【IF】Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜【番外】   作:しらなぎ

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【sapphire ~ハリー・ポッターと宝石の少女~】
https://syosetu.org/novel/243704/
・こちらのシリーズ作品のIF短編
・本編に関わりのないパラレルワールド
・年齢操作有り、原作6、7年目の内容をすべて捻じ曲げています
・普通にドラコがいるしスネイプもいるし原作の展開を丸無視しています
・捏造しかない
・個人サイトの10万hit企画でいただいたリクエストから
・リクエスト内容:成長したメロウの話。図体は大きく育ったのに主人公にベタベタくっつく彼が見たい
・メロウ:夢主の弟
・例によって当たり前のように無から生えたオリキャラ視点です


メロウ

「キャッ」

 すれ違い越しに肩がぶつかって、鞄の中から教科書や本や羊皮紙達がバサバサと崩れ落ちる。

 

「痛ッ。ちょっと、どこを見て歩いてるの?」

「…ごめんなさい」

「本当注意力がないのね」

「アンジー、大丈夫?」

「床じゃなくて周りを見たら?」

「あなたは随分床のゴミを探すのが好きみたいだけど…ねぇ?」

「……」

 俯いてやり過ごしていると、彼女たちは顔を合わせ、肩を竦めて去っていく。つまらない人ね、とクスクス声が後ろに流れて行った。

 

 嫌な人たち……。

 そっちがぶつかってきたのに。向こうは3人で広がってきゃらきゃら話していて、わたしはちゃんと端に寄っていたもの。

 クッと唇を噛む。

 彼女たち──特にぶつかってきたアンジェラ・オルブライトがわたしは大嫌いだった。いつも取り巻きを引き連れて選ぶっているスノッブだ。7年生のリーダー格の1人、パーキンソンに可愛がられているからって、自分まで偉くなったつもりでいる。彼女なんて大して可愛くもないし、成績も悪くて、家柄だって有力でもないくせに。

 毎日バカみたいに飽きもせずお茶会ばっかりしている。N.E.W.Tに落ちてしまえばいいんだわ。

 ……なんて心の中ではなじれるけど、実際に面と向かったらわたしは俯くばかりで、言い返せもしないのだ。

 わたしはため息をついて床にしゃがみこんだ。

 

「大丈夫?」

 ふと、上から声が降ってきた。顔を上げると端正な顔がわたしを覗き込んでいる。

 淡い茶髪をふわふわと遊ばせている彼は、わたしの向かい側に膝をつき、散らばった教科書を拾い集め始めた。

「あ…」

 びっくりして戸惑っているうちに、彼は手早く纏めて「はい」と差し出した。

「あ、と…ごめんなさい…ありがとう」

「荷物が多いんだね。談話室に戻るところ?」

「うん…」

「僕もなんだ、一緒に戻ろ。鞄持つよ」

「あ、だい、大丈夫…」

「遠慮しないで」

 彼は蜂蜜色の瞳を細めて、邪気がない様子でニコニコと手を出している。わたしは混乱して思わず手渡してしまった。軽量化魔法がかかっているから持ってもらわなくて大丈夫なのに。…

 

 ほとんど話したことがない同級生と、なぜか並んで歩いていることに緊張して頭が白くなる。

 だって彼はスリザリンの有名人だ。

 チラッと横目で見上げると、彼は何も考えていないような微笑みを浮かべている。

 背が高くてわたしの頭が彼の肩ほどまでしかない。スラッとしているけど、クィディッチ・チームのチェイサーでローブを脱ぐと意外と筋肉質だと、女子たちがきゃあきゃあ噂話していた。甘いマスクと優しい話し方だからすごくモテるのだ。成績も良いし。

 メロウ・スチュアートはスリザリン5年生の中心的な男の子だった。

 わたしみたいな地味な女の子とは関わる機会なんてなかったのに、どうして急に。…

 

 視線に気付いたのか、スチュアートがパッとこっちを見たので慌てて視線を逸らす。彼は当たり前のように、人懐っこく話しかけてきた。

「ね、さっき見えたんだけど、『古代北欧の歴史とルーン文字学における現代の新解釈』って本あったでしょ。僕嬉しくなっちゃった。周りに読んでる人だれもいないんだもの」

「!…知ってるの?」

「ウン。でも小むつかしくない?バブリング教授らしいよね。なんか角張ってて遠回しっていうかさ」

 

 ビックリしてまばたきを繰り返す。思わず彼の顔をじっと見つめてしまうと、黙り込んだわたしに「え、何?」と首を傾げた。

「教授から教えてもらったの?」

「そうだよ。僕あの人好きだな。分かりづらいけど面白いし。そう思わない?」

「う、うん…思う!驚いた……教授が本を出してることすら知らない人のほうが多いから…」

「だよね!」

 彼は屈託なく、嬉しそうに笑った。ニコーッと音が鳴るような人懐っこい笑顔だ。

 心臓がドキッとして、嬉しさと親近感に頬が熱くなる。

 

