言い切って、また沈黙が下りてきた。花火は上がっていても、上がっていなくても変わらなかった。
「考えさせてほしい」と言おうとして、やめた。そのまま曖昧にしてしまいそうだった。
「……わからない」
遠距離になった途端にそうだった。お互いにお互いのことを想い合えているのか、わからなくなって、信じられなくなって。
例えばあの頃、「私のどこが好きなの?」と聞かれたら答えられなかったと思う。彼女を好きな理由を見つけられなかった。
「いや、涼美が俺のことを好きでいてくれてるのは知ってた。高2の時から」
きっと今、涼美に「俺のどこが好きなの」と聞けばそれこそ沢山出てくるはずだ。今この時「私はこの人が好きだ」という気持ちが溢れるように出てくるはずだ。
俺も高校の頃はそうだった。少なくとも付き合った当初はそういう瞬間が確かにあった。この人とずっと、具体的な期間なんてわからないけど、ずっと関係が続くと思っていた。
2年間かけてそれは減っていくばかりで、「確かにあの頃は好きだった」という言い訳に縋る日々がこの数ヵ月だった。
「そんなにわかりやすいくらいの想いをぶつけてくれている、それが怖くも思えてくる」
本当にわかりやすかった。高校生との、明確な違いをはっきりと見せつけられた気もしていた。
ただただ眩しいだけだった。あてられて影が濃くなったと錯覚するくらい。
「涼美がそんなに真摯に好きでいてくれてるのに、俺がそれに応えられるかわからない」
いつか好きな理由が見つけられなくなっていくと思うと怖くなる。
永遠に続くと思われた関係が終わると知って、足元が大きく揺らいだままだった。
「きっと失望させる。きっと幻滅させる。昨夜からそんなことを考えてばかりだった。そう思うと、気軽に返事ができない」
そんな曖昧な返事でいっぱいいっぱいだった。まっすぐに想いを告げてくれた彼女と、目を合わせることができなかった。
好きになれないままで付き合っていいのかも、こんな状態で進んでいいのかも、わからないばかりだった。
言葉に出すと、相当自分が嫌に見えてくる。情けない、惨めだと心の中から黒いものがせりあがってくる。
「私は今、すっごい覚悟決めて、めっちゃ心臓バクバクしてて、そうやって告白したけど」
涼美の声に顔を上げる。彼女は相変わらずまっすぐとこちらを見つめていた。
「嬉しいよ、竜司が自分のこと話してくれて。竜司のそういう話聞いたことなかったからさ」
「……なんだかんだ年上だったからかな。そういうところをあんまり見せたくなかったのかもしれない」
小学生になって、中学生になって、歳を重ねるごとに自分が年上なんだと勝手に見栄を張っていたのかもしれなかった。弱みを見せてはいけないと無意識に思いこんでいたのかもしれない。
「私もさ、私の知らない竜司のことを全部好きになれるかはわからない」
幼馴染として過ごしてきても、お互いの知らない部分がいくらでもある。それらを全部受け止められるとは言わずに。
そう言う割には、自信ありげに。
「でも、私は多分10年くらい、竜司が好きだって思って過ごしてきたから」
片思いを舐めないで欲しい、と。
そう、そうだな。
好きであり続けることが恋人として長く続く条件なら、これほど真摯で最適な答えもなかった。
「ごめん、ちょっと言い方変えるね」
そう、一度深呼吸をして。
「私と、付き合ってみてくれませんか?」
本当に、ただただ眩しかった。ほぼ拒絶ともとれる返事を投げても、それでもと食い下がるように見つめてくる。そんな片思いに応えるなというのは、苦しくて、難しかった。
「……うん、よろしく」
「……ほんと?」
「本当」
ようやく、花火の破裂音が戻ってきた。
彼女が笑って、少しだけこちらに寄ってきた。
「ありがと、嬉しい」
それから10分ほどで花火は終わってしまった。お祭りの終わりだった。
結局駐車場が混むようなことはなかった。来年も来れたらいいな、開催してればいいな、と話をしながら帰路を歩いた。
付き合うことにはなったものの。結局のところ、肝心な距離感は変わっていないように思う。
そんなことを話したら「でしょう?」という顔をされた。
幼馴染で片付けられていた関係に新しい呼び方が加わった、ぐらいのものだったのかもしれない。
ただ、彼女の好きなところがよく目に映るようになった。
例えば、料理作れるように努力していたところ。初めて振る舞ってくれたカレーは今でも覚えている。
化粧もそう。進学してから突然綺麗になりだして驚いていた。
幼馴染という距離感は変わらなくても、時たま彼女が恋人だと自慢したくなるような、そんな瞬間がある。たぶん、それぐらいがちょうどいいのかと思う。
8月、酷暑は変わらず。
持ってきたペットボトルは空になっていて、その辺にポイ捨てしたくなるくらい邪魔だった。
「私の飲む?」
「いや、いいや。あともうちょいだし」
蝉の声がうるさい。どれがどれだか聞き分けられないくらいだった。
帰省にもそこそこ慣れてはきたけど、疲れるものは疲れるばかり。
「夏祭りいつだったっけ?」
「今年はね……来週の日曜だって。去年と変わらないみたい」
「まぁ、やるんだったら行こうか」
「また来れたらいいなって話してたし!」
「よく覚えてんな……」
「一応あの日が記念日って記録してるんだけど」
そんなことを言われて、そうかと呟く。
「なぁ、涼美」
「どうしたの?」
もしかしたら言ってないかと思って、言っていたとしても別にいいかと思って。
「良かった。涼美と恋人で、幼馴染で良かったよ」
蝉に負けないように叫んでおいた。
「私も!」
今日は空に雲が一つもない。夏の快晴はとても好きな天気だった。