 同じ古代ルーン文字学を取っているのは知っていたけど、教授とそこまで仲が良かったなんて。

 バブリング教授は少し偏屈というか、淡々としていて、ルーン文字学は難しいし……資格を取っても就職先は専門的な研究職が多いから、あんまり熱心な生徒はいない。

 でも質問すると冷たい態度で意外と詳しく教えてくれるし、参考文献なんかも貸してくれて、話も面白いのだ。わたしは教授が好きで研究室にたまに顔を出していて……そうしたら彼女が昔出したという本を教えてくれた。5年生にはまだ早いかもしれないが、と言いながらも試験範囲外のその本を教えてもらえたことに、なんだか仲良くなれたような、目をかけてもらっているような気がして嬉しかった。

 

「せっかくだからその本でレポートを書いてみたいんだけど、参考文献が多すぎて中々進まないや。引用も多くて…でもやっぱり教授ってすごく頭がいいなーって勉強になるよ」

「わかる…わ、わたしも書いてみてるの…」

「本当?テーマは?」

「えと、アングロサクソンの歴史と占い学の関連性と変遷…」

「面白そう!進んでる?」

「うーん…」

「やっぱり難しい?」

「そうだね…それに教授が引用してる書籍が絶版してて……だから今代わりのを探してる途中なんだ」

「なんてタイトル?」

 彼とはほぼ初めて関わるのに、わたしは気付いたらリラックスしていて話しやすかった。声に威圧感がなくて、木漏れ日のようにフワッとした雰囲気だからかもしれない。

 タイトルを言うと、彼は「ちょっと待って。メモするから」とローブから小さなメモ帳と羽根ペンを取り出した。インクがいらない羽根ペンだ…高いやつ……。

「メモを持ち歩いてるの?」

「いつ知りたいことができるか分からないからね」

 真面目で知的好奇心が高い彼に尊敬の念が湧く。成績がいいのは知ってたけど、こんなに勤勉だったんだ。チヤホヤされてる甘やかされたお坊ちゃんだと思っていたから、すごく意外だった。

 ふと、スチュアートがレイブンクローの末裔だったことを思い出す。

 サラサラとメモをする彼の、伏せた金色の睫毛が影を落としている。

 

「よし…と。後でシャルルに聞いてみるよ。本の蒐集家なんだ」

「え、わ、悪いよ、そんなの……」

「悪い?何が?」

「だってわざわざ……」

「僕が読みたいだけだよ。この本も、あと良かったら君の論文も」

「えっ……」

「ダメかな?」

 小首を傾げて眉を下げた彼は、見下ろしているのに見上げられているみたいだった。子犬のような悲しげな笑顔にうっ……と罪悪感を覚える。気付いたらわたしは頷いていた。

「ありがとう!」

 悲しそうな雰囲気が消えて、パッと明るく笑う。

 彼の笑顔は光が差したように晴れやかで、なぜかわたしまで嬉しくなった。まるですごくいいことをしてあげたみたいだ。

「セオドールにも聞いてみようかな。すごいんだよ、彼の家って絶版本や限定本がたくさんあってさ」

「あ、あの」

「ん?」

「わ……」

 全く仲良くないのに、普段なら絶対そんなことは考えないのに、彼の柔和な雰囲気がわたしに言ってみようかな、言ってもいいかな…という気持ちにさせた。指先を弄りながら少し勇気を出してみる。

「わたしも……スチュアートのレポートを……読ん……読んでみたい……かも」

 尻すぼみになったか細い声を聞こうと、スチュアートが腰をかがめて、彼の綺麗な顔が近付いた。恥ずかしさと緊張で顔が熱くなる。彼はわたしの緊張をよそにあっさり頷いた。

「いいよ。まだ手をつけたばっかりだから、時間はかかっちゃうけどね」

「え、い、いいの?」

「うん、いいよ。君のも読ませてもらうんだし」

 いいんだ……。

 即答されて、わたしは拍子抜けした。

 そして彼のオープンさというか……自然体なところが羨ましくも卑屈にもなる。少し話しただけで、彼が相手の反応を気にしたり、恐れたり、緊張する様子が微塵もないことが分かった。

 スチュアートの跡取り息子だから当然かもしれない。

 やっぱりわたしとは全然ちがう。

 

「じゃ、聞いたら教えるね」

「う、うん。でも……えっと、彼女嫌がらないかな…」

「何を?」

「わたしに本を貸すこと…」

「嫌がる?どうして?」

「だ、だってわたし……混血だから……」

 ローブをギュッと握る。彼の顔を見れなかった。スチュアート家は純血だし、純血主義だ。彼の姉のシャルルも、純血の友達ばかりに囲まれている。

 よく考えたら、きっと彼も……。

 混血であることを侮蔑されるのは慣れているのに、彼から拒絶されたらと思うと、どうしてか少し怖い。

「そうなんだ?たぶん本の貸し借りくらい気にしないんじゃないかな?」

 どこまでものんきそうな声音に、ほっと肩の強ばりがほどけた。安心したわけじゃなくて…唖然としたっていうか、呆気に取られるっていうか。

 彼と話していると、こっちが固くなるのがなんだかマヌケなように思える。

「それにシャルルは僕に甘いから、お願いしたら許してくれるよ」

「そ、そう……?ならいいけど……」

 そういう問題じゃないと思う、とは言えなかった。

 話しやすいのに、なんだか不思議なペースの人だ。

 

 談話室に入って、持ってくれた鞄を「ハイ」とニッコリ手渡される。

「あ、ありがとう」

「レポート頑張ってね。……あ、待って!」

 そこで別れて、寝室に戻ろうとしたら彼が階段を追いかけてきた。

「どうしたの?」

「ねえ、君の名前教えて。聞くの忘れてた。僕はメロウ・スチュアート」

「………………。知ってる……」

 ニコニコ尋ねてくる彼にわたしは絶句してしまった。なんとか声を絞り出してそれだけ返す。

「そう?君は?」

 

 ひ、ひどい……。

 5年間も同じスリザリン生なのに。

 ほぼ話したことがないとはいえ、わたしが目立たないとはいえ、クラスだっていくつも被ってるのに、同級生で同寮生なのに!

 名前すら覚えられていなかったことがショックで、喉のあたりが締め付けられた。

 わたしを無邪気に見つめていた彼は、目を丸くしてまばたきをすると、慌てて眉を下げた。きっとわたしが酷い顔をしていたんだろう。表情を取り繕う余裕がなかった。

 

「ワッ、ごめんね、僕興味がないことは覚えられなくて。テ……テスラ?みたいな名前だったよね」

「全然ちがう……!テイラー!スザンナ・テイラーよ!」

 困った顔でトドメを刺され、傷付いたのを誤魔化すようにつっけんどんに言った。態度が悪いかも…と心の片隅で思ったけど、引っ込みがつかなかったし、それ以上に惨めだった。

「スザンナ・テイラー……スザンナ・テイラーだね」

 彼はわたしの声音なんか気にした様子もなく、名前を口の中で飴を転がすように何度か呟いた。

 

「うん、覚えた。もう忘れないよ、スザンナ」

 

 彼は腰をかがめて目を合わせ、蜂蜜の瞳をキラッと細めて優しく笑うと、「またね」と手を振って男子寮の方に消えていった。

 わたしはしばらくその場に立ち尽くしていた。

 たぶん、顔が真っ赤になっていただろう。

 酷いことを言われたのに、単純だけど……だって、その顔があんまりにもハンサムで…優しくて。

 それに、男の子に名前を呼ばれるのは彼が初めてだったから。…

 

*

 

 彼とは古代ルーン文字学、数秘術が被っている。いつも一緒にいる人たちは選択科目が分かれていて、彼は1人で教科書を読んでいたけど、この前話してからは当たり前のように隣に座って来るようになった。

 なぜか懐かれてしまったらしい。

 あれこれ話しかけてきて、最近はわたしも緊張が解れて来たけど、いつも胸がドキドキするようになってしまった。

 我ながら本当にチョロすぎる。

 いつもこうなのだ。

 人に優しくされる機会が少なすぎて、ちょっと親しくしてくれただけですぐ好きになってしまう。

 

「この前の本ね、シャルルもセオドールも持ってないって。でも欲しいから探すって言ってた。もう少し待っててね」

「そ、そこまでしなくても…稀覯(きこう)本は高価だし……」

「汚したり乱暴に扱わなきゃ大丈夫だよ。君はそんなことしないでしょ?」

「そうだけど……えと…そうじゃなくて…」

 スチュアートの会話のペースは独特で、たまに意図が伝わりづらい。彼の脳内でたぶん完結しているんだろう。

「わざわざ申し訳ないよ。ち、違うのを参考にするから大丈夫」

「……?」

 彼はふっくらした唇を僅かにひらいて首を傾けた。そして「あ」と丸っこい声を出す。

「もしかしてだけど…君のために買うと思ってる?」

「え、いや…」

「あのシャルルがわざわざそこまでするわけないよ。欲しいから探すって言わなかった?僕」

 スチュアートがおかしそうにクツクツ笑った。わたしは恥ずかしくなってなんと返せばよいか分からずに、「そ、そうよね…」と赤くなって俯いた。

 一気に羞恥が沸き上がる。

 すごく傲慢なことを言ったみたいだ。

 でも。と心の中で言い訳をする。普通そう思うでしょ?わたしが必要だって言った本を買うって言われたら、当然そこまで、って申し訳なく思うでしょ?

 釈然としない気持ちを隠し、「ごめんなさい、偉そうなことを言って」と謝ると、スチュアートはまた不思議そうにわたしをまじまじと見た。

「ものの見方が自己意識的なのに、すぐ謝ったり、お礼を言ったり、スザンナって変わってるね。僕の周りにはいないタイプだ」

「……」

 これって嫌味?ストレートに「自意識過剰」だと言われた気がして、胃の腑が重くなった。

 でも彼の表情は穏やかだった。目にもわたしを嘲笑うような嫌な感情は全くなくて、むしろ親しみがあるように見える。

 返し方に困って眉を下げた。

 わたしの沈黙も気にせず、彼は満足してニコッと「君と話してると楽しいよ」とだけ言って、教科書に目を落とす。

 わたしは彼と話していると振り回されっぱなしだ。心がズキッとしたかと思えば、なんてことのない褒め言葉で嬉しくなって。

 わたしとっては、誰にでも自然体でいつでも自由に振る舞う彼の方が、よっぽど変わって見える。今のも嫌味でも皮肉でもなく、単純に思ったことを口にしただけなのだろう。名家出身なのに、貴族的なスリザリンらしくない彼はまるで鳥みたいだ。

 

 

「最近、ずいぶんお元気が良さそうね」

「……」

 

 彼と仲良くなってから、女子の当たりがきつくなったのは感じていたが、今日とうとう女子たちに呼び出された。アンジェラ・オルブライトだ。

 呼び出されたと言っても、男子がやるような決闘や奇襲じゃない。同じスリザリン生だし、私情での私刑をすると上級生に目をつけられる。

 だから、彼女たちのお茶会に招かれたのだ。

 談話室の目立たない席でオルブライトと取り巻き2人に囲まれ、わたしは味のしない紅茶を飲み込んでいた。

「彼と親しくなるのはとても難しいもの」

「どんな手を使ったのか、みんな知りたがってるのよ?テイラー」

「今まで本と床ばかり追っていた視線が、今は彼のことばかり見つめて…」

「ま、彼の方はあなたを追ってはいないようだけれど…」

「あら、そんなことを言っては可哀想よ。うふふ」

「……」

「相変わらず無口なのね。お茶会なのだから少しはおしゃべりでもしてみたらいかが?」

 わざとらしい口調で彼女たちがネチネチクスクス笑っている。言い返すこともなく、わたしは黙って耐えていた。

 今まで嫌味を言われることこそあれ、特に嫌がらせめいたことをされなかったのは、ひとえにわたしが分を弁えて大人しく過ごしていたからだと知っている。

 けれど、最近はオルブライトが話しかけているのに、それを切り上げてスチュアートがわたしを見つけると気軽に声をかけてくるから、それが気に食わないんだろう。

 毎回彼女が悔しさと嫌悪の目で睨んでくるのが、恐れ以上に胸がすく気持ちだったけれど、こうなってしまっては直接言い返すなんてとても出来ない。

 

 オルブライトは同寮生の女子の中ではそこそこ発言力がある。純血で顔が広いこともあるが、なによりパーキンソンの庇護下にあるからだ。

 対してわたしはスチュアートに気まぐれにかまわれているだけ。気まぐれな彼がいつわたしに飽きるかしれない。

 

 彼女たちにムカつくのは、直接わたしをコントロールしようとするくせに、こうしたお茶会に招いて遠回しに言って、自分たちに非はありませんという場を整えるところだ。

 貴族の社交かどうか知らないけど、誰に見られても「いじめ」には見えない現場で心底ムカつく。

 

「か、彼とは文字学のレポートで話が合うだけ…。気になるなら、参考書の名前も教えるけど」

 オルブライトが不愉快そうに目を細めた。

「私は文字学を取ってないわ。もちろん知ってるでしょう?……当てつけのつもり?」

「別に、そんなんじゃ…」

 

 嘘だ。

 ちょっとした反抗心があった。

 彼が好きなら、彼の話に合わせる努力をしたらいいのに。

 スチュアートはレイブンクローの末裔らしく知識欲が強いんだから、彼のレベルに合わせて勉強すればいい。

 知能の低い彼女には無理な話だろうけど。…

 

「も、文字学以外なら、魔法薬学はどう?彼、カノコソウの精神作用と魔法薬の相互性についての論文を研究してるって言ってたから…。きっと参考になる意見を述べたら、な、何時間でも議論してくれるよ」

「……」

 ヘラッと悪意がなさそうに、機嫌をうかがうように言ってみたが、オルブライトは凍土の目でわたしを睨む。

 煽ったのはわたしだけど、やっぱり少し身が竦む。

 紅茶を流し込んでみたけど、ぬるくなっていた。

 彼女は成績が悪くて、魔法薬学も当然ながら出来ない。努力しないで、こういうくだらないお茶会ばかりしてるから成績が上がらないだけなのに、彼女はそれも分からないのだろうか。

 

「ね、ご自分でも自覚してるでしょ?釣り合わないって…」

 クス、と手を口元に添えて少し顔を傾け、蔑むようにオルブライトが笑う。取り巻き共が追従する。

「そうよねぇ、当然分かってるはずよね。それなら自分がどうすればいいかも分かるんじゃない?」

「テイラーは成績がいいものね。わざわざ私たちが口に出さずとも…」

「アンジー!」

 割り込んできた声にピクリとオルブライトが肩を揺らす。綺麗に切りそろえられた髪、勝気な瞳……パンジー・パーキンソンだ。

「お茶に誘おうと思ったら、もうしてたのね。これはなんの茶葉?」

「アッサムとセイロンをブレンドしたロイヤルティーよ。母のお気に入りなの」

「じゃ、これが合いそうね」

 ハーブクッキーを並べ、パーキンソンは当たり前のように椅子を魔法で作り出してオルブライトの隣に座った。オルブライトはさっきまでの凍てつくような悪意的な顔は鳴りを潜め、甘えるような声音で「これ、メロウのお母様から?分けていただいてもよろしいの?」とニコニコ調子のいいことを言っている。

 

 テーブルに並んだクッキーを「好きに食べて」と示し、パンジーはわたしを不思議そうに見た。

「この子は?」

「あ…わたしは…」

「スザンナ・テイラー。混血だから、この場にはふさわしくないわね」

 自分から誘ったくせに、オルブライトはそう言ってわたしを追い払おうとする。でもパーキンソンとお茶会なんて胃が痛くなりそうだ。彼女の言いなりになるのはムカつくけれど、それに乗って後にしようと思ったのにパーキンソンが「あぁ」と腑に落ちるようにうなずいた。

「最近メロウと仲がいい子よね。よくあなたの話してるわ」

「仲がいいなんてそんな…ちょっとメロウがかまってるだけでしょ?選択科目が同じなだけで…」

「そうそう、今だけよ」

「ねぇ?」

「あー……」

 なぜかオルブライトたちが返事をしていたが、わたしはそれどころじゃなかった。

 スチュアートがわたしの話をしていることも、パーキンソンに認知されていることも想定外だった。

 肩をすぼめるわたしを見て、パーキンソンが呆れる。

 

「なるほどね。アンジー、あなたの気持ちもよく分かるわ。けど、あんまりこの子にちょっかい掛けない方がいいわよ」

「パンジーったらこの子の味方するの?どうして!?」

「そういうわけじゃないわよ。ただ、メロウはめんどくさい男だから」

「めんどくさい…?」

「あの子って自分のことに外野から口出しされるのを嫌うのよ。そういうところ、シャルルにそっくりだわ。嫌なことがあるとすぐシャルルやダフネやドラコに泣きつくし。余計なことしない方がいいわよ、メロウに好かれたいならね」

「…だってパンジー、この子私の邪魔ばかりするのよ?」

「ふふ、やっぱりあなた私に似てるわ。今度アステリア達とするお茶会に招待してあげるから、メロウの目を盗むことはやめなさい。テイラー…だっけ、この子を庇うわけじゃないわよ。愚策だから言ってんの」

「分かったわ…」

 

 拗ねたようにオルブライトが唇を尖らせる。そのわざとらしく可愛こぶった顔は張り倒してやりたいくらいだったが、よく分からないけど、わたしは許されたらしい。

 アンジェラ・オルブライトの愛称であるアンジーは、パンジーの名前と響きを似せたものらしく、彼女たちは1年生の時から仲が良かった。

 影響力の高い上級生に上手く取り入る要領のいいところが、昔からわたしは嫌いだ。嫉妬もあるし、嫌悪もある。こんな子、すごく性格が悪いのに。

 

 スチュアートのお母様が作ったクッキーを1枚食べる。「相変わらず美味しいわ」なんて褒めたたえているオルブライトが腹立たしい。たしかにすごく美味しかった。わたしは、初めて食べた。

 スチュアートの遠さが、クッキー1枚でも突きつけられて胸が重くなった。

 

*

 

 ある日、夕食から戻って談話室に入ると、暖炉の前から「スザンナ~!」とスチュアートに手を振られた。ほかの女子…特にオルブライトからの視線がバチバチ刺さる。

 暖炉前には姉の方のスチュアートとセオドール・ノットが腰掛けていて、それなのに手招きされるものだから無視して通りすがりたくなった。

「な…なに?」

 顔が引き攣るのは抑えられなかったかもしれない。

「あ、ここ座って」

 スチュアートが2人がけのソファを詰めて幅を開けた。向かいではノットとお姉さんが並んで座り、カップを啜っている。

「え、あ、でも…」

 火の爆ぜる音がこんなに近くで聞こえる。温かい暖炉のそばに座れるのはスリザリンでも限られていて、わたしはスチュアート以外と話したことがない。

 緊張するわたしに、お姉さんが宥めるような声を出した。

「大丈夫よ。あなたに用事があるの」

「あ、あ、はい…」

「本が届いたんだ!」

「あ…」

 それでようやくこの場に呼ばれた意味が分かった。何かしてしまっただろうかと心臓が冷えた。指先を意味もなく擦る。

 

「ほら、これでしょう?わたしもセオドールも教授が本を出していること、知らなかったからとても驚いたわ。教授が引用するだけあって、この本もとても興味深かった」

「あ、あの、スチュアート…ありがとうございます…わ、わざわざ……。絶版してましたし、お高かったのかと思うのですが……」

「気にしないで。わたしにとっては大した額じゃないし、わたしもこの本と出会えて嬉しかったから、気負わないでね」

「は、はい…」

 

 あ……圧倒的に話しやすい……!

 話が…通じる……!

 

 姉のシャルルは弟と違い、わたしがなにを重荷に感じているか分かった上で優しくフォローしてくれる。弟とずいぶん違う…。もちろん、弟の方の次に何を言い出すか分からないソワソワする感じももちろん好きなんだけれど…。

 

「ね、わたしにも良かったらあなたのレポートを見せてもらえない?」

「えっ…」

「もちろん無理にとは言わないわ。ただ、人の視点や考え方って参考になるから。それに、アドバイスも多分できるわ」

 お姉さんは「これでも毎年首席争いしてるのよ」とウインクをした。そんなのスリザリン生なら全員知っている。

 彼女の宝石のような目に見つめられると言葉を奪われたような気分になって、気付いたらうなずいていた。

「ほんとう?嬉しいわ、ありがとう」

「スチュアートがお礼なんて…わたしこそ、あ、ありがとうございます」

「「気にしないでいいのに」」

 

 姉弟が口を揃え、顔を見合せた。一拍おいてふたりが笑い始め、わたしも釣られて少し吹き出してしまった。

 分かりづらいから、とふたりを名前で呼ぶ許可をもらえて、嬉しいような恐れ多いような。

 それからしばらく、暖炉前で文字学について色々討論した。ノットも取っているらしく、シャルルに話を振られて会話に混じり、メロウもどんどん意見を言って、わたしは年下だし的を外したことを言ってしまうかもって怖かったけれど、みんなわたしの意見をきちんと考えてくれるからとても楽しかった。

 こんなふうに、古代魔法の考察とか、エジプト文明との関連性とか、現代魔法理論への応用とか…真剣に話し合える人がいなかったから。

 

 シャルルの前での…メ、メロウ…(心の中でも呼ぶのに緊張する…)は、なんていうか、弟感が強くて少し可愛かった。幼げに見えるというか。「その観点は面白いわね」と褒められて「でしょ?」とやや胸を張るところも、シャルルが手を上げると頭を下げて撫でられているところも、なんだか子犬みたい。

 こういうふうに甘えるんだ……。

 嬉しそうにはにかむ彼を見て、胸が甘やかに疼いた。

 

 

 今年はO.W.Lがあるから、いつも空き時間は図書室や談話室、自分の部屋で勉強しているけれど、ずっと箱詰めなのも気が滅入る。

 グーッと背伸びして窓を見ると、外が随分晴れていた。湖の波間から揺れる日差しがまぶしい。

 少し気分転換しようと、わたしは道具を片付け、買ったけれど読む暇がなくて積んであった小説を一冊持つ。

 ちょうど昼食時でお腹が空腹を訴えていた。そのまま食堂に向かい、サンドイッチやバケットをカゴに詰めて外に出た。

 寒いけれど、温度調節機能の着いたローブを着ていたら気になるほどでもない。今日は風もなくて気持ちがいいから、湖のほとりで過ごそう。

 

 木の下にハンカチも敷かず、そのまま座る。少しお行儀が悪いけれど誰も見てないしいいよね。

 バスケットからサンドイッチを取り出して、少しずつ食べながら本を開く。もちろん汚さないようにはするけど、これは自分の本だから、あんまり神経質になる必要も無い。図書室の本だったら、ちーっちゃなパン屑が少し挟まるだけでも殺されてしまう。

 

 首筋をひやりとした風が撫でていって、ペラペラと紙が捲れる。少し読みづらいけど…なんだか湖のほとりで木に持たれながら読書って、ちょっと小説の1ページのようで、なんとなくワクワクする。

 ホグワーツはまさしく、ファンタジーに出てきそうなお城なわけだし。

 晴天だからかチラホラと人が行き交っている。人の声も丁度いい喧騒となって、しばらくわたしは本に没頭していた。

 たった数時間の休憩だけど、こんな過ごし方をO.W.Lのせいでもうずっと取れていなかった。

 

「ねえ"~~~くっつきすぎだよ!」

「何よ、羨ましいの?だったらあなたもくっつけばいいじゃない」

「そうしたいよ、僕だってさ…でも周りがうるさく言うんだもの。姉離れがどうとかさ!」

「あなたがシスコンなのは事実じゃない。でもいいわ、そっちの方が都合いいから。ね、シャルルお姉様、温室に行こうよ」

「僕の姉様だってば!」

 

 聞き覚えのある声と名前に視線を上げると、真ん中にシャルルを挟んでメロウと女子生徒がなにやら言い争っていた。

 バターブロンドのふわふわした髪を編み込んでシニヨンに纏めた髪型……アステリア・グリーングラスだ。シャルルをめぐって口論しているらしい。

「わたしを挟んで喧嘩しないの」

「だってメロウがぐちぐちうるさいんだもの」

「うるさくない!そもそもアスティが割り込んでくるのが悪いんじゃないか…せっかく久しぶりにシャルルとふたりになれるのに!」

「ふん、抜け駆けなんて許さないから」

「姉弟水入らずを邪魔しないでよっ」

「私も姉弟みたいなものでしょ?ね、シャルル姉様?」

「あ、ずるいよシャルルに聞くのは!」

「そうね…アスティも妹のように思ってるわ」

「ほらね!」

 

 喧嘩に負けたらしく、メロウがうなだれて拗ねたように顔を背けた。

 グリーングラスとメロウが幼馴染なのは知っていたし、彼にとって彼女が特別なのは有名だったけれど、思った以上に親しそうでなんだか胸の中に雨雲が立ち込めたような感覚がする。

 メロウは穏やかで寛容でマイペースで…どこか掴みづらい雲のような人だと思ったのに、彼女と喧嘩する彼は拗ねたり、怒ったり、子犬がじゃれているみたいだ。見た事のない顔ばっかり。

 それにグリーングラスも、いつもと雰囲気が違う。

 病弱で社交経験が少ないという彼女は、いつもなんだか儚げに弱々しく微笑んでいて、一歩引いたところでニコニコ話を聞いているタイプだった。

 まさに深窓のご令嬢というか……、少しでも強く何か言われたら、はらはらと涙を流して病に伏してしまいそうな。

 

 それなのに、メロウやシャルルと話すグリーングラスは、快活で勝気でワガママで、ちょっとパーキンソンに似ている。

 普段のイメージと真逆だ。

 

「あ、オルブライトだ」

「うわっ」

 彼らの視線の方を見ると、ホグワーツから出てきたオルブライトたちがいて、グリーングラスは急に今にも倒れそうな儚げな表情になった。

 そして、メロウの声……「うわっ」という声の中に嫌そうな響きを感じ取って、嬉しくなる。湖のそばを通り過ぎようとする彼らの背中をそっと盗み見て、耳をそばだてた。

 

「メロウってあの子苦手よねー。私も苦手。圧が強くて怖いんだもん」

「苦手っていうか、なんか最近しつこいんだよね…」

「しつこいって?」

「スザンナの悪口言ってきたり、アスティは次代を産むにはどうとか、何日の何時の予定は空いてるかとか…」

「ふふ、彼女はあなたが好きなのよ」

「知ってる」

 シャルルがからかいを含んで笑うと、メロウは肩を竦めた。ドキドキしながら前のめりになる。

 知ってるんだ……メロウってそういうの、分かるんだ。

 

「私にも牽制して来るのよ。でも付き合う気ないよね?」

「うん」

「じゃあキッパリ振ったらいいじゃない」

「うーん…好きだとも言われてないのに、なんて言えばいいの?仲悪くなったらダメでしょ?」

「出来れば。彼女のお父様、かなりやり手だもの」

「だよね」

「めんどくさいわねー、跡取りって」

「ほんとだよ~…。でもでも姉様、僕、もうちょっと頑張ってみるけど、上手くいかなくても許してくれるでしょ?僕、頑張ったもの」

「ふふっ、そうね。パンジーに間に入ってもらってわたしがオルブライトの機嫌を取ってみるわ。だからもう少しわたしが仲良くなるまでの間、上手くあしらっておいてね。あなたってば顔に出すぎるんだもの」

「だって~…」

「シャルルはメロウに甘すぎよ!」

 

 ギリギリ聞き取れたのはそこまでだった。

 遠ざかる背中を見つめて、ゾクゾクッと優越感…いや背徳感…そんな、言葉に出来ない薄暗い気持ちが背筋を掛け上った。

 メロウはあの子のこと、好きじゃないんだ!

 

「うふふっ」

 

 暗い喜びが滲んだ。

 わたしを見る時の、小馬鹿にして見下して勝ち誇った表情が歪む様を幻視した。

 ざまあみろ!

 

*

 

 バレンタインが近い。ホグワーツ全体に浮き足立った雰囲気が流れていて、女子生徒は特にどこか甘く楽しげだ。O.W.Lが迫ってきていてピリピリしていた同学年も、最近はその張り詰めた空気が緩んでいる気がする。

 今までもこれからもバレンタインなんてわたしには関係のない行事だと思っていたけれど、恋バナをしている女子たちの会話が耳に入ってきて、ふとまぶたの裏にメロウの優しい笑みが浮かぶ。

 わたしは思わず俯いて、顔が熱くなったのを誤魔化した。

 バレンタインなんて、元はキリスト教の聖ウァレンティヌスに由来する、恋なんて全然関係ない宗教的行事に過ぎないのに。魔法界ではマグルの宗教など知ったことじゃないだろうに、なぜこんなに浸透しているんだろう。

 

 いくらメロウが好きだといっても気持ちを伝える気はなかったし、過去のわたしは恋に溺れる人のことを少しバカにしている部分があった。

 なのにこうしてホグズミードでカードを選んでいる自分が、バカらしくて仕方がない。

 城内の雰囲気にあてられたせいもあるし、オルブライトのせいもあった。彼女たちがメロウに何を贈るかで盛り上がっているのを聞いて、奇妙な焦燥感と侮蔑感に囚われたのだ。どうせ相手にされていないくせに、と。

 それはわたしも同じだけれど、少なくともわたしはメロウに苦手には思われていないはずだ。その優越感が背を押した。カードはどうせ無記名なんだから、彼女が送るなら、わたしだって……。

 

 ショップはファンシーで入ることにすら気後れした。勇気を出して踏み込んで見たあとも、あまりにも女の子らしい品ばかりで、あまりこういうものに触れてこなかったわたしはドキドキと不思議に胸が逸った。居心地がとても悪くて周りの視線が気になったけど、お客さんはみんな自分たちのことに夢中で、だれもわたしなど見ない。

 バレンタイングッズのコーナーはさすがに人が多かった。恐る恐る近付いて、慣れない可愛らしいカードをそっと眺める。

 

 ハートはあからさますぎる。リボンは甘ったるすぎる。キャンディやお菓子が描かれたものはいかにもバレンタインという感じで浮かれているみたいだし、かといって無地は味気がない。

 どれがいいのか選びあぐねて、ウロウロとコーナーをさまよう自分が滑稽だった。周りにグループの女の子が多いのもなんだかいたたまれない。薄緑に花の描かれた、シンプルなカードを選んでわたしはそそくさと店をあとにした。

 

 メッセージも迷いに迷った。

 結局、これもシンプルに「Happy Valentine's Day」とだけ書き、薔薇を一輪付けてフクロウに頼む。無記名ですら想いを伝える勇気がない自分に少し笑える。

 オルブライトは何を贈ったんだろう。名前は書いた?好きだと伝えたのかな。

 情けなくて女々しい。ティーンの楽しむイベント事すら上手く楽しめないことに腹が立つような、便乗したくせにどこか盛り上がる周囲に白けるような虚しさを抱え、バレンタインを迎えた。

 

 ホグワーツのバレンタインは無駄に凝っている。フリルの可愛らしい飾り付けがされて、チョコレートやキャンディが至るところで交わされている。

 朝食の席でメロウと一緒になった。

 

「ハッピーバレンタイン、スザンナ」

「は、ハッピーバレンタイン」

「これあげるよ」

 

 彼がなんの気もなしに、ラッピングされた小さなお菓子を手渡してきて、わたしは驚きと喜びに胸が軋むのを感じた。

「あ、ありがとう!いいの?」

「うん。お母様がつくったスノーボールだよ。好き?」

「えっ!?」

「好き?こういうの。あんまりスイーツを食べてる印象ないから」

「あ、うん、す、好き…だよ」

「なら良かった。息子の僕が言うのもなんだけど、お母様が作るお菓子って美味しいんだ」

 メロウが嬉しそうにニッコリ笑った。お菓子のことだと分かっていても、たった一言「好き」だというのにこんなにも戸惑ってしまう。

 

 ひっきりなしにフクロウが天井を飛び交っていて、あちこちで浮かれた声が聞こえてきた。メロウにも途切れる暇がなくカードやプレゼントが届いていて、テーブルに小さな山が出来るくらいだった。

 すごすぎて、もはや空いた口が塞がらない。

 彼はカードを一瞬流し見ては、特に感慨もなく山の中に突っ込んでいく。嬉しそうでも、嫌そうでもなく、無感情だった。もらうことが当たり前だという態度。

 

「すごい量だね…」

「まぁ、うちは名家だからね。付き合いのカードも多いよ」

 苦笑したメロウがチラッとわたしを見る。彼のプレゼントに対して、わたしの前は真っ平らだ。数少ない友達からの数枚のカードしかない。恥ずかしくなって俯いた。

 付き合いだけじゃない、どう見ても本気の贈り物だってたくさんある。彼は他人からの好意をどう思うんだろう。この大量の山の中に自分のちっぽけなカードが紛れることに、安堵と同時に、惜しいような気持ちも浮かんだ。わたしは彼にとって大した人間じゃないと突きつけられているようで。

 

「ハッピーバレンタイン」

 ふと、後ろから可憐な声がした。

「これあげるわ」

「ありがとう、アスティ。僕からも」

「ありがと。でもシャルルお姉様からもう貰ったわ。違うのはないの?」

「フクロウで贈ったよ。ハーブクッキーの缶をたくさん」

「たくさん?」

「たくさん。好きでしょ?」

「ええ!嬉しい、ありがとう。さすがメロウね?」

 イタズラっぽい笑みを浮かべてアステリア・グリーングラスが去っていく。最後の含みのある言い方が二人にしか通じないジョークのようで、隣にいた部外者のわたしは惨めさに胸が痛んだ。

 グリーングラスの視界にすら入らない自分。

 クッキー缶をたくさん贈ってもらえるグリーングラスと、スノーボール一粒のわたし。

 止まらないフクロウと、ハートに飾られたメロウ宛のテーブルの山。

 

「ほんとうに…よくモテるのね」

 思わず皮肉っぽくなった自分のつぶやきに、わたしは慌てて笑みを浮かべた。

「羨ましいくらい。恋人は作らないの?」

「うーん…」

 メロウは気にしていないようだったけど、答えを聞きたくない問いを自分でしてしまって、何て答えるのか喉が引き締まる。

「別に好きな人いないしなぁ」

 それに、ホッとする自分と、ズキンとどこかが痛む自分がいた。頭の中でやめろと叫ぶのに、わたしはさらに問いかける。このホグワーツの甘い空気がそうさせるのかもしれない。そ

「今まで恋人は何人かいた…よね?」

「うん」

「どうして付き合ったの?…す、好きだったの?」

「あれ?」

 

 メロウが言葉を遮って首を傾げた。カードと一輪の薔薇を見て目を細める。心臓がドキン!と一際強く跳ねた。

 わたしが贈ったカードだ…。

 カードを眺めるメロウの横顔が見たことのない表情だった。どういう表情なの?読み取ろうとジッと見つめてしまっていると、おもむろにメロウがわたしを見下ろした。

 

「これ、スザンナからだよね?」

「っ」

 ヒュッと喉が鳴る。

「ど、どうして分かったの?」

「だってレポートを見せてくれたじゃない」

「そ、そっか。うん、それ、わたしから…ハッピーバレンタイン」

「ありがとう」

 余計なことを書いていなくて心底良かったと、恐れるような気持ちで安堵する。わたしはヘラリと下手くそな、媚びるような笑顔で誤魔化した。

 何も気付いていませんように。何も気付いていませんように。

 期待がないのだから、せめて友達でいたい。…期待ないよね?だって、好きな人はいないって、たった今言ってたもの。

 

「嬉しいな。友達からカードがもらえるって。素敵なサプライズだよね」

 

 メロウが彫刻みたいな美しい顔立ちで、完璧な笑顔を浮かべた。彼を見慣れたわたしでも、思わず見蕩れずにはいられない笑顔だった。

 

「そういえばどうして付き合ったかだっけ」

「あ、ああ、うん」

 忘れていなかったらしい。彼は無邪気に流れるように答えた。触れることも出来ない宝石のように、完璧な笑顔だった。

 

「純血だったからだよ」

 


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